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 彼が擬態ぎたいカブトムシの話をしてからちょうど一週間後。私は約束通り、小学校の門前にやってきた。早朝6時、眠気が取れないままに自転車でやってきたというのに、指定場所にはすでに有戸ありとが、溌剌はつらつとした表情で立っている。


「遅かったな桐鍬きりすきー。虫よけスプレーしとくか?」

 大丈夫と伝えると、ふぅんと納得した様子でリュックにスプレー缶をしまう彼。私はあらためて彼のよそおいをまじまじとながめる。


ねむいのか?」

「夜が近づくと元気になるんだ」

「だから学校でいっつもボケっとしてんだな」


 彼の自転車カゴの中には、麦わら帽子ぼうしや大小さまざまな虫かご、懐中電灯、ビニールシートなどが詰められている。彼自身は白字の半袖上着に下はカーキ色の長袖パンツ。くつはいつも学校の校庭をけているのと同じスニーカー。背中には彼の身長半分ほどの、巨大な黒のリュックサックが甲羅のように背負われている。


「ずいぶん気合入ってるね」

「当たり前だろ。逆に何でお前は、半袖短パンで、虫かごと虫捕りあみと水筒しか持ってないんだよ」

「これだけあれば充分かなと思って、あとタオルも持ってるよ」

「お昼ご飯は持ってきたのかよ」

「水筒があるからいいよ」

「変なヤツ。しょーがないな、俺の弁当、半分けてやる」


 有戸は吐く息と同時に肩を落としてあきれてみせた。だがそれ以上の追及はせず、軽やかに自転車にまたがると「じゃあ、いくぞ」と一言のこして、先陣を切り出した。


 十連十とづらと山は私たちの通う小学校から、自転車でおよそ2時間かかる。ほぼ隣町となりまちと断定していいような場所にあるが、近場でかつ森林の生い茂った場所はそこしかないので、付近の子供は虫捕りの舞台に、大体あの山を目指す。他校の同じような目的で集まった生徒ともれあえる場所のため、山を中心としていつの間にか近隣都市の子供達のつながりが出来ている。


 十連十山には古くから「夜、子供をさらい自分の中に閉じ込めてしまう木の化け物」の伝説がある。全く信憑性しんぴょうせいに欠ける話ではあるが、うわさ好きの多感な小学生たちには効果覿面こうかてきめんらしく、いつしか十連十山は伝説になぞらえて、小学生コミュニティの間で「バケモノ山」と呼ばれるようになった。


「そのカブトムシは、どうやって擬態ぎたいしてたの?」

 地平線から注がれる朝日に身をがす。私は車輪の回転と共におそう熱風を真正面からびつつ、声を張り上げて質問した。


「擬態に種類があるのは、前の自由研究で発表したよな?」

おぼえてない!」

「元気に言うな! 簡単に言うと隠蔽いんぺい的擬態、標識ひょうしき的擬態、攻撃こうげき擬態が合ってな、それぞれ用途がちがうんだ」


 ぎ続けると街のにおいが風に乗って私の鼻腔びこうをくすぐる。私はこの臭いがきらいではない。ヒトの文化の中に生きている実感を感じ取れるから。


「葉っぱだよ! 俺が見たカブトムシはナナフシみたいに、えだから生えたみたいに完全に同化していた! あれは完全に隠蔽的擬態だ!」

「じゃあそのカブトムシは緑色だったんだ、すごいね!」

「本当にすごい! あんな完璧に葉っぱに擬態してるカブトムシ、初めてみた!」


 私たちは身体を吹き抜ける風にけないよう、大声を張り上げて会話する。最後の方に有戸ありとから聴こえた声は、そのよろこびが共に風に乗ってこちらへ運ばれていた。

 途中、日が街の道路を焼き始めると、私たちの体力もそこを尽き始める。先に私がばてて、道中で少し休憩をはさんだ。


 それからは、自転車のハンドルを持って押しながら歩いたり、体力が少し回復すればまたばてるまで漕ぎ出したり。そのかえしの速度がゆるゆると遅くなりながらも、どうにか目的地であるバケモノ山に到着した。


駐輪場に自転車をめて、一息ひといきの休憩を入れる。彼が持参した飲料はすでに一本消費してしまったし、私の水筒はもう三分の一程度しか残っていない。


 「行くぞ」彼は虫よけスプレーを体にかけ、しみ出す汗をタオルでぬぐうと、バケモノ山の奥へと向かう。私もその後ろを、アスファルトの焼ける臭いをぎつつ入った。


 *


 山道はしていた。ただ、生い茂る樹木の葉が天上から注ぐ日差しをさえぎり、光の斑点はんてん模様を大地に作る。小道を抜ける風が葉と土の香りを運ぶ中、私は有戸ありとの背中をしばらく黙々と追っていた。


「どこで見つけたの?」

 質問をしてみるが、彼は応えない。余計な体力を消耗しょうもうしないためだろうか。


 怖い者知らずのように、忌憚きたんなく歩みを進めていく。車道用の舗装道路やベンチが数基おいてある休息スペースも通り過ぎて、修験道のごとくひたすらに山道を進む。やがて人工物と言えば補強ほきょうされた山道以外見当たらないような、山の中腹に差し掛かる。


 ふと、前を歩く彼の背中が止まった。

「ここから山道を外れた先で、あのカブトムシを見つけたんだ」


 辺りを見回すと、私たちの肩まで伸びた空をす雑草が、視界一杯どこまでも続いていた。地面すら見えない緑の壁の向こうには、黒々とした幹をまとう樹木が無数に屹立きつりつしている。


「目印をつけておこう」

 有戸は近くの木のみきに、リュックから取り出したショッキングピンクのスカーフを巻き付ける。そして意を決したようにリュックを整えなおすと、今しがた水筒を飲んだ私に向かって手を差しだした。


「この辺りは雑草が高くて迷子になりやすいからな。絶対にはぐれんなよ」

 勇敢ゆうかんだな、と彼と手をつなぎながら考えていた。


 *


 山道で見た時は雑草ばかりがしげっていると思っていたが、実際に踏み込むと、思いのほか枝が進行の邪魔をした。木の根とが複雑な地形を作り出し、注意して歩かないと何度も何度も転びかけてしまう。

 彼はれた様子で安全な場所を踏みしめながら進んでいる。日頃こうしたフィールドワークをおこなっているのだろうと、私は純粋に尊敬の念をいだく。


「ここだ。ここで俺は、あのカブトムシを見つけたんだ」

 足を止めた有戸が、緊張した様子で話す。周囲は行く手を阻むようにしげる雑草と、その間をって攻撃するように生える若木の枝。


「本当にここ?」

「見ろ、あそこ」

 彼が指差した先には、不気味に立つ一本の黒木があった。よく目をらすと、幹の表面に、ひし形とそれを2分割するかのように縦の線が引かれた図形が、深くえぐるようにきずつけられている。


「次回来るとき、分かりやすいように目印をつけておいた。絶対に来たかったからな」

 その声色に、強い決意の意思を感じる。彼は本気だ、本気でくだんの擬態カブトムシを捕獲しようとしている。


「じゃあ、今からつかまえるの?」

 持参した虫捕りあみをにぎる私の手を、彼が首を横に振りつつ治める。

「カブトムシは基本、夜行性だ。今から見つけようとすると、土の中を掘り返すほかない。そんなの、夏休み中いくらやったって終わらない」

 ここで私は、彼が擬態カブトムシの話をした時から疑問に思っていた事柄をたずねてみた。



「有戸くんはそのカブトムシを、いつ見たの?」

桐鍬きりすきに話す前だから、8日前。学校が休みだった時の昼だな」

「昼に見たの? カブトムシは夜行性じゃなかったっけ」


 有戸は「えだの葉に擬態する緑色のカブトムシ」を見たと言っていた。だから彼は、少なくとも葉の色を識別できる時間帯、朝方から夕暮ゆうぐれのいずれかに発見したのだとかんがえていた。もし夜に見たのなら、葉っぱの色と同化しているという特徴にも、気付けなかったのではないか。


 私の疑問にしばしなやんだ様子だったが、すぐに彼は毅然きぜんとした態度で見解を口にした。


「桐鍬の言う通り、あのカブトムシは昼行性の可能性もある。だけどその可能性を信じるのは、既存の定義が全てやぶられた時だ。まずは俺たちがよく知っている方法で何度も試してみる。それでもだめだったときに初めて、理論を信じてみるんだ」


 それから彼は高揚をあらわにしつつ、私に向かって屈託くったくのない笑顔を向けた。

「大丈夫だって! 今回は桐鍬が協力してくれるし、夏休みはまだまだ長いからな!」


 *


 それからは、彼の知識に裏付けされた、カブトムシをつかまえる準備の手伝いをした。


「カブトムシは視覚に比べて嗅覚が発達してるから、甘いかおりに集まってくる。だからこれ」

 彼はリュックから、ぬのにくるまれた、発酵したバナナのような物体を数個取り出した。鼻をつく独特のあまったるい香りに胃が持たれそうになるが、数分後には私にとってかぐわしいにおいに変わっていた。


「これを近場の幹に括りつけよう」

 昆虫博士の指示通りに、指定された6か所に強烈な臭いを放つえさを巻きつける。それから見失わないように、布よりも高い地点の幹に、彼からりたポケットナイフで、ひし形に縦線を引いた印をつける。深くらないと、後で来た時にめられていたりして分からなくなる場合があるらしい。


「それからこれ。とっておきだ」

 彼がリュックサックから取り出したのは、クラスの黒板ぐらいはある、巨大な布のシートだった。

「これに残りの餌をりたくって、木と木の間にくくって広げる」


 この作業は流石に疲労がまった。まずちょうどいい距離感の2本が見つからない。一時間ぐらいああでもない、こうでもないと試行して、結局多少はゆるんでもいいと妥協してポイントを決定する。


 次に、自分たちの背の高さほどのまくを張るので、どうしても背伸びの状態を固定しなければいけない。あしの筋肉を伸ばしながら、布がたるまないよう、ひもをしっかり幹に縛り付ける。片方が注意してももう片方に不備が出る。そんな中で一時は険悪けんあくな空気が流れもしたが、最後はしっかりと布を木々の間に張り付けた。


 後は有戸ありとと一緒に、餌を布の中心付近に塗りたくる。今までの上手くいかなかった鬱憤うっぷんを晴らすように、過剰な力加減でどろどろと塗りたくってやった。

「それからこれ」

 有戸は、懐中電灯を布の端にむすびつけ、さらに卓上電灯、いわゆるカンテラを布の下に置いた。夜行性のカブトムシは光にさそわれやすく、その習性を利用するらしい。


「後は、夜になるのを待つだけだ。じゃあそろそろ、お昼ご飯食べよう。山道にもどって下った先にある、休憩スペースでいいよな」

 それからやぶを抜けてスカーフの巻かれた山道に出て、来た道を戻る。登山客とすれちがいながら、開けた休憩スペースのベンチに腰かける。


 私は補給といえば水筒しか持ってきていないので、彼が持参してきた弁当の具材を分けてもらった。個包装の割りばし袋についている爪楊枝つまようじを拝借して、弁当箱のハンバーグやウインナーを食べる。肉厚で美味しかった。


 *


「そういえば桐鍬きりすき。お母さんには今日の事、言ったのか?」

 一つだけのおにぎりを頬張ほおばりながら、有戸が質問してくる。

「僕は大丈夫だよ。それより、有戸ありとくんは?」

「俺はいつも通り、虫捕りって言った。気を付けてって言って送り出してくれたよ」


 それからは無言で、彼は割りばしで、私は爪楊枝つまようじで一つの弁当箱を分け合う。

「何か、樹液にあつまるカブトムシみたいだな、俺たち」

 同じ箱から同じ具材を食べながら、有戸はそんな冗談もこぼした。


 土のくすんだにおいが森を埋め尽くす。じっとりと汗ばむ体を体感しながら、私はさりげなく彼に質問してみた。


「そういえば、どうして有戸ありとくんは虫が好きなの?」



 私がたずねた直後、彼は弁当に視線を落としたまましばし固まっていた。予想外の行動だったので私は、何かおかしな言動をしてしまったのかとかんぐってしまう。

 だが次に面を上げた彼の顔は、木漏こもに照らされて晴れやかだった。


「虫って、きないんだよ。俺たちひとよりずっと小さいのにさ、人よりもずっとずっと不思議にあふれてる。オスとメスが成長の途中で変わったり、同じ種族なのにサイズがおかしいぐらいに違ったり、虫の基本は頭、胸、腹って授業でやってたけど、そのルールを無視してる虫なんていくらでもいる」

無視むししてるむし……」


「うるせぇよ! んでだな、中でもやっぱり擬態ぎたいってすごいんだ。葉っぱや枝に化けるばかりじゃなくて、毒性も持つ別の種の色を真似まねたり、逆に自分がえさを獲得するために獲物が寄り付きやすい見た目に体を進化させたり。

 ハナカマキリって知ってるか? あれ最初は花に見た目を擬態させて獲物をおびき寄せてるって通説だったけど、最近の研究だと、餌をおびき寄せてために擬態元の花に似たかおりを体から出すんだってさ! すげぇよな!」


 すっかり準備でへとへとのはずなのに、虫について語る彼の姿は、何にも増してかがやいて見えた。それこそその輝きで、夜行性のカブトムシがってきてしまうのではと錯覚するほどに。


「そんでさ。いつかもっとすごい擬態ぎたいをしている虫を見つけたいんだ。例えば、果実にけてる虫だとか、チョウチンアンコウみたいに疑似餌ぎじえくタイプの擬態だとか、石に擬態した植物は知ってるからそれを虫バージョンもきっといるはず。虫が虫に擬態するだけじゃなくて、きっと生き残るために虫が別の動植物に擬態している可能性だって、あるはずだ」


「その可能性は信じるの?」

「むしろ、既存の擬態定義をすべてやぶってほしいぐらいだ!」


 目を炯々けいけいと光らせ、夢を語る有戸ありと。彼に見つかる虫は幸せなのだろうと、私は漠然とそう考えていた。

 弁当の具材を食べおえ、しばしのいとま。私はもう一つ、彼に関して気になっていた事柄をいてみた。


「今日もそうだけど、有戸くんカブトムシ好きだよね」

「大好きだぞ」

「どうして大好きなの?」

 質問が終わるとほぼ同時に、彼は純朴なみを浮かべて言い切った。


「カッコいいから!」


                                  〈続く〉

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