第6話 毒蛇の罠

 序


  吉野弥桜よしのみおいきどおっていた。弥桜の大事なバロンこと、富士林楓太郎を呪い、自身の同級生では無かったが同じ学校に通っていた梅田広子を利用し、無惨むざんな最後を迎えさせた呪術士に弥桜なりに怒りを持っていた。もし出会ったなら必ずやっつけてやると思っていた。人間、生きていくだけで災難や病、怪我等に悩まされるのに他人様ひとさまを呪うなんて絶対に許せなかった。弥桜はのんびりしているように見えるが正義感は強いのだ。


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おおとりさん、このお土産貰ってくれない?」夕姫ゆきに弥桜の中学からの友人、相田から声をかけられた。

「え、私に?」夕姫は突然の事で驚くが、思い返せば京都の余ったお土産を彼女に配った気がする。

「さっき弥桜にあげようとしたら断られたんだ。金運が上がるっていうんでインドネシアで買ったんだけど」相田が見せるキーホルダーを見て夕姫は納得した。ニシキヘビの皮で出来たものだった。こういうものを嫌う女性は多い。夕姫の凰家は毒蛇を食らう鳳凰ほうおうが家紋だし、夕姫自身も別に蛇は苦手ではない。好きでもないが。

「ありがとう、いただくわ」夕姫は真田のスガルや弥桜の母親の雪桜ゆきおほどお金大好きでは無い。しかし、有って困るわけでは無いので、どれほどのご利益があるかはわからないが深く考えずにゴールデンウィークのお土産を受け取った。


 一方、本当に金回りの良くなったバロンは成田空港にいた。

「じゃあ、母さん気を付けてね」バロンは今日、お休みを取って母、かえでを見送りに来ていた。慈善家じぜんか、富士林楓の名は学校関係者にも知るものがおり、説明が容易であった。

 ヨーロッパで会議や視察が続くので楓はしばらく日本を離れなくてはならない。戻ってくるのは秋になる予定だ。

「楓太郎、本当に大丈夫ね?何か有ったらお義父とうさんを頼りなさい。私とどうしても連絡を取る必要ができたら、事務所に連絡を取ってね」楓はもう何度目かの海外出張だが、いつもの注意をバロンに念押しする。

「わかったよ。…なんかいつもより荷物が多いみたいだし、そわそわしているような気がするけど、どうしたの?」バロンは母の様子に違和感を感じていた。

「そう?…実は旅先でお父さんと会う約束をしているの。楓太郎がああ言ってくれたから気にしてくれてるみたい。この間も突然出て行っちゃったし」ポッと頬を染める。最近は母の見慣れぬ表情をよく見るようになってバロンは閉口している。楓も女性なんだ、両親仲がいいのは幸せなんだと思うことにした。…親のイチャつきはバロンの歳では辛いものがあったが。夕姫の気持ちが少しわかったような気がした。

「そ、そうなんだ。じゃ、じゃあ本当に気を付けていってらっしゃい」


 バロンが見送りを終え、空港の中を移動しているとスーツ姿の外国人の少女が自分の荷物を倒してしまい、盛大にスーツケースの中身をぶち撒けてしまっていた。

「大丈夫ですか?お手伝いしますよ」バロンは少女の母国語と思われるアラビア語で話し掛ける。すると少女はバロンの顔を見てハッとするが

「す、すまん、頼む」アラビア語で返答される。旅慣れていないのか少女はあたふたするだけで自分で荷物を集められない。バロンは少女の身なりが良いのでお嬢様なのかなと思いつつ、荷物を拾ってまとめ、随分大きなスーツケースに押込み、蓋まで閉めてあげた。

「感謝する」少女はホッとしたらしい。

「どういたしまして。観光ですか?」

「いや、仕事だ」

「そうですか。日本へようこそ。お気を付けて」そう言ってバロンは少女と別れる。


「ソフィア様、お待たせしました。申し訳ございません。不手際でおまたせいたしました」二人の良く似た女性達が少女の元へ戻ってきた。

「あの男に会ったぞ。孫のフータローと言ったか」

「本当ですか。…追いますか?」髪の長いアルが尋ねる。

「あの男…いっそ、この場で…お館様是非とも私めを…」髪の短いエルは右の眼帯が痛々しい。

「やめておけ。あの一族の特性を考えればケガをするのはこちらやもしれん。フータロー、なかなかいい男だったぞ。殺すには惜しいやもしれん」ソフィアがバロンの去った方を見る。

「おたわむれを…あの一族の滅亡は我ら代々の悲願ではございませんか」

「…冗談だ。気にするな。では行こう」ソフィアは大きなスーツケースをアルに引かせ、迎車の待つ車寄せに向かう。


 バロンは帰る途中、東京に寄り祖父のバー、バロンの館に寄った。

「ただいま、ジイちゃん」バロンが店の中に入ると、アレックスが珍しく仕事らしい事をしていた。グラスを磨く手を止め、

「おお、タロウ!よく来た。学校は良いのか?」アレックスは大歓迎だった。

「うん、今日はお休みを取って、母さんを成田まで送って来たんだ。何か食べるモノ有るかな?」バロンは昼食をついでに取ることにした。

「今日はミクモ君がいるから本当になんでも良いぞ」

「じゃあ、ナポリタンかな」三雲の作るナポリタンは世界一だとバロンも思っている。

「おーい、ミクモ君!タロウが帰って来ているんだ。世界一のナポリタンを作ってやってくれんかね」アレックスが奥に声をかける。すぐに三雲が出てきて

「まあ、坊っちゃん、お元気でやっていられるようで。ナポリタンですね、特急でお作りします。待ってて下さい」また厨房に消える。アレックスは磨いたばかりのグラスに葡萄ジュースを注ぐ。

「どうだ、人生をたのしんでいるか?」

「うん、色んな事が有りすぎて退屈しないよ。そうだ、この間父さんに会ったよ」

「ナニ?クルトにか?」

「うん、母さんが呼んでくれたらしい。父さんギャンブラーなんだって。そんな事で大金をかせげるのかなぁ。でも地雷原じらいげんを突破したって言ってたし、もの凄い強運の持ち主なのかも。ジイちゃん知ってたの?」

「そうか、会ったのか。…そうだな、ウチの一族は悪運が強いんでな。クルトはそれを活かしとるらしいがワシもよく知らん」

「ふーん。あ、来たきた」

「坊っちゃん、お待たせしました」三雲が大盛りナポリタンを持ってきた。

「イタリア人は怒るかもしれないけど、パスタはこれが一番好きだなぁ」バロンは早速舌鼓を打つ。

「父さん、想像とあまりにもかけ離れていたなぁ。ジイちゃんには悪いけど、あんなに堅物な母さんが選んだ人だからもっと真面目な人をイメージをしてたけど、僕の見た限りは軽薄けいはくそうに見えたなぁ」

「そうか、そうか。で、どうだった?」アレックスは面白そうに尋ねる。

「うん、ちょっと憎らしいとは思ったけれど、嫌いにはなれそうになかった。…僕の事を生まれながらのおっぱい好きだって言うんだけれど」バロンは厨房ちゅうぼうにいる三雲に聞こえないように言った。

「…そうか。その話が出たか。よく聞けタロウよ。それは我が一族の男に伝えられた、もう一つの呪いみたいなものだ。かく言うワシも女性の胸が大好きじゃ。アレには男のロマンが詰まっておる。アレの為なら世界の裏まで行くのもやぶさかでは無いと思っておる。幼いタロウもよくミクモ君の胸にすがりりついていたものじゃ。血は争えないと思っておった」

「そ、そんな大層な話なの?」バロンはアレックスの迫力有る告白に思わず怯む。

「…いずれわかる、いずれな…」アレックスは意味深に言い聞かせる。

「脅かさないでよ。ところでお願いがあるんだ」


 2


 バロンが楓の見送りに行っているので今日は三人で下校していた。いつものように白桜神社でお茶をするため、立ち寄ろうと石段を登って行くと弥桜の母、雪桜が腕組みして待っている。

「ストップ!夕姫さん、何か蛇に関する物を持っていない?」雪桜に真顔で尋ねられる。

「え?エ?ああ、アレか!」夕姫は相田に貰ったキーホルダーを思い出す。

「困るのよ、ウチの境内に蛇グッズを持ち込まれると。ウチの神さま蛇に因縁が有って大嫌いなの。悪いけど境内に上がる前に、このはこに入れてくれない?後で出してあげるから」そう言って鳥居手前に有る黒い郵便受けの様な函を指差す。

「わかりました…これでいいですか?」夕姫は指示通りお土産の小袋を函に投入する。

「夕姫ちゃん、相田さんのお土産貰っちゃったんだ。私が断わったのが夕姫ちゃんに行くとは思わなかったの。蛇の件、伝えておけば良かったよ」弥桜が済まなさそうな顔をする。

「ごめんね、そういうわけだから、帰るときお返しするわ」雪桜も謝罪する。

「いいえ、気にしてません。神社ですもの、しきたり位ありますよね」夕姫はなんでもないと伝えた。

「お詫びに今日は大盤振る舞いしちゃう。氏子さんに貰った高級菓子開けちゃうわ」締まり屋の雪桜にしては随分サービスが良い。

「楽しみだな」輝虎が口出しする。

「テルは質より量でしょ」四人は連れ立って社務所に隣接する住居に向かう。


「ただいまー」バロンがアパートに帰ってきた。

「おかえりなさい」夕姫は夕飯の仕度に台所に立っていた。輝虎はペンタをかまっている。

「はい、ユキねえ、お土産」バロンは平たい箱を差し出す。

「わっ!例のチョコレート?」夕姫は手を拭いて受け取る。

「うん、呪いを解くために色々助けてくれたお礼の一部。全然足りないけど」

「そんなに気を使わなくていいのに。もちろんこのチョコレートはいつでも大歓迎だけど」夕姫はチョコレートの箱をしっかり抱きしめる。

「俺には無いのか」輝虎が催促する。

「ニャア」ペンタも欲しがっているようだ。

「アンタ達!」夕姫が図々しい輝虎達を睨むが

「テトラにはこれ」バロンは輝虎に堅焼きせんべいの大箱を渡す。

「おお、わかってるな」輝虎は満足そうだ。

「ペンタにはこれ」バロンはペンタに高級ネコ缶を差し出す。

「ニ、ニャァ」ペンタは不満そうだ。化け猫のペンタは人間のものを平気で食べるので高級でもネコ缶では物足りない。輝虎の様にせんべいの方が良いのだが、バロンに正体を隠している手前、そうも言えない。不満気なペンタを見た輝虎は後でせんべいを分けてやろうと思った。

「それでね、この間言ってたユキねえのお誕生日会、僕の快気祝いを兼ねて、ジイちゃんの店でやらないかい?弥桜ちゃんも誘って」夕姫の誕生日は五月だが、週末毎にお務めが入っていた為、当日に駅前のケーキを弥桜を呼んで食べたくらいだ。

「良いな、それ。バロンのじいさんに会ってみたいし」輝虎が賛成する。バロンの祖父、アレックスの武勇伝はバロンからよく聞いて覚えている。その伝説じみた人物に興味があった。

「じゃあ、今度の日曜日、お務めが入らなかったら。そうだ、犬神さんも運転手を兼ねて招待しよう…アレ、そう言えば弥桜ちゃんって誕生日いつなんだっけ?」


 3


「流石に私もバロン君が生きるか死ぬかの騒ぎの中で『今日、私の誕生日っ!』なんて言いだせなかったよ」白桜神社からの通学路で、弥桜は苦笑いしながら答える。弥桜の誕生日は四月のバロンが絶賛呪われ中に過ぎていた。

「アパートに駐留していた時でしょう。言ってくれればせめてケーキの1ホールや2ホールくらい準備したのに」夕姫が残念そうに答える。夕姫にとって一人前はホール単位らしい。

「良いのよ。バロン君にあのチョコレート貰ったし」バロンは弥桜にもチョコレートを持っていった。弥桜はバロンの想像以上に喜んでくれた。

「ねえ、そんな訳で遅ればせながら、僕の快気祝いとユキねえの誕生日、それから弥桜ちゃんの誕生日も合わせて今度の日曜日に僕の実家でパーティをしようよ」

「バロン君の実家?」

「うん、東京にあるんだ。ジイちゃんがバーをやってる」

「おじい様?やっぱりかっこいいの?」弥桜は成長したバロンをその父クルトと重ね合わせて理想像としていた。そのまた父となればさぞや渋いだろうと思う。

「そう、あんな父さんより、よっぽどかっこいいよ。当代のミュンヒハウゼンの当主だし」バロンは父親には手厳しい。反抗期なのか、同族嫌悪なのか、それとも両方であろうか。

「バロンって何気にすごいよな。ミュンヒハウゼン男爵の末裔まつえいにして、世界的福祉活動家のカエデ・フジバヤシの息子なんだもんな。おまけに大金持ちの父親までいる」輝虎の実家も狭い業界では槍術で有名なのだが、バロンの家ほど裕福では無い。楓の様に人様まで面倒をみる余裕は無い。兄達は自動車を持っているがありふれた国産車だ。免許証も持っていないのにイタリア製の限定車を持っているバロンとは比較にならない。

「弥桜、玉の輿こしかな?」夕姫が神社付きの娘をからかう。

「もう、夕姫ちゃんったら!」

「でも一番早く生まれていたのは弥桜だったんだ。…弥桜お姉ちゃん?」

「ミオねえ」とバロン。

「弥桜の姉御」輝虎は極道風ごくどうふうに呼ぶ。

「ヤメて、ヤメて!変な呼び方が流行ったらどうするの?」

「じゃあ、弥桜お姉さま」夕姫が手を胸の前で組む。

「とたんに、イケナイ雰囲気になるな」輝虎が突っ込む。

「もう、みんなしてからかうんだから。お姉さん怒るからね!」意外とノリノリの弥桜だった。

「でもバロン君、パーティには是非参加させて」

「良かったわね、バロン。弥桜さえ来てくれれば後はどうでも良いもんね」夕姫がまぜっかえす。

「そうだな。俺達は後日、改めて誕生日会やるか。ラーメン屋とかで」輝虎がムードも何も無い提案をし、夕姫に白い目でにらまれる。

「そんな事を言わないでよ。みんなに来て欲しいんだ。ラーメンが良ければジイちゃんに頼むから」真に受けたバロンが輝虎を引き留めようとする。

「良いのよ、バロン。そうね、テルだけラーメンにして、我々は美味しい物をいただきましょうか」夕姫が輝虎を突き放す。他愛も無い会話だった。

 バロンの呪いが解かれ、師条家直轄しじょうけちょっかつという事で多少、難易度が上がったおつとめを、臨時りんじだった弥桜を抜いた三人で数回こなしているうちに六月に入ってしまった。

 通常のお務めでは龍神の剣はふうじて、弥桜に返して貰った星辰の剣を振るったが、往時を取り戻した剣の威力は上がったものの、バロンの手では弥桜程上手く扱えなかった。

 弥桜の手元には龍神の鈴輪のみ残されており、白桜神社で使用している。ほんの一握りではあるが、普通の病では無く、悪い気や、霊障等にかかっている者が訪れる事がまれにあり、その時には活用している。お陰で霊験れいげんあらたかな神社として口コミで広がり、参拝客が増えた。弥桜の母、雪桜はホクホクである。これで弥桜の学校の成績が良ければ孝行娘として手放しでめられるのだが、そうなっていない。学業成就のお守りを授与じゅよしている神社としては、落第や受験失敗はなんとしても避けなければならない。

 輝虎と夕姫も雲龍うんりゅうげき龍髭りゅうしげんのお陰でお務めの成績が伸びている。今まで力まかせの任務にかたよりがちだったが、ぶん殴れない相手も対処出来るようになって、お務めに幅が出来た。師条三春しじょうみはる経由で来る難易度が高い任務もこなせている。このままの日々が続けば良かったのだが。


 4


「犬神サン、実はお願いとお誘いがあるんだけれど」バロンは携帯電話で犬神に電話する。先日父クルトはバロンが携帯電話を持っていないことを知り、後日、クルトの名義の契約で送りつけてきたのだ。輝虎も犬神を通して申請が通ったのでチーム三人共、携帯電話を持った事になる。ちなみにバロンが最初に受けた電話は弥桜からである。

『なんだ、俺、何でも聞いちゃうよ』バロンから預かった車を乗り回したり、いじり倒したりしている犬神はご機嫌でバロンの頼み事を聞く。

「今度の日曜日に快気祝いを兼ねて実家でパーティをする予定なんだ。犬神サンも招待したいし、出来れば車を出して欲しいんだ」

『バンの方か?バロンの実家って東京の?』

「そう、ジイちゃんの家の方。吉野さんも誘っているんだ」

『そうか。…バロン、こんな時にこんな事は言いづらいんだが…』機嫌の良かった犬神の口調が途端にトーンダウンする。


「おはよう、みんな」白桜神社に乗りつけた犬神のバンを弥桜が出迎えた。

「お、おはよう、弥桜」夕姫が返事をするがどことなくよそよそしい。ここ数日変だ。何かパーティで企んでいるのだろうと思って追求するのはよしている。前日の放課後より前乗りしているバロンは口数も減っており、弥桜は違和感を感じていた。母の雪桜まで何か言いたそうだったが、結局黙っていた。雪桜とはちょっとした事でケンカ中なのでそちらにも追求出来ていない。

「今日はお願いします」後席の夕姫の隣に乗り込む。

「おはよう、吉野さん。…あの実は…」輝虎が何かを言い掛けるが

「テル」夕姫が静かに止める。

「…何でもない。き、今日のパーティ楽しみだな。まさかバロンのレパートリーの強化番じゃないよな」輝虎は慌てて誤魔化す。バロンの得意料理は中東か南米かアフリカなのかわからない、エキゾチックなレパートリーだ。上手らしいが比較出来ないし、そもそも食べ慣れない。食材を考え無難に日本人が食べやすい料理をすれば良いのにと輝虎は常々思っている。

「大丈夫よ。おじい様は商売しているんでしょ。あんな料理出来るとしても出さない良識があると信じているわ」夕姫が安心させる。弥桜は誤魔化されたフリをすることにした。

「…ねえ、バロン君がいないから言うけど、母さんったらひどいのよ。バロン君に貰ったチョコレート、こっそり半分食べちゃったの!」弥桜は憤懣ふんまんやる方ないと夕姫に話す。

「あー、やられちゃったんだ」

「そうなの、『一個だけのつもりだったんだけど余りに美味しくて止まらなかった』とか言い訳にもならない事言ってるの」

「アレってそんなに美味しいものなのか?」食べた事の無い輝虎が尋ねる。

「私も市販の高級チョコレートを何度か買って食べたけれど、全然段違いに美味しわね。脳に来るっていうの?香りのキレが凄いの。弥桜には悪いけど雪桜さんの衝動しょうどうもわかるわ」

「なんだよ、男性陣にはおすそわけ無しか」犬神がひがむ。そこまでの品なら自分はともかく、妻と娘に食べさせてやりたい。

「俺も少し興味が出てきたな」質より量の輝虎までチョコレートに興味を持ち始める。

「今度、バロンにお願いして買ってきてもらおうか?」

「ユーキ…」助手席の輝虎が目顔で夕姫に何かを伝える。奥歯になにか挟まったようなやり取りが続いて、車内が沈黙する。

「大丈夫さ。色男のバロンのことだ、吉野さんがお願いすればすぐにでも用意するよ。そうでなくても男なんてチョロいもんだ。カワイイ女の子に『オネガイッ』って言われたら大抵のことは聞いてくれるよ」犬神が力説する。

「犬神サンも?」

「俺もそこのオネーサンにあごで使われているよ」

「失礼ね。お仕事でしょ。こんなキレイな女子高生と一緒にお仕事出来るなんて役得と思ってくれなくっちゃ」

「俺は妻子在る身だぞ。龍成さんとは違う」

「…犬神サンも知ってるの?父さんの事、どういうふうに聞いてる?」

「真田の次男坊が凰の跡取りの女子高生に手を出したって、里中のウワサになってたよ。一時は凰が真田に討ち入るんじゃないかって大騒ぎだった。そうだよな、あの時の子がユキだもんな。歳を取るわけだ」

「なに、私って生まれる前から有名だったの?」

「でもって、師条のお館様が誕生を喜んで凰の始祖、狩野夜姫かのうやきから名前をとって夕姫と名付けられたんだと聞いた。仲悪かったもんな、真田と凰。…里版ロミオとジュリエットって言われたんだぞ」

「スゴい、ロマンチック!」弥桜が前のめりに話を聴き入っている。

「母さんが私を身籠みごもった時点で喜劇だけれどね」

「そこで凰は真田に貸しを作った訳だ。凰が笹伏ささふせから婿を取る事になったのはそんな経緯もある」

「へー、じゃあ笹伏さんが夕姫ちゃんの許婚になったのは運命みたいなもんなんだ。ステキ、いいなぁ運命の人って」弥桜が妄想してうっとりとする。

「…そんな良いもんじゃないぞ。運命に従うとしても血のにじむ努力がだなぁ…」輝虎は思い出す事が有るのか複雑な表情で言いかけるが

「あら、テルは好きでやってるのよネ?」夕姫にさえぎられる。

「…ハイ、喜んでやらせて頂いています…」強引に納得させられる輝虎だった。

「運命って大変なんだ。入婿いりむこはつらいわねぇ。ウチの父さんもそうか。良かった、家付き娘で。嫁姑問題で悩まされなくて良さそうだもの。ねえ、夕姫ちゃん」

「そうね。弥桜はバロンを婿むこに取る予定なの?」

「エッ、エッ、まだそういうわけじゃないけど、そうなったら良いかなとか…」あわてて否定するが尻つぼみになる弥桜だった。

「…今は一緒にいられるだけで良いというか…」

「…」夕姫が一瞬なにか言いたそうにするが、すぐに引っ込めた。

「そうねェ…」


 5


「みんな、待ってたよ」犬神のバンの気配を感じてバロンがバーから出てくる。犬神以外を降ろし、バンを半地下の駐車場ヘ誘導ゆうどうする。犬神は初めての場所でもすんなりと駐車し、降車こうしゃすると

「ぬぁー!ものすんげーのが有る!」脇に駐車してあったピカピカの赤いオープンカーを見て興奮する。非常に古い型の今では貴重なクラッシックカーだが、手入れが行き届いていて古さは感じられない。アレックスの愛車だ。バロンも昔、よくこの車でドライブに連れていって貰った。

「あー、犬神サン、後でゆっくり見せてもらうように頼むから、とりあえず中に行こう」バロンは犬神の気持ちもわかったが、パーティ会場のバーに犬神をうながす。

「遅くなるとテトラやユキねえにうらまれるよ」店内にはすでに、ほぼ三雲の手による料理が並んでいる。食いしん坊の二人がおあずけされていて面白いはずがない。

「スマン、スマン」犬神は後ろ髪を引かれる思いで駐車場を後にする。

 二人は貸切の札がかかったドアをくぐる。すでに先に入った三人は挨拶あいさつがすんでいるようだ。店内には美味しそうな匂いが漂っていて、バロンもお腹が鳴きそうだ。

「はじめまして。犬神浩二と申します。楓太郎君の仕事のお手伝いをさせていただいています。今日はお招きありがとうございます」予めバロンがアレックスと混同こんどうされないよう、このバロンの館では自らのニックネームは封印してもらっている。この界隈かいわいでバロンや男爵と呼ばれるのはアレックスだからだ。

「これはご丁寧に。ワシはアレクサンドル八幡だ。いつも孫が世話になってご迷惑おかけしとることだろう。おうかがいしたところ、非常に自動車に造詣ぞうけいが深いとか。後ほどワシの自慢の愛車をご覧いただこうかな」今日はいつもより糊の効いた服を着ているアレックスが犬神の労をねぎらう。

「じゃあ、みんなお待ちかねだから早く始めよう」夕姫の笑顔の圧力に耐えきれず、バロンが犬神に着席するように促す。

「えー、本日はお集まりくださりありがとうございます。では吉野さんと凰さんの合同誕生日会始めます。カンパイ!」バロンは呪いのことをアレックスには伏せているので快気祝いとは言わなかった。どうせみんなは知っている。

 三雲が用意したイタリアン中心の料理が取り分けられる。自分の分だけよそらない程度には夕姫も理性がまだ残っている。イタリアンと言ったら怒られそうだがスパゲッティナポリタンの山がみるみる消えていく。

 飲み物がさっそく無くなりそうだったのでバロンはカウンター内の冷蔵庫に取りに立ち上がると、アレックスに厨房ヘ引っ張り込まれる。

「タロウ、あの胸の大きな娘が好きなんだろう?」

「どうしてわかったの?アレ、このやり取り前にもやったような…」

「ワシの目に狂いはない。オマエはあの胸に熱をあげとる」

「ジイちゃんまで。僕は吉野さんの胸だけが好きなわけじゃ無いよ。吉野さんは神社の巫女で素晴らしい神楽の舞手なんだ」

「なんと!彼女は巫女なのか?…やはり血は争えないものだの。いいかタロウよく聞け。ワシの祖父レオニダスは日本に辿り着いたとき、東北の八幡神社に世話になったそうだ。そしてその神社の娘巫女に一目惚れして熱烈な求婚が実った結果、八幡姓を名乗るようになったのだ。そうか、巫女好きも遺伝しておったか」

「やめてよ。僕は僕だよ。遺伝は関係ないハズだ。多分…」


「ウーン、おいひい。テル、そっひのピザ取って」身内しかいないので夕姫がもの凄い勢いで料理を口に放り込んでいく。最近は外で食べる時は目立たないように食事をしていた反動だろうか、輝虎の食事の手が止まる程の勢いだ。

「お、おう」

「はい、ユキねえ、飲み物」バロンが飲み物を持って戻ってきた。

「ありがとう。…ハー。本当に美味しいわね。毎日こんな食事をしてたなんて楓太郎君が羨ましいわ」葡萄ジュースを流し込んだ夕姫がバロンを羨ましがる。ずっとこんな食事をしていたら夕姫でも太りそうだ。

「ユーキ、随分慌ててないか?もっとゆっくり食べても…」輝虎がさすがに口を出した。

「若いものが気にするな。ワシはよく食べる娘は好きだぞ。さあ、遠慮せずにもっと食べてくれ。足りなければいくらでも追加するぞ」アレックスがご機嫌でさらに食事を勧める。バロンの要請で食材はかなり多めに仕入れて有る。夕姫と輝虎がお腹いっぱいに食べても今日は大丈夫だ。

「ただし、デザートが入る分は空けておいてくれ。特別なヤツを用意してあるからな」アレックスが思わせぶりな忠告をする。

 バロンは弥桜が食事中に妙な動作をするのに気が付いた。時々、テーブルの下に料理を運んでいる。バロンは首をかしげ、まさかと思いテーブルの下をのぞくとペンタがいた。

「ペンタ!来てたの?」バロンに見つかりギクッとなる黒猫だった。実はペンタは影潜りの妖術を身に付け、弥桜がカバンに入れて背負わなくても彼女の影に出入りすることが出来るようになっていた。夕姫達に今日は美味しいものが食べられると聞いて弥桜の影に潜んでついてきたのだ。大妖怪らしい能力を使って小物っぽい欲望を満たしている。

「ごめんなさい。ペットの入店お断りだった?」弥桜がズレた事を心配する。

「ううん、それは良いんだ。ジイちゃんも犬を飼っているから。連れてきているのに気が付かなかったんでびっくりしただけだよ。そうだよな。ペンタも心配して京都に来てくれたもんな。すっかり弥桜ちゃんになついちゃって。やっぱり…」バロンが深刻そうな顔をする。それを見て弥桜が首をかしげる。ペンタは構わず、弥桜から貰ったサラミにむしゃぶりつく。


 途中で犬神がアレックスに車を見せて貰う為に中座したり、三雲が焼いても焼いてもピザが消えてしまう等があったが、概ねみんな満足したころ、本日のメインイベントが来た。アレックスが利用しているチョコレート屋に特注したチョコレートケーキが2ホール出てきた。ロウソクは17本立ててなかったが、誕生日ケーキなのはわかった。夕姫の前に1ホール、弥桜を含め他のメンバーでもう1ホールだ。輝虎はケーキをホールでは食べたりしないので取り分けたもので十分だ。ペンタを普通の猫だと思っているバロンの手前、チョコレートケーキを公然とやるわけにはいかないが、夕姫がこっそり自分の分からやることにした。

「「ウマイ!何だコレ?」」初めてこのチョコレート屋のモノを食べた輝虎と犬神が驚く。

「俺、こんな美味しいチョコレート菓子初めて食べた」輝虎が思わず、普段は思い出さない母親に食べさせたいと考えてしまった。

「俺もだ」犬神は家で待つ妻と娘を思い出してしまう。

「…しあわせ」夕姫はこれ以上無いという満足そうな顔でホールケーキをほおばっている。

「美味しい、本当に来て良かった…」弥桜は目に涙を溜めている。

「よ、喜んでくれて嬉しいよ。後でお土産も用意してあるから楽しみにしていて」予想以上の反響にたじろぐバロンだったが、みんなが喜んでくれた事が嬉しかった。確かに美味しいのだが、幼少の頃から口にしていた為にそこまでの感動がわからなかった。また、周囲に大きなお金を動かす者が多かったため金銭感覚も怪しい。

「本当?嬉しい」弥桜が本当に涙を溢しそうなくらいに喜ぶ。バロンは満足して奥に下がる。そして荷物を抱えてきた。

「ハイ、ユキねえ」バロンが真っ赤な大きいクマのぬいぐるみを渡す。輝虎に貰ったクワトロと色違いだ。

「ありがとう!でも私の寝る場所無くなりそう」夕姫は嬉しそうに受け取る。

「ハイ、弥桜ちゃん」バロンは弥桜には小振りのピンクのくノ一装束のクマのぬいぐるみを渡す。サスケと対になるクマだ。

「ありがとう!もしかしてこの衣装も特注したの?」弥桜も大喜びで受け取る。

「うん、サスケ君に合わせたよ」バロンは少しはにかむ。

「それから犬神さん、茉莉ちゃんに」バロンが犬神にも赤いクマのぬいぐるみを渡す。サイズは弥桜に渡したくノ一クマと一緒だがこちらはシンプルにリボンだけだ。

「おう、ありがとうな、娘も喜ぶ」さすがに犬神は受け取っても抱き締めなかったが喜んだ。犬神も娘を溺愛できあいしている。

「それからテトラにはこれ」バロンは輝虎に小箱を渡す。

「もしかしてコレって」輝虎は予想した物が出てきて喜ぶ。雑誌に掲載されていた、頑丈で有名な腕時計だった。以前、バロンと雑誌を見ていた時に褒めたことがあった。輝虎に買えないほど高額では無かったが、付近の店舗で探しても売り切れていたものだ。

「こっちで見つけたんで買っておいたんだ。欲しかったんでしょ?」バロンは会心の笑みをもらす。

「ああ、悪いな、俺は誕生日でもないのに」

「良いって。いつも世話になってるし。じゃあ、誕生日プレゼントの前渡しってことで」輝虎の誕生日は来月の七月だ。

「ああ、ありがとう。大事に使わせてもらうよ。これで寝坊も遅刻も出来ねえな」輝虎は早速、左腕に時計を付けて具合を確かめる。バロンはその様子を見て満足そうだった。


 6


「じゃあ、ジイちゃん、三雲さん今日はありがとう」バロンはバンに乗り込んで二人に感謝を述べる。

「おじい様、ごちそうさまでした」満足いくまで食べられた夕姫も礼を言う。妹達の面倒を見て以来、食べる姿と量を目立たないように注意していた夕姫は溜まり気味だったストレスが発散出来た。お土産まで貰ってホクホクだ。

「おじい様、また来ていいですか?」ピンクのクマを抱いた弥桜は将来親戚になるかもしれないアレックスに好感が持てた。バロンが歳を取ったらこんな感じならいいなと夢想する。

「ああ、いつでもおいで、また世界一美味しい料理を食べさせてやろう」アレックスもバロンの嫁候補を大変気に入っていた。性格も良さそうだし、バロンに似合っている。

「じいさん、本当にごちそうさま。今度はゆっくり冒険話聞かせて下さい」輝虎がニコニコしながら礼を伝える。

「では、これで失礼します。また車の話をしましょう」同じ愛車家として意気投合した犬神が辞去を伝え、バンを出す。アレックスと三雲が手を振って送り出した。

「いいな、バロン。こんな帰られる場所が有って」

「うん、ホームって良いよね。ここが在るから頑張れるような気がする」バロンがしみじみもらす。

「バロン、あの件は…」夕姫が言いづらそうに切り出すが

「うん、大丈夫、僕がするよ」


「じゃあ、先に帰ってるわね」弥桜とバロンを白桜神社に残して犬神のバンがアパートに向かう。夕姫はこれから起きることを察して悲痛な表情になったが弥桜に見られずに済んだ。

「あの話、吉野さんにするのか?」犬神が夕姫に確認する。

「バロンが自分でするって」夕姫は泣き出しそうだ。

「いっそ、『俺についてこい!』って言えばいいじゃねえか」輝虎が不満そうに言う。

「言えればね」夕姫が諦めたようにつぶやく。


「バロン君、今日は本当にありがとう」ピンクのクマを抱いたまま弥桜が嬉しそうに礼を言う。

「弥桜ちゃん、話があるんだ」預かっているお土産を持ったまま、バロンが真剣な表情で切り出す。


「そんな…!」話を聞いた弥桜がクマを持ったまま走り去る。

「弥桜ちゃん…」バロンが済まなそうな顔で見送ってしまう。

 弥桜は玄関に向かわなかったが預かっているお土産を渡す為、ベルを鳴らす。

「あら、バロン君。弥桜は…そう伝えたの」雪桜が現れ、事情を察する。

「こんばんは。…ええ、ご存知でしたか」雪桜の能力前には隠し事は出来ないらしい。

「バロン君、私がこう言うのもなんだけど『俺についてこい!』って言わなかったの?」雪桜は残念そうな顔をする。

「さすがにそれは…これ、後で渡して下さい」バロンがお土産のホールのチョコレートケーキとプラリネチョコレートの箱を渡す。

「あら、私もこれ大好きなの。娘が戻るまで残っているかしら…本当に行くの?」雪桜が真顔になって問いただす。

「ええ、この辺りのあやかし沈静化ちんせいかしましたから。雪桜さんにも随分お世話になりました。命まで救って頂いて…」

「それはお互い様よ。娘の命を何度も助けて貰ったわ。ねえ、戻ってくるわよね?ここもそうだけど太刀守たちがみの里に建ててる分社を他人に任せるのはねぇ」雪桜の中ではバロンが白桜神社に入るのは既定路線きていろせんらしい。

「ハハハ、ご期待に沿えるよう努力します。それとペンタのことですが、ここで預かって頂けませんか」

「わかったわ。猫の子一匹位なんでもないわ。でも必ず戻ってきてね。この社と里の未来はあなたに掛かっているわ」

「オーバーですよ。エッ、本当ですか?」雪桜が真顔なのでバロンが驚く。雪桜が黙ってうなずく。

「じゃあ、娘が戻ってくる前にできるだけいただいちゃうからまたね。出立はいつなの?」

「来週位には福島に立ちます。…雪桜さん、お手柔らかに。今度また持ってきますから。弥桜ちゃん泣きますよ」食べないで、と言えなかったので出来るだけ被害が少なく済むよう釘を刺す。

「最近、食欲が増しちゃっててねえ。期待してるわよ。…あら、ちょっと待ってて」雪桜がお土産を持って奥へ行き、すぐに戻ってくる。手にはこよりのような物を持っている。雪桜はなにか唱え、バロンの左手首にこよりを巻きつける。

「あら、これ…」雪桜がバロンの左手首にすでに巻いてあるモノに気付く。

「そうです。弥桜ちゃんのと同じです。…こっちはなんですか?」バロンの左手首には、こよりと龍の意匠の腕輪が巻かれている。

「蛇避けよ。あなた、蛇難の相が出ているわよ。ウチの神さまは蛇が大嫌いだから敏感なの。とりあえずアパートまでは大丈夫だと思うけど、心配だったら輝虎君呼ぶ?」

「いえ、そこまでは。でも蛇難ってなんだろう?この辺マムシとか出ます?」

「いいえ、私は見たことないわねえ。私も蛇は嫌いだし。でも気を付けてね」


 弥桜は自宅の庭にある石に腰掛けていた。雪桜に怒られたりすると、よくここに来る。まだピンクのクマを抱いたままだ。すると影から黒猫がスルリと抜け出し、少女姿になった。

「しかたなかろう。奴らは危険な魑魅魍魎ちみもうりょうを狩って回っているのだから。…おい、ミオから嫌な匂いがするぞ、負け猫の匂いだ」ペンタは顔をしかめる。

「でもバロン君が行っちゃう…」弥桜は袖やら服の匂いを嗅ぐがわからない。

「ついていけば良かろう。ワシもその方が都合が良い。…ピンチだぞ」ペンタが母屋の方を見る。

「エッ?」

「ユキオがチョコレートケーキを切っているぞ。このままではワシも貰えん。先に行くぞ」ペンタは急いで居間に向かって壁をすり抜ける。

「待って!母さんを止めて、ねえ!」弥桜も慌てて玄関に向かう。このままでは母親と猫にとっておきのケーキを食べられてしまう。なんでバロンはよりにもよって雪桜にお土産を渡してしまったんだろう。最近の雪桜は食いしん坊だ。モリモリ食べる母娘に父の大三は呆れて見ている。

「母さん!お願いだからヤメてぇ!」


 7


 ああは言われたが、町中で蛇に襲われる事は有るまいとバロンはアパートまで歩いて帰った。歩きながら次の任地、福島に向かう為、この町を離れることを弥桜に告げたことを考えていた。どのように言ったら傷つけなかったのだろうか、そればかり頭の中をぐるぐると回る。

 バロンとて弥桜と別れたくない。だが未成年のバロンでは『俺についてこい!』とはさすがに言えない。弥桜の将来や今の生活を犠牲にしてまで自分の都合につきあわせられない。

 そんな事を考えながら歩いていると、なにかひどく嫌な気配を感じた。あやかし等とは違ってもっと生臭い気配だ。母親と歩いた紛争地帯で何度か感じたモノに似ているような気がする。

 雪桜の言っていたのはこの事かと思い、警戒して歩くと紐状のものの影が行く先に見えた。まさか町中で蛇は無いよな、と思いつつも恐る恐る避けていこうとすると紐が動いた。バロンは左手首に手をやると雪桜のこよりが燃え上がっていた。蛇だ。蛇よけのお守りが耐えかねて焼ききれたのだ。

 紐だと思っていた蛇がバロンに飛びかかる。バロンの手には龍神の剣が現れ横に薙ぐ。蛇は真っ二つに斬り落とされ路上でのたうつ。龍神の剣はバロンが念じると腕輪になり、左手首に収まる。バロンは物陰に入り、夕姫に携帯で電話する。


「よくやったわ、バロン」帰る途中だった犬神も呼び出し、現場に駆けつけた夕姫と輝虎だった。

「どうする?警察にも通報するか?」輝虎はウンザリした顔でもう動かなくなった蛇の遺骸を見下ろす。

「死んだ蛇ぐらいで警察は動かないでしょう。殺人蛇位の猛毒を持っているならともかく」夕姫がゴミばさみを使って輝虎の持つビニール袋に蛇を放り込む。

「でも、これ日本の蛇っぽくないよね。マニアのペットが逃げ出したのかも」バロンが推測する。不知火城しらぬいじょうの特訓以来、バロンの周りでハプニングは少なくなったが、以前は悪い冗談みたいな案件が度々起こった。この事件も一連のバロンの特性から起こったとも思えた。

「やっぱり届けねえか?ペットの蛇の失踪しっそう届けが出てるかも知れないし」輝虎が蛇の入った袋を掲げて中を見る。

「うーん、犬神さんが着いてから相談しましょ」


「もう、仕掛けたの?」アルが壺だらけの部屋にいる妹に声をかける。

「ええ、挨拶代わりにね」エルは前回の失敗以来、狂気じみている。

「うまくいかなかったじゃない」

「すぐに殺すものですか。ジワジワと苦しめて…」エルの姿にアルはゾッとする。エルの周りの壺には毒蛇が入っている。先祖代々、暗殺に使用するため、品種改良と調教を繰り返したものだ。すでに何人も毒牙にかけた歴戦の猛者もさも存在する。

「今度は気を付けるのよ。あなたにこれ以上何かあったら…」

「私は使命を果たすのみよ」エルはそう口にするが、直接手を下せる事が嬉しそうに見えた。


 蛇を引き取った犬神はそのまま、どこかに蛇の遺骸を持ち去った。三人は犬神に任せてアパートに帰った。

 夕姫は赤いクマの名前を決めないまま抱いて寝たが、クワトロほどシックリこないような気がした。夕姫のベッドはクマで埋まっていた。


「はい、富士林です。なんだ、犬神さんか、こんな朝からどうしたの」バロンが朝食の洗い物をしていると犬神から電話が掛かってきた。

『バロン、昨日の蛇に噛まれて無いんだよな?体液とか浴びてないよな?』犬神は深刻そうな声でバロンに確認する。

「ええ、龍神の剣で斬りましたから、返り血とかも無かったですよ。毒蛇だったんですか?」バロンは雪桜に貰ったこよりの符が燃え尽きたのを思い出した。

『猛毒も猛毒、噛まれたらまず死んでたぜ。ブラックマンバって言う猛毒を持つ蛇だった。里のツテで調べてもらったが間違いないそうだ』犬神は里の指示で蛇について詳しい研究機関に持ち込んだ。

『一応、警察に届けが無いか調べてもらったが、国内で登録されているものは所在が確認出来た。つまり密輸や個人輸入だな』

「そんなに簡単に買ったり出来るの?」

『文字通り蛇の道は蛇ってヤツだ。マニアは簡単に入手出来るらしい。もちろん金次第だが。なんだバロン、飼ってみたいのか?』

「とんでもない。蛇嫌いの吉野さんに嫌われちゃうよ。そうか、じゃあ飼い蛇が逃げ出したのかも知れないのかぁ」

『その件だが、バロン、お前、個人的に命を狙われて無いか?前回の呪詛の件もそうだが、今回もお前をターゲットにしてないか?』犬神は里の党首代行の光明にバロンの身辺に気を付けるように言付けられている。

「うん、僕と言うよりミュンヒハウゼン一族を狙っているらしいんだ。迷惑掛けると思う。ごめんなさい」

『良いって。それも里では織り込み済みらしい。それからクマをありがとうな。娘は俺が帰ってきたより喜んでた。しばらく離しそうもない。カミさんが俺が買ったと思って怒ってたが、アレって高いんだろ?』

「犬神サンの恩に比べたら微々たるものだよ。そうか、茉莉ちゃん喜んでくれたんだ。思い出しちゃった。これから吉野さんに会うんだ…」

『異動の件、伝えたのか』

「ええ、すごくショックを受けていました」


「ショックだったわよ!」弥桜が朝っぱらから叫ぶ。

「母さんったら、貰ったケーキ、預かってすぐに半分も食べちゃったんだから。信じられない!」大変ご立腹だった。

「…やられちゃったんだ」夕姫が同情する。雪桜にチョコレートを半分食べられた話しを聞いていたため、心配していた。

「バロン君もバロン君よ。なんで母さんにケーキ渡しちゃったのよ!」どうも異動の話より、ケーキの件が今の弥桜の中では重要になっているらしい。

「ごめん。まさかそこまでとは思わなかったよ」

「大事に食べようと思ってたのに。仕方ないから残りの半分を父さんと私とペンタちゃんで…」弥桜が口を滑らせる。

「ペンタ?」

「ううん、ペンタちゃんの前で食べようと…」

「ペンタの前で?」

「ええ、ペンタちゃんを見ながら食べると美味しくなるような気がして…」弥桜が苦しい言い訳を続ける。

「そうだ。雪桜さんにはお願いしたけど、ペンタをお務めが終わるまで預かって欲しいんだ。ペンタ、弥桜ちゃんには懐いているから」

「うー、本当にバロン君行っちゃうの?」

「うん、もうこの辺には怪の被害は出てないからね」そして弥桜の能力の調査も終了した。この神奈川近辺に残留するメリットは無い。

「…そっか…」弥桜は肩を落とす。いっそ『俺についてこい!』って言ってくれれば良いのにと思う。そうすれば決心出来るのに。優しいバロンがそんなことは言えないのは良く知っているが。


 8


「ミオっち、元気無いじゃない。バロン君とケンカした?」休み時間に弥桜の友人達が声をかけている。確かにあからさまに意気消沈している。

「ううん、ケンカはしていないよ」

「じゃあ、振られた?」

「ふ、振られてないもん!」

「そっか、振られたかぁ、バロン君モテるもんねぇ。梅田さんと修羅場まで演じたのに。おいでおいで、慰めてあげる」

「ホントに振られてないもんっ!」

「じゃあ、この間の試験の点数が悪くてお小遣い減らされた?」

「ウッ!良いの、割の良いバイトで沢山稼いだから」先日の鬼退治で弥桜は神社建立の権利だけでなく、少なくない金額を手にしている。里で真剣を見る前だったら、模造の忍者刀を買っていたはずだ。しかし成績が悪かった事は否定しない。

「…弥桜、いかがわしいバイトじゃないの?」弥桜の胸を見て言う。

「ふぇ?…いかがわしくないもん!」一瞬、何を想像されたのか、わからなかったが、思いあたって赤面する。

「いくらそんなエッチなカラダしているからって、若いうちから、そんなのやめておいたほうが良いよ」

「やめて、やめて、エッチなバイトなんてしてないから。凰さんに紹介された、そのぅ特技を活かしたっていうかぁ」

「その胸で?」

「胸は関係無いの!」

「じゃあ何?言えないんでしょう」

「うう、そのぅ、お酒の前で踊ったというか、鬼のような人の前で舞ったというか…」

「お酒?鬼のような人?ミオっち、巫女さんなんだからもっと自分を大切にしたほうが良いよ」友人達が生暖かい目で弥桜を見る。友人達はお酒のある席で鬼のような強面の男達に囲まれている弥桜を想像してしまう。

「違うから、ちょっと危なかったけど、イケナイバイトじゃないから!」どんどん墓穴を掘っていく弥桜だった。


「吉野さんって、よく誤解を受ける事を言うよね。でも良かった、思ったより元気そうで」学校では弥桜を『吉野さん』と呼んでいるバロンだった。

「バロンにはそう見えるのね。でも良いの?二年近く放っておいたら、あの娘モテるんだから彼氏の一人や二人出来ちゃうかもよ」夕姫がバロンの不安をあおる。夕姫には弥桜が落ち込むヒマも無いように見える。

「ぼ、僕は吉野さんを、し、信じてるよ」動揺しまくるバロンだった。

「だって弥桜とは何の約束もしてないし、既成事実もないんでしょ?」

「き、既成事実ぅ!無いよ、全然、そんなの」バロンは動揺しながら、次の授業の用意をしようとカバンを開けると、灰色の蛇が中から鎌首をあげる。

「うわっ?」驚いたバロンがカバンを放り出す。カバンの中身が教室の床にばら撒かれる。

「どうしたの、バロン?」そばにいた夕姫がすぐに反応したが、異状は無かった。

「アレ?昨日と同じ蛇がいたような…」バロンは床に散らばった荷物を良く探るが蛇どころか、紐も無い。教科書やノートが投げ出されているだけだ。

「ドジだなぁ、バロンは…大丈夫か?」輝虎が拾うふりをしながら状況を確認する。

「ゴメン、ゴメン、気の所為らしいや」バロンは安心するように目顔で合図する。昨日の今日で神経が昂ぶっていて、錯覚を見たのかもしれないと思い、荷物をまとめ席に付く。程なく教師が入ってきて、授業が始まる。

 バロンはノートにとるため、ペンケースを取り出そうと机に手を入れると違和感が有った。手に当たったのはペンケースではなく、鱗の生えた皮だ。バロンはそうっとゆっくり手を引っ込め、左手首に手をやり、キリを連想する。トスッと小さな音を立て、龍神の剣が細長く一尺程のキリ状に伸び、中のモノを貫く。

 バロンが教師や周囲に気付かれないように机の中を覗くと、昨日の蛇にそっくりなものが机の中でグッタリしていた。死んではいるがブラックマンバだ。

 夕姫は気付いたようだが、目でそのまま授業を続けろと伝えられた。バロンは仕方なく机に毒蛇の死体を入れたまま授業を受けた。


「うへぇ、またかよ」移動教室でクラスメートがいなくなった後で輝虎はバロンの机から蛇の死骸を引っ張り出す。具合が良いものが無かったので掃除用バケツに放り込む。確かに死んではいたが気持ち良いものでは決してない。

「また、犬神サンに連絡するか。テル、とりあえずそれ処分が決まるまで預かっておいて」イヤな役は輝虎にふる、夕姫だった。

「ええっ?こんなのどうするんだよ?」控えめに抗議する輝虎だったが

「帰るまでロッカーにでも放り込んでおいたら?」決して自分のロッカーにとは言わない夕姫ではあったが、輝虎のロッカーなら構わない。

「僕のロッカーに入れておこうか?」悪いと思ったバロンが引き受けようと申し出るが

「いいよ、汚れ役は俺に決まってる。しかし、これで偶然じゃあ無いと考えて良さそうだな。心当たりは有るのか?」

「父さんが言うにはどっかの石油王が僕達一族を狙っているらしい。この間の呪いもそうかも」

「弥桜が遠見した時に術者が外国人らしい事言ってたわね」

「呼んだ?」いつの間にか弥桜がすぐ後ろにいた。輝虎は慌てて自分のロッカーに蛇入りのバケツを押し込む。

「な、なんでも無いよ」バロンが慌てて応対するが

「私だけのけもの?」弥桜がねる。バロン達はこれ以上、弥桜を巻き込まないようにしようと考えたが

「隠し事するバロン君なんて大嫌いっ!」弥桜はプンプン怒って立ち去った。

「大嫌いって言われちゃった…」バロンが気落ちする。

「仕方ないわよ。これ以上弥桜を関わらせちゃダメよ。ね、バロン言葉のアヤだから、本当に嫌いになるわけ無いじゃない」夕姫は先程バロンをあおった時と反対の事を口にする。バロンが落ち込むとお伽草子とぎぞうしの影響によりトラブルが頻発ひんぱつしかねない。間近で当事者になる夕姫や輝虎は願い下げだ。

「そうだぞ、本当に嫌いなやつには『キライ』なんて言わないさ。俺もそうだ」輝虎は兄の昌虎は大嫌いだが言ったことは無いし、これからも無いだろう。

「そうだよね。僕も父さんにキライって…アレ?言ったな。うーん」

「いいじゃない、そんなこと。さっ、次の教室に行くわよ」転出するとはいえ、それまでは真面目に授業に参加しなくてはと夕姫は思う。大学へ進学する時に苦労するのは自分達だ。三人はロッカーに蛇の死体を残して次の教室に向かう。


 9


 放課後、同級生達が帰ったか、部活動に行ってしまい、いなくなるとバロン達三人は蛇入りのバケツを回収するため、輝虎のロッカーを開けた。

「うわっ!なんで?」とたんに死んでいたはずの毒蛇が飛びかかってきた為、バロンが叫ぶ。

 すかさず輝虎が蛇の牙で手の甲に傷を負うものの、その首を締め上げて殺す。ブラックマンバはしばらく痙攣していたが次第にグッタリして伸び切る。輝虎はバケツに放り込み直す。

「大丈夫?」夕姫が真っ青になって心配する。殺人蛇の毒牙だ。噛まれなくても毒が入ればただでは済まない。

「しまったな」傷口が猛烈に痛む。輝虎が毒を吸い出そうとすると

「待って、笹伏さん、傷口見せて」物陰から弥桜が出てくる。校門で待つフリをして、三人を見張っていたのだ。龍神の鈴輪を手に持ち、解毒を試みる。鈴を鳴らし、傷口に鈴輪を振り下ろす。またたく間に輝虎の顔が穏やかになった。

「助かった。痛みが引いたよ」傷口は残ったが、腫れや変色も無い。

「念の為、お医者さんに見てもらった方が良いよ」ヒイラギに掛かっていた呪いのように目に見えてわかれば良いが、体に入った毒は目に見えない。

「大丈夫だ。俺の家系も毒には強い。それよりなんで生き返ったかだ」輝虎がバケツをロッカーから出す。死んだ蛇を見直すがバロンの開けた穴は開いていない。

「…別の蛇じゃない?今回は怪や呪詛じゅそみたいな超自然現象は関わっていない。ホラ、バケツには蛇の体液が残ってる。…誰かが授業中にテルのロッカーを開けて、死んだ蛇と生きている蛇を交換してノコノコ確認しにきた我々を襲わせようとしたのよ。実際にそれは成功した。弥桜がいなければ大変な事になっていたわ」夕姫が状況を推理する。

「ね、私、役に立ったでしょ?」弥桜が褒めて欲しがっているようだ。

「ありがとう。でも弥桜ちゃんをこれ以上危ない目に合わせたくないんだ」バロンがすまなさそうに言う。

「…バロン君の大バカー!」弥桜は目に涙を浮かべ走り去る。

「バロン…」夕姫がバロンに声をかけるが

「良いんだ、これ以上弥桜ちゃんに迷惑は掛けられないよ」

「で、これどうするんだ」輝虎が蛇の入ったバケツを指さす。


 連絡を受けた犬神は毒物に詳しい里の人間を連れてきた。報告を受けた師条三春が手配してくれていた。岩崎の研究者だというその女性は余り服装にこだわりが無いらしく、くたびれた白衣を着ている。松山と名乗ったその女性は手袋した手で蛇を持ち上げて隅々まで観察する。

「私はタンパク質が専門だから毒物に興味はあるけど、蛇自体には興味ないのよね…このブラックマンバ、後どのくらい毒を絞れるかしら?…ねえ、今度コレに噛まれたら解毒する前に診せてくれない?私、毒の効果が実際に見たいのよ」蛇に興味は無いというが、毒物には興味の食指を隠せない。研究対象以外に興味は無いのだろう。

「ハハ、…この蛇、グレーっぽいのになんでブラックマンバって呼ばれてるんですか?」バロンは愛想笑いを浮かべながら尋ねる。噛まれたら大変じゃないかと言うのは飲み込んだ。

「見て、これはね口の中が真っ黒なの。これを見て生きてるものは少ないかもね」松山は蛇の死骸の口を開いて見せる。

「うぇ、俺、よく助かったな」輝虎がウンザリという顔をする。

「これ解毒剤とかあるんですか?」夕姫が今後の事を見据えて確認する。

「うーん、ブラックマンバの抗毒血清ねえ。国内にあるのかしら。基本必要が無いと思われる種類は用意してないかも。これからコイツを使っても時間がかかるし、一匹で取れる毒では安定したものができるかどうか」抗毒血清は毒自体を使って製造する。

「予防策とかは?」毒を受けた輝虎が尋ねる。

「噛まれないことね。ヤブ医者のセリフみたいだけど」松山は肩をすくめる。

「…そうね、このブラックマンバとやらに万全な準備をしていたら違う種類をけしかけられないとも限らないもの。嫌なやり方ね、しばらく扉を開く度に蛇がいないかヒヤヒヤしながら暮らさなければならないのかも」

「!…ねえ、これで全部かな?もしかして僕達が見つけた蛇がこれだけで、もっといるのかも。だって授業中に教室に出入り出来たんだよ」バロンがゾッとする事を言う。バロンのこういうときの予感は実現する。してしまう。

「…」夕姫が頭を押さえる。

「…一度出直そう。夜にでも、もう一度学校に戻ってきて捜索しようぜ」輝虎は半ば諦めて再捜索するように提案する。


 白桜神社に帰った弥桜は自室に戻ってきて衣装ケースから有るものを引っ張り出す。

「とうとうコレを使う日が来てしまうとは…」

「…おかしなことを考えていないだろうな」影から抜け出たペンタが釘を刺そうとする。

 弥桜が珍しく有無を言わせない圧力でペンタの両肩を掴み

「…ペンタちゃんにも協力してもらうから」上からニッコリとするがコワイ。ペンタは本能的に逆らってはダメだと悟りコクコクと頷く。これが主従関係かと改めて思った。


 バロン達三人は弥桜が先に帰って同行していなかったが、白桜神社に立ち寄り、雪桜に蛇対策についてアドバイスを受けようと訪ねた。バロンが授かった御札のこよりは燃え尽きてしまったが、お陰で蛇に気付き助かった為だ。

「雪桜さん、この間は助かりました。本当に蛇難でした。まだ続いているんですが、良いアイデアありませんか?」バロンが社務所でおまんじゅうを食べていた雪桜を捕まえて尋ねる。

「あら、バロン君、やっぱり蛇が出たんだ。それでどうしたいの?」

「蛇が出ないのが一番ですが、いるのなら全部駆除したいんです。おびき出すとか、いぶり出す方法ありませんか?あ、コレ食べて下さい」バロンはとっておきの板チョコレートのアソートが入った箱を出した。

「バロン君わかってるじゃない。うーん、そうね。ちょっと待ってて」雪桜はチョコレートの箱を受取ると奥に行く。すると書台でサラサラと墨で札用の和紙にしたためる。

「これでいいわ。これを広げた後、火を付けて。蛇がいれば嫌がって出てくるわ。あなた達でも使えるようになってるわよ」チョコレート効果か、ご機嫌で用意してくれた。

「ありがとうございます。一枚で大丈夫ですか?」夕姫が確認する。

「今はそれしか視えないから一段落したら、また来なさい。うちの娘はどうしたの?」

「先に帰ったはずですから、もうお宅にいると思いますが」

「そう、上がってく?」

「今はそうっとしておこうかと」

「そう、わかったわ、ではまた明日」雪桜はニッコリ笑って送り出す。

「行ったわよ」雪桜が後ろに声をかけると弥桜が出てきた。物陰に隠れていたのだ。

「バロン君のバカ、心配して見に来てくれても良いじゃない」

「でも良いの、バロン君モテるんだから二年近く離れてたら彼女の一人や二人出来ちゃうんじゃない?」

「ウッ!わ、私はバロン君を信じてるよ」

「でも弥桜、バロン君とは何も約束してないし、ナニもさせて無いんでしょ。あの年頃の男の子が我慢できるかしら」

「やっぱり、バロン君もエッチなのかしら?」

「そうなんじゃないの。お父さんが警戒しているのがいい証拠よ」

「父さんも若い頃エッチだったのかしら?」

「…そうだったのかもしれないわよ」

「でも夕姫ちゃんみたいに出生の秘密は無いわよね。夕姫ちゃんのお父さんはお母さんが高校生の時に妊娠させたんだって」

「あら、随分情熱的だこと。私達はいたって普通の結婚よ。…そうだ、有ったじゃない、出生の秘密。私と誕生日一緒だってこと。そう思えばケーキの件も許せるでしょ」

「夕姫ちゃんじゃあるまいし、ホールケーキ半分も食べちゃう事ないじゃない。父さんも驚いてたわよ。アレ、そのチョコレート…?」弥桜が先程から雪桜が食べているチョコレートに気が付く。

「バロン君がおいていったの。私に食べて下さいって」

「バロン君の、バロン君のバカー!」白桜神社に弥桜の絶叫が響きわたる。

「なんで母さんなのよ?さんざん私に世話になったじゃない」弥桜の脳裏には呪われ中の弱々しいバロンの姿が走馬燈そうまとうの様に巡っている。

「…あのね、これは蛇をいぶり出す札を…」雪桜はバロンに助け舟を出そうとするが

「バロン君のオッパイ好き!胸が大きければ母さんでも良いの?いっそ母さんとイチャイチャすれば良いんだわ」

「バロン君の評価ってそんなだったの。残念ね、私には愛する夫とバロン君と同じ歳の娘がいるの」

「母さんもふざけないで!こうなったら私がいないとバロン君がどれだけポンコツか思い知らせてやるわ」そう言ってドスドスと足音を立てて自室に戻っていく。

「イヤね、反抗期かしら?」

「ワシにもチョコレートをくれ。最近のお気に入りなのだ」弥桜の影から抜け出たペンタがチョコレートに手を伸ばす。弥桜も怒ってないで雪桜から分けてもらえばいいじゃないかとペンタは思う。

「…ネコってチョコレートを食べていいの?」


 10


 余り遅くなるとお腹が減るからと夜の八時に学校に忍び込む事にした。

 近所からの死角になる抜け穴をこの学校に来てすぐに見つけた。しかし、輝虎の体格ではフェンスの隙間を通れないので彼だけ塀の低くなっているところを跳び越す。

「ミノタウロスの時にも来たけど、夜の学校ってドキドキするよね」バロンが場違いな事を言い出す。まだ余裕があるのだ。今日は手加減がいらないと思っているので、ブレスレットになっている龍神の剣が主装備だ。

「あら、バロン、じゃあ一人で行く?」蛇が大嫌いではなかった夕姫も毒蛇にはウンザリしている。今日は有効打を与えづらい弓は封印して、双剣だ。最近、妹のべにに触発されて修得にはげんでいる。バロンの稽古の後に輝虎に手伝ってもらっているのだ。なまじ弓術が得意だった為、凰家に伝わるもう一つの武術、鳳凰の型の双剣の修得がおろそかになっていた。

「そう言うなよ。ユーキ、なかなか様になっているぜ」夕姫の格好を褒めた輝虎はここしばらくの相棒、雲龍の戟を担いでいる。バロンの龍神の剣のようにコンパクトにならないか試したが、今のところ達成されていない。仕方ないのでケースに入れ持ち運んでいる。

「じゃあ、宿直の先生に見つからないように教室へ行きましょう」


 今日の宿直は体育教師の江口だった。校舎を一周見回る訳だが、何もあるはずは無いとたかをくくっていた。せいぜい、廊下に落とし物や、窓の閉め忘れが在るくらいだ。


「体育の江口先生だわ。あの先生、視線がスケベなのよね。体育の時間、女子の胸やお尻ばかり見ているのよ」教室の物陰でやり過ごした夕姫が見回りの教師の悪口を小声で言う。

「女性ってそういうのわかるの?」バロンが純粋な好奇心で尋ねると

「わかるわよ。バロンも弥桜の胸ばかり見ていると嫌われるわよ」

「え、僕、そんなに弥桜ちゃんの胸を見てるかな?」

「気付いてないのね。気を付けなさい、女子はそういう視線に敏感だから」夕姫が呆れて指摘する。

「バロン…」輝虎が残念そうな目で見る。

「テルも私のお尻ばかり見てるでしょ。…男の子ってこれだから」

「さあさあ、先生も行っちゃた事だし始めようか」バロンが誤魔化そうと呼びかける。見つかる恐れはあるが教室の照明を点ける。暗闇で毒蛇に囲まれるのはさけたい。

「まあ、良いわ。あんた達そのうちバチが当たるから」夕姫は予め持ってきた皿をバロンが使っている机に置き、準備する。バロンが札を置きマッチで着火する。

 札はあっという間に燃え尽き、煙が立つ。するとどこに潜んでいたのか百匹近い毒蛇が現れる。種類も多様なようだが、蛇について予習等していない三人には、もう見慣れたブラックマンバと、キングコブラ位しか見分けはつかない。わかるのは一匹一匹が猛毒を持っていて、どれに噛まれてもおしまいだという事だけだ。

「こういうの映画の中だけと思っていたぜ」雲龍の戟を振り回す輝虎がぼやく。

「良かったわね、今日はあなたがハリウッドスターよ」夕姫も長刀二本を振り回すが、相手が低かったり、机の影に隠れたりで戦いづらい。

「ハハ、大当たりだったね。しばらく長いものはウナギでも見たくないや」バロンが使っている龍神の剣はその纏った焔で蛇を焼いていくが、机や床は焦がしたり、燃やしたりしない。

「龍神さんに私も剣をもらえば良かった。あの弦も素敵だけどこのままじゃ…」先程の輝虎の件が有ったので高分子繊維で出来た手袋をし、頭部以外は完全防備の三人ではあるが、相手は小さく数が多い。中には毒液を吐く個体もいる。

「…なんだ、誰かいるのか?」教室の戸を引いて宿直の江口先生が入ってくる。三人はしまったと思ったが時既に遅く、数匹の毒蛇が江口に襲いかかる。

「うお、なんだ、なんだ、!」噛まれた江口が声にならない声を上げ、仰向けに倒れる。そこへ毒蛇が殺到する。

「ダメだ、助からない…」輝虎が悲痛な声を発する。

「いくらスケベでも死んで欲しいとまでは思わなかったのに…」夕姫が体育教師の最後を憐れむ。

「でもこのままだと僕達も遠からずああなるよ」三人では背中合わせになるまで追い詰められていた。

「お困りのようだな」教室の外から声がする。聞いたことが有る声だ。

「誰?」

「問われて名乗るもおこがましいが、正義の忍者、八重影やえかげ、見参!」戸を開き、姿を表したのはくノ一装束の少女だった。顔を覆面で隠していたが

「弥桜ちゃん?」

「弥桜?」

「吉野さん?」三人はすぐに弥桜だとわかる。夕姫はその忍者装束がボツになった弥桜専用戦闘服のくノ一仕様だと気が付く。露出が多く、夕姫が却下したものだ。はみ出そうな部分は改造の上、鎖かたびら仕様のスーツを着る事により防いでいる。

「弥桜等と云う美少女巫女では無い。我が名は八重影、正義の忍者だ」くノ一は弥桜とは別人と言い張る。その上、どさくさに紛れて弥桜自身を美少女と呼んでいる。

「絶対に弥桜ちゃんだよ。その胸を見間違うことは無い」バロンが叫ぶ。

「…バロン 、それでも弥桜の胸を見てないって言えるの?」夕姫が呆れるが状況は最悪のままだ。このままだと弥桜改め、八重影も危ない。

 八重影は毒蛇達を引きつけたまま、教室を横切り、窓を開けて夜の校庭の空へ飛び出す。

「トウッ!」

「弥桜ちゃん!」バロンが青くなって呼びかける。

 毒蛇達はハーメルンの笛吹き男に引き寄せられたネズミのように八重影を追って窓から飛び出す。教室には死んだ蛇と体育教師しか残らなかった。

 いくら能天気な弥桜でも、なんの準備もせずに二階の教室の窓から飛び出さないだろうと思いながらも三人は窓に駆け寄る。

 校庭には真っ黒くて大きいキツネがおり、その上に八重影が立っている。ガマに乗るジライヤのようだ。その手にはアパートに置いてあるはずの星辰の剣が有り、吹き出す火弾で蛇達を焼いていく。黒い化け狐も口から火を吐き、毒蛇を焼き殺す。

「弥桜ちゃん、すごい、すごい。どういう仕掛けなんだろう」バロンが無邪気に弥桜を褒める。それを聞いた夕姫はあのキツネの正体はペンタだと言いたいのをグッとこらえる。二階から飛び出して大丈夫だったのも、鍵の掛かったアパートから星辰の剣を持ち出せたのもペンタがいればこそだ。さすが大妖怪、なんとかとハサミは使いようだ。

「このままだと吉野さんが全部片付けちゃうんじゃないか」輝虎が呑気のんきに言うが

「そうはいかないみたいよ」夕姫の予想通りの展開が校庭で起きる。化け狐が徐々に小さく縮んでいるのだ。あんな大技を出していたらペンタは燃費が悪い。付喪神や魑魅魍魎相手なら気を奪って復活出来るが、蛇は駄目なようだ。ペンタは以前大ネズミにやられそうになったように空腹だと役立たずだ。八重影も縮んだペンタに立っていられずに地面に尻もちを付く。

「まずい、先に行くぜ」輝虎が窓から校庭に飛び降りる。こちらはなんの仕掛けもない。バロンと夕姫は階段に回って降りる。


「助かったぜ、八重影サン。後は任せろ」輝虎が残った毒蛇を掃討する。もう輝虎一人でも片付けられる数しか残っていない。

「スマン、助かった。ではまたな、あ」八重影のお腹がクウッと鳴る。ペンタに気を吸われて弥桜も空腹なのだ。エネルギー切れの果てに小ギツネにまで縮小したペンタを抱いて八重影は走り去る。そこへバロンと夕姫が駆けつける。

「終わったみたいだね。弥桜ちゃんはどこ?」

「八重影は去ったよ」

「アレは弥桜ちゃんだよ」

「あのなぁバロン、様式美っていうのがあるんだ。吉野さんに会っても八重影の話はするなよ」仮面ヒーローをやけに庇う輝虎だった。

「う、うん、わかった。テトラがそう言うなら」バロンは納得は出来なかったが、そういうものだろうと思ってそれ以上追求しない。

「あの子もナニやってるんだか。欲求不満なんじゃない?」


 11


 コンビニエンスストアで手当たり次第に購入したものを、ペンタと自分で買い食いした弥桜は、復活した大妖怪に星辰の剣をバロンの部屋に戻させ、自宅に戻った。

「この不良娘、こんな遅く何処へ行ってたの」こっそり家に入ろうとしたところを雪桜に見つかり、呼び止められる。

「正義の活動よ」弥桜は意味ありげに答える。さすがにくノ一姿で外は歩けないので、戦闘巫女服用のコートを上に羽織っている。雪桜はコートをめくり

「こんなエッチな格好して。若いのに随分マニアックなプレイに及んでるんじゃないの?」娘の身体を包む、元は露出度の高い、男達の趣味が多分に盛り込まれたくノ一装束を見て指摘する。

「エ、エッチって…マニアックなプレイ?」弥桜はキョトンとする。

「例えば『へ、へ、へ、捕まったくノ一がどうなるか分かっているんだろうな?』『くっ、殺せ』『殺しはせん、その可愛い体に聞くだけだ』『やめろー』みたいな?」雪桜が棒読みで演じる。

「やめて、やめて、まるで変態サンじゃない!言ったでしょ、正義を行ってきたって」

「そういう設定なのね。…そのコスチュームで言われてもねぇ」

「コスチュームじゃないの!正義の戦闘服なの!」

「ハイ、ハイ、正義のニンジャさん、早くお風呂に入って勉強しなさい。このあいだの試験の結果、酷かったでしょ。あんまりバカだとバロン君に呆れられるわよ」雪桜は娘に決断の時が訪れた場合、学力が必要になることがわかっていた。今は可能な限り学力を身に付けさせたい。

「…チョコレート」

「え?」

「バロン君のチョコレートが有れば頑張れる気がする」

「ああ、あれね。もう食べちゃったわよ」

「…母さんの食いしん坊!デブになっちゃえ!」弥桜は涙を浮かべて自室に走り去る。

「…やっぱり反抗期なのかしら」

「ユキオ、あのチョコレートを全部食べたのか?」ペンタが雪桜を見上げる。

「あら、ペンタちゃんいたの?あなたにもあげたじゃない。ええ、お腹が空いてたから食べちゃった」

「では仕方がない。だがミオは泣いていたぞ」


「仕方なかろう、あのチョコレートはユキオがバロンに貰ったものだ。ミオも意地を張らず、あの場でもらえば良かったのだ」弥桜の部屋に潜り込んだペンタがベッドでおにぎりを食べながら話す。

「ペンタちゃん、貰ったの?」

「ああ、旨かったぞ」

「じゃあ、食べてないの私だけ?…正義のヒロインはツライわね」弥桜が八重影の活躍の報酬にチョコレートをせびる訳にもいかない。

 仕方なく机に向かう。悔しいが母親の言う通り、バロンに呆れられそうな成績だったのだ。その時

「ムムッ?まあ良いか。きっと私のありがたみがわかるでしょう」弥桜はバロン達の周囲に災難が起きるこを予感したが、機嫌が悪かった事や、一大事にならないとわかったので、連絡はやめた。

「ねえ、この服、エッチかな?」くノ一装束の印象をペンタに尋ねる。

「フム、オスを喜ばす扇情的という意味か?そうであろうな、きっとバロンは喜んでいたぞ」


「エル、あんなに大量の毒蛇を投入して大した成果が上がらなかったじゃない。お館様もしばらく休めと言っているわ。あの男達にちょっかいを出すのは、もうこれくらいにしたら」アルが妹の身体と精神を心配して声をかけるが

「まだまだ、これからがお楽しみだ。見てろよ、一瞬たりとも気が休ませられないようにしてやる」エルは姉の言葉など一顧だにせず、含み笑いをする。アルはその様子を見てゾッとする。

「しかし、あのニンジャガール、まさかあの女ではあるまいな」エルは八重影の正体がバロンヘの呪詛を遮断した術者ではないかと疑っていた。


 予め待機してもらっていた猟犬のお掃除部隊、犬神と松山に簡単な報告をして三人はアパートに戻ってきた。松山は毒蛇の標本が多数入手出来たため

「今日は豊作ね。あ、そこ丁寧に扱って。うーん、これで焦げてなければねぇ」大興奮で回収の指揮を取っていた。蛇に興味がないと言うのは信じられない。

 体育教師の江口は事故死扱いにされた。学校葬になるのだろうか。後味が悪い結果となった。


 三人はもう何度も行けなくなる、行きつけだったラーメン屋で夕飯を済ませてそれぞれの部屋に戻る。その格好でラーメン屋に入った訳だが、毒蛇との格闘を行なった衣類のまま寝室に行くのは躊躇ためらわれた為、夕姫は全部着替える前に入浴する事にした。実家と異なり狭いユニットバスだったが、疲れと汚れを洗い流し、ご機嫌で浴室から出ようとして固まる。脱衣室の床にいた赤、白、黒の横帯柄の蛇と目が合ってしまった。次の瞬間

「キャーーー!!」自分でもこんな声を出せたんだと思えるほどの大きな悲鳴を上げた。


 バロンとダイニングでテレビのニュースを見ていた輝虎は、夕姫の悲鳴を聞いて飛び上がり、まだ片付けていなかった小太刀を引っ掴んで外廊下に飛び出す。

「バロンはそこで動くな!」罠かも知れないので、バロンには身の安全を最優先にさせる。

 その際、玄関に置いてあった緊急用の合鍵も忘れなかった。何か起きた時の為に預かっていたもので、夕姫の持つ男部屋の鍵と違い、プラスチックのケースに入っており、壊さないと使えない。鍵を使えばわかる仕組みにしてある。輝虎は今まで使った事はなかった。ようは今までナニも起こさなかった。

「ユーキ!開けるぞ!」今日は違う。プラスチックケースを思い切り破壊し、鍵を開ける。とたんに良い香りが輝虎の強化されている嗅覚に飛び込んでくる。

 浴室だと確信し進むが

「テル?今来ちゃダメ!いえ、早く来て!」混乱して矛盾する事を指示する夕姫の声が浴室の方から聞こえる。輝虎は疾風の様に脱衣室に飛び込む。

「テル、足元に蛇!気を付けて!」浴室に下がった夕姫が注意を促す。輝虎は横縞のサンゴヘビとおぼしき二匹の蛇を目にし、アパートの建材が傷付くのも考慮せずに抜刀し斬りかかり、床材ごと二匹の首をはねる。悲鳴を聞いてからこの間十数秒、まさに電光石火の行動だった。輝虎が夕姫の無事を確認しようと目線を上げようとすると

「見んな!」浴室の扉を閉められない、生まれたままの姿の夕姫が慌てて後ろを向いてうずくまる。

「み、見てない」嘘をつきながら用意してあったバスタオルを見つけ夕姫に放る。

「ちょ、ちょっと待ってろ、一旦部屋に戻って袋持ってくる」輝虎は夕姫の裸を見て動揺しながらも、後片付けに取り掛かる。もう一度戻ってくる頃には夕姫の格好もなんとかなっているだろう。


 輝虎が男部屋に戻るとなんだか焦げ臭い。バロンが立って床を見ている。

「テトラ、やられたよ。こういう事らしい」バロンの視線の先に二つに焼き切られた、鱗がギザギザの蛇の死体が有った。

「ユーキのところにも二匹出た。犬神サンにこっちにも来てもらう用に連絡してくれないか」輝虎は後始末を考えゲンナリする。

「わかった。電話するよ。どうも敵は休むヒマをくれないつもりだ」バロンの声が怒りに震える。しかし

「こうなると頭を下げてでも泊まるところを確保したほうが良いらしいや」


「テルにハダカ見られた…テルにハダカ見られた…」夕姫がうつむいてボソボソつぶやく。毒蛇が現れたことより輝虎に裸を見られた事が夕姫にはショックだったらしい。荷物を担いで夜道を歩く三人は蛇の来ない聖域を目指していた。

「そんなにテトラに見られたくなかったの?」空気を読まないバロンが夕姫に問いかける。混浴露天風呂疑惑等が有ったので、夕姫は輝虎に見られても大丈夫なのかと思っていた。すると荷物を輝虎に持たせている夕姫がバロンの肩を掴み真っ直ぐに見つめ

「いいバロン、見られると見せるの間には大きな隔たりがあるの。女の子にも事情があるの。そのへん理解しないと彼女が出来ても愛想つかされるわよ」夕姫の迫力に身の危険を感じた為

「わ、わかったよ、もうこの話題は口にしない」

「バロン…」輝虎はそんなバロンの姿に同情した。輝虎も確かに夕姫の裸は拝めたかもしれないが、その後の蛇の死体三匹分の処分を思い出すと割に合ってたか首をひねる。決して口には出さないが。

 とにかく今晩あのアパートで寝られる自信はない。かと言ってホテルなどに泊まってもそこに毒蛇が仕掛けられないとも限らない。蛇が近寄れず、三人の事情を知られても構わない場所と言うとあそこしか思い浮かばなかった。


 12


「みんな、大変だったわね」雪桜が三人を出迎えてくれた。

「本当にいつもすみません。またご迷惑おかけします」事前に事情を話して寝る場所の提供をお願いしておいた。

「娘がお世話になっているんだから遠慮しないでいつまでも居ていいのよ」先刻にバロンが渡したチョコレートが効いているのか、とても愛想が良い。

「客間は夕姫ちゃんが使うとして、男子諸君は広間で良いかしら?」

「ええ、横になれれば廊下でも良いです」そんなことをすれば邪魔になりそうな体格の輝虎が言う。

「蛇がでなければ外でも良いですよ」

「ここは大丈夫よ。常時、蛇の結界が張ってあるし、故意に持ち込めば、この間の夕姫ちゃんみたいに皮になっていてもわかるから安心して休んでちょうだい」

「…弥桜ちゃん帰ってきましたか?」弥桜があらわれないので心配になったバロンが尋ねる。

「やっぱりバロン君達のところに行ってたのね。すごい格好して戻ってきたわよ。育て方間違えたかしら」

「いえ、すごく助かりました。本人は正体を隠したいようなので何がどうとは言えませんが」

「そうなの?…あの子、私がチョコレート食べちゃった事を怒って気を悪くしているのよ。放っておいて」

「そうですか。…アレ全部食べちゃったんですか?」

「ごめんなさい。余りにおいしすぎてついつい…」

「あ、良いんですよ、美味しく食べていただければ」バロンは愛想笑いを浮かべる。

「あ、でも少しはペンタちゃんに…いえ、ペンタちゃん見ながら食べたんで進んじゃったのよ」雪桜は口を滑らせかけて、娘とおんなじ言い訳をする。

「?そんなにペンタを見ると食欲が増進するのかな?」バロンは考え込むが当然わからない。

「さ、さあ、自分の家だと思って、お風呂にでも入ってゆっくりして」雪桜はごまかすが何か忘れていたような気がした。


 すぐに勉強に行き詰まった弥桜は気分転換を兼ねて風呂に入っていた。外が賑やかな様子だが氏子の訪問でも合ったのだろうかと考えながらバスタオルで身体を拭っていると脱衣室の外で気配がする。そしてやめれば良いのにバスタオルで前を隠したまま

「誰?」と脱衣室の戸を引いて誰何すいかする。


 夕姫はもう惨劇の入浴を済ませていたので、男子だけが入浴する事になったのだが、輝虎が自身は汚れているからとバロンに先に入るように勧めた。

 バロンは呪詛を受けたときに利用しているので要領がわかっており、風呂場へ向かった。

 しかし、脱衣室の戸が閉まっていたので、一度立ち止まって考えたが人の気配も感じた為、弥桜でも使用しているのだろうと、そうっと広間に戻ろうとすると悲劇の、または喜劇の扉が開いた。

『誰?』ガラガラッ!


 思わず脱衣室に目を向けたバロンと、バスタオルで前を隠しただけの弥桜の目が合った。これがバロンでなく、弥桜の両親なら『はしたない』と怒られて終わりだったのだろうが、

「「エッ?」!」弥桜にとって予想外の人が立っていた為に驚いてバスタオルを取り落とす。ポロリ。一瞬のはずなのに永遠に感じる時間が流れた。

「イヤぁ!」弥桜は慌てて戸を閉めるが、バロンが一番大好きな場所がしっかり見えてしまった。

『み、見た?』弥桜は泣きそうな声で尋ねる。

「い、いいや、よ、よく見えなかった」すぐわかる嘘をつくが

『…もうお嫁に行けない。…責任取って、バロン君…』

「エエッ?!」


「富士林君、殴って良いか?」吉野大三は怒りを抑え静かに問う。今の応接セットでバロンの対面に座る。

「あなた、やめて。完全に弥桜が悪いわ。バロン君は今回、被害者よ」大三の隣に座る雪桜はバロンを庇う。

「しかし、私だって見たことのない成長した弥桜の裸を見てしまうとは…どうしても許せん」男親の本音が少し漏れ出ているが、このままだと里仕込みの格闘術がバロンに炸裂しそうだ。

「すみません、なんと言ってお詫びすればいいか…」バロンは平謝りする。

「あなた!…バロン君謝ることないのよ。全てはすっとこどっこいの弥桜が悪いんだから。それにこの間は見られたんだからおあいこよ」

「しかしだな。富士林君はトラブルばかり持ち込むような気がしてな…」

「あなた!…」雪桜が大三をたしなめる。そこへ部屋着に着替えた弥桜が現れ

「父さん、バロン君は悪くないの。でも、でも…」弥桜は涙を浮かべる。嘘泣きである。雪桜は気が付いたが、男二人はオロオロし始める。

「弥桜、わかった、もう富士林君は責めないから」オロオロした大三がなだめようとする。

「弥桜ちゃん、ごめんなさい。今度お詫びにチョコレート持ってくるから」オロオロしたバロンもモノでなだめようとする。勝ったと思った弥桜がペロッと舌を出したのを雪桜だけが気が付いた。雪桜は弥桜の強かさに呆れるとともに、やはり我が娘なんだなと納得する。

 バロンが天を仰ぐ。今日は色々な事が有りすぎた。いつこの長い一日が終わるのだろう。ここには寝る為に来たはずなのに、まだなかなか寝られそうにない。夕姫も輝虎ももう寝ているのだろう。この蛇騒ぎを起こした者を改めて恨んだ。


 13


 「…おはよう…」目の下にクマをつくったバロンが起きてきた。

「…おはよう、バロン。どうしたの?ヒドイ顔よ」くたびれきったような顔をしたバロンを心配する。夕姫は泊めてもらったせめてもの礼に朝食の準備をしていた。輝虎は境内を掃除しに外へ行っている。

「…あれからアクシデントが有ってね…」

「ウウッ!…その話はやめて…」夕姫と一緒に朝食を用意していた弥桜がつらそうに口元をおさえる。

「どうしたの?弥桜」夕姫が今度は弥桜を心配する。先程まで弥桜は健康そのものだったはずだ。八重影に変身してストレスを発散したからだと思っていたが。弥桜は夕姫の胸に飛び込み

「うう、聞いて、夕姫ちゃん。バロン君に、バロン君に…」

「バロンに?」

「バロン君にハダカを見られたの…」

「「エエッ?」」理由は別だったがバロンと夕姫は弥桜の言葉に驚く。

「弥桜も?」昨日は輝虎に裸を見られた夕姫が尋ねる。

「弥桜ちゃん、誤解されちゃうよ!」バロンは抗議する。

「夕姫ちゃんも見られたの?」まるでバロンが風呂場を覗きまくっているかのように聞こえた弥桜だった。

「ううん、私はテルにだったけど…蛇のせいでね」夕姫は思い出したくないと目を覆う。

「ユキねえ、僕もアクシデントだったんだ。信じて。お風呂場に行ったんだけど、使っていたみたいだったから引きあげようとしたら戸が開いて…」

「ワーン!バロン君に、バロン君に…」弥桜がバロンの言葉を遮るように夕姫の胸にすがりつく。実はかなり演技が入っているのだが、そんなことは疑わない夕姫は

「…バロンにナニされたの?」真剣に問いただす。

「…いいの、もう。…きっとバロン君は責任取ってくれると思ってるから。…バロン君も男の子だもん、しょうが無いよね…」弥桜はナニをされたとは言わずに自分が我慢すればみたいな言い方をする。

「弥桜ちゃん!絶対に誤解されるように言ってるよね?」さすがにバロンも黙っていられなかった。

「…あら、開き直り、バロン?あなたは真面目だと思ったけど、やっぱりオスなのね…」夕姫が軽蔑の眼差しでバロンを見る。

「ハッキリ言っておくけど、僕は指一本弥桜ちゃんに触れてないよ。そうじゃなきゃ弥桜ちゃんのお父さんに殺されてる」

「…そうなの、弥桜?」

「…でもオスそのもの様な目で私のハダカを凝視されたような気が…」まだ弥桜の演技は続いていたが

「バロン!」

「そんなぁ、確かに弥桜ちゃんの胸は想像通りキレイだなぁとかは思ったけど、イヤらしい目では決して見てないよ!」バロンは弁解するがまったく説得力がなかった。

「…バロン…」夕姫はしっかり見るべきものは見ていると語るバロンに呆れた。同時に自分も輝虎にバッチリ見られたのだろうかと思い、複雑な気分になる。

「おーい、朝メシまだか?」掃除を終わらせ、いつの間にか現れた輝虎に朝食を催促されてしまう。


 今日の登校は気まずさもあって、男女別で白桜神社から学校に向かう。

 学校がどうなったか心配だ。お掃除部隊の仕事は信用しているが、体育の江口先生はもう戻ってこない。


「バロン君、見損なったわ!あんな人だと思わなかった!」弥桜はバロンが脱衣室で予想以上に胸を注視していたことに腹を立てていた。よく見えなかったって言ってたのに、嘘だったのか。弥桜はバロンの言葉を信じていたのに。思い返せばバロンの視線は弥桜の胸に下りてばかりだったような気がする。

「幻滅した?」夕姫は他人事なので楽しそうに尋ねる。

「そ、そこまでは…だ、誰にでも欠点はあるし…そう!私がバロン君の性癖を治してみせる!」また弥桜が余計な事を思いつく。需要と供給にバランスがとれているんだから良いじゃないかと夕姫は思う。

「どうやって?」

「え、え?…そうねぇ、うーん…どうしよう?」

「ホラ、無理だって」

「そうね、でも私だけを見ていてくれるならいいのかなぁ」確かにバロンの周囲の年頃の女性に胸の大きな人は少ない。このままで行けば弥桜の独占市場だ。

「余計な事をして、こじらせたら事よ」

「こじらせる?」

「胸が大きければ見境なく食いついたり、逆に大きな胸が嫌いになるかもよ」夕姫はそんな事は絶対に無いと思いつつ、弥桜をからかう。

「嫌ぁ、そんなバロン君ダメェ!わかった、バロン君がちょっとエッチでも許す事にする」弥桜は真に受けて不承不承我慢を選ぶ。

「ところで弥桜、大荷物ね。例の忍者装束でも入っているの?ミオ影だっけ?」随分うろ覚えだ。

「八重影よ!まったく偽名になってないじゃない」

「でも、よくあんなエッチな格好出来るわね。それでバロンの事を責められるの?」性癖を治すと言うならバロンよりあんな格好で徘徊している弥桜の方だ。

「エッチじゃないもん!正義の忍者だもん!」力強く否定する。

「その胸を強調してバロンを喜ばせてるのかと思った」弥桜を痴女扱いする。

「夕姫ちゃんの意地悪っ!」

「ゴメン、なんか弥桜って虐めたくなるのよね。あ~、でもその胸もそろそろ見納めかも」夕姫の野望達成には弥桜の胸の加護が不可欠だが、離れてしまうとなれば致し方ない。

「ねえ!胸だけ?ねえ!私自身はどうでも良いの?」

「冗談よ。でもそれだけ大きいとそっちが本体だったりして」

「夕姫ちゃんのバカッ!萎んじゃえ」弥桜は学校に向かって走り出す。

 後ほど下着に違和感を感じた夕姫が自分の胸のサイズを測ると、順調に膨らんでいたものが1サイズ小さくなっていた。慌てて購買で数量限定スペシャルメロンパンを持って弥桜に謝罪すると元に戻った。乳神恐るべし。夕姫は二度と弥桜の胸についてからかわない事を固く心に誓う。


「なあ、バロンは吉野さんのハダカ見ちゃったのか?」夕姫達の後から学校に向かう輝虎がバロンに確認する。

「事実だけを言えばそうなんだけれど、アレは不可抗力だったよ。脱衣室の前まで行ったのは確かだけれど、断じて僕は戸に手を掛けなかった。引き返そうとしたとき突然脱衣室の戸が開いて、バスタオルを持った弥桜ちゃんが現れたんだ。そこで弥桜ちゃんが驚いてバスタオルを放しちゃっただけだよ。ラッキーじゃなかったとは言わないけれど。テトラこそどうだったのさ」

「俺はユーキがあの可愛らしい悲鳴を上げた時にユニットバスで襲いかかろうとした毒蛇を斬り殺したんだ。ユーキは風呂から出ようとしていたらしいんだが、当然丸裸なわけだ。でも手で隠してたし、すぐ後ろ向いちゃたから『見られた』って言われる程見てないぜ」

「でも、テトラはユキねえの背中側が好きなんだから、ご褒美じゃないか」

「ご褒美?そんな良いもんじゃなかったよ。その後の蛇の片付けを考えたら安すぎる。もうちょっと労って欲しいもんだ」

「そうなんだ。でも僕の方はその後、弥桜ちゃんのウチの家族会議に引っ張り出されて寝不足だよ。ああ、昨日は長い一日だった。今日は平穏無事に過ごしたい。…アレ?弥桜ちゃん走って行っちゃった。どうしたんだろう?」

「さあな、おおかたユーキがからかい過ぎたんじゃねえの。あいつは結構サドだからな」輝虎がそうつぶやくと弥桜においていかれた夕姫がこちらを向いて立ち止まる。バロンと輝虎が追いつくと

「聞こえてるわよ。スケベ共。良かったわねバロンは。で、どうだった?弥桜のヌードは。別れが惜しくなるほど素晴らしかった?」イヤミたっぷりにバロンに尋ねる。

「アンタはもっとありがたがりなさいよ。蛇のお掃除なんて足りないくらいでしょ。そうね、しばらくご飯無しでもいい位かも」夕姫は輝虎の言葉にもご立腹のようだ。輝虎の言うサドと言うのも本当かもしれない。

「悪かった。俺が悪かったから、ご飯抜きはやめてくれ」夕姫も輝虎の母親同様、彼が一番応える方法がわかっているようだ。

「テトラ、もうシリに敷かれてる。ああ!本望なのか!」バロンが今気が付いたとばかりに手を打つ。

「「うっさい!」」輝虎と夕姫は息ぴったりに揃ってバロンを怒鳴る。


 その三人を後方から見ているものがいた。黒いセダンのレンタカーに乗るアルとエルである。

「忌々しい、まだ元気に登校しているとは」エルが視線で人を殺せそうなくらい、残った左目でバロン達をにらみつける。

「あのジンジャという神域、蛇に特化した結界があるとはな」アパートから避難するバロン達を追って、白桜神社にも毒蛇を持ち込もうとした工作員は神社の境内に蛇を持ち込めず、その事を連絡した後、消息を断った。

 実は犬神を中心とした猟犬部隊が隠密理に白桜神社の警備行っていた。

 風呂で襲われた夕姫に呼び出された犬神は、後始末を行うと同時に、猟犬部隊を配置した。師条三春が手配した猟犬達は精鋭揃いらしい。らしいと言うのは犬神もリーダー以外に会わなかったし、全貌どころか人数も把握していない。知っているのはリーダーの携帯電話の番号のみだ。

「5人だ。拘束を試みたが全員自決してしまった。なかなか練度が高い」夜遅く携帯電話に入ったリーダーの報告に、彼らも捕まりそうになったら自分で命を断つのかよと想像して、犬神はゾッとした。

「それから松山女史にお土産だ。ナマモノなんだが何処へ持っていけば良い?」毒蛇は生きて捕獲したらしい。輝虎やバロンよりも余裕の有る対応だ。さすが精鋭揃い。実際に松山は響喜して喜んだ。

「まあ、本物のサンゴヘビ、コッチのコブラも珍しいわね。ああ、もうどうしよう。これ全部貰えるのかしら?え?三春様ね。わかった、出張費なんて要らないからこの子達を連れて帰りたいわ。頼んでみる」松山は本当に蛇に興味が無いとは思えないほど入れ込んでいる。犬神は嫌がる同僚を説き伏せて岩崎の研究所に輸送させる。こうなると焦げてる蛇の方がマシかもしれない。

 そんな優秀な彼らが距離を開けてたとはいえ、外国人の女性二人が乗るレンタカーを見つけるのは造作もなかった。一人が前に飛び出し、車にブレーキをかけさせるとあっという間に取り囲もうとするが

「しっかり捕まって!」アルは前方の猟犬の男を撥ね飛ばす勢いでアクセルを踏みつけ、急発進する。かれそうになった男は間一髪で車を避ける。後方から迫った猟犬が車にしがみつこうと飛びかかるが、手掛かりが無く、振り落とされてしまう。

「追うぞ!」リーダーが指示する。もちろん逃がすつもりは無い。しかし昨晩の様に自決されると後味が悪い上に、背後関係を追求出来ない。なんとか車から引きずり出して拘束したい。その為にも人目につかないところに追い込み、停車させなくては。


「しまったわね。油断していた。あの男を支援している組織がここまでとは。手の者が戻ってこない訳だ」アルが市街地の路地を爆走させながら感心する。彼らは徒歩で追ってくる。もちろん走ってはいるが。それでも自動車の速度についてくる。

「アル」エルが膝の上のポシェットを示す。

「駄目よ、こんなところで発砲しては。日本の警察をあなどらないで」猟犬部隊に加え、警察にも追われる訳にはいかない。

「マズイわね」外の景色の緑が増えてきた。アルは男達に誘導されていた事に気付く。アルの頭に入っている地図の記憶では、この先には緑地公園が在る。このままでは人気の無いところで襲撃されてしまう。

 アルは一か八か左折して、ぎりぎり通れるかどうかという路地に車をねじ入れる。飛び出している電柱に車の側面を擦る。エルは首をすくめる。

「ちょっとアル正気?こんな事をしても逃げ切れないわ。やはり…」エルはポシェットに手を入れる。

「駄目よ。私に考えがあるから仕舞っておきなさい、そんなモノ」そう言いながら、必死でハンドルを握るアルだった。そして目論見通り大通りに出ることができた。

「こんな人目がある場所に出てどうするつもり?」エルは舌を噛まないように叫ぶ。追跡者達はまだついてきている。

「こうするのよ」アルはハンドルをきって前方の車に追突させる。ガシャンと大きな破砕音を立てて車が停まる。エアバッグが作動しアルとエルは動けなくなる。

「どうするのよ!これじゃあ…」エルが抗議の叫びを上げるが

「しー!良いから気絶したフリをしていなさい」車の周りには人だかりができている。しかし車のドアにロックがかかっているため二人を助け出せない。人だかりの中に追跡者が混ざっているように見えたが、騒ぎが大きくなった為、下がっていった。アルの目論見通りだ。

 しばらくするとサイレンを鳴らしてパトカーと救急車がやってくる。ガラスを割られたりするのは面倒なので、こっそりドアのロックを外す。


 まもなく事故を起こした外国人の女性二人が、病院から姿を消した事件が町の話題になった。


 14


 学校では朝一番に毒蛇の犠牲になった体育教師江口の事故死が全校朝礼で発表された。事件の詳細は伏せられ、ケガによる事故死とだけ伝えられた。

「弥桜っち、良かったね。もう体育の時間、胸をジロジロ見られないで済むよ。江口、弥桜っちが一番お気に入りだったもんね」友人が弥桜に声をかける。

「そんな事言わないで。江口先生それなりに真面目だったのよ」そんな友人を弥桜はたしなめる。

「そうか、ミオ、部活でも江口先生と一緒な事が多かったんだ」実は弥桜の体育の成績は良い。確かに輝虎や夕姫のようには行かないが、神楽を舞う練習等で身体を動かす為にもともと運動神経は良い。おそらく里でもトップクラスの父親の遺伝も有るのだろう。そうでなければ忍者服を着ただけで教室の窓から飛び出せはしないだろう。

 神社の社務の為、高校では特定の部活動には入っていなかったが、助っ人で様々な試合に引っ張られていた。その為、運動部の部活主任だった江口とも良く顔を合わせていた。

 ちなみに弥桜が参加する試合には男子の応援や観客が増加する。特に人気なのはバスケットボールとバレーボールだ。水泳大会の時は観客が会場に入り切れなかった程だ。そう言えばどの試合でも江口が来ていたのを思い出す。仕事熱心だと思っていたのだが。


 バロンは弥桜ともう一度話す事にした。夕姫と輝虎に強く勧められた為だ。三人ともほとぼりが冷めるまでアパートに戻れない。気まずいまま白桜神社の弥桜の家にお世話になり続けるのも気分良いものではない。この際、バロンに犠牲、もとい代表として弥桜としっかり話して貰おうという事になった。そこで休み時間に弥桜を屋上に呼び出した。

「弥桜ちゃん、昨日はゴメン。押しかけた上にあんな事になってしまって」

「ウーッ、それだけ?」

「えーと、その、胸まで見てしまって」

「違うの!もちろんそれも重罪だけど!わからない?」

「えーと、うん、心当たりが有りすぎて…」

「バロン君、サイテー!良いわ、教えてあげる。母さんにチョコレートをあげた時も、学校に忍び込んだ時も、ウチに避難した時もなんで一言、私に言ってくれなかったの?」

「もう、弥桜ちゃんを巻込みたくなかったんだ」バロンがすまなさそうに言う。

「もう、十分巻き込まれてるわよ!それにナニ?昨日の学校だって美少女覆面忍者、八重影が現れなかったらどうなってたの?」覆面なのに美少女と自分で言う神経は太いと言わざるをえないが、確かに弥桜の指摘は正しい。バロンもあそこまで毒蛇が出るとは思っていなかったが準備不足は否めない。

「そうだね。次はしっかり準備するように反省しているよ。ところであの黒い化けキツネ、どうやったの?」

「ウッ、今度、八重影に会ったら聞いてみたら?」

「…そうだね、もう一度会うことが有ったらね」

「バロン君、本当に私をおいて行っちゃうの?」

「…うん、弥桜ちゃんには普通の高校生活を送って欲しいんだ」

「本気でそう思っているの?」

「…うん」

「バロン君の意気地なし!ちょんまげ!オッパイ星人!」弥桜が涙を溜めて走り去る。

「オ、オッパイ星人って…弥桜ちゃんにまで言われちゃった」バロンは呆然と見送ってしまう。

「駄目じゃない。オッパイ男爵。弥桜を怒らせちゃ」昇降口の上から隠れて見ていた夕姫が音もなく降りてきてバロンをなじる。何故か胸に手をやっている。

「オ、オッパイ男爵ぅ?やめてよ、変なあだ名で呼ばれたくないよ。ユキねえだって朝、怒らせてたじゃない。胸、どうしたの?」バロンは目を丸くして呼び名を拒否する。それから夕姫の胸を気にする。

「うーん、何か違和感が…」

「…どうしたんだ?」輝虎も隠れていたところから降りてきた。あの巨体で上から来ると猛禽に襲われる気分になりそうだったが、本人は夕姫に小動物の様に恐る恐る尋ねる。

「女の子のヒミツよ」にべもなく輝虎をあしらう。

「ユキねえ、言いにくいんだけど、小さくなってない?このところメキメキ大きくなって、ブラウスまでワンサイズ大きくしたのに、今日はちょっと…」バロンは言いにくいと言いつつ胸については饒舌に指摘する。

「…良く見てるわねぇ。さすがオッパイ男爵」思わず身の危険を感じて胸を両手で隠した夕姫が呆れる。

「そうなのか?」輝虎が夕姫の胸元に目をやる。バロンと違い夕姫がブラウスのサイズを変えたことまで気付いてはいなかった。

「アンタは良いの!…まさかとは思うけど…」夕姫はこの後、更衣室に走り、衝撃の事実を確認する。そして半泣きで購買に走りスペシャルメロンパンを求めるのだった。購買のおばさんは上客の夕姫が涙目でお願いするので、販売時間前だったが特別に譲ってくれ、それを持って弥桜に謝罪して事なきを得るのであった。


 ほうほうの体で逃げてきたアルとエルの姉妹はソフィアの前に戻ってきた。

「もう良い」ソフィアが言い放つ。

「ハッ?」エルが聴き直す。

「もう良いと言ったのだ。もうあの一族に関わるな。損失が大きい。こちらから関わらなければ我らに影響は無いのだ。社の幹部の中には私の道楽で人命を損耗していると指摘するものもある。このままでは始祖しそてつを踏みかねない。それにそなた達までそのような目に遭っては、私も耐えかねる」

「お待ち下さい、工作自体はうまく行っております。必ずや成果をあげてみせますので、今しばらく猶予ゆうよを」打ち身だらけのエルは必死にソフィアに懇願こんがんする。

「エル…やめなさい」同じく包帯まで巻いているアルはそんな妹を止めるが

「良い、そなたの右目のこともある。このままでは腹に据えかねるだろう。よし、これで最後だ。成功しても失敗しても、もうあの一族に遺恨は持たないものとする」


 弥桜と夕姫は学校帰りに通学路から逸れた大型のスーパーに買い出しに寄った。どうせ荷物は後ろからついてくる輝虎とバロンに持たせれば良い。しかし夕姫には弥桜がわざわざこのスーパーに行く訳がわからなかった。いつもは雪桜が買い物しているらしいし、弥桜は通学路沿いのスーパーに行く事が多い。

 今日の弥桜は気合いが入っているらしく、まっしぐらに精肉コーナーに向かい、足元にブツブツ言っている。そうしたかと思うと、突拍子も無い事を仕出かす。

「このステーキ肉、1キロ下さい」


「すごくいい匂い。味見して良い?」匂いにつられて雪桜が現れた。キッチンに立ちステーキ肉を焼いている弥桜だったが

「ダメよ!これはペンタちゃんの分だから。後でちゃんと私達の分は焼くから待っててちょうだい」そう言って拒絶する。よく見れば少女姿のペンタが既にステーキにむしゃぶりついている。

「あら、神戸牛ぅ?ネコに神戸牛?」雪桜は肉の包みについているラベルを見て目を丸くする。ケチ、もとい倹約家の雪桜はいくら懐が温かくても神戸牛になんて手を出さない。

「そうよ、大妖怪様ヘの献上品よ。約束だったし、これからも活躍してもらわないとならないから」ペンタの学校での大暴れは高級肉の報酬を約束しての事だった。

「まだこき使うつもりか。まあおいしい物食べさせてくれるならいいか。焼き具合はレアでいいぞ」ペンタがからの皿を弥桜につき出す。

「ハイ、ペンタちゃん」弥桜が焼き上がった次のステーキを皿に載せる。その皿から雪桜がつまみ食いをしようと手を伸ばす。てっきりペンタは怒り出すかと思いきやチラッと雪桜の方を見るが残った肉に注意を向けて食べ続ける。雪桜はステーキを少々お行儀悪く口に放り込む。

「まあ、おいしい!でも良いの、ペンタちゃん?」すると二枚目を食べ終わったペンタが立ち上がり、雪桜に耳打ちする。

「私は……には優しいのだ」聞いた雪桜は目を丸くする。

「あら、そうなの?やっぱりそうだったの」雪桜は何やら一人で納得している。

「何を内緒ばなししてるのよ」コソコソと弥桜にわからない話をする母親と使い魔に腹を立てる。

「弥桜ったら、バロン君が遠くへ行っちゃうって話を聞いてから情緒不安定なんじゃない?だからバロン君にストリップなんて披露しちゃうのよ」やだわと言いながら頬に手を当てる。

「きっとバロンを誘っていたんだぞ。オスを引き留めたいメスとしてはいい手段だ。見直したぞ」空の皿を再度差出しながらペンタが言う。

「ストリップ違うもん!私そんなに、はしたなくないもん!」ペンタに出す肉をウェルダンに焼きながら抗議する。

「あー、焼きすぎだ!」ペンタが文句を言うが弥桜は聞こえないふりをする。

「グレちゃおうかな、私」フライパンで肉が煙を上げている。


 15


 身を寄せているのでせめてもと思い、輝虎と一緒に境内を掃いていたバロンがポストを覗く。すると白桜神社宛の手紙の中に、手の込んだ箔押しされたバロン宛の封筒を見つける。神社宛の手紙を、営業スマイルを浮かべて授与所の窓口に座る夕姫に渡す。

「どうしたの?オッパイ男爵」笑顔を崩さず様子がおかしいバロンに尋ねる。

「やめて、やめて。そんな呼び名を定着させないで。なんか僕宛の手紙が入っていたんだ」バロンは夕姫に封筒を見せる。差出人は封筒には書いて無い。

「まさか蛇が出てこないでしょうね」夕姫は訝しむ。

「まさかぁ。この中にはさすがに入らないでしょう」バロンは器用に龍神の剣の腕輪で封筒を開封する。

「どれどれ」一応警戒しつつ中身を出す。中からは封筒にも負けない美しい便箋びんせんの手紙と何かの券が入っていた。手紙を広げると流麗なアラビア文字が綴られている。まさにバロン宛だ。この日本において他の誰かでは訳せる人間を探さなくてはならない。

「なんて書いてあるの?」やはりアラビア文字など読めない夕姫が尋ねる。

「うーんと、決闘状なのか、招待状なのかわからないな?ご馳走するって書いてあるけど、決着をつけようとも書いてある。時間と埠頭の場所と船の名前が書いてある2カップル分の招待券が同封って、これか」バロンが招待券を取り出す。こちらは日本語だ。

「どうしようか?これ」バロンがチケットをかざして困った顔をする。


『今朝はしくじった。すまんな、あと一歩で尻尾を掴めるところだったんだがな』三人が避難して空いているアパートに犬神は滞在していた。既に猟犬部隊による徹底した捜索により、毒蛇どころかゴキブリ一匹存在していない。隙間もチェックし対抗措置も済んでいる。今は念の為、アパートと白桜神社を猟犬達が交代で警備している。お務めに従事している者ヘの待遇としては破格だ。特に今回は怪に関係なく、バロン個人への怨恨によるものとみられているので、真田竜秀の預かりであればここまではすまい。全ては師条三春の裁量さいりょうで行われていることだ。

「なんか有ったの?」夕姫が携帯電話で招待状について犬神に相談を入れていた。

『バロン達を監視していた怪しいアラブ系の女二人が車で逃げた。精鋭達が追ったが街なかで事故を起こして救急車で運ばれた後、上手いこと逃げられちまった。アレは慣れてるな』犬神はアルの機転に感心する。

「そんな事が有ったんだ。多分、そいつらからだと思うんだけれど、バロン宛にクルーザーのディナーの招待状が届いたの。どうしたらいいと思う?」

『絶対に罠だ。言うまでもないだろう』

「問題は罠だとわかっていても行ったほうが良いんじゃないかと言うことよ」

『バロンの意見は?』

「バロンもずうっと追い回されるより良いんじゃないかって。先方も決着を付けようって。どちらが勝っても遺恨なきようって言ってきてるらしいわ。私はアラビア文字の手紙は読めなかったけど。ちなみにテルはバロンの判断に従うって」

『夕姫は?』

「私もこの辺で決着付けた方がスッキリするわ。引き出し開ける度に蛇がいないか、びくびくしながら過ごすのはもう結構よ。いい加減私も頭にきているの。風呂でも襲われたし」

『ああ、テルが飛び込んだ時か』

「そうよ、乙女の柔肌のピンチだったのよ。だいたい、この間のバロンの呪いも奴らのせいじゃないの?もしそうならバロン本人はあんなだから、わかんないけど、弥桜が知ったら、それこそ呪い殺すなんて言いかねないわよ」

『あの子もぶっ飛んでるからな。俺は見てないけど昨日の学校へ忍者装備で乱入したんだって?』

「ええ、スゴかったわよ。カッコもそうだけどペンタを使役して八面六臂の大活躍よ。私達やるとこないくらいだったのよ」

『そいつはスゴイ。校庭の蛇バーベキューはあの子の仕業か』

「まあ、それは置いといてどうしようか、招待の件?」

『スポンサーに聞いてみるか』


「今度はどこに行くか決まったの?」夕姫との登校中に弥桜はバロン達の次の任地を尋ねる。今日も男女別々に登校している。

「本当は秘密なんだけどね、福島よ」

「福島かぁ、遠いなぁ」弥桜が曇り空を仰ぐ。

「そんなことないわよ、前に行った岡山とか、広島、岩手なんかよりはよっぽど近いわよ。それに、きっと休みの日にはバロンも遊びに来てくれるわよ」夕姫が下手な慰め方をする。

「ここは今までで一番長く滞在したの。あなたの事も有ったし、バロンのトラブルの事で時間を取られてしまったりしたからね」お務めは旅から旅への生活だ。せっかく貯金が出来ても学業がおろそかになって、志望校に合格出来ず、進学が困難に成るものもいる。夕姫にとってもこの街とこの学校生活は今までで一番充実した高校生活だったような気がする。

「…ヤダよ、置いてっちゃヤダよ。ねえ、バロン君、私のことなんて忘れちゃわないかな?きっと、今度の学校でもかわいい子見つけて仲良くなったりしないかな?」弥桜はすがりつくような目で夕姫を見上げる。

「大丈夫よ。今までの学校にもキレイな娘はいたけど、そんなふうにはならなかったし。自信を持ちなさいよ、自分とそのおっぱいに」夕姫のセリフに思わず胸を押さえる弥桜だった。

「そんなにそのぉ…バ、男の子っておっぱいが好きなのかなぁ」

「バロンのアレは筋金入りね。詳しくは言えないけど、私は里の平均サイズだったから気にされてなかったらしいけど、昨日はすごく細かい胸の大きさについて指摘されたわ」昨日の天罰の件である。夕姫はバロンの視線に気付いていなかったが、ブラウスのサイズまで言い当てた。

「ええっ!バロン君って変態さんだったの?」

「まあ、バロンはすごく偏ってると思うけど、あの位の年頃の男の子なんてみんなスケベなんじゃないの。良いじゃない、お似合いよ、弥桜」確かに実際の露出は少ないとはいえ、あのくノ一戦闘服を着て人前に出られるのはそういうシュミとしか思えない。

「ウウッ、じゃあ笹伏君もエッチなんだ。どこまで行ってるの?」弥桜は思わぬ反撃を行う。

「エエッ!ソレはソノ、ナニも無いというか、有るといえばあるというか…」正直に無いと言うのも悔しいし、かといって有るというのも恥ずかしいオトメゴコロの難しさだ。

「だって一緒にお風呂に入ったりする仲なんでしょ。やっぱり幼なじみは違うわね。オネーサンついて行けないわ」夕姫より一月早く生まれているだけだが、またお姉さんキャラになっている。

「バロンに聞いたのね!バロンめ、今度思い知らせてやる」物騒な事を口にしながら今度バロンのキライな食材を出してやろうと考えたが、バロンの好物で自分達が食べられないものしか思いつかなかった。

「『ねえ、星がキレイね』『ユーキ、君の方がキレイだよ』ガバッ!っていう感じ?キャッ」弥桜は自分で言ってて恥ずかしがる。

「勝手に妄想しないで!その時は何もなかったわよ」

「その時は?」

「その時もよ!」力いっぱい否定する。

「ふーん、へーん、そうなんだ。じゃあそういう事にしておくわ。でも良いな、夕姫ちゃんは。どこに行くのも笹伏君と一緒で」弥桜は二人を羨ましがる

「これでも色々有ったのよ。まあ、私はなんにもしていないけど」


「招待状の件、吉野さんに話したのか?」輝虎が夕姫と弥桜の後ろ姿を見ながらバロンに尋ねる。

「いいや、言ってないよ。伝えたら連れてけって言われそうだし、断ったら現場に正義の忍者さんが現れそうだし」

「そうだよな。あのすごい格好の八重影さんが来ちゃうもんな」

「あの忍者装束、里から貰ったの?ものすごいデザインだよね、弥桜ちゃん、よく着られるなぁ。全然、忍んで無いし。それにあの黒キツネ、どうやってるんだろう?」

「さ、さあな、吉野さんに聞いてみたらどうだ?」輝虎はペンタがやっていると確信していたがとぼける。

「弥桜ちゃんに聞いたら八重影に聞いたらって言われた。僕、嫌われちゃったかなぁ」

「大丈夫じゃないのか、昨日のステーキ、美味しかったろ?」昨日の夕飯はペンタの報酬以外もステーキだったのだが、他のみんなの分はパックの特価品だった。しかし輝虎の嗅覚は誤魔化されなかった。バロンの分だけ格段にいい匂いがした。アレはきっと神戸牛だったのだろう。家族を差し置いて大好きな人にだけおいしい物とは健気だと輝虎は思ったが、野暮やぼな事はバロンに伝えない。

「うん、とっても美味しかった。じゃあ、まだ嫌われてないのかな。離れてしまうといってもケンカ別れじゃ辛いもんね」込められた愛情によって美味しくなったと思ってるバロンが弥桜との別れを思い、寂しそうに言う。

「『俺についてこい!』って言ってみたらどうだ。吉野さん、ついてくるかもしれないぞ」輝虎はみかねてバロンに提案するが

「ダメだよ、これ以上、弥桜ちゃんを危険な目に会わせられないし、高校生の甲斐性なんて…」お金だけは父クルトから貰った大金があるが、バロンにも金銭だけの問題では無い事位はわかっている。

「…結局僕には覚悟が無いんだ。一緒にいたいけど、弥桜ちゃんの今の生活を捨てさせる事も、絶対に守ると言える自信も無い。弥桜ちゃんの言う通り僕は意気地なしだ。…テトラ、ユキねえとはどうやって一緒にこの旅を始めたの?」

「そうだな、初めは俺一人で参加するつもりだったが、真田の竜秀さんから聞きつけたユーキが先回りして待ってた」途中から思い出すのもヤダというように顔をしかめる。あのときは一人で道化どうけを演じさせられた。

「でも良いじゃないか、一緒にいられて。弥桜ちゃんには勝手に来てくれとは口が裂けても言えないよ」夕姫のように自発的には来てくれたら良いとは思ってても言えない。あまりに身勝手過ぎる。バロンはそこまで図々しくは無い。しかし願ってしまえばバロンの能力上、叶ってしまうかもしれない。輝虎はそう思ったがバロンが後で知って傷つくのは避けたいので、あえて突き放す事にした。

「やっぱり、二人で良く話し合った方が良いぜ。後悔しないためにも。俺の場合は良くも悪くも尻に敷かれてるんだろう。認めたくは無いんだが。…バロン、お務めを抜けるという手も有るぞ」確かにバロンはリーダーになっているが、対応出来る任務の幅を狭めれば、輝虎と夕姫でお務めを続ける事も出来なくは無いと思える程度には輝虎も自信が持てている。

「いや、一度始めたことだ、任期満了か任務続行不可能になるまでは辞めないよ。それが力有るものの使命だ。個人の感傷で勝手に辞めたり、始めたりするのは僕の主義にも反する。決めた、やはり弥桜ちゃんにはこの街で待ってて貰おう。お務めが終わったら胸を張って迎えに行くよ。…それまで気が変わらないと良いけど」力強く宣言するバロンであったが、弥桜の人気を思うと一抹の不安を拭いきれない。

「そうか、バロンがそれで良いならな」とは口にするものの、輝虎も予想外の行動をする弥桜が素直に言う事を聞くのか疑問だ。まだ一波乱有りそうな気がする。鍛え抜かれた危機回避能力と言ってもいい。輝虎の勘がそう告げている。


 16


 休み時間に夕姫から集合の合図が有った。今日は雨が降り始めた為、体育館ヘの渡り廊下にする。校庭が水浸しなのが見える。運動部は気の毒だ。

「犬神サンから連絡が有ったわ。姫は任せると言っているそうよ。行くなら支援もしてくれるって。良かったわね、バロン」夕姫が世間ばなしするような雰囲気を醸し出しながら話す。

「うん、決着をつけてこの街を離れよう。江口先生の件も有ったしね」バロンは弥桜の事を吹っ切れたようだ。

「でもどうする?チケットは2カップル分だぜ。向こうは吉野さんを勘定に入れているんじゃないのか?」輝虎が重要な問題を指摘する。もう弥桜を巻き込まない点については既に意見は一致している。

「そうね、バロンに釣り合う戦闘経験の有る女性ねぇ」夕姫は思いを巡らすが該当する人物が浮かばない。今回は妹達は論外だ。呼べば喜んで来るだろうが、敵の罠に飛び込もうと言うのだ。安全が担保たんぽ出来ない。

「犬神サンに相談してみようか。まだ日にちはあるし」どうせ、バロンの決定を告げ、計画や装備の打ち合わせをしなければならない。

「わかった、僕から連絡をするよ。二人にもすまないと思っているけど、今回は僕への個人的な怨恨えんこんから発生しているみたいだから」

「気にするなって。そうだな、事が済んだらメシをご馳走してくれれば良いさ。ところでこういう場合、何を着ていけば良いんだ?ディナーなんてシャレたもの行ったことないぜ。おまけにクルーザーなんて」輝虎が服装を気にする。

「僕も先日、父さんと母さんに連れられて正式なディナーに行ったんだけど、学生服でばつの悪い思いをしたよ。そうだね、その件も犬神サンに相談してみるよ。せっかく招待してくれているんだから、万全の準備をして臨もうか」

「腹はすかせていった方が良いのかな?」

「バカッ!アンタなんて蛇料理のフルコースでも食べてりゃいいのよ。敵のど真ん中で食事すんの?」夕姫が輝虎をどやしつける。


「フムフム、クルーザーでご馳走を食べる。弥桜は置いていく、と」高校の制服をまとっても、小学生にしか見えないペンタが物陰から適当な解釈かいしゃくで盗み聞きしていた。不自然に教室を離れる三人を不審に思い、弥桜が偵察に出したのだ。しかし、そこはやる気のないネコ頭、気になるフレーズを断片的に聞き取り、弥桜に報告する。結果

「おいしい物が出るクルーザーディナーが危ないから私を置いてく?!」まあ、だいたい的中しているようだ。

「三人でコソコソしていると思ったら、もう私を仲間はずれにして。そっちがその気なら奥の手を使っちゃうから」弥桜は憤懣やるかたないというふうにペンタの報告を聞いていた。

「まだ何かやるのか。もうあきらめろ、バロンにハダカ踊り見せても引き留められなかったんだろう。大人しくまた戻ってくるまで待ってたらどうだ?」報酬のビーフジャーキーをムシャムシャ食べながらペンタがぼやく。

「ハダカ踊りなんてしてないもん!良いの、『弥桜ちゃん、君がいないと駄目なんだ』って言うまでやってやるんだから」

「そんな事、バロンが言うか?現実をもっと見たほうがいいぞ」現実離れした化け猫が忠告する。それには取り合わず

「ペンタちゃんにもまた活躍してもらうから」

「またか」

「今度は飛騨牛と松阪牛の食べ比べさせてあげるから」

「本当か?わかったぞ、何でも言え」弥桜とペンタの密談は続くが使い魔は影の中にいるので、傍目からは弥桜が一人でブツブツ言っているように見える。その異様な光景に級友達は怖がった。ただでさえバロン達が転校すると言って以来、弥桜は情緒不安定気味だったのだ。

「弥桜っち、とうとう来ちゃったか」

「富士林君と仲良さそうだったもんね。失恋でおかしくなっちゃったかな」

「今日の帰りにでもアイス奢ってあげて慰めよっか」

「ほっときなさいよ。富士林君と一緒の時間を減らす事ないじゃない」

「アレ、本当に失恋したオトメの顔か?なんか復讐鬼みたいなオーラが漂っている気が…」

「また、バカなことしないといいけど」弥桜の数は少ないが奇行を知っている小学生からの友人は心配する。だいたいは合っていた。


「もしもし、吉野弥桜です」

『まあ、よくこの番号をご存知で』

「犬神サンに聞き出しました。すごく嫌がっていましたけどアサガオさんから聞き出してくれました」

『まあ、それはご苦労様でした。それでご要件は何でしょう?』

「折り入って頼み事があるんです。実は…」弥桜の暗躍あんやくは続く。


「最近ペンタがよく僕になついているんだ。なんでだろう」ペンタを膝の上に乗せたバロンがつぶやく。蛇がいないと確認出来た為、三人はアパートに戻ってきている。ペンタはいつもどおり、アパートと白桜神社を行ったり来たりだ。

「…きっと離れ離れになっちゃう事を察しているんじゃないの」夕姫はペンタがそんなたまではないことは知っている。ペンタにとってバロンはエサ兼寝心地の良い寝床に過ぎないハズだ。きっと弥桜の差し金で、ペンタを通して三人を監視しているのだ。壁抜け、変身が出来るペンタはスパイにもってこいだ。特にバロンは正体を知らない。パーティの件をペンタの前で話すわけにはいかないと夕姫は思った。もう弥桜に伝わってしまっているのだが。

「そうだ、犬神サンに衣装を用意してもらえる事になったんだ。それと助っ人の当てが…どうしたの」夕姫が目顔でやめろと言っているような気がしてバロンは怪訝な顔をする。

「それより荷造りは進んだ?転校に必要な書類は間違いなく犬神サンに渡してあるのよね」夕姫は当たり障りのない会話に切り替える。ペンタの気を引こうと菓子皿のクッキーを指で飛ばす。ペンタはバロンの膝から飛び出し器用に空中でキャッチする。

「うん、書類は大丈夫のはず。荷物も大丈夫だよ。増えたら実家に持ち込んでるし、いつ異動になっても良いように本なんかはいつも読んだらまとめてあるから大丈夫だよ」

「さすがバロンね。私も荷物は少ないけど問題はクマね」輝虎とバロンに貰った大きなクマのぬいぐるみをどうするかだ。ダンボールに入れるには大きすぎる。こんな旅をするにはジャマな荷物だが手放せない。

「僕のあげたクマには名前つけたの?」輝虎があげた黒クマはクワトロと名付けた事を小耳に挟んだ。

「リヒトよ、バロンから貰った赤いクマだから、レッドバロン、リヒトホーフェンから取ったわ」夕姫が自慢げに言う。秘密だがクワトロが夜の就寝用、リヒトが昼寝とうたた寝用だ。色が違うだけのはずだが、何故か抱き心地が違うような気がする。

「いい名前だね、なんだか僕も嬉しいよ。でも引っ越しには邪魔だったかな。どっちか実家に送ったら?リヒト君でも良いんじゃない」

「ダメよ!あ、えっと実家に置いておくと妹達に取られちゃったり、バラバラにされたら困るもの」慣れてしまってクマが無いと寝られないとは口が裂けても言えない。

バロンの膝に戻ったペンタがニタリと笑ったような気がする。猫のくせに。

「じゃあ、犬神サンのバンにシートベルトつけて持っていくのが良いよ」バロンの言葉に両脇にシートベルトをしたクマに挟まれて車に乗っている自身の姿を想像した夕姫は

「…シュールねぇ」とつぶやく。絶対、輝虎に笑われそうだ。仕方ない、大きなビニール袋に入れて運ぼう。このお務めには大きなクマは不向きかもしれない。


 17


 夜中、自分の部屋に戻った夕姫は犬神に電話を入れる。ペンタは白桜神社に戻ったはずだ。アパートを出ていく姿を確認した。

「もしもし、夕姫です」

『なんだ、バロンと話してないのか?』

「日中はスパイがいるんで落ちついて話せないのよ」

『スパイ!どこの?』

「心配しないで、自称忍者の使い魔だから」

『なんだ猫か。気にすることないんじゃないか?』

「うっかり口を滑らせた挙げ句、現場に正義の味方が現れたら困るのよ」

『あの猫、白桜神社に置いてく事になってるんだろう?』

「そうよ、もう弥桜と主従契約結んでいるらしいの。あの大妖怪」

『大妖怪ぃ?あの猫が?』

「そうらしいわよ。確かに变化して敵を蹂躙じゅうりんしている姿は大物に見えるわ。実のところ私達より弥桜とペンタのコンビの方が強いかもしれない。伊達に正義の忍者を名乗ってないわ。にわかだけど」

『そんなに強くなったのかよ。さすがに若が目をかけてる訳だ。どうだ、やっぱり正式にスカウトしないか?』

「バロンに言ってよ。バロンは弥桜に危険なお務めに同行させたくないらしいわよ」

『俺もそう言われたよ。でもどうするんだろうな?里に白桜神社の分社作ってるんだろ?空き家になっちゃうぜ』

「さあ、雪桜さんか弥桜に聞いてみたら?」

『なんだ、随分投げやりだな』

「こういうのは、なるようにしかならないんじゃないの?私も人生経験豊富な訳じゃないし。それよりパーティの参加準備はどうなってるの。埠頭までは犬神サンが送ってくれるのかしら」

『まず、助っ人の話からだ』

「バロンの相方決まったの?知らない人は困るわよ」

『大丈夫、ユキも良く知っているヤツさ。姫がスガルを雇った』

「スガル姉か。バロンのパートナーとしては年くってない?」

『おまえ、スガルの前でそんなこと言うなよ。身長とかは釣り合ってるんじゃねえのか?それに戦闘慣れと、経験からいって最適だと思うぜ。金で解決出来るわけだし』

「そうね、何が起こるかわからないし、修羅場しゅらばに慣れた姉さんは頼れるか」夕姫は改めてこの招待の危険性を再認識した。

『それから、バロンには話してあるが、スガルが一緒にあのオープンカーで行くことになってる。どこで聞きつけたのか俺があの車を預かっているのを聞いて、仕事を受ける条件に運転させる事をねじ込まれた』

「へえー、あの車そんなに凄いんだ」

『そりゃあもう、乗り物好きにはたまらないだろうな。俺が乗ってるときも羨望せんぼう眼差まなざしが刺さって来るぜ。なんせ日本に3台しか無いらしいし、その中でもあの赤は1台きりだ』犬神が気になって調べると残りはシルバーと黒だった。

『というわけで、バロンに許可を貰って埠頭まではアレに乗っていってもらう。それから衣装についてだが姫が岩崎の工房に戦闘用スーツとドレスを注文した。前日には届く。俺の仕入れた情報では一着で戦闘用学生服十着分の金が掛かるらしいし、制作担当は完成まで寝られないって聞いた。野郎共のスーツは黒だが、スガルは真紅、ユキ用は朱色のドレスらしいぞ』

「ヤダ、私ドレスなんて着たこと無い。どうしよう?」

『スガルが着せてくれるんじゃないか?アイツはああ見えても仕事で着慣れているらしいし』確かに最近会ったスガルはライダースーツしか思い浮かばない。

『いっそ記念写真でも撮るか?龍成さん泣いて喜ぶぞ』

「…やめておくわ、形見になったら嫌だし」夕姫はちょっと考えたがやめることにした。そんな写真は不吉でならない。

「戻ってきて、まだドレスが無事なら撮って良いわよ」無事ならねと夕姫は思う。絶対にタダではすまないはずだ。

『俺達は埠頭と念の為に海上で待機する。携帯電話は使えないものと考えて原始的だが信号弾を用意する。そっちの得物はどうする?』

「弓は蛇相手に不利だけど、必ずしも蛇が相手とは限らないから蝙蝠丸かわほりまるは持っていくわ」

『そうか、じゃあ特に変更が無ければ前日にドレス持って行くよ。スガルもその頃にはたどり着くだろう。まだ前の仕事が終わって無いらしい』犬神の声には呆れの色がみえる。

「わかったわ。もし連絡事項が有ったらこっちの携帯にちょうだい。バロンにはスパイが付いている可能性があるから」電話を切った夕姫はベッドのクワトロに倒れ込む。転校まで後数日だというのにせわしない事だ。

 転入に必要な手続きは、いつものように事務局が手を回し済ませてあるはずだ。そうでなければ、夕姫やバロンはともかく、輝虎は転入試験に合格出来るかわからない。ズルいかもしれないが、これも怪を始末するためだ。全国の高校生には許してもらおう。

 そこで弥桜の事を思い浮かべた。もし弥桜が付いてくる事になったらどうするだろうか?彼女の成績も輝虎同様に悪い。体育の成績だけは良いのも似ている。もしお務めに加わるなら弥桜も試験免除されないと編入出来ないだろう。

 そんな事を考えていたらいつの間にか睡魔に捕らわれていた。その為、ベッドの下から黒い影が出ていく事に気が付かなかった。


「服の話とクマの話をしていた?」弥桜はペンタに刺し身の盛り合わせパックを与えながら報告を聴いていた。

「ああ、赤いクマの名前はリヒトだそうだ。引っ越しの時はシートベルトをして車に乗せるらしいぞ。それでな、なかなか口を割らんので帰ったフリをしてユキの寝台の下に潜んでおった」

「フンフン、それで?」

「やはりユキはイヌガミと電話で連絡を取っておったぞ。まさかすぐそばにいるとも知らずにワシの話をしておった。それから里に出来る神社が空き家にならないか気にしておったな」

「大丈夫よ、話はつけたから」

「それからミオの代わりはスガルを呼んだそうだ。ユキとスガルはドレスを作ってもらうらしいぞ」

「なんですって?ウッ、いいもん!私の方も最高の一着用意してもらうもん!羨ましくなんてないもん!後でギャフンと言わせてあげるから。見ておきなさいよ」

「なあ、本当にまだやるのか?」ペンタはもうやめようぜ、という顔で弥桜を見上げる。

「やるの!期待してちょうだい。今度はお腹が減って動けない、なんて言わせないから」


 18


「まいどー」バロンの赤いオープンカーでスガルがやってきた。犬神から無理やり借り出したものだ。正装にはふさわしい乗り物が必要だろう、というスガルの言い分に負けて引っ張り出された。

 気のせいか預ける前よりボディの輝きが増している。実は暇さえあれば犬神がワックス掛けをしているのだ。

「バロン君、イイの貰ったねぇ、お姉さんと仲良くしない」八王子の犬神の家から走らせてきたはずのスガルは、まだ走り足りないようで、なかなか降りない。

「もう少し走ってきます?そうだ、横浜の埠頭まで下見に行ってみます?」バロンが物足りなさそうなスガルをみかねて提案する。今から出れば夜までには帰って来られるだろう。

「イイネェ、じゃあバロン君、乗った乗った」スガルは助手席をポンポン叩く。

「そうですか、じゃあ」自分の車なのに済まなそうに乗り込む。

「ユキ坊は?」側にいた夕姫にも声をかけるが

「私は良いわ。行ってらっしゃい」犬神から預かった荷物を受け取りアパートの部屋に帰っていく。

「じゃあ、お姉さんと二人きりでデートね」

「ええっ!デートなんですか?」

「イヤなの?」バロンの慌てふためく様子をみて拗ねて見せる。

「いえ、そんなことは…」

「それではドライブデートに出発!」オープンカーは低音を響かせ発進する。


「本当にいい車よね。バロン君がくれるならバイクを捨ててこの車で過ごすわ」

「父さんに貰った車なので、ご恩のあるスガルさんでもさすがにそれは…」

「冗談よ、アタシもこの車を維持出来るほど稼ぎは無いわ。でもすごいわね、こんな車を免許証も持たない息子にポンっとくれる親がいるなんて。ウチも貧乏とは言わないけれど、こんなモノ買ってくれなんて言ったら病院を勧められるわ」ハンドルを握るスガルは大人の女性を感じた。バロンには種類がわからないがいい匂いの香水の香りがする。ただ残念なことにバロンの好みにはスガルは胸が足りない。絶対に口には出せないが。

「今度は福島に異動なんだって?」

「ええ、そうです。この街には長居しすぎました」

「あの弥桜ちゃんって言ったっけ、巫女ちゃんは置いてくの?ウワサじゃ里に神社造ってるって聞いたけど。白月がエライ乗り気でさ、一口乗れってお金巻き上げられたよ」葛城白月はスガルの幼なじみで今では飲み友達だ。先日、里に立ち寄ったときに白桜神社の分社造営の為の寄進を求められた。

「彼女には普通の高校生活を送って欲しいんです。神社の事は申し訳無いけど、お務めが終わってから考えます」

「バロン君真面目ねぇ、でも彼女は強いわよ。もったいないと思うけどね。いい、私が言うことは里の意見も入っちゃってると思って、よく考えて聞いて欲しいけど、あれだけの能力を持っている子を放って置くなんて損失よ。アタシも又聞きだけど先日の大鬼討伐で大活躍だったって聞いたわよ。アタシがスカウト担当ならひれ伏しても勧誘するわね。バロン君だって好きなんでしょ。あの娘の事」

「ええ、大好きです。だからこそ傷つくのを見たくないんです」

「そうなんだ。でもそれを決めるのはあの娘よ。きっとバロン君の気持ちも余計なお世話と思っているかもね。ねえ、ハッキリ彼女に行きたくないか聞いたの?」

「そんな事聞けませんよ。聞いたら彼女は困ってしまうでしょうから」

「そうかな。じゃあお姉さんからアドバイス。女の子には多少強引でもハッキリ伝えた方が良いと思うよ。『俺についてこい!』って言えないならそれでもいいけど、後悔しないようにね。女の子は男の子の言葉を待ってるかもよ。キライな人の為に危険を冒して助けになんて来ないから」

「み、吉野さんが助けに来たこと知ってるんですか」

「うん、すごいくノ一衣装で毒蛇の群れのど真ん中に飛び込んだって、犬神先輩から聞いたよ。ああ、でも先輩も現場は見てないって言ってたっけ。でもその忍者装束もバロン君の為かもよ」

「いえ、アレは完全に彼女の趣味だと思います。吉野さん、無類の忍者好きなんです。…でも毒蛇のど真ん中に飛び込んで僕達を助けてくれたのは間違い無いんですよね。ノリや勢いで出来ることじゃないよな、確かに」バロンは考え込む。

「でもやっぱり僕のわがままで彼女の人生を棒に振らせるなんて」

「わがままで良いんじゃない。その時その時後悔しない選択をしていったほうが。後でバカだったなと思うのは簡単だけど、悔いのない選択を重ねていくしか最良の道はないと思う」

「スガルさんも何か後悔してるんですか」

「アタシだってあのときああすれば良かったと思うことの一つや二つ有るよ。でも自分の選んだ道だから今の自分に後悔は無いよ。そうだなぁ、いい彼氏がいないこと位かな。どう?バロン君、フリーなら本当に彼氏にならない?」スガルはバロンをからかってみる。

「ええっ?いや、あのスガルさんはキライじゃないんですけど僕には心に決めた人がいて…」

「やっぱりあの子が良いんじゃない。…ここかしら」オープンカーは指定された埠頭に着くがそれらしい船は見当たらない。

「確かキング・スレイマーン号っていう名前です」

「さすがに今から接岸していないか。もし今から来ていればこちらから何されるかわからないものね。…アレ、里の手よ」時々見かける掃除会社に偽装したバンが停まっているのが見えた。

「そうですよね、いくら日本だといっても、そこまでマヌケじゃないですよね」バロンもバンに目をやりながら同意する。

「まあ、いいか。バロン君とデート出来ただけでも。さ、帰ってご飯にしようか。ユキ坊の料理ってやつに興味あるしね」


 アパートに帰ると鮮やかな朱色のドレスに身を包んだ夕姫がお腹を押さえて笑い転げていた。

「あー、最高!テルにかしこまった服が似合わないとは思ったけど、ここまでとは」笑いすぎて息が苦しくなっている夕姫であった。明日の衣装を輝虎と試着してみたのだが、輝虎が浮きまくっている。

「そんなにヘンか?」輝虎が体をよじって自分の姿を見直す。

「七五三?」バロンも思わず口に出してしまった。輝虎が真面目にしようとすればするほど違和感が増す。

「あー、死ぬ死ぬ、笑いすぎて殺されるゥ」夕姫は思わず出た涙を拭う。

「ユキ坊だってお遊戯会みたいじゃない?人の事言えるの」スガルが笑いこけている夕姫に呆れて突っ込む。

「そうね、テルの隣に並んだら漫才師に見えるかしら」立上がって輝虎の隣に立ち、腕をとる。

「カメラ持ってこようか?きっとおじさん喜ぶよ」バロンが自室にカメラを取りに行こうとする。

「イヤよ、出撃前にそんなことをしたら形見になりそうじゃない。それに父さんはテルの写った写真を見ると不機嫌になるわよ。…そうね、戻ってきてドレスが無事なら、嫌がらせに送ってやろうかしら」

「龍成クン可哀そう」スガルが従兄弟に同情する。

「きっといい写真になるよ。二人に子供が出来たとき若い頃のパパとママはこうだったんだぞって見せられるよ」バロンが他人事だと思って満面の笑みで言う。

「気が早いわねえ。何年も先の事よ」と夕姫は口にするがそんなに先のことでは無いかもしれない。

 スガルはそんな夕姫のドレスの大きく開いた胸元を凝視し

「やっぱりウワサは本当なのかしら?」疑り深い目をする。

「ウワサって?」言われた夕姫は心当たりが無く、問い返す。

「ユキ坊が非合法の豊胸術をやってるっていうハナシ」スガルは真偽を確かめようと眼光鋭く夕姫の胸を睨む。

「何よそれ!母さんにしろ、変なウワサを流しているのダレなの!」夕姫は心外だと憤る。

「ユーキ、そんなに悩んでいたとは…気付いてやれなくてスマン。だが俺はバロンと違って胸の大きさなんて気にしないぞ」輝虎が慰めの言葉をかける。

「ユキねえ、いくら悩んでいても、体に危ないことはしないほうが良いよ。やっぱり大きくても天然じゃないと…」オッパイ男爵は変な方向に諌める。

「ユキ坊、そこまで思い詰めてたとは…」スガルの目が同情に変わる。

「ガーッ!非合法も改造もあるかいっ!モノホンよ、天然ナチュラルよ」とうとう夕姫が逆上する。

「フムフム、ホンモノっぽいわね。喜べテル君、ユキ坊のコレはシリコンじゃ無さそうだぞ」素早く夕姫の懐に入ったスガルはドレスの上から胸を揉んで触感を確かめる。

「ギニャー!ちょっとスガル姉、ヤメて!お願いヤメて、ほら、男どもが観てる!」輝虎とバロンは二人のカラミをナマ唾を飲んで鑑賞している。

「わかるんですか?」バロンがスガルの胸鑑定に興味津々で尋ねる。

「悲しいけど里を出た女性で豊胸手術をしたものは少なくないの。そんな胸を触らせて貰ったことがあるわ」スガルは夕姫の胸を揉みながら悲痛な顔で告白する。

「た、助けて、テル!」夕姫は輝虎に助けを求める。

「スガルさん、やめて下さい。その胸は将来、俺のモノになる予定なんです。それ以上は俺を倒してからにしてください」輝虎が二人に割って入る。

「そうきたか。確かに愛しの彼女の胸を目の前でこねくり回されるのは我慢ならないか。ヨシ、このオッパイを賭けて、ヤるか」スガルが身構える。

「ふーん、へーん、やっぱり…」バロンは変な納得をしている。

「私の胸は私のもんじゃい!今も将来も私以外に勝手にされてたまるか!ちょっと大きくなったからって、みんな騒ぎすぎよ。なに?里の女性は胸が大きいと迫害されるの?」スガルから逃れた夕姫が怒鳴る。

「そうね、そういう伝統はあるわ」スガルが残念そうに言う。

「誰が始めたのよ?文句言ってやりたいわ」

「アンタのご先祖よ。凰の始祖、狩野夜姫が胸の大きい女性を射抜いた時から始まったって聞いてるわよ」

「えっ?そんな話、初耳よ」

「凰家の言わば恥部とも言える話だからね。まだ伝えていないんじゃない?昔から里の女性は凰の当主より胸が大きいと隠し、露見すると里を追われたって聞くわ。そんな事を代々続けていたから里から胸の大きな遺伝が消滅したのよ」

「まさかウチの家に原因が有ったなんて…あれ?でも三春さんは胸が小さくないじゃない?」夕姫は太刀守の里で一番の胸を持つ人物を思い出す。

「アレは父親の遺伝でしょ」

「三春さんのお父さんって誰なの?」

「春日様は絶対に口を割らないわよ。これも伝統になるけどほとんどの場合、師条家に遺伝子を提供した男性は秘密にされるの。この代もそうよ。だから光明君と三春ちゃんの父親が同一人物かどうかさえもわからないわ」太刀守の里の現党首、師条春日は光明と三春の母親であるが、二人の父親は秘密になっており、里ではその件について誰も触れない。

「そうなんですか。里の外の人間かな?」輝虎が口を挟む。

「さあ?生きているか死んでいるかもわからないわね。真田の人間が知らないんだから、知っているのは師条の女性だけなんじゃない?ねえ、夕飯はどうなってるの?」そんな騒ぎの中、黒い尻尾が玄関のドアを抜けていくのに誰も気付かなかった。


 19


「スガルさんが来て夕姫ちゃんのオッパイを揉んでいた?」弥桜がペンタの報告を受けていた。今回の報酬はサラミとチーズだ。なんだか酒の肴みたいなものばかりだ。ちなみに冷蔵庫に有った父がとってあったものを拝借した。

「ユキがドレスを着てな、その胸を見たスガルがズルをして大きく見せてるんじゃないかと疑ってな」ペンタは遠慮なく大三のツマミを食べている。

「そうよね、夕姫ちゃんここへ来てから急に発育したわよね。なんかしているのかしら?」なんかしている本人は気付いていないらしい。

「テトラがそれ以上、ユキの胸を揉むなら俺を倒してからにしろと言ってた。なあ、人間は胸を揉むとなんか楽しいのか?ユキはまだ乳は出ないのであろう?」猫であるペンタは人間のメスの胸部が何故膨らんでいるのか理解できない。

「そのへんはきっとバロン君が詳しいわよ。今度聞いてみたら」有無を言わさない笑顔で答える。ペンタはこういう時の弥桜に何を言っても無駄だと理解している。

「私がいないところで楽しそうにやっているじゃない。バロン君になら『弥桜ちゃん、やっぱり弥桜ちゃんの胸が一番だよ』って言ってくれるなら揉ませてあげてもいいのに、キャッ!」弥桜は自分で言って頬を染める。

 ペンタはその様子を冷めた目で見ながらサラミをほおばる。まあ、報酬が旨いから良しとするかと思っている。

「明日はバロン君、いえバロン君達に私がいなければ駄目だってところを思い知らせてやるんだから」弥桜は立上がって拳を握りしめる。

「なあ、本当にやるのか?また空腹でリタイアにならないだろうな」使い魔は主人の行動に乗り気じゃない。自分がいなければ弥桜の思惑は破綻する。

「大丈夫よ。アナタにも悪い話じゃないの」弥桜は悪徳業者の勧誘みたいなセリフでガッシリとペンタの肩を掴む。


 さすがに犬神の様に男部屋のソファーで寝るわけにもいかず、夕姫の部屋で寝ることになったスガルだが、目ざとく、開いていた夕姫の寝室から覗く、大きなクマのぬいぐるみ2体を見つけてしまう。

「うっわー!カワイイー。ユキ坊の?アレ?どっかで見たような…ああ!先輩のとこの茉莉ちゃんが持ってたやつの巨大版か!高そう。なんで2体も?」夕姫が寝室のドアを閉める前にスガルが飛び込み、柄にもなく興奮する。やっぱり女の子はこういうものが好きなのか。

「テルとバロンに貰ったの」夕姫はしぶしぶ答える。

「うわー、いいなあ、もちろん一人くれって言っても…」

「ダメ」

「やっぱりダメか。いやぁ、先輩のとこの茉莉ちゃんがすごく良いクマを肌身離さず持ち歩いていたのが不思議だったの。あの夫婦良く知っているけど、子供のおもちゃにあんな高級品充てがうような柄じゃないからさ。そうか、犬神先輩がバロン君辺りにもらったんだな」

「バロンに頼んでみたら?お父さんからお小遣い貰ってしばらくお金に困らないそうよ。ぬいぐるみの一つや二つ、駄菓子を買うくらい簡単にくれるわよ」

「そっか、でもどうせ貰うならあの車がいいなあ」

「アレは無理でしょ。私、車に詳しく無いけど、マニアの犬神サンや、学校の先生の興奮の仕方を見ていると尋常じゃないもの。あんまり欲かくと腕輪のご利益失うよ。ぬいぐるみで我慢しといたら?」夕姫はスガルの腕に嵌まった龍神の腕輪を指す。

「それでユキ坊みたいに抱いて寝るか」

「な、な、なんでそれを」あからさまにうろたえる夕姫。

「図星か。カマかけてみたんだけど、ユキちゃんも女の子らしいところあったんだ。さすが胸が発育するだけのことはある。もうユキ坊なんて呼べないか。アレ?発育したから女の子らしくなったのか、女の子らしいことしているから発育したのか、どっちかな」

 

 招待当日、白桜神社に届け物が有った。宅配業者を装ってはいるが里の人間だ。猟犬ではなく、岩崎の工房の職員ではあるが。

 彼は朝まで徹夜で荷物を仕上げ、荷室で相方が荷物の最終チェックをしながら里から飛ばしてきたのだ。荷物は現時点での最高傑作と言っていい。このまま夜まで仮眠を取って別の任務に備える。

 受け取った弥桜は満足気な笑みで感謝を伝える。

「ありがとうございます。きっとご期待に応えます」思わず握手までしてしまった。職員はしばらく手を洗えなくなってしまった。


「大分マシになったじゃない」目の覚めるような真紅のドレスをまとったスガルが輝虎を評する。バロンが着付けを調整し、整髪料で頭髪をオールバックに撫でつけてある。アメリカの卒業パーティーに参加する田舎の学生みたいだが、昨日の七五三と言われた時より見られるようになった。

「バロン君はさすがね」スガルが言う通り、バロンは着慣れている。母親の仕事に同行していた為、幼少の頃から正装を着こなしていた。

「スガルさんこそ、お綺麗ですよ」スガルは仕事でやむなく着ることが有ったのでなんとなく着られる。昨日の夕姫を見て、その調整もやってみた。夕姫は長い髪をアップに結い、薄化粧をして、いつもとは全く違う雰囲気を出している。

「どう?テル、惚れ直した?」ニンマリと笑うとやっぱり夕姫だった。

「ああ、綺麗だ…」見惚れた輝虎は思わずなんのヒネリもないセリフを吐く。

「そお」自分で聞いておいて夕姫は気恥ずかしくなった。

「こうして並んでいると姉妹みたいでしょ」スガルは夕姫の隣に立ってみる。夕姫の方が背も胸も大きい上、やはり歳は隠せないので母娘のように見えなくもないが、それをそのまま言わない程度にはバロンも分別はある。

「ええ、二人とも綺麗ですよ。やっぱり乗り込む前に記念写真撮りません?スガルさんもお仕事とかお見合いに使えますよ」やっぱり余計な事を言うバロンだったが。

「ありがと。でもぉ、バロン君が貰ってくれればお見合いはしなくて済むわよぉ」スガルは逆にバロンをからかう。

「ええっ、あのそのぅ、申し出は嬉しいんですがなんと言うか…」バロンはしどろもどろになる。

「スガルさん、残念ですがバロンは胸の大きな女の子しか興味無いそうです、非常に残念ですが」まったく残念そうでない輝虎だった。

「キーッ、男はそればっかり。じゃあ、どう?テル君が私に乗り換えるっていうのは」

「イエ、自分はユーキ、一筋ですから」きっぱり断る輝虎だった。

「だってユキ坊、何もさせてくれないんでしょう?お姉さん、サービスしちゃうわよ」そう言いながら輝虎にもたれかかる。

「ストップ!そこまでよ。お姉様は外でパートナーをお探しになって」夕姫は怒りを堪えて二人を引き剥がす。

「アラ、本妻が来ちゃった。女性の生涯に一度は言ってみたいセリフランキング、ナンバーワンの『この泥棒猫』って言われる前に退散するか」あやしいランキングを持ち出したスガルは諦めて男達から離れる。

「…そういえばペンタをしばらく見てないわね。…イヤな予感がするわね」夕姫はどこへでも出入り自由な化け猫の事を思い出す。学校の件で弥桜の振るった星辰の剣はペンタが持ち出したに違いないと睨んでいた。今回は勝手に持ち出されないよう、バロンにケースの鍵をかけさせた。あの剣が無ければ弥桜も勝手なことはすまい。


「やっぱり行くのね」雪桜が出かけようとする娘を見つけ声をかける。

「止めないで、母さん。女には戦わなくちゃいけない時が有るの」弥桜は決意を秘めた眼差しで母を押し留める。

「もう止めないけどね。ねえ、その格好で行くの?お父さん見たら泣くわよ」隠密コートから覗く、くノ一衣装に雪桜は呆れる。

「コレは母さんの考えてるものとは全然違うの。さあ一世一代の晴れ舞台、全力で行くわよ」弥桜は自信たっぷりで目は爛々と輝いている。止めるつもりはなかった雪桜だが、止めたほうが良いのではないかと思い始めていた。そんな心中を知ってか

「無駄だと思うぞ、もう大分引き返せないところまで来てしまっているらしい。諦めて、後は周りに迷惑を掛けないことを祈ってくれ」少女姿のペンタがいつの間にか現れ、雪桜を見上げ言った。

「どこで育て方を間違ったのかしら?頭が受け入れないけど、ペンタちゃん、娘をよろしくね。なんか有ったらひっぱたいても止めてちょうだい」

「…約束はできんぞ。こうなったミオは誰にも止められない」

「なんで可哀そうな子を見るように言うのよ。行くわよ黒焔丸」

「黒焔丸?」

「…ワシのニンジャネームらしい。では行ってくる」


「お世話になります。龍光さん」白桜神社には三春が依頼してくれた真田龍光が四輪駆動車で迎えに来ていた。

「本当に行くんだな。何が起こるかわからないんだぞ。今なら怖くなったんで辞めます、って言っても間に合うぞ」里の人間でもなく、武芸もない少女が正体不明の相手に乱入とはいえ、戦闘に飛び込むのは龍光の常識では自殺にしか思えない。

「大丈夫です。里の人達にもご協力いただいて準備万端です。これで引き下がったら女がすたります」弥桜が揺ぎ無い決意を表明する。

「…わかった。じゃあ現地に行こう。もう主役の登場を待っているハズだ」


 20


 運転しながら龍光は三春が目を掛ける里の外の少女がどんなものか、改めて興味が湧き、話しかける。

「でも、大丈夫なのかい?ニ、三度会っただけのよく知らない男の車に乗り込んだりして?僕が悪い男だったらどうするつもりだい?」もちろんそんなつもりは無いが、弥桜は少し無用心に見えた。

「ええ、龍光さんが三春さんの不興を買ってまで私にちょっかいを出すとは思えません。それに今の私は強いんですよ。私を試すためにこの車をバラバラにしたくはないですよね」弥桜の影にはペンタが潜んでいる。いざとなれば巨大化し、車を内部から破裂させるなど造作もない。

「なるほど、考えてないわけではないのだな。わかった、降参だ。これを持っていくが良い」龍光は漆塗りの細長い箱を弥桜に渡す。

「ご先祖が使ったものだ。もう単なる骨董に過ぎないが、君が使いたまえ」受け取った弥桜が箱を開くと、中には古そうだが今だ黒光りする鉢金が入っていた。

「ワァッ!ステキ!」弥桜は歓喜する。こういう本物の忍者グッズが欲しかったのだ。

「これでカワイイ顔を守ると良い」こんなモノを女の子が貰って喜ぶとは思わなかったので意表を突かれたが、悪い気はしない龍光だった。後は弥桜の活躍を三春に報告する為に観戦すれば良い。だがそちらも想像を絶する成果となる。龍光は里での修練とはなんだと思ってしまうことになる。


「ヒャッホー!最高ね」土曜日の横浜周辺は混雑しており、スピードは出せなかったが、ハンドルを握るスガルはそれでもご機嫌だった。

 着飾った若い男女が乗る、外国製の珍しい高級車、それもオープンカーなので悪目立ちすることこの上ない。周囲の耳目を集めてしまう。しかし、その視線もスガルは楽しんでいるようだ。

「スガル姉、はしゃぎ過ぎよ。船に着くまでに疲れちゃわない?」夕姫が呆れて心配する。普段は頼れる姐さんだが、時々ひどく子供っぽい。夕姫は犬神のバンで送ってもらったほうが良かったと後悔し始めた。

「こんないい車、機会が無いと乗れないでしょ。ああそうか、バロン君と一緒になればこの車に乗り放題か。やっぱりバロン君、お姉さんで妥協しーない?オッパイは薄いけど、その分色々手ほどき、し、て、あ、げ、る」スガルは助手席のバロンの膝に手を置く。

「ええーっ!」バロンは思わず真っ赤になる。

「そこ!未成年を誘惑しない!」後部座席の夕姫がスガルを叱る。

「えー、自由恋愛よ。愛が有れば歳なんて関係ないわよね、バロン君」

「愛が有れば、ですよね?」バロンが正論で応える。

「チクショウ、やっぱりダメか。ならバロン君、この車だけでも良いの。アタシに預けない?子持ちのオッサンより活用してあげるわよ」

「それも駄目ですよ。犬神サン、この車の為にガレージ建てたって。今から返してもらう事を考えて憂鬱ゆううつなんですから」犬神はバロンのオープンカーの保管と管理の為に自宅にガレージを建てた。奥さんには将来的には娘の部屋にするからと説得した。申し訳ないのでバロンも必要経費として実費を負担した。

「貸すのは構いませんが、管理を犬神サンにお願いしているので、犬神サンを通して借りてください」

「バロン君のイジワル!二人だけでドライブデートした仲なのに。バロン君にあんなことや、こんなことされたって巫女ちゃんに言っちゃおうかな?」

「ええっ?僕が何かしましたっけ?」

「何もしなかったのよ、こんな良いオンナを前にして。イタリアだったら訴えられるわよ」

「スガルさん、イタリア人に偏見へんけん持ってません?」

「駄目ですよ、バロンは胸の大きくない女性は目に入りませんから」輝虎がフォローするが

「胸の小さな女の子は恋愛しちゃいけないっていうの?こうなったら無い胸同盟を組むわ。胸の小さな女の子の権利と地位向上を目指す同盟よ。ユキ坊も参加するわよね?」

「私は間に合ってるからいいわ」夕姫はすげなく断る。

「キーッ、これだから彼氏持ちは!ちょっと最近大きくなったからって鼻にかけて。こんな若いうちから、ちちくりあうっていうの?邪魔してヤル…」スガルが暗い情念に身を焦がしていると埠頭が見えてきた。

「やっぱり来てませんね」大分暗くなってきたがクルーザーどころか手こぎボートすら見えない。やはり手の内を見せるつもりは無いらしい。

「約束の時間は18時だから…後10分位か」バロンはさっと降りると運転席のドアを開いてスガルに手を差し出す。

「アラ、ありがとう。気が利くわね」

「大嫌いな父の真似ですが」バロンが謙遜けんそんする。気付くと輝虎も夕姫に手を差し出していた。

「どうぞ、レディ」輝虎は柄にもなく気取っていた。

「プッ、あ、ありがとう、ププ」夕姫は笑いを堪えて手を取る。

「車はどうします?」バロンが車の処置を気にする。車が心配というより、放置して迷惑をかけることを気にかけている。

「何か有ったら犬神先輩が回収する事になっているわ。スペアキーも持ってるしね。また貸してね、バロン君」

スガルはバロンにキーを渡す。もし乗って帰る事があるのならまた借りれば良い。帰りは無事だとしてもくたびれ果てて、誰かに送ってもらう公算が大きい。ならば行きも送ってもらえばいいではないかと指摘されそうだが、様式美だ。スガルの美学がそう告げている。決してバロンのオープンカーに乗りたかっただけでは無いのだ。たぶん。

「まだかしら、レディをこれ以上待たせるのは失礼じゃなくて」腕時計を見ながらスガルがぼやく。パーティーが出来るような大型のクルーザーが接岸するのであれば、もう見えて無ければ時間に間に合わない。

「…おまたせして申し訳ございません。ミスターフジバヤシの御一行で間違いございませんね?」波の音にかき消されていたのか、夕姫の地獄耳にも気付かせずに執事風の若い男が立っていた。スガルはひと目でかなりの使い手だと見抜く。

「はい、これが招待状です」バロンは船が見えないことを気にもせず、招待状を差し出す。執事は受け取り

「はい、間違いございません。ではこちらへ」手で指し示す方には、高速のボートからタラップが伸びていた。

「これでパーティーをするの?」

「いえいえ、これははしけに過ぎません。これにお乗りいただいてキング・スレイマーンに移乗していただきます」執事は四人をボートへ促す。スガルは応援のことを考え、ちょっと困ったなと思いながら、見かけによらずしっかりとした造りのタラップを渡っていく。

 接岸すれば猟犬部隊員が潜入する事も可能だが、沖に碇泊ていはくしているとなると近づくのはもちろんのこと、船に気づかれずに潜入するのは至難の技だ。さすがの太刀守の里の住人でも空を一人で飛べるものはいないはずだ。

 輝虎がボートに乗り移ると、執事はタラップを岸壁から切り離し、器用にボートへ収容する。無駄のない動きで離岸の作業を終え、船室上部の運転台に向かう。

「皆様、多少揺れますので、ご着席下さい」四人が通された船室は甲板から数段下がったスペースになっており、屋根はあるが、壁や窓は無く、支柱と運転台の構造物が有るものの、全周囲海が見渡せた。ソファー型のレザーのシートも手の込んだものとわかる。慣れていなかったり、これから向かう場所を想像して緊張した為、落ち着かず、ちょこんと座る四人であった。

「では参ります」執事の言葉と共にボートが発進する。エンジン音もさせずに速度を上げると船体が黒く変色する。既に暗くなった海原では、このボートは識別しづらい。四人が接近に気付けなかった訳がこの能力だ。

「まるで密輸、密入国専用ね」スガルは聞こえるようにイヤミを口にする。

「しーっ、これからご馳走になるって相手を不機嫌にさせてどうするのよ」夕姫が声を抑え、スガルを責める。

「アンタ、この状況でまだ食べる気でいるの?鉛玉ご馳走になるかも知れないのに。いい根性してるわね」

「だってクルーザーでディナーって書いてあったんでしょ。せっかくご馳走してくれるって言うんなら、鉛玉の前にいただけるだけ、いただくわ。ねえ、テル」

「俺もスガルさんの意見に賛成するな。…もちろん出たものはいただくが」夕姫に睨まれて意見を修正する輝虎だった。

「僕も殺すだけが目的じゃないと思うよ。もしそうならこの船ごと爆破でもすれば良い訳だし。決着をつけようと言ってきているんだし、不意打ちは無いと思うよ。せっかく招待を受けたんだし、ホストの趣向に従おう」バロンは考えているのか、いないのかわからない答えを言う。

「しかし、なんの為に僕達一族を付け狙うんだろう?」

「その件に付きましては主よりお話があると思います。今しばらくのお待ちを」運転台の執事より声が掛かる。今までのバカな会話も聞かれていると思って間違いない。

「後どの位かかるの?」どうせ聞こえてるならと、開き直ったスガルが尋ねる。船のスピードには詳しくないがかなり出ているように思える。横浜の街の光が遠くになっていく。あまり沖に出ると脱出を考えた場合、条件が厳しくなる。

「もう見えます」執事が応えると前方に白い壁が急に現れたように見えた。このボートと同様、船体の色を変えられるらしい。百メートル以上は有ろうかという巨体が眼の前に近づくまでわからなかった。夜間航行するときには恐ろしい隠密機能だ。金色で「キング・スレイマーン」と英字で書かれているのが読める。

 しかし、どうやって移乗するのだろうとスガルが考えているとすぐに答えが出た。

 船腹が矩形に開口し、丁度このボートが滑り込める大きさの船着設備が見えた。スガルはなおさらこのクルーザーへの侵入が困難なことに気付く。ボートを横付けしてあの船体を、高い甲板まで登っていくのはナンセンスに感じる。

 「悪の巣窟というより白亜の宮殿に挑戦といった感じかしら」夕姫も多少緊張し始めたようだ。

執事は見事な操船で少しも余裕の無い船着設備にボートを入れる。

 わずかな振動が有り、ボートが固定されたようだ。いざとなったらこのボートを奪おうと算段していたスガルは選択肢を減らす。ボート側から固定が外せないようだ。入ってきた船腹のハッチが閉じていく。おそらく出船するときは反対側を開けられるようになっている。

 今度はクルーザー側からタラップが用意される。本船側にも船員姿のガッシリした体格の男が立っている。この男が船着設備の管制をしていたのだろうか。

「キング・スレイマーン号へようこそ。船長です。こちらへ」船長と名乗る男に船内へ案内される。

 

 21


「これはユキ坊に謝らなくちゃいけないようね」四人が案内されたクルーザー中央にあるホールには湯気が上がっている、作りたてと思われる料理や色とりどりの山海の珍味がテーブルに所狭しと並んでいる。2、30人がパーティー出来そうな量が贅沢に盛り付けられている。

 ホールはクリスタルのシャンデリアが下がり、両舷の窓からは夜の海と遠くに横浜の街の灯りが見える。床の凝った意匠のカーペットもシミひとつ見当たらない。

「他のツアー客はいなそうね。…ユキ坊、どうしたの」冗談を言ったスガルは夕姫がうつむいているのに気づいた。

「あの子達にも食べさせてやりたかった…」夕姫が目頭を押さえる。これだけ有れば三雀も満腹に出来るだろう。

「お姉ちゃんしてるのねぇ。余ったら持って帰らせてもらったら」これから命のやり取りをしようというのに随分呑気な言葉が飛び出す。

「あの子達の分も食べて帰ろうぜ」輝虎が夕姫の肩に手を置く。

「毒は入ってないわよね?」スガルは警戒するが

「大丈夫でしょう。腕輪が光っていません。最近気がついたんですがこの腕輪、僕に危険が及びそうになると緑色に光るんです。これを食べようとしても光らないということは大丈夫なんでしょう」バロンが安全を保証する。

『よく招待に応じてくれた。ミュンヒハウゼンの末裔と従者達よ。声だけで失礼する。後ほど顔を合わせることもあろう。ささやかだが雌雄を決する前の腹ごしらえに歓待させていただく。今だけは思う存分楽しんでくれたまえ』若い女性の声でアナウンスが有った。

「やっぱり僕を狙ってたみたいだ」バロンが神妙な顔をする。仲間を巻き添えにしてしまった事を悔いているのだ。

「まあまあ、楽しめって言ってるんだからお言葉に甘えましょう」夕姫が料理の香りに負けそうになっている。

「ユキねえ、本当に大物だね」バロンが呆れるが

「毒を食らわば皿まで、ね。せっかくだから温かいうちにいただきましょう」スガルのセリフを合図に夕姫と輝虎が料理に飛びつく。

 立食パーティーの形式だが、たちまち大食い競争の様相を呈する。盛岡のわんこそば対決の決着をここでつけているような勢いだ。

「ユキ坊、昔っからよく食べたけど、今じゃすっかりバケモノね」スガルが引きつった笑いを浮かべる。

「ああ、ドレス着てんだから気を付けなさいよ。…シュールねぇ」夕姫と輝虎の食いっぷりにスガルは呆れたが、すっかり諦めて自分も料理に手を出す。そのうち夕姫が喉を詰まらせ

「み、水ぅー」

「ハイ、ユキねえ。テトラも」バロンは自分が食べ始める前に飲み物がノンアルコールであることを確認し、ぶどうジュースを差し出す。どうもバロンの好みも把握しているようだ。夕姫はひったくるようにあおる。

「フーッ、ありがとうバロン。さすがに良い食材使っているみたいね。こんな歓待を受けられるなら命を狙われるのも有りかも。このソーセージなんて絶品よ。どこで入手出来るのかしら。ン?ソーセージ…嫌なことを思い出した」これよりずっと劣るが夕姫が思い切って買っておいたソーセージを奪った化け猫が脳裏に浮かぶ。

「それいらないのか?もらうぞ」輝虎は手が止まった夕姫の前にあるオードブルの盛り合わせからソーセージやハムに手を伸ばす。そして自分のペースを乱さず淡々と料理を胃袋におさめていく。

「アーッ、これは!」スガルが目ざとくワインクーラーにささるボトルを見つける。

「こ、こんなお高いワイン、お目にかかるどころか飲むチャンスが来るなんて」ワインのボトルを引き抜いてラベルをしげしげと見つめる。

「そんなにすごいワインなんですか」バロンも徐々に食べ物を皿に取り分けながら尋ねる。

「そうね、床にこぼしたら舐めるかどうか考えるくらいには高いわね。でもね、コレのすごいところはお金を出しても買えないかもしれないところよ。有名オークションに出品されたことがニュースになる位珍しいのよ。それがこんな手の届くところに飲まれるのを待っているだなんて。バロンリーダー…」スガルが指をくわえ、上目遣いでバロンに尋ねるが

「駄目ですよ、さすがにこれはワナなんじゃないかなぁ」戦闘になるかもしれないので飲酒までは許可を求められても困る。

「スガル姉、栓を抜かないで持って帰ったら」食べ切れない分をどうやって持って帰ろうか悩んでいる夕姫が提案する。

「そうか!ってさすがにみっともなくない?」

「みっともないと諦めるか、招待主の好意に甘えるかはスガル姉の自由よ」夕姫はスガルを突き放す。飲んべえの事は理解できない。


 龍光の四輪駆動車は港湾地区にある倉庫の一つに入っていく。中は照明がギラギラと輝いていた。ここがこの作戦の猟犬部隊の待機場所兼、これから始まる、ある作業の会場である。

 弥桜が車から降りると、既に到着している車の間から見知った顔が現れる。

「犬神さん、今日はよろしくおねがいします」

「ご苦労さん。…吉野さん、本当にやるの?おじさん、心配だよ」犬神は複雑な表情を浮かべる。里の方針では弥桜を引き入れる為にはどんなことをしても良い流れになっているのだが、犬神としては顔見知りのお嬢さんがひどい目に遭うのを見たくは無い。

「ご心配かけてすみません。大丈夫ですよ、これだけ皆さんにご協力頂いたのですから。私、これでもやる時はやる女なんです。それより始めさせてください」そう言う弥桜の隣には少女姿のペンタが影から抜け出ていた。ペンタが化け猫だと知っていた犬神だが、目の当たりにするとギョッとする。

「わ、わかった。始めさせよう」犬神は振り返り、同僚達に合図する。倉庫に整然と並べられたトラックは里の雰囲気とは異なり、どちらかといえばくたびれている。この夜の為に急に用意したものだ。横浜ナンバーが多い。そして荷台から引き出されてモノを見てペンタはヨダレを垂らさんばかりに

「これ全部食べていいのか?」ペンタが見つめる先には牛二頭、豚三頭、鳥二十羽分の丸焼きが並べられた。ここでもパーティーが出来そうな食材の量だ。

「大丈夫よ。全部ペンタちゃんのために用意したんだから。これで全力で朝まででも戦えるわね」そうペンタに声を掛ける弥桜を見て犬神は、この子もやはり尋常じんじょうじゃ無いんだなと改めて認識した。

 初めに豚の丸焼きに走り寄ったペンタはおもむろにかじり付こうとするが、弥桜がそれを制し

「ペンタちゃん、これを用意してくれた三春さんに感謝してからよ」弥桜は礼儀正しく手を組んで西と思われる方を向いて一礼する。ペンタも真似をして頭を下げる。とても微笑ましい光景だ。これから起こることを考えなければ。


「なかなか肝が据わっているな」船にある自室のモニターに映るバロン達の食事を見てソフィアは微笑んだ。これからの決戦を心待ちにしているのか、ただ単純にバロン達の物凄い晩餐ばんさんの様子を楽しんでいるのかわからなかった。

「毒が入っているとは考えないのですかね?」アルが呆れる。モニターの中の人物達は死刑囚の最後の晩餐だと理解してるとは到底思えない。

「いっそ本当に毒を入れてやれば良かった…」エルが恨みがましい目でモニターを見つめる。

「正々堂々と決着をつけると招待したのだ。つまらん小細工はせん。しかし、事が始まれば遠慮はいらん、思い残す事が無いよう、思う存分にやれ」ソフィアの微笑みは変わらない。


「ロマンチックねぇ。あいつらがいなければ」スガルが特級品のぶどうジュースのグラスを片手に港の夜景を楽しんでいた。あえて視界から外した夕姫と輝虎はまだ食べ続けていたが、バロンとスガルはデザートまで終わっていた。スガルはまだワインのボトルを諦めきれずにいた。するとまたアナウンスが響く。

『お楽しみいただけたでしょうか。この辺で余興として、とある一族の昔ばなしをさせていただこうと思います』先程の招待主らしき声より大人びた女性の声で案内があると、ホールの照明が徐々に落とされていく。そして船首側のステージにスクリーンが降りてくる。

『その昔、偉大なる大スルタンはコンスタンチノープルの麗しき宮殿に立ち寄ったミュンヒハウゼン男爵一行をそれはそれは手厚く歓待いたしました。大スルタンは愉快な男爵を手元に置き、昼夜問わずスルタンの持つ特権を共に浴する事を許しました』スクリーンには影絵芝居でスルタンと男爵の楽しい日々が映し出されていた。

『ところがある日、大スルタン秘蔵の世界一と称されるトカイ酒を男爵にも相伴しょうばんさせると、恥知らずにも『この酸っぱいトカイ酒よりもオーストリアの宮殿で美味しいトカイ酒を頂いたことがあります。もし良ければ一時間以内に取ってこさせましょう』と言い出します。そこで大スルタンと男爵は賭けをしました』スクリーンにはスルタン側から書かれたのだろう、根性の悪そうな男爵が映し出されている。

「うわー、ご先祖様すっごくイジワルそう」バロンがイヤそうにつぶやく。

『男爵は一時間以内に持ってこなかったら自身の首を、見事用意出来れば大スルタンは世界一の力持ちが持てるだけの金銀財宝を賭けました』

「これって、あれよね」バロンの勧誘にあたって事前の資料として『ほらふき男爵の冒険』に目を通した夕姫は思い当たる話が有った。

『男爵は女帝マリア・テレジアに手紙をしたため、従者の韋駄天男にウィーンまで使いに出します』

「どうなるんだっけ?」パラパラと挿絵だけ見た輝虎はこの結末は記憶にない。韋駄天と聞いて気になったのだが。

『しかし、約束の5分前になっても韋駄天男は帰ってきません。そこで男爵は同じく従者の地獄耳と百発百中を呼び出し、韋駄天男を探させます。すると地獄耳は男が走っているどころか、どこかでいびきをかいて寝ていると言います。百発百中はそれを聞いてウィーンの方角を見るとベオグラード辺りで高いびきをかいている韋駄天男を見つけます。怒った百発百中は男の頭上の樹に鉄砲を撃ち込み葉っぱや木の実を落とし、韋駄天男を起こします』

「安心して。テルのときは眉間を狙うから」ちっとも安心出来ない事を言い出す夕姫。

『こうして大スルタンの前に約束の時間の三十秒前に絶品のトカイ酒を差出した男爵は賭けに勝ちました。そこで寛大なる大スルタンは約束通り宝物庫を開放します。すると恩知らずの男爵は配下の怪力男に太い麻縄で宝物庫に有ったほとんどの金銀財宝を持ち出してしまいます。驚いた大スルタンは海軍に追わせますが突風男に邪魔され逃げられてしまいます』悪役ぜんとした男爵がスクリーンを縦横無尽に躍っている。

「これはご先祖様もやりすぎだったと僕も思うよ。それにその財宝はほとんど手元に残らないんだ。逃げた先で物乞いや盗賊にやられたって聞いてるよ」バロンが残念そうにもらす。

『しかし寛大なる大スルタンは追手をかけてしまった事を悔やみ、再び男爵を呼び寄せます。ところがあろうことに男爵が今度は大スルタンの持つ当時世界最大の真鍮製巨大大砲を担いで海を渡り、本人いわく対岸から投げ返そうとして手が滑ったと言うことですが、巨大大砲は海峡の真ん中に落ちてしまいました。これにはさしもの大スルタンも激怒し、処刑人に男爵の首を持ってくるようにお命じになります。しかし卑劣な男爵は今度は王妃に泣きつき逃してもらうのです』

「ウン、これもご先祖様が悪いよね。でもご先祖様泳ぎが上手かったんだなぁ」泳ぎがどうだというレベルではないような話だが、子孫は感心していた。

『哀れ、二度もミュンヒハウゼン男爵に虚仮こけにされた大スルタンは宮廷での威厳を失い、宰相さいしょうにそそのかされた甥に至高の玉座を奪われてしまいました。命まで奪わんとする甥王の手を命からがら逃げ出した元スルタンは、わずかな供と着の身着のまま野に下ったのです』

「そんな事になってたんだ。これじゃあ恨まれても仕方ないよね、ご先祖様」バロンはウンウンとうなずく。

「まさか…」夕姫もだんだん敵の正体が掴めてきた。

流浪るろうするスルタンの一族は男爵への復讐を誓います』スクリーンが消え、照明が点灯する。バロンの左腕が光りだす。

『それではもう一つのおもてなし受けていただきましょう』アナウンスの宣言とともにバロン達四人は浮遊感に襲われる。船舶なので多少の揺れは感じないでもなかったが、それとはまったく異なる落下感だ。

 歳の功か、いち早くスガルが右手で窓へ向けてドレスに隠し持っていた信号銃を発射し、左手であるものを掴む。そして四人は信号弾の光に包まれてホールの床ごと奈落に墜ちていった。


 22


 埠頭の待機場所である貸倉庫内では見るだけでも胸焼けしそうな光景が繰り広げられていた。

 既に巨大化した黒猫ペンタがこんがり焼けた牛二頭、豚二頭、鳥を十羽ほど骨ごと丸呑みしていた。このペースだと残りもあっという間だろう。

 ペンタの首に付けた龍神の勾玉は弥桜の邪払いの影響を受けないとともに、ペンタの影響も主人が受けないようになっていた。だからどんなにペンタが腹に詰め込もうが弥桜が以前のように胸焼けを起こしそうになることはなかった。おかげでペンタの食いっぷりを楽しんで見ていられる。

「これがコイツのエネルギー源か。高く付くな。いや、安いのか?」龍光は調理されたブランド牛や豚等の価格を聞いていたのであっという間に化け猫に飲み込まれていく様子を複雑な心境で眺めていた。確かに安くはないが、人命の損耗を考慮すれば見合うのかもしれない。

 そんな事を考えているうちにペンタが丸焼きを食べ終わった。しかしあんなに食べたのにペンタはまだ物足りなそうだ。そして見上げるような大きさの化け猫が龍光の方へ振り返る。龍光はゾッとした。

(コイツ、僕のことを食べられるか値踏みしなかったか?)龍光は里の猫飼里弧からペンタの鑑定報告を見ている。大妖怪級だが、概ね無害だと書いてあったはずだ。その性格はものぐさで、積極的に人に危害を加えるようなことは無いとも書いてあったはずだ。エサを与えて有れば。

(エサか。コイツ、僕のことをエサとして見ているのか?)龍光も光明や虎光に同行して肩慣らしと称し、もっと厄介な怪を退治したことも有った。しかし警戒やぼんやりとした殺意は向けられたことは有ったが、これ程明確に食欲を向けられたことはない。肉食獣の前の小動物の気分が良くわかった。

 そして今更ながら青くなる。先程の車での弥桜とのやり取りは地雷原の上で花火大会を行っていたような大バカものだったと。

 ペンタはそんな龍光にすぐ興味を失い(やっぱりまずそうと思ったのか)毛づくろいを始める。大きくはなったがそのへんは猫のままだ。

「龍光さん、目標から信号弾の光が見えました。どうやら船内で発射されたようです」連絡担当の猟犬部隊員が報告を持ってくる。

「海上で急行出来るものは目標周辺で不測の事態に備えてくれ。そちらはどうします?」猟犬に指示した後、弥桜に振り返る。弥桜は既にコートを脱ぎ、先日のモノに輪をかけて派手になったくノ一姿を披露していた。既にまったく忍んでいない。この忍者スーツは三春の裁可の元、採算度外視で岩崎の若手を中心に制作されたらしい。詳細は知らないが悪ノリで作られたこのスーツは本来のお務め服とは一線を画する性能だそうだ。先日見た巫女装束といい、随分贔屓が激しい。

 先程渡した鉢金を着け、調整で来ていた岩崎の研究員が用意した、白いバックパックを背負っている。

「そろそろ出ようと思います」弥桜はケースから星辰の剣を取り出す。

「待て待て、その剣は富士林が保管しているはずじゃなかったか?」さすがに龍光は慌てて弥桜を呼び止める。スガルを通して確認したところ、星辰の剣は鍵を掛けたケースに入れ、化け猫が触れることができないように符まで貼ったと報告を受けている。

「ええ、ちょっとお借りしています。あ、大丈夫です。三春さんに造って貰った本物そっくりの偽物を置いてきてありますから」弥桜はなんでもないように言う。では夕姫は偽物を厳重に封印していたのか。龍光は頭が痛くなってきた。

「黒焔丸、行くわよ」弥桜は毛づくろいしていたペンタに声をかける。するとペンタはやれやれといったふうに黒い狐の姿になる。それを見た猟犬達が慌てて倉庫の入口を開ける。

「では行ってまいります」弥桜はペンタの上に跨がり、夜の海に向かって飛び出していく。

 弥桜達を見送った龍光はペンタの饗宴きょうえんの後を見てため息をつく。和牛一頭いくらすると思ってるんだと思い、父の言う『師条の道楽』という言葉が思い出された。

 そして考える。弥桜の勧誘は失敗したら討伐に切り替えられるのではと。伝説の金太郎は源頼光に従わなかったら怪童丸として退治されていたのではなかろうかと。弥桜とあの化け猫は味方になれば頼もしいが、放置してはおけないように思える。龍光は開け放たれた入口から埠頭の夜景を眺めながらそんな事を考えた。


 床が抜けたキング・スレイマーンのホールではケースのまま雲龍の戟を床だった蓋に突き立て、落下を免れた輝虎と掴まれてやはり落下を免れた夕姫がぶら下がっていた。反対側を見るとバロンが龍神の剣で同じことをしていたが、膂力りょりょくの差で向こうはきつそうだ。

「スガルさん、大丈夫ですか?…何持ってるんです?」スガルは落下する前、咄嗟に掴んだ幻のワインをまだ握っていた。

「イヤよ!これは絶対に離さないわ。これを飲まずに死ねるか!ハッ!コレも罠か?」スガルはバロンの左手に掴まったままイヤイヤをする。そこで夕姫は他のご馳走が落ちていった下を見る。階下はプールになっており、その水の中に料理や食器 、テーブル等が浸かっている。しかしプールの水中には最近見慣れたものに似たものがウジャウジャととぐろを巻いている。

「アレ、ウミヘビかしら?」夕姫がウンザリした声で指摘する。

「図書室で調べたら毒の強い蛇はウミヘビも多いそうだよ」バロンがまるで他人事みたいに冷静に指摘する。

「一緒に泳ぎたくはないわねぇ」

「ユーキ、投げても良いか?」輝虎が問うと同時に掴んだ夕姫を上方に放り投げる。

「へ?いーやぁーー」ドレス姿の夕姫は悲鳴と共に、投げられた花束のように宙を舞う。そしてホールの窓にある桟に手を伸ばしぶら下がる事に成功する。

「あっぶないわねぇ…上見ないでよ」抗議はするが余裕はあるようだ。

「今度はケース投げても良いか?」輝虎は突き立てた戟からケースをなんとか外し、片手に下げる。

「良いけど上見ないでよ」非常時でも執拗しつようにスカートの中を気にする夕姫だった。

「行くぞ、それ!」輝虎は夕姫の意思を尊重し、上を見ずに声だけで見当をつけてケースを投げる。実はケースも夕姫とスガルの装備や諸々が入っているので重量がある。それを肩に掛けたまま飲み食いしていたのだ。ケースは回転しながら夕姫の近くまで来るが、輝虎が勘で投げたので思ったより離れていた。夕姫は身をよじって手を伸ばし、なんとかケースのベルトを掴む。

「あれは真似出来ないですよ。スガルさん、僕の体をよじ登っていただけませんか?そろそろ手が限界です」バロンがそれほど辛く無さそうに言う。実はかなり厳しいのだが、女性に重いとは言わない躾けは受けてきた。

「わかったわ、ありがとうバロン君」スガルはワインボトルを背中側に捩じ込むと、トカゲの様にスイスイとバロンの体を登り、龍神の剣の柄の高さまで来る。

「意外と良いカラダしてるのね。お姉さん好みよ」冗談を言いながら、龍神の剣の刀身に触れて確かめる。上を見て距離を確認すると

「ちょっとゴメンね」と言いながらバロンの体を足がかりに剣のしのぎに立ち上がる。

「良いのよ、上見ても。サービスしてあ、げ、る」バロンをからかう余裕があるようだ。そして膝を曲げるとジャンプして床と窓の境目だったところに手をかける。その後は横移動をして窓の開閉部まで移動し、戸を開け甲板に転がり出る。

「ちょっと待っててね」下を覗き込みバロンに声を掛けると、安全を確認して夕姫の掴まっていた反対側に回り込む。すると既に夕姫は自力で甲板に出ていた。戦闘準備を済ませた夕姫は

「スガル姉、これを使って」ワイヤーを渡す。膂力に余裕のある輝虎よりもバロンを先に引き上げた方が良いとの判断だ。


 ホールのスクリーンが再び像を結ぶ。若い女性の姿だ。バロンはその少女に見覚えが有った。

『映像で失礼する。先日は空港で世話になったな。改めて礼を言うぞ、フータロー』ソフィアが初めてバロンに身を明かす。

「やっぱり空港で荷物をこぼしてた娘だ」ソフィアもそこそこ胸がある。胸の大きい女性をバロンは忘れない。

『やはりこの程度では役不足か。しかし趣向はまだまだ用意してある。もう少し楽しんでもらえよう』

「僕達一族が狙いなんでしょう?僕だけを狙ってよ!」聴こえてるかわからなかったが、バロンがスクリーンに向かって叫ぶ。

『我が始祖大スルタンはすべてを持っていたが、すべてを奪われた。同じ屈辱を憎きミュンヒハウゼンの郎党に味わわせたいのだ』ソフィアにバロンの声は届いているようだ。

『しかし、私もくたびれた。こちらが犠牲を払って襲い掛かっても嫌がらせにしかなっておらん。そこで今宵で最後にしようと思う。ルールは至って簡単だ。日の出までそなたが生き残れば勝ちとしよう。以降、こちらから手を出さないと約束しよう。そなたが死ねば負けた時の事は言うに及ばんだろう。首を頂く。そして当主かそなたの父上に狙いを変える』

「じゃあ、なんとしても生き残らなくっちゃ」

『船から逃げ出しても負けとする。その場合ゲームとしてではなく、手段を選ばず処刑とする。しかし、そうだな、そなたが勝てば賞品としてこの船をやろう。健闘を期待する』そこで映像は途切れた。

「この船が賞品?随分リッチだな。じゃあなるべく壊さないようにしないとな」


 23


「さすがスルタンの末裔。気前がいいなぁ」バロンも必ず生き残るつもりらしく、もうすでに船をもらう気である。スガルを上に行かせた後、龍神の剣の鎬に登って腰掛け直し呑気にちょこんと座っていた。とても数メートル下に毒蛇プールがあると思っているとは見えない。そこへスガルがワイヤーを垂らす。

「バロン君、お姉さんとの赤い糸よ。つたってきて」余計な一言が耳に入るががこのまま座っている気にもならないのでワイヤーを掴んで剣に足をかけて登って行く。

「大事な剣はどうするの?」登りきるとスガルが尋ねる。

「ああ、大丈夫です。剣よ」バロンは龍神の剣に向かって左手を伸ばすと、シュルりんと元床から抜けて腕輪として手首に飛び戻ってくる。

「便利ね」スガルが羨ましそうに見る。

「最近、色々出来ることがわかって助かってます。でもスガルさんも腕輪貰いましたよね?」

「そうよ。そのせいか割の良い仕事が立て続けに入ったわ。この仕事もそう」スガルは左腕に嵌っている黄金色の腕輪を撫でる。

「この腕輪ももっと他に出来ること無いかしら。金持ちのハンサムを引き寄せるとか。…アレ、バロン君引き寄せられてない?」

「残念ですがそういう機能はついて無いようですよ」バロンははっきり否定する。

「バカな事言ってないでテルを引き揚げるわよ」夕姫が急かすが

「おーい、俺は試したいことが有るから下に行くわ。後で会おうぜ」輝虎は上の三人に声を掛けると雲龍の戟を引き抜き、ウミヘビプールに落ちて行く。


 またもや犬神のチームの厄介事に駆り出された犬吠はキング・スレイマーン号の港湾側約二百メートルの位置にボートで碇泊し、打ち合わせ通り待機場所の倉庫方向に点滅信号を送っている。理由は不明だが、増援に位置を知らせるためだろうか?

一応キング・スレイマーン号から気づかれないように光を絞っている。しかし相手も間抜けではないだろうから、こんな事をしていれば位置を把握はあくされているだろう。

 先刻、戦闘開始の信号弾の光を甲板上の窓から確認したので、連中は取込中だとは思うが、救援請きゅうえんこうの赤色発光弾は上がってない。

 あのバロンとか呼ばれてるよそ者がリーダーを努めてるチームは面倒事ばかり起こす。壊滅したチームでさえもこんなに手は掛からない。怪が強すぎるか、チームが弱かった、ただそれだけだ。お馴染みの撤収マニュアル通りにすれば良い。

 それなのに連中はたった四人であんなばかでっかい船に殴り込みをかけているのだ。

 その中に真田スガルがいる。犬吠は彼女が苦手だ。時々里の仕事をさせる時に猟犬部隊員をアゴで使う。それも面倒事ばかりだ。犬神はよく若気の至りとはいえ付き合っていたものだ。若い頃からのあまりの狼藉ぶりについた二つ名は『真田の赤いスズメバチ』だ。近寄らないのが最良だ。

 突然、キング・スレイマーン号から轟音がする。犬吠は思わず身構えたが船の内部らしく、その後異常は見受けられなかった。そのような事が有った為に、クルーザーの方に注意を向けていると、背後から物凄い気配が接近しているのが感じられ、胸騒ぎがして振り向いた。今回は怪は絡まない仕事のハズと思ったが、犬吠は自分の目を疑う。

 待機場所の方向から真っ黒な巨大キツネとそれにまたがった、白く発光する少女が海上を走ってくる。

 犬吠も猟犬としての活動を数年続けているし、高校生時代はお務めに従事もしたが、あれ程の精気みなぎる怪に対峙したことは無い。最盛期にチームを率いていても正面から挑むのは御免被りたい。その位の気配を感じる。

 しかしこれで謎の指し図への疑問も解けた。黒い变化は無視せよとのお達しと、点滅信号の発信はこの事の為だったのだ。

 キツネに跨がった少女には見覚えがある。鉄鼠事件の被害者になって以来、犬神とバロンのチームに関わって、部外者にもかかわらず里においても若い男子達に絶大な支持されている神社の娘だ。その巫女の娘が何故か忍者を意識しているのだろうか、絶対に間違っているくノ一衣装を纏っている。時代劇のテーマパーク等に出てくるタイプだ。ほのかに発光していることもあり、まったく隠密になっていない。どちらかと言えば姪っ子が見ているアニメの魔法少女だ。

 そんなバカバカしいものが犬吠の乗るボートの脇を走っていく。なんで走れるのだろうという疑問はこの際どうでも良かった。

「もう、帰って寝ようかな」真面目にやってられるかと言うのが本音だが、大抵このチームに絡むと後始末が大事になる。今日も帰るのは遅くなりそうだ。 


 夕姫が心配になりながらも平然を装い、輝虎の落ちていった船内を覗き込むと爆音と共に大きな水柱がたった。思わず夕姫がのけぞる。

「どうしたの?」スガルとバロンが窓に張り付き階下を覗き込む。


 輝虎は師匠に習ってはいたが、使いどころのわからなかった技を初めて全力で繰り出した。

 竜王撃という型の一つだが水中衝撃波を起こす技で、水の無いところでは使えない。

 中学生の頃、習ったばかりのこの技を里の川で試したところ、物凄い衝撃波が立ち上がり、辺りの魚が浮いた。拾った魚を夕姫と二人で火を起こして食べた事を思い出す。毒蛇は煮ても焼いても食べたくは無いが。

 巨大な水柱が立ち上がり、プールの水すべて無くなるかと思ったが、行き場所の無い水は再び降ってきた。ホールの天井に付いていた、シャンデリアも落ちてきたので慌てて避ける。

 相変わらず毒蛇だらけだが、もう動いているものはいなかった。輝虎は出口を見つけるとおもむろに歩き出す。牛頭戦以来の装甲ブーツだが死んでいても蛇を踏むのはいい気がしない。避けて歩いていく。


「水被ったわ。後で文句言ってやる」水しぶきを被った夕姫が文句を口にする。

「またまたぁ、心配だったクセにぃ」スガルが混ぜっ返す。

「そんな事ないですよ。ユキねえはテトラの事、百パーセント信じてますもの。ねえ、ユキねえ」バロンが意味深な眼差しで夕姫を見る。

「知んないわよ!テルが内部に入ったんだから、私達も中に…って、そう簡単にはいきそうもないわね」夕姫のセリフを待たずにデッキ上にはプールで生け簀状態だったウミヘビに負けない位の数の毒蛇が這い出してきた。

「下がって!」スガルが得意の冷たい爆発、氷爆刃のクナイを打つ。船の上なので派手なことは出来ないが氷爆刃は物を破壊しづらいので、狭い場所でも有効だ。

 夕姫もケースから引っ張り出していた、双剣で撃退していくが数が多すぎる。

 バロンは先日の高校のように囲まれないよう、必死で龍神の剣で毒蛇達を焼き斬って行くが、体力を奪われ思うように振るえない。たちまち、教室の様に囲まれてしまった。

 彼らが身につけているスーツやドレスは鉄鼠事件時のスーツの技術を発展させた素材で出来ており、毒蛇の牙も露出部分以外なら届かない。夕姫とスガルの足元のパンプスとストッキングも便りなさそうに見えるが、道路工事用のダイヤモンドカッターでもなかなか切断出来ないほど強靭だ。ドレスもフワフワ、ペラペラに見えるがライフル弾も通さない。撃たれれば痛いが。

 しかし、首から上を守れば良いと言っても、毒蛇と格闘したくは無い。それに船尾方向にアナコンダが見える。どんなスーツを纏っても、アレに締め上げられれば助からない。ご丁寧にこちらの人数に合わせて四匹もいる。

「アレはテル向きよねぇ」夕姫がウンザリしながら大物を睨む。

「スガルさん、クナイは?」バロンが氷爆刃をリクエストするが

「もう使い切ったわ。チクショウ狙って登場させたわね!」タマ切れを申告し、悪態をつく。

「こんな事を願っちゃいけないとは思うけど、忍者さんみたいのがまた来ると助かるかなって」飛んできた蛇に斬りつけながらバロンが余計な事を口にする。

「そんな事言ってるとアノ痴女忍者が来ちゃうわよ」夕姫がたしなめるが時すでに遅く

「痴女忍者じゃないもん、っと、お、お困りのようね」クルーザーの構造物の上から黒いキツネの上に立つ、白く光るかろうじて忍者姿に見えなくもない衣装の少女が見下ろす。月が背後に上がっており、それらしくは見える。

「人を呪ったり、毒蛇で襲ったりする悪人はこの正義の美少女忍者、八重影がお仕置きしちゃうから」八重影が口上を述べる。

「おーおー、あの娘自分の事、美少女って言い切ったよ。恋する乙女は盲目ねぇ。…それになんだかカネの匂いがする。あのスーツ、私達のドレスよりカネが掛かっていると見た。…あーっ!あの鉢金、先祖伝来の…真田も一枚噛んでいるのか。龍光君か?私には花束一つくれたこと無いって言うのに!若い娘ばっかりなんでこんなに贔屓するの?」スガルが小太刀を振り回しながら八重影を妬む。

「ホラ、来ちゃったじゃない。どうするの?」夕姫がバロンを責める。

「どうするの、って言われても、どうしよう?ホストさん、許してくれるかなぁ。それにしてもあのキツネ、どうやってるんだろう弥桜ちゃん?」バロンはそれでもマイペースを崩さない。スガルは大物だなぁと内心感心する。

「そこ、ごちゃごちゃ言わない!水よ!」八重影は星辰の剣を掲げる。

「あーっ、あの剣!弥桜め、いつの間に」してやられた夕姫が歯ぎしりをする。

 弥桜の掛け声とともに突如海原が持ち上がり、毒蛇達がとぐろを巻くデッキに波しぶきを叩きつける。

「残念だけど海水くらいで爬虫類は死なないわよ」スガルが残念そうに言う。期待はずれだったらしい。確かに学校の火炎攻撃の方が効いていた、今のところは。

 八重影は剣を掲げたまま

「雷よ!」八重影は剣を振り下ろす。龍神に再生された星辰の剣は木火土金水と日月の七曜の力を行使出来るようになった。雷は木曜の力だ。効果はてきめんだった。

海水で濡れたデッキ上の蛇達は星辰の剣の雷に感電して即死だった。


 24


「まったく愉快だ。これを見られただけでも、招待した甲斐はあった」ソフィアはデッキに現れた闖入者の様子を映したモニターを愉しみながら眺めていた。

「よろしいのですか?」アルが心配そうに尋ねる。

「逃げるなと言ったが助太刀させるなとは言わなかった。まあ、集団で襲いかかられたら対処するがな」

「わかりました。周囲の小型艇の監視を続けます」アルは諦めて引き下がる。アルはすでにソフィアがバロン達への復讐に執着していないことに気がついていた。

「御館様、直ちに自分へご命令を。必ずやあの連中を血祭りにあげてご覧にいれます」これに我慢できなくなったエルは自ら手を下そうとソフィアに申し出る。

「…良かろう。それで気が済むのならな。ただし銃火器は無しだ。ここ日本の流儀で決着を着けるがいい。…ケガをせん程度にな」ソフィアはやむなくエルに許可を出す。

「ハッ!」許可を得たエルの顔には暗い歓びが浮かんでいる。去っていく妹の後ろ姿を見て心配になるアルに

「お前も行くが良い。エルを守ってやれ」


 プールを出て敵の本拠を探して船内をさまよっていた輝虎は前方に気配を感じる。すると部屋の一つから円筒型のケースを抱えた女性が出てくる。向こうもこちらに気が付き睨まれる。その女性エルが輝虎の前に何かを投げつける。避けようと思ったがそれは輝虎よりも手前に叩きつけられ、激しい光を発した後、煙幕まで吹き出す。目を守るのが遅れた輝虎は次の行動が遅れた。

 やっと周囲が確認できるようになるとエルは煙と共に消えていた。イヤな予感がした輝虎は夕姫達と合流すべく上を目指す事にした。


 八重影はまた良いところを奪っていった。雷撃で倒しきれなかった毒蛇や、巨大蛇アナコンダも火炎で掃討していく。

「格好は恥ずかしいけど腕は立つのよねぇ、弥桜影」夕姫がやれやれと肩をすくめる。

「八重影よ!夕姫ちゃん、ワザと間違ってるでしょう!それにこれは正義の制服なの!」八重影はムキになって抗議する。

「えーと、巫女ちゃん、この船バロン君のモノになる予定だから、あんまり壊さないでね」スガルが手加減無しに火炎攻撃を続ける八重影とキツネにもう少し加減するよう注文を付ける。

「エッ!バロン君のモノになるの?」驚いたくノ一とキツネは火炎攻撃の手を止める。弥桜の脳裏に船首でバロン共に立ち、夕日を見る自分を想像してうっとりする。今回は置いてきぼりにされて、クルージングディナーにもありつけなかったが、その埋め合わせをしてもらおう。そう夢想した。そこへまだらの毒蛇が飛びかかるが

「ちょっと引っ込んでて」八重影に星辰の剣で斬りつけられた蛇は砂礫すなつぶてになってしまう。

「こわー…」怖いものなんて無いと言ってそうなスガルまでおびやかす。しかし、デッキ上の蛇はあらかた片付いたようだ。動いている数少ない蛇も、弓に持ち替えた夕姫が狙撃して殲滅せんめつした。

 バロン達が生き残りはいないかと辺りを見回し始めた頃、船が急に揺れて動き出す。いつの間にか錨を引上げ、船が進んで行く。徐々にスピードが上がっているのがわかる。

「どうしたんだろう?」


 待機場所になっている貸倉庫に、監視を行っていた小型艇から報告が入る。

「なに?目標のクルーザーが動き始めただと」龍光が聞きつける。

「それで進路は東京湾の外か?」外洋に行かれると面倒だ。

「いえ、反対だそうです」報告を受けた連絡担当が情報をまとめ、報告する。

「こちらに向かっています。このまま行くと横浜港のどこかへ達しますが、速度が異常です。まさかとは思いますが船ごと岸壁に突っ込むつもりでは?」報告を聞いた龍光は頭が痛くなった。どうしてバロンのチームが関わると大事になるのだろうかと。バロンの能力、お伽草子については聞かされているが、振り回される方はたまったものではない。光明に連絡を取ったものか迷っていると

「大丈夫だ。このまま見守ろう」いつの間にか師条光明本人が現れた。


 エルを見失った輝虎だったが、彼女がつけている香水の匂いをバロンの能力で強化されている嗅覚によって嗅ぎつけ後を追うと、デッキを過ぎ船橋にたどり着く。そこでエルがたった一人でなにかの操作を行っていた。

「動くな、何をしている?」輝虎が声を掛けると

「もう遅い、これでお前達も終わりだ」エルは不敵に笑い、再び目くらましの煙幕弾を投げる。輝虎は目をかばったが、エルはそれをみこし、時間差でもう一つ投げる。これをまともに食らった輝虎は完全に目を眩ませられた。その間にエルはケースを抱えて側面の出口から逃げ出す。

 後に残された輝虎は辺りを見渡すが、車の免許も持っていないのに、船の操舵装置については見当もつかない。エルが何かをして船が動き出したのはわかったが、どうしたら止まるかはわからない。仕方なく、エルの後を追う。


「ねえ、港に向かってない?」スガルがイヤそうに口にする。

「帰してくれるのかな」バロンが能天気な事を言う。

「きっと物凄い速さで帰れるわよ。無事だったら」夕姫が呆れて皮肉を言う。

「黒焔丸、なんとかなる?」さすがに危機感を持った八重影が使い魔に尋ねる。キツネ姿のペンタは食べた分くらいは働くかと仕方なく船首方向に行き、出来る限り速度を落とそうと押すことにする。


 25


「ハハハハ、ミュンヒハウゼンの小倅、お前達もこれでお終いだ」ケースを抱えたエルが現れ、哄笑こうしょうする。

「出たわね、悪の女幹部!」八重影がイキリ立って指差す。

「貴様か?私の呪詛じゅそさえぎった女は!」エルも八重影に心当たりが有ったようだ。

「人様を呪ったり、毒蛇に襲わせるような人に文句言われる筋合いは無いわ!」八重影が言い返す。

「貴様さえいなければミュンヒハウゼンの小倅はとうにあの世へ送っていたはずだったのだ!」

「私のバロン君を勝手にあの世なんかに送られてたまるもんですか!」

「…あの子どさくさに紛れてバロン君の事を『私の』って言ったわよ。やーねぇ」スガルが八重影を白い目で見ながら小声で言う。

「あの娘、興奮すると周りが見えなくなるのよねぇ」夕姫も追従する。まるで井戸端会議だ。

「み、八重影さん…」バロンが複雑な表情をする。

「とにかく、お前達の悪運もここまでだ。この船は港に向かって全速力だ。船と共に海の藻くずとなるがいい」またエルは高笑いする。

「そんな事をしたら貴方も無事じゃ済まないわよ!」

「死なばもろともだ、そら死出しでのお供だ!」よほど弥桜の事が頭に来ていたのか、エルはケースの中身を放る。ケースからは真っ白なブラックマンバが飛び出し八重影の顔をめがけて襲いかかる。

「そんな手に引っかかるもんですか。エイっ!」八重影が白蛇を斬り落とす。

「危ない、弥桜ちゃん!」バロンが異変に気付き飛び出し、龍神の剣を居合い斬りの様に振り上げる。龍神の剣の光に照らさた刹那、影の様に黒いブラックマンバが闇に浮かぶ。白い蛇を目隠しにして黒い蛇が目的を達する二段構えだったのだ。

「大丈夫?弥桜影?」夕姫が心配して駆けつける。

「バロン君のおかげで助かったわ。八重影だから」こんな時でもしっかり訂正する八重影だった。

「おのれ、またしても…喰らえ」エルが小型の拳銃をバロンの頭部を狙って発砲する。ソフィアには止められていたが隠し持っていたのだ。夕姫が反応するが弓に持ち替えていたので対処方法が無い。

「危ない、バロン君!」今度は八重影がバロンをかばう。星辰の剣を構え念じる。すると拳銃弾は剣の前で弾き返されデッキに当たり跳弾する。すると思わぬ人物の胸に吸い込まれていく。

「アル!なんで?!」エルは真っ青になって倒れこんだアルを抱き起こす。

「…エル、もうこんな事は止めて幸せに成りなさい…」アルは苦しい息の中、残る命を振り絞って最愛の妹に言い遺す。八重影が駆け寄って龍神の腕輪を試そうとするが、スガルが引き留め首を振る。あの銃創ではここが集中治療室でも助からない。

「アル?しっかり!お姉様っ!」エルがアルを揺するがすでに体から命を感じない。

「もういいだろう」後ろからまた新しい人物が現れた。ボートで港からこの船に連れてきた執事だ。

「ゾラ…」エルは涙でグチャグチャになった左目で見上げる。ゾラと呼ばれた執事はアルの亡き骸をエルから引き取る。

「こちらの無作法が有りました。こちらの負けを認めるそうです。金輪際ソフィア・ソロモンの名においてミュンヒハウゼンの一族に危害を加えないと申しております。約束通りこの船は貴方がたに差し上げるそうです。しかし止められればという事になりそうですね。申し訳ございませんが乗員はすでに離船しており、戻れませんので」ゾラは操船が不可能な事について事務的に話す。

「エル、御館様の元へ戻り釈明しろ」ゾラがエルに命じるが彼女は走って反対側の舷側から夜の海に飛び込む。お人好しのバロンが船べりまで駆け寄って海面を見るが、船が出す波のせいか暗い海面には何も見えない。

「それでは私も失礼します。幸運を祈っています」そう言い残しアルを抱えたゾラも船べりを飛び出す。しかしこちらは下に小型のクルーザーが並走しており、上手に着艦する。小型クルーザーのデッキにはソフィアが立っており、軽く手を振った後、ゾラと共に船内に入っていく。それは憎き相手を睨んでいるのはなく、遊び相手と別れて家に帰らなくてはならないといった寂しそうな表情だった。


 26


「大変だ!この船がやばいらしい!」遅れてきた輝虎が血相を変えて駆けつけるが

「知ってるわよ。今、弥桜影のペットが船を押しかえしててるわ」夕姫が呆れながらも説明する。

「ああ、やっぱり来てたんだ、八重影サン。…また一段とすごいね」新しい装束の八重影を今夜初めて見た輝虎は思わずそうもらす。

「すごいよね。僕、母さんと日本へ帰ってきたとき連れてって貰った、デパートの屋上のヒーローショーを思い出したよ。あの時は嬉しかったなぁ」バロンが幼少の頃を思い出し、懐かしむ。その後、楓が一人で海外に行ったときにも祖父のアレックスに頼んで再度鑑賞しに行ったこともあった。理由もわからない本物の戦闘は見た事は有ったが、あのように単純な勧善懲悪は見せ物でもバロンの趣味にあった。その辺は弥桜と趣味が合いそうだ。

 その八重影はうつむいていた。身を守っただけとは言え、跳弾で人の命を奪ってしまったことに後悔しているのだ。

「弥桜影、あなたは悪くないから」夕姫が励ます。

「八重影よ」しっかり訂正する八重影。

「弥桜ちゃん、助けてくれてありがとう。弥桜ちゃんが責任を感じることなんて無いから」バロンも慰めようとする。

「八重影だから」やはり訂正する八重影。

「巫女ちゃん、アナタは悪くないわ。あんなモノぶっ放したあの女が全面的にワルイ」スガルも宥めようとする。

「八重影だって言ってるでしょ」どうしても譲らない八重影。

「そうだ、こうしちゃいられない。テル君、操舵室どこ?」スガルが焦って輝虎に尋ねる。

「えっ?ああ、こっちです」今来たブリッジにスガルを案内する。

「バロン君と巫女ちゃんは船尾方向に行って何かに掴まっていて!出来れば救命胴衣を見つけて身に着けておいて!」スガルは走り去りながら言い残す。救命ボートはもう間に合わなそうだ。スガルが持っている小型船舶免許の知識がこのサイズの船に通用するかわからないが、所詮船は船だ、なんとかなるかも知れないと思い、ブリッジに向かう。

「わかりました。行こうか、弥桜ちゃん」バロンは八重影を促す。

「だから八重影なの」非常時でも譲れないらしい。船を減速させようとしているペンタはもう大分、力を使ってしまっている事が感じられる。もうどこかに衝突するまで止まらないかもしれない。


「やられたぁ!」スガルは目を覆う。輝虎にブリッジを案内させたが、一見して駄目だとわかった。この船の操船装置は機械式な部分が極端に少ない上に、操作に必要なディスプレイ類が破壊されていた。明らかに停船を妨げる為だった。輝虎はエル本人を追っていた為に操船装置を見逃していた。

「あの女か!」輝虎が悔しさをにじませる。ここで再発見した時に問答無用で不意打ちすれば良かったとつくづく悔やまれる。

「もしかして眼帯女?」夕姫が確認する。

「ああ、会ったのか?」

「バロンと弥桜に卑怯な不意打ちを二度かわされた後、お魚と友達になりたかったらしくて、海に飛び込んだわよ。今回の蛇も、バロンの呪いもあの陰険女の仕業らしいわよ」夕姫が苦々しく説明する。

「有った、有った!これよね?」スガルが他の手段と思い、非常停止ボタンを見つける。保護カバーを壊し、中のボタンを押しこむ。しかし、何も起きない。本来なら燃料が止まり、機関が停止するはずだ。スガルがボタンの配線管を見るとご丁寧に切断してあった。

「…あんの性悪女め」スガルは悪態をつくが、このままでは東京湾のどこかに激突してしまう。船が壊れるだけならまだいいが、最悪港湾の施設を破壊等をして、はてには警察やら海上保安庁やらのお世話になってしまう。それだけはなんとか回避したい。

「逃げちゃおっかなぁ〜」どうせ自分の船じゃ無い。海に飛び込んで逃げれば責任を問われることもあるまい。そんな考えがスガルの脳裏に浮かんだが

「イヤ、ダメだ。ふっかけた後金貰わないと新しいバイクが買えない。三春ちゃんの依頼だし、何とかしないと」

「悩んでいる時に悪いけどあれマズくない?」夕姫が呆れ半分、焦り半分でクルーザーの進路を指差す。

「ウソよ!何アレ?あんなのいつ出来たのよ」クルーザーの行く手にはベイブリッジの橋脚が見える。

「もう数年前から有りますよ。方向転換出来ないんですか?ヤバいですよ」さすがの輝虎も落ち着いてはいられない。

「おそらく壊されているパネルで操舵すると思うけど、どうせハイテク過ぎてアタシが知ってる操縦方では理解できないわ」スガルは肩をすくめる。

「仕方無い。…弥桜影、使い魔の出番よ」夕姫は弥桜の携帯電話に電話する。

『八重影よ!…どうしたの?』弥桜名義の電話番号に出て今更言い張る無駄を繰り返す。

「そこから前方見える?」

『ええ、ベイブリッジがキレイね』光り輝く高架橋は平時で有ればロマンチックでさえある。

「そのキレイな橋にクルーザーが近づき過ぎてキスしそうなの。何とか回避出来ない?黒いの使って。その間に停船する方法を探すから」

『わかったわ。何とか頼んでみる』


「どうしたの」八重影と共に救命胴衣を見つけて身につけたバロンが電話の内容について尋ねる。

「この船がベイブリッジにぶつかりそうなの。なんとかしてくれって夕姫ちゃんから」二人が立っている位置からでもベイブリッジの橋脚がぐんぐん近づいているのが見えてとれた。

「なんとかできるの?み、八重影さん」バロンが驚いて尋ねる。

「黒焔丸に頼んでみる」八重影は使い魔に念話を送る。これもペンタに渡した龍神の勾玉の効果らしい。1キロも離れると役に立たないが、今の距離なら十分通じる。ペンタにお願いすると、やれやれといったイメージが帰ってきた。貸倉庫で供給したエネルギーが底をつきそうらしい。やってはみるが成功しても失敗しても最後の活動になる。そうなると抑えていた船は再加速する。しかし背に腹は変えられない、ベイブリッジの橋脚に衝突しては、こちらもただで済むとは思えないし、橋自体にも何か有れば大惨事だ。

「お願い!」八重影は思わず叫ぶ。途端に巨体のクルーザーが衝撃と共に左に曲がる。

「アレ?」勢いで八重影がデッキから放り出される。運動神経が良いと言っても、ペンタがいなければ弥桜は普通の女の子に過ぎない。本物の忍者のようにはいかない。

「弥桜ちゃん!」バロンが掴まっていた手すりを離し、八重影を追って夜の海に飛び出す。なんとか八重影の腕を捉えて引き寄せ、かばって自分から海に落ちる。

 救命胴衣を付けてて良かったなと考えていると激突と言っていいほど、激しく背中から海に叩きつけられる。


 27


 ブリッジでも突然の方向転換で騒ぎが起きていた。

「おっとっと!」操舵席にいたスガルは捕まるところが有ったので無事だったが、夕姫は大きく跳ね上げられ、手近に有ったものにしがみついた。

 大きくクルーザーは進路を曲げ、ブリッジの在る上部はひどくかしいだ。輝虎は咄嗟に足を踏ん張ったが何かが飛んできた。

 フニョという音が聞こえそうな柔らかいものが顔を覆う。振り払おうと思ったが本能が手を止める。ナンダ?

「…ゴメン、テル」輝虎にしがみついた夕姫が謝りながら離れる。

「…ある…」輝虎がつぶやく。顔に当たっていたのは夕姫の胸部だった。てっきりそんなものにぶつかれば、たくましい胸筋にガツンといわされると思っていた。こんな状況だが輝虎は感激していた。

「なによ?ナニが有ったって言うの」夕姫は問い詰めるが

「イヤ、何でもない」輝虎は慌ててかくす。

「ウマイ!なんとか回避出来そうよ」進路を見ていたスガルが喝采かっさいを叫ぶ。

「…アレ、なんか落ちたわ、まさか…」夕姫の地獄耳にバロンと八重影の海面に落ちた音が聴こえた。慌てて携帯電話に電話するが、弥桜もバロンの電話も通じない。

「落っことしたかもしんない」夕姫は諦めて待機しているはずの犬神に電話する。

「もしもし、夕姫です。手短に言うわ。敵は撃退したんだけど、船が暴走しているの。そんでもってバロンと忍者マニアが船から落っこちたらしいの。船はとりあえずなんとかしてみるから、バロン達を救助して」夕姫が早口で犬神に応援を頼むと、輝虎に前方監視を頼んだスガルがドレスのまま、あぐらをかいて何かを始めていた。

「何しているの?」

「緊急停止ボタンの配線を直結するの。多分これでイケる、ハ、ズ」切断された配線管からコードを引っ張り出し、持っていた多機能ナイフで配線を直結する。途端に警報音が鳴り響き、機関の音と振動が消えていく。

「やったわ。これで船が止まれば一件落着ね」スガルはやりきった顔をするが

「姐さん、ちょっと遅かったようだ」輝虎の視線の先に桟橋が見えているが、ブレーキがかけられるわけもない船は簡単に止まらない。

 さすがに異常を感じたらしい海上保安部の船がサイレンを鳴らしながら駆けつけてきた。


「バロン君、しっかり」救命胴衣で浮かび上がった八重影とバロンだったが、着水の衝撃でバロンが気絶していた。八重影は海水で張り付く、鼻まで隠していた覆面をさげ、気絶しているバロンの頬を叩く。

「…やあ、み、八重影さん。ケガは無かったかい」すぐバロンが意識を取り戻す。

「良かった、バロン君」もう変装しても無い八重影が胸をなでおろす。

「おいて行かれちゃったね。それになんだか賑やかだ」二人のところにもサイレンの音が届いている。

「ごめんなさい。私の為に」八重影が謝るが

「良いんだ。八重影さんにケガが無ければ。それはそうとこれ泳ぎ辛いな。…まあ、待っていれば誰か来てくれるかな…携帯は…駄目だね。仕方無い、船は三人にまかせてここで待つか」バロンは相変わらず呑気な事を言う。

「そうね…」八重影がレインボーブリッジの夜景を仰ぎながらつぶやく。せっかく二人きりなのに、これが海面でなく、デートだったらいい雰囲気なのにと、少し運命を呪う。そんな弥桜の気持ちを知ってか知らずか

「…八重影さん、少し相談したい事が有るんだ」バロンが思い切って話し出す。

「僕に好きな女の子がいてね。神社の娘さんでとっても良い娘なんだ」弥桜が忍者八重影になっていることを良いことに本人に相談する。ここでは話の途中で逃げ出されることもない。

「それって…」

「僕なんかより怪退治の腕は良くって、たびたび助けてくれる素敵な女の子なんだけど、僕達のしている事はとっても危険で、ケガをするどころか命を落とすかも知れない。余計なお世話かも知れないけれど僕はその娘が傷つくのを見たくないと思ってるんだ」暗い海に浮かんだ二人はお互いの表情がよく見えない。

「この町の怪退治も終わって、数日後には次の土地に行かなければならなくなったんだ。本当のところ、僕はその娘と離れたくないんだけれど、僕と一緒にいると危険だし、その娘の今の生活や将来を考えると…」

「その素敵な女の子も色々考えているんじゃない?あなたは頼りないから付いていてあげなくちゃとか、まだ若いんだから将来なんてどうとでも変えられるとか、神社を担う人材を逃すもんかとか」自分の事を『素敵な女の子』と言い切り、実際今晩も毒蛇の包囲から救った弥桜は最後に本音が出た。

「僕はどうしたら良いんだろう?その娘になんて伝えれば良いと思う?」バロンは変装している事を良いことに本人に向かって核心を尋ねる。

「…そうねぇ、こんな水に浸かってなくって、もっとロマンチックな雰囲気の中で『君が必要なんだ』とか『もう君無しではいられない』って言ってみたらどう?…でもあなたにそんな度胸有るのかしら」八重影が挑発的に言う。変装しているせいか、いつになく強気だ。

「グウの音も出ないなぁ」バロンは苦笑いする。

「それから相談料はちゃんといただくわよ」八重影が龍光から貰った鉢金を外す。バロンはさすがは雪桜の娘と思ったが口にしなかった。

「目を瞑って」八重影の言葉にバロンは何だろうと思いながらも逆らえないので言われた通り目を瞑る。八重影はバロンを引き寄せ、唇を奪う。

「ンンッ」バロンは驚いて目を開ける。

「これで相談料は貰ったわ」八重影が満足そうに言う。すると意外に近くから

「お熱いところ邪魔して悪いけど、海が沸騰すると困るから、上がらないか?」バロン達の服に付いている数倍も強い、忍者服から出ているビーコンを追ってたどり着いた犬神がボートから声を掛ける。八重影は恥ずかしさのあまり、また潜ってしまう。


 28


「止まれぇ、私の為に止まってぇ!」スガルがブリッジの前面ガラスに張り付いて叫ぶ。掴んだ窓枠を力を込めて揺すろうとするが、もちろんそんなことではクルーザーの巨体は止まらない。そうしているうちにどんどん桟橋が近づいてくる。幸いというか桟橋とクルーザーの進路上に他の船舶は無い。

『そこの船、停船しなさい!キング・スレイマーン号、止まりなさい。コラァ、止まれ!』海上保安部の船のスピーカーから停船命令投げかけられる。見える範囲でも三隻は回転灯を光らせキング・スレイマーン号を取り囲んでいる。

「止まれるものなら止まりたいわよ。というか、誰か止めて」スガルはもう泣きそうだ。何でこんな事になったのか思い返すが、絶対に自分のせいじゃ無いとスガルは思った。

 三人は知らないが頼みの綱のペンタも力尽きて、船首にしがみついているただの黒猫になっている。

「スガル姉、ギャラが貰えなかったら夕飯位おごるわよ。だからもう諦めましょう」夕姫が変な慰め方をする。

「イヤよぉ、絶対に無事に済ませてギャラを満額もらうのぉ!」スガルが駄々をこねるがもう桟橋との激突は避けられない。

「スガル姉、しっかり掴まって!テルも…テルはどこ?」夕姫が衝突に備えて声を掛けようとしたが輝虎は見当たらない。


 輝虎はデッキを船首側に疾走していた。途中、船の設備や蛇の亡骸も有ったが、それを全部飛び越して船首に猛進する。

 輝虎は先程ミュンヒハウゼン男爵の冒険を聞いて思うところが有った。バロンのお伽草子の力は物理法則なんて関係ないのではないかと。出来るの出来ないのと考えてしまうのは自分自身で限界を定めているのではないかと。

 そして、そのまま船首を飛び出し、夜の空を跳んで行く。大きな音を立てて輝虎の装甲ブーツが桟橋に着地する。振り返ればキング・スレイマーン号の巨大な船首はもう目の前だ。

「ヨシ、ここが見せ場だな」輝虎は桟橋の縁に踏ん張りキング・スレイマーン号を受け止めるように両手を突き出す。最悪の場合、輝虎は桟橋とクルーザーの間に挟まれて押し潰されてしまうだろう。


「もうダメ!」スガルが床に伏せ頭を抱えていると、キング・スレイマーン号の船体に衝撃が走り、急停止したため、今度はスガルが夕姫の胸に顔から突っ込む。

「アラ、良いエアバッグ」夕姫の胸が思ったよりも豊かだったので、軽く嫉妬しないでも無かったが今はそれどころでは無い。船は止まったようだが、状況がわからない。スガルの予想ではもっとイヤな破壊音で満たされるはずだったのだが、思っていたよりソフトランディングだ。

「エアバッグじゃないやい!」自身の胸を自動車の安全装置に例えられた夕姫が怒る。

「それどころじゃ無いわよ。奇跡よ!奇跡が起きたんだわ。ああ、神様ありがとう」無神論者のスガルだが今日だけは神様に感謝しても良いと思った。


 桟橋にブーツの形の凹みを作りながらも、クルーザーを受け止めた輝虎の頭めがけて黒い何かが落ちてくる。避けようとしたが避けた方に軌道変更して頭に張り付く。張り付いたものを輝虎はつまみ上げると

「ペンタ、お前こんなところにいたのか」輝虎の見ていないところばかりで活躍したので、詳細はわからないが、おそらくペンタも頑張ったのであろうことは察した。ベイブリッジへの激突を回避したのもペンタだと理解している。

「よしよし、俺からもご褒美やるからな」ペンタを地面に下ろす。そして改めてこの一連の行動の出鱈目さを振り返る。あらゆる物理法則をねじ伏せ、船を止めたが、普通なら桟橋に乗り上げ、輝虎を潰すか、激突してやはり輝虎を潰すか、跳ね飛ばすはずだった。やはりバロンのお伽草子は、より愉快な方へ現実を捻じ曲げるのだろう。

 あたりには海上保安部の船のサイレンを聞きつけ、暴走するクルーザーに気付いた野次馬が集まって来ていた。船から飛び降り、受け止めたパーティから抜け出してきたような姿の男に注目が集まる。

「すいません、撮影なんです。下がってください」輝虎も見知った顔の猟犬部隊員だ。映画の撮影という方便で誤魔化そうとしている。用意が良いことに、撮影スタッフに見えなくもないジャンパーを羽織っている。

 確かにこのシュールさはアクション映画のロケと言われたほうが納得いくだろう。トリック無しであんな事が出来るはずが無い。普通なら。

「笹伏さん、お疲れさまでした。あちらのバスでお待ち下さい」演技を続けたまま、さり気なく輝虎を誘導する。

「ああ、夕姫達は?」輝虎がクルーザーを振り返ると海上保安部のボートに囲まれたキング・スレイマーン号から、ドレス姿の夕姫とスガルが跳ね上げ式のタラップで降りてくる。一旦海上保安部らしきボートに乗り移るが

「…あれは里と話がついてます」猟犬が小声で教えてくれた。しかしこの後の収拾は考えるだけでも頭が痛くなりそうだ。船自体は損傷は少なくて済んだが大量のおそらく非合法な毒蛇の死体と、船内の惨状、事務局でもみ消して貰えるよう、輝虎は強く願った。

「そう言えばバロンと八重影は?」海に落ちたらしい、二人をあらためて心配になった。


「で、どうだった?ファーストキスの味は?」犬神が小型ボートで岸壁を目指しながら、となりのバロンに小声で尋ねる。八重影はまた覆面を引上げ、恥ずかしいのか後ろに離れて横を向いている。犬神にはバロンが初キスかどうかは知らなかったが

「…ウン、塩味だった…」なんとなくぼーっとしているバロンは素直に返事をした。二人とも、岩崎謹製のアンダースーツを着ているため、首から下は濡れていないが、露出している頭部は当然だが海水で濡れた。

「そ、そうか、それは貴重な体験だったな…」自分から聞いたのだが、あまりに率直な感想を聞いて犬神も戸惑った。電子音がして犬神が無線を受信する。

「…ああ、そうか、そいつは良かった。少しでも後始末が少なくて済む。俺たちももうすぐ着く。…エッ?光明さん来てるの?そうか、長い夜になりそうだな…」キング・スレイマーン号と三人の無事は確認出来、ホッとしたのもつかの間、恐い上司が来ている事を聞き犬神はゲンナリした。師条光明は真田竜秀より厳しいという話は聞かないが、なんと言っても里の最高権力者に連なるものだ。そんな人物の前で仕事をするのは出来るなら御免被りたい。バロンは気軽に呼び出されているようだが、犬神は違う。妹の花子の様に真田屋敷に出入りするなんて考えられない。触らぬ神に祟りなしだ。

 めいめい、考えにふけっているうちにボートはキング・スレイマーン号が留まっている桟橋にたどり着く。

 バロンがいち早く桟橋に登り、八重影に手を差し出す。

「ハイ、八重影さん」バロンは屈託なくにっこり笑って手を出すが、八重影は目だけしか出ていないが戸惑うように手を伸ばす。

「そうだ、最後に聞きたい事が有ったんだけど良いかなぁ」八重影を引上げながらバロンが口を開く。八重影は何だろう、ついに決定的な一言がバロンから出るのだろうかと内心ドキドキしながら

「何かしら?」平静を装って返事をすると

「あの黒くて大きなキツネって、どうやってるの?」バロンから空気を読まないマヌケな質問が飛び出した。

確かに弥桜の時、八重影に聞いたら、と言ったが何もこんな時にと怒りがこみ上げてくる。

「バロン君のドンカン!ポンコツ!オッパイ男爵!モゲちゃえ!」八重影はバロンを突き飛ばす。

「あれ、れ、うわぁー」バロンはたたらを踏んで岸壁から海に落っこちる。八重影はやりすぎたかなと少しは思いながらも走ってその場を立ち去る。

「…お前ねぇ、素直なのは良いが、少しは雰囲気を読もうぜ…」ボートに残っていた犬神は浮かび上がってきたバロンに手を差し出しながらため息をつく。バロンを引き上げるのは今晩二度目になる。

「うーん、何でそんなに怒っていたんだろう?聞き方が悪かったかなぁ?モゲちゃえってナニが?…とうとう八重影さんにまでオッパイ男爵って言われちゃったよ…」顔だけ水面から出したバロンが首を捻る。幸い、弥桜の言霊は胸以外に効かなかったようで、バロンはナニもモゲなかった。


 29


 桟橋を走る覆面を取った弥桜は背負っていたバッグから隠密コートを取り出し羽織る。物陰に隠れていたペンタを拾い上げ野次馬の群衆に紛れる。あっという間に里の人間達から姿をくらました。追われる理由もないが、この後のことを考えると追跡者は余計だ。

 弥桜は待っていた黒いセダンの後部ドアを開け乗り込む。

「予定通り行って」運転手に声を掛け、ペンタをとなりに座らせるとすぐに少女姿に化ける。

「はい、非常食」運転手が車を発進させると弥桜はバッグから太いソーセージを一本まるごとペンタに手渡す。

「ウム、貰うぞ。しかし船の進路を変えるなぞ、あの牛や豚でも足りなかったぞ。それにもう少し調理してあったほうが美味しいな、やはり」ペンタはソーセージの包んでいるビニールをキレイに剥がすとまるで魚肉ソーセージを食べるかのように食い付く。普通は薄切りにして愉しむものなのだが、夕姫から巻き上げて以来、味をしめて弥桜からのご褒美はもっぱらコレになっている。

 運転手は後部座席で広げられている非常識な食事を気にせず

「本当に行くのかい?」不本意そうに弥桜に尋ねる。

「もう決めたの。女にはやらなくちゃいけない時があるの。このままではマズイと女の勘が告げているの」弥桜は揺るぎない表情で答えた。

「僕は反対なんだ。それにアソコには出来れば近寄りたくもない」

「タイゾウ、このウチの女達が一度決めた事を変えるかどうかなど解りきっているではないか。諦めろ」ペンタが大三に諦めるように諭す。

「…猫にまで言われるとは。仕方無い、約束は守るんだぞ」


「フム、丈夫なのもあったけど、着崩れもしなかったわね。これなら写真も撮れるか…」夕姫がまた悪だくみの顔をしてなにか考えている。岸壁から待機場所にしている貸倉庫に移動した四人は休息を兼ねて待機している。事が大事になったので、事情を聞かれるかもしれない為だ。光明と龍光は入れ違いにキング・スレイマーン号に向かった。

「…またなんか企んでるな…アレ?姐さんそれ持ってきたのか」夕姫の顔を見て警戒する輝虎は、スガルが瓶をためつすがめつ見ている姿に気が付いた。

「そうよ、これを逃したら一生出逢えないかも知れないじゃない」スガルはワインの瓶をライトに透かして見ている。

「すいません。落ちたやつは俺の技で吹き出しちゃったらしいんです」輝虎が打った竜王撃でプールに落下した二本のワインボトルは中身が出てしまっていた。

「仕方無いわよ。テル君を犠牲にしてまで高級ワインを求めたりしないわ。今はこれ一本が有れば良しとするわ。うーん、これも龍神の金腕輪のおかげかしら」スガルはワインの瓶に頬ずりする。

「決めたわ。犬神サン、カメラ持ってない?」夕姫が写真を撮る気になったらしく、カメラを求める。

「何だ、記念撮影でもするのか?」犬神は自分のバンからカメラを引っ張り出す。

「惜しい!まあ、似たようなもんだけれど。バロン、悪いけど写真取ってくれない」夕姫は弥桜の事でまだしょげていたバロンにカメラマンを依頼する。

「…うん、良いけど」バロンの声に元気が無い。あまり良い傾向ではないので

「弥桜の事?明日にでもゆっくり話せばいいじゃない」夕姫は努めて明るくバロンを宥めようとするする。

「うん、そうは思うんだけれど、なんかモヤモヤするんだ」煮えきらない様子だったが、根が真面目なバロンはカメラを受け取るとやる気を見せた。

「おう、せっかくのドレスだ、写真撮って実家に送るのか?」輝虎は他人事の様に言うが

「何言ってるのよ。あんたも入るのよ…そうねぇ、父さんが嫌がるのはどんな構図かしら…」夕姫がわるい顔でつぶやく。


「…そうそう、ユキちゃん、テル君の首に手を回して、そう、その感じ」野次馬根性を発揮したスガルが横浜の夜景と海をバックにして写真を撮っている夕姫と輝虎に、やんややんやと好きなことを言っている。ドレス姿を見てユキ坊は卒業したらしい。今の夕姫の胸元を見ればもう男の子と間違うものは居ないだろう。

 カメラマンバロンの注文により、猟犬部隊の装備から高性能な照明器具を準備させ、本格的な撮影会の様相を呈している。

「やあ、ユキちゃん、噂通りキレイになったね。婚約発表の写真かな」そこへ光明と龍光が帰ってきた。

「光明君いつから見てたの?やあねえ、ちょっとした親孝行よ」夕姫は従兄弟同然の光明とは幼い頃からの顔なじみだ。真田屋敷に行くとよく彼と龍光とで稽古をしていた。

「親孝行ねえ。こんなところを見たら龍成おじさん血圧上りかねないよ。あんまりいじめないでね。それからお姉ちゃん、僕からもお願いが有るんだ」光明はスガルに話しかける。光明をしてお姉ちゃん呼ばわりする人物はスガルだけだ。光明にとってスガルは幼なじみだ。小さい頃から色々ワルイ事を教わった。一緒にイタズラしてまわった頃が懐かしい。

「なによ。いくら光ちゃんでも貰うものはもらうからね」スポンサーになるかもしれないので邪険には扱わないが、譲れないところは譲らない。

「船の元の持ち主と話がついてね、バロン君に譲渡する約束は守るそうだが、一旦預かって整備してから引き渡したいそうだ。今回の騒動も乗組員の暴走から起きた事として責任を取ってくれる。そこでなんだけど、船の受取りの手続きやら、なんやらをお姉ちゃんに任せたいんだ。もちろん費用は払うよ」

「光明さん、今回の事も助けていただきありがとうございます。けれどここから先は僕の方で引き取ります。これ以上、私事でご迷惑おかけ出来ません」バロンが申し訳無さそうに口を挟む。

「気にすることは無いよ。君とは同志になりたいと言ったじゃないか。…そうだな、バロン君に異存が無ければ、お姉ちゃんに今後の手続きは任せて、君の依頼として経費を負担するかい。そのほうが船のオーナーとして気が咎めないと言うならそうするといい。どうやらバロン君の方が僕よりお金持ちらしいし」光明がそう提案すると

「バロン君、いえバロンお坊ちゃま、そんなにお金持ちなの」スガルの目がお金一色になって揉み手をしてバロンにすり寄る。光明の資産の全貌はスガルにもわからないが、岩崎の持つ企業の役員報酬等、動かせるお金は億単位だと言われている。その光明よりお金を持っているというのだ。スガルが飛びつかないわけがない。

「いやー、前からちょっと他の人と違うと思っていたのよ。あんな車を持っていたり、クルーザーをポンとくれる知り合いがいたり、どうかこれからもごひいきに」スガルがこの夜一番の営業スマイルでバロンに取りつく。

「ヤメてよ、スガルさん、ちょっと父さんにまとめてお小遣いを貰っただけだよ。僕はどこにでもいる高校生だよ」バロンは説得力のない言い訳をしながら、スガルから後ずさりする。

「でも光明さんとスガルさんがよろしければ、僕の方はそうしたいと思います」バロンは光明の提案を受ける。

「そうかい、で、この船をどうするつもりだい?」光明は普通の高校生バロンのクルーザーの使い途が気になった。

「母に預けようと思います。母の仕事にこのような船が有ったら助かると思いますので」バロンは楓の活動にキング・スレイマーン号を使用させようと考えていた。

「そうだね、それが良いと僕も思う。高校生のデートカーにしては持て余しそうだしね。ヨシ、そういうことなら僕も一枚噛もう。なにか必要な事が有ったら何でも言い給え。それからお姉ちゃん、コレが先方の名刺」光明がいつの間にかソフィアの代理人と名刺交換をしてきており、スガルに金色のカードを放る。すかさず受け取るスガル。さすが金色のモノは取り落としたりしない。

「ワッ、コレ本物の金じゃない。金箔や、金色の紙でもない」スガルは受け取った黄金の名刺をためつすがめつ見る。

「本当に金運が回ってきたみたい。じゃあ普通の高校生のバロン君、正式な依頼で良いのね?」

「ええ、おねがいします。知り合いの方が安心できますし」

「知り合いだなんて他人行儀な。おねーさんでいいのヨ。なんならダーリンでも…」

「ちょっと待った、不良社会人。どさくさに紛れてバロンに変な事吹き込まないで。バロンもスガル姉から書類にサイン求められても婚姻届とかが混ざっていないか、よーく気を付けなさいよ」夕姫が間に割って入る。

「その手が有ったか!…冗談よ、でもバロン君さえ良ければ…」なおも縋るが

「スガル姉、もう諦めなさい。玉の輿目指すのも良いけどバロンはムリよ。とある胸の大きい、くノ一にゾッコンだもの」

「そう言えばその忍者さんはどこに行ったんだい?今夜も大活躍だって聞いたけど」光明が八重影に興味を持った。

「…八重影さんは僕を海に突き落として、去っていきました」バロンが思い出したのか、またトーンダウンする。

「僕も帰りは送らなくていいって言われました」龍光も八重影の行方は知らないと言う。

「そう、あんたもグルだったのね」スガルが呆れる。さすがにペンタに乗って白桜神社から走ってきたとは思わなかったが、こんなに身近に協力者がいたとは。どうして八重影が海上の船を特定できたか、タネがわかった。

「まあ、今日はこれでお開きにして、学生諸君は少ないこの地での学生生活に精励せいれいしてくれたまえ。お姉ちゃんはこのまま船の手続きを始めていただけますか。宿はお気に召すようなところを取ってありますから」光明はバロン達には引上げを指示し、スガルには早速、キング・スレイマーン号の受領の交渉を始める様に依頼する。

「じゃあ、バロン君、また連絡するからよろしくね」スガルは最高の営業スマイルのまま、見送った。


 後日、スガルは乗馬服を着た真っ赤なクマのぬいぐるみを受け取る。郵便物等を受け取る私書箱宛に届いていたものだ。犬神から連絡先を聞いたバロンから贈られたものだった。スガルは大層気に入り、タケイチと名前を付けて、ツーリングの時などバイクの後部座席に座らせて走っている。

 もちろん常に抱きかかえてはいないが、どこへ行くのも一緒になった。


「師条のガキが出てくるというから覗きに来てみたら、思わぬ拾いものをしたな」全身水浸しの男はバロン達のいる埠頭から離れた人目につかない物陰で独りごちた。かたわらには同じく、ずぶ濡れの女が寝かされている。エルだ。

「この女、妙な術を使うとみた。捨て置くのはもったいない」男の姿は頭巾こそ無いものの、弥桜の憧れる忍者の姿そのままだった。

「いずれ大刀守に対する、なにかの足しにはなるだろう。せっかく拾ったのだ、役に立ってもらうぞ」男はエルを見下ろし吐き捨てる。

「…お姉さま…」意識の戻っていないエルはうわ言をもらす。


 30


「弥桜ちゃんいないんですか?」転校を明後日に控えたバロン達は白桜神社に弥桜を迎えに来ていた。

「そうなのよ、大刀守の里に分社の造営の打ち合わせに行ったの。私は急がなくて良いと言ったんだけど…」困ったわねと雪桜が出迎えた。ペンタも連れて行ったそうだ。

「昨日の件、謝ろうと思っていたのに…」弥桜に避けられていると思ったバロンは、もともと低かった元気がなおさら下がった。すでに、ここに来るまでバロンが巻き込まれそうになったものも含め、5件の交通事故に遭遇し、救急車とも3台すれ違った。普通の神経なら家に帰り、布団でも被って一日外に出ない。

「いつ戻る予定なんですか」夕姫が落ち込んでるバロンに代わって尋ねる。

「さあ、今週いっぱいは帰らないかも。週末まで家事都合で学校に欠席届出してるのよ。わざわざこんな時にねぇ」雪桜はみるからに落ち込んでるバロンを気の毒そうに見る。

「宿はどうするんだろう」輝虎が宿泊の心配をする。里にはホテルや旅館など存在しない。前回までは夕姫の実家等に泊まった。

「ああ、それは心配無いわ。付き添いで行ったウチのダンナと一緒に実家に泊まるって言ってたから。あのひと、弥桜に強引に里帰りさせられたのよ。二十年ぶりだって…あのひとも何よねぇ、娘との二人旅が最初で最後になるなんて…」最後の方は独り言のように言い、雪桜は肩をすくめる。大刀守の里に何の縁故も無いバロンと違って弥桜には半分、里の血が流れている。大三も二十年ぶりとはいえ、追放された訳ではないはずなので、肩身の狭さを覚悟すれば帰る場所は有る。鷹崎家も今、里で赤丸急上昇の姪とその親が来ればムゲにはしないだろう。

「そうですか…お別れも言えなかったな…」これ以上無いくらいに落ち込んでいるバロンだった。弥桜の携帯電話に電話してみても繋がらなかった事を思い出す。バロンのテンションに比例して天気まで悪くなってきた。雷雲が押し寄せ、ゴロゴロと唸り始めた。

「…バロン君、私の口から言うのも何だけれど、大丈夫よ、あの子、あなたの事大好きだもの。別に避けているわけではないと思うの。…あら?バロン君、あなた随分と弥桜から加護を受けているわね。この強さはほとんど束縛の呪いね。弥桜とナニか有った?」雪桜はバロンを疑わしげに見つめる。バロンは海で八重影に奪われた相談料の事に思いあたったが

「イエ、ゼンゼン、ナニも無いですヨ」棒読みしながらバロンはかぶりをふる。

「そう、まあいいわ…そうね、あなたが思っているよりも早く再会出来ると出ているわ。元気を出して福島に行ってらっしゃい。それから時々で良いから、ここにも美味しいものを持って遊びに来て頂戴」


 数日後、凰茜おおとりあかね宛に娘から封筒が送られてきた。中をみた茜は

「まあ、夕姫ちゃんキレイだこと」夜の港をバックにし鮮やかな朱色のドレスに身を包んだ娘の写真に目を細める。

「え、夕姫姉がどうしたの」キレイという言葉に反応した翡翠ひすいが駆け寄ってきて茜の手元を覗く。

「あ~っ、夕姫姉、ズルい!こんな素敵なドレス着て。いいなぁ。私もこんなドレス欲しいー」翡翠が不満をもらす。

「おお、輝兄ちゃんもカックイイ!」いつのまにか茜の腕の内側に潜り込んだ瑠璃るりが褒める。夕姫を抱き抱えたスーツ姿の輝虎も無理矢理引っ張り出されたらしく、多少引き攣って見えなくもないが、様になっている。

「年賀状にこの写真が入っていたら『私達結婚しました』だよね」瑠璃がウンウンとうなずく。

「これはアレね…」姉の意図を察したべにが渋い顔をする。これは波乱の予感がする。これは父親に対する迂遠うえんな嫌がらせだ。

「ユキちゃんから手紙が届いたんだって?」

居間の賑わいを聞きつけた嵐のタネが近付いてきた。

「…パパは見ないほうがいいかもよ」無駄とは思いつつ、口にせずにはいられない紅だった。

 その瞬間、凰家の時間が止まった。

「ぬがぁー!殺す!今からこの泥棒トラを絞め殺しに行ってくる!」キレイなドレスを纏い、輝虎に抱き抱えられた娘の写真を見た龍成は怒髪天どはつてんく形相に豹変ひょうへんし、写真を引き裂こうとするが、間一髪、翡翠がかすめ取り大事には至らなかった。すかさず茜が丸めた新聞紙で龍成の後頭部を襲い、思い切り振り抜く。スパンッといい音がした。

「いい加減にしなさい。あなただってうちの父様に同じようなことを言われたのよ。パパがママにしたことを思えばこの程度の写真…フッ」茜は自分が仕出かした事は棚に上げて龍成を責め、鼻で笑う。

「だってぇ…」龍成はなおも食い下がるが

「少しは娘の成長をよろこびなさい。ウチは娘ばかりなのだから、そのうちにそういう日がくるのを覚悟して下さい」茜は龍成をいさめる。

「ワタシはパパとずっと一緒にいるよ」瑠璃が男親には嬉しい事を言ってくれるが、

「ありがとう瑠璃、その言葉だけで十分だよ」龍成も幼い娘のその言葉のむなしさは十分わかっていた。

「じゃあ、書斎の夕姫ちゃんの写真が三つになるわね。あなた達の写真も撮り直しましょうか」茜が娘達の成長を記録しようと提案する。

「じゃあ、ドレス!ドレス作って!」夕姫のドレスに触発された翡翠がおねだりするが

「駄目よ、あなた達すぐに大きくなっちゃうじゃない。下の写真館の貸衣装で十分よ」茜が翡翠をたしなめる。茜は早めに家族写真を取っておこうと思い至る。早くしないと娘達が成長してしまうどころか、人数が変わってしまいそうだ。


「へっくちゅん!」夕姫がくしゃみをする。バロンと輝虎の三人で新しい任地の福島の学校に登校するところだ。転入してから一週間たった。

「誰か私の悪口を…そうか、きっと写真が届いたな。父さん、どんな顔しただろう」夕姫が意地悪い顔で想像する。

「そうかぁ?俺も首の周りに寒気がするんで、風邪でも引いたかと思ったんだが」輝虎が体調のせいだと主張する。しかし龍成の殺意の一部が届いたのかもしれない。

「僕も今朝からソワソワして落ち着かないんだ。こういう日は大抵大きなトラブルが起きるんだよねぇ」トラブルを引き寄せる体質のバロンが言うとシャレにならない。

「バロン、辛いと思うけど、そろそろ踏ん切りを付けないと。…やっぱり連絡つかないの?」夕姫は弥桜との別れを引きずっているバロンを気遣う。

「うん、携帯電話に電源が入ってないみたいなんだ。今日も繋がらなかったら、白桜神社に電話してみようと思ってる」とたんに思い出したバロンの顔がかげる。

「今度の休みに白桜神社に行ってきたら?私達も付き合おうか?」ここ数日、小さなトラブルに見舞われている夕姫達としてはバロンの精神安定は優先事項だ。

「うん…考えておく」バロンの表情は晴れない。

「こっちにも良い子はいるって」輝虎が変な慰め方をするが

「バカッ!あんたみたいな男が単身赴任先で浮気するのよ」夕姫がカンカンに怒って、輝虎の腹部に鉄拳をお見舞いするが手が痛くなっただけだった。

「だ、大丈夫よ、バロン。雪桜さんもすぐに会えるって言ったじゃない」


「神奈川から来ました、吉野弥桜です」新しい学級の担任の教師が連れてきた人物にバロン達三人は目をく。

 クラスは騒然となる。関東からまた美少女が転入してきたのだ。学校の重大ニュース級だ。

 先に転入してきた夕姫はモデル体型、今度の弥桜はグラビア体型の美少女と言って良い。男子達は無駄に興奮する。

「短い間になるとは思いますが、よろしくおねがいします。実家は神社をやっています。特技は運動と料理です。好きなものは忍者です。忍者とキスしたことがある人とお友だちになりたいです」何も知らない者が見れば満面の笑みに見え、バロン等には含み笑いに見えるスマイルを浮かべている。夕姫と輝虎は思わずバロンに視線を送る。自分たちのことは棚に上げ、いつの間にという思いだった。雪桜が言っていた強い加護の意味がわかった。

 願ってはいたが、思ってもみない再会に、バロンは引きつった笑いを浮かべ白々しく

「へ、へえ、くノ一にキスされるような珍しい人が世の中にはいるんだぁ」弥桜は忍者の性別は口にしていない。語るに落ちるとはこのことだ。

























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