秋乃は立哉を笑わせたい 第15.7笑
如月 仁成
気象予報士の日 前編
さて。
ちょっと落ち着いて考えてみよう。
ここは、深夜の観光ホテル。
照明を落とした一室に。
うっすらと白く発光するカーテンがひとつ。
青い光と白い光で染め上げられた幻想的な間接照明は。
複雑に曳かれた波濤の先に刺繍されたレースを二つ、互いに合わせ。
そこから零れた一筋の月光で。
陶器のように白い頬をひときわ輝かせていた。
そんな秋乃の美しい顔が横たわるのは。
部屋に一つだけ据えられたベッドに置かれた枕。
二つのうち、右の方。
耳まで潜り込むほどの羽毛は。
彼女の両耳を優しくふさぎ。
これから起こるであろう『変化』について気づかせまいと。
必死で、夢見る少女を寝かしつけようとしていた。
でも。
折角の気遣いも無駄なよう。
耳をふさがれた王女様は。
眠ることなどできない様子。
漂い煌めく粒子に彩られた光の線。
彼女の頬を照らす白い月あかりは。
長いまつげが、緊張のあまり小刻みに震える様子を。
俺の目に、はっきりと届けてくれていた。
さて。
ちょっと落ち着いて考えてみよう。
なぜこうなったのか。
そして、俺はこの後。
どうすりゃいいんだ?
~ 八月二十八日(土)
気象予報士の日 ~
※飲む/呑む
○……
○……
○見くびる。圧倒する。
○……
○……
観光地だから。
そんな一言では語れない、歴史を感じる木造建築が左右に並ぶ石畳。
その道端、至る所で地元の皆さんが。
お揃いの法被を羽織り、頭に手ぬぐい巻いて。
ぎいこぎこ。
とんてんかん。
木を切り、ひごを作り。
そして和紙を梳く。
そんな光景が、現実から俺の心を引きはがし。
風に乗った羽根のように、ふわりと空へ運んでくれた。
ビバ、魂の洗濯。
ビバ、観光旅行。
だが。
ここで一つ問題だ。
ウミガメのスープ。
俺は、今。
まるでリラックスしていない。
その理由を当ててもらおうか。
「……重い?」
「いや、全然」
二人分の荷物。
俺のスポーツバッグは背中に。
秋乃のリュックはお腹に。
そして、もひとつ。
秋乃の旅行カート。
三つ持って歩くことなど造作もない。
でも。
今の言葉に、重大なヒントがある。
「あたし……、持つよ?」
「いや、いい」
「だって、他に荷物ないし」
「ほんとに気にしないでくれ」
そう。
他に荷物が無い。
つまりは。
荷物が二人分『しか』ないことが問題なのだ。
町ぐるみのイベント準備。
灯籠の作成光景。
こんなの見たら、テンションだだ上がりで駆けずり回る凜々花も。
興味津々に、地元の方へ質問を開始するであろう春姫ちゃんもいない。
仕事を忘れる、非現実的な光景に肩の力を思い切り抜くお袋も。
いつも非現実的な生活してるくせに嬉しそうにするであろう親父もいない。
どうやったら村へ溶け込むことができるかと怯えだす舞浜母も。
俺を間違いなく蹴り飛ばして排除するであろう舞浜父もいない。
「…………なあ」
「ん?」
「なぜ二人?」
「一人旅のつもりだったんだけど、立哉君が来たいって言うから」
俺一人、一生分の鼓動をこの一泊旅行で使い果たそうとするほどドキドキしているというのに。
まるで歯牙にもかけず、飄々と返事をするこいつは。
飴色のサラサラストレート髪を、山間の涼しい風になびかせながら。
麦わら帽子の縁から。
俺の目を覗き込んできた。
その栗色に輝く瞳も。
夏の日差しが透けさせてしまいそうな白いワンピースも。
すべてが俺に。
荷物を持たせようとする。
「そのハンドバッグも持とうか?」
「なんで持ちたがるの?」
そんなの決まってるだろ。
何かしてないと落ち着かねえからだ。
顔を背けて。
栗色の瞳から反対方向へ、自然と俺の目が逃げると。
この土地が準備してくれた。
素敵な言いわけが待っていた。
ぎいこぎこ。
とんてんかん。
弦楽器と打楽器のセッションに。
子供たちが笑い声でふしをつける。
おやまのつきのまるいときゃ
とおくがちかくにくるしるし
こさえるちそうはいらしゃれ
おくるとうろうまたらいねん
へんじょなさてさてとってけて
へんじょなさてさてとってけて
「……ルール、教えて?」
「歌いながら石畳を跳んでるあれか? けんけんぱみたいなもんだろ。俺にもよく分からん」
「じゃあ、とってけてって?」
「…………教わって来れば?」
半ば、冗談のつもりだったんだが。
こいつなら迷わず行くよな。
秋乃は、珍しく履いた踵の高い靴から。
じゃりっと嬉しそうな音を奏でつつ。
大好きだけど苦手という子供たちの下へ。
一目散に駆け出した。
やれやれ、ちょっと休憩だ。
体力的には問題ないが。
このシチュエーションは、寿命に直接ダメージを与えて来る。
俺は、いい加減鳴りやまない鼓動をちょっとでも落ち着けるべく。
目に入ったベンチへ腰を下ろしたんだが。
気付けば、けんけんで飛び跳ねる秋乃の足を勝手に追っているスケベな俺の目のせいで。
いつまでたっても治りゃしねえ。
そんな思いでいることに。
気付いているのかいないのか。
秋乃は、何度も子供たちに笑われながらも。
とってけての謎について教えてもらうべく。
必死にゴールを目指すのだった。
……休んでいる間に気付いたこと。
俺の瞳が、秋乃のチラリ以外に捉えていたもの。
石畳を行き交う人々の共通点。
誰もが笑顔で協力的で。
蒸し暑くなった最後の夏と。
地元の風習を楽しみながら。
携帯扇風機ではなく団扇を。
油性ペンではなく筆を手に。
黒光りするほどの年季を放つ木造家屋の一つから出てくると。
隣の家の木戸を勝手に開けて。
ごめんくださいの返事も待たずに靴を脱ぐ。
削れる木の香りが漂う、古き良き時代。
村が家族だった当時から、時を切り取ったかのような素敵な光景。
でも、それよりも。
ムキになって、肌色サービスたっぷり目になった秋乃の十回目のチャレンジが。
俺のこころをわしづかみ。
……それにしたって。
予想外過ぎる。
まさか、秋乃と二人旅をすることになるなんて。
しかも。
自分から誘って来るなんて。
秋乃の思惑が。
この後に待っているものが。
まるで分からない。
すると、ヒントが足りない謎について考察するのを早々に諦めた俺のもとに。
とってけてが擬音だと聞いて不服そうな表情を浮かべた秋乃が戻って来ると。
「うおっ!? いてえな、腕引っ張んな」
「い、急いで書こう!」
「何を」
「灯籠に、落書きできるんだって……!」
「それはどっちを叱ればいい!? おそらく情報を捻じ曲げたお前の頭か、あるいは情報を間違えて発信するお前の頭か」
「け、結果が同じでびっくり……」
しかも、万が一落書きだったとして。
そんなにやりたいの?
……いや。
そうだったな。
知らないものは何でもやってみたい。
お前は、そんな奴だったよな。
そこを魅力と捉えるか。
子供みたいに思えるか。
その日次第の俺なんだが。
今日の所は。
無理やり魅力と捉えてやろう。
「じゃあ、急ぐか」
「そこのお家で書けるって……!」
「腕を引っ張るな、チェックインが先だろうが。ホテルへ急いで行って、すぐに戻るぞ」
「わ、分かった……」
そして、腕を引く方向を変え。
元々の目的地へ、足早に歩く秋乃の後を追いながら。
俺は考えた。
道端の、至る所で作られる。
四角い竹ひごの枠組。
そのそばには。
和紙に何かを書く子供たちの姿もちらほらと。
そんな姿を、文字通り指を咥えて見つめる秋乃に。
灯籠流しの意味を教えておかないとな。
「いいか? 落書きじゃなくて、灯籠流しは死者の魂のお弔いだ」
「え……? そうなの?」
ようやくいつもの左側に並んだ俺に。
秋乃は、少し落胆した視線を向けて来た。
「落書きじゃないんだ……」
「何を期待してたんだ。灯籠やら供え物やらを、海とか川に流す風習が各地にあってな?」
「ゴミ問題は日本の風土が生み出したのね……」
「そんな話じゃねえよ。最近じゃあ、ちゃんと下流で回収してる」
「じゃあ、水質汚染」
「身もふたもない」
さすがにこれは冗談だったらしい。
秋乃は、てへりと舌先を覗かせると。
「この土地に根付いた風習……。今では地元の皆さんが、あんなに楽しそうに、あんなに誇らしそうにする素敵なイベント」
「その発想は無かったが。確かにそう考えると素敵だな」
「うん。昔話みたいなものもあるかも……、ね?」
「それを知るには、地元の大人に聞かねばならん」
そう言いながら。
俺が白羽の矢を立てて指差したのは。
ちょっとがらっぱちな感じのおじさんだ。
秋乃は、ああいうのは苦手と口で言うのを遠慮して。
何も言わずに、俺の後ろにこそこそ隠れたんだが。
「いいか? 昔話を聞くなら、地元の大人が最適だ」
「うん」
「だが、俺は赤の他人と話すのなんてまっぴらだ」
「まじかあ」
秋乃は足を止め、天を仰いだかと思うと。
「が、頑張ってみる……」
珍しく、前向きに積極的に。
手のひらに何か書いて何度も飲み込みはじめた。
……『人』、じゃねえよな。
なに飲んで落ち着こうとしてるんだお前。
「……他人のこと言えねえけど。まだ苦手か、他人と話すの」
「うん。……でも、頑張る。ごくん。ごくん」
細かく手の平で指を動かして。
書き終える度にごくんごくん。
「さっきみたいに、ゴミだの水質汚染だの言うなよ? 地元の方にとっては何より大切な行事なんだから。」
「わ、分かってる……」
「素直に聞いて素直に感動してこいよ? なにやら緊張してるようだが大丈夫か?」
「大丈夫。飲んでるから」
「『人』って字に見えんのよ。何書いてるの?」
「鵜」
「うはははははははははははは!!! それ飲み込めねえだろが!」
いや、鵜を飲み込むことはできるのか。
それ、どう突っ込むのが正解なんだ?
秋乃は、俺を笑わせたことでリラックスできたのか。
数名の、いかついおじさんの群れへと突撃していく。
いつからだろう。
かつてなら、俺の背に隠れて。
そのまま背中をぐいぐい押して。
いけにえに捧げる事が常だったのに。
そしていつからだろう。
俺が、秋乃の将来の姿を。
二通り思い浮かべるようになったのは。
今までのように、良家のお嬢様として。
人と接すること少なく暮らす将来の姿か。
あるいは、
こいつが、真に行きつくべき将来は……。
「がっはっはっは! お姉ちゃん、おもしれえなあ!」
「やたら綺麗だし、ナンパしていいか?」
「すまん、こいつの言うことは気にするな。昔話きかせてやるから」
「お、お願いします……」
大勢の人に囲まれて。
沢山の笑顔に包まれて。
「でも俺、話下手なんだよな……、お? いいところにツバキ軍団!」
「軍団って呼ばないでよケン兄ちゃん!」
「お前ら小学校で夏休み前に習ったろ? 灯籠の話してくれよ」
「あたしらはもう中学生だ!」
「昔話を? ケンちゃんに?」
「いや? この姉ちゃんに」
ご近所ではちょっとした有名人。
ワンコ・バーガーみたいな、店の看板娘。
「……と、こんなお話なんですけど」
「あ、ありがとうございます。じゃあ今は、灯籠に書くお手紙の相手は誰でもいいの?」
「はい、そうですね。タクミなんて、去年ラブレター書いたんですよ?」
「ツバキ!? こんなとこで暴露すんじゃねえよ!」
笑いを運ぶ、素敵な芸人さん。
そんな姿なんじゃないかと。
そう思うようになっていた。
…………皆さんと楽しい時間を過ごして。
手を振って戻って来た秋乃は。
興奮気味に、俺の前を歩きながら石畳を先に抜ける。
そして急に現代風になった交差点を横切って。
地図では表現されていない傾斜のキツイ坂を上ってみれば。
「うわ。高級そう……」
「そうなの? パパの名前で、ただで泊まれるって聞いたからここにしたけど……」
豪華な車寄せが据えられた。
一階が高級そうなレストランになっているホテルへと到着した。
「…………ほんとにただなんだよな」
「うん」
でもさ、俺が一緒だなんて。
親父さんに話してねえんだろ?
二部屋分の請求書見て。
こいつが、一緒に旅行した相手を正直に白状したら。
「……秋乃なら、マシンガンの弾でもはじき返す服作れるよな?」
「服?」
「いやなんでもねえ。チェックインの前にアイスでも食うか」
「うん……」
今度は、違うドキドキに襲われながら。
レストランの入り口に見つけたアイス売り場へ足を運ぶ。
さっきからのどがカラカラだ。
冷たいもの入れて落ち着かねえと。
秋乃がバニラとストロベリーの二択でさんざん悩んだ後。
ストロベリーを注文したのを見て。
俺は、ダブルでバニラとブルーベリーを注文。
そして、手渡されたアイスを見るなり。
秋乃がぷんすこ怒り出した。
「え? なんで怒ってんのお前?」
「に、二段重ね……!」
「メニューのとこに書いてあっただろうが。ダブルって」
「二つがダブル?」
「そう」
「てっきり、ダブルっていうフレーバーがあるものかと……」
ダブル味ってなんの味なんだ?
でも、こいつが失敗する前に教えられてよかった。
下手すりゃ、シングル味とダブル味とトリプル味を三段重ねでって頼んで。
怒涛の十八段重ねを前に泣きべそかかせることになってたかもしれん。
「そうか。だったら安心しろ」
「え?」
「……すいません。今から、ダブルに変えてください」
「そんな権利が立哉君に!?」
「ある。先月、国から許可が下りた」
店員さんがクスクス笑いながら。
秋乃のアイスの上に、バニラをもう一つ乗せてくれると。
「ダブル……。アイスが二つになる、魔法の言葉……」
秋乃は、嬉しさというよりも。
驚きの表情を浮かべながらアイスを口にした。
「おいし」
「そう、ダブル。そいつを使いこなせるようになったら、さらに上級の呪文も教えてやる」
「さらに上が……っ!?」
「落ち着くんだ。まずは、ダブルを使いこなしてから」
「つ、使いこなす……!」
……夏は終わりを迎えるけれど。
今年も残暑は厳しそう。
ダブルを使いこなしている間に。
いつかお前は気づくだろう。
その隣に書かれた、破壊力がさらに増す魔法の呪文のことに。
「……それじゃ、行くか」
「チェックイン?」
「受け付けは秋乃がしとけ。俺は荷物をフロントに預けておくから。……部屋に入る時間も惜しいんだろ?」
「うん……!」
そんな提案に、秋乃は嬉しそうに微笑んで。
受付カウンターに体当たりしそうな勢いで駆け出した。
……そうだな。
俺は、灯籠に書くことが決まったぜ。
秋乃が、今年中に。
トリプルのアイスを食べる事が出来ますように。
後半へ続く♪
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