第5話 龍神の憂鬱 後編

龍神の憂鬱 後編


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「まあまあ、それは大変だったわねぇ。どう、お二人共、今日はこちらでお泊りになっては。もし宜しかったら犬神サンもどうぞ」夕姫ゆきの母親のあかねは上機嫌で歓迎してくれた。夕姫から事前に連絡を入れておいてくれた事よりも三雀達の面倒から開放されているのが大きい。もちろんバロン達はそんな事には気付かなかったが。

「ありがとうございます。ですが自分は実家に行きますので、二人をよろしくおねがいします。バロン、何も無ければ明日8時に迎えをよこす。お疲れ様」犬神は大量の預かったお土産を降ろし、実家に向かった。

「またお世話になります。明日には不知火しらぬい城に行く予定ですが」バロンが友人不在の実家に泊めてもらう為、深々と頭を下げる。

「まあ、お若いのにご丁寧にどうも。さあ、お風呂にでも入って来て。門下生は今日はもう使わないから。お二人でご利用しても良いのよ」

「イエ、一人づついただきます。吉野さん、お先に」

「まあ、お二人はお付き合いしているのではないの?」

「ぼ、僕と吉野さんは、まだそういうんじゃないんです…」

「そ、そうですよ。おばさま、私達まだ高校生だし」バロンは弥桜みおの答えをどこかで聞いたセリフだなと思いながら赤くなった。

「あら、そう?私なんて高校生の頃にはあの人と、それはもう…卒業式までお腹の膨らみを隠すのに苦労したものよ…あら、ヤダ。余計なコトだったわね。ゆっくりしていってちょうだい」茜の言葉に二人とも真っ赤になりながら、夕姫ってそうやって産まれたんだ、と想像してしまった。どおりで夕姫の母親は若いわけだ。


「兄貴、大丈夫だったか?!」輝虎てるとらは実家にたどり着き次第靴を脱ぐ間もなく叫ぶ。龍光たつみつは飛ばしに飛ばし、ノンストップで里まで四輪駆動車を走らせた。輝虎は笹伏ささふせ邸へ到着すると飛び降りるように降車して、玄関に飛び込んだ。

「おう、俺は大丈夫だ。バロン君と吉野さんのお陰でケガらしいケガも無い。よう、タツ。ご苦労さん、済まねえな俺が付いていながら」虎光とらみつは龍光を見つけ、不手際をびる。

「いえ、こちらも対策が甘かったようです。しかし猟犬の方々は残念でした。虎光さんはこのまま父のところにご足労願えませんか?光明さんも待っているようですし」

「わかった。どんな処分でも受よう。…テル、お前達、スゴイことやってたんだな。やっと分かったよ。じゃあな」虎光は入れ違いに家を出る。

「…兄貴…」輝虎は何も言えず虎光を見送った。全く話が見えないので、バロン達が身を寄せている筈の凰邸に向かうことにする。

「おばさんは良いんだけど、おじさんがなぁ」輝虎にとっては牛頭ごず魑魅魍魎ちみもうりょうの群れに向かうより気が重かった。


「それで、どうしてココなんだ」輝虎は凰風呂おおとりぶろの湯船でバロンに問いただす。

「余り聞かれたくないし、誰にも邪魔されないし。…テトラ、おじさん苦手だろ?」

「まあな。…本当にあのシミ消えたんだな」輝虎はバロンの背中を見てしみじみ言った。あの見るからに禍々しい黒いシミはもう跡形もない。

「…エッチ…」バロンが冗談めかして言う。

「俺に男の裸を喜んで見る趣味はねえよ!それよりなにが有ったか話してくれ」輝虎がムキになって怒る。

「ゴメン、ゴメン。まあ最初から話すと犬神サンが入ったパーキングエリアでテトラのお兄さんとばったり会ったんだ。なんか龍臥山りゅうがさんに応援に来てくれていたらしい」バロンの話に輝虎は思い当たる節が有った。牛頭戦の夜の高校にも来ていたというので、今回も龍臥山を攻めあぐねていると聞いて駆けつけたのかもしれない。

「そこで虎光さんが、拾った鬼を運んでいるって話してくれたんだ。その時は気にかけなかったんだけど、それが発端だったんだなぁ」バロン自身も記憶を整理しながら話す。

「鬼か」

「後で見た僕は悪魔に見えたけどね。それでね、帰る方向も一緒だし、付いていく事にしたんだ。高速道路を下りるまでは順調だったんだけど、山道に入った途端、虎光さんが乗ってたトラックが止まってね。最初になにが起きたのかは僕からはわからなかったけど、移送中の鬼が蘇生したらしいんだ。それからトラックの陰からもう一体鬼が現れた」僕には悪魔に見えたけどねとバロン。

「それでどうなった?」

「…里の人を二人倒した、ガゼルみたいな長い角を持った鬼が虎光さんの乗ったトラックの荷台の扉を引きちぎったんだ。その後トラックから飛び出した虎光さんがその鬼とたたかって角を折ったところで、荷台から変な鬼が降りてきたんだ」

「変な鬼って?」

「うん、右半身は手が無い女性で大きな角が有った。左半身はもう見るからに悪魔という真っ黒い姿だった。それで変なのは姿だけじゃ無く、長いジュラルミンケースを大事そうに抱えていたんだ」

「金棒じゃなく?」

「…今思えばアレに右手が入ってたのかも。とにかくその半分鬼がすごい気迫で、虎光さんも攻めあぐねてたんだけど、後ろから吉野さんが龍神に貰った鈴の輪を鳴らしてくれると、鬼達が苦しみ始めたんだ」

「そうか、さすが龍神の宝物」

「そう、僕が貰った剣も凄かったんだ。鬼がひるんだところを虎光さんが最初の鬼を串刺しにしたのを龍神の剣で追撃したんだ」

「なんだバロンも戦闘に参加してたのか」

「うん、虎光さんは下がってろって言ってたけどね。で、鬼に剣が突き刺さると剣から噴き出した焔で最初の鬼が焼き尽くされたんだ」

「スゴいな、やっぱり」

「その混戦状態に虎光さんは半分鬼の残った角を飛ばしたけど、逃げられちゃったんだ。僕は神出鬼没って言葉を思い出しちゃったよ」

「そうか…」

「結局、三名の里の人が亡くなったって聞いたよ。虎光さんがすごく悔いてた。…逃げた半分鬼は里の人が捜索するって」

「それで兄貴は詫びを入れるみたいな話をしてたんだな」

「そんなぁ…虎光さんは頑張ったよ、一歩間違えば虎光さん自身どころか、僕達すら危なかったのに。もし僕で良かったら弁護のため、証言するよ」

「ああ、そんな機会が有ったら頼む」太刀守の里は合議制をとっているが、実際は師条と真田の独裁と言っていい。光明が最側近の虎光に厳罰を下すとは考えづらいが、犠牲者が出た手前も有る。

「しかし、そんな危険なのに、よく戦闘に参加したな。バロンはまだわかるが吉野さんまで出てきたとは」輝虎はバロンの正義感を知っていたので指をくわえて見ていられるとは思ってはいないが、弥桜まで後方とは言え、出てきて鈴を鳴らしたと聞いて驚いた。まあ、本当に危険になればペンタが防いだだろう。ペンタは積極的攻撃するとは思えないが、弥桜の身に危険が及べばその限りではないだろう。輝虎は夕姫から龍臥山でのペンタの武勇伝を聞いていた。

「吉野さんは強いひとだよ。僕なんて足元にも及ばない」

「『吉野さん』?『弥桜ちゃん』じゃないのか?」輝虎はバロンを混ぜっ返すが

「テトラこそ愛しの『ユーキ』様を置いてきて、さみしくないのかい?」バロンが反撃する。

「大丈夫さ、明日には戻ってくる」

「否定はしないんだね。やっぱり弥桜ちゃんの言う通り、もう尻に敷かれてるのか」

「…そう見えるのか?」輝虎は少し悲しそうな顔をする。思い当たる節があるらしい。

「大丈夫、弥桜ちゃんのウチもそれで上手く行ってるそうだよ」

「…何の慰めにもならねえよ。そろそろ俺は上がるぞ」そう言って輝虎は脱衣場に向う。その後ろ姿を見てバロンは

「テトラって良い身体してるよね。ミケランジェロのダビデ像みたい」フィレンツェで実物を見たことのあるバロンが輝虎を評する。輝虎は振り返り

「…エッチ…」


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「ご足労いただいたのは他でも無い、本日発生した鬼の移送失敗についてです」真田屋敷の広間に集まったのは真田竜秀さなだたつひでと龍光親子、師条光明しじょうこうみょう笹伏虎光ささふせとらみつ鬼灯ほおずきのヒイラギ婆、犬神浩二いぬがみこうじの6名だ。議長は竜秀が務める。

「今回の件はすべて自分の指示だ。すべての責任は私が取る。追跡についての経費も師条家が負担する。それで良いか?」光明がそう切り出すが

「早々に切上げる前に事実関係を検証しましょう。まず、最初に鬼と遭遇したのは、富士林楓太郎ふじばやしふうたろう呪詛じゅそを解く為に丹波の龍臥山に隠密理おんみつりに応援に行った先でよろしいですか?」竜秀が確認する。

「あの作戦では少なからず人員も割かれました。確かに多数のあやかしが集結していたようですが、討伐の可否を評価する前に戦端が開かれました。聞くところによると不調だった富士林は途中で脱落したそうです」

「…よろしいですか。アレは目的地の雲井寺うんせいじに向う途中の偶発的ぐうはつてきな戦闘だと聞いております。その判断は出来なかったと推定出来ます。また撤退についても大きな負傷を負う前に行なわれております。決して無謀むぼうとは言い切れないと考えます」犬神がバロンのチームを弁護する。

「そこまでは不可抗力の側面が有った事を否定しませんが、その後再突入において、事務局の判断を待たず、凰夕姫おおとりゆきは私兵として自身の年端もいかない姉妹達を戦闘に駆り出しました」

「目覚ましい活躍だと聞いている。夕姫君の判断は的確だったと言えよう」光明が嬉しそうに口を挟む。

「しかし、彼女達は小学生でそもそもお役目のメンバーでも経験者でもありません」竜秀は規律を重視しており、姪たちの心配している訳ではなさそうだった。

「…太刀守の里は実力主義だ。たとえ若くても能力が有れば実戦に出ても構わん。私はそう考えている。実際、あの子達は怪の撃破数をたった一日で現役のお役目メンバーを抜き去り、トップランカーになったそうじゃないか。小物相手だとしてもこの功績は素晴らしい。凰家には大量の縁談が舞い込むぞ」光明が姉妹を称える。

「そうだとしても、勝手に私兵を務めに参加させる口実にはなりません。事務局に打診して応援を待つべきでした」竜秀はゆずらない。

「応援はどのくらいで準備出来た?」

「四日、いえ三日有れば急行させられました」

「間に合わなかったな。バロン君の呪詛は三日有れば成立してしまっただろう」

「その点についても質問があります。先月の中旬には龍臥山はすでに特定出来ていた筈です。しかし若の意向で今月に入ってからの決行となりました。自分にはいたずらに富士林を追い込んだとしか思えません。もっと早くに着手すれば時間的にも猶予ゆうよができ、怪の大群も集結していなかったやも知れません」竜秀が光明を詰問する様に問う。

「その日程については葛城白月かつらぎしろつきと相談して決めた。たとえ早く山頂にたどり着いたとしても、肝心の龍に遭遇出来無ければ意味が無い。白月君にはその星回りを観てもらい、自分が決定した」

「…占星ですか。自分には承服致しかねますが」

「しかし、結果的にバロン君の呪詛は取り除かれ、彼らには龍神からの恩恵も受けられた」

「その事についても疑義があります。件の龍は富士林の呪詛を解く代わりに、封じられた寺より開放を持ち掛けたそうですが、先に解呪されております。そうであるならば、一旦下山し、事務局かせめて犬神君に相談するべきだったと考えます。結果として龍を開放した事で近隣の井戸が枯渇し、龍臥山の付近で斜面の崩落が確認されております。最終的な被害は未だ予想出来ません」

「被害?影響と言って欲しいな。では事務局は相談を受けたとしてその龍神をそこに留めおくと言うのか?結界を再付設し、寄り付いた怪達を掃討し続けると?更に龍神の意思を無視する事で被る影響を無視すると?バロン君の判断は正しい。私は彼の判断を支持する」

「…わかりました。それでは富士林の班の行動の評価については後ほど行うとして、鬼の出現について考察したいと思います。今回の接触について順を追ってお話しいただけますか」怪を常日頃から追っている太刀守の里にとっても鬼との遭遇はまれであった。最後の記録は第二次世界大戦中だと言う。

「その件については、まず自分から報告させて頂きます。富士林の龍臥山攻略の緊急事態への備えを兼ねて、視察に訪れた山中で遭遇いたしました。その場におりましたのは若と虎光さん、自分の三人です。一見して非常に危険だと判断出来ましたので、その場で排除を試みました。しかし視察という準備不足もあり、左角、右腕を奪う事は出来ましたが、鬼本体には逃走されました」龍光が光明に代わり、鬼との遭遇を語った。公平性の観点では龍光が最適であった。光明や虎光が話せば同じ事を語っても保身のための説明と取られかねない。その点、竜秀の長男という立場では中立性が保たれるだろう。

「そこで若は切り落とした右腕をおとりに鬼をおびき出し、二つに斬り裂き無力化に成功しました」

「それに際し蔵から百鬼丸を持ち出したそうですが、許可は得ておりますか?」竜秀が逐一手続きに関して口を挟む。

「当主の母から許しを得ている」光明はそう答えるが実際は個別に許可など取ってはいない。光明の母、春日は当主ではあるが風流の人で里の運営になど興味を持っていない。たとえ光明に許可を出したか尋ねたとしても任せてあるとしか答えないだろう。師条の女性達は歴代、政治に興味が無く、それが笹伏などに言わせれば、真田の専横せんおうを許すかたちになっているのだろう。

「わかりました。続けてくれ」竜秀は息子に先を促す。

「鬼の遺骸についてはその場で焼却処分をせず、里に移送する事になりました」

「それについてはコチラに非が有る。久方ぶりの鬼の出現じゃ。この婆が標本が欲しいと以前より若に申し上げていたのじゃ。遺骸の封印と搬送についても鬼灯の手の者が主体で行っておった。虎光殿、ご迷惑をお掛けしたな」ヒイラギが釈明と虎光への謝罪の言葉を述べる。

「こちらこそ力不足で犠牲者を出してしまった。遺族に申し訳の言葉も無い」虎光も頭を下げた。

「最終的な判断を下したのは自分だ。すべての責任は私にある」光明が宣言する。

「移送中については自分から報告します。自分と猟犬部隊の三人は危険遺物護送車に乗車して里へ帰還する予定でした。自分は念の為、同乗する形でした」移送時の唯一の生存者である虎光が説明する。

「護送車の状態を説明していただけますか?」すでに簡易な報告書は出ていたが、竜秀が詳細を虎光から直接聴取する。

「運転台に2名、貨物室に自分と讃岐さんの計4名、貨物室中央に二つに分けて厚い袋に入った鬼の遺骸を固定してありました。右腕が入ったケースはその脇です。自分が運転席側前方に、讃岐さんが助手席側後方に座っていました」

「乗車時に収納袋に異常は有りませんでしたか?そもそも収納袋はどの様なモノですか?」

「収納袋は鬼灯の依頼で岩崎に造らせた特別あつらえのモノじゃった。中で爆弾が破裂しても破けないとお墨付きをもらったものじゃったが、鬼にはちと物足りなかったようじゃ」収納袋についてヒイラギが口を挟む。

「…収納袋に異常は事件直前まで感じられませんでした。しかし自分は袋に収まってからは中身の状態は見ておりません。袋は厳重に封印され、よほどの事が無い限り、輸送中に開ける事は無かったでしょう」

「袋には私が二つに斬り分けた鬼を半身づつ収納した。確かにあの状態で復活出来るとは誰も思わんだろう」光明が中身について言及する。

「ともかく事件直前まで異常は感じられませんでした。移動中の特記事項としては、途中休憩で訪れたパーキングエリアで犬神氏と富士林君、吉野君と遭遇した事だけです」虎光がそこまで話すとバロンの能力を知る者達が複雑な顔をする。光明とヒイラギはやれやれと、真田親子は苦虫を噛み潰したような、犬神は少し青ざめた。

「その後、同じく里に向うという犬神氏の乗るバンが、護送車の後方より付いてきました。事件は高速道路を降りて山間部に入ってから発生しました」

「ここから先は主観を省き、自分が見た事だけをまず話します。山間部に差し掛かりしばらくすると護送車が停車しました。運転台側に尋ねると別の鬼が出たと」

「すると今度は左半身を入れた袋が蠢きだし、腕が飛び出しました。押さえようとした讃岐さんが弾き飛ばされてしまいました。おそらく即死だったのでは。そこで運転台に脱出するように声をかけました。その後狭い車内で対応に手間取っていると後部扉が引き剥がされ、外に長い角を持った別の鬼の姿を確認しました」

「どの様な姿じゃった?」ヒイラギが尋ねる。目撃者が少ないので証言は貴重だった。

「インパラとかガゼルですか、あんな動物の様な長い尖った角を持っていて、体毛は少なく細身の筋肉質でした。しかしあの扉を引きちぎったので異常な膂力りょりょくなのはわかりました」

「他の同乗者は?」

「その時点で自分が唯一の生存者だったようです。自分は車内に居ては不利と思い、脱出を兼ねて鬼に突きかかりましたが、武器を掴まれ車外に放り出されました。そこで運転台の二人が倒れている状況を見ました」

「逃げるか、応援を呼ぼうとは思わなかったのかね」

「あの凶暴な怪を放置する事は考えませんでした。そこで後続車の富士林君が現れましたが、彼の技量が分かりませんでしたので下がっているように指示しました。再度鬼に突き掛かると今度は手傷を負わせ、その長い角も斬り落とせました」

「角は鬼にとって重要じゃ。角を折れば鬼力が使えなくなる。怪力が振るえなくなり、鬼術も使えなくなる。それだけに奪うのは難しいのじゃが」ヒイラギが鬼の角の重要性を語る。

「すると今度は荷台から復活した鬼が自身の右腕が入ったケースを抱え、護送車から降りてきました。どうやら变化が上手くいかないようで、右半分は女性 、左半分は鬼という不思議な姿でした。状況は圧倒的に不利だと思っていたのですが、予想外の支援がありました」

「白桜の巫女じゃな」

「はい、吉野君が龍神に貰った鈴を鳴らすと鬼達が苦しみだし、好機と思い細身の鬼を串刺しにすると、今度は富士林君が龍神の剣で助太刀してくれました。その威力は凄まじく、鬼をその浄火で焼き尽くしました。復活した半分鬼が持つ右腕の入ったケースに飛び火し、中身だけ燃やし尽くしました。その好機に半分鬼の残った右角を落とす事が出来ました。撃退に成功したのは富士林君と吉野君のおかげと言って良いでしょう。二人がいなければ自分もここにはいなかったと思います。残念ながら半分鬼は見事な逃げ足で林に消えました」

「猟犬達に捜索させておりますが、目下手掛かりすら見付かっておりません」竜秀が追跡の経過を報告する。

「そうか。苦労をかける。しかし、バロン君達は期待以上のはたらきをしてくれたな」光明が満足そうに話す。

「富士林達も良くやったが龍神の宝具、見事なモノじゃったようじゃな。是非とも観ておきたいものじゃ」ヒイラギが龍神の剣と鈴に興味を持つ。

「明日、富士林君がその事で不知火城を訪ねたいと申しております。訪問してもよろしいでしょうか?」犬神がヒイラギに許可を求める。

「ホホ、そうか。もちろん歓迎するぞ」ヒイラギは愉しそうに答える。

「その富士林ですが、今回の件ではどの程度影響が有ったでしょうか?そもそも龍臥山で鬼が現れた件、帰還中に現れた新しい鬼、どちらも尋常じんじょうではありません。富士林の能力、お伽草子とぎぞうしが文字通り鬼を呼び寄せた可能性が有ります」竜秀がバロンの影響を糾弾きゅうだんする様な話をする。

「…鬼の討滅は太刀守の一族の宿願、鬼がこの世に存在すると知って見逃すという事はあり得ない。それは真田も同じ筈だ」真田の一族は戦国時代に太刀守の里に身を寄せたという経緯いきさつが有る。

「それはそうですが…」竜秀が言葉をにごす。

「…こう考えたら良い。バロン君は鬼を呼び寄せる事ができる、類を見ない能力が有る。我々は鬼を討滅したい。彼の協力を得れば鬼をおびき寄せ、滅ぼす事が出来るやもしれん。そうだなヒイラギ姐さん?」光明が鬼討伐の方策を提案する。

「若の言うとおりじゃが、確実性となると…」ヒイラギが断言出来ずにいると

「もう一人、いい人材がいるじゃ無いか。鬼を積極的に呼び寄せられる。彼女に依頼しようじゃ無いか」

「吉野弥桜ですか。彼女は部外者です。富士林の解呪には同行させましたが、本来彼女は役目を負ってはおりません」竜秀が難色を示す。

「その辺は交渉次第さ。竜秀さんもスガル姐さんを雇ったろう?」

「彼女が金で動くとは思えませんが」

「その辺はこちらに任せて貰って良い。差し当たっての問題は逃げ出した手負いの半分鬼だ。すべてはアイツを滅ぼしてからにしよう。…本当にバロン君がいると退屈しない。それから殉職した職員には師条家から見舞金を準備してくれ。仇は必ず取ると」


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「…母さん、今、夕姫ちゃんの実家から。ううん、バロン君と二人だけ。…と、友達の家でそんな事しないよ。…え、違うの!場所は関係無いの。そうじゃなくて、ここに来る途中凄いモノを見ちゃったの。鬼よオニ!節分みたいにお面被ったやつじゃなくて、おとぎ話から出てきたみたいなの。…うん、すごく気分が悪くなった。五教科全部赤点になったみたいな。…えっ、私そんなの取ったことないよ。…せいぜい三教科だったよ」弥桜が実家の白桜しらお神社の母、雪桜ゆきおに電話していた。夕姫の母親に公衆電話の場所を尋ねたところ、娘に恥をかかせられないと言って、プライバシーの守れるという、道場の書斎の電話を借りていた。夕姫の母親が使っているらしいデスクの上には、三雀の写真の他にどこかで見覚えの有る日焼けした少年の写真が有った。

「…それで一応どう対応すれば良いか、母さんに聞いておこうと思って。…うん、龍神さんに貰った鈴は効いたみたいだったよ。バロン君が貰った剣も鬼相手だとものすごく力を発揮してたよ。…え、お告げが来たの?今?…うん、うん、わかった、もしそんな時が来たら…え、必ず来る?ヤダなぁ。…え、土地?」弥桜と話している途中に、雪桜に神託が降りたらしい。雪桜は今後について娘に言い含める。

「どうしたらそういう話になるのかな?…えっ?すぐにわかる?…アッ!わかった!…ううん、こっちの話。うん、帰る前にまた電話するね」弥桜が電話を切る。

「そっか、これがウワサに聞く男の子と間違えられた夕姫ちゃんか」フレームの中の幼い夕姫はわんぱくそうに笑っていた。


「なんであの時出て来てくれなかったのよ?」弥桜は自分に用意してくれた茶菓子をベッドに腰かけてボリボリ食べている少女姿のペンタを問い詰める。弥桜は自分に用意された客間に戻ってきていた。

「…アレはマズイ。あれだけ陰の気が強いとワシも近づくとどうなるかわからん。最悪、正気を失ってミオ達を襲わんとも限らん。またアイツが来てもワシを頼りにするなよ」ペンタは鬼出現時に手伝わなかった理由をえらそうに話す。

「…肝心な時に役立たないのね。わかったわ。ペンタちゃんがおかしくなっても困るから。もう弱点は無いよね?」

「…ハラが空くと動けなくなるぞ」ペンタはからの菓子皿を弥桜に突きだす。しかし途端に黒猫に戻る。するとすぐにドアをノックされる。

『弥桜ちゃん、ちょっと良いかな?』外でバロンの声がした。


「やあ、よく来てくれたね。疲れているところ悪いね。吉野さんは初めてだったね。師条光明です。こちらは妹の三春みはるです」光明が満面の笑みでバロンと弥桜を迎える。突然訪れた龍光に呼び出され、真田屋敷の奥の洋館に連れてこられた。今日は食堂に通された。長いテーブルには一目でわかるような手の込んだ洋食が並ぶ。

「は、はじめまして、吉野弥桜です。先日はその、三春さんに窮地きゅうちへ手を差し伸べていただき有難うございました」里の一番エラい人達と聞いて緊張する弥桜だった。

「三春、窮地って?」光明が愛妹に尋ねるが

「お兄様、それは女の子の秘密です。…三春です。弥桜さんとお呼びしてよろしいかしら。お噂はかねがね聞いておりますわ」

「…噂ですか」

「ええ、鷹崎サンの姪御さんに美少女巫女がいたとお聞きしましたわ」

「…バロン君、バロン君、美少女巫女だって」弥桜はまんざらでもない顔でバロンの袖を引っ張る。

「バロンさんも非常に危険な呪いをかけられたとか。私、とっても心配しておりましたのよ。でも龍神様に解いて貰ったとか」

「ええ、お陰さまでもうピンピンしています。ご心配おかけして申し訳ありませんでした。…伝え聞くところによると今回の件にご尽力頂いたとか。本当にありがとうございました。僕の命の恩人です」バロンが師条兄妹に頭を下げる。

「言ったじゃないか。僕達は同志になれると。気にしないでくれ。実はこちらもお願いが有って呼出した次第だ」光明が笑顔を崩さず話す。

「お願い、ですか?」バロンが恐る恐る聞き返す。

「ああ、君達も知っての通り、特級の怪、鬼が逃げ出した。その際はバロン君にも迷惑をかけたね」

「いえ、大した事は出来ませんでした。虎光さんが縫い止めた鬼を、龍神にいただいた剣でとどめを刺しただけですよ」バロンは謙遜するが

「そこなんだ。バロン君には里の者にも数少ない鬼との戦闘経験がある。良かったら鬼の討伐に力を貸して貰えないだろうか。もちろん正式なお務めとして報酬も出るが、これは僕からのお願いだ。それから吉野さん、貴方にもお願いしたい事が有るんだ。無理を承知でお願いしたい。鬼を呼び寄せてくれないかな?」光明はネコを呼び寄せて欲しい位の軽い口調でお願いする。

「僕で良かったらご協力は惜しみませんが、吉野さんは…」バロンは了承するが、弥桜については言葉を濁す。あの凶悪な鬼の前に弥桜を曝すのは本意では無い。

「お兄様、弥桜さんにそんな大変な事お願いして…弥桜さん、嫌だったら断って下さいませ」三春も弥桜の身を心配する。

「…ああ、これか…うう、わかりました。こんな事も有ろうかと覚悟はしていました…私じゃないとダメなんですよね?」弥桜はしぶしぶ承知する。

「そうか、では話が早い。…これだけの事を依頼するんだ、報酬を考えなくては。単刀直入に聞くけど吉野さんは何が欲しい?」光明は非常に嬉しそうに尋ねる。

「土地が欲しいです!」まるで答えを用意していた様に欲しいモノを言った。

「よ、吉野さん、土地って…」意表を突かれたバロンが弥桜に聞き直す。

「…面白い事を言うね。どうして土地が欲しいんだい?」光明が本当に愉しそうに尋ねる。

「この太刀守の里には神社が見当たりません。ここに白桜神社の分社を建てたいと思います」弥桜がいたって真面目に理由を説明する。

「ハハハ、面白い。ライバルがいなければ繁盛すると。…で、誰の入れ知恵だい?」

「わかります?母です。さっき電話したら指示をされました」

「さすが。一枚上手の様だ。良いだろう、土地も提供するし、神社の建立も許可するぞ。さあ、神社を建てるのに相応しい場所となると…」

「お兄様、この間、泉が見つかった場所など、どうでしょうか?あそこであれば私から母にお願い出来ますわ」三春が師条家管理の土地を提案する。

「ああ、そうだな。良し、具体的な場所は後ほど決めるとして、将来的に君達は里に来てくれると考えて良いのかな?」

「ええっ、母からは神社の土地を貰えとしか言われなかったので、その後どうするかまでは…」弥桜が戸惑う。

「僕もですか?」バロンが『君達』に反応する。

「バロン君は白桜神社の宮司になるのではなかったのかい?」

「いえ、そこまでの約束はまだ…」バロンが困り果てる。

「お兄様、イジワルですよ。バロンさん困ってるでは有りませんか。でも私も貴方がたが里にお住まいになっていただければ嬉しいですわ」

「そうだな。しかしすべては鬼退治の後だ。宝も、いさおしも」


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 夕姫はパンパンに膨れ上がった妹達のお腹を見下ろし、ため息をついた。

 龍光達と別れた後、三雀達を引き連れ京都の町を移動したのだが、これが想像以上に熾烈しれつを極めた。舞妓の服をレンタル店に戻すとホテルに直行せず、買い食いしながら、お土産店などをのぞいていく。さすがに買い食いに龍光のカードは使えないので、夕姫のお財布から小銭がどんどん出ていった。

「あんた達もう気が済んだでしょ。ホテルに向かうわよ」夕姫はため息交じりに観光の切上げを伝えたが

「うーん、京都っぽい小物って何が一番良いかな?お箸?うーん、違うかな?」べにが悩んでいた。

「キャハハ、このキーホルダーが良いんじゃない?」瑠璃るりがどこの観光地でも売っていそうなゲテモノキーホルダーを指差した。

「バカね、そんなのちっとも京都らしくないじゃない。…あ、あの扇子せんす、扇子が良いんじゃない?大人っぽくって」翡翠ひすいが目ざとく扇子を売っている店を見つけた。

「…これが最後よ。それ買ったらホテルに戻るって約束して」夕姫は呆れながらも帰る約束をとりつけ、お店に入った。

 結局夕姫は妹達の分とちょっと高級な自分用の扇子を龍光のカードで購入した。母親の分のお土産用はさすがに自分のサイフから出した。

 妹達は取り敢えずホテルの方に足を向けてくれた。…食べ物屋の前を通る度に夕姫はドキドキしたが。

 ホテルに着くと夕食のバイキングが始まる時間をチェックした三雀達はそれまでにと大浴場に行って入浴を済ませた。夕姫は妹達の引率で精も根も尽き果て、窓際の椅子に沈み込み、部屋の窓から京都の夕日を眺めていた。

「テルぅー、もう限界だよー。…父さん、母さん、あなた達は偉大だ。アレを毎日操縦しているとは…私はもうダメかもしれない…」夕姫の頬には知らないうちに涙がつたっていた。

 しばらくすると部屋の外からドタドタと足音が聞こえ

「お姉ちゃん、もう夕飯の時間だよ!早く行かないと無くなっちゃうよ!」興奮した瑠璃が飛び込んで来た。

 まだだ、まだ倒れちゃいけない、と夕姫は自分に言い聞かせ新たな戦場に向かった。多分、妹達が行かなければバイキングの料理は無くならない。


 バイキングから戻ると敷いてあった布団に三雀達は倒れ込む。もう今日は食べるだけ食べ尽くして満足したのだろう。これ以上は物理的に無理という程三人は夕飯を詰め込んでいた。保護者役で無かったら他人のフリをしていた。犬神やバロンの気持ちが初めてわかった。これからはもう少し目立たない様に食事をしよう。夕姫は心に固く誓った。

 夕姫は三雀達の風船の様に膨らんだお腹を見下ろし、もう何度ついたかわからないため息をもらす。もう、夕姫もこのまま布団に倒れ込みたかったが、バロン達が心配だ。寝息を立てている妹達を邪魔するのは忍びなく、夕姫はホテルのロビーで電話する事にした。

「やっぱり姉なのよね」空調は効いていたが風邪を引かないよう妹達に布団をかけてから部屋を後にする。

「…もしもし、夕姫です」

『アラ、夕姫ちゃん、紅ちゃん達は大丈夫?』

「…心身に問題が無いという意味では大丈夫だけど、行動については大丈夫ってイイタクナイ。もう面倒みきれなくなりそう…母さん達、よくあんなの毎日相手にしてるよね。それだけでも尊敬するわ…」

『自分の妹達をあんなの呼ばわりしないの。慣れよ、慣れ。夕姫ちゃんも子どもが出来たらする事になるんだから、練習だと思いなさいよ』

「…わかった。こういう、しつけの失敗をしないよう、反面教師にする」

『いやぁネェ、紅ちゃん達はとっても良い子よ。ちょっと元気で、食欲旺盛なだけで。でも助かったわ。あの子達とこんなに離れるの初めて。久々に羽根を伸ばしてパパと仲良くできたわ』

「…もう家族増やさないでね…」

『夕姫ちゃん、また妹が欲しいの?ママ頑張っちゃおうかしら』

「カンベンして。本当に家出たくなりそう」

『まあ、駆け落ち?』母の言葉に、夕姫は着古したコートの前を押さえて輝虎と木枯らしの中を歩く自分のイメージが浮かんで首を振る。

「それは最終手段ね…母さん、富士林君達行ってるよね」

『あのね、龍光ちゃんが来て富士林君と吉野さんを真田屋敷に連れて行っちゃったわよ。なんでも若が呼んでるとか』茜はバロン達の不在を伝える。よりによって真田屋敷とは。夕姫が電話したくないランキングのトップだった。

 仕方ない、ランキング2位に電話する事にした。

「じゃあ、明日には戻るから富士林君達に戻ったら伝えといて」夕姫は電話を切ると、携帯に登録してあったが初めてかける番号に電話する。

『…凰と申します。輝虎君いらっしゃいますか?』

「あらまあ、夕姫ちゃんね?高校の入学式以来かしら?いつもウチの愚息が迷惑かけて悪いわね。ずいぶんキレイになったって聞いたわよ。ウチの息子にはもったいないわね。良いのよ、もっといい男がいたらさっさと乗り換えて」笹伏水無瀬ささふせみなせが電話に出て、長々と話をし始める。

「おふくろ…」輝虎が電話に気付き、部屋から出てきたが代わってくれる気配がない。

「…里の女の子では一二を争うという噂聞いたわよ。そうそう、噂って言えばお友達の巫女さん、最近凄く人気が出ているらしいじゃない。なんでも里を出ていった鷹崎サンのところの大三さんの娘さんだって…夕姫ちゃんのハトコになるの?へー、美人さんの家系なのねぇ…」水無瀬の話はとどまる事を知らない。

「おふくろ!」輝虎はらちがあかない母親に声を大きくする。

「その電話俺宛だろ?」

「アラ嫌だ、テルが後ろでオカンムリだわ。じゃあ今度ウチにも遊びにいらっしゃい。オバサン腕によりをかけてご馳走するから。今、代わるわね」水無瀬はやっと受話器を輝虎に渡す。

「ハイ、愛しの夕姫ちゃんから」水無瀬は意味ありげな笑みを浮かべ、輝虎に受話器を渡す。

「…俺だ」母親の視線を避ける様にワイヤレスの受話器を持って自室に戻る。

『愛しの夕姫よ』

「…冴えない冗談だな。流行ってるのか、ソレ?」輝虎はウンザリする。

『どうして?』

「バロンにもそう言われた」

『会えたの?』

「ああ、ユーキの家でな。兄貴に会えたんだが入れ違いで真田屋敷に行ってしまったんで、事情が聞けなくてひとっ走り行ってきたんだ」

『そうか、ウチか』

「なんでも光明さんや兄貴達が龍臥山で鬼に遭遇して、なんやかんやで倒した鬼を里に持ち帰ろうとしたらしいが、もう一体鬼が出て来て兄貴以外の輸送部隊の猟犬三名を惨殺したそうだ。兄貴は応戦して、途中で合流したバロンと吉野さんの助太刀でなんとか鬼一体を倒したが、輸送していた鬼は蘇生して逃げちまったらしい」

『危ない事するわねバロン達。そうか、若達来てたんだ。だから龍光君、京都にいたんだ。ヒマなの、あの人たち?』

「暇じゃ無いだろうけど、バロンの事を心配して来てくれたんじゃないのか?そのせいで今、真田屋敷は大わらわらしいが」

『じゃあ、やっぱり犬神サンのお迎えは無理そうか…大丈夫かしら、私。あの子達を引率して里まで無事に帰られる自信無いわ…』

「…迎えに行こうか?」

『いいわよ。それよりこれ以上バロン達が危ない事しないように見張ってて。さっき家に電話したら二人共、若に呼び出されていなかったのよ。…イヤな予感がするの。若とバロンの組み合わせは危険な匂いがする。…テル、携帯電話申請しない?私、こういうのしんどくて』

「…ああ、俺も今日、そう思った。犬神サンに頼んでみるよ。じゃあ、気を付けて帰れよ」

『それはあの子達に言って。じゃあ明日また』


 夕姫が電話を切り、勇気を振り絞って振り返るとロビーの隅に有るホテルの売店に、寝ていたはずの三雀達がお土産を漁っていた。

「お姉ちゃん、電話終わった?ねえ、オヤツに生八ツ橋買って」紅がまだ食べるという。そう言えば部屋のお茶請けに生八ツ橋がおいてあった。あれで味をしめたなと夕姫は頭を押さえながら思った。

「私、抹茶と二色のヤツが良い」瑠璃がもう箱を抱えている。一人一箱のつもりらしい。

「これ、粒あんかな?私、こしあんが良いの」翡翠がこだわりを言う。どうせ質より量のくせに、と夕姫は心の中でツッコミを入れた。まだ食べるのかと呆れたが結局生八ツ橋を四箱買った。夕姫はちょっと大人に桜あんを選んだ。


 26


 久しぶりに一人で入るお風呂で夕姫は胸を見下ろし

「弥桜大丈夫かな?若に無理難題ふっかけられてないかな」おおよそ言い当てていた。さすがに取引材料として神社用地を持ちかけたとは思わなかったが。

 ホテルの大浴場は親子連れや年配の女性が入っていたが、やはり友人や妹達とは訳が違った。

「ヤダ、私寂しいのかしら」ここ数日、弥桜や妹達と一緒に入浴する事が続いていたので賑やかなのに慣れていたようだ。アパートに戻ればユニットバスなので一人が当たり前なのだが、風呂が広いせいか少々孤独感に襲われた。

「…部屋に戻れば小さな鬼達と一緒なんだけどね」せめて一人になれる時にせいぜいリラックスしておこうと考え直した。

 風呂から出て携帯電話を見ると着信履歴が有った。犬神からだ。夕姫は折り返し電話する。

「夕姫です」

『愛しの夕姫じゃ無いのか?』

「…だれに聞いたの?」

『俺たちの情報力をナメるなよ』

「…今も誰かに監視されてるの?止めてよ、変な二つ名で呼ばれたくないわよ」

『一つ目はなんとも言えない。二つ名の件は俺も全員の口を塞げないんで、やっぱりなんとも言えない』

「…じゃあ、命が要らないなら使って頂戴って言っておいて」

『…わかった。いい含めておく。ところで電話したのは他でもない。明日なんだが京都まで迎えに行けなくなった。若が鬼を迎え討つって張り切っていてな、俺達も準備に大わらわなんだ。俺は徹夜かもしれん。そういう訳で悪いが明日は新幹線で帰って来てくれ。駅までは迎えを出す。…やっぱり大変か?』

「ええ…でも覚悟してたから良いわ。それにあの子達は新幹線に乗られるって喜ぶわよ…経費多めにみておいてよ。まったくこんなに手伝って貰った事が大変になるとは思わなかったわ。こんな事なら一人で怪の群れに突撃した方が良かったかも」

『無理なこと言うな。でも、デビュー戦でトップランカー入りだろ、夕姫を抜いて』

「ええ、期待はしていたけど予想以上だったのは認めるわ。反動も想定以上だったけど」

『まあそう言うな。経費については考えておくよ。…お手柔らかにな』

「あの子達に言って。じゃあ、駅に到着する時間がわかったら連絡するわね。犬神サンも身体気を付けてね」

『おう、そっちもな』

 電話を切った夕姫は売店を振り返ったがもう妹達はいなかった。

「本日はこれで終了か。…長かった…」夕姫はため息とともに部屋へ向かう。


「という訳だが、なにか有るか?」光明が白月と話しているのは林の中の石室だ。よく密談に用いられている。

「またバロン君が関わっているのですね。見づらいなぁ。…うーん、黒い大きな影がありますね。厄介そうだなぁ。私も立ち会った方がいいかしら。それで白桜の巫女には神社を建てて良いって言ったんですね。…フムフム、若、私も一枚噛んでいいですか?」

「どうした?商売敵になるんじゃないのか?」

「そう思ったんですが、私にもメリットが大きいというか…」

「ナニか見えたのか?」

「ええ、里の女性全般に恩恵があると…」白月には白桜神社の分社が建てば女性としての魅力が上がるご利益がもたらされると見えた。特に胸部について。

「…三春にもか?」

「三春様には必要なさそうですが…」三春は胸に悩んでいない。

「里の女性にはご利益が有って、三春には要らない…なんだ?」

「男性には関わりないことです。気にしないで下さい」

「フム、そうか、後押ししてくれるのだな、それなら結構だ」

「それでどこで迎え討つのですか?」

「里の外に潰れたドライブインがあるだろう。そこに決めた。里の結界の外で人目も無い。周囲が林な事もあり、鬼も出て来やすかろう」

「私も立ち会おうと思っているのですが」

「わかった。迎えを出そう。明日16時に出発だ」


「光兄お帰り。どうだった?」輝虎が虎光を出迎える。

「ただいま。うん、事が済んだら半年の里へ入郷禁止となった。被害者の遺族に配慮してだ。どうせ寮にいるんだ、半年位なんでもない」

「しかし、笹伏の跡取りが罰を受けるなんて…」

「俺も納得しての事だ。実害がないんだ、いい落とし所だと思う。お前だって一年近く里を離れていただろう?大した事はないさ。お前が気にするな」

「ところで事が済んだらって?」

「…明日の夕刻、鬼を呼び寄せて討ち取る。光明や真田と決めた。お前はここか、凰の家で待機して、明後日は任地へ戻れ」

「兄貴…」輝虎は部屋に戻る兄を見送った。


 27


「弥桜ちゃん、本当に良かったの?」龍光に凰邸の前まで送ってもらったバロンは弥桜に尋ねる。

「良いのよ、こうなる事は母さんにお告げが有ったの。分社の土地も約束してもらったし。明日は頑張らなくっちゃ」

「そう、なら良いけど。じゃあ僕は及ばずながら弥桜ちゃんのボディーガードを務めるよ」

「うん、でもバロン君にはボディーガードより宮司さんを目指してほしいな」

「ええっ、僕が?」

「バロン君と働けば神社も楽しいと思うし、もしウチの神社を追い出されたら、ここで建てる分社に来るのも良いと思うの」弥桜の言葉を聞いたバロンの脳裏にくたびれたコートの前を押さえて弥桜と二人、向かい風に歩いて行く姿が浮かんだ。

「追い出される可能性有るの?」

「まさかぁ。兄弟でも現われない限り、いくら母さんでも追い出さないよ」この時は笑い話で済んだ。他愛のない話をしながら凰邸に入っていく。


「富士林君、さっきね、夕姫ちゃんから電話が有ったの」玄関を開けに来てくれた茜がバロンに伝える。

「まだ大丈夫かな?…お電話ってお借り出来ます?」


『はい、夕姫です…ああ、バロンね。ちょっと待ってて。…ところでバロンも愛しの夕姫って呼んでるって聞いたけど?』

「お疲れ様。ちょっと違うよ。愛しの夕姫様がいなくて寂しいでしょうってテトラに聞いただけだよ」バロンも道場の書斎で電話を借りていた。バロンもスタンドの写真に首をかしげる。

『…わかったわ。でも二度と言わないで。このままだと愛しの夕姫ちゃんが定着しそうなの』電話越しなのに感じる迫力に

「…ヤダなぁ、僕がユキ姉に逆らうわけないのに。それで要件はなんだろう」嫌な汗をかきながら弁解する。

『事件の概要を聞こうと思って連絡したんだけど、テルに聞いたからソッチは良いわ。若に呼ばれて真田屋敷に行ったんだって?』

「うん、光明さんと三春さんに夕食に招かれて、吉野さんと一緒に行ってきたんだ」バロンは話ながら見覚えがあるような悪ガキぽい写真が誰のものか考える。

『何を言われたの?無理難題ふっかけられてないでしょうね?』夕姫の声は猜疑心さいぎしんに満ちている。光明がタダで晩餐に呼ぶハズが無い。里の人間なら震え上がるところだ。

「明日、逃げ出した鬼を討伐する為に協力して欲しいんだって。僕はともかく、吉野さんに鬼を呼び寄せてもらいたいって言ってた」

『…まさかオーケーしたの?』

「吉野さんが雪桜さんに電話した時にお告げが有ったんだって。方法も伝えていたそうだよ」

『本気?鬼って里の精鋭が三人も犠牲になった程、危険な怪なんでしょ?弥桜の身に何か有ったら大変だわ』夕姫はイヤな予感が当たったと頭を押さえる。

「でも、吉野さんしぶしぶだったけどヤル気有ったよ。光明さんに白桜神社の分社の土地を貰う約束していたもの」

『それで若は了承したんだ?』夕姫は頭が痛くなってきそうだった。

「うん、それはもう面白がって。吉野さんと僕に里に住まないかって。三春さんに場所の当てがあるような事も言っていたな。…ああっ!わかった!」

『どうしたの?急に大声を上げて?』

「今、道場の書斎で電話を借りているんだけれど、デスクの上にスゴイもの見付けちゃった」

『…デスクの上?うーん、あまり書斎に入った記憶が無いのよね。何が有ったの?』

「ユーキくんのご幼少のみぎりの写真」

『ウソ、ヤダ、バロン、見ないで!見た事忘れて!出来れば処分して。お願い』

「ムリだよ。人の家の物を勝手に出来ないよ。見たものは忘れられないけど口外はしないと約束するよ。…アレ?でも吉野さんもここで雪桜さんと電話していたハズだな?」

『ウガー!弥桜、お前もか?』口封じをしなくてはいけない相手がもう一人増えた事に夕姫は狂気する。

「これでテトラがユーキって呼ぶ理由がわかった気がする。僕でもこの姿なら男の子と勘違いしそうだ」

『バロン、わかっているわよね…』夕姫は地獄の底から響くような怨めしい声でバロンに呼びかける。

「も、もちろんさ!レディの過去を詮索せんさくするような事はしないよ。僕は何も見てない。何も知らないよ」デスクの上のフレームには日焼けした少年の様な幼い夕姫が笑いかけていた。

『…とにかく、明日私がそっちに着くまで余計な事しないでね。…ああ、本当に疲れた』

「わかったよ。明日の午前中は不知火城に行く予定だけど、終わったらここに戻っている様にするよ」

『そうして頂戴。おやすみ、バロン』

「おやすみ、ユキ姉。しっかり休んでね」

 電話を終えた夕姫は部屋に戻り、妹達を避けて布団に倒れ込んだ。朝までグッスリと眠られた。


 28


「お姉ちゃん、早く、早く!」紅が夕姫の袖を引っ張る。夕姫は旅の荷物に加え、三雀達が昨日購入したお土産を持った上に、先ほど山ほど買い込んだ駅弁を持っている。おまけにキオスクで妹達が物色した追加のお土産まで持たされていた。もうやめようと思いつつ、家を空けている弱みか、姉としての情か、断りきれない。夕姫の膂力ではこの位の重量はなんともないが、歩きづらく、みっともない事この上ない。

 まだ新幹線の発着には時間がある筈だった。

「ユキ姉ちゃん、飲み物買う時間無くなっちゃうよ」瑠璃が後ろから押してくる。瑠璃自身も山のようなお弁当を持っている。そうか飲み物を忘れてなかったか。

「そうね。喉を詰まらせるのはみっともないわ」何故か軽装の翡翠が言う。さては瑠璃に荷物もたせてるなと夕姫は睨んだ。手が空いてるなら姉の荷物を少しは肩代わりしろと夕姫は思う。みっともないのは今現在だ。

「あんた達、これ以上買ったら自分で持つのよ。わかった?」

「「「ハーイ!」」」こんな時だけ一糸乱れない。夕姫はとんだ添乗員てんじょういんになったもんだと思った。しかし、あと少しだ。新幹線に乗ってしまえば少しは肩の荷が下りる。後でバロンと輝虎に高くて美味しいモノおごらせようと心に誓う。


「アレ、犬神サン、ユキ姉を迎えに行ったんじゃなかったの?」バロンは凰邸に迎えに来たのが犬神で驚いた。

「今日のお祭り騒ぎの準備に駆り出されたんで、夕姫には新幹線で最寄り駅まで来てもらう事にしたんだ」

「夕姫ちゃん大変そう」遠い目をした弥桜が同情する。

「バロン君、夕姫ちゃんにはちゃんとお礼しないとダメだよ」

「うん、わかった。できる限りの礼はしようと思う。そうだなぁ、食事会なんてどうだろう」バロンの中では夕姫達は食いしん坊で定着しているらしい。

「さあ、不知火城に行くぞ。俺はその後、凰ギャング団を迎えに行かなくちゃならないんだ」


「という訳で、怪我の功名こうみょうというか、成り行きというか、龍神からいただきモノをしたのですが、僕が未熟なのか強力過ぎて扱い切れてないようなんです。そこで思い出したのが若狭さんや、丹後さんにつけてもらった稽古の事なんです…お忙しそうですが、ご迷惑だったでしょうか?」やけにあわただしい、不知火城の応接の間でバロンと弥桜は鬼灯ヒイラギと眩一げんいちに対面していた。

「気にせんで良い、昨日ウチの手の者が鬼どもにヤられて今晩、報復しようと息巻いておるのじゃ。その件についてはおヌシ達にも礼を言っておかねばのう。片方とは言え、仇の鬼を倒してくれて恩に着るぞ。で、何が聞きたい?」ヒイラギは前回よりも態度を軟化し、まるで孫を扱うように接してきた。

「ミオちゃんは不知火城が忘れられないようじゃの。どれ爺が手取り足取り…」眩一が言う前にヒイラギが合図すると若狭と丹後が襖を開けて入ってくる。

「いかがしましたか?」

「話の邪魔だ。いろボケジジイを地下牢にでも放り込んでおけ。大丈夫だ、鬼退治までには出してやる」ヒイラギはいつもの事のように孫たちに指示する。眩一は双子に引きずられて出ていった。

「すまんのう、話の腰を折って」

「…イイエ、その出来れば上手く宝剣を扱う為のアドバイスをいただきたいと思いまして。コレがそのいただいた剣です」バロンが取り出すとヒイラギの側にひかえていた門下生が受け取り、ヒイラギにの前に差し出す。

「ウム、コレが龍からもらったという剣か…そう、まごうことなく…」

「まごうことなく?」バロンは身を乗り出す。

「…まごうことなく、ガラクタじゃ」

「ガラクタですか?」

「龍にも言われたのじゃろ、おヌシ以外には使えんと。確かに造りは良いが、法具としてはワシには鑑定出来ん…振るってみてもらえんか?」ヒイラギは龍神の剣を門下生を通してバロンに返す。

「ホレ、あの石灯篭いしどうろう目掛けて」ヒイラギが庭に見える灯篭を指す。10メートルは有る。

「良いんですか?…エイッ!」バロンが振り抜くと緑色の半月状の光が飛び、石灯篭を斬り落とす。

「見事じゃ」ヒイラギは大いによろこぶ。

「…良いのですか?アレはご当主が大切になさっていた灯篭では…」門下生がたまらず口をはさむが

「良いのじゃ、いい薬になろう。楓太郎や、確かにその剣を上手に振るうにはおヌシの精神集中がカギじゃ。ココで修行を再開したくば協力いたそう。しかしそこまで気が付いたのじゃ、後は己自身でも精進出来よう」

「ありがとうございます。わかりました、出来るところまで一人でもやってみようと思います」

「それで弥桜や、おヌシも見せたいモノがあるそうじゃが」

「お預かりしていたコレです」弥桜は星辰の剣を取り出す。バロンが使っていた時と比べ、明らかに迫力が違っていた。りんとした気迫が漂っている。門下生がヒイラギに手渡すと

「おお、これはこれは…昼は陽の光を、夜は星月の光を込んだと言われる宝剣だが往時おうじのチカラを取り戻したようじゃ。コレならワシでも…」ヒイラギが軽く振るうと金色の蝶が鱗粉りんぷんらしながら現れる。

「キレイ…」弥桜が見惚みほれるが徐々じょじょにかすみ、消えてしまう。

「フム、ワシの様に適正が少ない者でも、この位は出来るよう研ぎ澄まされたようじゃ。…もう一つ有るのじゃろ?」ヒイラギは星辰の剣を返させながら弥桜に尋ねる。

「判りますか?この腕輪です」弥桜が左腕に付けている鈴付きの腕輪を見せる。

「これも龍神の剣と同様に私専用だそうです。どのような魔も呪いも払えるそうです」弥桜はシャランと鈴を鳴らしてみる。

「ホウ、…近くに来てもらえんか」ヒイラギが手招きする。弥桜が目の前まで来ると左腕ごと持ち上げて龍神の腕輪をまじまじと眺める。そしておもむろに左のすねを露わにすると、そこには先日のバロンの背のように黒いシミ、これは細い蛇のような模様があった。

「コレを解けるものかの?もう随分昔の事になるが些細ささいな失敗で呪われてしまった事があっての、術者は殺したので進行はせんが、歩きづらくてかなわん、が何としても解けんかった」

「…やってみましょう」弥桜が腕輪を外し、右手に持ち替え念じながら蛇のシミに腕輪を当てる。するとシミが浮き上がり、かま首を上げて威嚇するイメージを残し霧散する。ヒイラギのシワ脛には何も残っていなかった。

「ヒイラギ様!」側にいた門下生が驚く。

「おお、久方ぶりに足が軽いぞ。これでジジイを蹴飛ばせるぞ」ヒイラは立ち上がり、足の感触を確かめる。

「重ねがさね恩に着るぞ。困った事があれば何でも言うが良い。何じゃジジイのセクハラがひどくて困るか?あのシワ首もぎ取ってこようか?」ヒイラギがご機嫌に物騒な事を言い出す。弥桜はブンブンと首を振る。あまりにひどいセクハラには死んじゃえ、と心のなかで思う事は有ったが、実際に死に方まで想像すればそこまでは望まない。せいぜいばちが当たれと思うくらいだ。

「け、結構です。でも良かった。本当に呪いを解けるんですね」弥桜の言葉に門下生の女性が舌打ちしたような気がした。眩一はどれだけ鬼灯の女性達に恨まれているのだろう。バロンは闇の深さにゾッとした。

「鬼退治の準備で騒がしいが、夕刻までゆるりとするがええ。若狭、丹後二人を案内せい」


 29


「師匠、起きてますか?」輝虎は里に寄った機会に鰐淵わにぶちに龍にもらったげきを見せようと山に来ていた。

「バカ野郎、そこは、おはようございます、だろうが」

「すいません。起きてましたか。ご覧にいただきたい物が有ったので立ち寄りました。コレ、京都土産です」

「おう、悪いな、気を使わせて。で、なんだ得物でも新調したのか」

「ええ、でも貰い物で」そう言って龍にもらった戟をケースから取り出す。鰐淵は輝虎から手の込んだ彫刻がされている一体造りの戟を受け取る。

「…悔しいが見事なシロモノだ。どこで手に入れた?師条の蔵か?」鰐淵は宝戟をためつすがめつながめる。

「いえ、そうではなくて、成り行きから龍神に貰いました」輝虎はバロンの呪詛事件から龍に会って呪いを解かれるまでの一部始終を師匠に話した。

「そうか。ソイツは雲龍ってヤツだな。どうだ、コイツは雲龍の戟って名は」

「ええ、良い名です。ところでその雲龍がこんな事言ってたんです。この戟は竜宮流を伝える者だけが扱えるそうです。他のみんながもらった物は当人のみって条件付けたのに。こうも言ってました。師匠の流派は赤き王が竜王に伝えたものだって」

「なに!」

「近い内に受け取るものが現れるから必ず伝えていくようにって…師匠、泣いているんですか?」

「…そうか、オレは、オレたちは間違っちゃいなかったんだ…」鰐淵が滂沱ぼうだする。

「師匠どうしたんですか?」輝虎はあまりにも似合わない鰐淵の涙に動揺する。

「いい機会だ、オレの話を聞け。この竜宮流というマイナーな流派はオレの一族が細々と伝えてきた技だ。実際、いつ途絶えてもおかしくなかった。オレの代で終わるかとも思ったが、お前が現れた」

「はい、まあ、やむにやまれぬ事情で」

「…オレも若い時、投げ出そうと思った。しかし、オレにも里で一番の長柄使いだという自負もあった。それにオヤジに必ず伝承しろと死に際に言い残されちまってな。そのオヤジが生前クドい程言ってたんだ。赤き王が再び現れた時に、オレ達の戟を取りに来ると。オヤジやジイサン達の誇大妄想こだいもうそうだと思っていたが、アレも有ったしな」

「アレってなんです?」

「そうだな、そろそろお前にも見せなきゃならねえな。ちょっとこい」鰐淵は立ち上がり、あばら家の奥に向かう。そこは岩肌に寄りかかるように立つ、鰐淵のあばら家でも一番岩に密着している部分だ。しかし戸が立てつけてある。

「物入れかなんかですか?」輝虎はここに寝起きしていた時にも気にならなかった戸がある事に少々驚いた。

「物入れか。まあ、そんなもんだ」鰐淵が戸を引くと中はゴツゴツとした岩肌の洞穴が見えた。鰐淵が電灯のスイッチを入れると何か光るものが見えた。10メートルほどの真っ直ぐな洞穴の突き当りに太く長い武具の柄が突き刺さっている。しかし大きすぎて実用的には見えない。コレに比べれば大業物おおわざもの鬼鯱おにしゃちも子ども用だ。

「何なんです、コレ?」

「抜いてみろ」

「…こうですか?」輝虎が持つと見た目に反してやすやすと引き抜ける。埋まっていた穂先には龍の見事な彫刻がされており、ひと目で宝剣だとわかった。

「やはりな」鰐淵は何かに納得する。

「一体、何なんですか、これは?」一向に答えを得られない輝虎が再度尋ねる。

「太刀守の宝剣の話は知っているか?」

「いえ、知らないです。これがその宝剣なんですか?」

「そうだ。太刀守の一族には八つの宝剣が伝わっていると聞いている。オレもすべての宝剣がどこにあるのかは知らんが、一つは笹伏にある。若い時に虎実とらざねに見せてもらった事がある」

「ウチですか?」輝虎は驚くが思い当たる節があった。近寄るなと言われた、開かずの間だ。と言っても普通にふすまが有るだけなのだが、子ども心にも独特の圧迫感が感じられ、ふざけても近寄ったり、襖を開けてみようとは思わなかった。

「オヤジは見せてくれなかったか?もう一つはオマエのオンナの家だ」

「…凰家ですか」意外と身近に大層なものが存在していた事に輝虎は驚くとともに、自分の無知に情けなさを感じる。

「後は知らねえが、師条の蔵にもいくつかあるとオレはにらんでいる。まあ、他は関係ねえ。オマエがコレを引き抜けた事が重要だ」

「なんです。確かにこんなに重そうなのに簡単過ぎるほど楽に持てましたが」

「ソイツはオレたち以外は抜けもしないし、抜いてから置いたら誰も動かせん。オマエのオヤジで試した」

「そうなんですか。父と仲が良かったのですか?」

「オマエのおふくろを取り合った仲だ」

「ええっ?本当ですか」

「ああ、オレは振られたがな。その後色々有ってオレの死んだ女房はオマエのおふくろの妹だ。聞いてないのか?」

「ええっ!今日一番驚きました。じゃあ師匠って俺の叔父さんなんですか?」

「死んだ女房の婚姻関係がまだ有効ならな。…じゃあ、やっぱり虎実も虎光も話して無かったんだな。大丈夫だ。そういう訳だから一滴も血は繋がっちゃいない。先祖は知らんがな」

「別に師匠と血が繋がってなくても喜びませんよ。兄貴め、こんな重要な事を黙ってたなんて」

「きっと、親類だとわかると甘えると思ったんじゃねえのか。オレは手加減なんてしねえが」

「ええ、身にしみてわかってます。で、このバケモノ戟は竜宮流の伝承者しか扱えないと」

「伝承者というか、この戟の守り人しか動かすことも出来ん。何故ここにあるのかとか聞くなよ。オレも知らねえ。ただ、代々オレの一族がここで見守ってきただけだ。実際に使われた事は一度も無いと聞いている。まあこんなゲテモノ使おうとする奴はいないと思うがな」

「そうですね。…うん?じゃあ赤き王が取りに来るっていう戟ってコレの事ですか?」

「オレはそう思う。オマエの雲龍の話を聞いて確信した。もしくはこの戟の技自体かもしれんが。まあ、良い。オレはお前に伝えられる事はすべて教えたつもりだ。後は任せた。オレは今晩鬼退治に行くぞ。若がこんな老いぼれにも声をかけてくれた。万一の事が有ってもオマエがいると思えば安心して死ねる」

「死ぬって、師匠って俺のおやじと同年代じゃなかったですか?」

「おう、ジジイだろ?それにオマエのオヤジも出張って来るぞ、きっと」

「兄貴じゃなく?」

「オマエ、自分の大事な息子が強敵に立ち向かうっていうのに黙って見送るヤツか、虎実が?それにヤツもオレと同じで死に場所を求めているハズだ。もちろん犬死にはゴメンだが、相応しい場所が有ればな…」


「犬神サン、アリガト…死んだ…」大荷物を抱えて駅のロータリーに現れた夕姫の目はすでに死んでいた。

「じゃあ、今度は私が前ね!」バンに荷物を放り込んだ瑠璃が助手席によじ登ってくる。行きは姉の立場を利用して、紅が助手席に乗っていた。

「なんか納得いかないわね。まあ良いわ、レディは細かい事気にしないの」助手席に乗るチャンスを失った翡翠が二列目に乗り込み、紅が後に続く。夕姫は一人で三列目だ。

「じゃあ行くぞ、レディ達。オジサン結構忙しいんだ」

 犬神はバンを里に向けて走り出させるとすぐに夕姫が寝ていることに気が付いた。ルームミラーで見るその姿は疲れているのは重々承知じゅうじゅうしょうちだが

「テルやバロンに見せられないな」両手両足を広げ寝コケている姿を見て犬神はつぶやいた。

「ありゃりゃ、ユキ姉ちゃん、潰れちゃった」瑠璃が後ろを覗き込んだ。

「ルリ姉がひっぱり回したからでしょ」翡翠が瑠璃を責めるが

「私がお姉ちゃんだったとしたら、とっくに逃げ出してるわ。姉は強し、かしら」紅が自分の事は棚に上げ、感心していた。


「…夕姫、起きてくれ」犬神が弛緩しかんしきった夕姫を起こす。

「…ココどこ?まだウチじゃ無いよね?」夕姫は寝ぼけまなこで周囲を見渡す。

「…ここなんだ。昨日の事件の現場が」犬神が悲痛な表情で伝える。

「…通り過ぎるのも、なんだと思ってな」交通事故の現場の様に真新しい花束がガードレールに手向けてあった。犬神が手を合わせると、夕姫も同じ様に手を合わせる。降りてきた三雀達も理由はわからなかったが、空気を読んで手を合わせていた。

「…きっと仇は討つわ。里の誰かが」夕姫はそれ程、正義感に溢れていない。親しくもない誰かの仇討ちを率先してやろうとまでは思えなかった。

「お前ねぇ…」犬神は呆れながらも現実主義の夕姫らしいとも思った。


「ただいま…」

「おかえりなさい」意味深な笑顔で茜が出迎えた。お疲れ様とは言わないが、その表情でこの結果を予想していたと夕姫は確信した。夕姫の苦労を気にしない三雀がお土産を持ってその脇を駆け抜けていく。

「…私、結婚しても子ども一人で沢山だわ…」夕姫はこう言ったが実現しない。

「孫の顔見せて欲しいのに。早くしないと妹、作っちゃうわよ」

「歳を考えてよ。…待って、母さん今いくつだったっけ?」

「34よ、まだイケるわよ」

「…アレ?…計算が合わないような…」夕姫は自分の歳を指折り計算するが

「…サバ読んでる?」

「失礼ね。夕姫ちゃんが18の時の子だから合ってるわよ」

「それこそ計算合わないじゃない!何、じゃあ高校生で私産んだの?」

「いいえ、卒業してからよ」

「そうか、私が5月生まれだからって、…高校にお腹大きいまま通ったの?」

「大変だったわよ。お母様は口も聞いてくれなかったし、お父様は真田サンに怒鳴り込もうとするし」実際は龍成たつなりの息の根を止めに行った。

「父さん何やってるんだか…高校生に手を出してはらますとか…」夕姫は何故か疎遠そえんになっている祖父母に同情すると共に、龍成の意外な面を垣間見たような気がした。

「夕姫ちゃん、孕ますなんて…言い方。でもそれが夕姫ちゃんだったのよ」茜はたしなめる。

「そうだ!こうしちゃいられない」夕姫は妹達のように母親の脇を走り抜ける。

「まあ夕姫ちゃん、はしたない」

 夕姫は道場に向かうと書斎に飛び込んだ。そしてくだんの写真をデスクの上に見つける。

「ギャー!なんでこんな写真があるのよ?」夕姫はスタンドを叩き壊したいのをグッとこらえる。

「パパがね、奇跡の一枚って言って大事にしているのよ。夕姫ちゃん、なかなか、お写真取らせてくれなかったから」追ってきた茜が残念そうに言う。

「だからって、わざわざこんな写真…ホラ、だって中学卒業の時とか、高校入学の写真とか」夕姫は必死にうったえるが

「あの頃の写真は輝虎君が入っているからイヤなんだそうよ。大丈夫、ちゃんと保存してますから。それからその写真処分してもパパの部屋にポスターサイズに引き伸ばしたパネルがあるわよ。愛されてるわねぇ、夕姫ちゃん」茜は夕姫にムダムダとあきらめるようにさとす。

「だからってこんな遠回しな嫌がらせみたいな…人目につくようなところに置かなくったって」

「ごめんなさい、お友達にここのお電話貸したのママなの。気付かれちゃった?でも良くこんなお写真で夕姫ちゃんってわかったわね」やっぱり愛されてるわねと茜は言う。

「…確かに男の子に見える。テルを責められない…しかし、絶対にテルには見せられん。きっとアイツ、腹抱えて笑うわ。ところで母さんそんな格好してどうしたの?式典とかあったっけ?」夕姫は茜の完全装備を今更ながら指摘する。

「…夕姫、母は鬼の討伐に参戦致します。若からお声が掛かりました。もし私の身に万一の事が有ったらこの家と道場は任せます。その時はお前のお祖母様を頼りなさい。貴方の産まれ方については怒っていますが、貴方自身を憎んではおりません。紅達をよろしくね」そう言い残し、茜は書斎を出ていった。夕姫は突然の事に母を見送ってしまう。夕姫ちゃんともママとも言わなかった。本気モードだ。儀式などでも見た事が無い、戦士の顔だ。夕姫はしばし呆然とするが目の前の電話が鳴る。母屋と同じ番号なのでここでも取れる。

「ハイ、凰です。…なんだテルか。うん、さっき着いたところ。えっ、山にいるの?あそこ電話有ったんだ」

『俺も驚いている。さっきガラクタの中から掘り出したんだ。よく繋がったと思って。…黒電話だぞ』

「本当によく掛けられたわね。ダイヤル回せた?」

『大丈夫だ、小指で回せた』輝虎の言葉に夕姫はちんまりとダイヤルを回す様子を想像してしまう。

『笑うなよ』

「わ、笑ってないわ。それでそこまでして電話してきた訳は?」

『師匠が鬼退治に出掛けるって言うんだ。ウチのオヤジと光兄も行くはずだって言ってる』

「そっちも?今、母さんがフル装備で出ていったところなの。そう言えばバロン達はどこかしら?…家にいないって事は不知火城へ行ったままって事か。里がこんな事になるなんて知る限り初めてよ。イヤな予感がするな…テルはどうする?」

『俺も一旦家に帰ってオヤジと光兄の様子を見に行く。それからそっちへ行くよ』

「わかったわ。それまで出来る事やっておく」夕姫は受話器を掛けると考えた末にスタンドを戻す。過去は変えられないのだ。しかしもっといい写真は無かったのだろうか?


 夕姫が母屋に戻ると今度は龍成がみたこともない重装備で待っていた。

「夕姫、父さんも行く事にするよ。良き父である前に茜の良き戦友でありたい。父さんのわがままを許して欲しい。この子達を頼んだぞ」父のいつにない真剣な表情にほだされそうになったが、頼まれている三雀達は京都土産に舌鼓をうっていてそういう雰囲気ではない。

「…父さん、言いたい事はたくさんあるけど、私も後で行くから。大丈夫、母さんも父さんも死なせない。もちろん私もケガ一つしないで帰るつもりだから安心して。母さんとの馴れ初めと私の出生の秘密を聞かない事には気になって寝れそうに無いわ。覚悟しておいてね」夕姫がそう言うと、龍成はとたんに情けない顔になって

「その事はお前達が大人になるまで内緒にしておこうってママに言ったのに。情操教育に悪いからって」


 30


「オヤジ、兄貴、本当に行くんだな!」輝虎は山から駆け戻り、出撃する父と兄を見つけた。

「テル、戻ったのか。…若がこんな年寄りを誘ってくれたんでな。まあ、断られても行くがな。こんな機会滅多にない。俺の代では無いと諦めていたところだ。もし何か有ったら母さんに言付けてあるから安心しろ」虎実が息子に言い残す。

「テル、行ってくるな」虎光がさわやか笑顔で槍を積んだ車に乗り込む。

「オヤジ…兄貴…」輝虎は呆然と見送ってしまう。

「なんだ、いたのか」やはり見送りに出ていた昌虎がつまらなそうに輝虎に言った。

「昌兄は行かないのかよ」輝虎は昌虎が絶対に行く訳無いと思いつつも皮肉を言う。昌虎は数年前、輝虎に道場で負けて以来槍に対して情熱を失っている。今は大学に通いながら真田屋敷に出入りして雑務までこなしているらしい。

「父さんと兄さんに何か有った時どうする。私はその為にいるんだ」

「そうだな、何か有った方が昌兄にとっては都合良いものな」

「勝手に言ってろ…元はと言えばお前の組の富士林っていうのが原因じゃないのか?そもそも奴が京都まで呪いとやらを解きに行かなければ鬼が出てきたり、職員が死ぬ事も無かった。なんでも奴は厄介事を呼び寄せる体質らしいな。事務局では疫病神扱いだぞ」

「じゃあ昌兄はあんなのが闊歩かっぽしてても出会わなければそれで良いって言うのかよ。それにバロンは素晴らしい人格者だぞ」輝虎はバロンが悪く言われ少し青ざめるが抗議する。

「フン」昌虎はこれ以上話すのは無駄とばかりに歩き去る。

 入れ替わりに母の水無瀬が現れる。

「お父さんとみっちゃんは行ったのね」水無瀬は見送れなかったと残念そうだった。

「ああ、大丈夫だ、後で俺も行く。オヤジも兄貴も無事に帰すさ」

「まあ、テルまで行くつもりなの?母さんをこれ以上心配させないで」

「心配するなよ、学校の成績は自信無いが、こっちは範士なんだから。それより聞きたい事があるんだ。おふくろの妹って鰐淵師の奥さんだったの?」

「そう、鰐淵さんに聞いたのね。そうよ、あなたの叔母さん、早瀬はやせちゃんは鰐淵さんに嫁いだわ。でもね、お努め中の怪我が元で早くに亡くなったの。私があなたのお努めに従事じゅうじするのに反対したのは、その事が有ったからなの」水無瀬は思い出して悲しい顔をする。

「鰐淵師がオヤジとおふくろを取り合ったって」

「そんなこと言ってたの?私は最初からお父さんしか見てなかったわよ。だって早瀬ちゃん、鰐淵さんにぞっこんだったんだから。妹の恋路は邪魔出来ないわ。でも昔の話しだわ。鰐淵さんね、自宅の敷地内に早瀬ちゃんのお墓作ってね、毎日手を合わせているらしいわよ」

「ああっ、あのお墓がそうか。俺も時々手を合わせてた。てっきり鰐淵師の先祖の墓だと思っていたよ」

「ありがとうね、それはあなたの叔母さんのお墓だから時々で良いから面倒をみてあげて」

「わかったよ。気に掛けるようにするさ」

「…やっぱり行くのかい?」

「ああ、友達が行くのに指をくわえて待ってられないさ」


「さあ行くぞ」丹後と若狭はそれぞれ5人引き連れて出撃する。ヒイラギと眩一はその指揮に当たる。不知火城に身を寄せていたバロンと弥桜は迎えに来た真田龍光の車に乗って決戦場へ向かう。

「どこに向かうんですか?」バロンが剣の師匠である龍光に尋ねる。

「光明さんがもってこいの場所に決めた。里の結界の外で襲撃場所にも近いし、開けていて足元も良い。…自分の目で見るのが一番だ」龍光の車は里に続く道を高速道路とは反対方面に進む。しばらくすると多くの車が集まっている場所が見えてきた。

「ドライブイン?やってないのか」バロンはさびれた感じの建物をみて首をかしげる。

「そう見せてるだけさ。ここは最初から里の都合で作られた廃墟だ。今もここで鬼を迎え撃とうとしている」

「例の物、準備出来てるでしょうか」弥桜が依頼したものが来ているか心配する。

「大丈夫だ、光明さんが洒落がきいたやつを用意した」龍光が意味深な含み笑いをする。


「主役が到着したぞ」三春と先に到着していた光明が弥桜とバロンを出迎える。

「ようこそ、戦士の晴れ舞台へ。バロン君。それから弥桜君、これで良かったかな」光明が駐車場の中央に置かれた酒樽二つを指し示す。

「鬼ころし?」酒樽には毛筆体でそう印刷されている。

「そう、ピッタリだろ?」光明はニコニコしている。龍光が洒落がきいてると評したのはこの事だった。

「いつ始めます?」弥桜が尋ねる。山深いこの当たりではそろそろ日が沈みかけている。

「弥桜君の準備が整っていればすぐにでも」


「やっと来たわ。テル!早く、早く!」夕姫は犬神のバンの脇で走ってくる輝虎に呼びかける。

「なんだ、犬神サン来てたのか」

「なんだとは失礼だな、現場も知らずにどうやって行くつもりだったんだ?」

「俺はてっきり、犬神サンは準備に駆り出されていて、こんなことする暇は無いと思ってた」

「忙しかったさ、でもよ、ユキが迎えに来いってしつこいから」犬神は頭をクシャクシャとかきまわす。

「こういう時の為にいるんじゃない。こっちは荷物が多いし、犬神サンの言う通り現場も知らないんだし、仕方ないでしょ」

「わかったよ、さあ乗ってくれ。断っておくが俺は戦闘に参加しないぞ。お前達を下ろしたらさっさと退避するからな」


 31


「よう、トラ、久しぶりじゃねえか」先に着いていた鰐淵道勘わにぶちどうかんが笹伏親子に声をかける。戟を入れた袋を脇に立て掛け、座り込んでぐい呑片手に飲んでいる。

「景気づけにオマエも一杯やるか?良ければみっちゃんも一緒に」もうこの世で虎実をトラ呼ばわりするのは鰐淵だけだ。そして虎光は小さい頃叔父、甥の関係で付き合った頃がある。鰐淵の妻、早瀬が死んで山にこもってからは疎遠になっていた上、昌虎はともかく、昭虎あきとら、輝虎は生まれてもいなかった。笹伏親子は一概に苦い顔をし

「勘弁してくれ、これから大一番なんだ。お前みたいに呑んで得物振り回せる程器用じゃないぞ、ワニ」虎実がそれでも鰐淵の前に座る。

「輝虎はいい腕だぞ。今更返せと言われても、返さんからな。今回も活躍するぞ」

「それは無い。テルは置いてきた」

「アイツが引っ込んでるタマか?アノ巫女さんとボウズ、お努めの仲間なんだろ?必ず来るさ。それにしても、まあ年寄りばかりよく集めたな、若は。まあ、里で暇持て余しているジジババには退屈凌たいくつしのぎに丁度いい」


「白月、来ておったのか。どうじゃ、当主の椅子の座り心地は」鬼灯ヒイラギが葛城白月を見つける。

「おお、白月ちゃんや、べっぴんさんになったこと。どうじゃ、このジジが手を引いてやろうかのう」鬼灯眩一が下心見え見えで目を隠している白月に手を伸ばす。

「結構ですわ。こう見えても皆さん以上にモノは見えておりますの。それに当主の椅子を温めるには少々忙しすぎて」白月は伸ばしてきた眩一の手をはたく。

「仕事にかまけすぎると婚期を逃すぞえ」

「焦ってゲテモノを掴まされるよりマシですわ」

「フフフフフ」

「ホホホホホ」

「…女は怖いのう…」眩一が叩かれた手をさすりながらぼやく。


「本当に大丈夫?」バロンが心配そうに弥桜に声をかける。集結した里の面々には見知った顔も有ったが、皆緊張しているのか、声を掛けづらかった。偽装ドライブインの駐車場には篝火かがりびかれ、暗くなってきた周囲を照らす。

「始めます」蓋を開けた酒樽に弥桜は左手の親指の腹を小刀で切って自らの血を数滴垂らす。その後治癒の術を使い、止血する。

「これで鬼を呼べるんだ」

「母さんはそう言ってたわ。ただし来るのは鬼ばかりじゃないかも」弥桜はいつもと異なり、星辰の剣も龍神の腕輪も外し、寸鉄帯びずに神楽を舞い始める。鉄は鬼が嫌がるので外しておけとの雪桜の指示だった。


 ドライブインに続く道路をカップルを乗せたスポーツカーが走っていく。里の者の手で道路はふさいだのだが、障害物をどかして乗り入れたのだ。

「ねえ、大丈夫?暗くて怖いよ。行き止まりだったらどうするの?」助手席の女性は心配するが

「大丈夫だって、こんな時間工事なんてしてないって。こっちを通ったほうが近道なんだよ」男の方は平気平気とさらにスピードをあげて山道を進んでいく。封鎖ふうさされているせいで対向車も気にする必要が無い。しばらくするとバンッと屋根に何か落ちたような大きな音がする。落石かと驚き男はブレーキをかけるとフロントガラスに悪魔の様な顔が逆さに現れた。

「キャー」女が金切り声を上げる。男は訳がわからないまま、車の屋根に載ったモノを振り落とそうと蛇行するが、屋根の上に載った鬼は振り落とされるどころか車のボディを叩き始める。

「何なんだよ!いったい」車内はパニックになり女の悲鳴は止まらない。そして急に車のヘッドライトに何かが映し出され、避ける間もなく衝突する。


 二人を乗せたスポーツカーが衝突したのは巨大な鬼であった。20メートルはあろうかと思われる大きさだ。山が一つ動いているようにも見える。

 先刻から漂う、たぐいまれな血臭の混ざった酒の匂いと、美味うまそうな陽の気の気配につられて配下の鬼達と現れたが、スポーツカーから発する、けたたましい爆音で気が立っていた。鉄の車の中の人間はまずそうだったが、腹の足しにはなるだろう。巨大な鬼は考えた末、気絶していた女を引きずり出し口の中に放り込む。よりまずそうな男の方は小鬼どもにやろう。骨が砕け、すり潰されるおぞましい音共に、女の体液が口から溢れ出す。やはりまずかったが、昔食った人間の記憶より脂が乗っていたような気がする。

 助手席のドアを引きちぎった音で、男は意識を取り戻したが、かえって不幸だったかもしれない。男は車から転がり出ると周囲を見渡す。自慢の愛車の前方はひしゃげており、まだ点いていたヘッドライトに大きな柱のようなモノが二本映し出されている。

「なんでこんな物が…」男は柱の様なモノを仰いで見ていくと目の前に見覚えのある血と肉片の付いたワンピースが落ちてきた。

「ヒィィ…」男は立ち上がれぬまま、後退あとずさりする。理解が追いつかない。思い付くのはやはり通行止めを無視した為だろうかという事だけだった。しかし後退りもすぐに止る。生臭いケモノの様なモノにさえぎられたのだ。男は首根っこを掴まれ高々と持ち上げられると、両脇から現れた鬼に肩から両腕を引き抜かれる。

「!」あまりの痛みに声も出ない。その後次々と男の体はもぎ取られていくが、いつまで男の意識があったかはわからなかった。


 猫飼ハウスでハヤテは他の仲間と共に閉じこもっていた。

「リコ、ものすげーヤバいヤツが里の外まで来ているぜ。ココは大丈夫なのかよ?」

「この建物は何重にも結界を張って貰っているから大丈夫よ。それに若がやる気満々で鬼退治に行くって言ってたらしいからしばらくの辛抱よ」猫飼里弧ねこかいりこは相変わらずおっとりとしている。この凶の風が吹いている中で平然としていられるのは感じていないのか、大物なのかハヤテにはわからなかった。仲間達はハウスの中の思い思いの場所で縮こまっている。

 突然ノックがする。この建物は結界が張ってあるので变化へんげでさえ、玄関から招き入れなければ入れない。ハーブティーのカップを置いて里弧がドアを開けると、少女姿のペンタが立っていた。

「すまんが休ませてくれ。ミオやバロンは鬼退治に行ってしまった。ワシには鬼の陰の気が強すぎる」

「いらっしゃい、ペンタちゃん。里に来ていたのね。アラ、その勾玉どうしたの?良いモノ付けてるじゃない」

「…コレがどういうモノかわかるのか?」

「それは魔除けなんかを無効にするの。確かペンタちゃんのご主人、里で噂の巫女さんよね。彼女が魔除けや邪払いを行う時にあなたに影響が出なくなるの。敵が弱まる中、貴方は力を振るえるわよ。变化使いには垂涎のモノね。本当にどうしたの?」里弧は興味深そうに見ている。

「バロンの解呪に付き合って行った京都の山奥で、でっかい龍にミオがもらった。ワシ専用らしい」

「アラ、残念。こんないいモノ作れる人がいるなら、私もお願いしようと思ったのに。ところでペンタちゃんも龍に会ったの?」

「あいさつはしなかったがな。鬼も見たぞ」

「見たのかよ。どうだった?」ハヤテが口をはさむ。

「絵本の鬼より悪魔のイメージが強いな。アレはまずい。本当にまずい。付喪神程度なら吸い尽くせるが、鬼の気はワシがおかしくなりそうなくらい陰が濃い」

「そう、やっぱり若のお誘いお断りして正解だったわ」

「オレが言ったんだ。陰の気が濃いところでは正気を保てなくなるかもしれないって。な、俺の言った通りだったろ」

「そうね。私だってうちの可愛い子達を危険な目に合わせたくないもの。…ペンタちゃん、ゆっくりしていきなさい。お菓子食べる?」里弧には確認しなくても答えはわかっていたが一応声をかける。

「食べるぞ」


 32


 弥桜の神楽が終わり、一見使えそうにも見えなかった駐車場の照明が点灯し始める。最大光量ではナイターが出来そうだ。弥桜の血を注いだ酒樽の前に陣取り、床几に腰掛けた師条兄妹がいた。

「素晴らしい舞でしたわ。お兄様の言う通り。ビデオも見ましたが実際はもっと素晴らしかったですわ。私、ファンになりました」師条三春が珍しく興奮して弥桜の神楽を絶賛ぜっさんする。

「そうだろう。僕はあの神楽を里に招致しょうちしたいのさ」光明は場違いながら三春が喜んでいるのが嬉しいらしい。

「わかりました。私もできる限り神社建立に助力致します」三春がニッコリ微笑んでいると引き寄せられた訳ではないだろうが、真田龍光が近寄ってくる。

「光明さん、偵察の猟犬から報告が入りました」真田竜秀は事務局詰めなので現場は息子の龍光が取り仕切っている。

「どうだ?」光明としては弥桜の神楽を間近に見られ、三春にも見せる事が出来、満足であったが本来の鬼寄せについてどの程度の効果が有るかは未知数であった。

「予想以上の効果の様です。…例の本命がいるとの報告が入りました。阻止線そしせんを無視した乗用車が襲われて男女が犠牲になった様です。鬼の群れがこのままこちらに進めば10分程で到着するとの事です」

「どのくらいの客数かな?こちらのもてなしで足りるかな?」

「報告されている数では十分に対応可能かと思いますが…」

「何か気になる事が有るのかい?」

「こちらに富士林がいます。不確定要素となりましょう」

「そうかい。逆に勝利に確信が持てそうだよ。笹伏サンと凰サン呼んできてくれないか」


「若、姫様、この度は…」虎実があいさつをしようとしたが

「ああ、堅苦しいあいさつは抜きにしよう。時間が惜しいし、来てくれただけでも感謝しているよ。話は他でもない、アレが来る」笹伏と凰は代々、師条家の両腕と言われている。鬼についても伝承を共有している。

「まさか百鬼の残りですか」茜が確認する。伝承は代々伝えられているが長老会のメンバーと言えど鬼を見たものは当代にはいなかった。もちろん自分の代で現れるとも思っていなかったが

「そうとなれば一番槍はこの武蔵にお申し付け下さい」武蔵は虎実の号だ。

「いえ、嚆矢こうしはこの安芸あきにお任せ下さい」安芸は茜が拝領した号だ。

「うーん、どっちにも決めかねるから早いものがちで」

「若!」あまりの事に龍光が口を出す。

「わかりました。凰殿、息子は取られそうですが手柄は遅れを取りませんぞ」

「あら、お年寄り方は後ろでゆっくりご覧になっていてよろしいのよ。私、欲張りな女なもので、輝虎さんも戦果も手に入れたいのですもの」茜が言い終わると同時に道路際からどよめきが湧き上がる。

「若、来たようです。それでは後ほど」虎実が身をひるがえし虎光に預けていた槍、轟天ごうてんを受け取る。笹伏親子は鬼を迎え撃つため走り出す。

「では私も」茜が光明の前を立ち去り、予め準備しておいた射座に向かう。そこには龍成が待っている。

「バロン君と弥桜君は下がらせたかな?」光明が龍光に二人の退避を確認する。

「ええ、ご指示通り、特等席に案内しましたよ」


「いいのかなぁ」弥桜は神楽を舞い終わり、バロンと共に待つように言われたドライブインの建物の中にいた。中は擬装ぎそうされた外観と違いキレイに使われているようだった。今は食堂のテーブルについて二人で呑気のんきにお茶を前にしている。

「大丈夫だよ。里の手練てだれが集結してるんだよ。もう僕達の出番なんてないさ。それに疲れたでしょ。ここで大人しく応援していよう。僕は弥桜ちゃんに何か有ったら困るよ」バロンは念の為に龍神の剣をたずさえていたが、今日はもう使う事は無いだろうと思っていた。

「バロン君…」弥桜は戦闘に参加しない事に多少の後ろめたさを感じないでもなかったが、バロンと二人だけの時間を過ごせるのが嬉しかった。しかしのんびりできたのもつかの間、バリバリと駐車場側と反対の裏側から破砕音がする。

「「エエッ?」」二人は顔を見合わせる。

「「鬼だぁ」」壁から不潔な太い腕が生える。


 道路を進んで来た鬼の群れは、なだれを打って襲いかかってきた。警備に当たっていた猟犬部隊の隊員は予め打ち合わせた通り、強化樹脂製のシールドを使い、身を守るのを優先しながら下がる。その為、前回の遭遇の様に犠牲者は出なかった。そこへ後方から笹伏親子が突進する。虎実の剛槍、轟天と虎光の震天しんてんうなりを上げる。最初に突かれた鬼達はあまりの勢いに引きちぎられる。

「やるじゃないか。学校で腕がなまってないか心配してたんだぞ」虎実が槍を振り回しながら息子に声をかける。

「オヤジこそテルに遅れを取るようじゃ引退かと思ったぞ」親子の槍は小山の様な鬼達を打ちのめしていく。

「オヤジ、危ない!」小型の鬼が虎実が対峙している鬼を飛び越え、上空から襲いかかる。しかし小槍のような矢に射抜かれ絶命する。振り向くと茜が弓を構えている。虎光が少々手こずっていた鬼の額にも矢が生える。

「さすが、凰の」虎実がしぶしぶながらも褒める。笹伏親子の周囲にも猟犬部隊を始め、光明に召喚された里の猛者達が進出して来る。


「あなた、周囲の警戒をしてちょうだい。一方に気を取られていると予想外の方向から奇襲されるわ。まだ本命も見えて無いようだし」茜は伝承に聞く鬼の実力がこの程度のものとは思っていなかった。それに報告が有ったという百鬼の生き残りも現れていない。ザコにかまけてはいられないのだ。龍成は妻の安全を最優先に周囲に気を配る。接近戦を得意とする龍成にとっては、この場所では茜の補助しかする事はなかったが、出番が無いのが一番だともわかっていた。しかし、夕姫の言っていた事も気になった。あの子の事だから来ると言ったら来るだろうが、まだ姿を見ていない。トラブルに巻き込まれていないと良いがと龍成は思った。


 33


「弥桜ちゃん、ここを離れよう!光明さんの近くならきっと安全だ!」龍神の剣を振るい、鬼の腕をニ、三本切り落としたバロンだったが、一度見た鬼の実力に自分一人では敵わないと思い、弥桜の手を引き、出口に向かう。その間にも壁を突き破り、裏から回ってきた鬼が続々とドライブインの建屋に押し入って来る。すると猟犬部隊に似ているが、少し毛色の変わった黒い戦闘服を着た者達が現れ、鬼に対峙する。

「早くしろ、駐車場の中央に行け」その中のリーダーの様な男がバロン達に叫ぶ。しかし、その手には槍も刀も持っていない。バロンは心配になったがそれには及ばないようだった。その部隊の者達は器用に立ち回り、隠し持っていたダガーで人体における急所へ刃先を潜り込ませる。みぞおち、脇の下、腎臓など、バロンでもエグいと思うような場所ばかり狙っている。人型の鬼にとってもそういった個所は急所らしく、うろたえたところをのど笛を掻き切るといった攻撃をしており、必ず鬼一体に対し三人以上で対処している。

 鬼の奇襲をかいくぐり、駐車場に出たバロンと弥桜だったが、とたんに目の前でドライブインのガラスが砕け飛ぶ。

「キャアー!」弥桜が悲鳴をあげる。とっさにバロンは弥桜をガラスの破片からかばう。

「ニンゲンノオンナ、ヒキツブス。ヒキツブシテクウ」歪な姿の鬼が割れたガラス枠ごと駐車場に出て、大玉状に変型する。バロンは逃げながら、ああいうおもちゃあったなぁと頭の片隅で思った。鬼の大玉は2メートル近くあったが、意外に機敏に転がってバロン達をき潰そうと向かってくる。あわやという所で左へ体を投げ出し、難を逃れる。しかし、弥桜を連れて何度もこのような回避は続けられない。

 バロンと弥桜の脳裏にマンガの様にヒラヒラと真っ平らになった二人の姿がよぎったが、現実ではあのようにキレイには潰れないし、ましてや食われる訳にもいかない。

 大玉は10メートル程、行き過ぎると一旦鬼の姿に戻り、方向転換をする。どうやら鬼にとって前転をしている様だ。鬼は再び弥桜に狙いを付けて大玉になる。バロンはいっそ建屋に戻ろうかと思うが、間に合いそうにない。恐怖の大玉が転がり始める。しかし、すんでのところで横槍ならぬ、横戟が入ってくれた。

「ヨウ、色男、いつもウチのバカ弟子が世話になっててスマンな。手を貸そうか?」鰐淵道勘である。回転しているところを横から突かれ、バランスを崩した鬼は大玉を維持できずに情けない格好で倒れていた。

「貴方が輝虎君のお師匠さんですか?」見れば確かに輝虎の得物に似た戟を肩に掛けている。先程食堂に入る時に入口の脇で酒瓶を置いて飲んでいる姿を見ていたが、まさか酔っぱらいの親爺オヤジが輝虎の師とは夢にも思わなかった。

「そうだ。そっちのお嬢ちゃんには酒のさかなに良いものを見せてもらった。代わりと言っちゃあなんだが、この老いぼれも少々舞ってみせよう」鰐淵はとても酔っぱらいとは思えない足取りで鬼に向かう。邪魔が入ったことで大玉鬼は激怒していた。

「ツブス!ツブス!キサマ、イヌノエサダ!」立ち上がった鬼は地団駄を踏む。

「そのセリフそのまま返すぜ。オレはな、今日は最高に機嫌がいいんだ。手加減出来そうも無いから覚悟しな」鰐淵は愛用の戟、蒼鯱あおしゃちを鬼に向ける。その後の戟捌きにバロンと弥桜は状況も忘れ、見入ってしまう。


 光明は背後のドライブインの建屋から鬼が現れた事に気付くが、すぐに鰐淵をみとめ、様子を見る事にした。

「三春、またスゴイものが見られそうだよ。僕もそうだけど、鰐淵師の技を見たことが無いだろう?」

「はい、お兄様。噂では当代最強の一人とうかがっておりますが、先程からお飲みになっていらしたようです。大丈夫なのですか?」

「彼はその程度では鬼相手でも遅れは取らないさ。アレは潤滑剤じゅんかつざいだね。ご覧」


 流れるように繰り出す鰐淵の戟は、相当硬そうだった大玉鬼の外皮を物ともせず、まるで機械に放り込んだ様にさいの目切りにしていった。同じ型で振り回しているのはバロンにもわかったが、輝虎の戟は瀑布のよう、鰐淵の戟はせせらぎのようだった。まるでムダを感じず、穂先がきらめくと、あっという間に挽肉ひきにくの山が出来た。

「スゴイ、スゴイ!」弥桜は目を丸くして手を叩く。春季祭で輝虎の演武えんぶを手放しでほめたが、これに比べると確かに荒削りだったかもしれない。

「…テレるぜ、お嬢ちゃん…」鰐淵は背後から迫って来た手の長い鬼を振り向きもせず、戟で首を切り離す。


「本当に素晴らしいです。里にあのような方がいらしたのですね。…お兄様とどちらが強いかしら?」三春がいたずらっぽく光明を見る。

「さあ、三春が応援してくれなかったら勝てる自信ないな」ドライブインの周辺では鬼との戦闘が続いているが、光明にはまだ冗談を言える余裕が有った。

「しかし、弥桜君の神楽はスゴイな。これほどの鬼が世間にはひそんでいたとは。時々、大掃除の為にお願いできないかな。だいぶ世の中スッキリするし、里の者達の演習にもなる…そろそろか」光明は星々が輝く天を仰ぐが、それをさえぎる大きなモノが目の前に落下してくる。師条兄妹の脇には掛け台に大太刀の百鬼丸、たいが立て掛けてある。三春が帯に手を伸ばそうとすると、光明が制止し

「三春まで手を出す程じゃない。今回は僕に任せてくれ」光明の言葉が終わると同時に駐車場の路面に大きなクレーターを作り、巨大な鬼が着地した。光明は飛来するガレキを三春からかばうように立つが何故か光明にもガレキは届かず、寸前で落ちる。爆風がおさまり、里の者達が状況を把握するとあまりの鬼の大きさに呆気あっけにとられる。

「オイ、ウソだろ!こんなサイズ、戦車やヘリが欲しいくらいだ。光明は知ってたのか?」鬼の第一波を父と共に下した虎光が叫ぶ。


 34


「…随分大きいなぁ。桃太郎でもしり込みしそうだ。光明さん、どうするのかなぁ」鰐淵が倒した鬼達の痙攣けいれんが止まっておらず、弥桜の意見で龍神の剣の焔で焼却していたバロンが巨大鬼を見上げる。弥桜は巨大鬼が来た事で酷い不快感に襲われ、小刻みに震えていたが、歯を食いしばり耐えていた。

 ドライブインの建屋からあふれ出てきた鬼と、別方向から来た鬼達が合流して新たな前線が発生してしまう。鰐淵と黒い戦闘服の男たちが奮戦しているが鬼達の数が多く、押され気味に成り始めていた。

猿走さばしり、応援を呼んでくれ。さすがにさばき切れん」鰐淵は黒い戦闘服のリーダー、猿走銀雲さばしりてつうんに依頼する。黒い戦闘服の集団は通称軒猿のきざると呼ばれており、猟犬部隊と仲が悪い。真田家直轄ちょっかつな事や、汚れ仕事にいている事もあり、里では敬遠されている。猿走はドライブインを見渡すが呼んで来れそう余剰よじょう戦力は無さそうだった。

「鰐淵師、きびしそうです。…しかし、このままではジリ貧だ」足の長い鬼の、のど笛を掻き切りながら苦々しく吐き出す。このままではバロン達の方にまで鬼達の手が伸びる。弥桜が鬼達の狙いだとは判っており、真田の若殿、龍光にも二人の護衛を任されている。たとえ軒猿部隊が全滅しても二人は死守しなければならない。しかし爪の長いボディビルダーの様な体格の鬼がバロン達に襲いかかる。しかしそこへ颶風ぐふうが割って入る。

 大木の様な鬼の胴はキレイな断面をさらして真っ二つになる。上半身に付いた顔は何が起こったか理解出来ていないまま地に落ちる。下半身は立ったままだったが遅れてひざを着く。

「テトラ!ありがとう。助かったよ」バロンが駆け付けた輝虎に礼を言う。輝虎は雲龍の戟の切れ味に満足しながら

「バロン、勝手に先に行くなよ。俺達チームだろ」輝虎は新たな獲物を求めて鬼の群れに向かっていく。

「おせえぞ、バカ弟子。ちっとは師匠をいたわれ」輝虎の勢いに乗った宝戟の攻撃に感心しつつも、鰐淵の性格からしてイヤミの一つも言いたい。

「どうです?御老体はバロン達と後ろで見物していては」輝虎は鬼達をで斬りにしながら鰐淵にやり返す。戦局は輝虎の参入であっという間に逆転し、軒猿部隊は掃討戦そうとうせんを始める。

「弟子の好意には甘んじたいが、そろそろ本命をどうにかせんとな」鰐淵が駐車場中央部に降り立った巨大鬼を睨む。


「…なんて大きさなの?いくら崩山丸ほうざんまると言えどあの厚みでは…」凰茜が弱音を吐く。天をつくような巨大鬼は用意していた酒樽をまるでぐい呑のように悠々とあおっている。それが突然よろける。

「母さん、やっぱり歳なんじゃない?妹作るのは諦めたほうが良いよ」夕姫が蝙蝠丸かわほりまるを構え、邪払じゃばらいの矢を構えている。狙いは膝だ。格闘でも体重の多い大男への攻撃は膝が定石セオリーだ。

「夕姫、なんで来たの?」死をも覚悟して参戦した戦場に突如現れた愛娘に茜は驚く。

「僕は止めたんだけど、君と同じで夕姫が言う事を聞くと思うかい?」龍成が弁解する。

「友達が戦場に向かうのに黙って見送る程、器用に育てられてないもの。でも遅くなったわねぇ」バロン達の方は輝虎に任せておけば大丈夫だ。小さめの牛頭ごずを複数相手にしているようにも感じるが、今の輝虎なら大丈夫だ。夕姫は信頼している。

「あら、そのげん凄くない?」夕姫がやや小ぶりの蝙蝠丸で自分よりも強力な矢を放っているのを見て、輝く見事な弦に気が付いた。

「京都土産よ。断わっておくけど私専用よ。私が引かないとただの漢方薬になるって」夕姫と茜は話しながらも次々と巨大鬼の膝目掛けて矢を射掛け続け、ついに酒樽から手を放させる。とうとうこちらに鬼の注意が向く。


「三春はバロン君達の元へ。タツ、頼んだ」光明は龍光に三春を任せ、自身は百鬼丸のさやを外す。百鬼丸は前回と異なり、しのぎが赤く脈動するように光る。まるで目の前の巨大鬼を早く斬れと急かしているようだ。

「そうか、お前もあの程度の鬼では満足出来無かった様だな。…あの威容いよう、言い伝えに聞く富嶽童子ふがくどうじだな」太刀守の一族に伝承される富嶽童子は百鬼の中でもひときわ大きな体格を持ち、その巨体に関わらず臆病おくびょうかつ狡猾こうかつと言われている。この人間社会の闇に隠れて生き延びてこられただけでも奇跡だが、とうとう弥桜に引きずり出されてしまったようだ。

「さて、招待主ホストとしてはどんなおもてなしをすれば良いかな?食前酒には手を付けたようだし…こういうのはどうだろう」光明はさかんに膝に射掛ける凰母娘に振り向いた富嶽童子の巨体を駆け上がり、百鬼丸でのど笛に切りつけようとするが、すんでのところ右腕が割って入る。巨体としては驚くべき速度だった。光明は落下しながらその巨大な胴を縦に斬り下がるが、斬られた直後から傷口がふさがっていく。右腕も斬り落とす程の斬撃だった筈だが、すでに傷跡も無い。


 35


「さすが鬼の王、あの程度の斬り方では跡も残らないか」着地した光明はあまり残念そうでは無く、むしろ強敵と会えた事を嬉しがっているように見えた。

「フム、凰家の攻撃も一時的なダメージしか与えられないか」凰母娘の弓箭きゅうせんは確かに見事、富嶽童子の膝をとらえているが、膝の肉をえぐってもすぐに再生してしまっている。これでは他の鬼を仕留めてもらった方が効率が良い。光明は手を振って茜に合図を送り、他を掃討してもらう事にした。その頭上から富嶽童子の足裏が降ってくる。光明を踏み潰そうとする富嶽童子ではあったが、かわされてしまう。再び路面のガレキが舞う。


「あ~あ、もったいない」富嶽童子が暴れたせいで残った酒樽がガレキまみれになる。鰐淵は残念そうに言う。

「…アレ、私の血が入ってますよ。飲みたかったんですか?」弥桜が軽蔑けいべつする様な目で鰐淵を見る。

「いんや、ただ酒を大事に出来んヤツは許せねえだけだ」

「ああっ、京都のお土産、もう飲んじゃったんですか?」輝虎が鰐淵の左手に下げられた酒瓶を見て指摘する。

「バカ、オマエ、これは祝い酒だ。オレの人生に意味が有ったとわかったな。しかし酒飲みとして許せねえ。ちっときゅうをすえてこよう」鰐淵は酒瓶をあおり、最後の一滴まで飲み干すと富嶽童子に向かっていく。軒猿部隊と輝虎が相手にしていた鬼達で立っているものはすでにいない。ほとんどがバロンの緑色の焔に包まれているか灰になっている。

「師匠、お供します」輝虎が鰐淵を追う。


「美味い酒がダメになってしもうたわい」弥桜の血が入った酒を本当に飲んでいる人間がいた。鬼灯眩一である。酒樽からかすめ取った酒を大きな酒盃さかずきで飲んでいたが、富嶽童子が巻き上げたガレキや土煙つちけむりで台無しになってしまった。

「おヌシ、この状況でよくそんなものを飲めるのう。さっさとあのデカブツと刺し違えてこんか」ヒイラギは手厳しい事を言う。

「なにおぅ、美少女の生き血入の酒など、なかなか飲めんぞ」

「ジジ様、最低です。女の敵ですね。さあ、あの鬼と一緒に自爆して下さい」葛城白月はニッコリしながら酷い事を言う。眩一の味方はいないようだ。

「…しゃーない、酒の恨みを晴らしてこようか」やれやれと立ち上がり富嶽童子にしぶしぶ歩んで行く。


 笹伏親子は猟犬部隊と共に鬼の群れの主力を撃破していた。大分片付いてきたが

「…親父、アレだ」虎光が指し示す先には鬼にしては小柄なシルエットが有った。半分鬼だ。しかし、半分鬼は人間に襲いかかる事はせず、まだ痙攣をしている同族に食らい付く。最初から鬼に好意など抱けないが、吐き気を催す光景であった。しかし、それで力を取り戻したのか、取り込んだのか、失った角が再生する。それにつれ半分女性、半分鬼のバランスに欠く躰も変化していく。

 それは混ざり合った結果なのか、女性型の鬼だった。印象としては女悪魔というのが強い。失った右腕は再生し切れないのか、大きな鉤爪が一本生えている。

「鬼め、敵を取らせてもらうぞ」猟犬部隊の男が女鬼に槍で突きかかる。

「よせ!危険だ!」虎光は叫ぶが間に合わず、今まで相手をしていた鬼達と段違いの速度で動いた女鬼の鉤爪で男は槍を構えたまま、腹を突き破られる。

「トシ!」門下生でもあった男の死を虎実は目の当たりにする。

「親父、みんなを下がらせろ。俺がやる」虎光は父にそう叫び女鬼に向かっていく。女の姿とはいえ、その体長は3メートルを優に超す。虎光も自信が有って立ち向かった訳では無い。最初は光明達と三人掛かりであった。輸送時の脱走は蘇生そせい直後の上、弥桜の鈴の音があった。内心、単独では不安が有ったが、これ以上犠牲者が出るのを見ていられなかった。輸送隊を守れなかった後悔も有る。

「行くぞ、震天」虎光は愛槍を握り締め、全速で女鬼に突撃する。慢心まんしんはしないが一撃で決める覚悟の突進だ。


 凰茜は撃ち方を止める。どうやら巨大鬼はキズを圧倒的な速度で回復する様だ。光明が仕掛けるようなので攻撃を一旦控える。母娘で与えた膝のキズもすぐに回復されてしまったようだ。

「茜、夕姫、気を付けろ…」黒子に徹していた龍成が注意をうながす。振り返るとどこから現れたのだろう、猿に似た三体の小型の鬼が龍成に牽制けんせいされて飛びかかる為に構えているようだ。龍成は太刀と小太刀を構えている。一斉に飛び掛られれば龍成の身が危ないやもしれない。

 母娘は矢をつがえ直し、構える。3対3、一人一殺だが、相手もそう考えているかもしれない。

 凰親子の背後で富嶽童子が光明を踏みつけようとし、路面を踏み抜く。それを合図に小鬼達が飛び掛かる。小鬼達は地面を蹴ると球状に変型し、さながら弾丸の様に龍成に襲いかかる。すかさず茜と夕姫が射掛ける。

 茜の放った矢は一体に当たるが、外皮が厚く回転がかかっている為はじき飛ばされる。かろうじて龍成への軌道をらせられた。

 夕姫の放った矢はバロンと龍の髭の効果で一体を射抜く。小鬼はもんどり打って地面に転がる。残る一体は龍成に達する。龍成は横薙ぎに太刀を振るうが、小鬼は器用にそれをかいくぐり、龍成の腹部を襲う。とっさに左手の小太刀で受けるが、小鬼が変型し細長い爪で龍成の腹部を切り裂く。里謹製の戦闘服を着込んでいた為、かろうじて皮一枚程度で助かった。しかし畳み掛けるように体制を立て直した茜が射た小鬼が再び襲いかかる。

「父さん!」夕姫が小鬼を狙うが、今度は龍成の影で狙えない。茜も牽制で矢を放ったが、小鬼を意にも介さない。

「…舐められたものだな」龍成は後から襲ってきた小鬼を太刀で真っ二つにする。真田仕込の剣が冴えわたる。

「あの子達の稽古をつけてなければ危なかったかもしれないな」夕姫の妹達に剣術を仕込んだのは龍成だ。トリッキーな動きに対応出来たのは三雀の相手をして目が慣れていたせいだった。

 残る一体が龍成に襲いかかろうと飛び上がるが

「いい加減にして」夕姫が龍成の前に立ち、ゼロ距離射撃で撃ち抜く。夕姫も妹達に振り回された事を思い出してしまい、八つ当たり気味に怒りを鬼に向けたのだ。

「…夕姫、ストレスが溜まっていたのねぇ。さあ、後はあの大物をどうするかね」茜が富嶽童子を見上げる。


 36


 富嶽童子の足元では鬼灯眩一、ヒイラギ達が火炎と氷柱つらら等で攻撃を仕掛けていたが対象物が大き過ぎて効果が得られない。

「ここはやはりおヌシがあのデカブツに張り付いて自爆かのう」ヒイラギが無茶を言う。

「…どうしてもワシを殺したいようだのう。その殺意をデカブツに向けてくれ」眩一が火球を連続して放つが、富嶽童子は巨体に似合わず素早い動きで交わしていく。数発命中しても、火の粉を払うようにされ効果が出ていない。ヒイラギの氷柱もそうだった。

 蹴りや踏みがくるので若狭や丹後達、鬼灯一門は後方で支援の攻撃をしているが、もともと威力が祖父母よりも低い上に距離が有るので効果は当てにできない。

「どうしたものかのう?」鬼灯一門も富嶽童子の大きさに攻めあぐねる。


「若、加勢しますぜ」鰐淵が光明に声をかける。

「うーん、気持ちは嬉しいんだが、僕も持て余し気味なんだ。どうしたものかな」

「この戟で突いてみましょうか?」輝虎が雲龍の戟をみせる。

「足元に行くだけで危ないよ。なんとか足止めだけでもできればなぁ」光明は難色を示す。


「お兄様、大丈夫かしら」バロン達と合流した三春が光明を心配する。

「光明さんに心配はいらないと思います」護衛としてついている龍光がなぐさめる。

「…バロン君、私やってみる」弥桜が何かを決意する。

「やってみるって?」突然の提案に驚くバロンだったが、弥桜は構わず支度を始める。バロンに預けていたケースから鬼寄せの妨げになるのでしまっていた龍神の腕輪と星辰の剣を取り出す。


 里から離れた白桜神社では弥桜の母親、雪桜ゆきおがなにかに気付き社務所から飛び出す。

「…やっぱり…」雪桜が拝殿を見ると締めたはずの扉が開いている。鍵は外からかけたが、習わしとして内側からは開く様になっている。確認の為、雪桜が見に行くと拝殿の奥の本殿に繋がる扉も開いていた。こちらは通常開けることも無い。それが開いているという事は

「…弥桜に何か有ったのかしら?」


 腕輪をし、星辰の剣を捧げ持った弥桜は何かに祈るように精神集中していた。富嶽童子の狙いが弥桜だと知っているバロンは止めようと

「弥桜ちゃん…」声を掛けようとするが三春に止められる。三春は無言で首を振る。この状況で弥桜のする事が必要だとわかっているのだ。

 やおら星辰の剣を握り直した弥桜は神楽を舞い始める。何度も弥桜の舞いを見る機会が有ったバロンだったが初めて見る型だった。いつもの流麗なものと異なり、雄壮に見える舞だ。それに弥桜の様子がおかしい。

「…トランス状態ですね」三春が口にするが、確かに取りかれた様に雰囲気まで異なる。鬼伏せの効果はすぐに現れた。


「グワァー!」女顔の口から苦鳴が上がる。虎光の渾身こんしんの突撃を躱された後、一進一退の攻防を繰り広げていたが、ここに来て救いの手が差し伸べられた。もう一度、弥桜の鬼伏せが行われたのだ。虎光の耳には鈴の音は聞こえなかったが、鬼の苦しみ様から確信した。

 この機を逃さず虎光は女鬼の頭部を狙う。狙い違わず再生した右角を砕く。鬼はさらに苦しみ出すが躊躇ちゅうちょせず胸の中央目がけて全力の突きを繰り出す。虎光の人生でも最高の一撃だった。見事心臓をとらえ、鬼は絶命する。

「…仇は取ったぞ」虎光も胸のつかえがやっと取り除けたようだった。振り返ると巨大な鬼も頭を押さえ苦しみもだえていた。


「物凄い力が行使されていますね。私の視力もホワイトアウトしてしまっています」若狭達と後ろに下がっていた白月だが、弥桜の鬼伏せの力に視る力がくらんでしまっている。

「これは…神降ろしですね。現代にここまで出来るかんなぎがいるとは…」感受性が高い分、白月は辛そうだ。

「…吉野さんのファンがまた増えそうだな」丹後が複雑な表情でもらす。弥桜からは遠いがその神楽が見えない程では無い。この状況での堂々たるその舞には憧れる。

「…ライバルは多くなるわねぇ」掩護射撃を指示している若狭が弟をからかう。丹後が弥桜に気が有るのはわかっている。女性の若狭から見ても弥桜はうらやましいと思う。若狭は自分に可愛げがないのは自覚している。


 神楽が絶頂に達し、弥桜は星辰の剣の切先で富嶽童子を指し示す。とたんに富嶽童子の腹部辺りから白光がほとばしり、激痛に咆哮ほうこうする。


「…アレは神便鬼毒酒じんべんきどくしゅみたいな?その為にお酒に血を混ぜたの?」白月はその秘技に驚嘆きょうたんする。


「ぐわぁーっ!とはいかんぞ」酒樽の酒を盗み飲んだ鬼灯眩一が、かかと笑う。

「なんじゃ、くたばると思うたのに」ヒイラギが残念そうに吐き捨てる。

「そこまでワシも邪悪じゃなかろう」そう言った眩一だったが、後で酷い下痢に悩ませられ、ヒイラギや孫達に白い目で見られる。


「好機だ、テル、左のアキレス腱を狙え。オレは右を斬る」苦しみ、攻撃が止んでいる富嶽童子を観て、鰐淵は輝虎に同時攻撃を指示する。確かに鬼の再生能力は高いが一瞬ではキズも癒着ゆちゃくしない。一旦傷口が開けばなおさらだ。アキレス腱には鬼の体重がかかっている。ここを斬れば膝を着かせる事が出来るやもしれない。

「わかりました、師匠!」輝虎は抜群の切れ味をほこる、雲龍の戟を構え直し、鰐淵のタイミングに合わせ、富嶽童子のカカトに斬りつける。形容し難いブチンというブキミな音を発し、富嶽童子の両アキレス腱が切断される。


 富嶽童子が竜宮流師弟の機転でバランスを崩す。つまずいた様に前のめりに倒れていく。

「百鬼丸、出番だ」待ち切れないとばかりに真っ赤に輝く百鬼丸を携えた光明が、態勢を崩しくびを晒した富嶽童子を跳び上がって斬首する。富嶽童子の首は中に舞い、これ以上ない位に見開いた目で弥桜をにらみつけ、彼女目がけて落ちていく。首をはねられた酒呑童子しゅてんどうじ源頼光みなもとのらいこうに喰らいついた様に弥桜に迫る。

「危ない!弥桜ちゃん!…龍神よ、僕に力を…」不知火城で龍神の剣の力を調節する訓練を滞在中のわずかな時間、丹後にアドバイス(という名のシゴキ)を受け、行っていたバロンだったが、この瞬間だけは全力以上で振り抜いた。

『相わかった』天を震わす声と共に突然龍神の剣から吹き出す焔が膨れ上がり、龍の形を成し、富嶽童子の首をくわえ、呑み込んでしまう。


「…これ以上は…もうダメ…」白月は立ちくらみの様にフラついて気絶する。慌てて丹後が支える。弥桜の神降ろしと龍神の出現により、白月は許容量を超えてしまったらしい。

「…意外とキレイなんだな」受け止めた白月の端正たんせいな顔を間近で見た丹後がもらす。

「…はー…」気が多い弟にあきれてため息をつく若狭だった。


 バロンは倒れてくる富嶽童子の躰から弥桜をかばおうとするが、彼女は切先を鬼に向けたまま微動だにしない。ついに富嶽童子の首無しの躰が倒れきり、伸びた右腕が二人の真横に落ちた。あわや潰されるところだった。

 それを合図に弥桜は剣を下ろし、くたりとなってしまう。こんな時にとは思うがその躰の柔らかさにバロンはどぎまぎする。

「弥桜ちゃん!大丈夫?」バロンは呼びかけるが

「…うーん、バロン君、これ以上はダメよぉ…」気の抜ける寝言が出た。

「…うん、いつもの弥桜ちゃんだ…」なんで聞いて恥ずかしくなる様な寝言が多いんだろう。これでは誤解を生みそうだとバロンは思うが、とりあえず安心した。

「…お疲れなのでしょう。あれだけ魂のこもった神楽を二曲も舞ったのですから。…アサガオさん」三春が笑いをみ殺しながら犬神の妹を呼ぶ。

「…お呼びでしょうか?」忽然こつぜんとアサガオが現れる。

「うわっ!今までどこにいたんですか?」

「最初から三春様のそばにいましたよ。…それで兄を呼べばよろしいでしょうか?」非常に嫌そうな顔をする。

「お嫌ですか?」三春が申し訳なさそうな顔で尋ねる。

「…いえ、仕事ですから。…もしもし、会場に来てください。状況は終了しました。吉野さんが動けません。迎えに来てください」

『…お前、花子だろ?バロンから聞いたぞ、アサガオなんて名乗って真田屋敷に出入りしてるって。なに…』アサガオこと犬神花子は表情も変えず電話を切った。

「…間もなく来るでしょう。やる事だけは早いですから」


 37


 上空には雲龍が未だに留まり、光明と向かい合っていた。

『我に引き寄せられた魔が原因で随分と迷惑がかかってしまったな。しかしこれで後顧こうこうれい無く、今度こそ天に還ろう』

「お気遣いなく。鬼の討滅は我が一族の宿願。為すべきことをやった迄です」

『そうか、赤き王の末裔まつえいにして新しき王の父祖となる者よ。天に座す我らが竜王からの伝言だ。間もなく赤き王が降臨こうりんする。備えるが良い、と伝えよとの事だ。それからこれを預かっている』雲龍は光明の手の中に光るものを落とす。

「これは?」バロン達が貰った物と比べると余りに小さい。赤い石の入った金色の指輪だ。

『王の赫眼だ。貴殿の大切な者に渡すが良い。しかと渡したぞ』そう言い残し、雲龍は中に霧散する。

「…そうか、僕のやっている事は間違ってなさそうだな」光明は指輪を眺めながらつぶやく。


『竜王からの慰労いろうの品だ』そんな声と共に鰐淵の腕の中に陶製の瓢箪ひょうたんが落ちてきた。雲龍が消える瞬間だ。鰐淵が振ると水音がする。栓を抜いて匂いを嗅ぎ、一気にあおる。

「師匠!大丈夫ですか?」正体不明のものを嚥下えんかする鰐淵を慌てて心配する輝虎だったが

「ウメェーッ!…こんなに美味い酒は初めてだ。…なんだ、もう終わりかよ?能書きが貼ってあるな?なになに、これは鰐淵道勘専用です。毎日、一口の酒が湧き出します。酒も含め譲渡じょうとは出来ません。悪用すれば効果は無くなります。疲労回復、滋養強壮じようきょうそうに効果があります。用法、容量を守って正しくお使いください?…クスリかよ!…まあ、不自由だが死ぬまで毎日極上の酒が飲めるワケだ。こりゃー良いモノを貰った」鰐淵はゴキゲンで瓢箪をでる。輝虎は呆れたが雲龍は最も最適な贈り物を寄越したのだと思った。一口というのがイカしている。飲み過ぎないし、また明日も飲みたくなる。もう死に場所等とは言い出さないと良いが。


「…もういい加減疲れ切った…早く帰ってお風呂に浸かりたい…とんだゴールデンウィークだったわ」夕姫が蝙蝠丸を畳みながらつぶやく。後は掃討役の猟犬部隊が警戒に当たるだろう。犬神のバンが入って来たのでそちらに乗ろうかと思ったが、たまには親子三人で帰るのも悪くない。紅達がいないというのは本当に久しぶりだ。

「さて、無事生き残った事だし、父さんにはアノ話を聞かせてもらわなくちゃ」

「アノ話って?」茜が首をかしげる。

「…ママとの馴れ初め…」さっきまでカッコ良かった龍成がとたんに情けない顔をする。

「若い頃のパパ、物凄いカッコ良かったのよ。今もステキだけれど」茜が龍成をのろける。

「その辺りは良いの。いかにして真田龍成は未成年、それも高校生、凰茜に手を出したのか、それを聞きたいの。私の出生の秘密、残らず話してもらうわよ」


 凰邸に戻った夕姫達は、家の惨状を目の当たりにする。凰親子は決して、してはいけない事をしてしまったのだ。そう、三雀を監視無しで放置するという重大なミスを。

「あんた達!一体全体どこをどうすればこんなになるの!」夕姫が金切り声をあげる。富嶽童子の方がまだタチがいい。

「あらあら、まあ大変」茜は驚くが声を荒らげない。彼女達が見たのは京都のお土産を手当り次第広げてむさぼっていた三雀だった。包装紙は引き剥がして放り出され、食べ終わった箱はところ構わず打ち捨ててあった。知らなければ空き巣に入られたのかと思うところだ。

「…整列!」龍成が叫ぶ。とたんに三雀は飛び上がり、龍成の前に整列する。

「お前たち、どうしたら良いかわかっているな」

「「「ごめんなさい」」」三雀は殊勝しゅしょうに謝る。

「お客さんがいるんだ。3分で片付けなさい」龍成は決して怒らず、しかし決然と三つ子達に言い聞かせる。

「「「はい。パパ」」」紅、瑠璃、翡翠は散開してゴミをかき集め、袋に入れていく。

「…さすが父さん、若い娘の扱いに手なれてる」まったく言う事を聞かなかった妹達が龍成の指示に従うところを見て、夕姫はイヤミの一つも言いたくなった。

「…トゲのある言い方だなぁ」龍成は不本意そうだ。

「なになに、どうしたの?」面白そうな話を聞きつけたのか瑠璃が片付けの手を止めて尋ねる。

「…父さんはね、こんな人畜無害な顔をしてるけど、女子高生を妊娠させた事が有るの」

「ゆ、夕姫ちゃん!人聞きが…」龍成は小さい娘たちの前で旧悪をバラされ、慌てる。

「エッ、パパ、ロリコンなの?」さすがの瑠璃も引く。

「不潔です!青少年保護育成条例違反です!」真面目な紅の手も止まる。

「パパ、変態です!身の危険を感じます」自意識過剰な翡翠が青ざめて下がる。

「ち、違うんだ!違くは無いんだが誤解してるぞ!その娘はママだし、その時のお腹の子が夕姫ちゃんなんだ。パ、パパは責任取ったぞ」龍成は娘達に白い目で見られ半泣き状態のしどろもどろの弁解をし、恨みがましく夕姫を見る。

「でも、その時の母さんは女子高生だったのは間違い無いんでしょ。ああ、私にはこんな出生の秘密が有ったなんて…父さんに騙され続けてた…」夕姫は父をからかい続ける。

「あらあら、パパと夕姫ちゃん、仲がいいこと」茜はまったく動じない。夕姫は両親の性格からして、母が父に迫ったであろう事は容易に想像出来たが、つい意地悪をしたくなった。

「…いいのかなぁ。僕達ここに居て」家族の修羅場に出くわしてしまったと誤解したバロンが居心地悪そうにつぶやく。

「…もう、おウチなの?…お布団まで連れてって…」お姫さま抱っこされた弥桜が寝ぼける。

「あらあら、こちらも仲がいいこと」


 38


 ドライブインではお掃除部隊を中心とした、現場の収拾と分析の為の標本採集が行われていた。鬼は本体が滅びればすすの様に崩れていくようだった。首無しの富嶽童子の躰も、紙を燃やした煤のように風に吹かれてボロボロと形を失っていく。しかし、残るモノもある。

「ヒイラギ様、ありました」戦闘ではあまり役に立たなかったが、鬼灯の一党が半分残り、遺留物の収拾に努めていた。女性の弟子がヒイラギの前に紙片を持ってくる。そこには鮮やかな妖怪の絵が描かれている。大入道の絵だが、富嶽童子の様に首のところで裂かれている。

「やはりな…伝承の通りかの」富嶽童子の倒れた跡に首の無い人骨とこの紙片が残っていた。

「これで間違い無く百鬼。…しかし本当にこれでお終いかのう」ヒイラギは不安そうにつぶやくが、鬼の遺骸跡にはもう紙片は見付からなかった。


 真っ暗な日本家屋の中で灯りも付けず男が庭に向かい座っていた。

「…富嶽童子が討ち取られました」縁側の下から声がした。

「…数百年生き延びた大妖怪と言えど、所詮しょせん日陰者、その程度であったか。それとも太刀守の奴らの力を見くびっておったか。せっかくの招待、万全の支度をしてのぞんだつもりだったが…ヤマリはどうだった?」

「アレも滅びました。能力は古鬼と同様でしたが未だ不安定の様でした。最後は苗床の形に引きずられて女性型になり、槍使いに倒されました。あちら側に鬼寄せだけで無く、鬼伏せができる者がいたようです」

「その系統の法術を使える者はアソコには居なかった筈だが?」

「外部から招聘しょうへいしたようです」

「…そうか。今回はここまでのようだな。次の機会に備えよ」

「…ハッ」縁の下の気配は現れた時と同様に突然消えた。

「…太刀守の奴ら、未だ力衰えんか…しかし、必ず滅ぼしてくれよう…」男の呟きだけが残った。



 「じゃあ、おふくろ、半年戻れないけど達者でな。電話位はするから。昌、しばらく家とオヤジの事は頼んだぞ」虎光は荷物を持って出て行こうとする。明日の朝までに大学の寮に光明達と戻らなくてはならない。一度里を出れば半年の入郷禁止となるが別れを惜しんでいるヒマは無い。

「光兄、もう行くのか?」戻っていた輝虎が心配する。先程まで鬼退治において、虎光も獅子奮迅の活躍をして疲労しているハズだ。

「おう、思ったより遅くなっちまったからな。…そんな顔するな。そうだ、お前のアパート、学校からそう遠くなかったな。今度、休みの日に飯でも食いに行こう。バロン君達も一緒にな。じゃあ先に行くぜ」虎光は笑って出ていった。

「なんだ、置いてきぼりにされたみたいだな」昌虎が馬鹿にする。

「…残念だったな、光兄が無事で。この家の跡継ぎになれなくてな」輝虎もやり返す。

「テル、何てこと言うの!」母の水無瀬が輝虎をたしなめる。

「お前もその方が助かったんじゃないのか?凰の婿入の件、俺がこの家を継ぐようになれば、ほぼお前で決定だからな」昌虎が皮肉る。今年大学生になったばかりの兄、昭虎あきとらは槍の腕前しか無い男だが、それも数年前に輝虎の戟の前に下されている。実力主義の太刀守の里では致命的だ。その点、昌虎は真田屋敷に出入りし里での地位を固め始めている。夕姫自身にはあまり興味は無いが、里の名士、凰の家は魅力的だし、興味が薄いとはいっても夕姫の容貌は邪魔では無い。要領のいい昌虎は他の兄弟と異なり大学に交際相手がいる。しかし彼女とは将来を考えていない。凰に婿入が可能ならすぐに縁を切るつもりだ。

「俺は光兄の不幸を願ってまでユーキと一緒になるつもりはねえ。それに俺は実力で勝ち取るつもりだ」輝虎はハッキリ宣言した。

「…そうか、それは良かったな」昌虎は興味を無くしどこかへ出掛けようとする。

「こんな時間にどこへ行くの?」水無瀬が次男の行き先を尋ねる。里ではコンビニエンスストアも無いので、夜に行く所など殆ど無い。

「真田屋敷さ。お祭り騒ぎの後始末を誰かがやらなきゃならんだろ」そう言い残して自分の車で出かけた。


「まったく、若の道楽にも困ったものだな」竜秀が各方面から上がってくる報告書やら、申請書に目を疲労させ、眉間を揉みながら言った。

「…道楽、ですか?」光明達と学校へ戻ろうと父に挨拶へ顔を出した龍光が恐る恐る聞き返す。

「そうであろう?いくら先祖からの習わしとはいえ、わざわざこちらから鬼を呼び出し、討伐などしてなんになる。このような事をしても一円も入ってこないが、この掛かりはなんだ。あの中継所の復旧費、どれだけかかると思う?職員もそうだ。若の気まぐれで5名が殉職だ」

「…しかし、あのようなあやかし、放置しては世の中の為になりません」龍光は反論するが

「そこだ。もし鬼どもが世間で暴れてそれを鎮圧ちんあつすれば里の評価も上がろう。しかし、人知れず今回のようなバカ騒ぎをやっても一文にもならん。お前も真田の人間ならこの里を俯瞰ふかんで見るようになれ。お前と若が仲が良いのは知っているが、里全体の事を考え行動しろ。時には若に諫言かんげん出来るようになれ」竜秀は書類の山に目を通しながら息子に話す。

「…わかりました。良く熟考じゅくこうしておきます。自分はこれから学校へ戻ります。失礼します」

「わかった。はげむように」竜秀は書類から目を外さずに龍光を送り出す。


 龍光がガレージに行くと三春が旅装で待っていた。

「兄もまもなく参ります。…お疲れのところ申し訳ありません」三春も慣れない事をして疲労しているだろうが運転手の龍光をねぎらう。三春を学校まで送った後、光明と学校に向かう事になる。虎光は自分の車で学校に直接向かう。

「いえ、自分は鍛えてますし、先の討伐でも働きませんでしたから。三春さんこそ、お疲れでしょう?」

「私こそ見ているだけでしたから…あらお兄様、龍光さんを待たせてはいけませんよ」

「すまん、どうしても学校に立つ前にしておきたい事が有ったものでね。タツ、僕が運転しよう」

「良いんですか?お疲れでしょう?」光明が事態収拾に動いていたのを知っている。手配や経理は竜秀が行っていたが、殉職者のお悔やみや葬儀への手配等、精神的な方面の後始末だ。

「いいさ、気分転換も出来る。ジッとしていると余計な事を考えてしまいそうなんだ」光明はカギを受け取り、運転席に乗り込む。

「バロン君達には悪いが先に戻らせてもらおう。伝言はお願いした。密度の濃いゴールデンウィークだったな」三人を乗せた四輪駆動車は暗闇に走り出す。


 妹達が騒ぎ疲れて就寝した後、夕姫は久しぶりに母親と一緒に入浴した。温泉が出て浴場を広げたおかげだが

「…あらヤダ、ホント。…夕姫ちゃん、若いうちからの美容整形は身体に悪いわよ。シリコンなんて…」茜は夕姫の胸をまじまじと見て忠告する。

「シリコンなんて入れるか!天然よ、天然!少しは娘の成長をよろこんで!」夕姫は慌てて胸を隠しながら整形疑惑に憤慨ふんがいする。

「だってあの子達が夕姫ちゃんの胸に不正疑惑が有るって…」

鵜呑うのみにしないで!ふ、不正って何よ?」夕姫はまったく心当たりが無い訳ではなく、弥桜の胸、否、顔が浮かぶ。

「夕姫ちゃんはお務めでお金ができたので豊胸手術をしたとか、胸が大きくなるいい塗り薬を塗っているとか、…輝虎君に揉んでもらっているんじゃないかとか」茜は列挙れっきょする。

「全部デマだから!」

「そうよね、揉んでもらったくらいじゃ大きくならないものね」茜はしみじみと言う。

「私なんて頑張ったって遺伝には負けるわよ。ウチの家系、里でも一番小さくない?呪いでも掛かってるんじゃ無いかって疑うわよ」

「…そう、気づいてしまったのね…よく聞きなさい、夕姫」茜は居住まいをただし、言い聞かせる様に話す。

「何よ、本当に呪われてるの?」

「凰家はね、代々弓を生業としてきたわ。その過程で弓を引く時に邪魔な胸が小さい方が良いとされてきたの。呪いといえば呪いよね…夕姫ちゃん、あなたも大きくし過ぎると家を継げなくなるわよ」

「まさか胸が大きくなったくらいで家を追い出さないわよね?ウソ、本気なの?」夕姫は神妙な表情の母親に危機感を覚える。もしかして弓うんぬんより、女の嫉妬心から胸が大きい者は放逐ほうちくされたのではないかと夕姫の脳裏に恐ろしい考えが浮かんだ。

「大丈夫よ、夕姫ちゃん、輝虎君はいい子だから家を継がなくなっても一緒に行ってくれるわよ」茜がニッコリと怖い笑顔で夕姫の両肩を掴む。夕姫はまたコートの前を押さえ、二人で向かい風に歩いていく自分と輝虎のイメージが浮かんだ。夕姫は首を降ってその想像を吹き飛ばす。その瞬間ある事に思い至った。

「…まさか母さん、そんなに焦って父さんと既成事実を作ったの、胸に自信が無かったからじゃないわよね。…ねえ、私の目を見て否定して」夕姫は茜の肩を掴み返して揺らす。

「そ、そんな事あるはず無いじゃない。い、いくらこれ以上胸が大きくならないと絶望してたからって。ホ、ホントよ」茜の目は泳ぎ、夕姫と目を合わさない。

「…はあ~、まさかそんな理由で私が生まれたとは…ギニャー!」茜に胸を掴まれた夕姫は悲鳴をあげる。

「あらホントにホンモノっぽいわ。パパの遺伝かしら?真田のお義母かあ様も胸は大きくなかったハズ?」そう呟きながら夕姫の胸をこねくり回す。

「母さん、ヤメて!取れちゃう、ちぎれちゃうから、…アッ!」

「どうやらホンモノのようね。このまま大きくなっていくとウチの家は継げないわよ」

「そんな事するなら本当に出て行くから。いい、そうしたら紅の婿は笹伏の陰険メガネこと昌虎さんよ。それでも良いの?」

「あら、それは困ったわね。私、婿は輝虎さんの方が良いわ。カワイイもの。仕方無いわね、特例を認めるわ」茜はしぶしぶといった風だ。

「もう上がるから!」夕姫はのぼせそうになって脱衣室に向かう。その後ろ姿を見て茜は

「夕姫ちゃん、エッチな体付きになったわねぇ」しみじみもらす。夕姫は浴場の戸を勢いよく閉めた。


 鰐淵のあばら家で男二人が向かい合わせで飲んでいた。

「ここに来るのも久しぶりだ。早瀬ちゃんの墓にも手を合わせられた」笹伏虎実が酒をあおりつつ、しみじみもらす。

「みっちゃんも貫禄かんろくが出たじゃねえか。あんなに小さかったのによう」鰐淵は虎実の手土産の酒瓶を傾ける。

「ああ、もうほとんど道場の事は息子達に任せているよ。ミツに半年空けられるのは少々痛いな」

「なんでい、例の輸送中の責任を取ってってやつか?」

「そうだ、別にあいつが責任を感じる必要も無いと思うんだが」

「みっちゃんらしいよ。昔から正義感が強かったからな」

「それだけなら良いが、最近、若と行動を共にしがちなのだが、どうも見ていて危うい。今回の鬼の件も元はと言えば若の行動が原因だ。若は何を考えているかさっぱりわからん。それでいてあの若さであのカリスマ性だ。やはり師条の男子は危険だ」

「考え過ぎじゃねえのか?オレが見た若は腕が立つだけの普通のガキだったぜ」

「そこが怖いんだ。そう装っているがあの青年は底知れない。まだ姫の方がわかりやすい。あの方が次期党首と決まったのは僥倖ぎょうこうだった」

「そうか、オマエがそう言うならそうなのだろう。まあ、オレには関係なさそうだがな」

「まったく関係ないとも言えんだろう。テルのお努めチームが師条家直轄になると言うウワサがある。俺の息子とは言え、お前もたった一人の弟子の行末に関する事だ、知らないとは言いづらかろう?」

「ム、そうなのか?しかしオレにできる事はねえな。後はアイツの才覚に任せるしかな。悔しいがオレはアイツの才能を認めてるんだぜ。そうでなければ範士になんか死んでも認めねえ。オマエもウカウカしてられまい。輝虎はみっちゃんも追い越すぞ」

「ナニィ、テルがか?」

「ああ、最強の笹伏を身内とは言え、竜宮流が下す日が来る。…輝虎、オマエに挑戦しなかったか?」

「やっぱりお前がけしかけたのか」

「負けたんだろ?」

「テルは言わなかったのか?」

「アイツは喋らなかったぜ。そうか勝ったのか。じゃあ、輝虎の実力はわかってるだろ。アイツはまだ若い。伸びしろが有る。みっちゃんはどうかな?」鰐淵はおかしそうに笑う。

「テルがなぁ、あんなに稽古から逃げ回っていたやつが最強を目指してるとは」

「オンナのせいじゃねえのか?」

「凰の夕姫ちゃんか。さっき遠目で見たが、えらくべっぴんさんになってたな。…知ってるか?テルのヤツ、最初に会った時、男の子と間違えていたんだぞ。俺もテルをけていた時には男の子と遊んでると思っていた。水無瀬に言われるまで気付かなかったんだ」まだ小さな輝虎が稽古をサボってどこかに遊びに行くのを尾行びこうしたことが有った。輝虎が元気な子と遊んでるのを見た虎実はそのまま帰った。家に帰り、すでに輝虎の動向を把握していた水無瀬に、どこの男の子かと尋ねると目を丸くして、あれは凰家の総領娘だと呆れられた。驚いて翌日また輝虎を尾行して確認しにいってしまった。

「凰のヒクイドリだろ?尻に引かれるな」

「そのくらいの方が家庭は円満さ」

「経験者は語るか。随分大きな敷物だな」

「うるさい。今日はとことん飲むぞ。ウチじゃ水無瀬がうるさくて思う存分飲めん」

「つくづくあの酒樽がもったいなかった。鬼なぞカップ酒で十分だった。…最高の弟子たちに」鰐淵は枡を掲げる。

「最高の若者達に」虎実も枡を掲げる。


 39


 凰家の居間に昨夜いなかった二人、一人と一匹がいた。

「黒虎の上に黒猫がいるわ」また、三雀達に囲まれている輝虎とその頭の上に逃げた黒猫ペンタがいた。輝虎は慣れたのか紅にしなだれかかられても、翡翠に膝の上に座られても微動だにしない。ひたすら夕姫がやってくるのを待っていた。

「よう、おはよう」輝虎が手を上げる。神奈川のアパートに戻る準備を済ませ、待ち合わせ場所の凰邸に走ってきていた。ペンタは猫飼ハウスから戻ってきて輝虎と居間にいたところ、瑠璃に見付かった。

「ハイ、解散。おはようテル、ペンタ」夕姫が指示すると妹達はさっさとどっかに引き上げた。

「おはよう、笹伏さん、ペンタちゃん」弥桜が現れるとペンタはその胸に飛び込む。輝虎の頭の上より弥桜の胸の方が居心地が良いらしい。

「バロンは?」

「散歩してくるって」

『きゃー』外からバロンの悲鳴が聴こえた。あまり緊急性のなさそうな悲鳴だったが念の為に外を覗いてみる。

 外には三雀にしがみつかれたバロンがいた。

「私が一番っ!」頭に抱きついた瑠璃が宣言する。

「ええ?私じゃない」右腕を抱いた翡翠が抗議する。

「私よ。ねえ、バロンお兄ちゃん私ですよね?」左腕をガッシリ抱いて身体を密着させる紅がバロンに迫る。

「やけにあっさり引き下がったと思ったら…は~い、解散、解散。そうじゃないと怖いお姉さん放しちゃうぞ」夕姫は羽交い締めにした弥桜を指す。弥桜は興奮してグルグルいっている。

「バロン君の女たらしっ!浮気者っ!」あまりの剣幕に輝虎も引いている。

「逃げろ!」きゃーと言って三雀は散っていった。

「あ、ありがとう。助かったよ」バロンが胸をなでおろす。

「バロンも気を付けなさい。…つまらない事で命落とすかもよ。テルを見倣みならって毅然きぜんとしてなさい」夕姫は弥桜を放しながらバロンを注意する。弥桜はバロンを取られまいとしてか、必要以上に密着する。

「こ、怖いなぁ…以後気をつけます…」バロンはイヤな汗が出るような気がした。

「…もう、よろしいですか?」急に声が聞こえ、振り向くとアサガオがいた。

「アサガオさん、いたんですか?」

「ええ、先ほどから。光明様から伝言を預かってまいりました。光明様、三春様は先にそれぞれの学校にお戻りになりました。そこで私がお伝えに上がりました。昨日の鬼の討伐への多大なる尽力じんりょく感謝する。特別手当を支給する。吉野さんに約束した、神社の建立も間違いなく履行りこうするとおっしゃっていました。」

「弥桜ちゃん、やったね!」

「それからもう一つ、五月付をもってバロンさんの組を師条家直轄とする。異議がある場合、十日以内に申し立てよ。待遇等、詳細については後ほど連絡するとの事です。以降は三春様がこのチームの総責任者になるそうです」

「三春さんですか」

「はい、運営自体は事務局を通してになりますが、特別任務の発生や、通常任務においても三春様の裁可があります。つまりは竜秀殿の小言は無くなります。予算も潤沢じゅんたくになりますし、お受けした方が良いと自分は存じます」

「危険なお務めは命じられませんか?」夕姫が用心深く確認する。

「さあ、はっきりとは申し上げられませんが増加すると思います。しかし、葛城白月女史の助言が入りますので無理な指示は無いと思います」

「花子、若者を悪の道にさそうなよ」犬神浩二がいつの間にか現れていた。

「…く、邪魔が入ったか。では伝えましたよ。詳細は愚兄を通して。では」犬神花子はそう言い残して忽然と消える。

「花子さん?アサガオさんて本名、犬神花子さんって言うんだ?」バロンは当然の疑問を口にする。

「そうさ、でもあいつ、花子って名前がキライで役名を名乗ってるらしい。俺も会ったの数年ぶりだよ。で、なんだって?」

「僕達のチームを師条家の三春さんが面倒見てくれるらしいんだ」

「へー、あのウワサ本当だったんだ。姫が勉強の為にウチを専属にするって。俺の給料も上がるかなぁ?」

「そんなに軽い話?」夕姫が心配するが

「だってよう、どんなに長くたって二年もすればチーム解散なんだぜ。俺はまた新しいチームを充てがわれるか、事務局で椅子を用意されるかだ。さあ、帰るぞ、準備は良いか」


 弥桜の荷物がある為、直接アパートに向かうと一台の真っ赤なオープンカーが停まっていた。そこに仕立ての良いスーツを身にまとった長身の男性が寄り掛かっていた。男はバロンが犬神のバンから降りると声を掛けてきた。

「よう、待ってたぜ」声も渋い。

「…どちら様ですか?」バロンはいぶかしむが、後の四人は心の中で突っ込む。それ聞くか?どう見ても…

「…お前の父親だよ、太郎」ウエーブのかかった髪をバロンの様におさげにし、編み上げのブーツをいた男が心外そうに言った。

「父さん?なんでまた急に。というか本当に僕の父さんですか?」バロンはだまされていないか警戒する。はたから見たらそっくりな親子なのだが。

「この顔を見ろ。かえでに写真を見せてもらってないのか?本物の遺伝上の父親だよ、太郎。呼び方はダディーでもパパでも良いが」クルトは必死に説明する。

「…僕には十数年会ってない生き別れの父しかおりませんが」自分と祖父の顔を思い浮かべ、ようやく理解したバロンだったが、それはそれでイヤミの一つも言いたかった。

「俺にも事情が有ったんだ。まあ良い。乗ってくれ。行くところが有る。みなさん、すみません、ちょっと息子を借りてきます」そう言ってクルトはバロンを右の助手席に座らせて小気味よい音を出しながらイタリア製のスポーツカーで走り去った。

「…カッコいい…」弥桜が成長したバロンの様なクルトにため息をつく。

「…カッコいい…」犬神がカーマニアの間で国内に三台しか無いと噂される、最新のイタリア製高級車にため息をつく。夕姫はその二人の姿に呆れるが

「バロンのお父さんって実在したんだ」

「なんか十数年ぶりに会った割には感動の再会って感じじゃなかったなぁ」輝虎も変な親子と思ったらしい。バロンの身内らしいと言えばらしいのだが。


 40


「どこへ行くんですか?」バロンは不機嫌らしく、まだ声にトゲがある。車は高速に乗って東京方面に向かう。

「まあ、そんなに怒るなって。反抗期か?」

「さっき反抗期に突入しました」バロンは横目で父親の姿を観察する。

「お前もよく知っている場所さ」クルトのハンドルを握っている腕は逞しく見える。

「…父さん、父さんは何をしている人なんですか。どうして母さんを放って海外にいるんですか?」

「楓や親父から聞いてないのか?」

「ええ、二人共教えてくれませんでした。イケナイ仕事なんですか」

「そうか。俺は世界を股にかけるギャンブラーなのさ」

「ギャンブラー?賭博とばくでお金を稼いでるんですか?」

「そうさ。お前の母親は金の掛かる趣味をしているんでな。俺が出稼ぎしている訳だ」

「お金の掛かる趣味?」バロンの母、楓はワーカホリックで読書以外の趣味を知らない。

「楓がやってる海外支援活動さ」

「母さんがやっている事は立派な仕事ですよ」バロンはムッとして言い返す。

「趣味さ。あれで生計を立ててないだろ。お前と楓の食い扶持ぶちは俺の稼ぎから出ているのさ。その上趣味に掛かる金まで稼ぎだしてる」

「…ギャンブラーってもうかるもんなんですか?」

「…親父から聞いてないのか?」

「父さんの仕事も聞いてなかったのに?」

「そうじゃなくて…現当主の親父が話していないなら俺も言えんな。いずれわかる。そう、稼げるんだ。普通に贅沢な暮らしができるくらいはな」

「そうなんですか」

「そうさ。ところでお前、危険な事しているんだって?」

「ええ、世の中の為に役立つ事です。大学に行く資金位は稼げそうです」

「そんな事お前が心配する事は無い。医大でも留学でも好きなところに行けば良い。俺が出すさ。…あの二人のどっちが好きなんだ」

「えっ?」

「背の高い方じゃないな。あの黒猫を抱いてた娘だろう」

「…どうしてわかるんです?」

「お前はきっと俺に似ておっぱい星人だからだ」確かに楓の胸は大きい。自分の母親の胸の大きさ等意識した覚えは無いが、最近妙齢な女性に接する事が多かった為、思い返して比べてみれば大きい方だ。

「ぼ、僕がおっぱい星人?」バロンは意外な評価に動揺する。

「背の高い娘はちょっと胸が足りないだろ。お前はくせっ毛の娘くらい無いと物足らんだろうな」

「ベ、別に胸の大きさで吉野さんを好きな訳じゃ…」

「お前は覚えて無いだろうが赤ん坊の頃、泣き出すと胸の大きい女性があやさないと泣き止まなかったんだぞ」

「そんな昔の事…」

「父親の俺がどんなに頑張っても泣き止まないのに、赤の他人の胸の大きい娘が抱くとすぐに泣き止んだ。色々試したんだから間違い無い、お前は生まれながらのおっぱい星人だ」

「そんな事で決めつけられても…あれこの辺…」バロンはクルトの車が走っている場所に見覚えが有った。

 さらに自宅マンションの前に着飾った女性を見つける。

「母さん?」楓がバロンも見た事もない程気合いの入った装いで待っていた。質素を旨とする楓がそんなドレスを持っていた事に驚く。

「無事に会えたのね。そろそろ着く頃と思って」楓は何事も無かったのように話す。

「…殴り合いのケンカになるとは思わなかったの?」バロンがふてくされて尋ねるが

「そんなわけ無いじゃない。でも男同士、拳で語り合うっていうのも私は有りだと思うわよ」

「よせやい、俺は平和主義者だぜ。さあ、行こう」クルトは後部座席のドアを開き、楓を乗せドアを閉める。バロンは今更気付いたが、この車は目立ち過ぎる。バロンには車の事は良くわからなかったが、非常に高価だという事だけは流石に理解出来た。という事はクルトは本当に大金持ちなのかも知れない。

 

 バロンはひどく居心地が悪い思いをしていた。家族水入らずのハズだがどうしてこうなっているのだろうと考える。

 クルトが連れてきたのは本格フレンチの店だった。学生服のバロンはそれだけでも場違いな思いをしたのだが、同じテーブルを囲むのが、家や仕事の時に見せない顔をしている楓、十数年ぶりに突然現れた顔も覚えて無かった父親なのだ。ウェイターが説明して料理を配膳していくが、まったく聞き覚えも無い料理ばかりで、美味しいとしかバロンには表現出来なかった。

 一つだけ感心したのは、お酒好きと聞いているクルトが運転の為、一滴も飲まなかった事だ。てっきり『俺は飲んでも大丈夫だ』とか言いそうな雰囲気の父親だと思っていたバロンだった。

「でも後ろ姿を見比べて、そっくりだと思った。私の血なんか入ってないんじゃと疑うくらい」楓の言葉に露骨に嫌な顔をするバロンだった。

「そうでも無いさ。横顔とか指の感じとかが君によく似てる」

「でも離れて過ごしていても仕草とか似てくるのよね。時々、楓太郎をアナタと見間違うときがあるわ」そんな楓の話は初めて聞いた。

「そう言えば楓太郎、京都どうだった?お仕事だったんでしょう」楓には呪いの事を伏せて京都に行く事と、今日、帰ることだけを伝えてあった。

「今だから言うけど、ちょうど一月前に厄介な呪いに掛かっちゃってね、それを解きに京都の山の中に行ったんだ」

「呪いだと?もしかして外国人からか?」クルトは急に青ざめる。

「もしかして心当たり有るの?」楓も心配して尋ねる。

「とある石油王が俺達一族の命を狙っているというウワサが有ってな、実際、俺も海外で殺し屋に襲われた事が有る。失敗続きに業を煮やし、最近、呪術士を雇い入れたと聞いたんだ。まさか太郎まで狙うとは」クルトは難しい顔をする。

「でも大丈夫。呪いはキレイサッパリ解けたし、今後は呪い除けや、解呪の手段も出来たから」バロンは楓を安心させようと話す。クルトはいい。

「そう、でも気を付けて。母さん、楓太郎に何か有ったらと思うと…」

「大丈夫さ。こいつは俺と同じで悪運が強い。殺しても死なないよ」

「そ、そうだよ。今までも、もっと危ない場所歩いてきたじゃないか」好きになれない父親の言葉にムッとするものの、母親を安心させる為に同意する。

「危ないところと言えば、あの国境の地雷原を渡った時もスゴかったわよね。私も後で後悔したわ、まさか本当に突破出来るとは思わなかったから、簡単にあんな約束をしちゃった事を。クルトったら私を抱き上げて踊りながら地雷原を渡って国境を越えたものね。目が回るからヤメてって言ったのに。私、ああ、このまま死んじゃうんだと思ったものよ」楓は思い出して頬を赤く染める。

「約束って?」

「大人の約束さ。俺は君が約束してくれた事で舞い上がっててね。もちろん絶対に無事に国境を越えるつもりだったけど、僕にとってはその後の方が問題だったさ。国境を越えた後の楓の顔ったら」

 楓とクルトが自分の知らない話で盛り上がっているのを見て、バロンは少々面白く無かった。それが顔に出ていたのだろう

「あら、楓太郎、どうかしたの?」楓がバロンの不機嫌に気付く。

「…こいつ嫉妬してるのさ。楓が取られちゃうって。そんな事ないぞ、俺はお前も愛してる」

「…だったら何でこんなに帰って来なかったのさ!いくら忙しくたって僕が顔を覚えられない程長く空ける事はなかったじゃないか。母さんは寂しい思いを…」バロンは溜まりに溜まった憤りをクルトにぶつける。

「すまん、俺は…」クルトはうなだれる。

「楓太郎、父さんはね、実家の事や自分の事で悩んでいたの。母さんはそれを知っていたし、何よりも私の夢の実現の為、体を張ってくれているわ。すぐにはわからないと思うけど、きっとあなたにも許してあげられる日が来ると信じてる」楓がバロンをなだめる。

「…母さんがそう言うのなら…大きな声を出してごめん」

 しばらく、気まずい雰囲気の中、食事を進める。デザートが出てくると

「美味しいとは思うんだけれど、正直に言って何を食べてるのかわからないや」バロンが苦笑いをする。種類はわからないがベリーを使ったデザートをフォークで口に運ぶ。

「ごめんね、私が倹約ばかりしているせいで、楓太郎をこういうところに連れてきた事ないものね」

「良い機会だったじゃないか。カノジョとデートする時のいい練習になる。…そうだ、俺、太郎のカノジョを見たぞ。やっぱり胸の大きな娘だった」

「そう…予想はしていたけれど、やはりそうなのね…」楓は残念そうな顔をする。

「か、母さんまで何さ?」バロンは母親にまで自分も知らなかった性癖に失望されたようで動揺する。

「母さんね、心配していたの。赤ん坊の頃の楓太郎ったら若い女性とみると誰彼かまわず胸をまさぐって、小さいと泣き出したのよ。私、もう恥ずかしくって顔から火が出そうだったわ。生まれながらの嗜好は治らないのねぇ」

「だから言ったろう、太郎は俺の血を引いてるから生まれながらのおっぱい星人だって。好きな娘も絶対に胸が大きいはずだって」

「違う、絶対違うって!僕は吉野さんを胸の大小で選んでいないよ!」そう抗議したものの、思い返してみればバロンがこれまで好意を抱いた女性は同年代を除き、すべて大きな胸をしていた。夕姫は好意と言うより信頼とか尊敬だ。

「太郎、本能には逆らえないんだ。諦めて認めろ」クルトが追い詰める。

「ごめんね、母さん、楓太郎の嗜好までは矯正出来なかった。せめて私の胸が小さかったら…」楓に謝られてしまう。

「やめてよ、父さん、母さん。僕は異常者でも犯罪者でもないよ!」


 41


 ゴールデンウィーク最終日という事で渋滞が激しくなって来たのでバロンは電車で帰ると両親に伝えると、翌朝学校に間に合うようクルトが車で送って行くと強硬に主張したのでしぶしぶ従うことにした。幸い制服は着たままだ。

 アパートに電話すると輝虎が出て、夕姫は夕食後、もう寝ると言って自分の部屋に戻ったまま、弥桜は一旦、白桜神社へお土産を持って帰ったそうだ。呪われていた間のバロンの付き添いは終わった訳だ。後日私物を引き上げに来るだろう。

 バロンは両親との晩餐の話は伏せ、明朝学校に直接送って貰う事を伝え、カバンを持って来てもらうよう依頼した。

「…テトラ、僕、謝らないといけないことが出来たかもしれない」バロンは神妙な声で伝える。

『なんだよ、改まって?それにずいぶんあやふやな言い方だな』

「聞いてくれ。僕はテトラの思っているような男じゃなかったんだ」

『なに?』輝虎はバロンが父親より一族の能力、お伽草子について明かされたのかと思い、驚くが

「父さんが…」バロンが言い出しづらそうに口よどむ。

『父さんが?』

「父さんが、いや母さんまで僕がおっぱい星人だって言うんだ」輝虎は電話口でズッコケそうになった。

「僕は物心つく前から大きな胸の女性を追っかけていたそうだ。僕は意識していないが本能で求めてしまうらしい。お尻や背中の好きなテトラには本当にすまないと思っている」

『…バロン、いいから早く寝ろ、疲れておかしくなっているんだ。寝て頭をスッキリさせろ。カバンは持っていく。じゃあな』輝虎はまるで胸の小さい夕姫を好いている自分を馬鹿にされているような気がして少々腹が立った。輝虎だって別に胸が大きい分には構わないが、好きになった相手がそうでないことだってあるではないかと思った。しかし、弥桜の胸を思い出し、アレも良いなぁと考えないでもなかった。輝虎だって健康な男の子だった。


「じゃあ、楓太郎をお願いね」早めの朝食を親子三人で食べ、出勤前の楓にバロンとクルトは送り出される。

 昨日は父親に腹を立てていた為、気が付かなかったが、待ちゆく人や、対向車の運転手等の視線を多く感じる。

「この車、有名なんですか?やけに見られてるような」バロンは運転しているクルトに尋ねる。

「有名というか、珍しいんだろうな。なんせ世界でも数台、日本では2、3台しか無いそうだ。見られたらラッキーってとこなんじゃないか?」クルトは事も無げに息子に説明する。

「…高いんでしょう?」

「まあな。いっつも乗り捨て前提で中古車ばっかりだったんで新車に乗ってみたかったのと、久しぶりに家族に会うのにカッコつけたかったんでな。そうだ、これを渡しておく」クルトは懐から銀行の通帳を取り出す。名義はバロンの戸籍上の本名、八幡楓太郎になっている。

「僕の?」

「そうだ。何年も小遣いもお年玉もやっていなかっただろう?まとめて渡しておく。ただし、楓にはヒミツだ」クルトは通帳と印鑑とカードをバロンに渡す。バロンは通帳の中をあらため

「イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン、センマン、…、単位はなんですか?」バロンは通帳に記されている数字の桁数が多すぎて混乱し、海外の物凄く安い通貨ではないかと疑ってしまった。

「円だよ。日本の銀行だぜ」

「家を、いやビルでも買えって言うんですか?」

「買っても良いぞ。働かないで家賃収入で暮らしたいって言うんなら。親父はそうしているからな」クルトの父親、アレックスはバロンの館というバーもやっているが、ビルのオーナーでもある。若い頃の冒険で得た資金でビルや不動産を手に入れている。

「こんな大金、…そうだ、母さんに渡せば…」

「楓に渡すのは無しだ。これはお前の為の金だ。いいんだぜ、親父みたいに南極までペンギンの玉子食べに行く為に使っても」

「エッ、あれ本当なの?」アレックスは客やバロンに若い頃の冒険譚を色々と話してくれるが、中には眉唾まゆつばな話が混ざっている。

「本当さ。小さかった俺も付き合わせられたからな」クルトは思い出して顔をしかめる。

「でもこんな大金…」

「バカ、お前だってあの胸の大きな娘といい仲に成りたいんだろう?いいか、お前の母親の楓だってなあ、あんなにお硬いように見えるがモナコの夜景が綺麗なホテルでプロポーズしたら一発でオーケーしてくれたんだぞ。女性は雰囲気が重要だ。その雰囲気造りの為にもイザという時の金は必要なんだぞ。いいから取っておけ」クルトはバロンに受け取るようこんこんと説得する。バロンは楓がプロポーズを受けたのは雰囲気に流された訳では無く、自分にはまだわからないクルトの人柄を受け入れたと信じたかった。

 バロンは思い直して預金を受け取る事にした。思っていたよりも軽薄な印象を受ける父だが、自分の事を思い、これだけの事をしてくれているんだと考える事にした。実際恋愛とは別にしてもイザという時は有る。自分や楓の身に危険や病気、ケガにおそわれないとも言えない。金で助かる命が有ることをバロンは知っている。

「わかりました。有り難くいただきます。でも母さんの方が上手く使えると思いますよ」

「ダメだ、ダメだ。楓の金の使い方は際限が無い。いいか、あいつの目標はこの地上から一切の紛争と飢餓を無くす事なんだ。いくらつぎ込んでも無理だ。そうだな、楓が路頭に迷ったらその時は迷わず使って良い」母親を悪しざまに言う事なのか、自分より理解している事なのかバロンは面白く無かった。これが本当の反抗期なのかも知れないと思った。


「思ったより早く着けたようだな」クルトが車を降りる。輝虎、夕姫と弥桜が校門前で待っている。

「ありがとう、父さん」バロンが振り向くと何かが飛んでくる。反射的に受け止めると意外と重い車のキーだった。

「太郎、こいつはお前にやる。じゃあ、俺は行くからな」クルトの向かう先にはこれまた高そうな黒いオープンカーに男三人がすでに乗込んで待っている。

「え、どこ行くの、父さん?」驚くバロン。

「次の漁場ってやつさ」

「母さんはどうするのさ!」

「お互い歳食ってヨボヨボになったらイヤでもくっついてるさ。その時は面倒みてくれよな、じゃあな」クルトは振り返らず手を振って黒いオープンカーの助手席に乗り込む。とたんに爆音を響かせ、黒いオープンカーは走り去る。残されたバロンは

「どうしよう、この車?」


 42


 バロンに押し付けられた赤いオープンカーはその後、夕姫と弥桜の機転と口添えで担任教師に学校内の来客用駐車場に移動して貰った。若い男性教師はバロンの車を見ると子供のように興奮したので色々心配になったが、保護者が取りに来るまでという事で駐車場に停め直して貰った。

 学校の公衆電話で犬神に事情を話すと、信じられない短時間ですっ飛んで来た。担任教師と同じで目を輝かせ、大好きなおもちゃの前の子供のようだった。

「ほ、本当に良いのか、バロン?」預かって欲しいと言うバロンに犬神は念を押す。

「ええ、僕はまだ免許証を取れないし。父さん、息子が免許を持てるかどうかもわかってないんじゃないか?僕は車の事を良く知らないし、乗らないと車は駄目になるって言うし。維持費は負担しますから犬神サンが乗っていて下さい」

「バロン、やっぱり持つべきものは金持ちの親と友人だよなぁ」犬神は革張のシートに頬ずりする。バロンは少し引くが

「じゃ、じゃあ、お願いします。最低でも僕が免許取るまで」

「良いのか、バロン。犬神サン、擦り減るほど乗り回すぞ」輝虎が犬神に聞こえるように耳打ちする。

「聴こえてるぞ、そこ」

「大丈夫だよ、犬神サンを信頼してるし、タイヤは減るもんだよ。それに父さんからまとめてお小遣い貰ったから心配しないで。じゃあお願い」最高にご機嫌な犬神を学校から送り出す。犬神は普段は見せない急加速で走り去った。

「アレ、スピード違反で捕まらないわよね」舞い上がっていた犬神を夕姫が心配する。

「さ、さあ」バロンも少々、道義的な責任を感じないでもないが犬神も大人だ。…子供がえりしていた気もするが。


 放課後白桜神社に立ち寄った夕姫は弥桜にカメラを借りた。自前のフィルムを入れた夕姫は境内を借りて三人に写真を取るように依頼した。

 最初は弥桜がノリノリで撮影する。

「夕姫ちゃん、イイヨ!さあ、キレイなカラダの線が出るようにもう一枚脱ごっか」スケベオヤジのカメラマンのようなことを言う。

「バカ、次バロンね」呆れるが数枚撮ってもらい、バロンに代わって貰う。

「ユキねえ、もう3度右を向いて、…少し上体を起こして、そう、手は自然なカタチで…」バロンは真面目すぎるのか注文が多すぎる。夕姫はくたびれてきたが目的の為に我慢する。最後は輝虎だ。あまり期待していない。

 輝虎は大きな手でちんまりとカメラを構える。

「なんでこんな写真撮ってるんだ?」

「いいじゃない、上手く取れたら一枚あげるわよ」

「…もしかして書斎の…」バロンが余計な事を思い出して言いかけるが

「バロン、判ってるわよね?」夕姫に釘を刺される。

「ああ、あの…」弥桜も思い出すが夕姫に睨まれ言いよどむ。

「なんだよ、俺だけ除け者か」それでもシャッターを切る。

「良いの、あんたは。今の私が最高でしょ?」ニカッと笑う。


 三人ともいい写真が撮れたが、予想外だったのは輝虎の写真だった。撮影者に夕姫らしく笑いかけるまさに奇跡の一枚だった。バロンいわく

「被写体への愛を感じるよねぇ」だそうだ。

 書斎の『ユーキ君』と構図も偶然似ていた。

 夕姫はこの写真を焼き増しして輝虎に一枚渡し、もう一枚とネガを実家の茜に送り、書斎の写真と差し替えるように依頼した。

 凰道場の書斎のデスクの写真立てが一つ増えたのは龍成と茜のヒミツだ。

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