第5話 龍神の憂鬱 前編

龍神の憂鬱

 序


「バロン君!目を開けて!バロン君!」弥桜みおがバロンをするが反応が無い。龍光たつみつが駆け寄り持っていた脇差しで黒い液体が掛かったバロンの背中を服を切り裂きあらわにする。するとバロンの肌に不気味な黒いシミの様なモノが浮かんでいる。誰が見ても不吉な印象しか持てない。

「…吉野君、ここに解毒の法術を試して貰えないか?」龍光は弥桜のチカラを試すように促す。

「…わかりました。…エイッ…効かない?じゃあこれでどう……だめ?」弥桜が何回か試すがシミは消えない。しかしバロンに反応があった。意識は無いようだが手足に力が戻る。

 夕姫が我に返り辺りを見回すと、すでに里のお掃除部隊が入っており、廊下を封鎖している。バロンに液体を掛けた裸の少女は崩れ去り、黒い泡だらけの何かになっていた。吐き気がする程不吉で禍々しい。見ているだけでけがれそうだ。

「アンタ、こうなる事知ってたの?それに人を斬ったわね?」夕姫ゆきが龍光に詰め寄る。

「…こんな事になるまでとは知らなかった。知っていたのは梅田広子うめだひろこと言う女が害意を持ってバロンに近づくかも知れないという事だけだ。…それにソイツはもう人ではない。人間が斬られただけでこうなるか?…おい、富士林ふじばやしを『救急車』に乗せろ」龍光は配下のお掃除部隊に指示を出し、バロンを何処かに運ぼうとする。

「待って、何処に連れて行くの?」夕姫がなじるように問いただす。

「早くしろ!一刻を争う。…夕姫も良く知っているところだ。吉野君とついて行け」龍光は指示を飛ばしつつ、振り返り夕姫の疑問に応えた。

 そんななか輝虎てるとらは最初のうちはバロンの身を案じて輪の外からうかがっていたが、小康しょうこう状態に見える様になると自責の念からうつむいていた。


 1


 弥桜の母親、吉野雪桜よしのゆきおはほとんどのチカラを失った今でも、その時が来てしまったのがわかった。バロンに渡してあった御守りが破壊された事も感知した。その時、社務所の電話が鳴った。相手は想像がついていた。

「…白桜しらお神社です」

「…はじめまして。名乗った方が良いですか?」相手の男がこう切り出す。

「結構よ。多分予想通りだから」雪桜も知りたいとは言わなかった。

「お噂に違わず鋭いですね。そうです、諸悪の根源です。貴方も目を掛けている、富士林楓太郎ふじばやしふうたろう君が倒れました。強力な呪いによるものです。貴方のお嬢さんの目の前だったそうです。彼の命を救うため、お力添えをお願いしたいのです」若い男の声が語る。

「…私に何をしろと?」わかっていて雪桜はたずねる。逆にこちらの手の内を、どれ程知っているか聞いてみたかった。

「富士林君、イヤ、バロン君の呪いを解いて欲しいのです。その為の準備を貴方はなさっているハズだ」男は断定する。どうも一枚上手の様だ。

「それでこちらになんのメリットが?」あえて冷たく言い放つ。

「…分かっていらっしゃるはずです。お互い共通の利益が有る以上、協力出来ると思っています」

「…わかった。今回は、協力するわ」

「ありがとうございます。そろそろ彼が着く頃です」男がそう言うと救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。

「それではまた」そう言うと電話が切れた。雪桜はこの日が来たときの為に用意していた段取りを思い返し、外に向かう。

「ごめんね、バロン君」雪桜は辛そうな表情でつぶやく。


「お初にお目にかかります。夕姫の親戚に当たる者で真田龍光さなだたつみつと申します。詳しい話は省かせて頂きますが、富士林君が非常に強力な呪詛じゅそを浴びてしまいました。解呪かいじゅにご協力願いたい」里で用意していた『救急車』で白桜神社にバロンを運び込んだ龍光が雪桜に協力を求める。雪桜は黙ってうなずく。一緒に乗ってきた娘の弥桜は涙で顔をグシャグシャにして夕姫に支えられて降りてきた。

「母さん、バロン君が、私をかばってバロン君がぁ…」弥桜が泣きじゃくる。

「…シャンとしなさい、そんな事じゃ助かる人も助からなくなるわよ。顔を洗って装束に着替えて来なさい。あなたがバロン君を助けるのよ!」我ながらキツイなと思いつつも弥桜に気合いを入れ直してもらう為、強く言った。

「バロン君は拝殿に運び込んで!」やるからには徹底的に果たすつもりの雪桜は少々語気が強くなってしまう。実際はこうなる事を薄々知っていた自分が許せない事も有った。

「真田まで出張って来たのか?これ以上、里はウチに干渉しないでくれ」いつもは後ろに下がっている夫の大三たいぞうが珍しく興奮して龍光に詰め寄る。

「これはこれは…この一件は師条しじょうの承認を受けて行動していると言ってもですか?」龍光の言葉にひるむ大三だった。里から離れて二十年は経ったが、それでも師条家絶対が身についてしまって抜けていなかった。

「良いのよ、あなた。私が協力する事にしたの」

「しかし…」大三は食い下がる。

「良いから。お客さんにお茶でも出してきて。私はバロン君の処置の指揮を取るから」雪桜の口調は硬い。

「…判った…」大三はバロン達、おつとめ部隊が来て以来、弥桜が巻き込まれているように思え、不安でしょうがなかった。今回もどうやら弥桜の身に危険が及びそうだったと聞き、内心穏やかでは無かった。今もあんなに泣いて帰ったところを見て、バロンとやらが元気だったら、ぶん殴ってやろうかと思っているくらいだ。だいたいあの優男はウチの娘にちょっかいを出しているようで、日頃から小憎らしかったのだ。娘には悪いがこれをきっかけに離れてくれればと思うが、雪桜は彼を買っていて今も救命に当たっているし、何より弥桜が彼を運命の人だと思っているフシが有る。

 何度か大三も神社に手伝いに来たバロンに会ったが、今時の子らしからぬ礼儀正しさに感心したことが有った。お務めにあたっているとはいえ、里の人間ではない事も好感が持てる。これで娘に手を出さなければ…


 拝殿の床にうつ伏せに横たわされたバロンを一目見て、雪桜はマズイと思った。右肩に出ている黒いシミが余りにハッキリ出ている。動物の手にも見える。

「…なんの模様かしら…」思わず口に出た。

「ウサギの手だと思います。術者はウサギを贄に呪詛を行っていたようです。これを…」いつの間にか拝殿に来ていた龍光が参考にと、梅田広子の部屋の写真を雪桜に差し出す。

「…事が済んだらそれもはらった方が良いわよ」一目見て顔をしかめ、雪桜は写真を処分するようすすめる。

「ウサギの手と言えばラッキーアイテムじゃなかったの?ヤな事に使うわね」雪桜はあきれてため息をつく。

 そこへ着替えて装束を着た弥桜が小走りにやってくる。

「バロン君、大丈夫?」不安そうに尋ねてくる。

「まだ大丈夫だけど、早くしないと危ないわよ。アレを持ってきた?」

「はい、…コレよね」理由を付けてバロンから預かっていた星辰せいしんの剣だ。それから後から追付いた夕姫に向かい尋ねる。

「それから夕姫さん、あなたにも手伝って貰うけどいいかしら」

「はい、私にも手伝わせて下さい」夕姫の返事を聞くと雪桜は懐から小さな桐箱を出し、夕姫に差し出す。中には東北で撃退した針のあやかしの抜け殻だったモノが入っている。このような日が来る事を予見し、知人の鍛冶師につないでもらったモノだ。

「合図を送るから、それをバロン君の背中のシミに突き立てて。シミには触らないようにね。それから弥桜、その剣を持って一曲舞いなさい。最期にバロン君の背中に刺した針に向かって祓いを念じて振り下ろしなさい。バロン君の命はあなたに掛かっているわよ」


 拝殿の隅に雪桜と龍光が座り、バロンの脇に夕姫が待機する。弥桜はいつになく緊張して神楽を舞い始める。星辰の剣が輝きを強め、暗かった拝殿を照らし出し、影を揺らす。雪桜は春季祭の神楽に匹敵する神さまのチカラを感じ、成功を確信し始めた。

 龍光は不知火しらぬい城で見て二回目となるが、星辰の剣を持ったまま舞うのを観るのは初めてなので興味を持って見ている。これでは里の男達が熱狂するのもわかる。龍光自身は三春以外に興味は無いが。

 夕姫は合図が来るのを待って緊張し、イヤな汗が吹き出し始める。せっかくの神楽もこんな時でなければ楽しめたのにと思ったが、集中しなければと思い、弓を引き絞っているときのように精神を落ち着かせていた。

「…夕姫さん、今よ!弥桜!」雪桜が叫ぶ。夕姫がバロンの背中のシミの中央めがけ針を突き立て、バロンがうめき、針が真っ黒に染まって行くのが見えるのもつかの間、そこへ弥桜が星辰の剣を振り下ろす。ピーンッと音を立て針が弾ける。驚いて夕姫は目をつむったが、針だったモノは灰のようになってしまったらしい。バロンの背中はと言うと2ミリメートル程のシミを残し呪いの痕跡こんせきの大半は消えていた。

「やはり完全に取り除けないのね…」儀式を取り仕切った雪桜がつぶやく。

「…でもこれで当面の間は大丈夫だと思うわ。だけどこれ以上はウチでも無理ね。術者をヤらないと人間では無理よ」雪桜が状況を説明する。

「多分、このシミがバロン君の心臓の位置までたどり着いたら、今度こそ危ないわよ」


「ハイ、ええ、富士林は一命を取り留めました。しかし、これ以上は白桜神社では無理だそうです。ハイ、わかりました。また連絡します」龍光が携帯電話で里に連絡していた。

「テル、あんたどうしたの?らしくないわよ?」解呪の儀式が終わった夕姫は外で待っていた輝虎に開口一番になじる。二人は太刀守の里で育った幼なじみだ。

「…すまん、俺は…」輝虎は夕姫の目を見られずにいた。

「…ごめん、別にあんたを責めてる訳じゃ無いのよ。私もあの女に気付かなかったし、反応も出来なかった…あんたにあの黒いの浴びろって言ってる訳じゃ無いの。でもその後のあんた、余りにもらしく無かった。本当にどうしたの?」夕姫も色々あって混乱していたが、余りに精彩を欠いた輝虎を怪訝けげんに思う。

「…すまん…」輝虎はやはり夕姫の目を見られなかった。

「…判った。でも何か有ったら私にも話してよ。あんたがそんなだと、こっちも調子が狂うから。…私、しばらくここに残ろうと思う。テルはどうする?」

「俺はアパートへ帰るよ。ペンタはどうする?」

「もしアパートにいたらテルから事情を話して。アイツの事だから自分でこっちに来ると思うけど。学校には龍光君と雪桜さんと話して口裏合わせてから連絡入れるから」夕姫が輝虎と話しているうちに、担架に仰向けに載せられたバロンが神社の居住部分へ運ばれていく。

「またなんか有ったら電話する。じゃあ」夕姫はバロンを追って社務所に向かう。


 2


 輝虎はアパートへ帰る道すがら、ぐるぐると考えてしまっていた。あの時、自分にも何か出来たのではないか?バロンを助けられたのではないか?逆に龍光がいなかったらバロンはどうなっていたのか?

 輝虎は自分の不甲斐ふがいなさにどんどん悪い方へ思考が進んでいく。そもそも自分は竜宮流戟術りゅうぐうりゅうげきじゅつ範士はんし相応ふさわしいのか?

 そこでふと気が付いた。自分はバロンのチカラ、お伽草子とぎぞうしの影響で鰐渕わにぶちに認められたのではないか?それどころか、笹伏ささふせの道場で父親に勝てたのも、バロンのチカラ有っての事では無いかと。自分はズルをして父を負かし、あんなさびしそうな背中を自分だけで無く、兄の虎光とらみつにまでさらさせてしまったのではないかと。

 そう思うと本当に自分が許せなくなってきた。

 自分は夕姫に本当に相応しいのか?輝虎はこのまま消えてしまいたかった。

 気が付くとアパートのエレベーターの前で呼び出しボタンも押さず、立ちすくんでいた。


「何が有った?」少女姿のペンタが待っていた。ペンタの正体は化け猫だ。

「ミオが朝からおかしかった。慟哭どうこくしたかと思うとチカラを行使したり。本当に何が有った?」聞くところによるとペンタは弥桜と主従の契約をしたと聞いた。契約中はどんなに離れていても、お互いの様子がわかるらしい。

「…バロンが倒れた。何か強烈な呪毒じゅどくってヤツにやられて一時は命まで危うかったが白桜神社で解呪と解毒をした。バロンとユーキは神社に残るそうだ」輝虎はとつとつとペンタに話した。

「そうか。ではワシも神社に向かおう。…おヌシ、今とてもイヤな匂いがしているぞ。そう、負け猫の匂いだ。どうしたのだ。おヌシは毒を被っておらぬのだろう?」輝虎は猫にまで心配されてしまった。

「…俺はバロン達をまもり切れなかった…」輝虎はそれだけ吐き出すとソファーに沈み込む。

「そうか、では次は護り切るのだな。バロンはまだ生きておるのだろう?それにオスは自分で自分の身を守るものだ。ではな」そう言ってペンタは神社に向かった。身体の大きな輝虎には狭く感じていたアパートの部屋が今はとても広く感じた。

「…俺は…どうすればいい…」


 吉野邸の客室に寝かされたバロンはまもなく意識を取り戻す。まだ装束のままだった弥桜と夕姫の前で目を覚ます。

「バロン君、大丈夫?何処か痛い所とか、苦しく無い?」弥桜が泣き出しそうな顔で尋ねる。

「バロン、ここ白桜神社よ。あなた呪いの毒を浴びてここに運び込まれたの。大部分の呪いは雪桜さんと弥桜ちゃんが取り除いたんだけど、身体に違和感は無い?」夕姫はつとめて平静を装い、状況を説明する。

「…吉野さんは大丈夫だった?僕、しくじちゃったなぁ」こんな目に遭っても他人を心配するバロンだった。バロンらしいといえばらしいので少しホッとする。

「弥桜ちゃん、雪桜さんに伝えてきて」

「わかった。すぐいってくる」弥桜が客室を飛び出す。

「ごめんね、心配掛けて」身体を起こしながらバロンは謝るが

「良いのよ。それこそファインプレーだったわ。バロン以外に被害者はいないし。本当におかしな所ない?背中とか?」夕姫は念入りに確認する。バロンは立ち上がり、脚を上げたり、肩を回す。

「ちょっと肩が重い感じがするけど、痛みは無いなぁ…梅田さんはどうしたの?」最後まで状況を知らないバロンが尋ねる。

「…龍光君が斬ったわ。もう、あの娘は人間じゃ無かった。毒の泡になって消えたわ…」話したものか考えたが、夕姫の中でいきどおりが消化しきれておらず、そのまま話してしまう。

「そう…かわいそうに。…どうしてあんなことになったんだろう?」そうだ、夕姫も正確なところ広子の動機を知らない。もしかするとバレンタインやホワイトデーに関係が有るのだろうか。そこへ弥桜が雪桜を伴って戻って来た。

「母さん呼んできたよ。キャッ!」色んな事があり、まげが解け、上半身ハダカのバロンを見て弥桜が目をおおう。

「…気が付いたのね。何処かおかしいところは無い?…羽織るものあったかしら。弥桜、父さんに言ってシャツでも借りてきて」雪桜がまた弥桜を使いに出す。

「…正直に話すわね。まだ貴方に対する呪いは完全には解けて無いの。本当に危ないところだったのよ。対呪術用の制服、それからウチの御守り、そのどちらが欠けても貴方も黒い泡になってたわ。後は運かしら。でもうちの娘を守ってくれてありがとう。どんなに感謝してもしきれないわ。私の残りの生涯、恩返しに使ってもいい」雪桜は頭を下げる。

「そんなオーバーな。僕は当然の事をしただけです。それに御守りや、助けてもらったんだし」雪桜のあまりの言いように照れるバロンだった。

「背中を見せてくれるかしら」雪桜は背中を確認しようとバロンにお願いする。

「こうですか」

「…大きくはなって無いわね…痛くない?」雪桜はシミを押す。それだけで雪桜は呪いのけがれを感じたが

「まったく何も感じないです…おかしいな…」バロンは初めて違和感を感じ首をかしげる。そこへシャツを持った弥桜が戻って来た。

「サイズ合うかなぁ。バロン君これ…キャ!母さんなにしてるの?」バロンのハダカの背中を押していた雪桜を見てまた悲鳴を上げる。

「いちいち男の子のハダカ見た位で大声出さないで。呪いの痕跡を見ているだけよ。…いい機会よ、見慣れておきなさい」


 弥桜に渡されたシャツを着たバロンは雪桜に呪いの詳細を説明される。

「東北のお土産が役に立ったわ」

「東北のお土産…煎餅?…まさか鉄瓶!」バロンが大ボケをかます。

「針よ!付喪神の抜け殻だった針をこんな事もあろうかと直しておいたのよ」雪桜が呆れて答える。やはりバロンの思いつきは役に立ったのだ。しかしこんな事もあろうかとでは無く、この時の為に直したと言っていい。

「動物、今回はウサギだったらしいけど、それを使った狗神いぬがみと言う方法と、犠牲者となった人間を使った蠱毒こどくと言う方法の掛け合わせみたいな呪法だと思うわ。残念ながら術者はまだ生きている」

「…梅田さんが術者では無かったんですか?」バロンは悲痛な顔で尋ねる。

「その子は蠱毒の壷の役割よ。術者は他にいるはず。その術者を倒すか、神仙に等しい者でなければこの呪いは解けない」雪桜はバロンに冷たい現実を突き付ける。

「解けなかった場合、どうなるんですか?」夕姫が口を挟む。

「…確実に命を落とすわ…私の見立てだと持って一ヶ月…その背中の黒いシミがバロン君の心臓の上に達したら助からない…」雪桜も辛そうに目をらす。こんな若者に余命一ヶ月と告げなければならないのだ。

「ヤダッ!バロン君!母さん、何とかならないの!私、何でもするから」再び涙目になる弥桜だった。

「でも、私の弱くなった見立てでも、バロン君の死は見えない。お告げでも弥桜に手助けさせろと言っている…良いわ、弥桜、そう言ったからにはバロン君の呪いが解けるまで彼に付き添いなさい。それでいいかしら夕姫さん?」話を夕姫に振る。

「えっ、私?エエ、バロンの命がかかっている以上嫌とは言いませんが…話が急過ぎて…わかりました。何とかします」


 3


 もう少し様子を見た方が良いと言うバロンを置いて夕姫はアパートに戻る事にした。様子がおかしかった輝虎がどうしたか気になり、男部屋を覗くと真っ暗な居間のソファーに大男が座っていた。

「…びっくりした。テル、電気も点けないでどうしたの?本当に変よ。今日のあんた」照明を点けながら夕姫がなじる。

「…ちょっと良いか」


「…俺はバカだから考えるの苦手だが、ユーキには隠し事したくない…」輝虎はとつとつと里での光明こうみょうのお願いから今日の襲撃の阻止失敗まで話す。それから自分の実力でなく範士の授受、父親との手合わせで勝利した疑惑についても話す。

「…辛かったよね。バロンか私を天秤にかけるなんて器用な真似、テルには出来ないよね」夕姫は立ち上がって歩み寄り、座っている輝虎の頭を抱く。

「大丈夫。雪桜さんも言ってたけどバロンに死の運命は見えないって言ってたから。きっと光明さんの言った通りバロンに課せられた試練なんだよ。それに鰐渕サンもおじさんもバロンのチカラなんか、通用しないよ。里ではお伽草子のチカラがほとんど及ばなかったもの。私の視力はともかく聴力は普通に戻ってたし、バロンの周りのハプニングも起らなかった。テルは実力で勝ち取ったんだよ」

「しかし俺の脚の速さは変わらなかったと思うぞ」輝虎は信じられなくて否定しようとするが

「それはもう、テルの実力になっているんだよ。たとえズルして身に付けたって実力は実力。テル自身の力だよ」夕姫が優しく言い聞かせる。夕姫の頭のどこかで、これが母性本能ってやつかなぁ、と思っている自分がいて、自分にもこんな面が有ったんだと感心する。輝虎は夕姫に手を回し抱きつく。

「…ユーキって温かいな…」しみじみ言われ、いい雰囲気になりそうな時、

「お邪魔かな?」龍光が玄関に立っていた。


「これからの事を話しておきたい。まずはこのチームの事だ。通常、負傷者が出て欠員が発生した場合、里へ帰還するのが決まりだが、今回は若の意向により預かりとなった」あわてて離れて、並んで座った輝虎と夕姫に龍光はチームの今後を伝える。

「本来ならお務めの外の騒ぎであり、バロン個人が狙われたフシも有った。しかし若の意向で今回は里で収拾する事に決まった。若はバロンはもう里の人間と同じだとおっしゃり、バロンの敵は太刀守の里の敵とまで宣言した。その為、師条の名の元で後始末を行う。ちなみに父は賛成していない。僕個人は若の意向に従う。三春さんにもバロンと吉野君を守ってほしいと言われたしな」夕姫達には初めて聞く話ばかりだった。確かにお務めの指令が発せられていない事件であり、最悪、自己責任という事で見捨てられてもおかしく無かったかも知れない。

「次の指示が有るまで通常待機だ。バロンの解呪についての検討は里でも葛城かつらぎ鬼灯ほおずきが当たっている」葛城と鬼灯は輝虎と夕姫の故郷、太刀守の里の法術をつかさどる一族達だ。主に前者は卜占で里の進路を助言し、後者は法力や霊宝具を扱う。先月の里への帰還においては、同行した弥桜やバロンが特訓で世話になった。

「しかし、現段階で解決方法は見出されてない。が、白月しろつきは時を待てば道が拓けると言っている」白月は葛城の新当主だ。弥桜とバロンも会っている。

「それからお前達の学校の騒ぎだが、梅田広子にすべてかぶって貰った。夕姫が調べていた、バロンのクラスの欠席者は梅田の呪いによるものだった。彼女はバロンに懸想けそうした挙げ句に呪いを以て、ライバルとなるものを蹴落とす為にバレンタインのチョコレートを渡した者をターゲットとした。幸い学校関係者に死人は出なかったが、危ないところだった」龍光は広子の動機をかいつまんで話す。聞いていた輝虎と夕姫は気分が悪くなってきた。いくら人を好きになったからと言って、他人をそう簡単に呪術を使ってまで呪うものか?

「彼女は両親を殺害し、恐らく不特定多数を手に掛けている。マスコミには未成年と言う事で箝口令かんこうれいを敷いた」里の関係者は警察やマスコミにも入り込んでいる。

「それから後始末だが、呪毒とやらが被った床は鬼灯の手の者に監督させ、床のプラスチックタイルどころか、その下のコンクリートまで削って跡形も残さず回収した後、復旧させた。呪毒が付いた建材は全部封印して里に持ち帰り、鬼灯に処分させた」

「…ずいぶん手回しが良いことで」こうなる事を予期していた節がある龍光に夕姫が嫌味を言うが

「万全の準備をしていただけだ。学校には警察から両親を殺害した梅田広子がバロンに怪我を負わせて取り押さえられたという事にしてある。…学校は学籍を抹消した以上、彼女の生死に興味は無いからな。彼女の最後の消息は両親への殺人及び元同級生への殺人未遂で逮捕で終わりだ」嫌味にも動じず、事務的に話す龍光をかわいく無いと思う夕姫だった。

「お前達は明日から通常に登校しろ。事件については適当に誤魔化ごまかせ。バロンの登校については体調を見て決めろ、判断は任す。何か質問は?」

「吉野弥桜がバロンの解呪まで付き添いたいと言っているんだけど。白桜神社の雪桜さんもそうしろって」夕姫が弥桜の同行の許可を聞いてみる。

「私の判断ではなんとも言えないが…わかった。若に許可を得ておく。後は犬神氏に任せる。私も学校に戻らねば。…邪魔したな。さっきの続きをして構わんぞ」

「出来るか!」夕姫は恥ずかしさで真っ赤になりながら龍光を追い出す。


「これはいかん」疲れたのか再び眠りに付いたバロンを見下ろしペンタが言う。ペンタに気が付いた弥桜が客室に入ってきた。

「ペンタちゃん、来たの。バロン君と寝る?」バロンで寝るが正しいかもしれないが

「ダメだ。今のバロンと一緒にいるとマズイ」ペンタが顔をしかめる。

「マズイって?」弥桜が首を傾げる。

「呪いのせいでしょ」客室に後から入ってきた雪桜が言い当てる。

「ウム、健康なら問題無いがワシの気もバロンの身体に悪いし、呪いの気がワシにもたたる。ミオ、しばらくやっかいになるぞ」ペンタは相変わらず偉そうだ。

「ペンタちゃん、うちの娘と契約したんでしょ」雪桜がペンタに確認する。

「…ウム、仕方なくそうなった」ペンタは目を逸らす。

「ふーん、じゃあ弥桜の言う事は何でも聞くのね?」

「…何でもでは無い。例えばバロンをやっつけろと言われても出来んぞ」

「そんな事言わないよ!」弥桜が抗議する。

「そうじゃ無くて、何かを死んでもやって来いと命じられたら従わざるをえないでしょ?」

「……ウム…」ペンタは恨めしそうに母娘を見る。

「…そうなんだ…」弥桜も気付かなかった事を言われ、急に責任を感じる。

「はあ、こんな大妖怪をしたがえるなんて、このわたしを超えたわね」雪桜がため息をつく。

「ペンタちゃん、大妖怪なの?でも大ねずみにやられそうになってたって」

「…あの時はハラが減っておってな…」ペンタは気まずそうに言う。

「そう。でもこれでまた一歩、忍者に近づいたかな?」大ガマに乗るジライヤの様に、大きくなったペンタに立つ自分を想像する。まったく振れない弥桜だった。


 香港の玄室では姉妹が言い争っていた。

「今回もダメだったじゃ無い!あんなに経費と人手を掛けたのに!」アルがエルをなじる。

「…まだよ。まだ完全に呪いは解けてない。むしろ猶予ゆうよが出来た分、死の恐怖に怯えて苦しむ事になる。そしてついには…」エルが悔し紛れに吐き出す。残っていたウサギも黒く焦げついていた。一目で失敗だと見える。

「ヤツの命も、せいぜい一ヶ月…」エルが暗く笑う。


 4


 男がスクーターで丹波の山の間を走っていた。仕事で遅くなってしまい、街灯が無い道路に前後どころか対向車もすれ違わない。男には早く帰ってビールを飲むことしか頭に無かった。思わずアクセルを握る手にも力が入る。

 その前方に何か金属的な光るモノが見えた。かなり大きなものに見えた為、最初はトラックに追付いたと思ったが、進んでいる方向がおかしい。あんなところに交差点なんか有ったかなと思いつつ進んでいくと、トラックの荷台の様に平らでは無いことに気がつく。表面も金属と言うより鱗に見える。

「大蛇、イヤ、龍か?」そう言えばこの山には昔、龍が出たという言い伝えを子供の時に聞いた事を思い出した。スクーターを止めて呆気に取られていたが、何だか気配を感じ上を仰ぐと、爛々らんらんと輝く大きな目がこっちを見ていた。男は驚いて回れ右をして逃げていった。


 朝になり、目覚ましが鳴る前に弥桜が目覚めると、当然の様にペンタが胸の上で寝ていた。胸を枕にされているようで、文句の一つも言いたかったが諦めた。…きっとそういう運命なのだろう…

「ペンタちゃん、朝よ」弥桜が声を掛けると寝起きが良いのかパチリと目を覚ます。すぐ飛び降りて少女姿になる。

「おはよう、ミオ。相変わらず良い寝心地だった。やはり多少改善されたとは言え、夕姫ではモノ足りん」

「人を寝具みたいに言わないで…夕姫ちゃん、本当に大きくなったんだ…」

「そうじゃ…」ペンタは何か言いたそうだったが、

「こうしちゃいられないの」弥桜は慌てて着換え、収まりの悪い、くせっ毛を直しにペンタを置いて洗面所に向かう。今朝はバロンがいる。雪桜の朝食の用意を手伝い、一品でも多くバロンに出してあげようと考えながら、何故か閉まっている洗面所兼脱衣室の戸を開けると、バスタオルで体を拭いているバロンがいた。

「……イヤン」バロンが冗談めかして抗議する。

バンっと戸を閉め、ドキドキしている胸を押さえ

「ご、ごめんなさいっ!」幸か不幸か大事な部分は見えなかったのだが、弥桜はほぼ全裸を見てしまった。きっと雪桜が昨日は入浴出来なかったバロンの為に朝風呂を沸かして入ってもらったのだ。しかしこれではラブコメと逆ではないか。別に弥桜は裸を見られたい訳では無いが、バロンになら見られても…

『…気にしないで…でも、もうおムコにいけない…』


「そう、じゃあウチで引き取るわよ」話を聞いた雪桜は簡単に言う。バロンを加えた朝食の席の事である。

「母さん、それは」大三が異を唱える。

「だって、こんなに可愛い子、ウチに欲しいじゃない?弥桜さえ良かったら是非とも婿に迎えたいわ。ねえ、弥桜」勝手に話を進めているが、当人は死の呪いに掛かったままである。

「母さんったら…」真っ赤になる弥桜だった。他人の家の団らんで自分の話をしているという、ひどく居心地の悪い思いをしたバロンだった。


 輝虎と夕姫がバロンの着替えを持って、いつもの様に登校前に白桜神社に立ち寄った。

「バロン、具合いはどう?」夕姫が心配して尋ねるが

「もう絶好調だよ。呪われてるなんて自分でも信じられないくらい」バロンは明るく答える。今日は学校に行くつもりだ。

「でも気をつけなさい。場合によっては進行するかもしれないから。…お告げが有ったわ。西の方から便りが来ると。呪いを解く鍵はそこにあるかも知れない」雪桜が見送りに出てきた。

「大丈夫。母さんの見立ては間違ったこと無いの。バロン君が死なないって言えば絶対に助かるわ。呪いが解けるまで私も付いているんだから」力強く肯定こうていする弥桜だったが、葛城の石室前で言った事と矛盾していないだろうか?その手にはカバンの他にお重が有った。


 教室に入るとバロンと弥桜は質問攻めに会った。

「富士林、梅田に刺されたんだってな。大丈夫だったのか?」

「吉野さん、富士林君を取り合って梅田さんに殺されそうになったって本当?」

「梅田って学校で刃物を振り回したせいで退学だって?」という様な少しずれたウワサが流れているようだ。

「警察と学校に口止めされているんだ」とバロンは打ち合わせた通りの返事をして質問をかわす。弥桜の方は親しい友人に心配され、

「大丈夫だったから」を連発してやり過ごそうとしていた。疲れてきたのかハハハと乾いた愛想笑いを浮かべていた。質問攻めはホームルームが始まるまで続いた。


 ホームルームで新しい担任の先生から事件の公式見解を伝えられ、この件は以降話さない様に指示された。バロンと弥桜はやっと肩の荷が降りた気がした。後は弥桜の親しい友人達へ適当に誤魔化せば良いだろう。

 昼休みになり、お重を持った弥桜は三人を誘い、食堂に向かった。端の方のテーブルを確保し、お重を広げる。

「バロン君に作ってきたんだけど、良かったら夕姫ちゃんと笹伏さんもどうぞ」どう見ても宴会が出来そうなくらい量がある。このお重を作るため、弥桜の家の冷蔵庫の食材はほぼ空になった。

 食べ始めると意外と弥桜が食べるので驚く。

「弥桜ちゃん、そんなに食べたっけ?」夕姫が恐る恐る尋ねる。乙女にとって食べる量について尋ねるのはタブーだ。

「さ、最近、お腹がすごく空いちゃって。育ち盛りなのかなぁ」誤魔化している為に弥桜の声は変に裏返っていた。本当はペンタに気を送っている為、食べる量が増えているのだが、そうとは知らない夕姫達は思わず弥桜の胸に目が行った。なんとなく、みんな納得してしまった。

 ちなみにお重を食い尽くした輝虎と夕姫は学食のラーメン大盛りを追加で食べた。


「本当か、それは?」疑うつもりは無かったが、あまりの朗報ろうほうに光明の口からついて出た。この石室は邸内にあるものでは無く、森の中にある葛城の先代の魚月うおつきたおれた場所だ。

 光明には違いがわからなかったが、術者によるとこちらの方が雑音が少なくより精度の高い見立てが出来るそうだ。

「ええ、私の星見ではそう出ています。西の方角に龍が目覚めたと。その龍ならば富士林君の呪いを打ち消せるだろうと」白月は目を隠しているが、口元は微笑んでいる様に見えた。バロン倒れるの一報から、彼女も責任の一端を感じ、色々手を尽くしていた。必ず良い結果が出るとの先代の遺言だったが、自分の能力不足を疑ったりもした。

「わかった。感謝する。西だな?国内だろうな?」

「ええ、近畿地方だと思います。龍の方を探しますか?」先程までバロンの呪いを解決する方法を探していたので、龍自体の居場所は探っていない。

「ああ、頼む」

「では、……丹波……廃寺……ここまで判れば宜しいかしら?」短時間の集中だったが声に疲労がにじむ。先程までバロンの為に不眠不休で必死に探っていたのだ。疲労も溜まろう。

「十分だ。後はこちらに任せろ。御苦労だった」光明は白月の労をねぎらう。

「それから、さらに富士林君が龍から新たな力を得るだろう、と出ています」

「…それは太刀守の里に資する事かな?」

「さあ、そこまでは…しかし、富士林君は強大なチカラを手にするようです」

「そうか。では楽しみにしていよう」光明はニッコリと笑って石室を出た。


 4


「バロン君、力を失っていない?」学校の帰りに立ち寄った白桜神社で雪桜に唐突に言われた。

「僕ですか?さあ、背中以外は違和感無いし、どうなんだろう?」バロンが自分の事ながら首を傾げる。

「母さん、なんかわかったの?」弥桜が心配そうに尋ねる。

「うん、ちょっとね。じゃあ、バロン君これ握ってみて」雪桜はまだ預かっていた星辰の剣を持ち出してきた。バロンはなにか嫌な予感がして、恐る恐る手を伸ばすとバシィッとはたからも見える電光が走った。

「ウワッ!イタタ…ナニ、どうしたの?」星辰の剣を握ることが出来なかったバロンが蒼くなる。お務めを始めて以来、ずうっとバロンと一緒だった相棒に拒絶された様な気がした。

「…やっぱりか。この剣は穢れを嫌がっているの。祓う為に振るう分には問題無いけど、呪いを持った者に振るわれたくないようだわ。さっき気が付いたんだけれど、これは困ったわね…」雪桜は考え込む。

「…母さん、バロン君の呪いが解けるまで、代わりに私がこの剣で妖怪退治をするわ。カッパだってのっぺらぼうだって、まっぷたつにしちゃうんだから」ずいぶん可愛らしいモノばかり挙げるが、鉄鼠てっそ牛頭ごずを覚えていないのだろうか?

「…弥桜ちゃん、そんなに簡単じゃ…」夕姫が思い留まらせようと声をかけるが、

「やっぱり、それしか無いか…弥桜!しばらく本当にバロン君に張り付いていなさい。バロン君の護衛と呪いの状態の確認、呪いが消えるまで寝食を共になさい」

「「エエエッ?」」急に言いつけられた弥桜とバロンが驚く。

「夕姫さん、ふつつかな娘だけど、しばらく面倒を見て下さらない?」雪桜は一番、話がわかりそうな夕姫に話を振る。

「…わかりました。同衾どうきんはともかく、私の借りているアパートの部屋が空いていますので、とりあえずそこへ」夕姫は考えた末、一番現実的な解決策を提示する。

「いい、弥桜、修行だと思ってバロン君達と行動を共にしなさい。…これを機会にバロン君といい仲になっても母さんは許すわよ」娘をけしかける雪桜だった。まさかとは思うがこれが目的では無かろうか?

「母さんったら、本当にデリカシーが無いんだから!娘がグレちゃったらどうするの?」弥桜がプンプン怒る。

「そうねぇ、別の跡継ぎでも作ろうかしら…」この時、みんなは冗談だと思ったが…


 弥桜の父、大三が本当に嫌がったので、仕方なく雪桜が車に弥桜の身の回りの物を積んで、バロン達のアパートに運んだ。

「しっかりヤりなさいよ」雪桜はそう言って帰って行ったが、さっきの話を聞いた後ではナニをしっかりヤレと言っているのかはなはだ疑問だ。弥桜もそう思ったらしく、赤くなっているような気がする。

 夕姫は物置として使っていた個室の物をどけて、弥桜が滞在出来る様にした。もともとそれほど長期に一箇所に留まる予定は無かったので、それほど物は置いて無かった。お務めが始まって以来、これ程長く同じ場所に居られる事は無かった。弥桜のいた、この街は特別だ。

「後は合鍵かしら。この部屋と男どもの部屋の。犬神サンにお願いするわ。そうだ、犬神サンにも連絡入れないと」夕姫は携帯電話を取り出すと、犬神に電話をする。

「…もしもし、夕姫です。犬神さんはバロンの件、どこまで聞いてる?…バロンを巡って弥桜ちゃんと梅田広子が修羅場を演じて、挙句の果てにバロンが呪われた?どこの情報なの?ずいぶん精度が低いわね。違うのかって?大分おかしいわよ。…とにかく、呪われたバロンを補助する為、弥桜ちゃんが私の部屋にしばらく寝泊まりするの。合鍵をもう一組用意して貰えない?他に必要なモノはまた連絡するから。…えっ、京都の方らしい?事務局からの情報?いつから?見つかり次第。バロンの呪いに関してだ?…うん、わかりました。みんなに伝えとくわ。…行く時は弥桜ちゃんも同行させるけど良いわね?…ハイ…ハイ、わかりました、じゃ」夕姫が電話を切る。弥桜の件を依頼したら、次のお務めの話が出た。京都の山の中でバロンの呪いを解く方法がわかるかもしれない案件だそうだ。弥桜も同行させていいらしい。場所が特定され次第連絡が来ることになった。バロンの命が掛かっている。わかり次第すぐにでも飛んでいきたい。しかし龍だなんて特級の怪がそう簡単に見つかるものだろうか?

「…それ、持ってきたんだ」拡げた弥桜の荷物の中に、彼女がサスケと名付けた忍者クマのぬいぐるみが有った。

「当然。今、私の一番のお気に入りだもん。…そう言えば、笹伏君から貰った、夕姫ちゃんのぬいぐるみ、まだ見せて貰ってないな」

「…そ、そうだっけ?た、大したものじゃ無いのよ」突然言われて、夕姫は動揺する。

「ちょっと待ってて、…コレよ」夕姫が自分のベッドの上からクワトロと名付けた黒い大きなクマのぬいぐるみを抱えてきて、弥桜に披露する。

「ワアッ、大きい。…夕姫ちゃんのは黒いんだ。サスケ君のお兄ちゃんだね。…アレ?…クンクン、夕姫ちゃんの匂いがする…」弥桜はクワトロを見て驚くが、ある事に気付き、匂いを嗅ぎ出す。

「えっ、そ、そうかしら?」夕姫はとぼけようとしたが、

「だってコレ、夕姫ちゃんのシャンプーやリンスの匂いだもん。…名探偵、吉野弥桜の推理によると、夕姫ちゃんは毎晩このクマさんを抱いて寝ている!」

「ギクッ!」

「…そうかぁ、夕姫ちゃんは男前だと思ってたけど、意外に女の子らしいところも有るのねぇ。ねえ?笹伏君の代わり?」夕姫の弱みを見つけ、イタズラっぽく笑う弥桜だった。

「ま、まさかぁ、そ、そう、感触が良いから時々、枕にしているだけよ。本当よ」図星を刺され、動揺する夕姫は何とか誤魔化そうとする。弥桜はクワトロに抱きつくと

「ホラ、やっぱり夕姫ちゃんの匂いだ。…正直に話さないと見通しちゃうぞ」弥桜はチカラを使ってでも探ると言う。

「ズルい!人のプライベートを見ないで!…すみません、私がヤりました…」とうとう夕姫は白状する。

「うん、うん、これからは素直な女の子として生きていくんだよ」名探偵は夕姫の肩を叩いて更生を諭す。

「そうだな。そうしないと、いつまでも胸が大きくならんぞ」失礼な言葉をかけるやつがいた。

「…大妖怪さん、いたんだ?」弥桜はペンタが何処にいるか把握しているが、からかってみる。

「えっ、ペンタって大妖怪なの?もっと小物だと思ってた」

「…なんか文句が有るのか?」ペンタはふてくされる。

「いえいえ、大妖怪さんがなんか用があるのかなぁと思って」弥桜がさらにからかう。

「ミオまでこっちに来たらワシの寝に帰るところはココしかないではないか?」

「あら、大妖怪様が寝床を選り好みなさるなんて。テルのごっつい胸板で寝てくれば?」夕姫が胸の件を根に持ってやり返すが、

「…良いのか?返さんぞ?」ペンタも黙っていない。むろん、本当に輝虎を寝床にする位なら、床で寝る。

「夕姫ちゃん…良いわ。ペンタちゃん、私と寝よう…」弥桜が折れる。どうせこうなるのだ。夜の巫女忍者は大妖怪の寝床という定めなのだ。


「近畿方面ですぐに動けるものはいるか」竜秀は事務局の職員に尋ねる。バロン達の待遇について竜秀は言いたい事も有ったが、流石に呪われて死んで欲しいとまでは思わない。光明の贔屓ひいきが目に余る様な気がするだけだ。それにあのチームには夕姫もいる。なにか有ったら弟の龍成たつなりに合わす顔が無い。あいつは娘達を溺愛できあいしている。

「…スガルさんがいるようですが…」職員が言いにくそうに報告する。竜秀は頭が痛くなりそうだった。自分の親類の女共は跳ねっ返りばかりか。致し方ない。

「…構わん。連絡を取れ」


 5


 その夜、恐れていた事が起きた。バロンが突然苦しみだす。それを察知した弥桜は夕姫を起こし、男部屋のバロンの寝室に駆け込む。バロンはうなされ、歯を食いしばり、油汗をかいていた。

「バロン君!大丈夫?」弥桜は苦しそうなバロンを見て呼びかける。夕姫はバロンをうつ伏せにし、パジャマの背中をめくる。すると小さな黒いシミになっていた筈の呪いの跡が、赤いウサギの手の形に拡大していた。それを見て弥桜は息を呑むが、携えていたはらくしをその呪いの跡に念じながら触れさせる。祓い串から下がる紙垂しでが呪いを吸っているのか、みるみる気味の悪い赤黒い色に染まっていく。

「…夕姫ちゃん、これを窓とドアの外側に貼って…」精神集中しているのか、苦しそうに弥桜はふところから出したを夕姫に渡す。

「私で良いの?」

「夕姫ちゃんなら大丈夫、お願い」

 確認すると夕姫はすぐに窓とバロンの寝室のドアに符を貼り付ける。

「…相手がバロン君を直接呪詛しているみたい。少し見えたわ。ショートボブの女…海の向こう…丘陵地きゅうりょうち…」符を貼ったおかげか、バロンも弥桜も楽になったように見えた。弥桜は得意では無かったが雪桜の様に相手を探った。ショートボブの恐らくアラブ系の女が見えた。何処にいるのか探ると海外の美しい夜景が見える、丘陵地に立つマンションの様な建物が見えた。しかし、符を貼った事を相手が気付いたらしく、呪詛を中断した為、それ以上は見えなくなった。

「見えたの?」そこまで可能とは思っていなかった夕姫が驚く。里へ行ってから弥桜の能力は飛躍的に上がっていた。弥桜もバロン程の理不尽さは無いものの、厳しい特訓を経ていたのだ。

「ええ、これでハッキリした。相手は梅田さんに手を貸したんじゃなくて、最初からバロン君を狙っていたんだ。梅田さんは利用されただけ。…あの女忘れない…」弥桜がおっとりした印象にそぐわないつぶやきを漏らす。夕姫は思わずゾクッとした。怒らすと怖いのは意外とこういうタイプかも知れない。

 バロンは穏やかな寝息を立てている。シミも小さくなっている。

「…ねえ、シミの位置が変わってない?」夕姫が気が付いた。シミが右肩から背中の中央寄りになった様な気がする。

 夕姫が自室に戻り、真新しい巻尺を持ってくる。なんでそんなモノを持っていたのか弥桜は気になったが、聞いちゃイケナイと女の子の勘がささやくので黙ってる事にした。

「…呪いを解くまで、毎日チェックしましょう。ちょうど、ここのところにホクロがあるからここからの距離を測ろう」バロンの意外と白い背中に薄いが目立つホクロが左肩の下辺りに有ったので、それを基準とすることにした。

 呪いの跡がここに近づく前に何とかしなければバロンの命が危ない。

「…大丈夫か?」騒ぎに気が付いて起きてきた輝虎が様子を伺う。

「こうなると早く京都に行って、呪いを解く手掛かりを探った方が良さそうね」夕姫が腕を組んで考える。

「今度は京都なの?私も行って良いの?わあ、京都、修学旅行以来だな。ちょっと愉しみ」弥桜が能天気な事を言う。


「待てだと?バロン君をこれ以上追い詰めろと?」光明は白月に問いただす。今日は葛城屋敷の岩室で対面している。

「そうは言っておりません。日取りを選んだ方が良いと言ってるんです」白月は弁解する。

「彼のチカラの源、お伽草子は神々の機嫌に左右されます。それはより劇的な物語を常に求めています。つまりバロン君に求められているのは9回裏の逆転満塁ホームランです」白月のたとえ話はいつも俗っぽい。

「ギリギリまで待たなくてはならんと?」

「ヒイラギのばば様とも意見は一致しておりますが、バロン君の呪いは月が一巡すると完遂されるようです。つまり5月の3日が限度でしょう。逆に言えばゴールデンウィークに決着をつけたほうが良いと思います」

「…ずいぶん先だな。それまでバロン君は大丈夫か?」

「ハイ、彼の周りには頼もしい知人が多いようですし」

「わかった。それまでに龍のヤサを特定しておく。…それからその格好で横文字多用しないほうがいいぞ。様式美ってものがな…」

「アラ、今時そんなこと仰るなんて若も意外と古臭いんですね」


 

 6


「こんな京都、嫌ぁー」弥桜の絶望の叫びが丹波の山にこだまする。


 里がこの龍臥山りゅうがさんをやっと特定した。犬神によると猟犬部隊の地道な調査と外部の協力者による靴のかかとを摺り減らした結果らしい。里においても前代未聞の話だ。結局、バロンの身の回りを守りながら、4月は過ぎていき、5月の連休を利用して、京都の西、丹波の龍臥山に来た。

 犬神を車で待たせ、バロン、輝虎、夕姫と弥桜の四人は岩手の反省を活かし、ふもとから徒歩で行くことにした。

 指示のあった、龍臥山の雲井寺うんせいじの跡に向かったが、手の入らなくなった参道は荒れ放題で草が生え、登りづらくなっていた。それを輝虎が三叉戟さんさげきで切払いながら登り始めると、有象無象の怪が現れる。

 あやかしとは魑魅魍魎ちみもうりょうの類や、堕神だしんや精霊等が人や社会にあだなす様になったモノをそう呼んでいる。バロン、輝虎と夕姫は怪に対処するお務めという太刀守の里のしきたりに当たってきた。しかし、今回はバロンの呪いを解くのが最優先の為、出来れば余計な怪を相手にしたくはなかった。

 怪達は最初、遠巻きにこちらをうかがっていたが、登って行くうちに、ちょっかいを出してきた。

 幸いしたのはほとんど小物ばかりで、付喪神つくもがみや山や森林の精霊の様な怪だった事だ。不幸だったのはその数だった。百鬼夜行ひゃっきやこうが少なく見積もっても5セット、千鬼夜行と言っても良い数だった。それがチョロチョロと足元を周り始めた。積極的にこちらを害する感じは当初は無かったが、登るのを妨害する為、輝虎が雑草ごと打ち払うとアッサリたおれた。それを見た他の怪が四人に殺到さっとうする。

 輝虎は大業物おおわざものの三叉戟、鬼鯱おにしゃちで周囲を圧倒する。夕姫はその後ろから中型や物騒な怪を選んで弓で撃ち抜く。バロンは星辰の剣を振るえないので、輝虎に借りた小太刀で迎え撃った。意外だったのは弥桜で星辰の剣を振るい、バロン以上に小物の怪を倒している。

 怪はほとんどが付喪神だったらしく、打ち倒すと壊れた器物として転がり、ゴミのように転がる。陶器の怪は砕け、他の怪も折れたり、穴が開いたりと意外と無惨むざんだ。しかしそんな事に同情する余裕は無く、油断すればあっと言う間に囲まれそうだ。

 四人共、自分の事だけで精一杯になってしまい、病み上がりというか、呪われ中のバロンが劣勢になっている事に気付かずにいた。逆に怪の方はくみやすいとみたかバロンに殺到する。小物ばかりなので致命的な攻撃を仕掛けてくる怪はいなかったが、このままでは袋叩きになる。一番近くにいた弥桜が気付き、駆け寄ろうとするが怪に阻まれ思うように進めない。そこで奥の手というか、猫の手を出す事にした。

「大妖怪さん、GO!」すると弥桜の背負ったデイバッグから黒い影が飛び出し、怪をなぎ倒す。今日のペンタは弥桜から十分に気をもらっているので、絶好調だ。大ねずみの時の体たらくはもう無い。逆に周りの怪から気を吸い上げて、行動不能にする。里で变化使へんげつかいの猫飼里弧ねこかいりこに教わった方法だ。しかしそれでも数が減った様に見えない。

「テル!バロンがマズイわ!一度出直そう」ようやく気付いた夕姫が先頭で中型の怪を相手にしていた輝虎に叫ぶ。

輝虎は振り返って見下ろし、蒼くなり引き返そうとする。夕姫もバロンの周りの大き目の怪を狙っているが、一向にバロンが見えない。そこへ变化したペンタが飛び込む。夕姫達には見覚えの無い、黒いライダースーツの長身の女性に化けている。たちまち怪の塊からバロンを引き抜き、来た道を駆け下りる。

「オイ、降りるぞ」ペンタの抱えたバロンは気絶しているのかグッタリしている。

 輝虎、夕姫と弥桜もそれを追って駆け下りる。途中で女子達に追付いた輝虎が二人を両肩に引き上げ、足元の悪い参道跡を駆け下りる。怪が背後に迫ってくるが脇目も振らず疾走する。夕姫が振り返り、牽制けんせいにクナイを投げるが、後から後から現れる。

 やっとふもとの道路のアスファルトが見えると、正面に真っ赤な女性ライダーがいる。傍らにある大型バイクから、ツナギやヘルメット、長い髪まで真っ赤だ。赤いライダーは不敵な顔でこちらを見上げている。

「あれは…」夕姫は女性の顔に見覚えが有った。輝虎がその俊足しゅんそくで怪の追手を引き離すと、ライダーは振りかぶり、クナイらしい物を両手で二振り、輝虎の背後の怪に放つ。ダルマとヤカンの付喪神らしきモノに突き立つと冷たい大爆発が起きた。

 輝虎達は背中に爆風を感じる。輝虎の足でなかったら危ないと言うか、それを見越して投げたと見るか、微妙な線だったが怪の追撃は退けた。見れば赤いバイクの脇に寝かされたバロンと、黒猫に戻ったペンタもいた。

「やあ、皆さん、お困りのようだねぇ」一仕事終えてバイクに持たれた赤いライダーが話しかけてきた。逃げ切った輝虎は二人を下ろし、

「助かりました。ところでどちら様で?」我ながら間抜けな質問だと思ったが、里の関係者に違い無い。

「スガルさん、お久しぶりです。夕姫です」夕姫は知っていたようだ。

「久しぶり。元気してた?あの夕姫坊がこんなに綺麗になっちゃって。龍成クンも気が気じゃないよね。笹伏からムコ取るんだって?で、そこの大きいのがそう?」スガルと呼ばれた赤いライダーは夕姫に無遠慮に話す。スガルは竜秀や夕姫の父親、龍成のいとこに当たる。夕姫を生まれた時から知っている。

「…真田スガルよ。竜秀クンにあなた達の応援を頼まれたの。よろしくね」スガルはニッコリ笑う。まあ、営業スマイルなのだが。そんな事も知らず輝虎は相好そうごうくずす。

「…こっちの背がでっかいのが笹伏の四男、胸のでっかいのが白桜神社の巫女よ。ついでにそこでのびてるのがうちのチームリーダーよ」輝虎の反応を見て機嫌の悪くなった夕姫が投げやりな紹介をする。

「…夕姫ちゃん…吉野弥桜です。助けて頂いてありがとうございます」弥桜は夕姫の紹介に不満を訴えるが、丁寧な挨拶をした。

「スガルよ。あなた、相当なチカラの持ち主みたいね」弥桜の素質を一目で見抜き、右手を差し出す。

「ありがとうございます。スガルさんもスゴイ技お持ちですね」弥桜は握手する。

「輝虎です。この間、竜宮流の範士になりました」輝虎が自分から握手を求めて右手を出す。夕姫が後ろで睨んでる。

「で、色男さん、夕姫とはどこまで行ったの?でもあの子、ああ見えてヤキモチ焼きだから気をつけなさいよ。ホラ、夕姫坊が睨んでるわよ」輝虎の手を引き寄せ、耳打ちする様にささやく。輝虎は後ろから殺気を感じ、慌ててスガルから離れる。

「で、そのチームリーダーさんが呪われてるっていう子?」バロンを見下ろし確認する。

「ええ、かなり厄介な呪いらしくて、里でもサジを投げられてね。この山に出るっていう龍なら彼の呪いを解けるって葛城サンが言っているらしいの」まだ機嫌の直ってない夕姫が経緯いきさつを話す。

「えー、白月のヤツが言ってるの?あいつの占い当たったの見たこと無いよ」スガルと白月は幼なじみで、スガルが里を飛び出すまで学校が同じだったこともあって友人関係は続いている。今でも里に所要で戻ると葛城を訪れている。

「あ~、でも魚月のバアちゃん死んで跡継いだんだっけ?じゃあ、ちょっとはマシになってるのかな?」白月が当主になってからはスガルは里に戻ってない。

「まあ、アタシはお金貰えればそれで良いんだけれど」スガルは竜秀にお金で依頼を受けたらしい。

「でも、今日は出直した方が良いよ。犬神センパイ来てるんでしょ?この子運ばなくちゃならないし、呼び出して」


「出てらっしゃいよ」気絶しているバロンを犬神のバンに乗せる騒ぎの間に離れたスガルはやぶに声をかける。すると少女姿のペンタが出てくる。

「…」

「アンタ、マリアンヌでしょ?綾姐さんはどうしたの?」

「…気が付いたのか。…綾は死んだ。バイクで地雷を踏んでな…」マリアンヌと呼ばれたペンタはうつむいて話す。ペンタはバロンを救い出す為、とっさに元の飼い主の姿になった。あの状況では最適な姿と思ったからだ。その姿で道路まで逃げ切ったペンタはスガルと出くわした。

「…ワシはすでに变化の仲間入りしていたのでな。…ワシだけ助かってしまったよ…」

「…そうか。姐さんったか…」スガルも残念そうにつぶやく。

「だからあんなに紛争地帯は気をつけろって言ったのに…」

「綾が引っ掛かったのは、もう何年か何十年も前の地雷だったらしい。かたきを取ろうと探したが、もう誰のものかも分からずじまいだった」

「そう、姐さんを看取みとってくれてありがとう、マリアンヌ。で、今はあの神社の娘にくっついてるの?」

「…成り行きでな。それから、今はペンタだ。拾ってくれて、名付けたのはバロンだぞ」そこは重要だからなと、ペンタは強調する。


 7


 バロンは怪の群れに飲み込まれた際、懐かしい顔を見たような気がした。

(…あれは綾さん。どうしてこんなところに…)世界をオートバイで旅していた綾と出会ったのは中東だったろうか?寝床と食料を提供する代わりにバロンの母親達の手伝いをしていた事が有った。一か月も経たずに旅に戻ると言って出ていったきりだ。その後は知らない。


「バロン君、大丈夫?もう痛いところない?」バロンが目覚めると覗き込む弥桜の顔が有った。

「…目覚める度に吉野さんの顔があるのは嬉しいけど、そんな顔をさせているのは我ながら情けないな」バロンが苦笑する。

「…そんなぁ、バロン君。気にしないで。私を助けた為にこうなったんだから。それより弥桜って呼んで。助けてくれた時みたいに」弥桜は照れながら伝える。

「…そお?じゃあ弥桜ちゃんって呼んで良いかな。…もう、一生分気絶したような気がする。…どうなったの?」バロンは状況を気にする。

「お熱いとこ、申し訳無いんだけれど、あんまり良い状況じゃ無いの。…始めまして、チームリーダーさん、助っ人の真田スガルよ。よろしくね」ここは犬神が用意した宿で、男子用に取った部屋だ。寝かされたバロンの周りに、弥桜、輝虎、夕姫、犬神とスガルがいる。ペンタは面倒なので女子用に取った部屋に隠れている。

「…綾さん?…人違いか…こちらこそよろしくおねがいします。富士林楓太郎です。良かったらみんなのようにバロンって呼んで下さい」バロンがスガルを誰かと一瞬見間違えたようだった。

「!…そう。じゃあバロン君って呼ばせてもらうわね。龍臥山は今、怪でいっぱいだったわ。今まで騒ぎにならなかった所をみると、最近集まってきて、山からも迷い出て無いようね」スガルはバロンが綾を知っている事に一瞬驚いたが、それを隠し、現状を分析する。

「やっぱり目覚めたと言われてる龍に呼び寄せられたのかなぁ」弥桜は自分の勘を話す。

「無関係では無いでしょうね。弱小とは言えあれだけの数の付喪神、見たこと無いもの。問題はアレを突破して山頂にあると言われてる廃寺で龍に会う事が出来るかと言う事」

「…犬神サンのバンで駆け上がれないかな」バロンは思いついた事を口にする。

「おいおい、さすがに無茶だろう。話で聞いただけだが、そんなに数の多い怪に囲まれたら袋叩きだ。岩手の山中の比じゃ無いぜ。もう車を壊すのは勘弁してくれ」自動車を愛する犬神がバロンのアイデアを嫌がる。

「だいたいあの参道を登れるの?」夕姫が疑問に思う。

「アレは普通の参道じゃなかったと思う。両脇は段々畑の耕作放棄地みたいだった。ずいぶん人手が入ってないから分かりづらかったけれど。あの道は生活道路だったんだ」

「バロンってスゴイわね。あの戦闘中にそんなモノ見てたなんて。私なんか単なる藪だと思ってた」夕姫がバロンの観察眼を褒める。

「ウン、ウン」弥桜も賛同する。

「だから馬や牛が登れるようになっているんだ。頂上までそうなっているかは判らないけど」

「馬や牛が登れるって言うならアタシのバイクが行けない事ないか。犬神センパイの車はともかく、アタシのバイクは戦うバイクだから。ま、アタシはお金貰えればどこでも行くけど。問題は戦力ね。あの数を相手に夕姫坊と笹伏の輝クンだけじゃね」スガルは問題点を指摘する。

「…応援を呼ぶか?」犬神が心配して口を出す。しかし、今回の件はバロンの呪いを解く為の行軍なので、お務め本部に救援は求めづらい。ツテで誰かを頼るしかない。

 スガルは今回、竜秀にお金で雇われている怪事件のコンサルタントだ。能力を活かし、フリーランスで全国を周り怪事件の解決を生業としている。お務めの後も怪に関わっている稀有けうな存在だ。

「時間が惜しいわ。さっきバロンの背中を見させて貰ったんだけれど、昨日より1センチも移動してた。出来れば2、3日中に解決したい…」夕姫はあせっていた。弥桜や雪桜は大丈夫だと言っているが、安心は出来ない。

「…エエイ!背に腹は代えられない。最終手段よ、カネで解決するわ。犬神サン、弾丸で里へ行って貰えない?」

「ユーキ、まさか?」輝虎がなにかに思い当たった。

「そう、そのまさかよ。テルの財布も当てにしてるから」


 8


「お姉ちゃん、京都で一日食べ放題って間違いないんでしょうね」約束を確認するべに。コイツは最近、姉への敬意と信頼がいちじるしく低い。

「ワーイワーイ、アルバイト!食べ放題!」遠足気分でテンションの高い瑠璃るり。コイツは何も考えて無さそうだ。

「しっとりとした古都を歩く私。ああ、なんて絵になるのかしら」ひとり陶酔とうすいする翡翠ひすい。コイツは相変わらずナルシストだ。夕姫は妹達を前に一抹いちまつの不安を感じる。

 犬神に徹夜で連れて来てもらったのは夕姫の三子の妹達、人呼んで凰の三雀だった。彼女達は夕姫の京都で一日食べ放題という条件で駆り出された。もちろん彼女達の母親、茜には許可をもらっている。曰く、

「食費が浮いて助かるわ」だ。夕姫としてもこれだけは使いたく無かった手だがバロンの命が掛かっている以上、致し方ない。それに打算も有る。妹達は真田出身の父、龍成に手ほどきを受け、近接戦闘では夕姫も及ばない程の実力の持ち主なのだ。そのトリッキーな性格も合わせ学校でも相当手を焼かせているらしい。しかし、あの参道にたむろする怪相手にはもってこいの筈だ。三人共、実戦は初めてだが、思いっきりやって良いと言ったら喜んで今から興奮している。…普段一体ナニをヤッているのだろう。夕姫は姉として不安を感じたが、今はバロンの事が先決だ。


 作戦はこうだ。輝虎が先頭でぎ払い、その後を弥桜を中心として三雀達が続き、後方から掩護射撃兼、シンガリとして夕姫が就く。状況を確認し、タイミングを見計らい不調のバロンを乗せたスガルのバイクが駈け上がる事になっている。もし、失敗となったら人命優先で犬神がバンで突入する事になっている。


「僕、役立たずどころか、みんなの足引っ張っちゃってるね」バロンが苦笑する。龍臥山の入口だ。念の為、付喪神の残骸の回収を兼ねてお掃除部隊が来て、付近の道路を封鎖している。

「仕方ないさ。アタシが見たところでも、手の込んだ厄介な呪いを掛けられてるんだ。今回は仲間を信じて頼ってやんなよ」スガルはフリーランスで怪奇事件の解決を請け負っているだけはあって、得意分野では無いが呪術に関しても造詣ぞうけいが有る。

「…ところでアタシの事、綾姐さんと間違えたみたいだけど、姐さんを知ってるのかい?」

「綾さんを知っているんですか?ずっと前、母と一緒に中東のボランティアのキャンプにいた時、綾さんが立ち寄った事があったんです。世界を旅しているって。真っ黒で大きなバイクに乗って。スガルさんと違って黒いツナギだったけど。そういえば日差しが強いと熱くてたまらないって言ってたなぁ。あのひと、どうしているんだろう?」バロンが懐かしそうに話す。

「…そう、綾姐さんと会った事が有るんだ。綾姐さん、女性ライダーの間では有名人だったんだよ。アタシも世話になったんだ。…姐さん、誰が仕掛けたかもわからない地雷を踏んで死んだって…」スガルは辛そうに口にする。

「ええっ!本当ですか?笑顔が素敵な良いお姉さんだったのに。…地雷なんていう見ず知らずの人を殺す兵器なんて世界から無くなれば良いのに」その瞬間、バロンはもとより、誰にも知られずに世界中のほんの僅かだが、人がいない場所で地雷が破裂した。バロンのお伽草子のチカラが波及はきゅうしたのだ。呪われていても神の寵愛ちょうあいは途絶えていなかったのだ。

 世界中に埋設されている地雷の一握りだったかも知れないが、確実にその地雷で怪我や命を落とす人が減った筈だ。

「アンタ良いヤツだね。気に入ったわ。コレで本当に呪いが解けると良いね。アタシも気合い入れて仕事にかかるとするよ」スガルはバイクと装備の確認をし、バロンを乗せる仕度をする。


「イイ、あんた達、危なくなったら引き返すのよ。合図のけむり玉持ってる?」夕姫が妹達に再度言い聞かせている。今日の夕姫はフル装備だ。先日支給された強化学生服の上に胸当て、手足に篭手こて脛当すねあてを付けている。牛頭戦の時はセーラー服だったが、今の高校に合わせブラウスにスカートだ。

 妹達は父親との稽古に使っている道着を持ってこさせた。前回のバロンの怪我を見て余程下手を打たなければ大怪我はしない筈だとみて、動きやすい装備にした。

 三雀達はそれぞれ得意な得物を持っている。紅は両手に太刀、瑠璃は短刀を数本、翡翠は鎌をたずさえているが見えないところにも隠し持っている筈だ。

 紅は夕姫が習得出来ていない、凰が伝える鳳凰の剣と呼ばれる型を舞える。弓の練習ばかりしていた夕姫は未だ覚えられていない。

 瑠璃は聞くところによると近接戦闘のエキスパートらしい。夕姫も見たことがあるが懐に飛び込んだ瑠璃が大男を吹っ飛ばした事も有る。輝虎でも懐に入られたら危ないだろう。

 翡翠は柄まで鋼製の鎌を持っているが、投擲を得意としている。夕姫は彼女が面倒くさがって投げたものを外した事を見たことが無い。最近は取りに行くのも億劫おっくうがって鋼線を使い始めている。里のどこかで見たものを見様見真似で始めたらしい。

「みんな、よろしくね。バロン君の呪いを解く為に協力してね」護られる形になる弥桜が三雀達にお願いする。彼女は里の工房が悪ノリして造った戦闘用巫女装束を着用している。

 太刀守の里でも有名人になった弥桜がお務めに同行すると聞き付けた、工房の有志が岩崎、葛城、鬼灯の男性陣の総力を上げて作成されたと聞く。当初、忍者好きの弥桜の為、時代劇に出てくる様な露出度が高いくノ一型が考案されたが、それを見た夕姫の猛反対にあって却下となった。ならば、せめて巫女姿は譲れないと神社の無い里の男どもの血と汗の結晶らしい。

 夕姫は馬鹿だなぁと思ったが、弥桜がより安全になるなら何も言うまいと思った。弥桜自身は最初に提案された忍者服が良いと言ったがアレはマズイ。動いただけで色々ハミ出そうだ。

「じゃあ、上手く行ったらおっぱい触らせて」瑠璃が見返りを要求する。

「ええっ、私、女の子だよ。瑠璃ちゃんも女の子だよね?」予想外の報酬に戸惑う弥桜だったが

「男にはおっぱいは有りません。それに弥桜お姉ちゃんと一緒にいると胸が大きくなる様な気がするんです。夕姫お姉ちゃん、何か知りません?」こんな時は鋭い紅が急に夕姫へ話を振る。ギクッ、と図星を指された夕姫はなってしまうが

「さ、さあ、私はわからないわね」と、とぼける。

「えっ、弥桜お姉ちゃんの胸をむとおっぱい大きくなるの?じゃあ揉むもむ!揉みまくる!」美容に一番関心のある翡翠まで加わる。誰も揉むとまでは言ってないはずだが、いつの間にか触るから揉むになってる。

「ゆ、夕姫ちゃん、た、助けて」弥桜が胸を隠して夕姫の方へ後ずさる。半分、涙目になってる。そんな弥桜の肩をポンポンとたたき、

「がんばって。バロンが助かれば安いもんじゃない。胸揉むの手伝おうか?」夕姫はニッコリ笑って提案する。

「イヤァ~!」弥桜の悲鳴が再び山にこだまする。


 輝虎は意気込んでいた。バロンを救えなかった事を挽回する為、イヤ、バロンの為、なんとしても怪の群れを突破し、龍がいると言われる山上の廃寺へ辿り着かなくては。その為に輝虎は考えられる最善の準備を行った。虎光にニ分割してもらった戟の柄は、二本共穂を取り付けてある。この二本でできるだけ多く怪を打倒し、雲井寺への道を切り開かなければ。

 その後どうやってバロンの呪いを解くのかわからないが、自分の役割は無事にバロンを廃寺に立たせることだ。その為だったら自分の命を掛けても良いと思っている。

 ここへ来るまでも術者による干渉が有り、バロンに発作が現れたり、弥桜が用意した符が壊れる、スガルが置いた盛塩が黒く染まるなど、呪術に疎い輝虎でも状況が悪い事はわかる。弥桜と夕姫が観察している、バロンの背中のシミも中央まで移動しているらしい。一刻の猶予も無い。

 作戦は弥桜とスガルの意見で午後2時から始める予定となっている。夕姫の妹達を交えたすでに食べ放題の様な昼食は終えたし、もうまもなく作戦開始時刻だ。輝虎は二振りの三叉戟をグッと握りしめる。


 9


 参道に怪は見えないが気配は強く感じる。夕姫は音を発する鏑矢かぶらやを参道に沿って打ち込む。するとワラワラと付喪神を中心とした怪が現れる。輝虎は闇雲に突入せず、ふもとで怪が出切るのを待つ。うっかり進み過ぎると側面から後続が不意打ちを受ける確率が高くなるからだ。

 それにしても数が多い。京都中の付喪神が集まっているみたいだ。スガルの分析では目覚めた龍の気に引き寄せられて、弱小な怪が集まって来るのではないかと言う。世間にはこんなに怪が隠れ住んでいるのだろうか?そう思いつつも輝虎は戟を振るう。

 参道が怪で見えなくなるのを待って輝虎が登り始める。

「ワリぃな、バロンのためだ。往生してくれ」壊れて転がる食器や諸々もろもろを見て、少し心が傷まないでもないが、今はそうも言ってられず、輝虎は足を速める。

 その後ろを三雀が輝虎の打ち漏らしや、側面から湧いた怪を片付ける。三人はハイキングのテンションで付いてくる。初の実戦のハズだがすでにゲーム感覚らしい。

 さらにその後ろをおっかなびっくりで巫女装束に似合わない、黒いデイバッグを背負った弥桜が続く。三雀達が片付けてしまうので、すでにやるところは残っていない。胸ぐらい触らせてもお釣りが来るくらいだ。多分。

 夕姫は慎重に観察しながら進む。我ながら妹達を駆り出したのは正解だったと思ったが、時々、付喪神に混じって厄介そうな山のや、堕神らしきモノがいるのでそれを狙撃している。矢で倒せなくても射られた事に気づけば輝虎か、三雀達が処理する。やる事の無い弥桜なんかパレードを進むみたいだ。

 三雀の活躍は夕姫の予想以上で目をみはる。

 紅の双剣はいかにも優雅だが、撫でる様に振られた太刀は力を込めてはいなさそうなのに付喪神達を斬り捨てて行く。

 瑠璃は動き回っているが、付喪神の群れに飛び込んで行くとあっと言う間に群れが潰れる。バシャっという音が聞こえそうな位だ。手数が多すぎて強化されている夕姫の視力でもやっと見える位だ。ほとんど者はヤられてもわからないだろう。

 特筆すべきは翡翠だ。最初は夕姫にも何をやっているかわからなかった。ずっと弥桜の隣でブラブラ歩いているように見えたが、彼女の周りで付喪神が勝手に弾けた様に見えた。しかし弥桜に飛び掛かってきた付喪神が空中で砕けるのを見て夕姫も気が付いた。翡翠は分銅付きの細い鋼線を操り、付喪神を倒していたのだ。面倒くさがりの翡翠は一歩も踏み出さず、弥桜の横を歩いたまま、付喪神を倒しているのだ。

 夕姫は妹達の成長に舌を巻くと同時に、姉として威厳を保つ為、今後あなどられないように精進せねばと思った。山の中腹辺りに差し掛かり、さすがに怪達の抵抗も散発的になって来たところで夕姫は携帯電話でふもとの犬神に連絡を入れる。

「犬神サン、スガルさんをお願い!」


 夕姫が連絡を入れてまもなく、爆音を立てながらバロンを後ろに乗せたスガルが駆け上がってくる。その後ろにはバイクの音に刺激されたのか、怪の群れが付いてきていた。何処にこんなに潜んでいたのだろう。

 夕姫を抜き去りざまに

「お先に!」と声をかけ、クナイを二本バイクのバックから引き抜き、輝虎の前の怪の群れに投擲する。正面の最後の群れだ。また冷たい爆発が起きて正面の群れに穴が開く。

 必死にしがみつくバロンを乗せ、輝虎も抜き去る。バロンが心配そうに振り向くが夕姫達は大丈夫そうだ。

 とりあえず当面はスガルが引き付けてしまった怪達を片付けなくてはならない。

「夕姫、吉野さんを連れて先に上に行け。ここは俺だけで十分だ」輝虎が怪達の足止めをすると言った。

「夕姫姉、私もう少し遊んでから行く」瑠璃が残ると言う。

「じゃあ、私も。練習になりますから」紅があれだけ斬っても足りないと言う。

「私、登るの疲れた。これ以上登ると脚が太くなっちゃいそう」翡翠は自分の美貌の為に残ると言う。

「…わかったわ。危なくなったら逃げなさいよ。テル、この子達をよろしく」そう言って弥桜の手を取って上に向かう。

「わかった。任せろ」輝虎は笑って見送る。


 夕姫と弥桜はバロン達を追って廃寺に向かった。残された輝虎達は数は減ったが怪の群れを迎え撃つ。今までと違い、下からも大群が迫っているので全方向だ。

「俺が下をやる。打ち漏らしたら頼む。…そうだな、頑張ったら京都のお土産買ってやる」そう言って輝虎は二本の三叉戟をつなぎ、両端に穂が有る一本の戟にする。そうして群れの中央へ飛び掛かる。怪達は大鎌を振られた麦の様に薙ぎ払われ、壊れた元の姿をさらす。まさに獅子奮迅ししふんじんと云う勇姿だ。

「おお、輝兄ちゃんカッコイイ。ねえ、何体倒した?」瑠璃が振り返って姉妹に尋ねる。

「754」紅が答える。

「632よ」翡翠が面倒そうに答える。

「私、821。誰が一番倒せるかやろうよ」トップの瑠璃が提案する。驚く事に三人共、あの乱戦で倒した怪を数えていたのだ。

「輝お兄ちゃん千は超えてるわね。それに大物も倒している。今からじゃ追い付かないんじゃ」紅が文句をつけるが

「じゃあ、私達三人で一番を決めよう。一番が弥桜お姉ちゃんのおっぱいに最初に触る」瑠璃がニンマリ笑う。

「そうね、それが美しいわね。じゃ」翡翠が珍しくやる気を出して、残っている群れで多そうなのを見つけて向かっていく。

「ビリは夕姫姉のおっぱいだ。行くね」瑠璃が自分の持ち分を探して出ていく。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あんなの揉むところ無いじゃない」紅が姉が聞いたら怒ることを言いながら慌てて飛び出す。


「くちゅん!」夕姫がくしゃみをする。

「大丈夫?寒くなってきたもんね」弥桜が心配するが

「…誰かが私の悪口言っている気がする…」夕姫は来たほうを振り返り睨む。

「そうなんだ…夕姫ちゃん、来たよ」大分数は減ったが先行したスガルのバイクに刺激された怪が散発的に出てきている。

「ペンタちゃん、手伝って!」弥桜は背負ったデイバッグに呼びかける。

「ウム、退屈しておったぞ」ペンタはデイバッグから飛び出し、瑠璃に化ける。

「…なんで瑠璃なの?」夕姫が疑問に思う。

「…不本意だが、紅の技は真似できん。翡翠の技もかなり技術が必要だ。瑠璃の技が一番相性が良い。サイズもな」そう言って怪の群れに飛び込む。その姿は瑠璃そのものだ。尻尾を除いては。しかし威力は段違いらしい。瑠璃の攻撃よりも遠くの怪まで打ち倒している。

「これは楽できるわね」小太刀を引き抜いた夕姫だったが、ペンタだけで一掃しそうな勢いに手持ち無沙汰ぶさたを感じた。

「さすが大妖怪」弥桜も無邪気に喜んでいる。いつもは供給している気も周りの怪達から吸収しているようで、弥桜に逆流してきている。何も食べていないのに胸やけしそうな勢いだ。

「うぷ、ペンタちゃん、気が戻ってきてる。大技使って消費して」たまらず弥桜が指示すると小山の様な大きさの化け猫に变化し、辺りを蹂躪じゅうりんしていく。

「…やれば出来るんじゃない…」呆気にとられた夕姫がつぶやく。

「ペンタちゃんはやれば出来るコなの」妖怪使いになった巫女が自慢する。


 10


 廃寺は見るも無惨な有様だった。すでに崩れかかっていて、本堂なのか違うのかもわからない有様だった。途中、怪は数体現れたが、スガルのバイクに追いつけないか、スガルが処理した。バロンは無傷で雲井寺跡についた。

 しかし、龍がそこら辺で昼寝している筈も無く、バロンは途方にくれる。辺りは暗くなってきた。そのうち夕姫と弥桜も追い付き、辺りを探るが手がかりは無かった。

「そんな…こんなに苦労したのに…」夕姫が思わず弱音を吐く。

「…待って、きっと日が沈まないと現れない」弥桜がなだめる。暗くなった空には星が見え始める。

「そうだ。我は陽の下には出ん」上から大きな声がした。見上げると爛々と光る大きな目が四人を見下ろしていた。

「…びっくりした。突然現れないでよ」突然空中に現れた新幹線サイズの声の主に驚いたスガルが代表して抗議するが、

「突然の来訪者だ。こちらも驚く」犬神のバン程ある頭を持つ龍が言い返す。その姿は絵に書かれた龍が飛び出してきたような姿をしており、暗闇でも鱗がギラギラと光ってうねる。

「何年、いや何十年ぶりの客人よ。何か用なのか?気まぐれに訪れたと言うのなら早々に立ち去るが良い。見ての通りここには我以外何も無いぞ」龍は眠そうに言った。

「突然訪れてすみません。僕、富士林楓太郎と申します。実は僕、呪いを掛けられてしまって困っているんです。星見の人が言うには貴方ならこの呪いを解けるって聞いてここまで辿り着いたんです。お願いです。僕の呪いを解いて貰えませんか?」バロンが切々と龍にお願いした。

「フム、確かに呪われておるな。それもずいぶん手の込んだ、まじないらしい。フム…そうだな解いても良いが我の話も聞いて貰えんか?」そう言って龍は語り始めた。

「我がこの地に来た頃はまだ人が住んでおってな、山裾では田畑を耕しておった。我はな、気ままに飛んだり雨や風を起こしていたのだが人間達には大分迷惑だったようでな」

「ずいぶんヤンチャしてたのね」まだヤンチャしてそうなスガルがちゃちゃを入れる。スガルはこの龍の姿を見て物理的な実体は無さそうだなぁと考える。

「まあ若気の至りと言う奴かな。まだあの頃は二千歳そこそこだったものでな。とうとう人間達は高僧とやらを呼び寄せ、我はこの寺に封じられてしまったのだ」

「危ない龍さんなんですか?」弥桜が心配そうに見上げる。

「怖がる事は無いぞ。白桜の巫女。確かに封じられた直後は人間を恨んだものだが、ここに封じられて以来、下の人間の営みを見て、こんなに儚いモノを我は害してしまっていたのだと思い、少しは改心したのだ。我等は長命な上、力がある為、小さき者をかえりみないことがままある。我はここでようやくそれに気が付いた」龍はその姿に似合わない後悔がにじむ声で告白する。

「その為、日照りや旱魃かんばつで人々が困らぬ様、適度な雨を降らし、水では困らぬ様にした」

「そうか、だからふもと近くの段々畑か」バロンが気が付いた耕作放棄地を思い出す。

「そう、我が眠りに付く前はこの山の中ほどまで人間達は田畑を造っておった。この界隈では水に困らないので盛んに穀物等を育てていた。それを感謝し、この寺と山は龍神の加護が有ると崇拝までされていた。しかし、人間達はお互いに争う。この様な辺鄙へんぴな山奥まで戦乱は及び、ふもとの集落も散り散りになった。細々と百姓を続けるものもいたが、それもすぐにすたれた」龍は昔を懐かしむように話す。

「我は封じられて以来、うたた寝を繰り返していたのだが、人間達が居なくなり、退屈したため深い眠りについてしまった。つい先頃目が覚めると辺りは一変していた。相変わらず人は戻って来てはいないが、寺は打ち捨てられてこの有様だし、道は油で固められ、金属製の車が行き来していた。我はアレが嫌いだ。喧しいし、嫌な匂いがする」アスファルトで舗装された道路と自動車の事だろう。

「目覚めたは良いが、寺の結界が破れており、我のチカラが漏れるために、周辺一帯より魑魅魍魎を呼び寄せてしまっている。しかし、この不自由な状態では追い払う事も出来ない。そこでだ。お主達に我をこの地に封じている要石を取り除いてもらえまいか。さすれば富士林殿の呪いも解こうし、ささやかだが礼もいたそう。如何いかがかな?」龍はここから解き放って欲しいと要望する。

「暴れたりしませんか?」

「しない。我も同胞達の様に天に還ろうと思っている。そうだな、そなたの命を盾に取っていると思われるのも不本意ではあるな。ソレ、背中を見せ給え」

「こうですか?」バロンが背中を向けると龍はその手を伸ばし、つまむように何かを引き剥がす。辺りは真っ暗なのにおぞましい程黒いとわかる何かが、バロンから引き抜かれる。バロンは呪われて以来の気だるさから開放され、爽快そうかいな気分になった。

「カサブタ剥がしたみたいに気持ちいい。やっとスッキリした。これでもう大丈夫なのかな?もう、メロドラマの主人公みたいのは勘弁だ」バロンは色々と吹っ切れて久しぶりに心から笑みが出た。

「…バロン君、本当に良かった」責任を感じていた弥桜が嬉し涙を浮かべる。

「これで妹達にご褒美をあげられるわね。ねえ弥桜ちゃん」夕姫がいたずらっぽく弥桜に念を押す。三雀達は弥桜の胸を触らせてもらうと言っていた。

「エエッ?私だけじゃ無いよね?夕姫ちゃんも一蓮托生いちれんたくしょうだよね?」胸を押さえた弥桜はもう違う意味で涙目だ。

「良いわよ、もし妹達が私からって言うならね」夕姫は(悲しい)自信たっぷりに言うが後で後悔する事になる。

「なんだろう?僕の思うご褒美とは違うものなのかな。…どうもありがとうございます。でも良いんですか?先に呪いを解いてしまって。このまま僕達が帰ってしまったらどうします?」バロンは龍の方に振り返り礼を言い、浮かんだ疑問を伝える。

「なんの。こちらの誠意を見せただけだ。お主達を信用している証拠と言う訳だ。…そうだな、お主達に逃げられたらまた数百年でも寝て過ごすか」龍は長命らしく悠長な事を言う。

「しかし、これで落ち着いて話せよう。お主達の利点はさっき伝えた様に、我からの礼だ。それに魑魅魍魎共もこれ以上集まらないだろう。不利な点も伝えなければ公正とは言えまい。それは我が此処を去った場合、この一帯の環境が変わる事だ。さっきも話した様に我は暴れないと約束するが、我の体はすでにこの山に深く根付き、地脈、水脈と結びついている。我が解き放たれると付近の井戸が枯れたり、最悪の場合、土砂崩れが発生するやも知れない。時間はたっぷり有る。その利害を良く考えて判断してくれて良い」龍はゆったりと話す。まるでどちらでも良いと言わんばかりだ。

「…でも、それは貴方の犠牲の上に成り立っているものですよね?」バロンは龍に確認する。

「まあ、そうなるな。しかし数百年もこの状態なのだ。突然、環境が変われば人間達も困ろう」龍は自身より人間の生活を心配する。

「貴方がいると参道にいた魑魅魍魎もますます集まってくるんですよね」この山にいた怪についてもバロンは心配する。

「誰かがこの寺に有った結界を貼り直さなければそうなってしまう」龍は相変わらず平坦にバロンの質問に答える。

「わかりました。少し考える時間を下さい」


 遠く離れた玄室では惨状が広がっていた。バロンからチカラ任せに呪いが引き剥がされた為、呪詛を行使したこの場に返ってきたのだ。ウサギ達から造った呪具は燃え上がり、玄室の主であるエルは右眼を押さえ床に倒れ込んでいる。

 右眼を押さえた指の間からは黒い煙が出ている。エルは万が一、呪詛が返ってきた場合に備え、命の代わりに右眼を代償にする様にしていた。バロンに掛けた呪詛には絶対の自信が有った。人間には解けるはずが無い。明日になればあの小倅こせがれはのたうち回って命を落とす筈だったのだ。それがなぜ?エルは呪詛返しによる右眼球の猛烈な痛みの中、考えたがわからない。まさか人智を超えた龍が呪いを引き剥がしたとは考えも及ばない。

「エル?エル!どうしたの!なんてこと」妹の異変を察知したアルが玄室の有様を見て青ざめる。すぐエルを抱き起こし、玄室を出る。

「エル!その眼はどうしたの」事情がわからないアルがエルの顔を見て驚く。その右眼窩は地獄の焔に焼かれた跡の様に黒煙を発している。

「…おのれ、ミュンヒハウゼンの小倅め。この借りは必ず…いっそ直接この手で…」エルは地獄から這い出た悪魔の様な表情でつぶやく。そんな妹を複雑な心境で見つめるアルだった。


 11


 輝虎達、居残り組が圧倒的な力で魑魅魍魎達を制圧すると、逃げられた怪は散り散りとなり、もう襲いかかってくる度胸のあるものはいなくなった。所詮小物だったのだ。

 参道の中央の平らな場所でおやつに持ってきたおにぎりを三雀達は5人前ずつ食べると輝虎に寄りかかって寝てしまった。敵はいなくなったとは言え戦場でだ。いい度胸をしている。さすが夕姫の妹だなと、十人前のおにぎりをペロリと平らげお茶が欲しくなった輝虎はそう思った。そこへお茶のペットボトルが飛んでくる。

「よ、ご苦労さま」お掃除部隊を引き連れた犬神が現れた。この参道はさすがに一晩では片付かないとは思われるが、里のお掃除部隊は優秀である。もしかしたらやり遂げるかも知れない。

「…お姉ちゃん、もう食べられないよ…」紅の寝言である。もう京都での食べ放題を夢見ているらしい。

「…こんな硬いの揉めないよ…」苦しそうな瑠璃の寝言は意味不明である。

「…スゴイ、こんなに膨らむなんて…」翡翠は夢の中で餅でも焼いているのだろうか?

「かわいそうだから起こさないでやってくれ。車で来てるのか?」輝虎が尋ねると

「ああ、四駆を持ってきてもらったんでな。…預かるよ。上が気になるんだろ」犬神は凰の三雀達を車までそっと運ばせ、輝虎を見送る。

「こうやって寝てると可愛いのにな。うちの子も大きくなったらこんなに、おっかなくなるのかな?」犬神は自分の娘を心配する。


 輝虎が暗い参道を駆け上がると火の明かりが見えた。夕姫、弥桜とスガルが焚き火で焼き物をしている。バロンは少し離れた寺の建物跡に腰掛け考え事をしているように見える。

「どうした?龍は見つかったのか」輝虎が状況を尋ねると、夕姫が黙って上を指差す。輝虎が上を見ると焚き火に負けない強さで輝く龍の目が二つ有った。

「…びっくりした。こんなにでっかい怪は初めて見た」夕姫達がのんびり夜食を食べていなければ思わず身構えてしまっただろう。しかし龍の下でバーベキューってのはとてもシュールに見える。

「始めまして。我が王の技を受け継ぐものよ。我がお探しの者だ」輝虎の三叉戟の事を知っている素振りで話しかけてきた。

「…話せるんだ。…俺の流派を知っているんですか?」輝虎は好奇心に負けて龍に尋ねる。

「ああ、その技は我らが竜王が眷属達に伝えた技だ。元をたどれば赤き王が竜王に伝授したものと聞く。…その時が来るまで大切に守るが良い。近い内にその技を受け取る者が現れよう」途絶えても不思議ではなかった竜宮流の戟術を守れと言う。

「赤き王?貴方は赤き王を知っているんですか?」夕姫が赤き王という名に反応する。

「そうね。里の外では初めて耳にするわ。てっきり里のジジイ連中のヨタ話だと思ってた」スガルも聞いたことが有るらしい。

「…そうだな。知っていると言っても我が生まれる前の話だ。我もまた聞いた話だが神代かみよの時代、光の御子と闇の御子が争い、世界が混沌こんとんに包まれた時、赤き王が降り立ち、戦を収めたと聞く。我らが竜王の祖も赤き王に従い、地に降りたそうだ。全ては神代の話だ。まさに年寄りのヨタ話という形容にふさわしいな」龍は昔ばなしをする。

「そう。私の聞いた話も大差無いわね」スガルが収穫無しという顔する。

「それも大事な話かもしれないが、バロンの呪いはどうなったんだ」輝虎が最も大事だった要件の成否を尋ねる。バロンはさっきから真剣な顔をしてなにか考え込んでいる様に見える。輝虎は呪いを解く為、バロンが龍に無理難題を持ち掛けられたのかと想像してしまう。

「大丈夫、龍神さん、バロン君の呪いは引き剥がしてくれたの」黒猫姿のペンタを抱えた弥桜が教える。ペンタは焼いたソーセージをかじっている。

「じゃあ、なに悩んでるんだ?」輝虎がバロンを指差す。

「この龍を寺から開放するか悩んでるのよ」夕姫が答える。

「なんで。呪いを解いてくれたんだろ。放してやれば良いじゃないか」

「そう簡単な話じゃないのよ。まあこっち来てなにかつままない?」スガルが火のそばに誘う。

 火のそばに行き、持っていた残りの食料を出した輝虎は経緯を聞いた。すると立ち上がってバロンの隣に行き

「バロン、お前のやりたいようにやれ。どちらを選んでも俺はお前を支持する。良いじゃねえか。たとえこの辺りが激変しようが。自然現象みたいなもんだ。あの龍の恩恵にあぐらをかいていた奴等が悪い。もし感謝しているんだったら言い伝えを守り、この寺を維持しているはずだ。しなかったから怪があふれるほど寄ってきたんだぜ。逆に解き放ちたくないって言うなら、俺がここに残ってこの山を管理しても良い」輝虎がバロンを信じ、その為ならばと自分の決意を表明する。

「ありがとう、テトラ。決心がついたよ。…龍神さん、貴方を開放したいと思います。やはりどんな理由が在ろうと貴方を犠牲にし続けることは出来ない。どうしたら良いですか?」輝虎に背中を押されたバロンが龍に開放の方法を尋ねる。

「そうか、感謝する。そこにある石が見えるか。それが要石だ。それを霊力のこもった物で砕けば開放される」龍は生い茂った雑草の間に見える輝虎でも抱えられそうにない大石を指さす。バロンはそれに既視感デジャヴを感じる。

「…そうだねぇ、巫女ちゃん、気を込めてヤッてくれない?」スガルは弥桜に石を斬る様に言う。

「えっ?私?」弥桜がビクッとしたため、腕の中のペンタが迷惑そうに見上げる。

「そ、夕姫坊とテル君は無霊力だし、バロン君は病み上がりみたいなもんでしょ。アナタが最適なの。その霊剣でチャチャッとね、さぁ」スガルは戸惑ってる弥桜を促す。

「…そうね。悪いけどこの間みたいに神楽を舞って、星辰の剣にチカラを込めて斬りつけると良いわ」無霊力と言われてムッとしていた夕姫だが、ふてくされている訳にもいかず弥桜にアドバイスする。怪を視られるくらいの霊感は有るので、無と言う程ではないのだ。

「そう?じゃあ…」まだ納得がいかなかったがバロンの為と思い準備する。


 12


 弥桜に用意された新型のお務め服は神楽を舞うにも、ちょうど良かった。まさかとは思うが、このような事態を想定していたのではと疑ってしまう。実のところは里の男連中の趣味なのだが。

「いきます」弥桜が星辰の剣を振りながら舞い始める。バロンが倒れたときと違い、みんな余裕を持って鑑賞出来る。バロンも今回は見とれている。

「へー、スゴいもんね」初めて見るスガルではあったが流れ込んでくる気というかチカラの流れを見ていた。

「なんと素晴らしい」見下ろす龍も絶賛していた。

 弥桜は終盤に近づくと輝虎が事前に雑草を刈っていた石までを舞いながら進む。最初は淡かった星辰の剣の輝きは、今では昼の様に辺りを照らし出す。

「今日は気合い入っていない?」夕姫が指摘する程に眩しく剣が輝いていた。それを要石に振り下ろす。ガコッと鈍い音がして、石が割れる。

「おお、これで我は自由だ」頭上の龍は薄れていく。そして割れた石の下が盛り上がり、大きな柱が飛び出す様にそそり立ち、その後天高く飛んで行く。まるで目の前でロケットが発射された様だった。

「…行っちゃったね…」バロンが思わず間抜けな感想を言う。

「…うん…」一番間近で龍の飛翔を見て尻もちをついていた弥桜が応える。するとバンという破裂音とともに

「すまん、すまん。余りの嬉しさに年甲斐も無く興奮してしまった。礼がまだだったな」龍が舞い戻ってきた。幽体と同じように頭上に浮遊しているが、先程とは段違いの存在感だ。神威しんいを発しており、金属の光沢を持つ鱗がギラギラと輝いている。

「そんな、お礼だなんて。僕達はやるべき事をしたまでです」バロンは遠慮するが

「そんなこと言わず貰っておきなさいよ、ね、ね」スガルは揉み手をしそうな勢いでバロンに勧める。

「約束は約束だ。嫌だと言っても貰ってもらうぞ。まず楓太郎、君にはこれだ」龍が手を開くと刃が波打つ短剣が現れる。降りてくるそれをバロンが受け取る。

「これはクリス?クリスナーガかな。おおっ?」儀式に使う様な波打つ刃を持ち、柄や鍔は龍の印象を持つデザインに見える。バロンが柄を握ると刀身から緑色の焔を噴き出す。

「それは君専用だ。今後呪われようが、死にかけようが君だけが振るう事が出来る。そちらの星辰の剣は環境次第でチカラを振るえない事があるからな。龍のチカラはどんな時でも強大な威力を発揮出来る。ただし、譲ったり、遺したりは出来ない。君が手放した時にガラクタになる。過ぎた力は争いの種だからな」龍は条件付きの武具をバロンに渡した。

「ありがとうございます。正しい事に使うと誓います」バロンが礼を言う。

「白桜の巫女、星辰の剣を見せてくれないか」今度は龍が弥桜に声を掛ける。

「これですか」弥桜は星辰の剣を捧げ持つ。

「ああ。…やはりこの剣は錆び付いているな。…これでヨシ。今後この剣は造られた当時のままに七つの力を振るう事ができる。木火土金水と日月の七曜だ。使い方は知識の有る者に聞くか、試しながら覚えると良い。それからお主にはこれだ」龍はそう言って腕輪の様な物を弥桜の右手首に出現させる。リーンと澄んだ音がする。

「その腕輪の鈴は邪悪なモノを近付けず、あらゆるケガレや呪いを取り除くことができる。巫女としての勤め、存分に致すが良い。ただし、その腕輪もお主一代限りだ。譲る事も出来ない」

「ありがとうございます、龍神さん。これからは呪いなんかに負けません」弥桜が語気強く礼を言う。よほどバロンの受難が腹に据えかねたらしい。

「竜宮流の伝承者よ、お主にはこれを」輝虎に向けて渡したのは黒鉄色の三叉戟を放る。それを輝虎がガッシリ受け取る。この三叉戟は穂先から石突きまで一体で継ぎ目が無い。

「その戟は何でも撃てる。たとえ霊体や幽体にでも力を振るえる。この戟は竜宮流の伝承者のみ遺す事を許そう。必ず流儀を伝えていって欲しい」輝虎に竜宮流の将来を託したいらしい。輝虎は物理的攻撃は得意だが、実体の無い相手は苦手だったので守備範囲が広がる。

「わかりました。途絶えさせないよう努めます」輝虎は最近名前を知った自分の流派を、背負う覚悟をする。

「鳳凰の片翼よ、お主にはこれを」夕姫の手にはヒモの様な細い物が降りてくる。

「我の髭だ。弓の弦にするが良かろう。これを張った弓を弾けば魔を払い、射た矢はどんな硬い物でも射抜ける。またお主が使っている間は決して切れる事は無い。お主が手放せば漢方くすりくらいにはなろう」龍はとうとう自分の体から報酬を出し始めた。

「ありがとう。本当に良いの?」夕姫は過分なお礼に恐縮するが

「なに、その様なものいくらでも有る。問題は均衡きんこうだ。与え過ぎは良く無いと我もわかっておる。お主達が悪用せんと信用しての事、それから下にいるレディ達の分だ。彼女達も我が引き寄せてしまった魑魅魍魎を撃退してくれた。渡してくれ」夕姫の目の前に三つの光が生まれ、手を出すとそこに収まる。

「龍玉と言う物だ。その大きさでは思い通りになる事は無いが、星回りは大分良くなるハズだ。これも当人限定とさせてもらう。誰に渡せば良いかわかるな」龍の持つ玉は願い事を何でも叶えるらしいが、貰ったサイズではそこまでは無理だそうだが、非常に貴重な物だ。バロンを見ているので星回りの良い人間がどんなものかわかる。トラブルの無いバロンだ。玉は赤、青、緑だ。妹達の名前通りに渡せば良いのだろう。

「本当にありがとう。妹達に代わって礼を言うわ」

「なんの、感謝しているのはこちらの方だ」

「…ねえ、私には無いの?」スガルが物欲しそうに口を挟む。

「なんだ、大人も贈り物が欲しいのか?」龍は前のめりのスガルをからかう。

「私がここまで彼らを案内したのよ。多少お姉さんだって除け者は無いんじゃない」スガルは不満そうに抗議する。多少お姉さんと言う言葉に夕姫は突っ込みたいのを我慢する。

「冗談だ。お主にはこれが一番嬉しかろう」意地悪なのか、勢いよく黄金色の腕輪が落ちてくる。今までの贈り物とはかなり異質に見える。スガルはそれを慌てて受け止める。

「金運の腕輪だ。欲を出さなければ金に困る心配は無くなる。これもお主専用で譲渡不可だ。まあ、お主が手放すとは思えんが。足るを知る事だ」

「何よ、ずいぶん曖昧ねえ。ガツガツするなって事でしょ。でも大丈夫かな?ワタシって欲深いオンナだから」スガルは自分の性格を心配する。しかし、しっかり腕輪は左腕にはめる。

「さあな。…では渡したぞ。ム?そうだな、まだ礼を受け取るにふさわしい者がいるな。白桜の巫女よ、友人にこれを」弥桜の目の前に金色の石で出来た勾玉が現れる。

「これは?」弥桜がどうしたものか尋ねる。

「渡せばわかろう」龍は空気を読んだのかペンタを名指ししない。

「それから下で後始末をしている者たちにも」そう言って龍は身震いすると大皿くらいの輝くものが降り注ぐ。五人は慌てて龍から離れる。ザクザクと地面に突き立ったのは銀色に輝く鱗だった。

「古くなったモノだがそれを渡してくれ。ささやかな礼だと。おそらく人間には価値があるだろう。それでは今度こそ、さらばだ。ありがとう、人間達」舞い戻ってきた時と同じに唐突に龍はかき消えた。気づけば東の空が白み始めている。結局ここで徹夜してしまった。


 13


「犬神センパイ、お疲れ様」スガルが凰の三雀を宿に送って戻ってきた犬神を労う。バロン達は犬神が戻ってくるまでと、龍の鱗を拾ったり、付喪神の残骸を回収の手伝いをしていた。

「おう、お前もな。甘いので良いんだよな」犬神は温かい缶コーヒーをスガルに放る。若い頃、さんざんおごらされたのでスガルの好みは知っている。

「サンキュー。さすが犬神センパイ、気配りの人だなぁ。…でも、まさか杏子を選ぶなんて思わなかったよ」犬神と犬神の妻、杏子とスガルは昔一緒のチームでお務めをしていた事がある。

「…だって、お前は一緒になっても家庭なんかに入らないだろう?今だってこうして全国を飛び回ってるじゃないか」犬神とスガルは一時期いい雰囲気だった事があった。

「まあね。私も狭い里で一生を終えるのはまっぴら御免だからね。今は国内だけれど、いずれは海外にも行ってみたいと思ってるよ。ところで杏子と茉莉まつりちゃんだっけ?元気?」茉莉は犬神の愛娘だ。

「ああ、元気過ぎて家じゃ俺は肩身狭いよ。こんなハズじゃなかったんだけどな」犬神は肩をすくめる。

「お互い年をくったってコトだよね。あの子達見てると本当にそう思うよ。私達もあんなに素直な頃が有ったのかって」

「バカ言え、俺もお前も最初からひねくれてたぜ。俺たち二人とも家や里から飛び出したくて、お務めに参加したんじゃないか」

「そうだったね。それにあんなに優秀じゃ無かった。それにバロン君、あの子本当に面白いね。私もこんな事続けてると色々見てきたけど、龍なんて大物初めて見たよ。あの子って行く先々であんなのに遭遇するの?」

「去年の夏は海坊主、二月には牛鬼とかに遭ってる。あいつの特性だな。退屈しないぜ」

「面白そう。でもそれだけセンパイは大変か。…ところでお務めの兄弟制やめたんだって?」犬神やスガルがお務めの時代はチーム内の年齢は高校生の3学年から1名以上で構成されており、三年生が抜けると新一年生が補充される、兄弟制と呼ばれるシステムだった。それが最近バロン達のように全員同学年という構成になっていた。縦の関係から横の関係を重視しているらしい。結束力は強いがベテランのノウハウが伝承されにくい。それを問題視する者もいた。

「ああ、何でも師条の若の発案らしい。里の戦力拡充の一環だそうだ。竜秀さんは反対らしいが」

「そっか。竜秀君、今お務めの責任者だもんね。実際どうなの?」

「…結構、損失も膨らんでいるらしい。竜秀さんの眉間のシワが増えるんじゃないか」犬神達のようにお務めの後見と言う名の世話係たちの間では面倒事の数だけ真田竜秀のシワが増えるという冗談がある。

「…言って良いか判らないけど、この山が怪しいって判ったの2週間も前だったの…」スガルが声をひそめて犬神に打ち明ける。

「なんだって?」犬神が驚く。

「バロン君、私が見たところでも結構ギリギリだったけど、この日程にしたのどうも若の指示らしいのよ」

「それは本当か?」犬神の感触でも今回は切迫している筈なのに悠長ゆうちょうなスケジュールだとは思っていた。しかし若の指示だったとは。確かに現在、このチームは光明の預かりとなっているが、バロンの解呪の実行はお務めの事務局で計画していると思っていた。

「…里の中にいると気が付かないかも知れないけれど、最近の里は変わった気がする。…若の影響が大きくない?」師条家は女系だが時々男子が生まれることがある。大抵、戦乱や変革が起こる時であり、師条家というか、太刀守の里では男子の誕生を忌み嫌う。闇に葬った事もあると聞く。スガルも傍系とはいえ里の行政を司る真田家に連なる者として色々聞いたり思うところもあるのだろう。

「とにかく若には気を付けたほうが良いと思うよ。じゃあコレ」スガルは名刺を犬神に渡す。

「何か問題が発生したら格安で相談に乗るから、よろしく。そのうち茉莉ちゃんに会いに行っていいかな?センパイと杏子の娘って興味あるんだ。じゃ、また」そう言ってバイクにまたがると山を降りていく。

「せわしないヤツだな」犬神はため息をつく。しかしスガルが元気にやってそうで安心もした。

「スガルさん、行っちゃたんですね。お礼も言えなかったな」バロンが残念そうに見送る。

「また会うこともあるだろう。名刺置いていったぞ。じゃあ、お前達も引き上げるぞ。後は大人に任せろ」


 宿は夕姫の希望通り温泉付きだったのだが、昨日まではバロンの呪い騒動で堪能出来なかった。しかし今日は存分に楽しめるハズだ。山で夜を明かしてしまったので、遅い朝食を取ったがまだ昼前だ。汗を流すと同時に思惑もあって弥桜を誘い夕姫は風呂に向かう。もちろん混浴は無い。犬神は同じてつを踏まない。

「なになに効能は打ち身、ねんざ、腰痛、それから安産?…安産だって、弥桜ちゃん」夕姫は湯船に浸かりながら壁に掛かった泉質表を読む。

「さすがにまだ関係ないよ」

「意外とすぐ必要になるんじゃない?」

「エエッ!…そんなこと言ってる夕姫ちゃんこそ…」そこへドカドカと夕姫の妹達が入ってくる。

「いたいた。それではご褒美を戴きます」珍しく翡翠が前に出る。

「エエッ、ご褒美ってここで?」三雀達のご褒美というのは弥桜の胸に触る事だが、直だとは言ってないし、了承もしていない。しかし

「えっ?ちょっと待って」弥桜は妹達が胸に思う存分触れるよう、夕姫に羽交い締めにされる。

「ウラギリ者ー!」弥桜が絶叫する。

「大人しくしなさい。約束したんでしょ」夕姫は楽しそうだ。

「では、私から」怪撃破数最高だった翡翠が手をワキワキさせながら弥桜に近づく。

「イヤ、夕姫ちゃん、お願い、放して!アッ!」翡翠がねっとりと弥桜の胸を揉み始める。

「…柔らかーい…こんな胸があったら私も男達を誘惑し放題なのに…」翡翠はため息を付きながら感触を堪能する。

「早く変わりなさいよ」撃破数2位の紅が急がせる。

「あれっ?」夕姫が瑠璃が視界から消えた事に気が付いた。

「…私、ビリだったから夕姫姉なんだ」この世の終わりのような瑠璃の声が背後から聞こえた。姉妹で競争すると言い出した時にはトップだったのだが、前に進み過ぎた瑠璃は高位の山の怪に遭遇してしまい、撃退に時間を取られて二人に数で負けてしまった。数で勝負すると言い出した手前、引っ込みがつかず、瑠璃は罰ゲームよろしく姉の胸を揉むことになった。

「エッ?ギニャアアアー!」夕姫は背後から子泣きじじいよろしく張り付いた瑠璃に胸を掴まれ悲鳴を上げる。

「あれ?有る…」夕姫の胸をまさぐっている瑠璃が不思議がる。

「え、なにが?」紅が聞き返す。

「夕姫姉の胸が有る。ちゃんと揉めるぐらい」瑠璃が状況を報告する。

「ウソでしょ?凰の地平線と言われた夕姫姉の胸が膨らんだなんて言うの」大分失礼な事を口走るくらい翡翠も驚く。弥桜の胸は紅に交代して夕姫の胸を確認しに行く。

「あんた達いい加減にしなさいよ!アッ、イヤンッ!」夕姫は怒るがつい、いつに無く可愛らしい声が出てしまった。夕姫から開放された弥桜が紅に胸をもてあそばれながらジト目でにらむ。

「夕姫ちゃん、自分も胸を差し出すって言ったよね?いい気味だわ」紅に胸を揉まれながら、ヤケ気味の弥桜が言い放つ。


「あ、ユキねえの悲鳴だ。何やってるんだろう?」男湯のバロンが不思議がる。男湯と女湯は壁で仕切られているだけなので、大声は聞こえる。輝虎とお風呂にいたバロンの耳にも夕姫達の悲鳴は聞こえた。

「…きっと褒賞ほうしょうをあげてるんだよ」三雀達の会話を聞いてしまって事情を知ってる輝虎は答える。

「…ふーん、お風呂であげられるモノなんだ。なんだろう?」バロンは首をひねる。

「たぶん、女同士の秘密があるから詮索せんさくしないほうが良いぞ」


「シクシク…」風呂上がりの弥桜が泣いていた。

「シクシク…」今回は夕姫までメソメソしていた。夕姫は風呂上がりの輝虎を見つけると寄りすがり

「…テル、私ヨゴレちゃった…」ヨヨとベソをかきながら輝虎に衝撃の告白する。

「な、なんだ、どうしたんだ?」聞き捨てならない夕姫のセリフと浴衣姿に動揺する輝虎だった。

「夕姫ちゃんも、とうとう妹さん達に洗礼を受けたのよ。いつも私ばかり犠牲になってたんだから」涙をぬぐいながら弥桜が訳を話す。

「…瑠璃達にあんな事されて…私、もうちょっとで…テルにもさせたこと無いのに…」いつに無く打ちひしがれている夕姫の姿に輝虎はドキドキしてしまった。

「最近、紅ちゃん達、上手になっちゃって…その

…」弥桜が思い出して真っ赤になる。

その脇を妙に充実した顔の三雀達が通っていく。

「ああ、満喫した。少しは私も大きくなったかな」翡翠が自分の胸元を覗き込む。

「そんなに変わる訳ないでしょ」紅が突っ込む。

「やっぱり弥桜お姉ちゃんの方が良かった。迫力が違う…イタッ!」瑠璃が感想を言いながら通っていくと夕姫が涙目で頭をはたく。

「暴力反対!」瑠璃が頭を押さえる。

「躾けよ、躾け」フン、と言い捨てる。


 14


 里の事務局から正式に龍臥山の怪の掃討がバロンのチームに出た。三雀達は宿で待ってるかと聞くと

「弥桜お姉ちゃんに付いて行く」とずいぶんなついてしまって、同行してきた。

 弥桜も臨時なのだが、協力してくれると言うのでそれを考慮した作戦を立てた。弥桜が神寄せの神楽を舞い、呼び寄せられた魑魅魍魎を一網打尽にしようという計画だ。場所は廃寺で行う事にした。弥桜の衣装は先日と同じ型の強化巫女装束だ。その上に外套を羽織っている。装束のまま人目を引かないよう、また弥桜の気を遮り怪の目からも逸らす。弥桜は力を付けたい怪に襲われやすい。その為にあつらえられた外套だ。それだけならまだしも、

「…あの足袋たび草履ぞうりだけで私達の強化制服上下作れるほどおカネ掛かってるらしいよ…」夕姫があきれ顔でもらす。当然、弥桜には聞こえないようにだが。傍目にはなんの変哲も無いが、足袋は整地用のロードローラーでいても型くずれもしないし、草履はダイヤモンドカッターで切りつけても容易に切れないシロモノらしい。岩崎の持つ研究所の独身男性総力を上げて仕上げたと聞く。夕姫のあんな足元で大丈夫かと素朴な指摘を犬神が聴いてきてくれた話だ。足元でさえ、それなら装束に関しては言わずもがなだろう。お陰で弥桜は怪我らしい怪我をしていない。凰家の姉妹から受けた心の傷を除いては。

「ねえ、弥桜お姉ちゃん、必ず護り切るから今度は私にもご褒美頂戴っ」先日、勝負に負けて姉のスケールに劣る胸を撫で回すハメになった瑠璃が弥桜にご褒美の話を持ち掛ける。

「駄目ですっ!もうあんな事しちゃ駄目です」弥桜は精一杯拒否した。

「減るもんじゃないし良いじゃん」瑠璃がなおもすがるが

「減るんなら良いけど、これ以上増えたら困るのっ!」弥桜は真っ赤になって拒絶する。

「「「「増えるのっ!?」」」」凰姉妹全員が弥桜に振り向く。その中には夕姫も含まれる。

「…な、なに?」弥桜は肉食獣に囲まれた様に身の危険を感じ、たじろぐ。四姉妹の視線は弥桜の胸部に注がれるが

「「「「はあ〜…」」」」自分たちの胸と見比べ、ため息をついた。

「所詮、雀は鷹には成れないのよね」と夕姫。

「三輪車とダンプよね」と紅。

「カップ麺とフカヒレラーメン!」と瑠璃。

「看板娘とミスユニバースね」と翡翠。

「「「「はあ〜…」」」」四人合わせても弥桜一人に敵わない凰家はため息をつくしかなかった。

「…あげたら減らないで増えるご褒美ってなんだろう?それにお風呂であげてたって聞いたし…」バロンには疑問が増えるばかりだ。

「…いつかバロンも貰えるんじゃないか?…でもわかるまで欲しいって言っちゃダメだぞ!」バロンの肩を叩きながら事情を察した輝虎がフォローする。このままにしておくとバロンが弥桜に、自分にもご褒美欲しいと言い出しそうだ。友人としてそれは止めたい。

「…うん、わからないけど、わかった」輝虎を見上げるバロンの純粋な目がまぶしい。俺もよごれてるんだなと輝虎は思った。


 魑魅魍魎たちを迎え撃つ準備を整え、弥桜が舞い始める。足元は輝虎とバロンが雑草の残りを払ってある。

「…すごい…女神様みたい…」

「弥桜お姉ちゃんキレイ!」

「悔しいけど勝てない…」練習以外では初めて見る三姉妹は弥桜の神楽に感嘆かんたんしている。しかし、惹き寄せられたのは人間ばかりでは無い。龍の気を断たれた、生き残りの怪がワラワラと姿を表す。

 夕姫は鐘楼しょうろうがあったと思われる一段高くなった石組みの上から大物を狙い撃つ。弓には龍の髭を張ってある。お陰でいつになく調子が良い。

 輝虎も前回の反省を活かし、密集している箇所より、大物、または危険を感じる山の怪を優先して討伐する。そうしないと他のメンバーに負担がかかる。瑠璃には前回、悪い事をしたと反省していた。手には龍から貰った戟を握り締めている。さすがの切れ味で、一突きで怪は滅び、浅く切りつけても付喪神は弾け飛ぶ。

 バロンは戸惑っていた。あまりにも龍神の剣の威力が強力なのだ。星辰の剣の時は刺すか、ぶん殴る感じだったし、輝虎に借りた小太刀も常識的な切れ味だったが、この龍から貰った波打つ刃は見た目に反してやすやすと怪を打ち倒していける。鎧袖一触がいしゅういっしょくとはこの事だ。

「これはイケナイ…」敵とはいえ、手応え無く倒していけば、そこに敬意は無くなってしまう。バロンは馴れに危惧きぐを抱いていた。

 弥桜は神楽を終え、身構えていたが護衛が優秀でやる事が無かった。万が一を考え、ペンタもデイバッグに入れてきてはいるが、安心して昼寝をしているのを感じる。

「まあ、お姉ちゃんここに座って休んでてよ」レジャーシートを広げて寝そべり、ファション誌を眺めてる翡翠に隣を勧められる。一人サボっているように見えるが、近づく怪が不自然に弾けるところをみると、ちゃんと仕事はしているらしい。その状態で細い鋼線を繰り、怪を倒しているのだ。

 三雀は瑠璃が怪の群れを撹乱し、紅が打ち漏らしを始末し、弥桜を狙って突進してきたり、不意打ちをかけるものを翡翠が片付けている。

「…良いのかなぁ」みんなが頑張っているのに休むのは気が引けたが、

「大丈夫だよ、弥桜お姉ちゃんの仕事は済んだんだから。あ、このブラウス良いな、ソレ」翡翠の掛け声とともに二人の後ろからこっそり近付いてきた、黒いオランウータンの様な山の怪を縦に真っ二つにする。弥桜はギョッとするが、たちまち黒い毛玉になる。

「紅姉、スキが多すぎ、弥桜お姉ちゃんがかじられたらどうするの!」翡翠が不満を漏らす。

「…あんたねぇ、少しはヤル気見せなさいよ。サボって無いのは知ってるけど、態度ってものがね…」双剣の紅が見かねて文句を言うが、

「あ、お姉ちゃん危ない」翡翠はそちらを見もせず、紅の背後から襲いかかった、蛇にムカデの足がついたような山の怪を輪切りにした。

「ありがとう…」紅はしぶしぶという様に礼を言って戦線に復帰した。

「翡翠ちゃん、スゴイ、忍者みたい。ねえ、それ私にも出来るかな?」弥桜が翡翠の鋼線使いに興味を示す。

「…やめておいた方が良いよ。弥桜お姉ちゃん自分の指が落ちたら気絶するでしょ。まあ、それでもやるって言うなら落ちた時は私がつないでアゲル」翡翠は弥桜を振り返ってニタッと笑う。翡翠はこの技を習得するまでに何度も指を落としていたが、その度に自身の鋼線でキレイに繋いでいた。切断面が綺麗ならうまくつながる。翡翠の手には跡も残っていない。

「…また今度にしておくわ」弥桜は青くなってふるふると首を振る。

 そこへゾッとするような黒い霞の様な体を持ち、白い面を持つ山の怪が近づいていた。これは凰姉妹の苦手とする実体を持たないタイプだ。ペンタがデイバッグの中で毛を逆立てたが間に合わない。

「翡翠!気を付けて!」気が付いた紅が妹に叫ぶ。

「効かない?」翡翠が反応するが、彼女の鋼線は怪を捉えられない。経験不足なのかもしれないが、今は間に合わない。

「危ない!弥桜ちゃん!」そこへバロンが龍神の剣を携えて駆けつける。弥桜の周辺に気を配っていて、いち早く気が付いた。バロンが横薙ぎに龍神の剣を振るうとまばゆい緑色の光が噴き出し山の怪を両断する。仮面の様な白い面が落ちて割れ、霞の様な体はかき消える。龍神の剣の威力はそれだけにとどまらず、怪の背後にあった山の大木を断ち切っていた。間合や威力も弥桜が振るう星辰の剣より数段上だとわかる。

「…これは気を付けないと…」バロン自身が剣の威力に驚いていた。バロンの感情に左右されて威力が変わるらしく、弥桜の危機に際して高ぶった為の力だった。

「…バロン君、ありがとう…」弥桜が一連の出来事から立ち直り、バロンに礼を言ったが、龍神の剣の威力にまだ驚いていた。

「バロンお兄ちゃんステキ!やっぱり結婚して!」間近で見ていた翡翠が求婚するが

「ダメです!」弥桜がさえぎる。

「えー、なんで?」

「バロン君にはあんな姿を見られたり、あんな姿を見たり、それに毎日裸の背中を見ている仲なの!(母)親も公認なの!それをネコの子みたいにハイそうですかって渡せないの!」今日一番の勢いでバロンをかばう。

「み、弥桜ちゃん、誤解されそうな事、言わないで…」

「バロン君は黙ってて!これは女同士の話なの!」鬼神も避けそうな勢いだったが、空気を読まないヤツもいた。どこからまぎれ込んだか、つただらけの小山の様な怪が弥桜に近付くが

「あなたも引っ込んでて!」弥桜が持っていた星辰の剣で後ろ手にはたくと、轟々と音をたてて燃え上がった。

「わかった?」弥桜は翡翠とバロンに振り返る。

「「わかりました」」ゾッとした二人は気を付けして答えた。怒らせてはいけないのは弥桜の様なタイプかも知れない。二人は今後、弥桜を絶対に怒らせないようにと心に固く誓うのであった。


 15


 龍臥山の参道とは反対側の森の中に三つの人影があった。

「千鬼夜行って言うからお手伝いに来たけど、必要無かったみたいだネ」師条光明しじょうこうみょうがハイキングに来たみたいな様子で話す。得物は無く、手ぶらだ。

「手伝い?見物だろ。まあ、龍は俺も見てみたかったがな」笹伏虎光ささふせとらみつが突っ込む。

「バロン君は本当に愉快ゆかいだな。見てて飽きない。弟がうらやましくならないかい?」

「ああ、ちょっとな。そう言えば俺だけ直接面識無いな」

「騒がしい男ですよ。彼は」剣の指導をしていた真田龍光さなだたつみつはバロンをそうひょうする。

「しかし、過ぎた力を得たようですね。彼がどう使いこなすか…」龍光には珍しく他人を心配する。

「やはり弟子の事は気になるかい?…三春みはるじゃないけど僕からもお願いする。彼らの事を気にかけて貰えないかい」そう言う背後を見るからにたちの悪そうな山の怪が近づいていたが、光明の手元が霞むように素早く動くと袈裟けさがけに真っ二つになって地に落ちる。

「相変わらず見事ですね。父も褒めていました。自分にも三割くらいしか成功しないカマイタチを自在に繰り出せると」光明の師は龍光の父、竜秀だ。師条の家系は男子が生まれることがまれなので、師条の技は習得出来るかは別として真田の一族が伝承する。真田では何代も習得出来ない技を師条の男達はいとも容易たやすく身につける。

「ありがとう。ちょっとしたコツがあるんだ」光明は嬉しそうに答える。

「コツ?根性が悪くないと出ねえんじゃねえの?」虎光も試してみた事があったがなかなか成功せず、上手くいっても腕部に激痛がはしり、疲労が甚だしいので習得は諦めた。とても実戦向きとは思えなかった。槍をぶん回す方がどう考えても効率が良い。それを光明はハエを払うかの様に多用する。

「そうだな。根性の悪さに関しては自負がある。今回もバロン君には悪い事をした。結果的には良い方へ転がったが一歩間違ったらと思うと僕でもゾッとする。葛城のババ様や白月にも感謝しないと。もちろん犬神さんや猟犬の皆さんにもね。そうそう、スガルさんの報酬もボーナスをつけておいて。彼女のお陰でこの山を特定出来たし、今後色々お願いするかも知れないしね」

「わかりました。スガル姉も喜びましょう」龍光にとってスガルは叔母さんの代なのだが歳がそれほど離れておらず、幼少の頃に遊んでもらった事があったのでそう呼んでいた。彼女の守銭奴ぶり、否お金好きはよく知っている。彼女も外の世界を見てみたいと言っている。里の女性はどうしてそんなに外の世界に憧れるのだろう。

 そんな事を考えていると龍光の背筋をゾワッとさせる、なにかの気配を感じた。

「おやおや、わざわざ京都まで来た甲斐があったらしい。徒手空拳としゅくうけんというのは傲慢ごうまんだったかな?」光明も察知したらしく、気配の方を向く。そう遠くない場所から朽木くちきや枝を踏みしめる音が聴こえる。大物らしく気配を消そうともしない。

「何か取ってきましょうか?」龍光は申し出たが、

「いや、そんな暇は無さそうだ」光明の言葉と同時に黒い巨大な頭部が現れる。

「そう言えば大江山もそう遠くなかったね」光明の言う通り、その怪は鬼という形容にふさわしい姿だった。まず黒い。剛毛の生えた全身、水牛の様に弧を描く大きな角、悪魔と言っても相違ない牙の生えた大きな口。地獄の焔の様に赤黒く光る両眼。どこをとっても悪鬼と言って差し支えない。大きさこそ先日の牛頭に譲るが、禍々しさでは到底こちらに及ばない。災厄という名を背負って存在しているそんな化物だ。三人を見る眼も獲物を見つけた野獣そのものだ。その上、コバンザメよろしく小型の怪を引き連れている。数は脅威では無いが足元に不安が生じる。

「返す返すも自分の迂闊うかつさが口惜しい。せっかくたいを使える機会が来たのに置いてきてしまうとは」そう言いながらも嬉しそうな光明だった。

 水牛の角を持つ鬼は鋭い爪が付いた右腕を三人めがけて振るう。三人はめいめい飛んで逃げる。わりを喰った大木が三本もへし折れる。避けられなければ三人もああなっていた。

「手出しするなとか言わないよなあ。これを使え」虎光は光明に予備で持ってきた小太刀を放り、自身は折りたたんでいた槍を展開する。

「ああ、帯が有れば独占したいところだが、ここは仕留めるのを優先しよう。タツ、行くぞ」光明は龍光に声をかけると息ぴったりに左右から仕掛ける。すると水牛鬼は足元にいた付喪神を両手で掴み、光明と龍光に投げつける。

「…そうきたか」二人は小太刀で付喪神を斬り落としたが、水牛鬼に届かなかった。どうやら知恵も働く様だった。しかし、そのスキをみて虎光が豪槍を突き入れる。水牛鬼はとっさに左腕で受けると余りの頑丈さに槍が逸れる。

「ウソだろ?」虎光は横に槍を払いながら飛び退く。水牛鬼がニカッと邪悪な笑みを浮かべる。左腕からは確かに赤黒い血が出ているが、傷は浅そうだ。水牛鬼は牙の生えた口から何やら言葉を発すると右手を虎光にかざす。その掌から凄まじい勢いの火焔が噴出する。虎光は全力で火焔を回避する。

「なんとまあ」ここに来ても光明は余裕だ。火焔は辺りの樹木に飛び火し、消えそうに無い。

「法術を使うなんて…かなりの上位な鬼ですね」龍光は相性を考え、自身は氷で出来たクナイを術で作り、水牛鬼に投擲とうてきする。右肩に二本突き立つが、水牛鬼を怒らせた以上の効果は見られなかった。水牛鬼はお返しとばかり焔の矢を龍光に撃ち返す。すんでのところで躱すが足元の付喪神に気付かず体勢を崩す。好機とばかり水牛鬼は龍光に襲いかかろうとする。あの腕からくる一撃を喰らえば人間など、どんなに鍛えていようが、ひとたまりもない。

「タツ!」光明がすかさず小太刀を水牛鬼の頭部めがけて投げつける。虎光も捨て身で突進する。光明の投げた小太刀が唸りを上げて水牛鬼の左角に当たり、角を折ってはね返る。水牛鬼はのけ反り、そこへ虎光の槍が左肩に突き立つ。水牛鬼はそれを払いのけると槍の柄がへし曲がる。

虎光はたまらず再度飛び退く。

 水牛鬼は何か出そうと口走り、輝虎に向けて右手をかざすが、不発に終わる。その右腕をはね返った小太刀を空中で受け止めた光明が着地ざまに斬りつける。ゴトンと音を発し、水牛鬼の右腕が地に落ちる。体勢を立て直した龍光が水牛鬼の腹部めがけて小太刀を突きだす。水牛鬼が体をよじった為、右腰に突き立つ。水牛鬼は地面を蹴って魑魅魍魎達を龍光達に飛ばし、そのスキに逃げ出す。その様子は鬼没の名にふさわしい逃げっぷりで、呆気に取られた三人は追撃出来なかった。

「…行っちゃたな。まあ、片腕だし、角を折ったせいで法術も使えなさそうだったから警戒をさせれば良いだろう。…まさかとは思うが龍や吉野君を食べようと現れたんじゃないだろうな?」

「手負いですし、被害が出ないとも限りません。追いますか?」龍光が心配して提案する。辺りに残った魑魅魍魎は駆逐くちくした。

「…大丈夫だろう。定石セオリー通りならお礼参りをしなければ悪さをしまい。せいぜい僕は油断せず、返り討ちの準備でもしておくよ」まだ痙攣けいれんしている斬り落とした水牛鬼の右腕を見下ろした。

「ソレ、取りに来るのか?」虎光は嫌な顔をして尋ねる。

「どうだろう。羅城門の鬼みたいに律儀りちぎかな?もうここは良いだろう。さて三春への京都土産でも買って帰るか」すでに光明の頭の中はゴールデンウィークで里に帰省している妹に何をお土産にするかに切り替わっていた。


 16


 廃寺に魑魅魍魎が現れなくなったので、弥桜はペンタを通して探って見たが、脅威になる反応はもう無かった。代わりにペンタの怖がる者が居るようだが、お務めはひとまず完了と言う事で、今日は明るい日中にバーベキューを始めた。 

「犬神サンがコンロ持ってて助かるわ。どうしたのコレ?」夕姫がこれも犬神が用意した山盛りの肉を焼きながら尋ねる。

「若い頃、よくキャンプをやったんで持ってたのさ。冷たい弁当より良いだろう?」犬神は照れ臭そうに説明する。

「ええ、問題は火力より食べる速度が速い事かしら」肉をせっせと焼く夕姫の周りには、ヨダレを垂らさんばかりの妹達が皿を握りしめて待っていた。

「…姉さん、そこ焼けてる。もう良いですよね?」紅が真っ先に良い焼き加減の肉を確保しようとする。

「あー、それ私が狙ってたヤツ」瑠璃も網の上を注視していた。

「夕姫姉、美しく焼けたところくださらない」翡翠もマイペースながらコンロから離れない。

「夕姫ちゃん、私も焼くの手伝うね」野菜を切り終わった弥桜が肉焼きに回る。途端に

「弥桜お姉ちゃん、ソコのお肉下さい」

「弥桜お姉ちゃん、私もお肉、お肉!」

「弥桜お姉ちゃん、私、空腹で倒れちゃいそうです」三雀達は弥桜に皿を差し出す。自分より弥桜が優しいと思ったのだろうと夕姫は思った。その姿はエサを待つ雛鳥の様だ。三人にトングを渡さなくて良かったと改めて思った。

 妹達の対応を弥桜に任せ、自分とバロン、輝虎、犬神の分に専念する。すると脚にペンタがまとわりつく。仕方なく、焼けた肉を放ると見事に口でキャッチして呑み込む。熱いだろうし、タレ付きだが構うまい、相手は化け猫だ。イジワルしてあさっての方向に放っても絶対に地上に落ちる前に受け止めて食べた。

「ペンタ、上手、上手!」それを見ていたバロンがペンタを褒める。妹達を除き、一人だけペンタの正体を知らないバロンは素直に賞賛しょうさんする。ひとしきり夕姫からもらった肉を食べたペンタは久し振りにバロンにすり寄る。

「ペンタ、やっと戻ってきたか。やっぱりネコは敏感なんだなぁ。呪いが付いてる時は近付かなかったもんなぁ。ペンタが戻ってきてくれただけでも呪いを解いてもらって良かったよ」バロンはペンタを抱き上げ頬ずりする。それを見てペンタの正体を知っている女子二人は複雑な表情を浮かべる。特に弥桜はアワアワと落ち着かない様子で、三雀の餌付けが中断してしまう。どさくさに紛れ、瑠璃抱きつかれ胸に頬ずりされても気付かない。

「柔らか〜い。ホンモノはちがう」スパンッ!瑠璃はニセモノ扱いされた姉に叩かれる。

「イタッ!」

「いい加減にしないとあんただけ野菜のみよ」夕姫はすこぶる機嫌が悪くなった。

「ごめんなさいっ!肉がイイです!」もう瑠璃は涙目だ。

「お前達、本当に仲いいな」その様子を見て自分も四人兄弟の輝虎が羨ましそうに言う。

「「ドコが?」」反応も揃っている。

「俺のウチはそういうの無いからな」

 笹伏は兄弟がいつでも競い合っていて、このような微笑ほほえましい光景は皆無だ。

「でも輝虎さんがウチの誰かと結婚すれば家族ですよ」紅があえて誰とは言わず、そんな事を口にする。

「…そうか、にぎやかそうだな。でもおじさん、ちょっとニガテなんだよな。最近特に殺気まで感じる」輝虎が苦笑いする。夕姫達の父親、龍成の最近の口ぐせは娘はやらんぞ、だ。

「娘を取られると思っちゃってるのよね~。娘を持つ父親なんてあんなもんでしょ。実際に取られるのは笹伏サンなのにね~」翡翠が気にするなとばかりに輝虎をなだめるが、コンロの肉からは目を離さない。

「そうね。ウチの父さんもバロン君を時々にらんでるもの。…いやあのバロン君とはそういう関係じゃ無いけど」思わず出てしまった事を慌てて訂正する弥桜だった。

「そのバロンは?」輝虎がバロンの姿を探す。するとこの間考え込んでいた、石組みのところでペンタを膝に乗せ、また何か考え込んでいた。


「どうした。また何か悩んでいるのか?」輝虎がバロンの分の肉と野菜を乗せた皿を差し出す。

「ありがとう。悩んでいるというか、もらった龍神の剣を僕に制御出来るのかなって。僕の感情の起伏で暴走しないか心配なんだ」バロンはペンタに肉をあげながら苦笑いをする。

「そんな事か。どうだ、また里に行って修行でもするか?真田や鬼灯が嫌なら何処か紹介するぞ」

「…鬼灯さんか…あの変な修行はこういう時の為だったのか…精神集中とか言ってたけど、確かに丹後さんの言う通り平常心を保てば龍神の剣を使いこなせるのか…うん、なんとなくわかった、テトラありがとう。里に行く時はよろしくね」バロンはペンタを地面におろして立ち上がると、コンロの方に歩いていく。

「ハイ、バロン君の分」やっと来たバロンに弥桜はニッコリ笑って山盛りの皿を渡す。

「やっぱり愛する男性には応対が違うわね…ヒソヒソ」紅が呆れる。

「愛が溢れそうね…ヒソヒソ」翡翠が紅とコソコソ話す。

「いいなぁ、バロンお兄ちゃん」瑠璃が羨ましがる。

「…色男は大変ね」夕姫がバロンを揶揄やゆする。

「おう、羨ましいぞ、バロン」犬神がニヤニヤしている。

「犬神さん、帰りに太刀守の里に寄りますよね?その時、少し時間が欲しいんです。お願いできますか?」バロンは皿から肉を落とさないように頑張っている。

「わかった。時間を調整してみよう」どうせ、夕姫の妹達を送って行かなければならないのだ、里で時間を使っても構うまいと犬神は考えた。


 17


 その晩、京都では強い雨が降っていた。師条光明は京都市街の外れにある橋の中央で傘をさしてたたずんでいた。足元には不自然に長いジュラルミンのケースがあった。

 そこへコートを着た右手にギブスがある世にも美しい女性が近付いて来た。ここは人通りが皆無だが、街を歩けばさぞや男の目を引くことだろう。

「来てくれると思っていたよ。そのギブスの中は入ってないのだろう?」光明がその初めて見る美女に話しかける。

「元がその姿だったのか。それともその姿の女性を喰って化けているのやら。まあどちらでも良い。どうせここで滅ぼす」

「…カエセ…オレノウデ」美女はどこから出るのだろうという声で光明に要求する。龍臥山の水牛鬼がやはり右腕を取り返しに来たようだ。あの腕を猟犬隊に属していた鬼灯の出身の法術使いに見せたところ、鬼のモノで間違い無いとのことだった。腕はあの後もビクンビクンと痙攣を続け、腐る事も無かった。

「コレかい?欲しければ取り返してご覧」光明はジュラルミンのケースを踏みつける。そして一間を超える野太刀の鞘をはらう。今回は事前に準備が整ったので、虎光と龍光は万が一や逃走に備えて待機させている。もちろん彼等の出番を作るつもりは光明には毛頭無い。

「…オノレ…」美女に化けた鬼は地獄の怨嗟を発する

「この間は準備もせず、失礼したからね。…わかるかい、この太刀が。百鬼丸と言ってね、鬼を百体倒したという事でそう呼ばれているけど、先祖の見栄でね、実は百も鬼を斬っていないんだ。せめて不肖の子孫がフォローしようかと」そう言って光明は腕が入っているらしい、ジュラルミンケースに百鬼丸を突き立てる。それが合図となり、激昂げきこうした鬼が水牛鬼に変化しながら光明に襲いかかる。

 光明は左手で傘を持ったまま、百鬼丸を振るう。水牛鬼は光明とすれ違うと動かなくなり縦に真っ二つになる。しくも変化途中だった為、左半分は水牛鬼に、右半分は美女のままという凄惨せいさんな死体が出来上がった。

「これで百鬼、名実共に百の鬼殺しとなった。ちょっとはご先祖様に顔向け出来るかな?」光明は鬼の亡骸なきがらを見下ろしながら独りごちた。その周囲には闇と見紛みまがう様な黒い雨合羽を着た猟犬部隊の者達が後処理にやって来た。彼らは猟犬部隊でも選りすぐりのメンバーだ。鬼案件の対処も心得ている。

「では、遺骸は鬼灯に運び入れて宜しいのですね」いつの間にか傘をさし、背後にいた龍光に声を掛けられる。

「ああ、お前にわざわざ言うのもなんだが、念の為の凍結処理と拘束も忘れずにな」通常は討伐した鬼族は現場で焼却処理だが、今回は鬼灯のヒイラギ婆が鬼の検体を欲しがっていた。なにせ数十年ぶりの機会だったのだ。バロンの周囲では稀有の出来事が日常茶飯事の様に起きる。

「念の為、俺が護送に同行しようか?」雨合羽を着た虎光も巨体を気付かせもせずにここまで運び、光明にそう提案した。

「…そうだな。鬼を運んだ記録も無いし、用心を兼ねてそうしてもらうか。…大丈夫、お前の分のお土産は買っといてやる」光明は安心しろとばかりにニッコリ笑う。

「別にそんな事は心配してねえよ。…俺の実家に発送で構わんぞ」虎光の言葉に龍光は肩をすくめる。どうせ手配は龍光がする事になる。雨は小降りになってきた。


 18


「お姉ちゃん、懐石、懐石!」紅が夕姫の手を引っ張る。

「わたし、天ぷらとお寿司が良い」瑠璃がお店の店頭にあるメニューを指差す。

「京都って言ったら、湯豆腐と湯葉よねぇ」翡翠がガイドブックを見ながら話す。

 凰四姉妹と輝虎は三雀達への報酬の為、河原町にいた。バロンと弥桜は輝虎が三雀に約束した京都土産と一緒に犬神のバンで太刀守の里に向かった。弥桜は京都で見たい神社が有ったようで名残り惜しそうにしていたが、バロンが行くならと付いていく事にした。移送人数とスケジュールを考え、犬神は二人と満載のお土産を積んで里に向かった。見送った輝虎が珍しく青ざめていたのは気のせいではないはずだ。バロンは途中でキャッシュディスペンサに向かう輝虎を見た。自分の為に散財した輝虎に後で美味しいモノでもご馳走しようと思った。もちろん夕姫にもだ。


「翡翠、懐石料理に豆腐料理も湯葉も入ってるわよ。ここは絶対に懐石料理よ」紅は翡翠に言い聞かせる。

「…それもそうね。もし足りなかったら改めて豆腐屋に行けばいいかしら」翡翠が同意する。

「ねえねえ、天ぷら、お寿司ぃ!」瑠璃が駄々をこねる。

「瑠璃は黙んなさい。そんなモノ、里でも食べられるでしょ。こんなチャンスに京都でしか食べられなくて高価なモノ食べなくてどうするの?」紅が瑠璃を説得する。夕姫は頭が痛くなってきたが

「あんた達、ゴールデンウィークなんだから、さっさと決めないと混むわよ。…で、龍光君はどうしてここにいるの?」夕姫は振り返って、いつの間にか同行していた従兄弟に尋ねる。夕姫は龍光達が京都入りしていたことを知らない。が、どうせ悪巧みをしていたのだろうと推察する。よくこちらを見つけたものだ。

「光明さんに言われてな。保護者代わりだ。気にするな」犬神が離れてしまっている事を知った光明が、ならばと凰姉妹の従兄弟の成人している真田龍光を保護者として残した。

「気にするなと言われてもね。…あんた達、決まった?」夕姫が妹達に尋ねると三人とも満面の笑みでこちらを向く。夕姫は寒気がした。


 たとえ、夕姫が輝虎とデートしたとしても絶対に入らない様な敷居の高い店の一番高額なコースを、二人前づつペロリと平らげた三雀は次におばんざいの店を探していた。思わず喉も通らなくなった夕姫と輝虎は珍しく一人前しか頼まなかった。龍光は言わずもがなだ。しかし支払いになると龍光が

「光明さんに言われているから」とカードで支払ってくれた。思わず夕姫はこの従兄弟を初めて尊敬の眼差しで見てしまった。

「…カッコイイ…」輝虎も感心していた。確かに輝虎の周りにはこんなスマートな事をする人間はいない。ちょっと憧れてしまった。

「…良いの?」夕姫は念の為、尋ねるが、

「大丈夫だ。所詮チビっ子が食べる分だ。たかが知れてる」龍光は余裕を持ってそう言う。

「…言ったわね?後悔するから」夕姫は警告する。


 犬神は休憩と昼食を兼ねてパーキングエリアにバンを入れた。

「よーし、昼飯だ。今回は普通に食べられるぞ」犬神も輝虎や夕姫との食事は精神的に応えるらしい。バロンは苦笑いを浮かべる。

「さあ、行こうか、弥桜ちゃん。何を食べたい?」バロンが後部座席を振り返って見ると弥桜が居眠りをしていた。

「…ふぇ、もう着いたの?」弥桜は目をこすりながらバンを降りる。

「うん、まだなんだ。お昼だよ、弥桜ちゃん」バロンが笑いながら弥桜の手を取る。

「ご、ごめんなさいっ。私、寝ちゃってた?」弥桜は慌てて謝るが

「良いんだよ。疲れたでしょう?それより何か食べに行こう。弥桜ちゃんは何が良い?」

「うーん。カレーかな。和食続きだったし…アレ?笹伏さんによく似た人がいる」パーキングエリアのフードコートに入った三人は大盛りラーメンに舌鼓をうつ、輝虎によく似た人物に気が付く。いつも見ている状況にも似ている。しかしよく見れば輝虎よりひと周りは大きい。犬神はその周囲に里で見知った顔を見た。いずれもエリートの猟犬達だ。

「虎光さん、どうしてこんな所で?」犬神が声を掛けると虎光はバツが悪そうに

「やあ、マズイところ見られたな。実は君達の手伝いをしようかと京都まで行ったらエライもの拾っちゃってね。輝虎がいつもお世話になっています。兄の虎光です」虎光は立ち上がり、バロンに握手を求める。

「富士林楓太郎です。良かったら輝虎君みたいにバロンって呼んでください。こちらこそ、輝虎君には助けられてばかりで」バロンが虎光の手を取る。輝虎以上に大きくて力強く感じた。

「そちらが里に旋風を巻き起こしたという巫女さんかな?」虎光は弥桜にも右手を差し出す。

「旋風だなんて…吉野弥桜です。よろしく」弥桜は握手を返すが虎光の手はまるで野球のグローブみたいに感じた。

「…えらいもの拾ったって言いましたけど、なんですか?」バロンが好奇心から尋ねると

「実は鬼を拾っちゃってね」虎光は周りに聞こえないように小さな声でバロンに耳打ちする。

「えっ?」バロンは驚くが、龍がいるくらいなら鬼ぐらい驚く程ではない。

「虎光さん、その話は…」猟犬部隊のメンバーが虎光をたしなめるが

「彼らも無関係ではあるまい。知らせても問題無い。という訳で里に持って帰る途中なんだ」

「そうなんですか。じゃあ一緒に里に行きます?」

「そうだなぁ。テルは一緒じゃないのかい?」

「輝虎君と凰さんは京都で助っ人に報酬を払う為に残ってます」

「凰の三雀か。あの歳でたった一日でトップランカーへおどり出たって聞いたぞ。俺はお務めに行かなかったから言いづらいが、現役ではテルが怪の討伐数一番になったと聞いた。その次が彼女達だそうだ。お務めに配属されていないにもかかわらず、初参戦で千を超える怪を討伐するとは末恐ろしい」虎光は素直に感心している様だった。

「へえー、あの子達、凄かったんだ。今度、しっかりお礼を言わないと」

「…大丈夫よ。ご褒美は私がしっかりあげたから…」弥桜が何かを思い出して、ジトッとした暗い声で言う。

「…そ、そう」バロンは今の弥桜には逆らわない方が良いと本能で悟った。

「特に事情が無ければ後ろを付いていきますよ」犬神が提案する。

「そうだなぁ。良いよな?」虎光は側にいた猟犬部隊のリーダーに確認する。

「ええ、笹伏サンが良ければ」リーダーはしぶしぶ認めた。特にデメリットは思い付かないが職分を侵されているようで面白くないのだ。しかしリーダーはもしかすると断わった方が良かったかも知れない。


 19


 パーキングエリアで犬神とバロンはラーメンを、弥桜はカレーライスを食べて、虎光達が乗車する、トラックを改造した危険遺物護送車の後に続いた。

 昨晩の雨が嘘のように清々しい快晴だった。何事も無く高速道路を下りて、里に向かう一般道路を走り出す。

 バロンが助手席から、ちらっと後ろを見ると、お腹いっぱいになった弥桜はまた気持ち良さそうに寝ていた。

「…むふふ、バロン君、ホントに好きね…でも、ダメよ…私達まだ高校生じゃない…」弥桜が寝言をつぶやく。

「…弥桜ちゃん…どんな夢を見ているんだろう?」バロンは変な汗が出そうだった。

「いよう、色男。寝言で呼ばれるとはお安くないな」運転中の犬神がバロンをからかう。

「いやだなぁ、吉野さんとはそんなんじゃないですよぉ…危ない!」前方の護送車がふらついた後、急停車する。犬神は車間を空けていたが、用心の為に急ブレーキをかける。

「ムギュ、…どうしたの?アンコ出ちゃいそうだったよ」寝ていた弥桜が目を覚まし抗議する。

「なんだろう?こんなところで」

「…バロンといると急ブレーキをよく踏むな…」犬神がちょっとあきれ顔でぼやく。

 前方の護送車は斜めに止まった後、停車しているのに揺れている。まるで荷室で何かが暴れているみたいだった。


「どうした!」荷室の虎光が運転席に問い掛ける。

『前方に鬼の様な怪が!』助手席の猟犬部隊リーダーが答える。すると虎光の足元で鬼の遺骸を入れた分厚い袋に異変が起きる。袋の中がうごめくと左半身を入れた袋から真っ黒い腕が突き出る。

 同乗していた猟犬部隊の男が抑え込もうとして、うかつに近寄ってしまう。

「よせ、やめろ!」虎光は立て掛けてあった自分の得物を手に取るが間に合わず、男が鬼の腕にはじきとばされる。荷室の壁に激突し、おかしな向きにねじ曲がる。

「脱出しろ!」虎光が運転席側の壁を叩きながら叫ぶ。

その間に左腕は叩きつけた男を掴み、高々と掲げ、絞り上げていた。男からは鮮血や体液が流れ落ち遺骸の袋に降り注ぐ。現れたという鬼に呼応して、二つに裂かれた水牛鬼の身体が活性化しているらしいと虎光は思ったが、ここは閉鎖空間で対処が難しい。とにかく一旦外に出なくては。


 前方の護送車の運転席と助手席から猟犬部隊の男達が降りてくる。するとリーダーの男がくの字に折れる。その背中から吹き出す血と共に長い爪を持つ指が突きだす。

「なんだ、なにが起きているんだ?バロン!」犬神は注意を促すが、バロンはすでに龍神の剣を入れたケースを引っ張り出している最中だった。

「犬神サン、僕行きます!弥桜ちゃん、危なくなったら犬神サンと逃げて」バロンは龍神の剣を引き出し、バンから離れる。

「バロン君!」弥桜がバロンを見送ってしまうが、何か出来ないか思考を巡らせる。この車内にいてもヒシヒシとイヤな気配を感じる。バロン一人行かせては危険だ。


 虎光はどうにかして荷室から出る事を考えていた。彼の自慢の得物はここでは振り回せないし、小太刀は光明や龍光ほど上手く扱えない。しかしその悩みは杞憂きゆうに終わる。

 後部の扉がかん高い金属音を立てて二つの穴が空くと、外側から力任せに引き剥がされる。改造を施したトラックの荷室の扉は厚みは20センチメートル、重量は半分で軽く100㎏はある。それをやすやすと引き剥がし、投げ捨てるモノが外にいる。荷室が急に明るくなった為、虎光は目をすぼめ、闖入者ちんにゅうしゃを見る。

 羚羊れいようの様なを描く大きな角を持つ、細身の鬼がそこにいた。水牛鬼と異なり体毛が少なく、鋼のような筋肉質の肌を持っている。

 虎光はこの機会を逃さず折り畳んだままの槍を構え、水牛鬼の入った袋の脇を駆け抜け、羚羊鬼れいようきに突撃する。

 しかし、羚羊鬼は長い爪を持った手で槍を受け止める。虎光の槍は万力に挟まれたように押し引きも出来ない。

 羚羊鬼はそのまま虎光ごと槍を荷室から引き抜く。槍ごと投げ飛ばされたが、虎光は車外に脱出し、巨体をひねり器用に着地する。

「今度は俺一人か。…ヤレるか?」護送車の脇には運転台に乗っていた猟犬部隊員が二人とも倒れている。虎光以外の同乗者は全滅という訳だ。羚羊鬼は、地上に降りてよく見れば水牛鬼より細身ではあるが、2メートルを超える虎光より大分高い。それに時間をかけると荷室の水牛鬼がどうなるか予測できない。あの分では自力で復活するかも知れない。

「やれやれ、テルの様にお務めをやっておくべきだったかな」虎光は道場での対人武術は磨いていたが、実戦経験が少ない。

「…しかし、まだテルには負けられんな」虎光は輝虎に触発されて造らせた、折りたたみ式の槍を展開する。伸ばした槍は一間半(約2.7メートル)を超える。

「さあ、かかってこい」


 20


 バンから降りたバロンは護送車の惨状を目の当たりにする。漂ってくる血臭は何度嗅いでも慣れなかった。

「…悪魔だ。なんてことだ。虎光さん、大丈夫ですか?」バロンは護送車から脱出した虎光に声をかける。

「おう、下がっていてくれ。コイツは俺が相手をする」虎光は槍を振り回し、手応えを確認すると構える。羚羊鬼は知能があるらしくすぐには襲いかからず、様子を見ているらしい。舌舐めずりするかの様だ。

 時間を惜しんだ虎光が突きかかる。先ほどの様に足場が悪くないので全力だ。バロンには大虎が飛びかかる姿が重なって見えた。

 羚羊鬼は余裕を持って再度穂先を掴み取ろうと身構えた。今度は虎光のはらわたを引きずり出してやろうとたくらんだ。しかし、しっかり掴んだはずの穂先は羚羊鬼の指を切り飛ばし右肩をえぐった。すかさず虎光は引く槍で鬼の首を狙うが、羚羊鬼が躱した為に長い角に当たり、右を根本から、左を半ばから斬り落とす。

 羚羊鬼は頭を押え、もだえ苦しむ。水牛鬼の例をみればこれで法術が使えていたとしても行使できないだろう。術に対抗手段の無い虎光には有利となる。

 虎光は認識出来なかったが、バロンの能力、お伽草子の影響があった。普段より輝虎が兄の虎光の槍は天下一だと誉めていた為、バロンのチカラが発揮されたのだ。そうでなければ虎光も地面に転がっていたかも知れない。

 有利に戦闘を進められると思っていた矢先に荷室に異変が起こる。黒い毛むくじゃらの左腕がトラックの荷室の縁を掴む。

「マズイな…」虎光がつぶやく。こちらが羚羊鬼と戦闘している間に水牛鬼が袋から出て復活したようだ。しかも、トラックから現したおぞましい姿に虎光達は戦慄する。


 バンの助手席に移動して様子を見ていた弥桜は急に寒気に襲われる。

「イケナイ。ものすごくイケナイモノがいる」下を向き震えながらつぶやく。

「どうした?大丈夫か?イケナイってなにが?」犬神が心配して声を掛けるが弥桜から応えが無い。

「行かなくっちゃ…」そう言って弥桜はバンを降りる。


 水牛鬼は变化中に二つに斬られた為か、右半身は美女、左半身は角の無い鬼というおぞましい姿だった。右半身の頭部には角が生えていたが、右手は無かった。その理由はすぐにわかった。ジュラルミンケースを抱えていたのだ。どうも開かなかったらしい。

 变化中の女の姿に引きずられているのか大きさはバロン位しかないが、陰の気は増大したように虎光には思えた。

 圧倒的な劣勢を感じた虎光の背を嫌な汗が伝う。その時後方から鈴の音が聴こえた。途端に鬼達の動きが止まり、耳を押さえてもだえだす。弥桜が龍神に貰った鈴付きの腕輪を振ったのだ。 

「弥桜ちゃん…虎光さん今です!」状況を悟ったバロンが虎光を促す。

「助かる…そりゃあ!」虎光は近くにいた羚羊鬼の腹部を貫き、背後のトラックに縫い付ける。しかし彼の槍は業物ではあったが、霊剣や破邪の力は無かったので致命傷に成りづらかった。そこへ

「虎光さん、助太刀します!」縫い留められた羚羊鬼に、緑色の焔をまとった龍神の剣を持つバロンが突っ込んでくる。やすやすと筋肉に守られた胸部に剣が突き入れられると、爆発した様に緑色の焔が広がる。

 不思議な事に虎光には熱さを全く感じなかった。虎光はもう一体の元水牛鬼に備えるため離れる。

 羚羊鬼はまたたく間に緑色の焔に全身包まれ、もがき、助けを求めるように元水牛鬼に近寄る。元水牛鬼はそれを嫌がり後ずさるが、燃え上がり、すでに黒く炭化しかけている羚羊鬼の手がジュラルミンケースに触れてしまう。

 緑の浄炎はケースにも燃え移った為、それを元水牛鬼は羚羊鬼に投げつける。羚羊鬼は受け止めるかに見えたが、すでに身体が持たずグズグズと崩れ落ちてしまう。

 虎光はそのスキを逃さず水牛鬼に突きかかる。元水牛鬼はそれを残った左手で防御するが及ばず、女の顔の頭部をエグリながら残った角を飛ばす。

「…オノレ、ユルサン…コノウラミカナラズハラス…」元水牛鬼は鈴の音と折れた角の痛みに苦悶の表情を浮かべ、怨嗟えんさを吐き出す。

「マズイ、逃すな!」虎光が逃走の気配を察して叫ぶ。しかし元水牛鬼は不自由そうな体をひねり、虎光の槍を避けガードレールを飛び越す。バロンは龍神の剣を投げるが及ばず、道路脇の木の幹に突き立つ。しかし樹木は燃え上がらず、龍神の剣の焔も消えた。その間に元水牛鬼は藪の中に消えていく。

「相変わらず良い逃げっぷりだな…助かったよ、バロン君、吉野さん」虎光は輝虎にそっくりな笑みを浮かべ二人に感謝を伝える。

「いえ、虎光さんがいなかったらどうなっていたか。ヨイショっと。しかし残念ですね…」バロンは龍神の剣を幹から引き抜き、逃したことなのか、犠牲者を出した事なのか無念を伝える。

「バロン君、大丈夫だった?」弥桜が心配して声をかけてくる。

「ありがとう弥桜ちゃん、弥桜ちゃんがいなかったら危なかったよ。龍神さんにも感謝しないと」今回の戦闘では龍神の剣と鈴が無ければかなり劣勢を強いられていただろう。虎光とバロンどころか弥桜や犬神の生命さえ危うかった。

「…弥桜ちゃんは車に戻っていてくれないかい」バロンは弥桜から護送車への視線を体で遮り、振り返らせずに犬神のバンに連れて行く。

「犬神サン、吉野さんをよろしく」

「どうした?決着はついたのか?」

「…鬼の様なモノがいました…虎光さん以外の方は…」バロンが首を振る。

「…アレは鬼よ…この世に居てはならないモノ…バロン君も気を付けて、鬼の残したものや、鬼の触れたものに触らないでね。ケガレが伝染うつるかもしれない…それから亡くなった方には申し訳無いけど、早急さっきゅう荼毘だびした方が良いと思う…」弥桜は鬼の被害者を見たのか見ないのかわからなかったが、うつむき加減でバロンに伝えた。

「…わかったよ。虎光さんにも伝える」

「俺が里に連絡入れたから、そろそろ応援が来る…来たな」犬神が前方を遠い目で見る。


「虎光さん、鬼のケガレが伝染るおそれがあるそうです。後、被害者の方も取り扱いに注意して、早めに火葬なさった方が良いみたいです」虎光は応援の責任者と短い話をした後、バロンに声をかけられた。

「そうか。…悪いがそういう事らしいので特に注意して貰えるか。…みんな俺なんかより経験豊富だったのに…バロン君、ここはもう良い。先に里に行ってくれ。もしかすると真田から呼び出しが有るかもしれん。その時はよろしく頼む」虎光がバロンのアドバイスを応援の責任者に伝え、里に行くように指示する。応援部隊は八人程来ており、手慣れた様子で作業に当たっていた。彼らは相当に修羅場をくぐっているようだった。

「わかりました。虎光さん、くれぐれもお気を付けて」そう言ってバロンは現場を後にした。


 21


「凰家は怪の親戚か?」龍光は休憩と称して入った甘味処で思わずつぶやいた。輝虎は思わず目を反らしてしまう。

 一行はおばんざいの店で料理を食べ尽くして看板にし、湯豆腐の店でも豆腐の在庫を消滅させ、瑠璃のたっての希望で入った天ぷら店では頼むから帰ってくれと追い出された。きっとあの店等はゴールデンウィークの書き入れ時だが、もう食材不足で本日の営業が出来ないだろう。龍光自身は自分の財布ではないので腹は痛まないが、光明や父親の竜秀に提出する精算書を出しても、なかなか信じてもらえないだろう。叔父の龍成に口添えを頼もうかと本気で考えた。

「ほら、口の周り汚れてるわよ、もう。貸衣装なんだから汚したら承知しないわよ」夕姫が瑠璃の頬を拭いている。

 小さな従姉妹達は翡翠の提案で子供用のレンタル舞妓衣装を着て、そびえ立つ抹茶パフェを頬張っている。ここだけを切り取って見れば微笑ましいのだが、ここまでの経緯を知っている龍光にはもうとてもそうは思えない。

「お姉ちゃん、今日のホテルの夕飯はバイキング式で間違い無いのよね」すでに口の周りの化粧が落ちてしまった紅が確認する。

「ええ、そうだけど…まだ食べるの?」夕姫が呆れる。

「輝兄ちゃん、わたし漬け物欲しい。さっき食べたの美味しかった」もう顔がまだらになってしまっている瑠璃が、輝虎へ更にお土産をせがむ。

「そ、そうか。ど、どっかに業務用売ってないかなぁ」輝虎の顔は引きつっている。将来の義妹だと思えば耐えるしかない。

「バカね、京都って言えばちりめん山椒でしょ、アレが有れば家に帰ってもゴハンが何杯でもイケるわ。輝虎お兄ちゃん、ちりめん山椒でお願い」どういうテクニックか姉達と違い、まったく化粧くずれしていない翡翠が割り込む。

「柴漬け、すぐき、千枚漬け!」瑠璃が再び駄々をこねる。

「ちりめん山椒よ、絶対!漬け物なんて美しくない」翡翠が譲らない。

「二人ともやめなさい。…輝虎お兄ちゃん、両方とも良いよね?お願い」姉らしく二人を仲裁したかと思うと、今度は上目遣いで輝虎にお願いする。キラキラ星が舞いそうだ。どこでそんな手管を覚えるのだろうと夕姫は頭が痛くなる。

「…わかったよ…もうどうにでもしてくれ…」一日振り回された輝虎はもうくたびれきっていた。バイト代どころか凄腕傭兵並みの依頼料になりそうだ。

 突然、龍光の携帯がなった。龍光は席を立ち、店舗の外で電話に出る。

「なに?輸送車が襲われた?虎光さん以外全滅?バロン君と吉野君が現場にいたが逃した?そうですか。わかりました。すぐに戻ります」龍光が電話を切り、店内に戻ろうとすると夕姫が立っていた。

「なんか物騒な話をしていたけれど何の話かしら?バロンと弥桜の名前が出てたけれど」龍光の電話の内容が聴こえてしまった夕姫は、尋常じんじょうで無い通話内容に思わず出てきてしまった。龍光は話したものか一瞬迷ったが

「実はあるモノを虎光さんとウチの手の者が里に運んでいたのだが襲われてね、偶然居合わせたバロン君と吉野君が撃退に力を貸してくれたそうだ。…みなまで言うな。バロン君の影響については後で評価する。事態収拾のため、今は少しでも早く戻らないと」龍光もバロンのお伽草子の影響を思い当たったが、夕姫に話さなかった被害状況の有様に帰還について頭がいっぱいだった。

「俺はすぐに自分の車で里に戻るつもりだが、お前達はどうする?なんとか全員乗れないこともないぞ。犬神サンも迎えに来られるかわからんしな」龍光はこのまま里に直行するが、同行するか尋ねた。夕姫は少し考え

「虎光さんは無事なのよね、でも手が足りないかも知れない…わかったわ。テル」夕姫は店内に戻り輝虎にかいつまんで話をし

「あんただけ龍光君と先に帰りなさいよ。お兄さんとバロン達の力になってあげて。もし犬神サンの手が開かないようだったら新幹線で帰るから」夕姫は輝虎は先に帰るよう伝える。

「わかった、俺も兄貴やバロン達が心配だ。でも良いのかこの後この子達…」実は兄以上に三雀の行動が心配だ。夕姫が三雀達を一人で面倒を見るとなると…

「大丈夫、十年も姉をやっているんだから。…最後は奥の手使うから」力強く言い切ったが、最後はトーンが下がる。

「わかった、夕姫、特別にコレを預けるから後は頼む。…無駄遣いするなよ。それから必ず領収書を貰ってくれ。上様じゃダメだぞ。真田で貰ってきてくれ」そう言ってカードを渡す。

「良いの?本当に良いのね?」

「…念を押される度に不安になるのだが…良いか、必要経費だけだぞ」龍光はこれ以上言い聞かせるのは諦めた。夕姫もいい年だし、もう分別もある筈だ。多分。

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