第7話 駿馬の憧憬 後編

 17

 

「じゃあ俺、今日も用事有るんで先帰るわ」放課後になると輝虎は昨日と同じように走って帰ってしまった。

「良いの?帰しちゃって」夕姫は女子更衣室で何やらガサゴソやっている弥桜に問いかける。弥桜は輝虎へ鏡子の神社に行く旨を伝えたが、あえて同行を求めなかった。

「こちらがスキを見せなければ乗ってこないわ」弥桜はそう言って女子更衣室に籠もる。朝の登校時に持ってきていた忍者装備を身に着けているようだ。

「本当に坂田さんが敵になるとでも?考えすぎじゃない?」確かに鏡子の心身は壮健(胸は弥桜には劣るが夕姫よりははるかに大きい)に見えるが、一緒に受けた体育の授業で見た限り体捌きは夕姫どころか、弥桜にも及ばないようだった。ワザと隠していない限り、弥桜の星辰の剣とペンタの前では歯も立たないだろう。

「…絶対よ。ここまで予見の内容が成立していれば間違い無いわ」そう言いながら更衣室から出て来た。弥桜はサマーカーディガンを羽織り、タイツまで履いている。下に忍者装備を身に着けているのだろう。この真夏にはたから見れば暑苦しいだけだが念のいったことだ。夕姫は里支給の学生服しか無い。

「さあ、行くわよ」弥桜は緊張した時のクセなのかくちびるをなめ、校門に向かう。先日からおどされているが全く実感のない夕姫は肩をすくめる。


「ウチは古いだけで何の取り柄も無い神社なんだけれどもね…吉野サン、暑くないの?」鏡子はカーディガンを羽織って大汗をかいている弥桜を見て思わず突っ込む。

「え、ええ、もちろん大丈夫よ。ちょっとカゼ気味でね」夕姫から言わせれば見え透いたウソを弥桜は口にするが、鏡子が小さくガッツポーズするのを見た。やはり鏡子は二人を罠にかけるつもりなのだろうか。夕姫が悩んでいるうちに赤い鳥居が見えた。夕姫にもわかる結界の気配が感じられる。弥桜がよろけるフリをして電柱の後ろへ影の中からペンタを逃がす。あの結界では影の中にいても化け猫はただで済むまい。しかし、誰があの結界を維持しているんだろうかと弥桜は思った。鏡子は無能力というほど力が無いわけでもないようだが、ペンタ程の大妖怪の力を抑制する結界を離れた外から維持するだけの法力は感じられない。しかし弥桜には鏡子の匂いがこの結界から感じられた。鏡子の親が張っているのだろうか。

 境内の外からでも重厚な作りの本殿や脇に建てられた大きな道場が見えた。道場の側に停められた大型のバイクに夕姫は見覚えを感じた。

「実は今日、両親とも出掛けていないんだ」三人とも鳥居をくぐり抜けると鏡子は振り返り、イケナイお誘いをするかのように告白する。しかしその顔には悪そうな笑みが張り付いているようにも見える。

「着替えてくるから、その辺見ながら、ちょっと待ってて」そう言い残し、鏡子は古い木造の住宅に入っていく。弥桜が来た道を振り返るとカラスに变化したペンタが電線にとまってこちらを見ている。

「ねえ、本当に坂田さんを疑っているの?」夕姫が小声で弥桜に確認する。

「そうよ。準備して」弥桜はもう臨戦態勢らしく辺りを見回している。銅葺きの古い本殿やその脇に小さなお堂がある。参道を挟んで反対側に道場らしき建物が有る。しかし道場?神社に?夕姫が疑問に思っていると道場に人の気配を感じた。

「おまたせ」緋袴の巫女装束に着替えた鏡子が出てきた。同業者の弥桜から見ても非の打ち所がないほど似合っている。しかし手には矢筒のような物を持っている。

「紹介するわ。兄の龍剣」鏡子がニッコリ笑って道場を指し示すと、強烈な気とともに二人の間の地面に槍が飛んできて突き立つ。慌てて夕姫と弥桜は槍から飛び退いた。道場の入口には槍を投げたと思しき長身の男が立っている。

「よう、また会ったな、と言っても顔を見せるのは初めてか。龍剣だ」女王カマドウマを倒したライダーは槍を取りに大股で歩み寄る。

「ず、ずいぶんな、おもてなしね」予想外の展開に夕姫が動揺しながら吐き捨てると

「なあに、もてなしはこれからさ。鏡子、俺は凰の方をヤる。お前はお前の敵を打つがいい」そう言って十文字槍を引き抜き、夕姫に向って構える。

「というわけで付き合ってもらうぜ」

「勝手な言い分ね。弥桜、大丈夫?」鏡子の相手を指名された弥桜を見るが、すでに鞄を置いて星辰の剣を構えていた。

「仲間の心配している場合?兄は強いわよ。吉野サン、色々言いたいことは有るけど…行くわよ」鏡子は革の筒から符を引っ張り出し、弥桜に投じる。三枚もの符は弥桜に張り付くと爆裂する。

「弥桜!」夕姫は叫ぶが

「オマエはこっちだ」龍剣が十文字槍を大振りする。夕姫は再び飛び退きながら、鞄に忍ばせた小太刀二本を引っ張り出す。爆発の煙が晴れず弥桜の安否はわからないが、夕姫は分断される。

「それからおじゃま虫も消えてねッ!」鏡子は続けて空に向って符を飛ばす。すると符は生き物のように空を切り電線にとまるカラスに向かう。鏡子はペンタの存在に気付いていたのだ。ペンタは慌てて身を翻して電線から飛び去ろうとするが符は更に追従して破裂する。

「ペンタッ!」夕姫の目にはペンタの至近で爆発が見えた。あれでは無事では済むまい。

「おいおい、ずいぶん余裕が有るじゃないか」そういう間にも龍剣は十文字槍を振り回し夕姫を追い立てる。夕姫は双剣を構えるが間合いが違いすぎるし、恐らく龍剣の振るう槍は威力が強すぎて受けきれまい。せいぜい受け流すのが精一杯だ。最近は双太刀の習得のために輝虎から稽古を受けていたが、彼は夕姫に合わせ、木刀で相手をしてくれていた。

(こんな事になるならテルに戟でも稽古をつけて貰えば良かった)と夕姫は思ったが後の祭りだ。更に夕姫は道場に誘導されている事に気づく。

「しまった!」


「…やっぱりあの程度では始末出来なかったのね。なかなかしぶといわねぇ」爆発の煙がおさまるとそこにはサマーカーディガンとチェックのプリーツスカートの残骸が落ちていただけだった。符には人間を殺傷する程の威力は無い。

「だまし討ちするようなワルイ人は正義の忍者、八重影がお仕置きしちゃうんだから!」忍者装備を整えた弥桜が星辰の剣を構えて現れる。キングスレイマーン号のモノから更に発展したバージョン3だ。真田龍光から譲り受けた鉢金も装備している。

「…アンタ恥ずかしくないの?って言うかなんで忍者?巫女じゃないの?」恥ずかしい格好の完全武装の弥桜を見て鏡子は呆れる。

「恥ずかしくないの!私は巫女である前に正義の忍者なの!悪の巫女より良いじゃない!」突っ込まれた弥桜はぷりぷり怒る。

「正義の忍者?アニメの見すぎじゃない?でもコレで…!」鏡子は再び筒から符を取り出し弥桜に飛ばす。弥桜は二度もその手に乗るもんかと手にした剣でなで斬りしようと符を迎え撃つ。しかし爆発すると思われた符は星辰の剣を包み込むように貼り付く。よく見れば符の色も先程までのものとは異なっている。

「悪いけどそのインチキ剣は封じさせて貰ったわ。その符は三日は剥がれないから。わかっているわよ、その剣とさっき撃ち落とした使い魔がいなければアンタの法術なんてたかが知れてるって」鏡子はワルイ笑みをもう隠そうともしない。


 爆発を受けたペンタはまだ落ちていなかった。かろうじて直撃を免れたペンタは助けを求めミネの下宿へと急ぐ。この時間ならまだ輝虎がいるはずだ。しかし構造が弱いカラスの姿で至近の爆発を受けた為にペンタのダメージも大きい。下宿へ急行するのがやっとだ。

(もてよ、ミオとユキがこのままでは…)ペンタは必死に慣れない黒い翼を羽ばたかせる。


 19


 道場へ追い込まれた夕姫は焦燥しょうそうにかられていた。確かに弥桜の言った通り、弓を持ってきたとしても身を護れなかっただろうが、夕姫の剣では龍剣の槍にいいようにあしらわれている。龍剣の槍は業物らしく、里の岩崎工房謹製の強化制服のブラウスやスカートがやすやすと切り裂かれていく。

もてあそばれているな…)額にイヤな汗を浮かべながら夕姫は思う。これだけ服を切り裂かれているのに、未だ夕姫はケガらしいケガを負っていない。夕姫は小太刀で槍をいなしているように見えるが、それすらも龍剣の手のひらの上で操られているように思えてくる。その証拠にいなしたはずの穂先が夕姫の制服の切り裂きを増やしていく。制服の切り裂かれた穴からすでに下着が覗いている。

(かー、これかー。弥桜が新しい下着を身に着けておけって言ってたの)余裕の無い夕姫ではあったが、こんな時であるのに頭の中は明晰めいせきであった。

「どうした。太刀守の剣術はこんなものか?」夕姫をまったく脅威に感じていない龍剣が次は制服のどこを切り裂くか考えて舌なめずりをする。龍剣は自分好みな気の強い女性を追い込んでいることに、いささか興奮していた。

「うっさいわねぇ。ヘンタイ!」弄ばれている事がわかっている夕姫は、もう少し身を入れてに家伝の鳳凰の型を習得しておけば良かったと後悔する。そしてこの状況に幼い頃、父龍成たつなりに剣の稽古を受けた時のことを思い出す。龍成は娘達にはめっぽう甘いが、剣術については一切手を抜かなかった。ウワサでは若い頃の龍成は里でも上位の腕の持ち主だったそうで、母茜から見せられた鳳凰の型をすぐに理解、習得した上に伝承により欠落した型や欠点を補ったそうだ。その型を龍成は夕姫に伝授しようとしたが、弓箭が得意だった娘は、いつもは優しい父の過酷な稽古に苦手意識を持ってしまい、そうそうに剣を置いてしまった。しかし長女が断念した凰家の家伝は次女の紅が習得に励んでおり、小学生にして皆伝する勢いだ。

(せめて紅の半分でも身についていれば、もう少しマシだったのに)夕姫は思わず歯噛はがみする。しかし夕姫は龍剣が攻撃に移るとき一瞬だがふところにスキが出来る事に気付く。クセなのだろうか。

「ほらほら後が無いぞ。もう服も切るところ無いしな」すでに龍剣の指摘通り夕姫の制服はズタズタに切り裂かれており、ボロがぶら下がっただけになっている。焦った夕姫は龍剣がまた槍を突きこもうとする瞬間を見て、ついに隠し持っていたクナイを胸部のスキに向って全力で投擲する。龍剣が負傷するかなど埒外らちがいだ。夕姫にとっては乾坤一擲けんこんいってきの一撃だったが龍剣はあっさり槍の柄でクナイを弾き返す。

「やはりな。しかしこれでもう打つ手もあるまい」龍剣はワザとスキを作って夕姫の奥の手を引き出したのだ。

「チッ!」夕姫は舌打ちして勝ち誇る龍剣に向って斬りかかるが二本の小太刀は跳ね飛ばされてしまい、更に槍の石突で突き飛ばされ道場に転がる。

「イタタ…ウッ!」仰向けに倒れた夕姫は体を起こそうとするが首元に十文字槍の穂先が迫っていた。

「勝負あったな」龍剣が宣言する。


「フッフッフッ、こんな事で私を倒せると思っているとは笑止千万しょうしせんばん。この剣に頼らずともこの八重影、絶対に負けない。私は正義の白い影、科学忍者なのだから」弥桜は封じられた星辰の剣をあっさり手放し、背中からチタン製の忍者刀を引き抜き、逆手に構える。

「そう、そう簡単にはいかないと言うわけね。でもいつまで持つかしら」弥桜がすぐに泣いて降参するかと思った鏡子は苦笑いするがまだ余裕が有った。境内に張られている結界のおかげで弥桜は法力が満足に使えないはずだし、この神社は隅から隅まで知らないところは無いホームなのだから。弥桜達がこの神社に踏み入れた瞬間に坂田兄妹の勝利は確定したと思っている。鏡子は更に筒から爆裂符を引き出し白い忍者マニアに飛ばす。

「こんなモノ何度も喰らうもんですか!」弥桜は忍者刀を振るい迫る符を斬り捨てる。テニス部やバトミントン部の助っ人は伊達にやってなかった。

「なんでよ!さすが頭は悪いけど運動神経だけは良いわね」まさか符をたたき落とされるとは思わなかった鏡子は悔しがる。

「今度はこっちから行くぞ」弥桜は忍者服の隠しからクナイを引き抜き投擲する。しかしクナイは鏡子をわずかに逸れる。

「どこ狙ってるのよ…キャア!イタタ、…危ないわね!殺す気!」鏡子を外したハズのクナイは彼女の至近で破裂する。それもナニか入っていたため鏡子は痛みを感じる。

「殺しはしない。どうだ?スタンクナイの味は?」弥桜は手水舎の陰に走り込む。弥桜が投げたスタンクナイは対人用の非殺傷武装だ。敵の至近で破裂し、ゴム球が目標を襲う。

「もう容赦しないわ。喰らえ!」ゴム球を浴び、頭にきた鏡子は釣瓶打つるべうちに符を放つ。しかし弥桜が盾にした手水舎てみずしゃの柱を壊し、屋根を落とす。

「しまった!」

「良いのかな。壊しちゃって」八重影が挑発する。

「アンタが身代わりにしたんでしょ!もうチョロチョロ動かないで」怒り心頭の鏡子は更に爆裂符を連発する。弥桜は手水舎の残骸や石碑等を盾にしたり、忍者刀でたたき斬りながら回避する。合間にスタンクナイを投げるがまだ短い付合いとは言え同級生に怪我をさせまいと手心を加えてしまい、ノックアウト出来ていない。道場に追い込まれた夕姫が心配だ。先程まで鳴り響いていた剣戟けんげき音が聴こえてこない。もし夕姫が龍剣を倒していたならば、すぐに出てくるはずなので彼女の身にナニか有ったのかもしれない、と弥桜は焦る。

(ペンタちゃん急いで!)黒猫との契約のおかげでペンタがかろうじて動け、救援を呼びにいった事を知っている弥桜はペンタの無事と一刻も早い輝虎への救助要請を心の中で願う。


 20

 

 下宿に着いた輝虎は着替えるのも惜しんで出掛けるために犬神を探していた。犬神は駐車場でバンの整備をしていた。

「よう、帰ってきたのか。いよいよだな」手についた汚れを拭いながら犬神が体を起こす。

「ええ、よろしくおねがいします」

「夕姫達は?」

「同級生の家に。神社だって聞いています、ってアレは?」輝虎が空の異変に気づく。一羽のカラスがフラつきながらこちらに向かってくるのだ。カラスは輝虎にぶつかりそうな勢いで落ちて来るが、ぶつかる直前にポンと黒猫に姿を変え、輝虎の胸に飛び付く。

「どうした?ペンタ。吉野さんは?」輝虎はペンタを受け止めると弥桜の状況を尋ねる。ペンタは再度变化し、いつもの少女姿になると

「ミオとユキが襲われた。サカタキョウコの神社で待ち伏せされた。女王カマドウマを倒した男もいた」それだけ言うとペンタは崩れ落ちる。すかさず輝虎が受け止める。

「…なんだと…すまない犬神サン、例の件は後回しだ。ペンタを頼む」それだけ言うと血相を変えた輝虎は身を翻して電光石火のごとく下宿を飛び出していく。

「…行っちまった…ペンタ、大丈夫か?」もう長い付き合いになり、多少なりとも愛情が湧いていた化け猫を犬神は抱え上げる。

「…ハラが…へった…」鏡子の符のダメージとここまでの強行軍によりペンタはエネルギー切れ寸前だった。

「わかった。…ミネさん!なんかすぐに食えるものないか?」犬神は下宿の台所にいるであろうミネに叫ぶ。


「こんなものか?太刀守の技は」夕姫に勝ち誇る龍剣はなおもなぶろうとする。

「私がチャンバラを下手なだけよ。…こんなことをしてなんのつもり?」夕姫はにじって下がりながら尋ねる。

「オマエとはついでさ。オマエには笹伏をおびき出すエサになってもらう。…そうだな、笹伏を倒したあとは愉しませてもらおうか」龍剣は夕姫を値踏みするように見下ろす。その目つきを見て夕姫は嫌な奴を思い出した。髪を伸ばし始めた中学生の頃に、初めて輝虎の兄たちと挨拶を交わしたのだが、ニコニコ笑っていた虎光とは対照的に次兄の昌虎まさとらはまるで自分に合う服を選ぶような目つきで夕姫を見た。性格が悪そうな事も相まってすぐに嫌いになった。昭虎あきとらは思春期の男子らしく好色そうなだけだったが、まだマシだった。龍剣の体格も夕姫に昌虎を想起させる。

「…テルは強いわよ。笹伏の現当主を倒したくらいなんだから。アンタなんて絶対勝ってこ無いわ」夕姫は悔し紛れに憎まれ口を叩く。しかしいざっていたが道場の壁に行き当たり、とうとう後が無くなった。

「ほう、それは面白い。ではヤツを倒せば笹伏を下したのと同じか…ウン?」龍剣はすでに下着が露出するほど切り裂かれた夕姫の胸元に光るモノを認める。ソレを器用に槍の切っ先でちぎり取る。

「アッ!ソレは…」夕姫は奪い去られた輝虎から貰った指輪に手を伸ばすが

「ヤツから貰ったのか。高校生がアクセサリーなどいかんなぁ」龍剣は指輪を道場の床に落とすと槍の石突で突き潰す。

「……!」声にならない悲鳴をあげた夕姫の頬に涙が溢れる。

「気にするな。これからもっと大事なモノを奪われるんだぜ。そうだな、オマエが俺のオンナになるならもっと上等なものを買ってやるぜ」夕姫の泣き顔を見ることが出来、興奮した龍剣は饒舌になっていた。

「殺す、絶対に殺してやる…」夕姫は食いしばった歯の隙間から怨嗟えんさをもらす。

「そうか?そんなことより自分の心配をしたほうが良いぞ」龍剣はとうとう夕姫の下着まで切り裂こうと槍の穂先を突きつける。


 坂田兄妹の八幡神社の鳥居を抜け、石畳を巻上げながら制動をかけた輝虎は境内の惨状を見た。奥の本殿とお堂は無事のようだが、手水舎や石碑、欄干らんかん等が壊れており、煙を上げている場所も有る。爆発音の発生源を見ると弥桜と鏡子争っているようだった。武術家としては埒外らちがいな戦闘に見える。

「笹伏君、道場に行って!夕姫ちゃんが槍を持った坂田兄に追い込まれて、さっきから戦闘音も聞こえないの。ここは大丈夫だから、早く!」輝虎の猛烈な到着に気付いた弥桜は夕姫の安否確認を急がせる。しかし

「ずいぶんと余裕ね…スキあり!」鏡子は輝虎に気を取られた弥桜にチャンスとばかり、爆発符を再び釣瓶撃ちする。

「しまったっ!キャッ!」弥桜は符を忍者刀で打ち落としきれずに受けてしまい、大きな胸で爆発が起きる。

「や、八重影さん!」大きな爆炎を見て輝虎は弥桜に声をかけるが爆炎の中から反撃のスタンクナイが鏡子に飛んでいく。

「な!イタイ、イタイ!なんでよ!直撃だったでしょ!」思わぬ反撃を受け憤る鏡子。

「いいから行って」爆煙が晴れ、忍者服の胸部分を失った八重影が現れて輝虎を促す。輝虎は振り返りつつも道場に向かう。

「フッフッフッ、この忍者服には攻撃を吹き飛ばす機能があるの」里の岩崎工房の若手を中心とした男性陣による、採算さいさん度外視どがいしし、技術の粋を注がれた忍者装備には近代戦車にも使用される爆発反応装甲の技術が採用されている。さすがに装束の下の耐刃アンダースーツでも、そのままの爆発装甲を受け止めきれないので、対怪、対人用にスタンクナイの様にゴム球を火薬で飛ばし、攻撃を跳ね返す仕組みになっている。弱点と言えば攻撃を跳ね返す度に忍者服が吹き飛び面積が少なくなることだ。今も反応した胸部はアンダースーツが露出している。

「なんで女子高生がそんなモノ身につけてるのよ!」鏡子の怒りのネタは尽きない。こんな非常識で武闘派の巫女とヤり合うとは思いもよらなかった。予定では爆発符数枚でノックアウトし、泣いて謝ってくるはずだったのだ。弥桜の普段の姿、スポーツは出来るものの、お嬢様らしいおっとりさからは想像出来ない事態だった。自慢の爆発符も効果が発揮されていない。

「…えっと、愛と正義の使者だから?」理由など自身でも考えたことなどない。

「今思い付いたでしょ!」

「そうねぇ、支援してくれる人達ファンが多いのよ」言い合っている間も丁々発止ちょうちょうはっし、符やクナイの打ち合いや回避は続いている。八重影はアウェイであることを逆手に取って建物や植栽を盾にしている。鏡子も自宅を壊すのは気が引け、攻撃の手が鈍る。

「なによファンって!…取った!」しかしホームであることを有効活用し、先回りした鏡子は至近から八重影に符を投じ、爆発させる。

「…やっぱり人徳かしら?」しかし八重影の声は鏡子の背後から聴こえた。

「なんで…キィあアあ!」弥桜が十手型のスタンガンを鏡子に押し付ける。

「忍法、分身の術」鏡子が倒したと思ったのはビニールを膨らませた弥桜の身代わりだった。よく見ればヒトを小バカにした造作ぞうさくだ。

「痛いじゃないの!」鏡子は軽くしびれたが、まだ動けた。加護のおかげだろう。

「おかしいなぁ?ちょっと手加減しすぎたかなぁ?えっと、じゃあダイヤル最強、鬼モードと…」八重影が試し打ちをすると強烈なアークが発生する。あんなのを食らうのはどう考えても御免被りたい。

「ちょっと、冗談じゃ無いわ!…そっちがその気なら、こっちも奥の手使わせてもらうわよ」そう言いながら鏡子は色の異なった符を放つ。八重影が住居の陰に逃れると着弾した建屋に電撃が走る。

「そらそら、当たったら大変よ」形勢逆転とばかりに勝ち誇る鏡子だった。

「当たらなければ、どうということもないわ」八重影は新しい効果の符の力に閉口し、回避しながら考えた。アレ程の符の力を発動しつつ、境内の結界を維持できるものだろうかと。鏡子からはそこまでの強いチカラを感じ取れない。符は今、不在と言う親が作り置きしていたのだろうか。これだけ強力な攻撃符は雪桜でも作れるかどうか。ナニかカラクリが有るに違いない。八重影は本殿の脇に在るお堂を睨む。アソコが怪しい。致し方無い。アソコを調べられるように、やりたくは無いが鏡子を無力化する為に、こちらも奥の手を使おう。


 21


 下着を剥ぐ為に迫る十字槍の柄を夕姫は掴んで防ごうとするが体勢はもとより、物凄い怪力で龍剣が突きつけてくる。夕姫のブラは風前の灯火に見えた。

 (たすけて…テル…)それでも夕姫は助けを求める言葉を上げなかったが

「ユーキ!!」龍剣がカギを掛けた筈の道場の入口が吹き飛ぶように、たたき開けられた。引き戸が飛んでいく。

「テル!」夕姫は安堵あんどしたせいか見せまいと思っていた涙があふれる。

「貴様ァ…」輝虎はあられもない姿の夕姫を見て激昂げきこうすると思ったが、自分でも驚くほど冷静だった。道場に上がるために、全速力で走り金属補強入の靴底がスリ減りきった装甲ブーツを脱ぎ始める。

「よう、早かったじゃないか。もう少しオマエのオンナを可愛がってやろうと思ってたのによう」龍剣は先程、夕姫の泣き顔を見られた時より嬉しそうに輝虎に向って笑おうとするが、引きつる。輝虎の静かな怒りが伝わってきたのだ。

「言っておくが以前こいつをいた馬面のでくのぼうは血の海に沈んだぞ。…これでも使え」輝虎はシャツを脱ぎ上半身裸になるが、脱いだシャツを夕姫に向って放る。

「ほう、ずいぶん修羅場を潜ってきたみたいだが得物も無しでどうする?」古傷だらけの輝虎の軀を見て感心する龍剣だった。しかし笹伏の槍と戦ってみたかった龍剣は徒手空拳の輝虎に不満だった。すると輝虎は入り口に向かって手をのばす。

「そんな事…来い!」輝虎が叫ぶ。


「まったく、あたしゃあやかしにメシを出すことになるとは思わなかったよ」ミネは腰に手を当ててペンタの食事を見下ろす。犬神に頼まれたので致し方なく、ペンタに今晩のおかず用に用意していた鳥肉で山盛りのから揚げを用意した。ミネの前でみるみる山が小さくなっていく。

「…そうか、モグ、いい経験に、モグ、なったな、モグ」日中、バロン達が学校に行っている間、弥桜の影に入るのが飽きたときは下宿でゴロゴロしているので、ミネもペンタの存在を知っていた。

「すまないね、ミネさん。コイツも頑張ったらしいからねぎらってやってくれ」犬神がミネをなだめる。その時、輝虎の部屋の方向から爆発音が聴こえた。

「なんだ!」

「ぬう」

「ああ、テトラが龍から貰った戟を呼んだんだろう、モグモグ」ペンタは動じずにから揚げを消費していく。


 雲龍の戟は宙を飛び輝虎に向かっていく。八幡神社の結界も切り裂き、道場に飛び込んでいく。輝虎も呼べば戟が手に戻って来ることに最近気付いた。戟の柄は伸ばした輝虎の手に収まる。

「…驚いたな。宝剣とは聞いていたがここまでとは」輝虎の見事な得物に龍剣に若干の焦りが生じる。

「…やりがいが有りそうだ。俺の槍も法師斬りと呼ばれる大業物だ。流派は浅間流せんげんりゅうと聞いている。最強と言われる笹伏の槍とやりあってみたかったぜ」龍剣はそう言って輝虎に向って構え直し、舌舐めずりする。

「…二つ訂正するが、俺は笹伏槍術を破門されている。俺の今の流派は竜宮流戟術だ。それから貴様は一方的にやられるだけだ」輝虎は構えもしない。輝虎の大きなシャツを羽織った夕姫が見守っている。いわゆる彼シャツ状態なのだが輝虎も夕姫もそんな事を気にする状況ではなかった。

「ほざけ!行くぞ!」輝虎が余りにバカにした態度をとるので逆に激昂した龍剣が突きかかる。輝虎も夕姫と同様に昌虎を想起そうきしたが、すでに下した兄に似通にかよっていようとまったくプレッシャーにはならなかった。


「まったく、ちょこまかと…」鏡子は建物の影に隠れる八重影を探していた。この数分見失ってしまっている。また何か企んでいそうだ。早く見つけないと。すると拝殿の角を曲った足元に白い忍者服が落ちていた。

「?」疑問に思った瞬間に何かが忍者服目掛けて飛んできた。それが忍者服に突き刺さると大爆発が起きた。

「キャアー…」鏡子は忍者服に仕込まれた爆発反応装甲のゴム球を全身に受け気絶する。ゆらりとセパレートのアンダースーツだけになった八重影が出てくる。露出度が高まりスゴイ格好だ。まるで…

「成敗っと。良い子は真似しないように」八重影は全身の忍者服を外して対人地雷代わりにしたのだ。殺傷能力は無いのは知っている。せいぜい打ち身くらいのはずだ。しかし後味が悪くなるので龍神の腕輪で鏡子をいやし、粘着テープで後ろ手に拘束しておく。

「そこに居るんでしょ。出てきなさい!」八重影は拝殿脇に在るお堂に向って叫ぶ。


「拾え」輝虎と龍剣の一騎打ちは宣言通り一方的であった。輝虎は数合も打ち合わず龍剣の十字槍を跳ね飛ばし、拾わせるということを続けている。龍剣は屈辱くつじょくを感じていた。物の怪退治では遅れを取ったことは無かった上、腕慣らしと称して行った他流試合でも負けたことは無かった。しかし輝虎相手ではまったく歯が立たない。すぐにわかったが輝虎は手加減しており、龍剣を痛めつける為に何度も槍を拾わせているのだ。龍剣は使うことは無いと忘れていた、妹に渡されたモノを思い出した。心身に悪影響があるとしてイザというとき以外は使用を禁じられていたものだ。

「やむをえん…」龍剣は懐から御守り袋を出し、袋を破り捨て中身の符を飲み込む。ガツンという衝撃とともに全身が燃えるように熱くなる。視界が赤く染まる。

外法げほうか」輝虎が見下すが

「ガァーッ!」顔中に血管を浮かべ、獣の形相で十字槍で輝虎に突きかかる。それまでの数倍の速度と力が乗った切っ先を輝虎はかろうじて受けるが、すぐに二撃目、三撃目と続く。輝虎もこれまでのように余裕を持って、いなせられず、防戦一方となる。傍で見ている夕姫にも二人の剣戟が目で追えなくなってきた。輝虎はスキを見て一旦飛び退く。

「仕方無い。俺も奥の手を使うか。いいか、歯ぁ食いしばれよ。…ユーキ下がってろ」輝虎は再び襲いかかろうとする龍剣に今度は戟を構え

「竜宮流奥義、竜王撃!」輝虎の叫びとともに強烈な一撃が放たれる。


 22


「…どうしてわかったの?」小さなお堂の障子が開けられ、中から鏡子に顔のよく似た細身の少女が出てくる。いかにもか弱そうだ。

「勘ね。鏡子ちゃんはそれほど法力がなさそうだもの。爆発符はともかく、電撃符を行使するのは力不足だと思ったの。この結界も剣の封印もアナタでしょ」八重影は言い当てる。

「そう、気づいてたのね。私は珠子。鏡子の双子の姉よ。降参するわ」珠子は諦めた表情で両手を上げる。その時凄まじい爆音とともに道場の壁を突き破り、龍剣が叩き出される。

「兄さんも敗れてしまったようだしね」地面に仰向けに倒れた龍剣を見て敗北を宣言した。


「……」

「……」一段落して顔を合わせた夕姫と弥桜はお互いスゴイ恰好なので言いたいことは有ったが何も言えずにいた。

「吉野さん。まるでSエ…」輝虎が口に出しそうになったが夕姫に口を塞がれた。

「…いい?世の中には言わなくて良いことが有るの」彼シャツの夕姫が輝虎に言い聞かせる。

「今日は散々だった。坂田兄のせいで弥桜みたいにストリップさせられるところだったし、テルのプレゼント潰されちゃうし。これに懲りたから、もう少し近接戦闘を訓練するわ」夕姫はもう懲りごりと肩をすくめる。

「私ストリップなんてして無いもん!それより笹伏君、お兄さんに何したの?治癒が遅れてたら危なかったわよ」覆面を取っている弥桜がプンスカ怒る。黒いビスチェとパンツ、網タイツに見えないこともない鎖帷子型の防刃タイツと長手袋に身を包んでいる弥桜は、さすがに恥ずかしくなったのか隠密コートを鞄から引っ張り出して羽織っていた。

「ワリぃ、ちょっとカッとなっちまって奥義まで繰り出しちまった」暴走状態の龍剣を止めるため、やむを得ず出した竜王撃の水平撃ちだったが、輝虎自身の想像を超えた威力を炸裂させた為に、撃った本人も思わず冷静になってしまっていた。龍剣は体中に骨折やらヒビが入り、折れた肋骨が肺に刺さっていた。見かねた弥桜が龍神の腕輪で治癒を行ったおかげで事なきを得た。改めて三人は神社境内の惨状を見渡す。災害の痕のようだ。

「父が帰って来たらなんて言われるかしら」珠子は小さく苦笑いをする。

「…謝らないわよ。こっちも散々だったんだから。それよりどう落とし前着けてくれるの?」夕姫が黒幕だったらしい珠子に詰め寄る。

「…申し訳ございませんでした。始まりは私の見立て、外つ国の血を引く、八幡神社のすえを私の婿として迎え入れれば、この社が繁栄を取り戻す事が出来ると口にしてしまったものですから」珠子は済まなさそうに伏し目がちに理由を話す。

「兄妹達はこの社と体が弱く不自由な私の事を思ってやりすぎてしまったのです。私はどうされても構いません。兄妹達をゆるしてやって貰えませんか?」珠子は決意有る表情で懇願する。

「じゃあ、鏡子ちゃんがバロン君を誘惑していたのは、あなたのためだったの?そう…」弥桜は珠子の妹と異なり薄い胸元を見て安心する。

「でも、あなたじゃバロン君はなびかないと思うの」弥桜はさとすように口に出す。

「どうしてです?」珠子はちょっとムッとして聞き返す。

「だってねぇ」弥桜と夕姫は顔を見合わせる。

「それはなぁ、バロンが無類の巨乳好きのおっぱい星人だからさ」女性陣が言い淀んだので輝虎が余計な助け舟を出す。

「なんですか、ソレ!女性の価値は胸の大きさにしか無いとでも言うのですか?そんな人だとは…」思わず興奮した珠子は悔しさをにじませる。怒った顔は胸の大きな妹によく似ているのだが…

「ムムッ、…大丈夫ですよ、珠子さん。今降りてきたお告げによると、あのお兄さんがこの社の跡を継げば丸く収まるって。あなたはお兄さんを助けて行けば道は拓けるって」弥桜に結界の解けたおかげで神託が降り、そのことを告げる。

「ええ、こちらの御祭神からも同じようなお告げが来ました。しかし…」珠子が言い淀む。

「お兄さんの日頃の善行が実ったって。彼の謹慎きんしんの原因になった女性を訪れるべきだとも」

「そうですか…兄はそれを悔やんで物の怪退治を行っていたのです。本当は心根の優しい人なんです。…ただ槍を振るうときは普段のストレスからか嗜虐的しぎゃくてきになりすぎてしまい、それが原因で日中は道場引きこもっているんです」珠子はつらそうに弁解する。

「嗜虐的ねぇ。…わかったわ。お兄さんのしたこと許しはしないけど、これ以上謝罪も求めないわ。腸は煮えくりかえっているけど。まあ、一度助けてもらったこともあるし…」夕姫は不承不承ふしょうぶしょうだが矛を収めることにした。大事無かったことだし、自身の不甲斐なさを実感出来たことも有る。報復は輝虎がしてくれたし…

「指輪は俺が直すさ。こんな娘殴れんし」輝虎は道場の床で潰れた指輪を拾ってきていた。後で修復してもらうつもりだ。輝虎自身は怒りに任せ竜王撃を放ってしまったが、あれ程の長柄使いは師匠や長兄以外では初めてで、こんな事を抜きにすれば良い取り組み相手ではあったとも思う。

「おーい!…スゴイ格好だな。今までで一番の激闘だったみたいに見えるぜ」声に振り返ってみると鳥居の外にバンを停めた犬神がいた。


 23


 幼い頃より龍剣は有段者の父の指導により生家の神社に有る道場で剣道に打ち込んでいた。体格もよく、筋も良かったせいかメキメキと実力をつけていったが、道場に通う同年の田村享たむらとおるに今一歩及ばず、稽古では勝てたことが無かった。通常の稽古が終わり皆が帰った後も、独り残って素振りなど、文字通り血のにじむ努力をしたが、どうしても勝てず、享に対し払拭ふっしょく出来無い苦手意識を持ってしまった。それでも享が龍剣の嫌いな性格をしていなければ良かったのだが、龍剣の父はそんな息子の宿敵の成長を喜び可愛がった。

 双子の妹の病弱で大人になるまで持たないんではないかと危惧されていた珠子に、巫覡ふげきとしての非凡な才能が有ることが判明したのも龍剣が十歳の頃の事だ。それまで剣道で一番に成れなくても神社の跡取りであることを自負していた龍剣ではあったが、両親は珠子に神社の未来を期待するそぶりを隠さなかった。

 龍剣が中学生になってすぐに母親が病に倒れ、そのまま帰らぬ人となると父は忙しさのためもあっただろうが龍剣をかえりみなくなる。相変わらず享には剣道で勝つことは出来ず、実力は差が開く一方だった。いつしか龍剣は剣道に情熱を持てなくなっていた。この頃になると道場は享と取巻きの連中の思い通りになっていた。

 それでも道場で稽古を続けていたのは道場主の息子だからでは無かった。幼い頃より道場に通ってきたやはり同い年の涼子の存在があった。龍剣は涼子と昔から気が合い、涼子も享が嫌いなこともあり、仲が良かったような気がする。涼子は気が強く、道場に通う女子の中では一番の腕を持っていた。幼かった龍剣は神主になった自分が涼子をめとる将来も夢想むそうしたものだった。いっそ涼子が道場を辞めてくれれば龍剣も剣道を辞めるつもりであった。

 

 きっかけは大会の出場者選出であった。享には及ばないものの、中学生では二番目の腕を自負していた龍剣だが、道場主の父は出場者を享の派閥から選出し、息子を選ばなかった。今にして思えば身が入っていない稽古を見ていた父があえて息子を外したのだと思えるが、若い龍剣にはとても承服しょうふく出来ず、思わず家を飛び出してしまった。涼子は当然、女子の筆頭に名を連ねた。

 当てもなく飛び出し、コンビニエンスストアで食事を取り、夏であったので山中で野宿をして過ごした。誰にも見つからず三日間過ぎた夕方頃、襤褸ぼろをまとった雲水うんすいに出会う。身にまとったものはみすぼらしかったが、屈強な軀をした雲水は錫杖しゃくじょうの代わりに一間位の棒を持っていた。後で槍の柄だとわかった。四、五十歳位に見える雲水は名乗らなかったが入道にゅうどうと呼べという。

 今どき修行の旅の途中だという入道は龍剣が野宿している理由を尋ねた。このような怪しい僧に何故だったのだろうか、せきを切ったような涙とともに自分の置かれた境遇きょうぐうを話した。入道は本当に理解しているのかわからなかったが、長い話をウンウンと終わるまで聴いてくれると

「ようはおヌシが強くなれば解決するではないか。聴いたところ、おヌシは剣道には興味が失せている。どうだ、ワシの槍を覚えてみんか?」入道は中学生にしては頑強な体付きの龍剣を見込んで自身の浅間流槍術を伝授することにした。

 この後、今にして思えば入道が龍剣の父へ連絡を取り、預かる事を申し出てくれたのやもしれない。

 最初は山に生えていた細身の竹を使い、入道が許可を得た(と思われる)無住の荒れ寺で寝起きし、稽古に励んだ。入道が示す実戦に則した槍の技は新鮮に思え、龍剣はみるみる槍術を習得していった。こんなに稽古が楽しいと思ったのは剣道を始めたばかりの頃以来だった。

 その上、自分の弱点、相手の動きを見ていなかった事に今更ながらに気が付いた。龍剣は元々体格と膂力に恵まれており、また修練により力で相手を圧倒できたが、ある一定以上の相手には通用していなかったのだ。槍の技は連続して攻防を繰り返すため、どうしても相手の手を読まざるを得ない。入道はその弱点を指摘し、解消させてくれた。

 数日そのようなことが続き、龍剣は入道に興味が湧いてきた。何のためにこのような強力な槍術を習得しているのだろうと。それを尋ねると

「ワシはなぁ、悪さをする物の怪を退治するために旅をしているのさ。すべての物の怪、亡霊が読経だけで退治出来れば苦労せんが、実力行使が必要なときはコイツが役立つ。そもそも浅間という流派は鬼退治から生まれたと言われとる」

「オニ、ですか」龍剣は信じられないという顔をする。

「ああ、残念だが此岸しがんも鬼でイッパイだ。おヌシも心当たりないか?」入道は不気味な笑いを浮かべる。

 

家出して十日程過ぎた頃、龍剣も頭が冷え一旦帰宅することにした。入道もそれを勧め、龍剣は今後は通う事を約束し八幡神社に帰った。妹達は心配したようだが、父は何も言わなかった。龍剣が剣道を辞める事を告げても父は顔色も変えなかった。

 すでに終わった剣道の大会では道場の男子、女子ともに良い成績で終わっていた。その中でも亨は県大会で優勝もしたらしいが、龍剣にはもうなんの興味も無かった。ただ、涼子のことだけが後ろ髪を引かれる事柄ではあった。


 龍剣は学校が終わると自転車で入道の元へ通い、槍術の稽古に励み、暗くなって神社に戻るとすでに無人の道場で鍛錬たんれんを積むという日々を送り、ようやく様になってきた。

 しかし秋も終わり頃、荒れ寺に入道の姿は無く、槍術の極意書と入道が呼んでいた古書が残してあり、いない間はこれを参考にしろと置き手紙が置いてあった。パラパラとめくるが達筆で書かれた墨の字はその時の龍剣には読めないものだった。

「どうしろって言うんだ…」途方にくれないでもなかったが、とりあえず持って帰ることにした。その後の悲劇も想像出来ずに。


 その夜も道場から人影が消えると龍剣はいつものように槍を振るっていたが、道場の入り口に気配を感じて振り向く。時折、妹達が様子を見に来ることが有るが、そうではなかった。血まみれの入道が強烈な雨の中立っていた。

「入道!どうしたんだ!」龍剣は慌てて入道に駆け寄ると入道は倒れ込んできた。よく見れば右目は大きなケガを負い、右の腕も肘から下が無い。左手に持った十字の穂先が付いた槍を杖代わりにやっとここまでたどり着いたようだった。

「ちょっと苦戦しちまってな。…大丈夫だ。仕留めはした」入道は苦しい息の中吐き出す。

「もう喋るな!すぐ救急車を呼ぶ!」龍剣は叫ぶがそれを制して

「ワシはもう無理だ。龍剣、これを受け取れ。法師斬りだ」入道は最後の力を振り絞って十文字槍を龍剣に握らせる。以前にダイダラボッチを斬り倒した大業物と聞いていたものだ。

「よいか。鬼は己の内にもおる。決して内なる鬼に負ける事はならんぞ。それを肝に銘じろ……」想いを果たしたのか入道は息を引き取った。


 24


 救急車に運ばれ、病院に着いた入道の遺体を引き取りに来たものがいた。

「坂田龍剣殿か」精悍せいかんな顔付きの若い僧形二人が、付き添ってきた龍剣に値踏みするように声を掛けてきた。

「はい、入道さんのお仲間ですか?」入道とどこか同じ匂いのする二人に龍剣はおそるおそる尋ねると

「そうです。赤岩しゃくがん師は残念でした」入道を赤岩と呼ぶ二人は悲痛な顔でうなずいた。

「師は何か龍剣殿に託されませんでしたか?」

「ええ、法師斬り、槍を預けられました。お返ししたほうが…」

「いえ、師が龍剣殿に託したとなれば、その意思を尊重します。…退魔の事はお聞きか」

「入道さんは物の怪を倒す旅をしていたと…」

「そうですか。…つかぬことをお聞きするが龍剣殿は赤岩師のように退魔師を務めてみようとは思いませぬか」

「お、僕がですか?…突然過ぎてまだ…」龍剣はうつむく。入道があのような死に方をしたことを整理できていない。

「赤岩師が見込んで槍を伝授したとお聞きしている。師は見込みの無いやからに技を伝えることは決してありません。そして龍剣殿は見込まれた。学業もお有りでしょう。今すぐでなくて構いません」そう言って僧形の一人が懐から名刺を出して差し出す。よく見れば木の薄板で出来ている。

鍔鬼つばき…さんですか」戒名らしき名前と電話番号しか書かれていない名刺板を受けとる。

「ええ、再び会うことは無いやも知れませんが、その番号に連絡いただければ何某なにがしかが対応いたします」


 入道が死んで槍の修行を一人で進める為に槍術の秘伝の書かれた古書を判読はんどくしようとに毛筆体の解読もした。幸い家業の事も有り、参考書は怪しまれずに取り寄せられた。学校の勉強より努力したと思う。


 秘伝書の解読に身を入れた副作用か、龍剣は成績が上がり、県立でも有数の進学校の高校に入学出来た。亨は剣道の特待生として私立高校に進んだらしい。

 涼子は龍剣と同じ学校に来た。涼子の実力なら亨と同じ学校に推薦で入学出来たろうが龍剣には判らなかった。

 高校では龍剣は目立たない生活を送った。体躯は大きいが、部活動には参加せず、体育でも本気を出さず、学業でも進学校では目立たなかった。しかし問題を起こさなければ一流大学でなければ進学には困らないはずだった。

 問題を起こさなければ。


 25

 

 亨と涼子は学校の休みの日には、未だに八幡神社の道場に通ってきていた。剣道を捨てた龍剣は遠くで見かけるだけだったが。

 高校最後の夏休みにも亨とその取り巻きや涼子達が通ってきていた。龍剣の父親は幼い子供達には指導を行っていたが、高校生以上の者たちは自主性に任せていた。


 その暑い夏休みの日、父親は仕事で出てしまい、妹達も親戚の家に泊まりに行っており、神社は開店休業中のようになっていた。何か有れば龍剣が取り次ぐ事になっていたが、いつものように御守一つ求めるものなど居らず、形ばかりはかま穿いて涼しい社務所に座って勉強をしていた。

 龍剣は将来の目標も定まらず、ただ漠然と公立大学に入れればと考えていた。入道の跡を継ぐことも頭をよぎったが、社会人になってからでも良いだろうと、そのときはそう思っていた。

 道場では中高生が自主練、小学生達がその指導を受け稽古に励んでいた。龍剣は暑いのにご苦労な事だとすでに他人ごとだった。皆が帰った後で龍剣も槍の修練をする予定だったが、少しは涼しくなった夕方過ぎだ。

 昼過ぎに小学生、中学生が帰り、高校生も女子がほとんど帰った後だ。女子の声が聴こえたような気がした。高校生達も稽古は終わったはずだ。龍剣も着替えて道場の片付けと清掃をして自分の稽古をする予定であった。嫌な予感がして道場に駆け寄ると涼子が亨と取り巻き達に囲まれていた。そういえば亨は涼子に気があるようだった。高校が分かれ諦めたかと思っていたのだが、そうではなかったらしい。しかし人数を頼み強引に迫るのは許せない。その光景が目に入った途端、龍剣は激昂した。長押なげしに掛けてあった練習用の槍を取ると亨と取り巻き5人を蹴散らした。亨と取り巻きはかさにかかって、木刀を掴み龍剣に突きかかってくるが、研鑽けんさんを積んだ浅間流の槍の相手ではなかった。取り巻き連中の木刀を叩き落とし、したたかに打ちえた。蜘蛛の子を散らすように子分共がいなくなると亨も木刀を構える。

「良いのか?オマエはこれまで一度たりともオレに勝ったことはないんだぞ」亨はせせら笑うが、手下共が叩きのめされるのを見ても技量の差には気が付かなかったらしい。

 結果は鎧袖一触がいしゅういっしょくであった。入道との血の滲むような修練の日々は無駄では無かったのだ。弱点を克服し研鑽を積んだ龍剣の前ではもはや亨は敵で無かった。必要以上に打ちのめし道場から叩き出した。あとには道着の前を抑えている涼子が残っていた。まだ興奮していた龍剣はその姿を見て何故か怒りが込み上げた。

 (コイツが迂闊うかつに亨なんかに近づくから…オレが)気が付くと涼子を押し倒していた。


 それから起こったことはよく覚えていない。最初に現場を発見した妹達になじられたような気もするし、父親に殴られたような気もする。警察沙汰にならなかったのは地元で顔の効く父親が動いてくれたおかげだったのかは今になってもわからない。龍剣は興奮すると嗜虐性が増すらしい。入道が言っていた己の内の鬼とはこのことだったのかと思った。高校は中退し、人目を避け日中は外に出られなくなった。道場は閉鎖され、亨も涼子とも会うことは無かった。亨の事はともかく、涼子との事は龍剣の心に刺さったトゲになった。


 26

 

 家族の視線にいたたまれなくなった龍剣は入道の後輩に渡された名刺を思い出し、連絡することにした。連絡が付き、事情を話すとすぐに迎えが来た。妹の珠子は心配したが家で腐っているよりは良いと思えた。山と呼ばれる彼らの組織は龍剣の事情を知っても拒絶きょぜつするどころか、贖罪しょくざいのためにも赤岩と呼ばれていた入道の業を継承けいしょうすることを勧めた。ただし、生きて山を降りられればだ。


 詳しい場所はわからないが、おそらく奈良か和歌山の山中らしい小さな坊のいくつかを渡り歩き、生死の堺をさまよいながら文字通り血を吐くような特訓を乗り越え、退魔師の基礎を学んだ。その間、鍔鬼達にも会わず、特訓の師も次々に交代し二度と同じ師に会うことは無かった。同じく退魔師を目指す同志とも出会わなかった。ひどく秘密主義なんだなと感じたが、師となる僧と対面で行われた壮絶を極めた特訓の間は気にならなかった。

 槍の特訓、浅間流の師にもついた。赤鉄と名乗った中年の槍の師は入道の弟子だったそうだが、龍剣は二月でその技量に追いついた。赤鉄は弟弟子おとうとでしめるとともに

「しかし精進はおこたるな。世にはさらに強き者も居る。拙僧せっそうも見たことは無いがタチガミと呼ばれる一党に猛虎の槍と呼ばれる技を持つ一族がいると言う。笹伏と名乗るその一族の振るう剛槍は一城を砕き、山をも裂くと聴く。出会う事は無いとは思うが努々油断ゆめゆめゆだんするな」機会が在れば兄弟子が手合わせを渇望かつぼうしているようだった。しかし槍の腕に自信のついた龍剣も笹伏の槍との邂逅かいこうを夢みた。


 退魔師としての一応の基礎を修め、山を下りると二年の月日が経っていた。実家の神社に戻ると父親は何も言わず、旅立以前と同じ扱いをされた。勘当かんどうされても文句は言えないので気にしなかった。妹達は二年で大きくまぶしいばかりに美しく成長していた。二人共、母親に似て器量が良かったが何故か胸の大きさに差ができていた。鏡子は大きくなったのだが、病弱な珠子は残念な感じだった。もちろん口には出さなかったが。

「兄さん、たくましくなったわね。それでこれからは物の怪退治に行くの?」珠子が相変わらず心配そうに尋ねる。

「そうだ。この社はオマエが婿をとって継ぐんだ。前にも話したろう。オレは世間様に顔向けできない」

「兄さん、聞いて。アノ事はもう…」珠子はなにか言いかけたが

「いいんだ、わかっている。居させてもらうだけで迷惑を掛けているのはわかっている。退魔師稼業が軌道に乗ったら折を見て出ていくさ」龍剣は遮って宣言した。鏡子は呆れて見ていた。


 27

 

 始めたばかりの退魔師の仕事は駆け出し向きの単純なモノが多く、厄介な能力持ちの相手の時は事前に、チカラを身に付けた珠子の助力で切り抜けられた。基本的に槍を使った退治専門だ。山もそれを選んで仕事を寄越しているように思えた。


 ある時珠子に神託しんたくが降りる。

「この社の命運を変える者達が現れる。特に外つ国と八幡宮の血を併せ持つ男子を引き入れられれば、この社の隆盛りゅうせいは間違いないだろう」託宣たくせんはそのモノに直面しないとわからないことが多いが、今回のソレはあからさまに目立っていた為に、鏡子がすぐに気付いた。今では唯一通学している鏡子の学級に田舎ではひどく目立つ連中がやってきた。

 その連中の中に笹伏を名乗る大男がいると言う。山に照会したところタチガミの退魔師らしい。確かにここ最近不可解な事件が多い。龍剣自身は探索は不得意なので目撃者がいる事件や被害が継続している現場にしかおもむかない。しかしタチガミの連中は探索もするらしい。

 山から貸与たいよされている携帯電話におばけバッタの駆逐くちくが依頼され、指示にあった場所に向かうとすでに先客がいた。慌てる必要は無かったので、せっかくだから他の退魔師がどのように物の怪を退治するか見物する事にした。最初こそ槍?と法力剣、弓箭、オマケに黒くて大きなキツネの姿をした式神でバタバタと、バッタではなく大型バイクサイズのカマドウマに対応していたが数が多すぎた。そろそろ手伝うかと思ったところ、巫女が車からイヤイヤそうに降りて状況が変わった。法力剣を振るっていたハーフっぽい男が何かを指示するとたちまち氷の壁を作り、キツネの式に追いこませ、壁に激突させ数を減らしていく。キツネに仲間を食われているおばけカマドウマはキツネに追われ、面白いように壁に激突して絶命する。

「なんてバカバカしい捕物なんだ」傍観ぼうかんしていた龍剣は余りの事態に呆れてしまう。確かに自分独りでは二、三晩かかっただろうが、普段命懸けで行っている退魔が阿呆らしく思え、軽く嫉妬しっとした。その時、龍剣は異様な気配を察知した。魔の濃度が高いというか強い。おばけカマドウマのボスかもしれないと思っていると地響きがして黒い大きな影が飛んでくる。タチガミの連中の急ごしらえの壁よりも大きいかもしれない。危惧きぐしていた事が起きる。ダンプみたいな大きさの女王カマドウマがタチガミの連中が籠城していた氷の壁を踏み潰す。さすがに少年達は逃げたが、弓使いの女が女王カマドウマの眼の前に残ってしまった。法力剣と槍使いが慌てて脚を数本斬り落とすが、間に合わない。

「チッ!仕方ねえ」このまま傍観者に徹しようと思っていたが、人が頭から物の怪にかじられるのを見ていられる性分でもなかったので飛び出し、法師斬りで親カマドウマの頸を落とす。駆けつけた法力剣の遣い手が頭から返り血を浴びてしまうがそこまで面倒は見きれない。

「ヘマうったな」龍剣が皮肉を言うと弓使いは礼を言い

「どちらさま?」弓使いが尋ねるが龍剣はごまかして去ることにした。槍を担いでバイクに跨り夜道に消える。

 初めてタチガミの退魔師達を見たがどうもお気楽に見え、アレなら自分でなんとかできそうな気がした。


 28

 

 闇討ちとはいかなくても各個撃破するつもりだったが、鏡子が女子二人をおびき出す事になった。リーダーでもある妹の婿候補が離れているそうだ。今のうちに他のメンバーを叩き、あのハーフっぽい楓太郎とやらをウチに取り込もうという寸法だ。妹達は直接のライバルとなる、あの強いのか弱いのかわからない巫女とやり合うそうだ。龍剣自身は弓使いの凰の娘を叩き伏せ、それで笹伏の槍使いを誘い出す予定だった。


 龍剣はまたしてもやりすぎたらしい。凰の娘が意外に気が強く龍剣の嗜虐心をくすぐったせいもあるが、イジメ過ぎた。その報いはすぐにやってきた。槍術の世界で燦然さんぜんと輝く笹伏、その四男は家業の槍を捨てていたが、皆伝されたらしい戟術に龍剣は手も足も出なかった。笹伏の当主を下したという弓使いの言ったことは本当だったらしい。

「やむを得ん」龍剣は珠子に貰った非常時用の符を御守袋から取り出し、呑み込んだ。視界が真っ赤になり、そこで意識は途切れた。


 龍剣は体中の激痛で意識を取り戻す。いつの間にか道場の外に倒れていたが、すぐに理由がわかった。道場の壁に大穴が開いている。あそこから突き出されたらしい。

「兄さん、大丈夫?」気が付くと珠子がそばにおり、覗き込んでいた。

「ああ、なんとかな」龍剣は自身の身体を確かめたが打撲だぼく以上の怪我は無さそうだった。

「兄さんも負けたのよ。怪我は白桜の娘が治癒してくれたわ。折れた肋骨が内蔵まで達していたって。鏡子は気絶していたんで部屋に運び込んだわ。…兄さん、またやり過ぎたでしょう?ヒトの恋路を邪魔したら駄目よ。いい教訓になったでしょ」珠子があきらめたように言う。周りを見渡すと惨憺さんたんたるものだった。あのよくわからない巫女との戦闘でこうなったのだろうか。そこに見慣れぬ男達が群がっている。

「なんだ、あいつらは?」

「タチガミの里の人たちだって。あの凶暴巫女の戦闘記録を取る代わりに復旧してくれるって言うんで取引したの。…その槍はどうする?」兄が落胆すると思って言い出しづらかったが意を決してかたわらに置かれた槍を指し示す。

「法師斬りか?…おお、折れたか…」十文字槍の枝の片方が根本から折れてしまっていた。龍剣は槍を引き寄せ確認するが

「…研ぎ直せばまだ使える。今回の件の教訓としよう。結局オレは内なる鬼にまた負けちまったのか…」肩を落とす兄を見て珠子は核心を話す。

「この社は兄さんが継ぐよう、お告げが降りたわ。…まずその前に涼子おねえちゃんに会いに行って」


 29


 凶暴巫女とその一行は犬神のバンでミネの下宿に戻って来た。夕姫はさすがに非常用の着替を羽織ったが、弥桜は隠密コートで帰って来た。忍者服のアンダーウェアは脱ぎづらいし、下宿はスグだ。人に見られることはあるまいと思っていた。そのために油断しまった。バンから降りると真っ先に風呂に向かい、汗を流そうと玄関に向かうが

「ふ~、暑い暑い、岩崎の人たちにコートの温度調節なんとかしてもらわないと夏は使えないわ…」コートの前をバタバタ開くと玄関の戸が開いた。

「おかえりっ!大変だった、ん、だ、って……女王サマ?」玄関から飛び出した幽霊馬事件から戻っていたバロンが弥桜のコートの中を見て目が点になり、他のみんなが言い出せなかったコトを口にする。装備を使い切った忍者服のアンダーウェアはSMの女王様のボンデージ姿そっくりなのだ。

「イヤァー!」弥桜の悲鳴が響き渡る。

「コ、コレはソノ、激しい闘争が有ったと言うか、い、致し方なかったというか…」弥桜はコートの前をがっちり閉じてしどろもどろに言い訳をする。

「だ、大丈夫ダヨ、弥桜ちゃんがどんな趣味に目覚めてもボ、僕はき、気にしないヨ」バロンが大丈夫でも気に止めないようでもないパニック状態でフォローするが、

「弥桜ったらスゴイのよ。二人を相手に手玉に取ってプレイしていたもの」夕姫がここぞとばかりにからかう。

「そうだな、圧倒的な貫禄だった。いい女王サマになれそうだ。そうだな、バロンはどんなプレイが好きなんだ?」輝虎も乗っかってくる。

「誤解しないで!坂田姉妹を相手どったんでこんな姿になっちゃったけど、別にSMに興味が有るわけじゃ無いの!…でもバロン君がどうしてもって言うんなら…」弥桜が上目遣いに尋ねるが

「僕ぅ?ゼンゼン!SMなんかにまったく興味なんてな、無いよ」ナニを想像したのか真っ赤になったバロンが慌てて否定する。

「ウンウン」輝虎が若い男子として理解を示す。バロンも健康な男の子、色々妄想することもあるだろう。

「でも、弥桜は乗り気みたいよ。こんな格好までして」夕姫が追い打ちをかける。

「違うから!女王サマじゃないから!」


「仕事はうまくいったんだな」犬神がもう発酵した麦茶と言い張るモノをあおっているスガルに声をかける。

「ウン、バロン君連れてったらスグ解決しちゃった。なんか複雑だよ。私の苦労は何だったんだろうってね」テーブルの上のスルメをかじりながら苦笑する。ネコの姿に戻ったペンタにスルメを分けてやっている。

「アイツは特別だからな。バロンを基準に考えちゃダメだぞ。それに良いところばかりだけじゃ無いぞ。この間の豪華客船事件覚えてるだろう」犬神は思い出すのも嫌な数々の事件が脳裏をよぎる。バロンの能力、もしくは因縁で毎度大変な事に巻き込まれた犬神は手放しで褒められない。

 そこへ当人がやってきた。

「犬神サン、お願いが有るんだけれど」バロンがおずおずと戦利品の蹄鉄を犬神に見せる。バロンとスガルは帰ってくる前にオープンカーの掃除をした。亡霊馬攻略のため砂だらけにしてしまったのだ。バロンとスガルはこれでヨシと思って帰ってきたのだが、車をこよなく愛する犬神にはまったく不十分な上、助手席側のドア上部にバロンが足を掛けたため出来た無数の擦過傷が付いてしまっていた。犬神は激怒したが修理代はバロンが出すとのことなので一応収まった。オープンカーのオーナーはバロンだ。そんな事も有り、車関係の話は言い出しにくい。

「今回の遺留物か?」犬神は蹄鉄を受け取って眺めた。

「ええ、もし事務局の許可が出て貰っても良くなったらあの車のボンネットに取り付けて欲しいんだ」

「ナヌッ!これ以上あのコを傷付けるなんて…ゴホン、ソレはオーナーとしての意向か?」犬神は一瞬取り乱すがスガルの白い目に気付き冷静を装う。

「ウン、そうすればブーケも寂しくないだろうし、車も守ってもらえるような気がするんだ」バロンはニッコリ笑ってお願いする。

「センパイって、ホンットウに車フェチだなぁ。今回は色々経緯イキサツもあったし、アタシも賛成だな。あっ、オイ全部持っていくな」スルメを持って逃げたペンタを呼び止めるが、居間から逃げ去ってしまう。車の事となると性格が変わる犬神を生暖かい目で見つつもバロンに賛同するスガルだった。

 

「ゴメンね、指輪あんなことになって…」風呂に入った後、夕涼みを兼ねてふたりきりになる為に外に出た夕姫は輝虎に謝る。

「いや、良いんだ。ユーキさえ無事でいてくれれば。こちらこそスマン。守ってやれなくて」輝虎も色々な事が有って、内心葛藤も有るだろうが表情はうかがえない。

「ううん、テルはすぐ来てくれた。聞いたわよ町に学生服のスーパーマンが現れたって。無茶して走って来たんでしょ。そのうちあやかし認定されるわよ」それでも夕姫は嬉しそうに頬を赤らめた。

「指輪は作り直すよ。前回は慌てて用意したけど、直すならサプライズもないだろうから、しっかりデザインも吟味するよ。そうだな、夏休み入ったら一度野暮用で里に戻る予定だから、その時まで預かるさ」潰れた指輪は輝虎が道場の床から剥がして持ってきてある。

「ありがとう。本当にゴメンね。…私も弥桜みたいな忍者服着てたらあんな目に遭わなかったのかな」夕姫はちょっと恨みがましく言う。岩崎の男子連中は弥桜に対して贔屓ひいきが過ぎないかと思う。

「それは違うぜ」背後から三人目の声がした。犬神だ。

「あの子はなぁ、自分にはお前達のような膂力も武芸も無いとわかっているから、進んで岩崎のモルモットになっているんだ。あの子の実戦データからお務めの装備が良くなっているんだぜ。あの子が使っている装備は試作品ばかりで、暴発ぼうはつするかも知れないシロモノばかりだ。それを知りながら今回あの子は細心の注意を払って使用し、予想以上の成果を上げているんだ」犬神はひどく真面目な顔で弥桜を擁護ようごする。

「今日はアウェイな上、得意の星辰の剣も封じられ、ペンタの援護も受けられなかったそうじゃないか。相手の呪符も一撃喰らえばやばい代物だったって。…まあ、アノ形態については彼女の趣味が多分に反映されているがな」犬神も見栄えについてはフォローしない。

「モルモットかぁ。どっちかと言うと大トラよねぇ」鷹崎の乱の話を聞いてしまった夕姫はついイヤミを口にしてしまう。

「…あの話夕姫の耳にも入ったのか?」犬神の表情が曇る。

「…入ったと言うか、聴こえてきたと言うか…」盗み聞きしてしまった夕姫はバツが悪そうに言葉を濁す。

「なんの話だ?」一人だけ蚊帳の外の輝虎が尋ねる。

「弥桜には絶対、アルコールを飲ませちゃダメってハナシ。ところで犬神サン、何の用?」

「夕飯が出来たんで呼びにきたんだ。お邪魔だったか?」


 30


「母さん、やったよ、悪の巫女を倒したよ!」風呂に入ってボンデージ、否、忍者服のアンダーから着替えた弥桜は母、雪桜に大勝の報告を行っていた。

『…人様にご迷惑おかけしてないわよね?』舞い上がってる娘に一抹の不安を感じた雪桜は問いただした。

「そ、そんなことな、無いョ。ちょっと神社の建物が壊れちゃったダケダヨ。里の人が直すって聞いタシ…」雪桜の迫力に声が上ずる弥桜。

『ハー、まあ良いわ。とりあえずバロン君の身柄が奪われていないなら』雪桜はため息をつく。しかし、心配していた弥桜も元気そうで安堵した。

「だってヒドいのよ、自分の神社ホームに引き込んだ上に二人掛かり、さらに剣は封じられるし、ペンタちゃんは結界ではじき出すしぃ」弥桜は褒めてくれない母親に心外だとばかりに抗議する。

『で、どうやって撃退したの?』

「そこは抜かりないわ。予め最新忍者装備で乗り込んだから。里の秘密兵器でギッタンギッタンにのしてやったわ」どうだと言わんばかりの弥桜だった。

『…外道巫女…相手もこんなキテレツ巫女だとは思わなかったんでしょうねぇ。巫女同士の決闘に作法ルールなんて存在しないけど、相手も法力で勝負すると思ってたのにこんな脳筋娘だったとは…』

「忍びの道は邪の道、ちっとも後ろめたい事無いわ。相手もこっそり二人掛かりだったんだし」弥桜は一向に褒めてくれない母親に少し腹を立てる。

『良いわ、勝ったんだし、イザという時は白桜神社は関係を否定するから。ところでアノ二人はどうなったの?この件を切っ掛けに親密になるって出てたけど』

「そうねぇ、ものすごく進展が有ったとは言えないけど、この暑いのにピッタリくっついて、もう離れないだから。アレは夕姫ちゃんがホレ直したんじゃ無いかなぁ。文字通り坂田兄をブッ飛ばした後、下宿に帰ってくるまで輝虎君を放さなかったし、お風呂に入る為に分かれる時も名残惜しそうだったし。ねえ、母さん、友達の結婚式っていくら位包むの?」

『バカねぇ、輝虎君まだ十八じゃないでしょう?それより出産祝いの方が先かも?』

「母さんもそう思う?夕姫ちゃんのウチ、オバさんも早かったらしいしなぁ。二人共兄妹多いし」

『ウチも負けてられないわよ。次はアナタがバンバン子供こさえなさい。母さん許すから…アラ、一人目は男の子だって、ヤなお告げね』

「バカッ、バロン君とはまだそんなんじゃ無いのっ!…一人目が男の子だと都合悪いの?」

『ううん、こっちの話。良いの、十人ぐらいこさえてくれれば』

「ムリよっ!サッカーチームでも作る気!」

『サッカーは十一人よ。でも良いのよ十一人でも』

「知らないッ、バカッ」デリカシーの無い母親の言葉に怒って携帯電話を切った。

「…でも、新しい水着を買ってバロン君に見せれば悩殺できるかな?ウン、今度の日曜日は気合いを入れて選ぼう!」拳を握りしめる弥桜だった。


『まあ、バロンさん大活躍でしたね』スガルはスポンサーに報告を入れていた。

「そうなの。アタシももっと力まかせの討伐になると思って、バロン君と下見に行ったつもりだったんだけれどねぇ。あの子のおかげで二晩でカタがついたよ。後半は見てるだけだったなぁ」

『アラ、じゃあ依頼料、割引して頂けるのかしら?』三春がコロコロと笑って言う。

「勘弁してよ。コッチは愛車をヤッちゃって修理代掛かるんだから」スガルがうなる。

『冗談です。うーん、でもバロンさん達にはボーナス出さないといけないかしら。同業者の妨害も退けたそうですし、弥桜さんは試作品を予想以上に上手く使っていただけたようですし…そうですわ、私良いことを思い出しました』三春の声音を聞いてスガルはイヤな予感がした。

「…出来ればお手やわらかに…」スガルは思った。三春がこういう言い方をする時は何か企んでいる時だ。

『まあ、怖がらなくて良いんですのよ。皆さんに夏休み、海に行っていただこうかと。ええ、スガル姉さまもご一緒に』


 31


 龍剣は翌朝、珠子に言われたように正装して、花屋に寄って大きな花束を受け取った。花束は珠子が注文しておいたもので、これでもかという大きさだ。大の男が持つには恥ずかしい。

 鏡子の方は昨日の敗戦のダメージのせいか、おかしな事を口走っていたので放っておいた。

 龍剣は柄にもなく緊張していた。購入して以来初めて袖を通すスーツ、初めて持つ良い香りのする花束、自分はナニをしているんだろうと思う。また龍剣にとって一番避けていた場所に向かっている事も有る。そこへ行くのなら地獄の特訓を行った山へ、もう一度行ったほうがマシな気がする。イヤ、そこを避けるために山に行ったと言ってもいい。

 思い悩んでいるうちに目的地に着いた。やはり珠子に付いてきて貰った方が良かったのではないかと考えながら玄関のブザーを鳴らす。龍剣の心拍はいまや全力疾走中と言っても良いほどバクバクいっている。

「ハイ」スピーカーから聞き覚えの有る声が聞こえた。

「坂田龍剣です…」龍剣の名乗りが終わらないうちにガチャッと受話器を置いた音がする。やはり拒絶されるのであろうか。するとすぐ玄関に向かってくる足音が聴こえてきた。情けない話だが、もう龍剣の心臓は止まりそうに思えた。

 引き戸が開き

「やっと来た…プッ、アハハハハ、あーおかしい、坂田クンがスーツに花束だってぇ…珠子ちゃんの入れ知恵、ううん、仕込みでしょう。あー笑えるぅ」龍剣を一目見た涼子は腹を抱えて笑い、涙さえ浮かべている。数年会わなかった為に髪型も変わったし、成長して奇麗になっていた。そして決定的な違和感が感じられたが、理由はすぐにわかった。

「ねえ、ママ、この人だれ」涼子の後ろから小さな男の子が現れた。涼子に似ていたがどこか見覚えもあるような気がする。この数年で涼子は母親になっていたのだ。龍剣はホッとする反面、嫉妬心ももたげてくる。父親は誰だと。しかし

「リュウちゃんのパパよ」涼子は何気もなく衝撃的な事を口に出す。

「パパ?」リュウちゃんこと龍児りゅうじは首をかしげる。

「オ、オレの子…」龍剣は余りの事に持っていた花束を取り落としそうになる。

「身に覚えは?」

「…有る、しかし…」

「やっぱり神社の跡取り、神がかってるんだよ。大当たりだったね。私も信じられなかったけど、アンナ事されたのも、したのも最初で最後だったもの」

「…よく産んでくれたな…」龍剣は自分でも声がかすれていると思った。

「そりゃあ周りは大反対だったよ。友達もお母さんも。お母さんは逆の意味で反対だったんだけれどね。娘が八幡サンの跡取りの子を産むなんておそれれ多いってね」

「…それでよく…」

「それでね、悩んだあげく、珠子ちゃんに相談したの。そうしたら先生を説得してくれて出産費用から、養育費まで全て面倒をみるから八幡サンの後継者として産んで欲しいって。そんな事で子育てに専念出来ているわけ」涼子の言う先生とは龍剣の父親の事だ。確かに高卒のシングルマザーがやっていくのは普通に大変な筈だ。では

「親父も、珠子も知っていてオレに隠していたのか」

「鏡子ちゃんもよ。知らなかったのはあんただけ」涼子は龍剣の胸に指を突きつける。

「珠子ネーチャンと鏡子ネーチャンはボクのオバさんだよ」龍児が口を挟む。

「あんたが居ないとき、よく八幡サンに行っているのよ。先生も初孫だって喜んでくれて、龍児って名前も付けてくれたし、折々に色々贈ってくれているの」涼子は自慢げに言う。

「どうしてそんな…」

「私が黙っていてくれって頼んだの。あんたが頭下げに来たとき一番効く仕返しは何かと考えてね。あんたの今の顔を見れただけで満足した。あーでもこれでスッキリした」

「しかし、どうしてアンナ事をしたオレの子を産んでくれたんだ」

「そうねえ、そういう風に考えようと思ったことは無かったけれど、イヤじゃなかったからかなぁ。それに周りに反対されて余計産みたくなったの。…後はホレた弱みかなぁ」母になり、とうに吹っ切れていたのか言いにくいことをスラスラと答えた。そこで龍剣も覚悟を決めた。

「涼子、ウチに来ないか。これからはオレがお前達の面倒をみる」龍剣は勇気を振り絞って持っていた花束を差し出した。

「イヤよ!…ってカッコよく言えれば良かったんだけれどもね。日増しにあんたに似てくる龍児を見ていると辛いのよね。…お世話になります。…でもアノ事、許す訳じゃあ無いからね。一生掛けてつぐないなさいよ」


 32


「テトラ、僕生きてて良かったって、今一番実感している」バロンが感涙しそうなほど感動に打ち震えていた。

「ウンウン」輝虎も言葉少なかったが内心は大喜びだった。学校の校庭からプールサイドの二人を見ていたが、スクール水着と今の水着は天と地程に違って見えた。

 師条三春はボーナスということで夏休みに入っていたバロンの一行とスガルをプライベートビーチ付きのホテルに招待していた。

 若干、満身創痍で補習を振り切った者がニ名いたが、鬼の試験対策でナントカ赤点を免れた。

 バロンの勉強会は以前までは優しかった(優しすぎて効果が薄かった)のだが、弥桜と輝虎の試験結果が三春の海バカンス招待にかかると聞き及ぶと鬼となった。バロンが英語と数学、地理、世界史を担当したのだが、バロンに好意を寄せている弥桜にして

「サディストぉ…」と言わしめた。

「バロンも男の子だな。助平は全ての原動力か…」輝虎も他人事みたいに言っているがバロンと国語、古文、日本史担当の夕姫にタップリしごかれたクチである。

「弥桜ちゃんには手を焼いたけれど、リーダーとして難関を乗り越えた甲斐は有った…」バロンがしみじみと言う。バロンの視線の先には弥桜と夕姫がいた。

 弥桜は新しく新調したキワドイ白のビキニ、夕姫は背中の大きく開いた黒のワンピースだった。

 昨年も黒のワンピースだったが、今年は胸部が大きく盛り上がり、別人みたいにシルエットが違う。布地も大分少ない。ワンピースと言うより半ピースだ。背中フェチの輝虎はもとより、おっぱい星人のバロンまでドギマギさせている。胸には輝虎が作り直し、よりゴージャスになった指輪が輝虎自身で用意したゴールドのチェーンにぶら下がっている。

 弥桜の方は夕姫と選んだというビキニが恥ずかしいらしく、ラッシュガードを羽織って全部を見せていない。

 夕姫は弥桜を潔くないなと白い目で見ないでも無いが、仕方ないとも思った。プライベートビーチに行けるという妙なノリと勢いでムリヤリに夕姫が選んで押し付けたビキニは一般の海水浴場では歩けそうもない。ホテルのプライベートビーチだからギリギリ着られるキワどさだ。一応花柄のおとなし目のセパレートも購入したようだが、バロンを喜ばせようと一大決心で身に付けたようだ。夕姫は女性用更衣室で見たが弥桜のスタイルとあいまって「アウトぉ!」と叫びたくなった。ラッシュガードを着ているのもやむなしと言うべきだが

「さっさと披露しちゃいなさいよ。バロンに見てもらう為に着たんでしょ?」夕姫は往生際が悪い弥桜のラッシュガードを引っ張る。弥桜は前を合わせてイヤイヤをする。

「イ、イヤッ、やっぱり恥ずかしい…」弥桜は真っ赤になって抵抗するが

「大丈夫よ、この間のボンデージ姿より痴女度は低いわ」

「痴女ぉ?ヒドーい!夕姫ちゃんだってキンタロさんみたいに前しか隠してないくせに」弥桜は夕姫の大胆に背中を露出した水着を揶揄やゆする。

「えーいっ、めんどくさい!実力行使よ!」夕姫は弥桜のラッシュガードを引き剥がしにかかる。忍者装備の無い弥桜はいくら身体能力が高いと言っても鍛え抜かれた夕姫に遠く及ばない。

「アーレー!」あっという間に剥かれた弥桜は砂浜に崩れ落ちる。布地の少ないビキニの胸は、こぼれ落ちるように現れたとき、ボロンという効果音が確かに聴こえた気がする。それを見たバロン達は水着って裸よりエッチに見えると思った。

「メロン?いや、スイカだ…」バロンはついに全貌を現した、水着で申しわけ程度に拘束されている超高校生級のバストを凝視ぎょうしして思わず口に出してしまう。


「…オネーサマ、ステキ!」そんなバロン達をプライベートビーチの外の茂みから、重そうな双眼鏡で見ている人物がいた。


「オマエはアッチに混ざらないのか?」ビーチパラソルの日陰で生ビールのジョッキを仰いでいる犬神が、隣でやはりデッキチェアに座り、サングラスを掛け、トロピカルなカクテル片手のスガルに言った。

「イヤぁ、若さには勝てないって」スガルは苦笑いする。

「若さって言うか胸部がだろ?」ビーチバレーを始めた若者達を見やって言った。

「…呪われた里の遺伝子では仕方ないでしょ。それに杏子よりは大きいハズよ。愛しの茉莉ちゃんだって、このままだと大きくならないわよ」スガルが犬神の愛娘の将来について言及する。

 「ブッ!そんな、ま、茉莉にはまだ早いって。しかし、弥桜君程は無理でも夕姫くらいにはならんかな?」

「杏子に聞いてみたら?それにしても三春ちゃんがタダでこんなところに招待するはずないのよねぇ」スガルのグチを合図にしたかのように沖の海面が割れ、下半身が蛇の女の怪が現れた。

「ホラ」スガルが犬神に振り返って言う。


「かたち、大きさ、色艶ともに弥桜ちゃんに遠く及ばないなぁ」バロンはそう言って上半身裸の蛇女の怪を評価する。怪は全長50メートルはあると思われ、頭部は海面10メートル位の高さにある。大物だ。

磯女いそおんなってヤツかしら。凶暴だって聞いてるけどなんかコッチを指差して叫んでるわね。ねえ、ところでバロン…見るとこソコ?」夕姫がバカンスを中断されゲンナリした顔をする。

「ラミアじゃないの?」バロンがまた西洋的な知識で怪を当てはめる。

「なんか私を睨んで怒ってるみたい…」さっさとラッシュガードを羽織り直した弥桜が怪しむ。

「きっと自分より魅力的な人間が嫌いなんじゃない?あのラミア」バロンが呑気のんきに答える。周りに一般人がいないので余裕が有る。

「海に出たんだし磯女で良いんじゃねーの。来い!」輝虎は雲龍の戟を呼び寄せた。雲龍の戟はバロンの龍神の剣のようにコンパクトにはならなかったが、呼べばどんなに遠くにあっても必ず手元に来た。これは投擲とうてきしたときに有利だ。

「ここのところイイところないのよ。ここらでシゴトしとかないと弥桜の代わりにサラワレ要員になっちゃいそうなのよねぇ」夕姫も荷物から折りたたみ弓と矢筒を取り出し構え

「アレは遠慮しなくていいわよね」話し合いや懐柔かいじゅうが通用しそうも無い事を確認した上で続けざまに矢を放つ。


「やっぱり胸の大きなオンナがキライなんじゃない。オンナ怪の胸を狙うなんて」スガルが凰家のご先祖の故事を思いだしながらハリネズミになった磯女を眺める。

「心臓狙ったんじゃねえか?しかし道理で貸切でもないのにシーズン中のホテルが閑散かんさんとしていた訳だ。片付け大変そうだなぁ。おっ、決着ついたな」犬神が見ている前で輝虎が止めとばかりに戟を投擲すると磯女の蛇部分の一部が吹き飛び、上半身が波打ち際に墜ちる。すかさずバロンが龍神の剣を振り下ろし、焼き斬る。


「お兄様、どうでした?」仕掛け人の師条三春はホテル屋上のプールサイドからオペラグラスでバロン達の磯女討伐を見ていた。白の清楚なサマードレスでバーベキューコンロの前に立ち肉を焼いている。

「ああ、さすがだな。例の件、彼らに任せるつもりかい?」妹に引っ張り出された光明はバロン達の成果に満足気だ。宝剣を多数抱えているとはいえ、あれだけの大物を接敵とほぼ同時に撃破出来るのはお務めチーム数あれど、バロンのチームくらいだろう。今抱えている難事件を任せられるのはこのチームなのかと光明も思う。

「ええ、お兄様もそう思いませんか?」三春が光明に同意を求める。どう切りだそうか悩んでいたが、兄が察してくれたので安堵した。

「三春が背負い込む事はないんだぞ。そうだろ龍」光明はそばに立つ真田龍光に尋ねるが

「はい。しかし例の件は父も手に余っているようで…」炎天下で汗一つかかずにいた龍光は言いにくそうに答える。龍光の父、竜秀はお務めの事務局長を担っている。その竜秀が手をこまねいている事件が起きている。

「お兄様、私、若い方々が犠牲になるのを見たくはございませんわ。でも彼らなら必ずやり遂げられると思いますの」三春が懇願こんがんする。

「…そうだな。今すぐに良いとは言えないが検討してみよう。ところで三春はなんで肉を焼いているんだ?」とてもいい匂いだが炎天下のプールサイドで食べたいかと言われれば困りそうなモノだ。

「これはスパイの口を塞ぐ為です。…ペンタちゃんでしたかしら、出てらっしゃい」三春が呼びかけるとプールの入口の影に隠れていたペンタが出てくる。

「気付いていたか」

「はじめまして。あなた達のスポンサー、師条三春です。お話はかねがね聞き及んでいます」ニッコリ笑いかける。キングスレイマーン号事件の時にペンタが食べた牛や豚は三春が用立てたものだ。もちろんペンタの報告レポートを犬神はもとより、猫飼里弧ねこかいりこや龍光からも聞いている。

「そうか。ワシはペンタだ。先日の肉やミオの忍者服の件、感謝するぞ。ついでと言ってはなんだが…」ペンタはヨダレをたらさんばかりにコンロを凝視する。コンロの上の牛肉は実は希少な高級肉だ。グルメな化け猫垂涎すいぜんの逸品だ。

「もちろん、これからお願いするちょっとしたことを聞いていただければ、このお肉を差し上げますわ」三春が笑ったまま交換条件を話すのを見て、龍光は兄妹同然に育ったこの少女が少し怖くなった。


  

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る