第8話 忘却の貪羊 前編

忘却の貪羊 

 序


「そっちに行ったぞ!」槍を持った大柄な少年が後方にいたはずの少女二人に警告を発する。

 岐阜の山中で行方不明者が続出し、その捜索隊にまで未帰還者が出始めた為に、太刀守たちがみの里のおつとめ事務局はあやかし関連の事件の可能性をかんがみ、ニ回生(高校二年生)のチームを派遣した。

 当然、上位成績をあげているチームを当てている。このチームは太刀、槍、弓、法術のお務めとしてはバランスの良いチームであった。しかし

「イヤぁ!間に合わないっ!」速射、連射性の良い短弓を引く少女の悲鳴が夜の森に響き渡る。

 太刀を持った少年が駆けつけようとするが間に合わない。

 槍持ちの大柄な少年がやむを得ず槍をその大きな黒い影に投じるが硬い皮膚に弾かれ、弓使いへの突進を止められない。

 法術使いの少女が得意の火焔弾を慌てて放つと黒い影は多少躊躇ちゅうちょするように見えたが、弓使いの少女が吹き飛ばされるのが一瞬遅れた程度だ。

 黒い影は身の丈3メートル近い、濃紺の肌を持ち頭部に二本の角を持つ、まさしく青鬼と呼ぶに相応しいもので有った。

 すでにこと切れた弓使いの矢は通らず、槍使いの突きも、太刀の斬撃も目立った外傷を与えられなかった。

法術使いのご自慢の火焔も多少嫌がる素振りを見せるが、効いている様子は伺えない。

 青鬼が今度は法術使いの少女に向いた。先程から気にさわる火焔弾を放つ法術士がわずらわしくなったのだ。それに…

「い、嫌ぁー!」ニタリと笑う青鬼の凶相に力の許す限り火焔弾を連発するが、すぐに法力切れでか細くなり

「嫌っ!来ないでっ!お願い、火焔よっ!」法術士は力を振り絞るが、火焔弾どころかライターの炎程度しか出ない。

 仲間も黙って見てはいなかったが、拾い直した槍も、太刀も歯が立たない。

 青鬼の後ろから斬りかかるが、意にも介さない。とうとう槍使いの得物は穂先が折れる。

 新しい槍ではあったが里の職工集団、岩崎の工房で太鼓判を押されたモノで、この一年半の激務のお務め中に刃こぼれ一つしなかった。

 それがいとも簡単に砕け散った。小太刀もいてはいたがとても切りかかってどうにかなるように思えなかった。

 最近、法術士の少女といい関係になっていた太刀を持った剣士は、彼女を救わんとして必死に鋼のような青鬼の背に斬りかかり、ついに浅手あさでを負わせる事に成功するがそこまでであった。

 青鬼が蝿を追い払うかのように腕を振るうと裏拳の一撃でパシャッと剣士の頭部が弾け飛ぶ。

 まるでスイカを高所から落としたようだった。

「いやぁー!!……」想い人が目の前で無惨むざんな最期をげたのを目撃した法術士の少女は絶叫を発しながら失神し、崩れ落ちる。

「う、うわぁーー」槍使いは仲間の惨状を見て恐慌きょうこうし、裏返った悲鳴を上げ、逃走を図る。青い鬼は追って来る気配は感じなかった。

 逃げながら槍使いの篠島茂はどうしてこうなってしまったのかかえりみる。

 山へ分け入った途端に霊感の強い法術士の少女が異常な気配に中止を提案したが、危険であればすぐに引き返すという条件で、強行偵察を行うことにした。

 真田の道場出身のリーダーである剣士の判断だった。

 乗り気でない鬼灯ほおずき出の法術士と渋々といった凰一族に連なる弓使いを説き伏せ、探索を始めたが意味が無かった事に気が付くまで時間は掛からなかった。

 怪も獲物を探していたのである。

 思えばおかしい事はいくつも有った。夜の夏山というのに虫の一匹どころか、鳴き声さえも聞こえなかった。

 茂みの一つもあれば町中でも聴けるものであるのに。

 森は静まりかえり、死の山のように不気味だった。聞こえてくるのは風に揺られる木や草の音だけだった。

 すぐに唯一の物音が聞こえ、近づいて来た。

 正体は里の者でも接近を躊躇する鬼であった。

 噂では最近、若こと師条光明しじょうこうみょうの率いる里の猛者達が鬼の群れと一戦交えたと聞くが少なくない犠牲を払ったそうだ。

 お務めで優秀な成績をあげた程度で立ち向かえる相手ではない。

 茂以外のチームメイトも全滅だ。きっと法術士も助かるまい。

 すぐに鬼と遭遇した為、ここまで送ってきてくれた支援の犬山のバンが見えた。自分達の成績のおかげで最近、新車に替えたばかりで夜目にも輝いて見えた。

 あそこまでたどり着けば…

 しかし、轟音とともに目の前でバンが潰れる。待機していた犬山とともに。

 鬼だ。潰れたバンの上に鬼が乗っていた。逃げた茂を飛び越してバンに着地し、紙箱の様に踏み潰したのだ。

「ア、ア、ア……」パニックを起こした茂は棒立ちになってしまう。その足元に青鬼が何かを放ってよこした。茂の足ヘ転がって止まったソレは法術士の首であった。見開いた目は一人だけ逃げた茂を責めているように見えた。

「……!」茂のパニック状態は限界に達していた。青鬼は潰れたバンの上でその様子を嬉しそうにニタニタ笑って見ていた。

 茂は自分でも気付かぬうちに失禁していた。内腿の生暖かさで気付くが、すでに正気とは言い難く、笑いながら滂沱ぼうだしていた。

 茂に夜よりも暗い影が覆い、山々に絶叫が轟く。


 1


「失策だな」現場の検証に割り込んだ光明が開口一番に放った。

 どのようなルートを使ってか、犬山の管理していたチームと連絡が取れなくなった事件を知った光明が乗り込んできた。

 お務めの全権は事務局の真田竜秀が握っているので、光明のやっていることは越権えっけんではあったが、最強とうたわれるお館様の代行が臨席りんせきするのは調査隊も多少は安堵あんどできた。その上

「鬼、ですね」目隠しをした葛城の当主と

「やはりの。それにまじないクサイ」身内を殺された鬼灯のヒイラギ婆が断定する。

「すると前回の水牛角の鬼と同じく新造された鬼か…各方面に恨まれているのは知っているが、こう続くと太刀守を狙ったものと見て間違いないかな?」光明は法術士の二大幹部に問うた。

「ああ、そうじゃろうな」肩を落としたヒイラギがため息をつく。消息を断った法術士の少女は血筋こそ良くは無かったが、なかなかに優秀でヒイラギも目をかけていたのだ。

「私もそう思います。アノ技術の匂いがします…しかし、もうこの周囲からは鬼の気配が消えています」葛城白月かつらぎしろつきは目隠しで見えていないはずだが、辺りを見回す仕草をする。

「ワシもそこの色ボケと同じ意見じゃ。ヤサはどこにあるんじゃろうな」ヒイラギが横目で白月をにらむ。

「どっちに行ったか判るかい?白月。…なんか有ったのかい」ヒイラギがいつにもまして白月に攻撃的だったので光明は興味を引かれた。

「おそらく南の方かと…若がお気になさるような事はまったくございませんわ」白月は見えていないはずなのに正確に南南西を指すが、光明の疑問に対してはキッパリと拒絶する。

「しかし…」

「若。人には知らなくて良いこともございます。…いいですね」白月のものすごい圧力に沈黙せざるを得ない光明だった。

「フンッ」ヒイラギも話すつもりは無いのかソッポを向く。

「あ、ああ、良くわかった」光明は嫌な汗が出るようだったが、本能的に女性を敵に回してはイケないと悟り即答した。そこへ救いのカミが現れた。

「光明さん、やはり全滅のようです。犬山さんはもとより全員分の遺留物と喰い散らかされたような人骨が散乱しています。…何かあったのですか」同行して現場検証に立会った真田龍光が戻り、光明達の空気が緊張ピリピリしていることに怪訝けげんな顔をする。

「イヤ、なんにもないぞ。気にするな」光明はあわてて否定する。これ以上白月の件に関わってはいけない。身についた危機回避本能がそう告げている。

「そうか。もう少しお務めの派遣に慎重になるべきだったな。しかし鬼が出現したのも数十年ぶり、事務局に責めを負わせるのも酷か…」

「問題はこの鬼らしき個体が移動してしまったことですね」龍光が対策についてふれる。

「鬼の去った方角は判りますが、おそらく潜伏先までは追えないかと…」白月が弱気な事を口にする。

「…色恋にうつつを抜かして、腕が鈍ったんではないのか?これだから行き遅れは…」ヒイラギがイヤミを言う。

「しかし若、前回の討伐の件といい、ヤツラも腕を上げてきているのう。雑魚鬼なら里のモンならなんとかできそうじゃが、この出来の人工鬼がわんさか現れると、ちと辛いぞ」


 白を基調にした無機質な実験室のような部屋に白衣では無く、場違いな墨染めの作務衣で歩く体格の良い男が、ショートカットの眼帯を付けた女性に向かう。

「お兄様」東京湾で男に助けられたエルがパアッと笑顔を浮かべ出迎える。

「今回のアダン、思いの外、良かったぞ。太刀守の奴らを5人も始末できた。試験としても上出来だ」男は満面の笑みのエルと比べ、全くの無表情で話す。エルの背後には豚をむさぼり食う青鬼がいた。エルや男の仲間の言うことは一応聞くが、やはり食べている時と、寝ている時が一番おとなしい。アレを食べ終えれば寝てしまうだろう。

「嬉しい、お兄様のお役に立てて」エルが恋する乙女のように頬を赤らめる。

「お前の力でもっと強化してお館様に尽くすのだ」そう言って男は歩み去ろうとする。

「お兄様、行ってしまうの?」

「夜には帰る」男はそう言い残し実験室を出る。


「お館様、この度の新しい鬼神、思いのほか良い出来のようです」縁側に座るお館様と呼ぶ男に姿を見せずに声をかける。

「お前が連れ帰ったオンナ、良い拾いものだったな」男は縁側に座り、月を見あげながら独り言のように言う。

「はい、腕の良い呪術士だったようで鬼神の呪についてもすぐ理解して改良強化を行う事ができました。アダンもその成果です。これならば計画が大きく前進できます」

「そうか。上手く扱えるのだな、そのオンナ」

「母国語は日本語では無かったのですが、日本語も話せました。暗示により自分を兄と思わせております。どうやらアレをすくい上げる直前に姉を失ったようです。そのため、太刀守に協力している男に深い恨みが有るようです」

「そうか、恨みがある者同士、気が合いそうだな。上手くやれ。鬼神を量産できるようになれば太刀守を滅ぼす事も夢では無い」

「はい、それからそのエルの発案で鬼神以外の怪物を試作させました。そちらも興味深いかと」

「そうか。よい、やってみせい」


  2


「どうだ」笹伏輝虎ささふせてるとらが満面の笑みでピカピカのオートバイを仲間に披露する。

「スゴい、カッコいい!やっと手に入れたんだ」バロンが新しいおもちゃを手に入れた友人をめるように喝采かっさいを送る。

「何をコソコソなんかやってると思ったら、こんなことしてたの?」輝虎の不審な行動を見ないふりをしていた凰夕姫おおとりゆきが呆れる。

「ウワー、ウワー、ステキ!」吉野弥桜よしのみおも手をたたいて興奮している。真田スガルの大型スポーツ車と異なり、アメリカンタイプのバイクは車高が低い。

「やっぱり良かっただろ、コレにして」入手を手伝った犬神浩二いぬがみこうじもご機嫌だ。ミネの下宿前でのお披露目会は盛況だ。

「ええ、これで足が出来ました」輝虎はそう言うが実は自身の足のほうが速い。しかし

「ホラ」輝虎は赤とオレンジのデザインのヘルメットを夕姫に突きだす。

「へ?」夕姫は呆気にとられ、ヘルメットを受け取る。輝虎は白いラインの入った黒いヘルメットをかぶっていた。

「…ホラ、後ろ」新車にまたがった輝虎はエンジンをかけながら夕姫に後ろに乗るようにうながす。少し恥ずかしいようだ。

「…ウン」夕姫は珍しく素直にうなずいてヘルメットをかぶり輝虎の後ろに跨がる。

「しっかり掴まってろよ」輝虎がそう言うと夕姫は腕を回した。

「じゃあ、一回りしてくる」そう言って輝虎はエンジンを吹かすと走り出した。バロン達、三人が見送る。

「ウン、ウン」犬神は弟の成長を見守るが如く、満足そうにうなずく。

「いいなぁ、夕姫ちゃん」弥桜は羨ましそうだ。

「うーん、バイクはともかく、車なら僕も持っているから」バロンは苦笑いする。

「でもバロン君、九月生まれでしょ。免許証取れるまで、まだ一年以上あるのよ。この分だと私が運転して助手席に座ることになるわよ」この時は冗談のつもりだったが実際にそうなってしまう。

「ハハハ、参ったね」バロンは頭をく。

「まあ、しばらくはアイツ等帰ってこないから待っててもムダだ。中入ろうぜ」


 下宿に上がった途端に犬神の携帯電話が鳴った。

「はい、犬神です。…なんだ、犬吠か…で、なんかあったのか?」いつにない犬吠の緊張した声に変事が有ったことを察した犬神が真顔になる。

 バロンと弥桜もそんな犬神の様子を心配そうに見守る。

「ナニ?犬山のチームが?……ああ、それで?……ウチが?…ああ、まいったな…ああ、ありがとう」犬神は振り返り

「ここでのお務めは終了になりそうだ。2番手のチームが全滅したそうだ」


 2時間程で輝虎と夕姫は戻ってきた。

「あやしい…」弥桜は帰ってきた二人を見て言い放った。

「な、ナニもあやしいところなんて無いわよ。ねえ、テル」夕姫は平静を装う。

「あ、ああ。ナンにもなかった。ただバイクでぐるっと回ってきただけだ」と言いながら輝虎は弥桜に目を合わさない。弥桜は腰に手を当て輝虎の顔を見上げ

「…テルさん、口紅付いてる」

「ンん!」輝虎が口を隠す。夕姫が自身の頭をおさえ呆れる。

「そんな訳無いでしょ。リップクリームしか塗ってないんだから。これだからオトコって」

「やーっぱり、やましい事してたんじゃない」カマをかけた弥桜がどうだと大きな胸を張る。

「ふーん、へーん、やっぱり」バロンも意味深にうなずいている。

「ハイ、お開き、おひらき!」犬神が手を叩きながら話題を変える。

「それより緊急事態だ。まだ正式では無いが里への帰還命令が出そうだ」

「ええー!」不満の声は庭先の植え込みから聞こえた。

「坂田さん、いたんだ…」庭に顔を向けたバロンが苦笑いする。

 坂田鏡子は八幡神社の乱で弥桜に負けて以来、ストーカーよろしく弥桜につきまとっている。どこをどうしたものか、あれ程、けなしていたのが弥桜にゾッコンになってしまっていた。

 すぐに輝虎や夕姫に気づかれたが…

「お姉さま、どこかへ行ってしまわれるの?」隠れていた藪から出てきた鏡子は縁側にすがりつく。

「ハハ、鏡子ちゃん来てたんだ…」弥桜も苦笑いするしかなかった。

 本当のところは不法侵入に当たるのだが、実害は無いとの事で見なかったことにしている。実際、弥桜の言うことは何でも聞き、使い魔2号といったところである。

 鏡子の兄、龍剣も退魔師ということもあり、お務めに役立つ情報も収集してくれていた。

「お姉さまの行かれる場所ならどこまでもついて行きますわ」手を組んで目をうるませた鏡子が訴える。

「坂田さん、さすがにそれは…」バロンが口を挟むと

「お姉さまの胸だけが目当てのおっぱい星人は黙っててください」以前、鏡子は双子の姉の為、ひいては実家の八幡神社の為に必死にバロンの気を引こうとしていたが、弥桜に鞍替くらがえするとあっさりと手のひらを返し、お姉さまをめぐってのライバルとして、敵愾心てきがいしんを燃やしている。

「…坂田さんにまでおっぱい星人って呼ばれたよ…」バロンはよよと夕姫の胸に顔を埋める。

「おお、よしよし」夕姫は呆れながらもバロンの頭を撫でるが

「…ユキねえ、ホントに大きくなってる…コレでテトラの後ろに乗ったの?」バロンが埋めた夕姫の胸を評価する。

「バロン…アンタねえ…」

「バロン、それは俺のモンだからやらんぞ!」輝虎が語気強く権利を主張する。

「…良いか?話し進めても」一向に脱線から戻らない若者達のやり取りに業を煮やし、犬神が呆れながらも軌道修正を図る。


 3

 

「…と言う訳だ。テルやユキの同級生もいたんだろ?」鬼による犬山のチーム全滅を話した犬神だった。

「ええ、茂は同級生どころか笹伏の門下生でした」輝虎が悔しそうに漏らす。

「ええ、夕鶴もウチの道場に通ってたわ。自分が奨学金を貰えれば弟妹達にもいい学校へ行かせられるって言ってたのに…」夕姫も悲痛な表情をする。

「犬山も最近、子供が生まれたばかりでな…アイツ、俺なんかと違って後輩達の面倒見が良くって、担当のチームはいっつも上位に入っていた…」犬神がしんみりつぶやく。この仕事をしている以上、このようなことは覚悟の上と言ってしまえば簡単だが、バックアップまで全滅というのは珍しい。

「それで僕たちなんですか?」バロンが確かめるように尋ねる。

「ああ、この非常事態に若が復讐しようと意気込んでるらしい」

「でも、どうしてウチのチームが?この間みたいにベテランを招集すれば…」夕姫が疑問を口にする。

「この間の事が有ったればコソさ。弥桜君があんなにあっさりと鬼を引き寄せた前例を作ったおかげで、若達は鬼寄せを期待しちまってるのさ。前回と違い、部外者でもないしな」犬神が師条光明の目論見を推測する。口には出さないがバロンの能力についても期待されている事は予想できる。

「そんな、弥桜ちゃんを危険にさらすだなんて…その話しに有ったチームは全滅しているのでしょう」バロンは心配するが

「お姉さまの身になんか有ったら承知しませんよ」弥桜の腕に抱きついたまま勝手に話へ加わった鏡子が口を出す。部外者ではあるが、兄の龍剣が退魔師をやっている為、門外漢でも無いので追い出さなかった。

 以前、事務局に問い合わせると龍剣の所属している山と言われる組織と太刀守の里は敵対関係は無く、互いに不干渉の立場だ。

 鏡子の行動は里にとって望ましくは無いが、実害が無い以上、現地協力員の扱いだ。

「それでどう成りそうなんです?」バロンが鏡子を置いておいて尋ねる。絡むと面倒だ。

「おそらく、すぐにでも里への召還命令が出るはずだ。お前達は荷物をまとめておけ」


 犬神の予想通り、日没後すぐに下宿の電話に事務局より連絡が入った。明朝、この福島の下宿を出発することになる。

「お姉さま、本当に行ってしまわれるの?」鏡子が弥桜に縋り付く。

「アハハ、さすがに太刀守の里には連れていけないから。落ち着いたら連絡するね」この積極的な妹分をムリヤリ引きがす事も出来ず、やんわりと別れを告げる。

「そうねぇ、思い残す事が無いように、最後に一緒にお風呂にでも入る?」夕姫が無責任な提案をする。


「うわー、お姉さまキレイ!お肌白い!」憧れのお姉さまと入浴出来る幸せに歓喜して興奮しまくっている鏡子であったが、本人もスタイルは良い。夕姫も最近胸が成長しているが脱衣所で横目で見られ、鏡子に鼻で笑われた気がする。

 夕姫も二人の巨砲には遠く及ばない。自分で誘っておいてなんだが、スガルとの入浴の方が心安らかに過ごせた。

 (いや!あの二人が規格外なだけだ。バロンにだって大きくなったって言われたし…気後れすることはない!)

 風呂場で劣等感にさいなまれるという夕姫の予想は杞憂きゆうに終わる。

 獲物を前にした猛獣のような鏡子は、夕姫がいなければ弥桜と一線を越える勢いだったので、自分より劣る胸など眼中に無かった。

「お姉さま、お背中、いいえ全身くまなくお流ししますわ!…ジュルッ…」もう鏡子はヨダレをたらさん勢いで、泡の付いたスポンジを持って弥桜に迫る。

「け、結構ヨ。じ、自分でやるから大丈夫ヨ、ハハッ」追い詰められた弥桜は夕姫に恨みがましい視線を送る。夕姫はちょっぴり罪悪感を感じながらも目をそらす。

「そうおっしゃらずに、サア!…ああ、お姉さまこんなところもキレイ!」

「イーヤー!ダメッ!ダメだって…ああ!吸ったー!」


 4

 

「お姉さま、必ず追いかけますから」充分に弥桜を堪能たんのうした鏡子はツヤツヤ、テラテラして帰って行った。

「シクシク…もうおヨメに行けない…」風呂から逃げるように出てきた弥桜はバロンにすがりついて訴える。バロンは弥桜の風呂上がりの蒸気した姿にドキドキしながらも

「ど、どうしたの。お風呂ってそんなに危険な場所?女の子同士で入ったんでしょ?」京都で凰四姉妹と入った時もこんな事が有ったのを思い出した。

「…まあ、入る相手にもよるわよねぇ。ほっときなさい、悪い虫に刺されたとでも思って」夕姫が生暖かい目で見守る。

「元はと言えば夕姫ちゃんが招いたことでしょう!覚えてなさい、鏡子ちゃんにされたアンナコトやコンナコトを夕姫ちゃんにもしてあげるから。テルさん、夕姫ちゃんのことメチャクチャにしちゃうんだから。覚悟して!」お気楽な夕姫をキッと睨み、弥桜は報復を誓う。 

「ア、アンナコトやコンナコトって?」輝虎は止めればいいのに思春期の男子の好奇心から余計な事を聞いてしまう。

「アンタはいいの!ハハハ、弥桜、お手柔らかに…」


「兄さん、ちょっと良い?」何故かツヤツヤと血色の良い鏡子は、自宅の神社に戻り境内にいた龍剣りゅうけんに声をかける。

「なんだ『オネーサマ』はもう良いのか?」最近発覚した息子の龍児りゅうじと遊んでいた龍剣は鏡子の帰りがいつもより早かった事を揶揄やゆする。と言っても先日同居を始めた涼子りょうこが来るまで、坂田家の台所を支えていたのは鏡子だった事を思えばあまり強くは言えない。

「そのお姉さまのことなんだけど、西の方にオニが出たんで呼び戻されたの。兄さんオニについてなんか知ってる?」鏡子は憧れのお姉さまの為になにか出来ることはないか必死だ。

 鏡子は夕姫達が八幡神社の乱と呼ぶ一戦で、弥桜にコテンパンにやられて以来、どこをどうしたものか彼女をしたってつきまとっている。もしかしたら小さい頃に無くした母親の代わりに母性を求めているのかもしれない。

 本当の姉の珠子たまこもいるが双子で同年である上、身体が弱い為に鏡子が世話を焼く事のほうが多かった。

「鬼か。山からも相手にせず逃げろと言われている。呪詛じゅそ怨念おんねん妄執もうしゅうかたまりだと聞いている。ここ数十年は目撃した話は無いらしいが…」不吉な名を聞き及び、龍剣は息子と遊ぶ手を止めて答える。

「なにか良い対策はないの?」

「さあな、逃げろと言われているくらいだからな。山に聞いてみるか。珠子はなにか言ってないのか」かんなぎとしての能力の高い鏡子の双子の姉の事を持ち出すが

「え~っ、珠子姉さん、富士林達の事嫌ってるしぃ。教えてくれるかなぁ」珠子はあの一件で自身の婿として引き込もうとしていたバロンが、巨乳好きのおっぱい星人と判明して以来、会ってもいないのに毛嫌いしている。ちなみに妹の鏡子と違い、珠子の胸は寂しい限りだ。


「巨乳好きの男なんて滅んでしまえ、と言いたいところだけど霊的な安定の為にも鬼には消えて欲しいの」神社の跡継ぎから開放された珠子は肩の荷が下りたせいか、血色も良い。

 しかし、バロンの件で傷ついたらしく豊胸に努力している。時々義姉の涼子、甥の龍児と運動しているのを見かける。

「アレは台風ね。鬼が動くとその圧倒的な陰の気で霊的な場が掻き乱されるの。頭痛くなりそうだし、健康にも悪そうだから。良いわ、特別に暴力巫女の手助けをしてあげる」

 

 5

 

 ミネの下宿での最後の晩となるため、バロンがお礼にチェロを出してきた。星辰の剣を持ち歩く時にカモフラージュのためケースを利用していたが、弾いているところは誰も見たことは無かった。

「小さい頃、習ったきり余り練習してないからなぁ。聴き苦しいところがあるかも知れないけど許してね」そう断りつつ弾き始めたバロンの演奏はところどころ引っ掛かるところが無くもなかったが、夏の夜に心地よく響いた。

「スゴい、スゴい、ステキ」以前から愉しみにしていた弥桜は機嫌を直したようだ。

「里のモンも見習うべきだな」滅多に輝虎以外を褒めないミネまで称賛する。

 輝虎と夕姫が顔を見合わせる。二人とも音楽の成績が良かったためしは無い。音痴ではないが、楽器の演奏など真面目にやってこなかったし、やってみようとも思えない。

 福島での最後の晩は思い出に残るものだった。

 

「ぬう?」出発の朝、夕姫は自分の身体の異変に気が付いた。昨日まで入っていた下着が入らない。

 思い返してみると昨日はW巨乳巫女と風呂に入った。まさかと思うがご利益に相乗効果が有ったのかも知れない。

 単に成長期なのかも知れないが。問題は今どうするかだ。昔のようにノーブラと言う訳にはもういかない(大丈夫だった暗い過去は有ったが)。

 致し方ない、体育やお務め用に持っているスポーツブラで行こう。里に行く前に何処かで調達せねば。


「お世話になりました」バロンがミネに別れの挨拶をする。

「ああ、坊っちゃん達もお達者で」繰り返し若者達を送り出してきたミネはあっさりと返す。しかし

「オメエも早く坊っちゃんと元気な子供こさえろよ」夕姫に声をかける。ミネの目にも輝虎との仲が進んだように見えたらしい。最近は態度を軟化していた。夕姫は真っ赤になって

「ミネさんも元気でね」と手を振った。


「ハモーン!!」

「エッ、エッ?」里に帰る途中、白桜しらお神社で一泊する予定で立ち寄ったのだが、弥桜が到着した途端に仁王立ちした母、雪桜ゆきおに言い渡され、目を白黒させる。

「…いえ、別に神社から追い出す訳じゃないから…廃嫡、が正しいかしら?」

「な、なに?ど、どうしたの?」弥桜はわけが解らずあたふたする。

「ああ、もうあなたはこの神社を正式に継がなくて良いことになったの」何事も無かったように雪桜は言うが、娘の将来をそんなに簡単に決めて良いのだろうか?

「え~っ、私ナニかした?そ、そんなに成績悪かったかしら」

「あなたはナニもしてないわ。後継者のアテが出来たの。あなたは白桜神社太刀守分社の責任者に正式に任命します」そう言う雪桜のお腹がよく見れば膨らんでいる。

「ま、まさか…」弥桜が自分の想像に恐怖する。その娘に雪桜はニカッとVサインを出す。


「もう!母さんも父さんもナニ考えてるの?年頃の娘がいるのにポコポコ子供作るなんて」話が理解出来た弥桜は今度はプリプリ怒っている。

 今は自室に夕姫を招き憤懣ふんまんをぶつけている。その隣で影から抜け出したペンタが我関せずという風に自分の腿程もあるソーセージにかじり付いている。

「そうねぇ、この歳になるとキツイわねぇ」夕姫が賛同する。

「信じらんない。父さんなんて後ろめたいのか、帰ってきても目も合わさないのよ。だいたいなによ、弟だか妹が出来そうだから私はおはらい箱って」

「弟だぞ」ペンタがソーセージを食べ終え、指をめながら断言する。

「ペンタちゃん、知ってたの?」弥桜の問に

「ああ、大分前からな」

「なんで言ってくれなかったのよ!」弥桜は身近に裏切り者がいた事に怒るが

「聞かれなかったからな」ペンタは飄々ひょうひょうと答えた。

「この歳で弟が出来るかもしれない、なんて分かる訳無いでしょ。…まって、もう隠し事無いでしょうね」弥桜はふと気付いて使い魔を疑う。

「…有っても言えないぞ。秘密だからな。ミオやユキに不利益が起こることは無いはずだ」ペンタはそれがどうしたと言わんばかりだ。

「こんのぉネコは…」夕姫が呆れる。するとペンタは黒猫に変身する。

「弥桜ちゃん、ユキねえ、ご飯だって」バロンが呼びに来た。


 6

 

 バロン、輝虎と犬神が寝させてもらう広間に舟盛りが有った。どうやら弥桜の父、大三が娘の機嫌をとるために腕によりをかけたらしい。

 大三は煮たり焼いたりは雪桜に及ばないが、肉や魚をさばくのは大得意なのだ。大三は何か有ると舟盛り等を造る。それだけでも大三が後ろめたいと思っているのがわかる。

「あーあ、仕方ないわねぇ」必死な様子に多少怒りの収まった弥桜は父を許すことにしたが

「まあ、あなた素敵よ。これで安心して育児中は家事を任せられるわ」豪華な夕飯の前で無邪気にはしゃぐ、身重の母を許し難かった。雪桜はかんなぎとしての師でもあったので、まともに逆らった事など無かったが、娘としては年甲斐もなく家族を増やそうとする母を受け入れ難かった。そんな娘のふくれっ面に

「まだ怒ってるの?だって仕方が無いじゃない。お告げも有ったし、この宮を守る跡継ぎも必要だし」

「少しは私の世間体も考えてよ。高校生になって弟が出来ました、なんて友達に言えないよ!」とうとう堪忍袋の緒が切れた弥桜は言いたかった事をぶちまける。

「弥桜ちゃん、落ち着いて…」バロンがなだめようとするが

「あら、あなたしばらくこの三人と一緒でしょ。他の誰かに吹聴ふいちょうして回る必要有る?小中高の友達とも、そこまでの話する必要無いでしょ」雪桜に言いくるめられる。

「さあ、皆さん、反抗期の娘は放っておいて折角のごちそう食べましょ」


 雪桜も慣れたもので、食事の量は大人数で宴会ができるほど用意されていた為、輝虎と夕姫はそれぞれおひつを抱えて独占出来た。

「ところで弥桜、さっき弟が出来たって言ってたけど誰に聞いたの?お告げではそう伝えられたけど、病院でも性別は確認していないのよ」食事を始めると雪桜が娘に情報源を尋ねる。

「ペ、忍の情報網よ」バロンの前で化け猫に聞いたとも言えず、シラを切るが、その場で聞いていた夕姫はともかく、バロン以外は察することができた。どうもペンタは匂いで雪桜の妊娠を知ったらしい。だからこそ雪桜にステーキをつまみ食いされても許したのだ。

「やっぱりそうなのねぇ。でもお告げ通りだということは判ったわ。これでお腹の子にこの社を任せられる。ねえ、アナタ」舟盛りを造ったにもかかわらず、頭の上がらない妻と娘の間に入るのを避け、テーブルの端にいた大三に話を振る。

「ああ、そうだな…」特に弥桜に対して後ろめたいので余りこの話に触れたくない。

「今からじゃ早すぎる話かもしれないけれど、私に子供ができてから跡継ぎ決めるんじゃダメだったの?」弥桜が将来の話をする。もちろん弥桜の中ではバロンとの子供の話だ。

「ウ~ン、あなたの最初の子は男の子って出てるの」雪桜が難しい顔をする。

「なによ、私とバロン君の最初の子が男の子だと都合悪いの?」弥桜はシレッとバロンとの事を既定路線きていろせんとして話す。

「ゴホッ、ゴホン!」娘の言葉に大三が思わずむせる。

「いえ、そんな事ないけれど、その子はおそらく神職にはならないわ」

「そんな先の事まで判るの?」

「自分のこと以外なら集中すればね。あ、でも、今はもうほぼムリよ」雪桜は鉄鼠てっそ事件と牛頭ごず討伐の時にほとんどの力を使い果たした。娘を守る為だ。弥桜は母の力が失われた理由を思い返し、これ以上当たるのを止める事にした。

「わかったわ。もう突っ込むの止めるわ。元気な子を産んでね。…でもその子、すぐに叔父さんに成っちゃうかもよ。ね、バロン君!」蚊帳の外に居たつもりのバロンへ急に同意を求める。

「「ゴホッ、ゴホン!」」バロンと大三が同時にむせる。

「そういうところは似てるのね、二人。弥桜、こう言うのよ。『私も赤ちゃん欲しいな』って」雪桜が娘に過激な入れ知恵をする。

「「ゴホッ!ゴホッ!ゴホッ!」」バロンと大三は真っ赤な顔をして苦しそうにむせる。

「いやぁねぇ、男ってこういう時に肝が座ってなくて」雪桜が呆れたように言うが、一心不乱に食べてるフリをしていた輝虎は二人に同情した。自分でもこんな場面に遭遇したら、ああなるだろうと。

「母さんも言ったの?」

「ええ、『そろそろ、もう一人欲しくない?』って」

「で、父さんはなんて…あれ、いない。逃げた」弥桜は先程までテーブルの端で食事をしていた大三の姿を見失った。気配も感じさせずに消えるところは里の出という事を改めて認識させられる。


 7


「美味しいか?」広間を抜け出した大三は別に用意してやった一人前舟盛りに舌鼓したづつみをうつペンタに声をかける。

「ああ、うまいぞ。…なんだ、まだミオに会わせる顔が無いと思っているのか。子だくさんなのはオスの甲斐性かいしょうだぞ。胸を張れ…ただ、今度は忍者マニアにするなよ。くたびれてかなわん」

「ああ、そうだな。ネコにまで心配されるとは」


 デザートのみつ豆を食べていると

「あなた達、太刀守の里に向かうの?随分、凶相が出てるわよ。鬼難ね、これは。何しに行くの?」雪桜が険しい顔で尋ねる。

「すいません。詳しくは言えないんですが、また鬼退治に成りそうなんです」今まで話に加わらなかった犬神が答える。

「そうなの。うーん、西ではドタバタしてもなんとかなるわ。問題は北ね。夕姫さん、また災難にみまわれるわよ。覚悟なさい…と言っても不可避なのかしら。輝虎クン、またあなた次第になりそうよ」雪桜の予言に夕姫と輝虎の顔が曇る。八幡神社の騒動はまだ記憶に新しい。

「バロン君、弥桜の身にも危険が近づくから火の粉を払ってやって頂戴。それができるのは今回は貴方だけなの。と言うかバロン君が一番ドタバタしそうね」雪桜は参ったわねと頬に手をやる。

「はあ、頑張ります」どんな危機が迫るかピンとこないバロンはそう言うしかなかった。

「私にはお告げも予知も来なかったわよ?」弥桜が少し疑うが

「あなたはもう渦中にいるの。自分の事はお告げでもない限り見えないし、バロン君達と運命共同体になっているから予見しづらいのよ」雪桜は娘にバロンが特異点だという事を伏せて話す。

「…私の災難って今度はどうゆうヤツですか?また新しい下着を身に着けていった方が良いんですか?」夕姫がジト目で不安そうに尋ねる。

「下着ぃ?」事情を知らないバロンが声を上げるが、隣の輝虎に肘で止めろと合図される。オネーサンの暗い過去には触れないほうが良い。

「今回は…うーん、そうねぇ、備忘録的に日記をつけといたほうが良いみたい。うーん、羊に気を付け…無理か…とにかく、また輝虎クンとの愛が、ううん輝虎クンの愛が試されるのかしら?」雪桜の歯切れがいつになく悪い。

「避けられないんですね?」

「ええ、おそらく。でもその先にはココでの婚礼が見えるわ。アラ?これは…」雪桜のわずかに残った力で視たものに驚く。

「な、ナニが視えたんですか」夕姫が照れながらも尋ねるが

「あっ、私にも視えた。夕姫ちゃんヤルゥ」弥桜が気になって自分も見立てを行うと思わせぶりにニヤける。夕姫を襲うトラブルは見えなかったが、逆に遠い先は視えた。

「…なにヨ」吉野母娘の視たものが気になる夕姫だったが

「「ヒ・ミ・ツ」」巨乳母娘は息ピッタリにごまかす。さっきまで仲違いしていたとは思えない。

「こんのぉ母娘は…結局私はナニに用心したら良いんですか?」さしあたって二人が視たものは災難とは関係無いと思い、当面の対策を尋ねる。イラッとしたが聴けるものは聴いておきたい。

「そうねぇ、今回は夕姫さんが出来ることは無いわ。仲間を信じなさい。輝虎クン、諦めちゃだめよ。ツライと思うけれど」

「はぁ、頑張ります」やはりピンとこない輝虎も生返事が出てしまう。

「まったく、頼りないわねぇ。こういう時こそ漢をあげるチャンスよ。本当に頑張んなさい」雪桜の激励にビールが欲しいなと思いながらまだ刺身を食べていた犬神は他人事のようなフリをした。


 事件はその夜起こってしまう。雪桜の話が気になってしまい、なかなか寝付けなかった夕姫は台所に行って水を飲んで自分にあてがわれた客間に戻ろうとすると、人の気配がする。考え事をしていたり、眠さで判断力が落ちていたのだろう。よく考えもせず

「…誰?」と、その引戸を開けてしまう。

「…イヤン」風呂上がりで頭を拭いていた全裸の輝虎がいた。きっとこの吉野邸の脱衣室は構造が悪いのか、もしかすると呪われているのかも知れない。夕姫は輝虎の全裸を目撃してしまう。

「ご、ごめん!」夕姫は慌てて引戸を閉めて逃げるように部屋に戻る。幼なじみの二人の関係はこの程度では変わらないが

「おっきかった…」夕姫は思わずつぶやく。

 

 8


「犬神サン、ちょっと里に入る前にショッピングモールに寄ってくれない」夕姫が太刀守の里の最寄りのインターチェンジを降りた頃、犬神にお願いをする。

「なんだ、欲しいモノでもあるのか?オレは構わんが、みんなも良いよな」

「むむ、なんか面白いモノが見られるって来たわ」弥桜に啓示が来たらしい。

「じゃあ行くぞ」一行は最近出来た大型ショッピングモールに向かう。


 夕姫は新しい下着を調達した。自身のほうがはるかに重そうなモノを持っているのに、付き添いの弥桜は夕姫の胸の成長具合に驚いた。

 男子達と合流して早めの昼食を済ませようとフードコートに向かう途中で人混みの中に見知った顔を見た。

「…マズイところを見られたな…」バツの悪そうな鬼灯丹後ほおずきたんごだった。あからさまに嫌な顔をする。

 里の不知火城しらぬいじょうでバロンの法術の指導等をして面識が有った。女性の方も何処かで見た気がしたが誰も思い出せない。

「むむむ…」ものすごく引っかかった弥桜が無遠慮に女性に近づき顔を覗き込んだがわからない。逆に女性の方は弥桜達の事をよく知っているらしく目をそらす。

 色が白く、武闘派揃いの里人らしからぬ華奢な体躯、確かに何処かで見た気がするが

「や、ヤメて頂戴…」女性は覗き込む弥桜から逃れようと顔を手で隠そうとする。しかしそのせいで

「アー!白月さん?なんで?え、え?鬼灯さんと葛城かつらぎさんってものすごく仲が悪かったんじゃなかったのぉ?」弥桜は葛城白月と見破ってしまった。里ではいつも目隠しをしている為に直接会ったバロンや弥桜もすぐに分からなかったが、顔を隠そうとして逆に判ってしまった。

「だ、誰かと勘違いサレテルンジャナイデスカ」往生際が悪く誤魔化そうとするが

「こんな法力持ち、白月さん位しかあり得ない」白月の霊力を感じる弥桜が断言する。

「…バレたか…スマンがこの事は内密に…」丹後が苦虫を噛み潰したような顔をする。

「そうね、ヒトの恋路を邪魔するのもねぇ」夕姫が困難な交際に同情する。凰と笹伏、親の事を言えば凰と真田、仲の悪い家同士の者の恋愛の辛さが思い当たる。

「白月さん、目隠し取った方がキレイ」弥桜は顔を隠さず、お洒落な服装をした白月を褒める。

「あ、ありがとぅ…」白月は今までお供もなく遠出する事などほとんど無く、まだ慣れていない。丹後のエスコートが無ければこんなふうに自由に里の外など歩けない。

「後生だから誰にも言わないで」白月は弥桜の手を取って懇願こんがんする。

「ハハ、大丈夫ですよ。私は里に知り合い少ないですし…」その必死さに弥桜は愛想笑いで逃れようとする。

「だ、大丈夫。誓って猟犬の情報網にも載せませんから…」犬神も独断で葛城の当主と鬼灯の次期当主候補を敵に回したくない。逆にここで恩を売っておけばという打算もある。

「そ、そうだ、代わりに役に立つ預言してあげる。うーん…富士林君は里で特訓することになるわ。え~と吉野さんは…言わないほうが良いみたい。…輝虎君は夕姫さんから離れない方が良いわよ。…夕姫さんにもこれから起ることは言わない方が良いかも…」精神的に追い詰められた白月は取って付けたような助言をするが、雪桜の預言と大差無い、中途半端な事を口にする。

「あと犬神先輩はおウチへのお土産は甘いモノが吉よ。間違ってもカニはダメよ」どうでも良さそうなことは具体的だ。犬神の妻、杏子と真田スガル、葛城白月は同級生だ。犬神本人はお務めに参加していない白月とそれほど面識は無いが、二人を通して先輩として認識しているのだろう。

「そうそう、西での鬼退治は深追いはき、禁物よ……」白月も自分で言っておいて説得する自信がなくなりしどろもどろになる。

「!そうだ、じゃあ、こうしましょう。私たちが黙っているかわりに、お二人の交際が順調にいって、めでたくゴールインするときは新しく出来る白桜分社で式を上げるってことでどうでしょう」普段は凛として憧れの姿をしていた白月の醜態に、弥桜は安心材料として交換条件を申し出た。丹後は苦笑いし、白月は激しくうなずいた。


 9

 

 (どうしてこうなったんだろう)

 里について間もなく真田屋敷から呼び出しがかかった。凰家で待機していたバロンと弥桜、それから凰当主の茜にもだ。夕姫の父の運転で屋敷に向かう。夕姫本人と輝虎は待機となった。

 真田屋敷に着くとどこをどう通ったかは定かではないが巨大な分厚い木製の円卓の有る薄暗い部屋に通され、一段低い壁際の席に着かされた。茜も座った円卓にはバロン達が見知った顔も、知らない者もいたが師条光明がおり、そこが円卓にも関わらず上座に思えた。

 他にはバロンが知っているものとしては真田竜秀、先程の醜態を微塵も感じさせずシレッと澄ました顔をした葛城白月、不機嫌そうな鬼灯ヒイラギ、輝虎によく似た中年の男性、虎実といったところか。どうやら里の重鎮による最高評議に引っ張り出されたらしい。余りの荘厳な雰囲気に茜が座る重厚な椅子の後ろでバロンと弥桜は隅で小さくなっていた。

 

「お歴々、よく集まってくださいました。母に代わって私が取仕切ります。竜秀殿概要を」光明が竜秀へ説明を依頼する。

「皆も知っての通り、岐阜山中で務めに参加中の部隊が支援員ごと全滅した。当方もそうだが、この中にも犠牲になった者の関係者もいると思う」竜秀は身内に犠牲者が出たとは思えぬ程に淡々と報告を始める。

「経過を追って説明するが、当該現場周辺で地元民を含む複数の失踪者が発生、警察や捜索隊にも被害が及ぶにいたって当事務局も調査隊の派遣を決定した。部隊は中部地方を担当していた犬山支援員のチームだ。全員太刀守の出身者で構成されており、そこにいる富士林君のチームを除けば最優秀だった」竜秀は奥歯にものが挟まったような物言いをする。最優秀とはいえ部外者が半数を占め、トラブル続きのバロンのチームに言いたい事も有るのだろう。

「そうだな、外の者が入らない分、安定した成果が期待できたな」輝虎の父、虎実が口を挟む。輝虎は話さないが夕姫が言うには頑固で二人の仲の最大の障害らしい。ここでも好成績を残している息子のチームを褒めない。

「しかし、残念ながら彼らは戻ってこれなかった。調査隊が回収出来たのは鬼でも食えないと思えるモノのみだった」

「オニ?」

「先日も現れたと聞いたがまたか…」

「やはり光明様の…」最後は小声だったがここにいる老と呼ばれるメンバー達には言いたい事がわかった。

 師条家に男子が生まれると平穏が断たれるなど災厄の象徴と考える者が少なからず存在する。記録としては戦国時代、太平洋戦争に男子が現れた。太刀守の一党はその度に混乱の渦に放り込まれたという。

「若、やはり霞原衆かはらしゅう策動さくどうしているのでしょうか」師条の片腕として場の雰囲気を変えようと茜が発言する。

「霞原衆、奴らまだ滅びて無かったのか…」誰かのつぶやきが漏れる。霞原衆と太刀守は戦国時代より因縁があり、幾度も抗争し、その度に滅ぼしてきたつもりだったが、数代経つとまた立ちはだかった。確認された最後は太平洋戦争中だ。

「ではまた奴らが鬼を出現させたと」虎実が確認する。

「生きて見たものは誰もおらんが、まず間違いなかろう。未熟とはいえ里の者が一方的に蹂躙じゅうりんされるなど他には考えられん」ヒイラギが肯定する。

「私の過去視でも青黒い巨躯きょくが見えました」ヒイラギとは公私ともに反目し合う白月も断言する。

「鬼かぁ、原動力が怨念とか負のエネルギーでなければ研究したいものだけれねぇ」三十前後に見える男が口を挟む。

「やめておけ、岩崎の、アレは悲劇でより大きな悲劇を生み出すものだ。アノ技術を手に入れたところで使いようは無いし、使わせん」ヒイラギが岩崎と呼ぶ男に釘を刺す。

「しかし焰車えんしゃの描いた夜行図の百鬼は富嶽童子ふがくどうじを最後に討ち果したはずでは?」鬼を伝聞でしか聞いていない竜秀は懐疑的かいぎてきだ。遭遇していない者にとってはまさに怪力乱神かいりょくらんしんとしか思えない。直属の軒猿衆のきざるしゅうが撮った映像も見たが実感が伴わない。

「新しい技術で作られたのだろう。戦時中に死なない兵として鬼を量産化しようとしていたのは皆も知る通りだ。おそらく水牛角や羚羊れいよう角の鬼は現代の技術を用いて造られた新鬼といったモノだろう。アレからは夜行図の断片が回収されなかったし、百鬼丸の反応も薄かった」光明が自分の憶測を述べる。戦国時代に生きた絵師焰車はこの世を呪い、特別な百鬼夜行図を描いた。その夜行図を手に入れた霞原の一党が呪いに利用し百体の鬼が生まれた。

 ほとんどは江戸期が始まる前に太刀守の里の先祖が討ち果たしたが、富岳童子のように生き延び、突然現れることが有った。

 しかし、富岳童子を百鬼の最後に滅んだ筈だったが

「わざわざ復刻してぶつけてきたと。それで若はどうするつもりです?これ以上いたずらに里の若人を犠牲にする訳にはまいりますまい」岩崎の長が光明の腹づもりを尋ねる。口調自体は軽い調子だが、岩崎の装備を身に着けたまま惨殺されたお務めの従事者を思い、はらわたは煮えくりかえっていた。

 岩崎清綱は自身の一党こそ前線に出る事は無いが、復讐を誓っている。

「今回の主題はソレだ。もう一度鬼退治をしようと思う。前回は少々派手にやりすぎて各方面からお叱りを受けた。今回は控え目に行うので承認を得たい」光明はそう言うが彼の控え目などここにいる誰も信じていないし、師条家の行動について承認と言っても形ばかりだ。

規模縮小きぼしゅくしょうと言っても具体的にどの程度でしょうか」竜秀が尋ねるが、ここで確認するということは光明と意思疎通が出来ていないということを現している。

「そこに列席してもらっている富士林君と吉野さんに前回同様、鬼寄せを行ってもらおうと思う。それから自分と自分の手のもの、後は希望者のみといったところだ。猟犬部隊には要請しない」師条家ではなく光明直轄の部隊が在るという。里の出身者で構成されているらしいが、メンバーは秘匿され、光明の召集に依ってのみ出動するという。

「彼らは外の者ですが宜しいので?」虎実がバロン達を疑問視する。自分の息子のお務めチームのリーダーなのだが、実直な虎実は納得しない。

「彼らは僕が招待したし、もうすぐ里の住人に成ってくれる予定だ。彼らの神社が造営されているのは知っての通りだ」光明は庇うが列席した中にも不服そうなものは居た。

「他に意見や質問はあるか?無ければ賛同者は挙手してくれ」


 10


「やあ、初めまして。君たちが富士林君と吉野さんだね。岩崎研究所の所長をやってる岩崎清綱です。特に吉野さんはウチの開発品の実戦テストやってくれて感謝してるよ」会議の終了後、清綱がバロン達に近づいた。岩崎研究所の試作工房ではバロン達の戦闘学生服と弥桜専用の戦闘巫女装束、八重影の忍者装備が製作されている。

「こちらこそいつも装備品でお世話になっているのにご挨拶が遅れまして」バロンが恐縮するが

「良いって、良いって。君たちのおかげで里のお務め用の装備ももちろんだけど、ウチの商品も改良が進んでいるんだ。礼を言うのはこっちだ。特にウチの所員には吉野さんのファンが多いから開発も呆れる程進行している。今回の鬼退治、残念ながら僕は参加できないけど、新型戦闘学生服と戦闘巫女装束バージョン2を準備するから期待してくれ」人の良さそうな笑顔を浮かべる清綱だった。

「岩崎博士、まだ行かなくて大丈夫かい?」光明が心配して声をかける。

「おーっと、こうしちゃいられない。飛行機の時間に遅れる。若、例のモノの手掛かりを見つけたんだ。期待しててくれ。それから鬼退治の成功、祈ってます。では」清綱は慌てて去っていった。

「お忙しいんですね」バロンが見送る。

「ああ、博士は物理化学者であり、研究所の経営者でもあり、冒険家でもあるんだ。今回も遺跡の発見を聞いて中東まで飛んでいくそうだ」光明が清綱の肩書の一部をバロン達に伝える。

「私もお礼言いそびれちゃった」弥桜はガッカリする。

「またすぐに会えるさ。ところでバロン君、稽古していかないかい?」光明がニッコリ提案する。


 バロンは木刀を持たされ真田道場で光明と退治していた。弥桜は茜と車で凰邸に帰って貰った。

 バロンは以前、師条の技は里の手練でも習得出来ないので習うだけムダだと聞いたのだが、何を伝授してくれるのだろうかと思っていた。その上光明は素手なのだ。

「龍光は優しすぎるからな、鬼を相手にするのなら少しは本気で稽古しておかないと」光明は微笑みを崩さぬまま、恐ろしいことを言う。龍光との稽古でバロンは一方的に小突かれまくった記憶がある。

「…龍光さんの稽古が優しすぎるなら、僕はついていける自信がありませんよ…」バロンは始める前から弱音を吐く。

「まあまあ、痛いことはしないから付き合ってくれ給え」ニッコリ笑ったままの光明だが、一瞬にして雰囲気が変わった。

「グッ!」殺気ともプレッシャーとも形容しがたい気が光明から発せられ、バロンは呼吸さえも出来なくなる。

「敵の気迫で動けなくなると死につながるよ。やはり、龍光は伝えてなかったようだね」光明が気を収めるとバロンは道場の床に崩れ落ち、荒い呼吸をする。

「ハアッ、ハアッ、ガハッ!」床に突っ伏したバロンは息をするのが精一杯で会話などままならない。

「慣れるんだ。動けなければ君自身も君の大切なものも守れない」光明は先程とまったく表情を変えずにバロンに声をかける。

「さあ、立つんだ。もう一度行くぞ」光明はバロンに手を差し出す。


 光明の言う通り、稽古は過酷を極めた。いや、稽古と呼んで良いのかもわからなかった。光明は立ってるだけでバロンのみがのたうち回っていたのだ。気絶しかけること五回、嘔吐すること三回、ようやく呼吸もできるようになり、かろうじて動けるようにもなった。

「上出来だ。よく耐えた。一度も気絶しなかったじゃないか。付け焼き刃かも知れないが、これで一人で鬼と対峙してもムザムザやられまい。今、ものが通るかわからんが一緒に晩餐はどうだい。三春が待っている」


「まあ、お兄様ったらバロン様をイジメ過ぎですよ。バロン様、今は無理しなくてもよろしいですよ」目に隈までできた憔悴しょうすいしきっているバロンを見て三春が気を使う。

「だ、大丈夫です。お兄さんは僕と仲間を思って必要な事を教えてくれたんです。それに三春さんの手料理を食べないなんてバチが当たります」バロンは多少無理をして言ったが、若い胃袋はあれ程吐いたのに、いい匂いのおかげか食欲を取り戻す。師条家の食堂はシチューの香りに包まれている。

「そうだろう、そうだろう。特に三春のシチューは絶品だからな。食べないなんて一生の損だ」兄バカは妹の料理の腕をべた褒めする。

「ええ、ぜひご相伴させてください」自分のものながら、なかなか現金な胃袋だなと多少呆れながらバロンが答える。

 結局自分の胃腸の頑丈さに感心しつつ、師条兄妹と夕餉ゆうげを共にし、真田屋敷の客間に宿泊する事になった。


 11


「それでバロンを置いてきちゃったんだ。バロンイジメられてないと良いけど」凰邸に戻ってきた母親と弥桜を出迎えた夕姫がバロンの身を心配する。

「えー、光明さんてそんな事するの?」弥桜は今更ながら心配になる。

「感情でなにかするという事はないと思うけど、あの兄妹は必要とあらばどんなに酷い事でもするわよ。プライベートビーチの件、覚えているでしょう?」夕姫はつい先日の三春に招待されたリゾート地での磯女いそおんなの件を根に持って言った。

 真田スガルには気を付けるよう忠告されたがまさか怪が出るとは思ってもいなかった。退治自体は速攻で終わったが、だまされた感はいなめなかった。

「うー、バロン君大丈夫かな。怪我とかしないかな」弥桜は段々心配になってきた。

「大丈夫よ。きっと優しい龍光クンの特訓では身に付かない事を教えているのよ。例えばこんな風に」茜の目が半眼になると雰囲気が一変する。

「ぐぎぎぎ、ちょっと母さんな、なんてことするの…」夕姫はかろうじて茜の気迫に抗うが満足に動けない。

「やっぱりねぇ。夕姫ちゃんたら弓ばっかりやってて、格闘の鍛錬を満足にしてないからこうなるのよ…アラ、貴方は大丈夫そうね」自分の娘には失望したが、弥桜の方は何ともないようだ。

「私には加護も御守りも有りますから…」手加減されているとはいえ、里で屈指の武芸者の気迫を受けて平然としている弥桜はやはり大物かもしれない。そこへ

「なになに、夕姫お姉ちゃん怒られてるの?」茜の気の爆発を察したべにが出てきた。

「ママのカミナリ落ちた?」瑠璃るりは野次馬根性を発揮している。

「お姉ちゃん、やっぱりお土産少なかったんじゃない」買ってきた手土産を両親の分まで平らげてしまった翡翠ひすいが不満を漏らす。

「あーっ、今姉ちゃん動けないっ!」瑠璃が夕姫の窮地きゅうちに気付く。三雀達は茜のプレッシャーの中を平然と動いている。

「本当かしら…チャンスだわ」紅が夕姫のお尻を突いて確認し、調子に乗ってなで回す。

「どれどれ、本当だ。…あーっ、夕姫ネエ、また新しいブラ付けてる。ウッ、サイズアップしてるのにちゃんと実が入っている!」翡翠がシャツをめくり下着を確認した上、胸を揉みしだく。瑠璃は脇の下をくすぐる等やりたい放題だ。

「ヤ、ヤメっ!」満足に動けない夕姫は妹達を振りほどけない。

「あわわ、紅ちゃん、やめてあげて!」動けない夕姫が蹂躙されているのを見て弥桜は三雀を止めようして、あたふたするが、小さな復讐者達はまったく意に介さない。

 翡翠が下着の下を確認しようとジーンズのベルトに手をかけたところでさすがに気に毒になった茜が気を収める。

「アンタたち!」ようやく自由に動けるようになった夕姫は激怒して妹達を追っ払う。

「わー、魔神様が目覚めたぁ!」いち早く逃げる瑠璃。

「…」こっそり逃げる紅。

「姉さん、今度、私にもオトナな下着買ってね」シレッと身を翻してその場を去る翡翠であった。

「ホラ、鍛錬が足りないからこうなるのよ。あの子達だって平気なのに…」茜は困った顔をする。弓箭きゅうせんだけでは敵意や害意に相対することは少なく、お務めで少しは免疫が付いていたが、これ程指向性が高い気迫には抗えなかった。

「グッ、あの子達は怒られ過ぎて慣れちゃったのよ!」夕姫は言い返すが

「だって夕姫ちゃん、怒られる前に逃げちゃうじゃない。これに懲りたらしっかり稽古をしておくことね。とにかく富士林君はこういうものに対抗する為の稽古を受けてると思うわ」茜は思うところがあったが、口には出さず奥に戻っていく。

「さすが夕姫ちゃんのお母さん、もの凄い圧倒力。私も加護が無かったら吐いちゃうかも。本当にバロン君大丈夫かなぁ」

「くっ、最近私やられてばっかりで弥桜の引き立て役になってるような気がする…」夕姫が真剣に落ち込む。

「そんな事ないって。今度の鬼退治、きっと活躍できるよ。そうだ、お風呂にでも入って嫌な事全部忘れちゃおう」弥桜は夕姫をなだめる。

「…そうね、じゃあ弥桜も一緒に…」


「お姉ちゃん、どうしたの?シリコン?あんまり大量に入れると体に良くないって…」

「おーう、弥桜姉ちゃんのメロン程じゃないけど、もう桃位はあるー」

「き、きっとニセチチよ。そ、そうだハリウッド仕込みの特殊メイクね」

 夕姫と弥桜が凰大浴場に入浴していると三雀達が巫女の巨乳をもてあそぼうと、否、おがもうと後から乱入して姉の発育具合に驚愕する。紅には健康を心配され、瑠璃には素直に感心され、翡翠には偽装を疑われた。

「な、なによ、何度も言うけど天然だし本物よ」今まで胸元に注目された事があまり無く、ちょっと悪い気がしないこともない。

「えー、本当ぅ?あ、柔らかーい」遠慮なんかしない瑠璃がすかさず姉の胸を触ってみる。

「そんなバカな。変なシコリとかメスの跡とかが…無い!」疑り深い疑い紅が姉の胸を引っ張ったり、持ち上げたりして美容整形の跡を探すが当然見つけることはできない。

「嘘よ!出来が良いわね。でも引っ張れば剥がれ…ない…」まだ信じられない翡翠が鷲掴みするがもちろん取れない。

「イタイ、イタイって。ヤメっ…アン!」強く引っ張っても取れないと判ると三雀達は手馴れた手つきで姉の胸を揉みしだく。

「あー、良いお湯」今回は狙われずに済んでいる弥桜は姉妹の過激なスキンシップを尻目に温泉を愉しんでいた。

「ヤ!ダメだってば…それ以上は本当にダメ…」妹達にもみくちゃにされた夕姫は湯船から逃げ出す。

「姉さん、どんな手を使ったんですか?牛乳ですか?お高い豊胸クリームですか?それとも輝虎さんに毎晩揉んでもらっているとか」

「うん、うん」

「カワイイ妹達にも教えて!」

「うーん…」夕姫は他人事みたいにしている弥桜を横目で見たうえ、妹達に方法はともかくチヤホヤされて機嫌が良かったので

「そうね、弥桜のご利益ね。大きな胸は感染うつるの」随分端的かつ誤解を受けそうな言い方をしたため

「そうなのっ!目標変更!」

「ええーっ!」リング外だと安心していた弥桜が慌てる。

「目標メロン!」

「超特撮級ね!」

「いやぁ!もうダメだったら…夕姫ちゃん…あ、逃げた!」


 12

 

「シクシク…もうお風呂怖い…」友人には裏切られた為、茜の薄い胸で泣く弥桜だった。

 ここのところ広いお風呂に入ると同性に襲われ、メチャクチャにされている。

「ごめんなさいね、加減を知らない娘達で。でもそんなに規格外のを持っているなんて、オバサンも興味有るわ」弥桜の頭を撫でながらも少し本音の出る茜だった。

「仕方が無いわよ。持てる者は持たざる者の羨望せんぼうの的だもの。いい、誇りに思っていいのよ。私だってそんな立派なモノが有ればサッカーチームを作れるくらい娘を増やせたのに…うらやましい…」茜からとうとう暗い情念が噴出する。

「ちょっと母さん、紅達三人を産んでまだ父さんとイチャイチャしたいの?ヤメてよ、特に弥桜の前では。歳の離れた弟が産まれそうって悩んでるんだから」夕姫は聞き捨てならないことを耳にし、猛烈に抗議する。

「アラ、そうなの。じゃあやっぱり私も頑張ろうかしら。まだ充分若いんだし」確かに茜は雪桜より若いが、この家の場合、甥か姪より若い叔母が誕生しそうな気がする。

「…わかった。母さんに言ってもムダだわ。父さんに釘を差してくる。もし妹か弟が生まれたら一生口きかないって」夕姫がジト目で奥に行く。弥桜も呆気にとられ、泣いていた事を忘れてしまう。

「ズルいわよ、夕姫ちゃん、パパそんな事言われたら手を繋ぐのも一苦労に成っちゃう」茜も夕姫を追う。

「ごめんなさい、弥桜お姉ちゃん。ついさわり心地が良くってやり過ぎちゃった」紅が殊勝しゅしょうに謝罪する。

「アタシも!」瑠璃が追随する。

「私も弥桜お姉ちゃんみたいになりたい一心だったの。もうしないから許して」翡翠が弥桜の落ち込み具合を見て、さすがに謝った。

「…もうあんな事しちゃ駄目よ。そうじゃ無いとバチが当たるから」弥桜は茜がやった事を応用して妖気を発し、三雀を圧倒する。未知の圧迫感に気圧される三つ子だが

「バ、バチってどんな?」ある意味空気を読まない瑠璃が尋ね後悔する。

「そうねぇ、給食で何故か盛りが少なくなったり、駄菓子屋でまったく当たりが出なくなったり、靴下に穴が空きやすくなったりするかもしれない…」瑠璃の肩を押さえた弥桜は笑顔で脅すようにもらす。内容自体は大した事は無いが不気味だ。それに今の弥桜の迫力では本当に起こりそうだ。

「ご、ごめんなさい。もうしません。お姉ちゃんの神社が出来たら、ちゃんとお参りするから許してっ!」半泣き状態の瑠璃が許しを請う。

「そう。じゃあ許してあげる。…でも約束を破ったら夜中、化け猫がやってきて頭からバリバリと食べられちゃうからね…フフフ」弥桜はワザと妖しい笑みを浮かべ、それを見た三雀は抱き合って震え上がる。魑魅魍魎にも気後れしない三つ子だったが、世の中には本当に怖いものが在ることを実感した。


「ワシはあいつらなんて喰わないぞ」ペンタはベーコンの塊を齧りながら不満を漏らす。

「わかってるわよ。教訓ってやつよ。これで言うこと聞かなければ、夜中に大化け猫になって、あの子達の部屋の窓でも引っ掻いてきてもらうわ」やっと落ち着いた弥桜は客間でくつろいでいた。

「アンタ、私よりあの子達の操縦上手いじゃないの」父、龍成に宣言をしてまだ気が立ってる夕姫が当てつけがましく言うが

「気合よ、気合い!勢いで言う事きかせるの!それよりなんなの、ハダカの私を一度ならず、二度までもケダモノ達に売ったわね!覚えてなさい、次に一緒にお風呂に入ることが有ったら、今度こそ本当にめちゃくちゃにしちゃうんだから。気まずくなってテルさんの顔を直視できなくなるほどスゴいマッサージ、シ、テ、ア、ゲ、ル。ウフフフフフ…」よっぽど鏡子と三雀の過激なスキンシップへ差しだしたのが腹に据えかねたらしく、弥桜の目はイッテしまっている。

「お、おっかないわねぇ。ま、まさか本気じゃ無いわよね?ね?」さすがの夕姫もたじろぐ迫力だ。

「…忍法湯けむり悶絶地獄っていうのはどうかしら?」もう弥桜は技名まで考えついている。

「大丈夫だ。ミオは口ではそう言っているが、いつも最後は悦んでいるぞ」どう大丈夫なのか分からないペンタのフォローが入った。ペンタは変化として弥桜と契約している為に主人の大まかな感情がたとえ離れてていてもわかる。

「う、嘘よ!ナ、ナニを口走っちゃってるのよ、このダメ猫」弥桜はペンタのほっぺたを左右に引っ張る。

「はは~ん、弥桜ったら女の子のスキンシップに味を占めちゃったのね。そんなエッチな身体してるから欲求不満なんじゃないの?坂田さんにもっと念入りに体洗って貰えば良かったじゃない」夕姫が訳知り顔で断定する。

「エッチじゃないし欲求不満でもないもん!アレ以上ヤラれたら本当におヨメに行けなくなっちゃう!…そう言えば鏡子ちゃんどうしたろう?」忍者八重影に敗北して以来、弥桜につきまとっていた鏡子だったが、さすがに太刀守の里には入れなかった。しかし予測不能な人物が見えないとそれはそれで不安にならないこともない。

「さあ、おかしな事してないと良いケド」夕姫は鏡子が戦闘で打ち所が悪く、おかしくなったと気の毒に思っていた。


 「兄さん、鬼についてなんかわかった?」龍剣が電話をしているあいだ、甥の龍児の相手をしていた鏡子が首尾を聞く。

「ああ、『関わるな』だそうだ。どうも山でもその件は知っていたようだな。はっきりは言わんが太刀守の敵対組織の起こした事件らしい」龍剣も思うところがあって歯切れが悪い。

「じゃあ、鬼を呼び出したかなんかしたの?」鏡子は信じられないという顔をする。

「オニ?じゃあ桃太郎か一寸法師にやっつけて貰わなくちゃ」鬼という名を聞いて龍児が口を挟む。

「うん、桃太郎じゃなくて楓太郎が鬼退治に行ったんだけれどね。で、兄さん達は?」

「オレもナワバリに現れなければ手出しできん。山も少々後ろ暗いところが有るようだしな。とにかく鬼側と太刀守の抗争には関わるなとの事だ」

「なにそれ。正義の味方が聞いて呆れるわね。良いわ、兄さん達が動けないなら私だけでもお姉さまの手助けをするわ」

「どうする気だ?」

「困った時の実姉よ」


 13

 

「君は龍神から貰った力に依って、対怪においては僕以上の攻撃力を持っている。しかしそれも振るえなければ意味が無い。鬼は怪としても別格だ。このプレッシャーの中で動けるようになるんだ」三春との夕食後のお茶が終わると光明の特訓が再開される。

「はい。…一つ良いですか。今まで鬼と遭遇しましたが、こんな風に金縛り状態になった事は無かったんですが…」なんとか呼吸もできるようになり、嘔吐することもなくなったバロンが疑問を口にする。この特訓に意味が無いとは思わないが、考える余裕が出来ると疑問が湧いてきた。

「輸送車の時は虎光がいたお陰だろうし、ドライブインの時は僕をはじめ里の実力者が集結していた。その為、君へ注がれる殺意や害意は薄かったハズだ。しかし伝説級の鬼と一対一で遭遇すればそうも行くまい。動くんだ。動いて命をつなげ。攻撃するチャンスと大切なものを守るんだ」

「輝虎君と加護の有る吉野さんはおそらく大丈夫だろうが夕姫はどうだろうな。輝虎君が守るだろうが…」光明も兄妹同然に育った夕姫に懐疑的だった。その疑念は当たっていた。

「ゆ、凰さんも?」

「ああ、夕姫は格闘は避けてきただろう。そのせいでおそらく圧迫に耐性が無い。まあ近づき過ぎなければ大丈夫だろうし、龍神の弦が有れば硬直してしまうこともあるまい。白月女史の予言も君の特訓だけだったし」白月はバロンだけでなく光明にも同じ事を助言していたのだ。お陰でのたうち回りながらも光明の発する気迫に順応し始めた。確かに以前のまま一人で鬼と遭遇していたらと思うとバロンはゾッとした。

「そろそろ例の剣を構えてご覧」光明はバロンがいつでも龍神の剣を取り出せる事に気付いていた。

「それでは、剣よ」バロンの腕輪が剣に姿を変える。

「間近で見るのは初めてだが素晴らしい物だな」

「そうですか?ヒイラギさんにはガラクタって言われましたよ。あ、でも圧迫感が薄れた?」バロンは剣が緑色の光を発するとともにプレッシャーがやわらいだ気がした。

「確かソレは君専用なのだろう。婆様は里に資するモノ以外にはキビシイよ。富岳童子の大首を喰らい尽くしたその剣を僕は評価しているよ」

「…改めて聞きますけど鬼ってなんですか?なんでこの里の方は鬼を滅ぼす事に執着しているんですか?霞原って人達何者なんです?」老の円卓の議を見ていたバロンは核心を突く。

「今回の鬼は白月女史の見立てが正しければ、古の邪法を用いて造られた鬼だ。そしてそれを出来るのは霞原という一党のみだ。太刀守と霞原は戦国時代に傭兵のような事をしていたのだが衝突してしまい太刀守が霞原を滅ぼした。しかし生き残った術師がとある絵師の遺した特別な百鬼夜行図を使って人間を鬼に変えた」

「人間を鬼に?じゃあ、あの鬼たちはみんな元は人間だったんですか?」

「全部ではないよ。君達を襲った小物の鬼は富岳童子の陰の気に誘われた自然発生の鬼もいたはずだ。間違いないのは富岳童子、水牛と羚羊角を持った鬼だけだな。水牛鬼は人間に戻った姿を僕も目撃している。女性だったよ」

「その因縁から鬼退治が太刀守の方の宿願なんですね」

「そうだ。君達を巻き込んで済まないとは思うが、白月女史の見解はバロン君と吉野さんの協力が得られないと長引いて被害者も増加するという。霞原の一党は太刀守憎しで一般人への危害等眼中にない。悪いが力を貸してくれ」光明は頭を下げる。

「そんな、頭を上げてください。確かに太刀守の因縁が発端かもしれませんが、鬼が世間に迷惑をかけている以上、お務めの守備範囲です。正直に話してもらって僕も許せないと思いました。人間をあんな恐ろしい姿にするなんて。改めて僕からもお願いします。やらせて下さい」

「ありがとう。そうだ、今回はどんなボーナスが良いかな。前回は神社の用地だったし、建屋自体は白月女史達が率先して建てたらしいし。バロン君はナニが良いかな?」

「僕も欲しいモノはあまり…運転出来無い車は持ってるし、この間は過ぎた船を貰っちゃたし…やっぱり吉野さん達と相談します」突然の申し出にバロンは悩んでしまう。

「そうかい。ナニをお願いされるか愉しみにしているよ」

 

 14


「さーて、どうなってるかなぁ」凰邸で合流した四人は弥桜の神社に徒歩で向かっている。鬼退治は明日になっているので今日は自由行動だ。

「もう出来上がってるんでしょ。誰か管理しているの?」いくら新築でも人の手が入らない家屋は荒れてしまう。

「ええ、白月さんが人を派遣してくれてるって。今日はその人も来ているらしいの。どんな人かなぁ」弥桜は愉しみで舞い上がっている。そのうち鮮やかな朱色の鳥居が見えてきた。

「おお、思ったより立派だな。分社って言うからもっとこぢんまりしてるのかと思っていた」一番後ろから歩いていた輝虎が感心する。輝虎にももう真新しい銅葺きの本殿が見えてきた。白桜神社の本社よりはわざと小さく作っているらしいが、出来たばかりのせいかとても美しく目に映る。神社裏手の山も境内に趣を与えている。

「ここが私とバロン君の愛の巣になるのね。ステキ」弥桜は興奮して目を輝かせる。

「アンタねぇ…」夕姫が弥桜の能天気具合に突っ込むがそれ以上に呆れている人物がいた。

「はぁー…」本社よりは短い石段の上にボブカットの女性が深い溜息をついている。

「え、えーと…」さすがの弥桜も他人に恥ずかしいところを見られ狼狽する。

「自分が白月様よりココの管理を仰せつかった高雄青星たかおあおほしです。新宮司殿」弥桜を小バカにしたように青星と名乗った女性は里のご多分に漏れず胸部が寂しい。

(あ、美人だけどコレならバロン君は大丈夫だ)おっぱい星人の想い人を心配しなくて良さそうなので弥桜はホッとする。

「吉野弥桜です。管理人さん。今後よろしく」

「…あなた、私の胸を見て笑わなかった?コレだからおっぱい長者は…」青星は弥桜にやたらと突っかかる。

「そ、そんな事は無いわよ。…ムム、あなたとは仲良くできないかもしれないけど長い付き合いになりそうよ」弥桜が苦笑いして否定していると啓示が降りてきた。

「…そうですか。以後よしなに」青星は不本意そうな顔をする。愛想笑いなどしないが正直らしい。


 本殿と社務所件住宅は完成しており、天気の良い日に青星が風を通す為に訪れて掃除等をしているという。他には立派な青銅の龍が水を吐き出す手水舎が有った。よく見ると石製の水盤に『寄贈 真田スガル』と彫ってある。

「スガル姉、本当に寄進したんだ…」ケチで有名なスガルがこんなことをするなんて、脅し過ぎたかなと夕姫は少し反省しないでもない。しかし灯籠や欄干の寄贈者を見ても女性の名が多い。

「どうしてこんなに女性の名が多いの?」知った名も多く見つけた夕姫が疑問を口にする。

「ご存知のクセに…ゴニョゴニョ」青星が夕姫の胸に指を突き付け耳打ちする。

「な、何故ソレを?」弥桜に豊胸のご利益があることを指摘された夕姫が動揺する。

「それでこんなに?」夕姫が改めて境内を見渡す。その目で見れば境内にオンナの執念が満ちているような気がする。

「当たり前です。里の女性には死活問題です」青星が断言する。

「あ、アレは…あの色ボケ親がぁ…」ひときわ立派な灯籠に凰茜の文字を見つけ呆れ返る。因みに対の大きな灯籠には葛城白月とある。

「なになに、あ、夕姫ちゃんのお母さん寄進してくれたんだ。お礼言わなくちゃ」何も知らない御神体は無邪気に喜ぶ。

「本人には言わないでよ」夕姫が青星に釘を刺す。

「ええ、迂闊な事をしてご利益が薄れても困りますから」青星は言わずもがなと答えた。

 手水舎の龍の口から掬った水を飲んだバロンが

「このお水だけでもご利益が有りそうだ」何気なく言うが

「ええ、この水は本殿の裏に湧いている泉のもので美味しいとの評判です。そうだ宮司殿、本殿はまだ祭壇がありませんから、その泉だけでも祝詞を上げていただけませんか」

 その泉の水はその後『美容』に効くとされ、里の女性が足繁あししげく通うようになる。その辺りはしっかりしている青星は本殿に祭壇こそ無いままだが賽銭箱は設置した。


「なんかまだ寂しかったな」輝虎が感想を述べる。

「うん、これからウチの桜の苗を移植するし、祭壇と御神体は母さんが用意しているけど、あのおなかじゃしばらく無理じゃないかなぁ」祭壇の設営と御神体の分祀の儀礼は雪桜無しで行うのは困難だ。形だけなら名目上の宮司である父大三でも出来なくは無いが、なんか違うと弥桜なりに思う。家族三人、いや四人で来なければ行けないような気がする。幸い青星は神職の資格取得に向け、動いてくれているそうなので御神体が渡御すれば神社として営業出来るだろう。

「光明さんがね、今回の鬼退治には何か欲しいモノはあるか聞かれたんだけれど、どう思う」バロンが宿題の件を相談する。

「そうね。アレはどう?本社に有ってあそこに無い物」夕姫が思い付いた。

「ああ、アレか」輝虎も気付く。

「えー、良いのかなぁ」弥桜も気付くが申し訳無さそうだ。

「そうだね。弥桜ちゃんが神主に就任するなら有ったほうが良いね。神楽殿」バロンも思い当たり賛成する。

「僕から光明さんにお願いするよ。きっと快諾かいだくしてくれるよ」バロンはいいアイデアだと交渉を請け負う。

「じゃあバロン君には私からご褒美ほうび、アゲル」


 15


「さあ、鬼でも悪魔でも掛かってこい!!」いきり立ったバロンは龍神の剣をブンブン振り回しながら叫ぶ。興奮したバロンを表すように緑の焔の刀身は野太刀ほど伸び、周囲が困惑する程だ。

 今回は持ち主が倒産してしまい、権利関係のゴタゴタで営業をしていないゴルフ場を決戦場に借りた。しばらく手入れがされていないコースは芝生から雑草が生えてしまってはいるが、見通しは良いので前回のドライブインのように不意打ちは避けられる。

「…どうしたんだい、彼?」鬼退治を率いる光明がバロンの威勢に戸惑う。バロンは普段あんなに好戦的ではなかったハズだ。報酬に希望された神楽殿は確かに破格ではあるが、あそこまでヤル気を出す理由とは思えない。

「あー、バロンも男の子だったと言うか、悪いオンナにそそのかされた言いますかぁ」そばにいた夕姫が言いづらそうに説明しようとする。

「私、悪いオンナじゃないもん」弥桜がふくれて抗議する。今日は戦闘用巫女装束バージョンXというものをまとっている。岩崎工房の最新作らしい。噂では着る戦車だそうだ。今回の相手は人では無いので遠慮なしの攻撃力だ。

「そ、そうか。始める前からバテちゃわないと良いが…」これ以上突っ込まないほうが良さそうなので放っておくことにした。

「アンタは自分の胸を過小評価しすぎてるの。この魔性のおっぱい」夕姫が弥桜の胸に指を突き付け溜息をつく。


「…バロン、余計なお世話かもしれないが、鬼が現われてからでも大丈夫だぞ。今からそんなんじゃ疲れるだろう」心配した輝虎がバロンに声をかける。

「ああ、そ、そうだね。ありがとうテトラ」バロンも自分の滑稽こっけいさに気付き少し冷静になる。

「いくらご褒美が良いと言っても頑張り過ぎだろう」ご褒美の内容を知っている輝虎が呆れる。

「テトラ、弥桜ちゃんの胸だぞ。ソレを好きにして良いなんて。もう僕、死んでも良い。はっ、テトラはユキねえとそれ以上の事をしてるんだな!だから反応が薄いんだ。よーし僕もやるぞ!鬼退治が上手くいったら」

「いったら?」輝虎はバロンがナニをしようと考えているか想像してドギマギしたが

「さ、さわらせてもらうだけじゃなく、ほ、頬ずりさせてもらうぞぉ!」バロンの宣言に輝虎はズッコケる。内心自分達の事を振り返り、どんなスゴい事を考えているんだと心配したが杞憂だった。

「あ、ああ、ガンバレよ」輝虎はバロンと比べ、酷く自分が汚れているような気がした。


「あんた達来てたの」夕姫が妹達を見つける。今回は前回のように広く人員を募集しておらず、茜や龍成、笹伏からも参加していない。まさか三雀達をここで見るとは思わなかった。保護者に文句の一つも言ってやりたい。

「シショーが行くから付いてこいって」翡翠が答える。

「私達は付き添いよ」

「ツキアイ」

「師匠って」夕姫が見回すと車椅子にサングラスの老婆がいた。

「アンタかい。凰のヒクイドリってのは。…思ってた程では無いね。そんなんで凰を継げるのかい。まあ、弓のウデは確からしいが…」

「…どちら様で」夕姫はいきなりの苦言にムッとなるが

「あたしゃ翡翠にあやとりを教えたカガチって老いぼれさ」カガチはフェフェと笑っていう。夕姫は気難しそうな老婆だなと思った。正直苦手なタイプだ。翡翠が使う鋼線をどこで覚えたのだろうと思ったがコイツかと納得した。

「カガチ婆さん、出てきたのか?」龍光が現れ呆れたように言う。

「フェフェフェ、老いぼれだって、たまには外の空気が吸いたいもんさ。それにあたしがくたばっても誰も困らんじゃろ」

「あれ、カガチ、まだ生きてたんか」ヒイラギがカガチを見つけて驚く。

「オヌシこそ。なんじゃ、まだ死ねんようだな。ヒイラギがおっ死ぬところを見んことにはまだ逝けん」

「それはコッチのセリフじゃ。せいぜい惨たらしく、くたばるが良い。ワシが思わず涙する程にな」おっかない老婆同士の因縁があるらしい。夕姫がその場を離れようとすると

「ユキ坊じゃねえか。なんだ、いっちょ前にオンナらしくなりやがって」斬馬刀を担いだ大男が現れる。上半身裸の上、傷だらけだ。またもや夕姫が苦手な人物が現れた。

みずちおじさん、来てたんだ」蛟は真田の傍流ぼうりゅうで血は遠く、親戚とは言えないほどだ。しかし真田屋敷によく出入りしていたので夕姫も覚えていた。最後に会ったのは髪を伸ばす前の小学生位のハズだ。よくその頃は男の子ぽい容姿をからかわれたものだ。

 蛟は武者修行と称し、怪と逢えば怪を斬り、悪党と逢えば悪党を斬るという旅をしていると聞いていた。

「おう、今回は真田配下のゲテモノばかりが呼ばれてる。裏方のな。そこにいるカガチババアもそうさ」

「なんだ、蛟坊。図体ばかり大きくなってオツムは悪いまんまだね」カガチにかかれば五十過ぎのオヤジも子供扱いだ。

「相変わらず口が悪いな。ま、オレたちはいずれお天道様の下を歩けるようなもんじゃ無いがな」里の住人のウワサにもならない者たちがナニをやっているかは想像もしたくない。

 夕姫が再びその場を逃げ出そうとすると今度は近代的な装備の一団を見つける。画一な黒いツナギにヘルメットを被り、顔も見えない。もし輝虎やバロンがあの格好をして混ざっていても、わからないくらい個性を消している。

白牙はくが…本当にいたんだ…」里の事は何でも把握していると言われる真田の後継ぎが初めて見るという。師条家ではなく、光明個人の私兵集団が有り、名を白牙というらしいとのウワサは夕姫も聞いたことがあった。しかし太刀守の里にはそのような眉唾物の話が、そこら中に転がっているのでコレも目にするまで、その一つだと思っていた。

「作戦は打ち合わせ通りだ。散開」十名程の白牙の前に光明が立ち、一言指示すると足音どころか気配すら感じさせずゴルフ場に散っていく。あの連中に背後から近づかれてもわからないかもしれない。

 向こうがどの程度の戦力を送ってくるか未知数だが今回は周りを荒らしてもどこからも文句は出ない。

「弥桜、そろそろ準備して」夕姫が弥桜を促す。


「……」

「……」呆れて黙り込む夕姫と弥桜の前にはカップ酒が1ダース並んでいた。コレで鬼を呼ぶのだろうか。まるで屋外で宴会でもするようだ。そうだとしても、集まった人数を考えれば一人一杯も回らない量だ。

「ああ、前回、各方面から鬼なぞに樽酒なんてもったいないと怒られてね、白月とも協議してコレになったんだ」光明がニコニコと悪びれもせずに説明する。主に大酒飲みからクレームがついた結果だ。

「…わかりました。やってみます」弥桜はナニも呼び寄せられなくっても文句言うなよ、と言わんばかりに鬼寄せの準備にかかる。神楽を舞う為のスペースは雑草を刈り払ったグリーンだ。


 ゴクリとノドが鳴った。

 鬼寄せの為、用意されたカップ酒のフタを外していた弥桜はお酒のいい匂いに思わずノドが鳴った。思えば鷹崎家の乱騒動以来お酒を飲めていない。家ではもちろん、バロンのお務めチームに正式に入ってからも飲む機会が無かった。

 (美味しそう…)弥桜は辺りをうかがうが夕姫も近くに見えない。

 (十二杯も有るんだから少しぐらい…)他の十一杯には前回同様、自らの血を垂らし入れたが、一杯だけはそうせずこっそりあおる。


 16

 

 鬼寄せ神楽が始まった。ゴルフ場のグリーン跡に設けられたスペースへ仮設照明が照らされている。薄闇に浮き上がる弥桜の舞はいつもながら幻想的であったが、前回見ていた者たちはナニか違和感を感じた。以前にもまして弥桜が妖艶ようえんに見えるのだ。

「コレはなんというか…」光明も困惑して眺めている。

「今日の弥桜ちゃん、なんだろう、いつもよりエッチに見える…」そう言うバロンの視線はご褒美の原資に釘付けだ。

「…ああ、エロぃ、エッチだな…」さすがに輝虎も戦友をエロいとは口にできず、エッチと言い直したが弥桜の舞を見ている男達の感想はおおよそ同様であった。

「…ひー、ふー、みー、よー…足りない…あー!弥桜のヤツ、呑んだな!」呆けている男達をよそに原因を探って観察していた夕姫が、弥桜の周囲に置かれた鬼寄せ用のカップ酒の数が足りないことに気が付いた。

「なんと!鷹崎家の惨劇がここでも繰り返されるのか…」ようやく状況に気付いた光明が呆気にとられる。

「惨劇?そこまで酷かったんですか?」夕姫はバロン達に聞かれないように小声で光明に聞き返す。

「…鷹崎家の男達、手練の三人が弥桜君を取り押さえようと試みたんだ。…結果、大介さんは酔っぱらった孫娘一人取り押さえられ無かった事を気に病み、入院した雅一さんに家督を譲る旨申し出があった。大三さんも寝込みかけた」大介と雅一は弥桜の祖父と伯父だ。鷹崎家では弥桜の事件で大介が隠居し、当主交代がおきた。弥桜が大人しくなったのは取り押さえられた訳ではなく、眠くなって勝手に眠っただけだ。ソレを聞いた里の者は弥桜の入郷禁止を求めるものもいたが、独身男性を中心とする多くの嘆願書により立ち消えとなった。その後鷹崎家には何故か弥桜への縁談が殺到した。

「里の結婚したい女性と、息子の嫁にしたくない女性のランキングに大分変動があったそうだ。喜べ夕姫、後者のトップは吉野君と入れ替わったぞ」この非常事態に光明が要らないことを口走る。現実逃避したいのかもしれない。

「何ですか、そのランキング。どこでだれが調査したんです?」夕姫がジト目で光明を問いただす。前者はともかく後者はつい先頃まで夕姫がトップだったという。初めて聞くし、できれば聞きたくなかった。

「…じょ、情報源は秘匿ひとくする。しかし、どうしたものか」うっかり口を滑らせたことに気付いた光明は話を変えようとする。

「鬼寄せに支障は無さそうですし、放っておきましょう。というか、効果が有りすぎるかもしれません。ホラ」いつの間にか現れた葛城白月が助け船を出す。白月の指す先のグリーンに弥桜を中心とした盛り上がりが生まれる。

「…大丈夫です。アレは怪ではありません。言うなれば神未満の精霊のようなものです。危害を加えないどころか吉野さんを守ってくれるかもしれません」神楽の警護兼見物している者たちが動こうとしているのを制し、白月が精霊の見物客に太鼓判を押す。

「…白月さんいたんだ。まさかこの未来が視えたから弥桜について言えなかったんじゃ無いでしょうねぇ?」夕姫は不機嫌なまま、今度は白月に問いただす。

「…言ったら止めたでしょ。今回はこの方が流れが良いハズなの。ほら、来たわよ」いつものように魑魅魍魎が押し寄せる。前回のドライブインはさすがに里近くだったので小物は寄り付かなかったが、今回は酒の為に弥桜からも誘因物質が出ているので、ものすごい数が現れる。

「龍臥山より多いな。まあ肩慣らしには良いか」輝虎が本番の前の準備運動にもってこいとばかりに雲龍の戟を振り回す。しかし、それより先に飛び出していった影が有った。

「そりゃあー」バロンが龍神の剣の刃を伸ばし、刈り取るように怪を撫で斬りしていく。

「バロン君、ヤル気だなぁ」光明が呆気にとられ、呑気な事を言う。

「今日の彼は大活躍と出ていましたから。…本命も来たようです」白月が警告を発する。

「ああ、ウチの手も遭遇したらしい。しかし、大半はザコみたいだ。演習にもならん」装備しているレシーバーから報告が入っている光明は、相手が弱すぎて不満なようだ。大物は配下の白牙と真田の裏方が相手取っている。どちらかといえば問題は雲霞の如く押し寄せてくる魑魅魍魎の方だ。しかしそちらも直掩が対処出来ている。


「今日は翡翠の為に見やすい弦を使ってやる。目を開けてよっく見ておけ」カガチが車椅子に座ったまま翡翠に声をかける。妹達が一応心配であまり離れないで矢を放っていた夕姫の耳にヒュンという風切り音が聞こえた気がした。すると小型怪の一団が消え去る。バロンの能力で強化された聴力を持つ夕姫だからこそ聞こえる風切り音が、鳴る度に魑魅魍魎が面で消えていく。有効距離は50メートルといったところか。

「シショー、すごーい」翡翠はカガチの技に感心するが

「当たり前だ。こんくらいオマエもこなすように精進せい」カガチの手は車椅子の肘掛けに載ったまま、動いているようには見えない。しかしその威力はさすがに啖呵たんかを切るだけのことはある。コレで襲われたら夕姫には抗う方法が思いつかない。

「でも今日は目立たないわね」夕姫はバロンの大車輪な活躍を眺める。一応輝虎が背後や死角をカバーするように付き添っているが、はっきり言って棒立ちと変わらない。ご褒美に目がくらんだバロンの勢いは止まらず、彼の精神状態を表すかのように龍神の剣も見たことがない位、光の刃を展張させている上、先程から大きな三日月型の剣気を放ち怪をなぎ倒している。

「やあ、コレは付近の怪が殲滅せんめつされそうだ」光明は呑気な事を言っているが夕姫の目にはやり過ぎに映る。

「こんなに退治しちゃって良いんですか。なんかもう、環境破壊しているような後ろめたさが有るんですけど」酔っぱらった弥桜の鬼寄せとおっぱい目当てのバロンの暴走状態が想像以上に大量の怪を呼び寄せ、一方的に狩っている。

「うーん、今までこういう事が無かったんでねぇ。どうだろう白月君、環境への影響は?」光明が側に控える白月に尋ねる。

「ええ、龍臥山の周囲で追跡調査させた限りでは環境が改善することは有れ、自然環境が悪くなった報告は入っておりません。手前の事を言えば霊的に雑音が消え安定したようです。この辺りの気も澄んできました。あ」

「なんだい?」

「大本命が動き出しました」


 17


 鬼神を運搬するために用意したトラックの内部は強化合金製のケージが並んでいるが、一つを残し空になっている。最後の一つに主力の鬼神アダンが待機している。他はすでに放出され、太刀守の郎党に襲いかかっているはずだ。

 このトラックの運転手にして責任者の男は不安を抱えていた。アダンもそうだが量産型の鬼神達が今日はヤケに興奮しているのだ。

 今回の作戦は太刀守が張った罠へ鬼神を突撃させるのだが、余りにリスクが高すぎるような気がする。前回の襲撃は虎の子の富岳童子を投入したにも関わらず全滅したと聞いている。あの戦闘力ばかり高い田舎者達の力量を見誤っているのではないかと思う。

 鬼神の檻は外にのみ開放され、中にいれば万一トラックを気まぐれに襲う事になっても安全と聞いているが、アダンが先程より暴れてケージを揺すったり、叩いたりしている。まるで猛獣の檻だ。鬼神は元の人間の知力の一部を残しているはずだが、より動物的衝動に従って行動している。

 うっかり完全な隔離を行わなかった同僚がミンチになって、鬼神の糧となったのを見たことがある。

 男はさっさと放出して撤退したいが指揮役から指示が来ない。同僚達からの連絡も減ってきている。

「アイツを放り出して逃げ出すか」男は制裁を恐れるが命あっての物種だ、命令違反したとしても命までは取るまいと算段をしているとケージの壁が爆発した。


「おいおい、勝手に籠から出るなって飼い主に言われなかったか」斬馬刀を担いだ真田蛟が山間にある廃工場に隠すように停めてあるトラックから、こじ開けて出てきた青黒い鬼を認める。雑魚は他の者に任せ、本命を狙って強い陰の気を追ってきたのだが大当たりだった。それが良かったかはわからないが。

 青鬼も蛟に気付き薄闇にもわかる眼光で睨む。それが憎しみなのか獲物を前にした肉食獣のものなのか。

 トラックの檻を破り、男を喰らい尽くしたアダンと呼ばれる青鬼は次の獲物の蛟に決める。

 東の方から強烈に食欲をそそる匂いが漂ってくるが、前菜もいいだろう。美味そうでは無いが。

「お行儀の悪い犬はしつけが必要だな。こい!」蛟は青鬼が自分を喰おうとしているのに気が付いたが、所詮しょせんこの世界は食うか食われるかだ、斬馬刀を担いだまま左手で誘う。

 青鬼は出てきたトラックの後部扉を引きちぎって蛟に投げつける。蛟の視界いっぱいに扉が迫るが持っていた斬馬刀で両断する。しかし、真っ二つにされた扉のすぐ後ろに青鬼が迫っていた。

「なかなかやるじゃねえかっ!」蛟は扉に振り下ろした斬馬刀を斬り上げる。鉄の塊を斬りつけた硬質な感触が蛟の手に伝わり、危険を感じ後ろに飛び去る。蛟が元いた場所をショベルカーのような腕が薙ぐ。間一髪避けた蛟は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 今まで金属系の怪を何度も屠ってきたが、中でも青鬼は厄介に思えた。硬さが硬ければ硬いほど怪は動きが鈍かったが、青鬼は斬馬刀の斬り上げを耐え、なおかつ速さと知能を兼ね備えている。明確な殺意、捕食者の本能がひしひしと感じられる。

「こりゃあユキ坊のところには行かせられんなぁ」姪のように可愛がって(本人はそう思って)いた夕姫には少々荷が重すぎると感じ、ここで始末しようと斬馬刀を構える。

 不意打ちをかわされた青鬼は、蛟の周りを回って今にも飛び掛からんばかりだ。

 歴戦の蛟にもこの怪は単体ではトップクラスの難敵だ。通常の斬撃ではダメージも与えられていないように見える。しかし

「こっちも本気でいかないとな」蛟も真田の端くれ、法術も使える。

 斬馬刀に雷の気をまとわせる。この技で釣鐘の怪を真っ二つにしたことがある。

 青鬼を両断出来るかは、やってみないと分からないが、腕の一本位は頂きたい。

 蛟は重い斬馬刀振り上げ青鬼の懐に飛び込む。青鬼は体の間に左腕を入れ身を庇う。

 蛟は(もらった!)と思ったのもつかの間、右腕で払い除けられる。斬馬刀で斬りつけた左腕は骨を断ち、もう少しで落としきるところだったが及ばなかった。すぐに回復し始め、傷あとを残し融着ゆうちゃくする。

「チッ、バケモンが!」蛟は悪態をつくが会心の斬撃をしのがれたのは痛かった。まだ小手先の技はいくつもあるものの、どうやら青鬼には通用しないようだ。

「仕方ねえ」蛟はグジグジ考えるのをやめた。どうせ考えるのは得意ではない。正面から当たって圧倒すれば良い。

 今までそうやってきた。朝までにはなんとか片付けられよう。

 蛟はまた長年の相棒に雷気をまとわせ、手数で勝負に出た。その後ろ腰に禍々しく輝く黒いクナイが突き立つ。

「ぐぁ!」クナイは正確に人体の急所である右の腎臓を貫いた。毒も塗られていたようだ。

 蛟は体に激痛と痺れが広がるのを感じた。(これが死か)蛟は覚悟を決め、普段の何倍にも重く感じる斬馬刀を、とどめを刺しに駆け寄る青鬼に付き出す。

 力が保てない手から斬馬刀は抜けていったが、蛟の執念か青鬼の捻じくれた左角を砕く。しかし加速のついた青鬼は止まらず、丸太のように太い腕が蛟の胸を貫く。

「グフッ!」蛟は口からも血を吐き出しながらも、血まみれの手で残った青鬼の右角を掴むがそこで事切れた。

「太刀守のものとしては天晴な最後だ」物陰から蛟に毒クナイを投じた指揮役こと豺牙さいがが現れる。エルをすくい上げ、兄役を演じている豺牙だ。

 後ろに強化量産型の鬼神二体を引き連れている。

「ソレは喰うなよ。毒に当たる。なに、向こうに着けば食うには困らん。存分に暴れろ。行くぞ」豺牙はアダンに命じる。アダンは豺牙には素直に従った。本能で豺牙には勝てないと感じるのだろうか。


 18


「お姉ちゃん、バロンお兄ちゃんどうしたの?」紅は余りにキャラクターにそぐわないバロンの奮戦ぶりに、側で観戦にまわった姉に尋ねる。

「あそこで酔っ払ってフラフラ踊ってるポンコツ巫女に、ご褒美を約束されて、ガラにもなくハリキリ過ぎてるの」夕姫が呆れながら答える。もう酔の回った弥桜の舞はもう神楽の体をなしていない。しかしそれでも色っぽく見えるのは天賦てんぶの才なのだろうか。

「ああ、あの魔性の胸ね。バロンお兄ちゃんもアレには勝てなかったかぁ…」翡翠が悔しがる。

「キャハハハ、このままだと一晩で里の撃墜数塗り替えられそう」瑠璃がやんやと無邪気に応援する。

「ウッ!…蛟殿がやられました。例の大本命の目標だと思います」目隠しをしたままの白月がうつむいて告げる。

「蛟おじ程の手練が…わかった、手の者にも慎重に接触を検討しろと伝えよう。無理せずここへ誘導しろと」光明はまた出てしまった犠牲者に悔しがるが冷静に対処する。


「バロン、そろそろ来たぞ」輝虎が少なくなってきた付喪神つくもがみや山の怪等の魑魅魍魎ちみもうりょうの向こうに、異常に禍々しい気を放つ影を認める。

「ハァハァ、やっとか。今日の僕は一味違うぞ。龍神剣地獄焼!」バロンがひときわ大きく龍神の剣を横に薙ぐと1メートル位の緑の三日月が四方八方に飛んでいく。それは器用に味方の人間や照明器具等の設備を避けて、陰の気の源に向かって飛び去り、鬼達を炎上させる。

「スゴイスゴイ、今日のMVPだね」瑠璃がキレイに燃え上がる鬼を見て喝采を上げる。

「でもあんなめちゃくちゃな振り方したらバロンはもう…」夕姫が心配すると案の定

「ハァハァハァハァ、これ位活躍すればご褒美は確実。…見てたかな弥桜ちゃん?…えっ、寝てる?…」疲れ果てて座り込んだバロンが振り返ってグリーン上の弥桜を見ると気持ち良さそうに寝コケていた。見るに見兼ねて紅と瑠璃が駆け寄る。

「…ウ~ン、バロン君、もう飲めないよ~…」紅が膝枕をしてあげると幸せそうな寝言を言う。

「…大丈夫だ、目が覚めたら俺がちゃんとバロンの活躍を伝えてやる。バロンももう休んでろ。里の怪撃破数更新しただけで良いだろう」輝虎は自身の記録を一晩で更新した親友をねぎらう。輝虎はもちろんこのまま終わるとは思っていない。茂がこの程度の鬼にやられたとは考えにくい。

「目標が来ます。警戒を!」白月がいつになく緊迫した警告を発する。西側の林から明らかに別格の鬼の気配がする。

「厄介そうなのが来たね」ヒイラギが構え気配に向かって氷刃を放つ。もちろんまともに受ける程、間抜けだとは思っていなかったが、相手はその程度、避けることもなく体表で弾いた。そして二体の供を連れた青鬼が現れる。片角は蛟が折ったままだ。グリーン近くの本陣にいた者すべての耳目が鬼達に集中していると、背後の東側から闇に溶け込む黒いクナイが全員に飛んでくる。

「いかん!」いち早く気付いたカガチが反応して鋼線で数本を叩き落すが、全部は対応しきれない。

 投じた霞原衆の男達はすぐさま白牙隊に察知され、音もなく始末される。

 グリーン上の弥桜、紅、瑠璃に向かったクナイは精霊が齧り付き事なきをえる。バロン達に向かったものは輝虎が叩き落す。残る白月に向かったクナイは

「大丈夫か?」鬼灯丹後が何処からか現れ火炎弾で燃やし尽くす。

「ええ、いたの?」白月は驚いた様子で丹後の裾を掴む。

「ああ、婆様がうるさいんでな」小声で答えるとまた闇に紛れる。

「随分、念のいったことで。しかし見積もりが甘かったんじゃないか」光明が不意打ちを貶すが、青鬼が消えていた。

「翡翠!」カガチが車椅子のハンドルを握っていた翡翠を鋼線を使って弾き飛ばす。直後、空から青鬼がカガチめがけて降ってきて、車椅子ごとカガチを潰す。

「シショー!」翡翠は目の前でカガチが潰され、絶叫する。カガチが最後まで鋼線を使い青鬼を切断しようと試み、なし得なかったことに気付く。これでは翡翠の鋼線も通る筈がない。ひねくれた師匠が身をていして自分を庇ってくれたことにも驚いた。

 しかし血相を変えて反応したのはヒイラギだった。怒髪天を衝いたヒイラギは出せる限りの氷刃と火炎弾を一気に青鬼に叩きつける。しかし派手な着弾があるばかりで青鬼は応えない。

「あのバカ、憎まれ口を叩くクセに他人にばかり気を使いおって…」今も自分の構えを解き、本陣へのクナイ攻撃を防いだ為に回避が遅れたのだ。カガチとヒイラギは若い頃からの悪友だった。昔、里一番の色男だった鬼灯眩一ほおずきげんいちを奪いあったが、カガチが身を引いて今に至った。

 青鬼が次の脅威としてヒイラギを認識したが、そんな事を許す光明では無かった。神速の勢いで青鬼に百鬼丸で斬りつける。頭部の右角を狙うが身を反らして避けた為に顔の半ばまで斬られる。青鬼は激痛に飛び退く。

 光明が追撃しようとすると供の鬼二体が割って入る。動きは青鬼に劣るが体が角質化しており、一目で硬そうに見える。

「僕の前で里の人間を倒すなんていい度胸だ。楽に逝けると思うなよ」光明は一旦間合いを取り、再度二体を相手に踏み込む。その場にいた誰も光明の太刀筋が見えなかった。千里眼を持つ夕姫にしても速すぎて見えなかった。

 供の鬼達の動きが止まった。おもむろにまるでところてんが押し出されるように、ツルンと均等に斬られた身体が前面に流れ出す。地面に落とされた鬼の肉からは思い出したように血を吹き出す。

「さあ、次は…」光明が青鬼に構え直そうとすると、顔を抑えて悶絶していたはずの本命がいなかった。

「光明さん、舞台です!」龍光が叫ぶ。供の鬼が時間を稼いでいる間に回復した青鬼はグリーン上の弥桜を狙って跳躍していた。

 龍光も見ていただけではなく、クナイを投擲したが弾き返される。あわやという時、輝虎が割って入り雲龍の戟で受ける。

 すかさず精霊達が青鬼に齧りつくが、傷つくそばから回復していく。しかし

「うまいぞ、輝虎君」光明が電光石火で駆け寄り雲龍の戟を掴んでいた青鬼の両腕を肘あたりから断ち切る。

「光明さん!」スタミナ切れから多少回復していたバロンが駆け寄り青鬼に斬りつける。しかし苦悶の表情を浮かべた青鬼は飛び退いて難を逃れる。空をきった龍神の剣はそれでも雲龍の戟を掴んだままの切断された両腕を焼いた。

 光明は追撃に入るが、またしても妨害が入った。先程とは別方向の林から銃撃される。自動小銃の連射が迫るが光明と龍光が叩き落したり、法術で防ぎ一発たりとも銃撃を受けなかった。

 夕姫が発砲があった方に射掛ける。

「この辺で仕事しとかないと妹達に示しがつかないのよ」夕姫は手応えを感じたが取り逃がした事もわかった。

 よほどの手練がスキを作るため、あのように音が出る武器を用いたのだ。

 青鬼は消えていた。


 19


「出せ」左上腕部に夕姫の矢を受けた豺牙はエルがハンドルを握る業務用バンの助手席に滑り込む。すでに後部の荷室に腕の無いアダンを回収した。大掛かりな作戦だったが師条光明の殺害には、またもや失敗してしまった。

「お兄様、おケガは…」エルが矢傷を心配するが

「大丈夫だ。それよりここから離れるぞ」太刀守の追手はまいたつもりだが、油断は出来無い。予め準備した逃走の手順で完全に確認出来るまで安心できない。

「しかし、真田のバケモノ連中は大分始末したぞ」量産型の鬼神を囮として気を取られた真田の歴戦のツワモノを背後から襲った。

 連中はなまじ腕に自信があり、単独行動を取るため戦闘中に不意打ちすれば容易たやすく討ち取れた。

 問題は光明の私兵だ。投入した霞原の者も未帰還者が多い。

 館に戻らなければ分からないが、全滅も覚悟したほうが良いかも知れない。豺牙自身もまだ帰還できるか確信が持てない。

 夕姫に射られた左腕はもうどんなに上手く治療しても以前のようには動かせないだろう。野蛮な小娘が小槍程の太さの矢を放ったのだ。

「アダンの方はどうだ」豺牙は鬼神の損傷も心配する。このアダンにはかなり投資している。この程度で使えなくなってはお館様に申し訳が立たない。

「失われた両腕は再生しませんが、幸い別の実験体の腕が残っています。上手く継ぎましょう」エルはまるで植木のように簡単に言う。実際エルの技術は目を見張るものがある。豺牙はつくづくいい拾物だったと思う。

「もう一つの仕掛けの方は?」

「すでに投入いたしました。そろそろ太刀守の耳にも届くでしょう。ところでミュンヒハウゼンの小倅が邪魔に入ったとか」量産型の鬼神の多くがバロンの持つ宝剣の前に倒された。エルの執念はバロンをこの世から消す事に向かっている。

「ああ、ヤツもすでに我らの敵だ。惨たらしく始末してやる。そうだな、光明の眼前にヤツの首を転がしてやるか。しかし、その前にこの左腕の礼をせんとな。凰の小娘め、目にもの見せてやる」


 北海道の羊牧場で牧場主が羊達を羊舎に戻す為に群れに入っていた。このまま引き連れて戻ろうとすると視界の隅に違和感を感じた。イヤな予感が走り、もう一度群れを観察する。病気の羊がいればすぐに隔離しないといけない。そう思って群れの羊を一頭一頭良く見直し始める。


 牧場主の息子は羊舎で作業をしていたが、群を迎えにいった父がいつまで経っても戻らないので心配になって牧場に見に出た。

 すると父親は羊の群れの中で空を見あげ、呆然と立っていた。父が無事らしいのに安心したが、逆に怒りが込み上げてきた。

「親父、どうしたんだよ、そんなところで?」息子が声を掛けると

「…だれだ、オマエ」不思議そうに息子を見つめた。


 20


 「皆様ご苦労様でした。ささやかながら、ねぎらいと、殉職なされた方たちの追悼を兼ねてこの会をもようしました」当主代行として師条三春が音頭を取る。今回の鬼退治に参加できなかった事、真田の蔵人衆と呼ばれる裏方達、顔見知りの戦死を悔やんでいた。

「献杯」と三春が号令をかけるが諸般の事情でアルコールは出ていない。

 主に酒乱の舞姫がいるためだ。最初は大人だけでも酒を提供しようという話だったが、どんな拍子で弥桜の口に入るかわからないので光明が難色を示したためだ。

 きっと正解である。会場の真田屋敷の大広間を破壊したくはない。

 当の本人はゴルフ場での醜態を覚えておらず、ケロッとしてサイダーの入ったグラスをあおっている。

 長テーブルの後方には殉職した蔵人衆の写真の額と陰膳が用意されている。蛟やカガチ達の写真が入っているが、実感が伴わない。

 里にはそんな習慣は無かったが、弥桜の提案で前回と今回を含め、鬼退治で亡くなった者たちの慰霊碑を白桜分社の境内に建立する事が決まった。費用は三春が出すそうだ。

 三春は分社造営に里の女性達が寄進していることを後から知った為、自分も何か出来ないか悩んでいたので都合も良かった。

「シショー、あんなにけなしていた私を最後は助けてくれた」翡翠はいつもなら、こんなごちそうを前に躊躇などせず喰らいつくのだが、思うところがあるのか遠慮がちだ。

「バカねぇ、あんたが可愛かったのよ。唯一の弟子だって言ってたじゃない」紅が妹を慰める。カガチの鋼線は暗器を得意とする真田一党の中でも特殊で満足に使えるものはいなかった。

 暗器使いとして名高い龍光ですら分銅付きの初歩しか習得できなかった。

 翡翠は分銅無しで鋼線を用い、放った後の操作でも自由に操れた。カガチは翡翠のセンスを認めていた。

「翡翠とやら、もし良かったらワシが修行の続きを観ようか。ワシも弦は使いこなせんが、カガチがなにをしていたかは知っておる」悪友を亡くしたヒイラギが翡翠を誘う。

 あのひねくれ者のカガチがとった弟子に興味があったし、友人の心残りを見ないふりをするほど不義理でもない。

「良いんですか?」あまりの申し出に長姉が驚く。自分を値踏みしたときは取り付く島もなかった。

「ああ、この子はでっかい姉と違って法力も有るようだしな。このヒイラギが見事、里一番の暗殺者に育ててみせようぞ」クックックと暗い笑いをあげる。

「ヒ、ヒイラギ姐さん、やりすぎないでくれよ」暗殺者などという物騒な単語が飛び出した為、聞きつけた光明が釘を刺す。

「これから霞原衆との抗争には必要じゃろ。カガチの仇も討たせてやらねばならんしのう」

「この子が大人になる前に仇も討つし、霞原衆も叩き潰すよ」光明は決意に満ちた表情で宣言する。

「鬼灯さんが良ければお願いします。この子はワガママでナルシストで大食らいですが、よろしくお願いします」夕姫が保護者に代わって頭を下げる。

「なあに、カガチもナルシストだったよ。若い頃は里一番の美人だって自惚れてたよ。里一番は私だっていうのにさ。アイツはアタシとアンタの婆さんの芙蓉の次くらいだったよ」夕姫の祖母、芙蓉は若い時分に絶世の美女とよばれ、未だに彼女を超える佳人は現れていないという。隠居村にいる芙蓉は若い頃からは衰えたが、その美貌は年を重ねても凛としており、孫の夕姫が見ても良い歳の取り方をしていると憧れている。

 皺くちゃの因業ババアとは比べようもない。ヒイラギも充分にナルシストだ。

「そ、そうですか。翡翠、ちゃんとお願いして」不知火城のヒイラギといえば名士中の名士だ。直接指導を受けられる機会など滅多に無い。それに面倒と食費が減りそうだ。

「わかりました。新しいシショー。私も里一番の美人を目指します」翡翠があさっての方向に努力すると宣誓するが、ヒイラギは目を細めてうなずくだけだった。

「夕姫は今回影のMVPだったんじゃないか?確かに鬼は取り逃がしたが、あの豺牙に手傷を負わせたのだから。アレでもうヤツは存分に戦えまい。今回の蔵人衆の損失もヤツの指揮によるところが多い。撃破数こそバロン君がダントツだが、今後の戦局を左右するという意味では夕姫が金星だな」光明が従姉妹同然の夕姫の戦功を褒める。

 夕姫自身はナニを射抜いたのか良くは知らなかった。蝙蝠丸と龍神の髭で放った鬼用に用意した太矢を射ただけだ。命中した確信は有ったが大物と知っていれば雨のように矢を放ったハズだ。しかし、あの太矢で射られてなお逃げ切ったという霞原衆の幹部というのは大したものである。

「僕からボーナスを出そう。何が良い?」光明はこの件については機嫌が良い。

 確かに鬼にとどめを刺せなかったのは口惜しいが、両腕を失ってしまっては、しばらく使い物になるまい。それに霞原衆は鬼を使い捨てにしている。再び現われる可能性は少ないはずだ。それより宿敵豺牙の左腕を奪った事は特別賞に値する。

「うーん、私もそんなに欲しいモノ無いなぁ。うーん」夕姫は光明のせっかくの申し出に悩む。光明のご褒美なら大概の物はせびれる。この機会を逃す手は無い。

「輝虎君が今すぐ欲しいと言うのならあげるぞ」光明は冗談めかして言うが

「イエ、ソレはテルが正々堂々と勝ち取って欲しいので、良いです。後で後ろ指をさされたくないんで。コラ、ソコ!」バロンと弥桜が意味ありげにヒソヒソ話しているのにツッコむ。夕姫の地獄耳にやっぱり、とかそこまで進んでるんだ、とか聞こえた。

「じゃあ、衣類を少々。詳細は後ほど。トロフィーにしたいんで」妹達まで内緒話をし始めたのを睨みながら夕姫は話す。

「わかった。どんなのでもいいぞ。何ならウェディングドレスでも」光明は軽い冗談のつもりで口にしたが、意外なところから強い抗議が上がる。

「駄目です!夕姫ちゃんの結婚式は神社ウチでやるって決めてるんです。白無垢ならともかく、ドレスは駄目です!それに今仕立てても結婚式の時はサイズ合いませんよ」神社の娘が優先権を主張する。

「まだ大きくなるって言うのかい?」光明が不思議がる。確かに最近、夕姫のバストは急成長しているがドレスが合わなくなるほど、これから大きくなるとは思えなかった。

 弥桜は光明の側まで行き耳打ちすると

「なるほど。本当かい?」光明は聞いていないハズの白月に尋ねると、額に指を当てていた葛城の当主は意味深な笑みを浮かべ

「そのようです」ニンマリと夕姫と輝虎を見る。白月にも弥桜の言っていることが視えたようだ。

「…なによ」夕姫は自分の知らない未来についてニヤけてる三人に腹をたてる。聞いても底意地が悪いあの連中は答えまい。そこへ

「光明さん、よろしいですか」いつの間にか席を外していた龍光が戻ってきて深刻そうな顔で話しかける。

「少し席を外します。皆さんはどうか楽しんで下さい」そう言って光明は龍光と廊下に消える。


 21

 

「はあ~、でも、ウェディングドレスかぁ。バロン君はどんなのが良い?」弥桜がバロンにもたれかかって尋ねる。

「ブフッ!」突然の不意打ちにバロンは吹き出しそうになる。

「弥桜、私には神前で挙げろっていうのに自分は良いっていうのはどういう了見かしら?」まだ面白くない夕姫は突っ込むが

「ウチで散々他人の結婚式を脇で見ているもの、飽きちゃうわよ。夕姫ちゃんのは商売だから挙げてもらわないと困るけど」自分達は良いの、と言い切る神社の娘だった。

「学業の御守出してるのに成績は悪いは、自分のところで結婚式挙げたくないとか、ホントに親不孝ね。雪桜さん怒るの無理ないわ。で、バロンはどうしたいの?」相変わらず機嫌は良くないが、夕姫も女のコ、好奇心は有る。

「ええっ!か、考えたこともないよ。そうだなぁ、僕の両親は二人とも親と仲が悪くて、内緒でイタリアの教会で近くにいた友人を呼んで挙げたらしいよ。まったく参考にならないけど」

「なんか駆け落ちみたいねぇ」参考にならなさそうなのは同意する夕姫がうなずく。

「駆け落ち。ロマンチックぅ」夢見るようにため息をつく弥桜。

「うーん、どちらかと言うと家出中の二人が結婚したって言う方が合ってるかも」

「お母さまも?」バロンの母親は慈善家でお硬い真面目な性格に見えた。夕姫には楓の家出というのが想像つかない。

「ボランティア活動もお父さん、僕のおじいちゃんだけど、その人に反発してやり始めたそうだし」バロンは普段母方の姓を名乗っているが、祖父母には会った記憶がない。いくら不仲でも自分が産まれた時は見せに行っていると思うが。

「お祖父様って何やってる人なの」バロンの身辺調査書類に祖父母の事は載っていなかった。おそらく光明や真田竜秀は知っているのだろう。

「…うん、会社経営だって。藤林製作所って知ってる?」バロンが言いたく無さそうに口にする。

「あのCMやってる藤林製作所?超大手じゃない。じゃあバロン君のお母さま、大企業のご令嬢?やったじゃん弥桜、本当に玉の輿じゃない」藤林製作所は電子機器の優良企業だ。バロンの祖父はそこの経営者だ。父方の祖父、アレキサンドルは日本橋にビルを持つオーナーだが、藤林製作所の社長の資産とはもちろん比べ物にならない。

「ううん、私はバロン君さえ居れば良いの。お金は有っても困らないけど」そう言いながらも弥桜のバロンを見る目はお金色になっている。

 お金大好きな雪桜は知っていてバロンの婿取りに積極的だったのだろうか。

 バロンはクルトから貰ったお小遣いの件は、弥桜にも秘密にして置かなければとあらためて思った。

 弥桜には財産という背景無しに好いて貰いたい。大きな胸に目を奪われながら考える。

「でも海外で挙げるのも良いかも。ハワイとか、ううん、やっぱりヨーロッパかしら」夢見る弥桜は止まらない。

「友人には神奈川で挙げろっていうのに自分は欧米?随分虫が良すぎない?」夕姫は不満顔でツッコむ。

「でも夕姫ちゃん達は結婚式に遠出できないわよ。言っとくけど」また夕姫の知らない未来をたてに好き勝手な事を言う。

「本当に何なのよ、もう。テルゥ、弥桜がイジメるよぉ」夕姫は相方に助けを求める。

「でも、半分はテルさんにも責任が有るのよねぇ」弥桜が意地が悪い笑みを浮かべる。

「え?俺?」突然巻き込まれた輝虎はとまどう。夕姫の結婚式の話だから関係ないとは言わないが、そんな将来の話はピンとこない。

「そうなんですか、葛城さん?」白月とはあまり面識が無い輝虎だが、窮地から脱する為に尋ねるが

「そうねぇ、順調に行くとそうなるわねぇ。でも安心して。そうなるという事はすべて良い方向に行った証だから。ハァ、羨ましいわねぇ」白月は輝虎と夕姫の幸せそうな未来を垣間見、自分と比べため息をつく。そう、白月は難儀な恋をしているのだ。

「そうだ!せっかくだから吉野さん、私の将来視てくれない?」占術を生業としている一族の長とも思えない台詞を吐くが、自分の事は視る事が出来ないので実は仕方ない。

「ブフッ!」今度はヒイラギの隣で被弾したものがいたようだ。

 丹後はこの席で目立たない様、ヒイラギの供に徹していた。現場で白月を庇った事もヒイラギは良く思っていないのを知っている。

「ええっ!私で良いんですか?あんまり自信無いんですけど、うーん…」弥桜が目を瞑る。

「ものすごく周囲に反対されてますねぇ。あ、でも白桜分社で祝言しゅうげんをあげているのが視える。でも参列者はピリピリ緊張して一触即発みたい」

「け、結婚出来るのね?」白月は前のめりに確認する。

「で、でも、ものすごく大変そうで…」弥桜は困惑しながら答える。

 横目で見るとあからさまにヒイラギの機嫌が悪くなり、隣の丹後は青くなっている。

「良いの。結婚出来れば。これでスガルに行き遅れって笑われないで済むわ。じゃあ、式はお任せするわ」白月はヨシとばかり小さく拳を握る。

「あ、デジャヴュが有る。…ウチの親の結婚式だ。確か外の結婚式場で挙げた時、凰と真田が参列したんだけれど、あまりに殺気だってて、ヤクザの結婚式と間違われたとか聞いたわ。もう生まれてた赤ん坊の私が泣き止まなかったお陰で両家とも大人しくなったそうよ。…犠牲になっちゃった人達も参列してたのかなぁ」夕姫がしみじみ遺影の方を見る。

 今回の殉職者の多くは真田の縁者だ。蛟を始め、夕姫が顔を知るものも多かった。


 22


「こんなところで悪いが、バロン君達に行ってもらいたいところができた」戻って来た光明が開口一番に話す。

「北海道だ」


「でっかいどー!北海道ー!」千歳空港に降り立った弥桜は舞い上がっていた。

 家の職業柄、飛行機に乗っての遠出は初めてだという。旅慣れたバロンは苦笑いしながら弥桜を見守っている。

 輝虎と夕姫は複雑な表情を浮かべる。珍しく緊張しているようだ。

 何故なら全員今回のお務めでは宝剣の類を置いてきたのだ。


 北海道でのお務めの概要とスケジュールが伝えられられると、真田竜秀、龍光親子立ち会いの上、ある場所に連れて行かれた。

 真田屋敷の奥に有る巨大な蔵だ。蔵と言っても学校の体育館程の大きさがあり、地下も有る為にここでも迷うような広さが有る。

 夕姫が聞いたウワサでは一人で入ったら出られない。また、蔵のヌシが居て許可なく侵入した者は頭からバリバリと食べられてしまうという。 

 真田の蔵人衆はこの周囲に居着き、守っている意味合いも有った。

 ここには歴代の太刀守の宝物や宝剣、扱い切れない呪物、魔物さえも居ると言う。里で行きたくない場所の筆頭である。

 何をする為にそのような場所に来たと言えば、バロンのチームが所持する宝剣類を封印する為だ。龍臥山の雲龍から貰った宝剣を多数所持するバロンのチームはここにそれらを預けなければならない。

 蝦夷えぞの地は太刀守にとって特別な場所であり、いにしえの盟約により、怪等を脅かす道具を持ち込む事が許されていない。

 北海道でお務めが決まった四人はここに宝剣を預けることに決まった。

 バロンの龍神の剣、輝虎の雲龍の戟、夕姫の龍神の髭、弥桜が持つ星辰の剣と龍神の腕輪だ。

 地下の保管場所に向かうと誂えたような大きさのガラスケースが各々有った。まるで美術館の展示ケースだ。

「さあ、ここに置いてもらおう」竜秀が指し示すケースは照明が点いていた。

 バロンが龍神の剣を取り出しケースの台に載せる。真田の郎党がガラスカバーを閉めて、厳重に鍵を掛ける。

 輝虎の雲龍の戟は中でもひときわ長いケースに収める。バロンと輝虎の宝剣は呼べば手元に戻ってくるので厳重に固定された。龍神の髭や、腕輪はやや小さめのケースだこれらは呼び寄せられた事は無いが、念には念を入れてだ。

「この蔵は法術及び最新の技術も用いて霊的、法力等、あらゆる超自然現象に対する暗室となっている。太刀守の歴史上で対処出来なかった物品が収められている。この中に収めればどんなことが起ころうが問題は無い」竜秀がそう説明する。

 バロンが見渡すとボロボロの銅剣らしき物がガラスに封じ込められ納められていたり、禍々しい雰囲気の太刀が鎖でがんじがらめになっているケースが見受けられる。

 夜中にここへ来たら付喪神が宴会をしていそうな雰囲気が有る。長居はしたくない。

 よく見れば弥桜が真夏なのに寒そうに腕を抱いている。蔵の中は温度管理がされており、ひんやりとして気持ちいい位だが

「弥桜ちゃん、寒いの?」

「なんか背中がゾゾッとして。多分ここに有る品物のせいだと思う」弥桜は早く出たそうにしていた。


 蔵から出てきたバロンに光明が一振の太刀を持って待っていた。

「バロン君から龍神の剣を取り上げてしまったからね。それに君には金銭的なボーナスは意味が無さそうだし。これらは羅刹丸、現存する四本の内、朱羅刹と呼ばれているものだ。これは邪悪なモノを斬る為に打たれた。バロン君、君が持ちたまえ」光明が軽く差し出す鞘に収まった太刀はバロンが受け取るとズッシリ重かった。

「ああ、鞘も鋼造りなんだ。もし良かったら岩崎に言って軽いのを用意させようか」

「良いんですか?」バロンは部外者で未熟者の自分が里の宝物みたいな物を預かって良いのか恐縮するが

「もちろんだとも、里人が敬遠する蝦夷の地におもむいてもらうのに、この程度の餞別せんべつでは心苦しいが、通常の武具は可能な限り準備させる」

「そんなに怖いんですか、北海道って」バロンにとっては美味しい物や、風光明媚ふうこうめいびな場所が広がる観光地のイメージしか無いが、太刀守の一党には特別な禁足地だという。

「普通に遊びに行く分には何も恐れることは無いが、アソコは怪の居留地きょりゅうちになっていてね、法術の行使はもちろん、悪さをしない怪には手を出せない事になっている」

「どうしてです?」

「僕のご先祖、初代光明がそう決めてあの地の精霊と取り決めた。しかし、今回は被害が深刻だ。それに先方からも申し出が有った」

「先方?」

「あの地の精霊さんさ」


「まあ、狭…くは無いか、慣れないかも知れないが寛いでくれ」今回は女子と男子で投宿先を分けた。輝虎は実家にバロンを連れてきた。

「うん、テトラの家は渋いね」竹藪に囲まれた笹伏邸は武家屋敷の印象が強い。奥に茶室でも有りそうだ。実際に有るのは道場だが。

「お帰りなさい。あら、お客さん、富士林君ね。いらっしゃい。ウワサはかねがね聴いているわ」玄関を開けると輝虎の母、水無瀬みなせが出迎える。狭くない笹伏邸で玄関を開けると必ず水無瀬が出迎えるのはさすがだと思う。若い頃は腕がたったと聞く。

「おふくろ、今晩バロンを泊めてやってくれ」

「ええ、大丈夫よ。客間に通してあげて。後でお布団渡すから。でも輝、こういう時は先に連絡しなさい。お客様に失礼が有ったら困るじゃない。富士林君、嫌いな食べ物は無いかしら」

「ええ、特に無いです」バロンは世界で色々なモノを口にした為、日本で出される料理では食べられないモノなど無い。しかし、笹伏家で用心しなくてはならないのは質より量だった。


 23

 

「うわー、これ何人前ですか」バロンは笹伏家の食堂、通称バイキングの間の大テーブルに広がる、宴会料理のような大盛りの夕飯に驚く。

 夕姫の家でも大盛りの食事がふるまわれたが、こちらは本当にバイキングが食べる量だ。

 バロンはなんだかジャックと豆の木の巨人の家に迷い込んでしまったような気がしてきた。

「輝が友達なんて連れてくるからオバサン張り切っちゃった」水無瀬がニコニコと笑いかける。

 バロンの館の三雲の料理も家庭料理だが、水無瀬の料理はより庶民的かつ動物性タンパク質が多い。

 やがて当主の虎実、三男の昭虎が現れ言葉少なげに挨拶を交わし、食事を始める。昌虎はまだ帰宅できないようだ。

 

「そうなのよ、ウチの男どもは口が少なくてねぇ」食事中は一家の唯一の女性である水無瀬ばかり喋っていた。

「いえいえ、男は不言実行が格好いいですよ。輝虎さんは口に出さなくても細かい気配りをしてくれますよ」バロンはこの母親相手では輝虎も会話しづらいだろうと思った。輝虎は学校などでは社交性が高いのだ。

「まあ、アナタ、輝が気配りですって。親の知らないところで子供って成長してるのね」


「輝、ちょっと良いか」虎実が居間にいた輝虎に声をかける。バロンが入浴に行っている時だった。

「なんだよ、おやじ、あらたまって」いつになく神妙な顔つきの父を怪訝な顔で見返す。

「少し確認したいことが有ってな。付いて来い」


 父に付いて行った先は奥に有る、開かずの間と呼んでいる戸の前だった。

「おやじ…ここは…」輝虎も虎実が何を見せたいかわかった。

「もう知っているかもしれんが、ここに先祖代々守ってきたモノが有る」そう言って虎実が戸を引くと、電灯も点いていない部屋に黒い竿状のものが部屋を横切っていた。窓も他の入口も無いその部屋は天井、床と壁まで黒光りする板張りだった。目が慣れてくるとその竿状のものは頑丈そうな台で支えられているのがわかった。竿に見えたものは角柱らしく、言ってみれば巨大な一本箸のようだった。

「おやじ、これは」凄まじい気を放つ黒い角柱だったが輝虎は似たものを既に知っていた。

「ここは、しきたりで当主と当主が認めた者しか立ち入ることが許されていない。母さんさえも入れたことはない」虎実は部屋に進み、笹伏家伝来の黒い槍を持ち上げる。槍と言ってもすべて一体の金属で出来ており、穂と柄の境もない直線で構成されている。

「う、重くなったな…」虎実の腕には相当に力が入っている。試しが終わりすぐに台に戻すと

「輝、持ち上げてみろ」虎実は息子に試せと命じる。

「俺が?」輝虎はまさかと思ったが、黒い槍は竜王の戟と同様に物理法則を無視して軽々と持ち上がった。

「やはりな」虎実は納得顔で頷く。

「どうして…」笹伏流の槍術を捨て、竜宮流の戟術をとった輝虎には、この宝剣が持ち上がった訳が理解出来なかった。

「お前は竜王の戟も引き抜けたのだろう?言い伝えでも複数の宝剣を持ち上げた者はいない。この槍は道勘も持ち上げられなかった。つまりお前は二つの宝剣を伝承する可能性が有るということだ」

「兄貴達は?」輝虎は最もな疑問を口にする。

「光は持ち上げられた。昌と昭は駄目だった」虎実は寂しそうに答える。

「ということは?」

「光になんかあった場合はお前がこの黒き槍を継ぐんだ」

「おやじ、それはダメだ。俺は竜宮流を継がなきゃならないし、そうでなくても俺は夕姫んちの婿になるつもりで…」輝虎は慌てふためいて断ろうとするが

「槍も家も継がなくて構わん。万が一の時はコレを持ち上げられる者が現れるまで預かれば良いんだ。俺もすぐにはくたばる予定も無いしな。それより北海道に行くんだってなあ。気を付けろよ。あそこは太刀守の鬼門だ。お前も宝剣を置いてかせられたんだろう。コレを見せられた上は絶対に無事に帰ってきてもらわなけりゃならん」

「大げさな。全員無事にお務めを果たして帰ってくるって。…アレを持ち上げられた俺になんかあると困るのか?」

「笹伏の長い歴史でも色々有ってな、兄弟で複数の者が担い手として認められると、なかなか厄介な例が言い伝えられている」

「厄介って?」嫌な予感がしつつも尋ねずにはいられなかった。

「嫡男と弟が持ち上げられたことが有ったんだが、嫡男は家督を嗣いだ途端に早逝そうせいしてしまった」

「縁起でもない」

「他には当主は長生きだったが、子が出来なくて担い手と認められた弟の子が跡をいだ事が有った。俺は今回、後者だと思っている」

「光兄はまだ若いぜ。これから良い人見つけてバンバン子供作れるだろう」

「しかし、アイツは変に真面目だからな。今回の入郷禁止も光自身が言い出した事らしい。今度なんか有ったら『俺は子を設けん』とか言い出しそうな…」

「驚いた。おやじこんなに喋られたんだ…」

「ばかやろう、何か話そうとするとお前が逃げて回ってたんだろう」

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