第4話 呪いを呼ぶ手

呪いを呼ぶ手

 序


 梅田広子は通信販売で買ったグッズでのおまじないが上手くいったので、本格的に目標を呪う事にした。その為に自分を暗いと馬鹿にした従姉妹いとこを試しに呪ってみた。アッサリと夜中連絡が入り、従姉妹の死が伝えられた。両親は葬儀に向かうらしいが、広子は同行を断った。これでしばらく家に一人でいられる。予定通りだ。

 しかし残念な事に、追加で注文したグッズがまだ届いていない。最初は半信半疑だったので、少量しか注文しなかったのだ。これほど効くとは思いもよらなかった。

 そこで追加で注文すると送ってきた荷物の中に案内が入っていた。特別なお客様へで始まる本当に胡散臭うさんくさいものだったが、今まで購入したものは実際に効果が有った。幸い正月にもらったお年玉で払えない額ではない。その特別なアイテムはいかにも効き目がありそうだ。思い切って購入を決意する。


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 里への帰還指示が有った放課後、夕姫ゆき弥桜みおといつもの様に校門でバロン達を待っていた。輝虎てるとらには簡潔かんけつに伝えたが、どうするかはまだ話し合っていなかった。バロンと輝虎が玄関から出てくる。

「待たせたな。で、どうする?」もちろん文字通り里帰りの話だ。別に家出少年ではないので帰省する事は別に困らないのだが、今回はバロンも一緒という指示だった。

「そうだねぇ、でも僕も改めて里にはゆっくり行ってみたいな」バロンは任命の為に真田屋敷に訪れただけで、車で送迎された為、どこに行ったかも定かでない状態で今までお務めにあたった。

 おつとめとは人間社会を害する魑魅魍魎ちみもうりょう堕神だしん邪霊じゃれい等、通常の人間では対処出来ない超常現象等を処理する為に、里と呼ばれる輝虎や夕姫の故郷で行っているしきたりである。

 バロンは里の出身ではない。バロンこと富士林楓太郎ふじばやしふうたろうはその特殊能力を買われ、輝虎達にスカウトされた。バロンは歴史上もっとも有名な男爵と言っていいバロン・ミュンヒハウゼン、日本で言うほらふき男爵の末裔まつえいなのである。彼の一族はその特殊能力フェアリーテイル、里が呼ぶお伽草子とぎぞうしと言う特殊能力を受け継いでおり、バロンもその能力を自分で知らずに行使している。その能力とは周囲の者の特徴を強化し、バロンを中心とした物語の一部にしてしまう、神の寵愛ちょうあいを受けし者と言う強力だがなんとも曖昧あいまいな能力だ。一応このチームのリーダーとなっている。

 笹伏輝虎ささふせてるとらは里の槍術道場の四男だが、訳あって三叉戟さんさげきと言う、よりマイナーな武具を修得したため、実家の道場を破門されている。バロンはテトラ、夕姫はテルと呼んでいる。お伽草子の影響で怪力、韋駄天いだてん、超嗅覚を得ている。チームの矛であり盾である。

 凰夕姫おおとりゆきは同じく里の弓術道場の跡取娘で、輝虎とは幼なじみの仲である。バロンの影響で必中の弓、千里眼、地獄耳を得ている。チームの冷静な参謀さんぼう役ではあるが、実はとんでもないイタズラ好きだ。一番の被害者は輝虎だ。彼は人生を狂わされたと言っても過言では無い。

「みんな帰っちゃうの?なぁんだ春季祭の準備当てにしてたのに」弥桜が残念そうに言う。三人が特に予定が無いようだったので、実家の神社のお祭りの準備に勧誘しようと思っていたのだ。

 吉野弥桜よしのみお白桜しらお神社の一人娘でバロンのチームの調査対象として出会ったが、何度か事件に巻き込んでしまい、お務めについても知ってしまっている。

「良いなぁ、私も父さんの田舎行ってみたいなぁ」弥桜の父親、大三たいぞうは里の出身で弥桜も夕姫のハトコに当たる。弥桜は隠居所と呼ばれる家に住む母方の祖父母、先代にはよく会うし、忙しい時は神社にも手伝いに来てくれるので、いるのが当然と思っていたが、よく考えてみると父親側の親類に会ったことが無い事に気付いた。やっと最近夕姫に出会えたばかりだ。里にはきっと父親の実家も有り、親類もいるのだろう。そう思うと弥桜は俄然がぜん興味が湧いてきた。

「ねえ、私もついて行っちゃダメ?」弥桜は神社の社務などスッポリ抜けてそんな事を言い出す。夕姫と輝虎は顔を見合わせる。

「ウーン、どうだろう?今回はお務めの事務局に招聘しょうへいされているから帰省ともちょっと違うんだが」輝虎はあきらめてもらう方向で話を進めるつもりだったが、

「良いね、僕からも犬神サンにお願いしてみようか」バロンが旅行バカンスに誘うかのごとく、そんな事を言い出す。弥桜に甘過ぎる。

「そうね。一度里を見てもらうのも良いかもしれない」夕姫まで賛成しだした。夕姫は将来の弥桜の勧誘に有利と見て賛成したが、今回はバロンが言い出している。これはこのまま進めたほうが良い。

「じゃあ、母さんに行っていいか聞いてみる」弥桜ははたから見ても判るくらい舞い上がっていた。


「ダメです!と、言いたいところだけどウチの神様が行かせろって言ってるのよね」弥桜の母、雪桜ゆきおが困った顔で言う。四人で白桜神社に行くと、事情も聞かず、雪桜に開口一番そう言われる。

「母さん、知ってたの?」弥桜がもっともなことを聞く。説明が省けるのは良いが、どこまで解ってるのだろう。

「おばさま、春休みに自分たちは里に戻るように言われまして、お忙しいとは承知していますが、もし良かったらこの機会に弥桜さんも一緒にいらしたらどうかと。私の実家は広いので弥桜さんの一人や二人泊まったところで困りませんので是非いらしてください」夕姫が助け船を出す。弥桜に泊まる場所が無いなら凰の家に来れば良い。道場は広いし門下生の宿舎も、客間も空いているはずだ。

「猫の手も借りたいところなのに困ったわ。お祭りの前だし、どうしようかしら」雪桜がしぶるが

「里から戻りましたら僕達もお手伝いしますから」乗り気のバロンがそんな事を申し出る。

「あらそう、じゃあ許しちゃおっかな」途端にパァっと笑顔になった雪桜を見て、この人、こう言い出すの待ってたなと夕姫はにらむ。その視界の端に少女姿のペンタが見えた。アイツ何やってるんだろう。

 ペンタは黒い化猫だ。ねずみのあやかしと争っていたところをバロン達に助けられ、以来アパートに住み着いている。先日東北遠征の折、白桜神社に預けたので勝手は知ってるだろうが。まて、部屋のカギは掛けたはずだ。また抜け出てきたな。そんな夕姫の心配をよそに

「そうしたら犬神サンに頼んで一緒に行ける様にしよう」バロンがどんどん話を進める。よほど弥桜との旅行が楽しみらしい。ペンタはほころび始めた桜の樹の影に隠れ、バロンは気付いていないらしい。

「ヤッタァ、ねえ、父さんの実家に行っても良い?」弥桜は雪桜にたずねると

「私も行った事は無いのよ。でもあの人きっと反対するわよ。里に連れて行ったら弥桜を取られるって言うのが口癖だったから」だから実家に行ったことが無いのよと雪桜は言う。

「大丈夫です。私が責任を持って弥桜さんをお預かりします。鷹崎たかさきサンにも案内しますよ」夕姫にとっては鷹崎家は分家みたいなものだし、祖父の実家だ。

「そう?じゃあダンナに実家へ連絡入れておくように言っておくわ」あまり乗り気でなさそうだが承知してくれたようだ。

「では、スケジュールが決まったら、連絡入れるね」バロンが話を詰めている。

 …相変わらずペンタは境内をウロチョロしている。オイ、いい加減にしないとまたバロンに見つかるぞと、夕姫は心のなかでツッコまずにはいられなかった。すると樹の影一旦引っ込むと黒猫の姿で出てきた。

「ペンタ、ペンタじゃないか。どうやってここまで来たんだい?」もっともな疑問だ。しかし目の前で鍵抜けを見た事のある夕姫には全く疑問にもならない。ペンタはバロンの腕の中へ飛び込む。その様子を生暖かい目で見守る四人だった。バロン以外はペンタの正体を知っている。彼女?はかたくなにバロンへ正体を明かすのを拒絶している為だ。

「里に行くときはやっぱりここに預けておくしかないか」バロンは旅行中のペンタの処遇について考えた。

「良いわよ。大事に預かるわよ」雪桜はペンタの世話を請け負う。そのやり取りを見ていたペンタは不満そうに鳴く。


「そう。じゃあ春休みは出掛けるから、緊急時にはさっき言った携帯電話の番号にお願い。…またね」バロンが母親に電話をしていた。春休みの里への旅行を連絡したのだ。

「母もこれから海外で会議に参加するらしくて国内にいないらしい。ちょうど良かったかも」バロンは春休みの予定が埋まって助かったと言う。

「スケジュールはどんな感じだ?だいたい何で呼び出されたんだ?」輝虎が今回の里帰りの理由を夕姫に聞いた。輝虎はあまり実家に近寄りたくない。

「春休みの初日から一週間くらいの予定よ。呼び出しの訳は評価の伝達って言ってたわ。このチームの成績がどうとか」真田屋敷でお務めの成績表をくれるのかも知れない。このチームのお務め達成率は今のところ100%なので悪くはない筈だ。他のチームの様子を知らないので比較は出来ないが、唯一心配な点は経費の使用量だ。つい最近でも鉄鼠てっそ管渠かんきょ牛頭ごずの校庭などかなり費用が掛かった気がする。

「俺、成績表とかキライ」小学校卒業で苦労した輝虎がうめく。

「大丈夫よ。きっとクビにはならないはず。多分…」夕姫も断言出来ないようだ。しかし援護射撃があった。

「ウチのチームは最高だよ。吉野さんを救出して鉄鼠を返り討ちにして、あんなに大きな牛頭だってテトラが叩きのめしたじゃないか。他のチームはあんな事出来っこないよ」バロンが自分のチームの成果に太鼓判を押す。バロンがそう言うならきっといい方に向かっている筈だ。神様がイタズラしなければ。


 2


 バロンはアパートの屋上で日課の稽古けいこを輝虎につけてもらっていた。輝虎は修行で苦労した為か教え方が上手く、バロンの剣術はグングン上達していった。ただし、輝虎の教えは防御が中心で、攻撃には重きをおいてなかった。

「俺は小太刀こだちとかは専門外だからな。里に行ったらもっと良い先生を紹介出来るといいんだが」手加減しながらもバロンに木刀を打ち込む輝虎は息も切れてないが

「僕は…、テトラが…手加減…して、…ついて…行くの…が…やっと…だよ」バロンは息も絶え絶えで輝虎の打ち込みを受ける。お務めを始めた頃は木刀を取り落とす事もしばしばだったが、最近は不意打ちにも反応している。まだ全てを受けきれてはないが。輝虎も心得たものでバロンが受けきれず体に当たる時はダメージを最小限にして、打撲だぼくやアザなどにならないよう力加減をしている。輝虎はとてつもなく高度な太刀さばきをやってのけていた。その点でも指導者としての素質がある。すべては三叉戟の師、鰐渕わにぶちとの修行によって育まれたものだった。

「ヨシ、この位にしておこう。星辰せいしんの剣に頼らなくても結構イケるハズだ。上達したな、バロン」輝虎が素直にめる。学校に通う前から武術漬けになる里の住人と違いバロンは高校生になってから本格的に始め、まだやっと一年位だ。その割にはスジが良い。バロンの良いところは人の話を素直に聞けるところだ。輝虎が悪いところを指摘してきするとすぐに直しにかかる。実家の道場でも変に言い訳するヤツは伸びなかった。辞めていくヤツほど人の話を聞こうとしなかった。

「先生が良いからだよ。ありがとうございました」輝虎に一礼をするバロンだった。火照ほてった体に屋上の冷たい風が心地いい。バロンは屋上の景色が好きだ。ここから見える灯りの下一つひとつに誰かの営みがあると思うと胸がなんだか暖かくなる。だからバロンは街の光が好きだ。

「でも本当の話、これ以上の上達を目指すなら、ちゃんとした専門家に指導を受けたほうが良い。俺も基礎しか習って無いからな」輝虎も実家の道場で護身用の型を一通り習っただけで、攻撃に関しては我流かつ力任せだ。そんなのをバロンに教えられない。おそらく夕姫も似たりよったりだ。

 剣術となると真田かもしくは師条しじょうだが、前者はともかく後者はまず無理だ。どうも聞くところによると師条の剣術は神技とも呼ばれ一子相伝らしく、先天的な才能が無いと修得出来ないらしい。あとは犬神の出身である猟犬りょうけんの誰かに教わるかだ。バロンはまたニコニコしているが、まあ良い、里についてから長兄の虎光とらみつか父親に聞いてみようと輝虎は考えた。


 夕姫は入浴し、寝室に入った。ベットの上の黒クマのぬいぐるみを前に考える。すべては弥桜絡みだが、名前を付けるとしたら何が良いかと、このクマを披露ひろうする話だ。夕姫は名付けは苦手だ。ペットのインコに名前を付けようとして妹達に馬鹿にされた程センスが無い。下手な名前を付けて弥桜に軽蔑けいべつされたくない。サスケがセンス有るとも言い難いが…

 ペンタに名付けしたバロンならどういうふうに考えるだろうか?その時夕姫はひらめいた。クワトロはどうだろう。横文字だし、テトラこと輝虎にもらったのだ、クワトロが良い。あとは弥桜に見せる方だがさり気なくサッと出せばいいだろう。寝室に置いているから恥ずかしいのだ。

「今日は抱いて寝ないのか?」急に後ろから声を掛けられる。そこには少女姿のペンタがいた。夕姫は心臓が口から出そうなくらいびっくりしたが、悲鳴はなんとかこらえた。

「ペンタ!あんたどこから入ったの?」夕姫は思わず訪ねたが、ペンタは壁を指差す。夕姫は頭を抱えた。

「あんたねぇ、オトメの部屋に勝手に出入りしないで。入るときはノックぐらいして。心臓に悪いわ」夕姫は無駄と思いつつも説得を試みる。

「夕姫はオトメなのか?」ペンタは首を傾げる。

「女の子は結婚するまでオトメなの」そういう事にしておく。

「そうか。ところでワシも里とやらに連れて行け」夕姫の答えに興味なさそうだったが、とんでもない事を言い出す。

「あんたねぇ、あそこは怪狩あやかしがりの総本山よ。あんたなんて三歩も歩かない内に捕まっちゃうんだから。ダメよ。白桜神社で大人しくしてて」夕姫は呆れつつも諦めるように言う。

「絶対ダメか?」ペンタは諦めないが

「絶対ダメ」夕姫は頑として譲らない。

「そうか。わかった」ペンタはわかってなさそうな返事をして壁に潜る。

『おわっ!なんだお前か』隣の部屋で輝虎が驚くのが聴こえた。夕姫は再び頭を抱える。バロンが見てない所ではやりたい放題だなと夕姫は思った。急に疲労を感じ、電気を消し、クワトロに抱きついて眠った。


 3


 終業式を終え、成績表をもらったバロン達であったが、輝虎と弥桜はかんばしくなかったのか、遠くの方を見ていた。

「せ、成績表なんて悪くても死にはしないサ」遠い目をした輝虎がつぶやく。

「き、きっと修行や練習がきびしかったせいよ。母さんもわかってくれるわ。か、母さんがダメでも父さんは大丈夫」うつろな目をした弥桜が自分に言い聞かせる様につぶやく。夕姫とバロンは顔を見合わせため息をつく。

 終業式まで、休んでいた女子達は結局復帰しなかった。担任の教師に聞いてみたが判らないとのことだった。全員体調不良と言うこと以外判らなかった。里に報告を上げたが、この件は指示が出なかった。夕姫や輝虎が個人で調べるのも限界がある。何事も無い事を祈りつつ終業式を迎えた。


 いよいよ明日は里へ向かう日だ。弥桜の同行の申請も無事認められた。弥桜の父親が実家に連絡したそうで、宿泊は凰家と鷹崎家のどちらに泊まるかは現地の状況次第という事にした。父親の実家と言っても知っている顔が全くいないのは少々不安だ。少なくとも凰家には夕姫がいる。

 バロンも一応凰家に投宿する予定でいる。笹伏家は部屋数や広さは問題無いが、輝虎自身が帰りづらい場所なので候補から外した。輝虎は事と次第によっては鰐渕のあばら家に潜り込もうとも考えていた。


 成績表の事を明後日あさってに置き去り、里に行ける事で舞い上がっている弥桜を神社に送った三人は、アパートに戻るとペンタの気を引こうと奮闘している犬神の姿を見た。

「ほーら、ペンタ、コイツはおいしいぞ。ほら、ほら」家で娘にもこうしているのだろうか。ペンタは全く相手にしない。アイツは最近、人間様の食べるモノを貰っているので高くてもペット用のエサでは見向きもしない。犬神から中年男の悲哀ひあいが感じられた。

「犬神さん、来てたの」相変わらず空気を読まないバロンが声を掛ける。

「よう。お帰り」思わぬところを見られ、バツの悪そうな犬神が照れながら返事をする。

「車無かったじゃない」バロンが犬神のバンを見なかったと言う。

「聞いて驚け、功績が認められ、新車を貰ったんだ」ものすごい笑顔で自慢する。犬神の功績だけでは無いはずだが、待遇が改善されるのは大歓迎だ。

「今度は7人乗りだからゆったりと座れるぞ。夕姫の要望通り、シートもフカフカだ。ナビも付いてる」最高グレードの装備だと自慢する。

バロンは思わず嬉しく廊下に出て、駐車場を見下ろすと確かにメタリックカラーのピカピカの新車があった。

「うわー、高そう」単純な感想だが、上から見ただけではそのぐらいしか出ない。

「そうだろう、そうだろう」気付くとご機嫌な犬神が隣にいた。

「車中泊も余裕が出来るぞ。もう若者の貧乏旅みたいな窮屈きゅうくつな思いもオサラバだ」放っといたらこのまま夜の街に新車で走り出しそうなくらい上機嫌な犬神だった。この時はこの7人乗りが丁度良くなる位メンバーが増えるとは夢にも思わなかった。


 宿泊の荷物と週末に横浜まで出掛けて購入したお土産を積み、白桜神社に預ける為にペンタを抱え、弥桜を迎えに新車で向かう。

 輝虎が三列目に一人で座り、弥桜を二列目の夕姫の隣に座らせる予定だ。

 乗り心地は犬神が自慢する通り、最高で夕姫は白桜神社に向かう数分で眠ってしまいそうになる。なぜ静かな寝室で熟睡出来なかったのに、こんなにうるさい車内で眠くなるのだろう。


 白桜神社に着くと弥桜ではなく、母親の方が立っていた。

「おはようございます。今回は不肖の娘ですがよろしくおねがいします」犬神にていねいに挨拶をしてペンタを預かる。ペンタも観念したのか大人しくしている。

「弥桜さんは?」夕姫が尋ねると

「ごめんなさいね、もうすぐ出てくると思うわ」困った顔で答える。確かに屋内から走り回っている音が聞こえる。雪桜が玄関を開け、ペンタを住居部に下ろすと

「弥桜!いい加減にしなさい。バロンくん達待ってるわよ!」家の奥に声を掛けると、泣きそうな弥桜が顔を出す。

「ねえ、母さん去年買ったジャケット知らない?」弥桜は半べそかきながら雪桜に尋ねる。

「だから早く用意しなさいって言ったでしょ。一階のクローゼットの奥から二番目よ」ヤレヤレといった感じで娘に探し物の在り処を教える。

「だって、昨日帰ってきてから母さんお説教だったじゃない」弥桜が泣き言を言う。

「あんな通信簿見せられて黙っている親がいるもんですか」雪桜が怒る。

「本当だったら出かけないで復習しなきゃ駄目なのよ。教科書と問題集持ったわよね?」里に行っても勉強させるようだ。

「…持ちました」弥桜が荷物を持って出てくる。勉強道具が入っているせいか大荷物だ。輝虎が預かり、真新しいバンに積み込む。

「ではお嬢さんをお預かりします」犬神が挨拶する。

「ちゃんと連絡寄越しなさいよ。それと必ず復習しなさい。なんならバロンくんに教わりなさい。それからお義父とうさん、お義母かあさんに会ったらしっかり挨拶しなさいよ。みなさんに迷惑かけないようにしなさい。ボーッとしてないのよ」別れの際まで矢継ぎ早に弥桜に注意する。やはり心配なのだろう。娘の身と言うより行動の方を。

「オヤジ達の言う事なんて気にするな」弥桜の父親大三まで見送りに出てきた。弥桜はウンザリしながらうなずく。

「ではおばさま、行ってまいります。ペンタをよろしくおねがいします」夕姫が最後の挨拶を交わし乗車し、白桜神社を出発する。


 4


「もう、母さんったらひどいのよ。昨日、怒らないから成績表出せって言われて出したら、夜中までお説教されたの。おかげで旅行の準備出来なかったの」車が出た途端、弥桜のグチ兼遅刻の言い訳が始まった。隣で聞いてた夕姫はそんなに悪かったんだ…と苦笑いした。

「助けてもらえると思った父さんは見ないふりしてたし」弥桜は不満を漏らすが、聞いてる夕姫はオジサン賢明けんめいだなと思った。夕姫の実家も父親以外女ばかりだ。他の誰の味方をしても角が立つし、恨まれる。女同士のもめ事には関わらないのが最良だ。一緒に叱られなかっただけ感謝するべきだろう。

「バロンくん、良かったら英語だけでも教えて。もの凄く悪かったの」弥桜が助手席のバロンに話をふる。

「えっ、僕?僕は話せるけど日本の筆記試験はなぁ」バロンは振り返り、自信無さそうに答える。

「もう、バロンくんだけが頼りなの!お願い!」弥桜が縋り付くような勢いでお願いする。よっぽど切羽詰まっているんだな、と夕姫は生暖かい目で見守った。

「そう?だったら出来る限りは協力するよ」バロンが英語の面倒を請け負う。バロンは筆記試験は苦手な様な事を言うが、勉強しなくても高得点だった筈だ。大丈夫だろう。

 確か弥桜の苦手科目はあと数学の筈だ。そちらは最悪自分が面倒みようと夕姫は思った。調査対象の弥桜を直接に里へ連れてく代償だいしょうだ。安いものだ。

 それより問題は後ろで聴こえないふりをしている大男の方だろう。ヤツはまんべんなく悪かった筈だ。留年しても構わないと思わなくも無いが、仕方ない面倒見てやろうと夕姫は心のなかでため息をついた。

「聞いていいか判らないけど、里ってどのくらい掛かるの?」弥桜がもっともな事を尋ねた。父親にも静岡県内の山奥としか聞いていない。

「車で3時間位だけど途中で昼食を取るから、到着するのは午後1時位かな」犬神が前を向いたまま答える。新しい車でもスムーズに高速道路を走っていく。


 途中のサービスエリアで昼食を取るが、輝虎と夕姫は目立たない様にフードコートで一品ずつ頼んではしごをしていた。遠征中の恒例こうれいとなっているが、知らない弥桜は目を丸くする。バロンと犬神は慣れたもので他人のふりをして、食後のコーヒーをすすっていた。やがてそれにも飽きたバロンと弥桜は売店を見に行った。

「ウチは神社で家を空けられなくって、旅行に行く事って少なかったから、こういうの楽しい」弥桜が目を輝かせながらお土産品を見ている。バロンも国内旅行はお務めを始めるまで学校行事の修学旅行などしかなかったので楽しかったが、弥桜がそばにいるだけで普段の何倍も嬉しかった。極論、別に旅行中で無くとも弥桜が居れば良い。

「アレ?ペ、五子いつこちゃん?」弥桜が急に声を上げる。

「どうしたの?」

「五子ちゃんに似た女の子がそこを通ったような気がして」弥桜が目をこすり、首を傾げる。五子と言うのは黒猫ペンタが少女に化けた時の仮の名だ。

「気の所為せいだよ。これだけ人が多ければ似たような子もいるんじゃない?」バロンが人違いではないかと言う。

「そうかも知れない。昨日の件で疲れてるのかなぁ、私」弥桜も自分が見た事の自信を無くす。ペンタらしい姿を見たのがこの大ボケコンビじゃ無ければ精査せいさしたのだろうが、能天気な二人は直ぐにこの事を忘れ、誰にも話さなかった。


 昼食休憩が終わり再び犬神のバンが走り出す。輝虎と夕姫はまだ食べたりなかったのか、車内に持ち込めるアメリカンドッグやフライドポテト等を買い込んで摘んでいた。

「里に戻るのも久しぶりだなぁ」輝虎が感慨深かんがいぶかそうに言う。バロンのお務め受諾時じゅだくじに挨拶をしに行ったきりで三人とも盆も正月も里へは近寄りもしなかった。

「親不孝者って言われても反論出来ないわね」輝虎と違い、実家にはまめに電話している夕姫ではあったが、声だけでは娘を持つ親は心配だろう。判ってはいるが、時間が経てば経つほど億劫おっくうになってしまう。今度は盆と正月位、実家に帰ろうか。もし渋るなら輝虎だって凰のうちに来れば良い。


 やがてバンは高速道路を降り、山間の道に入って行く。そしてしばらく行くと道の途中に民家があり、バンはその家の庭に滑り込む。犬神が降りて家主と二言三言話すとバンの正面にある大きなガレージの扉が開く。犬神が運転席に戻り

「さあ、里へようこそ」と言いながらバンをガレージに進める。ガレージの奥も扉になっており、すでに空いていて、その向こうはしっかりと舗装されているが、樹木が鬱蒼うっそうと茂り、外から気付かれ難い様になっている。

「わあ!スゴイ!忍者の隠れ里みたい!」忍者マニアの弥桜が目を輝かせて喜ぶ。

「何で父さん連れてきてくれなかったんだろう?」弥桜が不思議がるが、夕姫には色々思い当たる事もあった。大概たいがい、里を出ていった人は戻っては来ない。訳ありだったり、里を捨てた人たちだ。弥桜の父親は前者だろう。最後まで弥桜の里行きを反対していたそうだ。

 そうこうするうちに里の民家がちらほらと見えてきた。太刀守たちがみの里はあまり家同士が密集しておらず、点在している。

「まずは凰屋敷おおとりやしきで良いんだよな?」犬神が確認する。

「ええ、一旦荷物を置いて一休みしてから真田屋敷に向かうわ」夕姫がそう言うと屋敷と聞いた弥桜が再び目を輝かせる。

「私、夕姫さんの家に行くのすっごく楽しみ」傍から見ても弥桜の瞳はキラキラしていた。出発した時とは大違いだ。きっと弥桜の想像の中では夕姫の実家はどんでん返しとかがある忍者屋敷みたいになっているのだろう。

「あんまり期待しないでね。いたって普通の家だから」そう夕姫は言ったが。


 5


 「何なのよ、これぇ」久しぶりの実家の前で愕然がくぜんとする跡取娘あととりむすめだった。

「「「お姉ちゃんお帰り!」」」玄関から飛び出た少女達に三重奏さんじゅうそうで元気よく出迎えられる。

「「「お土産は?」」」もっと元気よく催促さいそくの合唱だった。夕姫は頭を押さえる。

「あんた達ねぇ…まあいいわ。それよりもこの家のこの状態はナニ?」夕姫が尋ねたのは高級旅館の様になった実家の有様だった。後ろで弥桜がまた目を輝かせている。

「温泉が湧いたせいでママがお風呂造ったの」

「露天風呂も有るよ。源泉掛け流し」

「おかげでお肌ツルツル。これ以上美少女になったらどうしよう」べに瑠璃るり翡翠ひすいが説明する。夕姫には見分けがつくが、彼女達は髪飾りなどで違いをアピールしている。今は名前にちなんだ色のヘヤピンを付けている。

「テル兄、またでっかくなったね」輝虎は三人に面識がある。

「ガイジンだ!外人だよ!カッコイイ!」バロンの少し日本人離れした容姿を見て騒ぐ。里には外国人が入って来ないのでそう見えるかも知れない。

「コッチのお姉ちゃん、おっぱいでっかい」弥桜を見付けて驚く。確かに母を含め彼女達の周囲に胸の大きな女性は少ない。だからってお客様に失礼だろう。弥桜は引きつった笑いを浮かべている。

「あんた達いい加減にしなさい!お客様に失礼でしょう!さっさと荷物でも運びなさい」こういう事態に慣れている夕姫が収拾を図る。

「「「はーい」」」バンに積んで有る夕姫達の荷物を犬神から受け取っていく。

 弥桜のバッグを運んでいた瑠璃がバッグをドサッとおろした。

『ニャ!』バッグの中からネコの鳴き声の様な悲鳴が上がる。

「ニャ?」弥桜が首を傾げる。衣類と勉強道具しか入ってない筈だ。ニャなんて音のするモノなど入ってない。慌ててバッグを開けるとペンタが顔を出した。

「ペンタちゃん!どうしてここに?」弥桜が驚いて尋ねるが返事はしない。そこへ夕姫の携帯電話に着信が入る。

『雪桜です。もしかしてそっちにペンタちゃん行ってない?境内のどこにも居ないし、ご飯の時間になっても帰ってこないのよ』夕姫は泣きたくなった。何でいっぺんに異常事態が押し寄せるのだろう。

「…すみません。こっちにいました。何とかします。連絡ありがとうございました…」雪桜にそれだけ伝えるのがやっとだった。ペンタが里に行くことをアッサリ諦めすぎると思ったが、まさかこんな手段に出るとは。

「…バロン、見張っといて」夕姫はペンタをつまみ上げ、バロンに渡す。

「うん。ダメだよ。こんなことしちゃ」バロンは優しく叱るがペンタはあさってを向いている。

「取り込み中悪いが、俺は実家に向かおうと思う。真田屋敷に四時で良いか?」自分の荷物を持った輝虎が苦笑いしながら夕姫達にいとまを乞う。

「…良いわ。行ってらっしゃい」どうせ輝虎一人いても事態は変わらない。ため息とともに送り出す。

「じゃあな」輝虎は逃げる様に走り出す。いや、逃げている訳では無いが。


 奥の間と呼ばれる部屋で夕姫は凰家の当主である母親と対面していた。

「只今、戻りました」夕姫は母、あかねの背後を見て突っ込みたいのをグッと我慢した。

「おかえりなさい。活躍は聞いてます。御苦労でした」茜は何事もなかった様に労をねぎらう。

「…何点かお聴きしてもいいですか?」夕姫は努めて平静に話す。

「何でしょう?」床の間を背にする茜が応える。

「その斧はどうしたのですか?」茜の背後の床の間には見覚えのある巨大な斧があった。二月に倒した牛頭が持っていたものだ。確かお掃除部隊が回収したはずだ。

「お館様から贈られました。貴方達の武勇の証です。家宝にします」茜は澄まして言う。夕姫は何か言い返したかったが諦めて次の質問に移る。

「…家の改築の事は?」

「良いでしょう。温泉が出たのよ。折角だからお風呂増築して、露天風呂も造っちゃった。夕姫も後で入ってみて」途端に相好を崩し、自慢のお風呂をアピールする。夕姫は本当に頭痛がしそうだったが自分にも責任の一端が有るような気がしているので、これ以上は追及しない事にした。それに襖の向こうに気配がしている。

「わかりました。この後真田屋敷に参ります。富士林君と吉野さんの二名を客人として迎え入れて下さい」電話ではお願いしてあったが改めて二人の歓待を頼んだ。

「大丈夫よ。あなたに恥はかかせません」茜は微笑んだ。

「しばらく見ないうちに綺麗になったわね、夕姫」母親がしみじみと言う。

「輝虎君と上手くやってるのね…」

「何もないですから!まだ…」夕姫は母親に強く否定したが尻つぼみになる。

「あら、まだ何もないの?そう、母さん早く孫の顔見たいのに…私はね、輝虎君で良いって言ってるのよ。それなのに笹伏サンが渋って…」茜がとんでもない事を言う。夕姫は真っ赤になりながら、そうか反対勢力は輝虎の父親かと思ったが、今は戸の向こうが気になった。夕姫はつかつかと襖に歩み寄り勢いよく戸を開ける。ドサドサっと聞き耳を立てていた父親と妹達が倒れ込む。

「お客人放って何してるんですか」夕姫は仁王立ちして盗み聞きの犯人達をにらむ。

「だって、夕姫ちゃんやっと帰ってきたと思ったら真っ直ぐママのところに行っちゃうんだもん」夕姫の父、龍成たつなりがすねるように弁解する。

「紅、お客さんにお茶出したよ。一番良いの」

「ねえ、お土産開けて良い?」

「一番先に選ぶの翡翠だからね」下の二人は悪びれもしない。相変わらずの家族に呆れるとともに家に帰って来た実感がわいた。

「父さんがしっかりしないと、この子たちが真似するでしょう」仕方ないなと思いつつ、説教をしたくなる。龍成は陰険で有名な真田家で一番性格が良いと言われた男だ。凰家の婿養子に来て女ばかりの凰家において女性陣に頭が上がらない。しかし家族への溺愛できあいぶりは強烈だ。子供頃の夕姫が外で輝虎と遊んでいたのも父親の猫可愛がりに辟易へきえきしていたせいだ。夕姫が距離を置くとターゲットは三つ子の妹達に変わり、欲しい物は何でも買い与え、わがまま放題に育ててしまった。

「わかったわ。真田屋敷に向かう前にお土産開けるわ」夕姫は妹達の待望の眼差しに耐えられず、観念してお土産を出す事にした。


 輝虎は実家の前で悩んでいた。凰屋敷から輝虎の実家までけもの道を最短で行って5キロメートル有るが今の輝虎の脚では荷物を背負っていても5分掛からなかった。

 そろそろ移動時間より悩んでいる時間の方が長くなりそうだ。仕方なく思い切って母家を目指す。道場は破門の身なので近寄らない。

「…ただいま」自分でも小さな声だなと思いつつ、玄関の戸を開ける。

「まあ、テル!いきなり帰って来て。母さんびっくりしたわよ」あんな大男達を産んだとは思えない小柄な母親、水無瀬みなせがすぐに出てきて出迎えてくれた。笹伏の家も大きいのにこんなに早く気が付くとはさすが里の人間だ。伊達に笹伏に嫁いで来ない。

「ただいま、おふくろ」輝虎は母親に会っても何も感じないと思っていたが、色んな思い出がよみがえってきた。自分でもこんなに甘えん坊だったとは思わなかった。

「さあさあ、早くお上がり。くたびれたでしょう?聞いたわよ、大ケガしたのに大きな怪を倒したって。母さんどれだけ心配したか」水無瀬は息子の帰りを喜ぶ。実際、輝虎は末っ子なので母親に可愛がられていたのだろうが、小学生の時は三叉戟の修行、最近はお務めと家を開ける事が多い。ましてや水無瀬はその両方に反対だった。俺は親不孝者だなと輝虎でも思った。


 輝虎が巨大な食卓がある広間、誰が呼んだかヴァイキングの間のテーブルにつき、水無瀬から出されたお茶をすする。

「…おふくろ、おやじ達は道場か?」輝虎は気になっている事を尋ねた。

「そうよ。呼んでくるから」水無瀬はそう言って勝手口に向おうとするが

「やめてくれ。これから俺は真田屋敷に呼び出されて行かなきゃなんない。夜には戻るからその時で良い」輝虎は父親達との再会を先延ばしにしようと思った。しかし、

「テル、帰ってきたな」玄関から長兄、虎光の声がした。虎光に気付かれずにはいられなかったようだ。

光兄みつにい、ただいま」ぎこちなく挨拶する輝虎だが

「なんだ、もっとリラックスしろ。お前んちだぞ、テル!」輝虎の内心を知ってか知らずか、そんな事を言って背中をどやしつける虎光だった。

「お前の評判とても良いぞ。これなら夕姫君をもらえるぞ」虎光は夕姫を賞品のように言う。虎光にとっては弟達の競争の賞品に見えるのかもしれない。

「止してくれ。まだお務めの途中だ。気が抜けると困る」輝虎は兄の過保護にも後ろめたさを感じた。二人の兄を差置いて、虎光は輝虎に目を掛けてくれている。そうでなければ夕姫の婚約者は今頃、次兄の昌虎まさとらで決まっていただろう。

「光兄、この間の鋼の長柄、ありがとう。本当に助かった」牛頭退治の際、輝虎が虎光から贈られた鍛造製の長柄を使い圧勝した礼を言う。虎光はウンウンと聞いた。

「少し荒っぽかったが良い取り組みだった」虎光は口を滑らす。

「…見たのか?」輝虎は虎光を問いただす。

「見たというか、見ていたというか…」虎光は目をそらす。兄弟でこんなところはよく似ている。

「あの場にいたのか?光兄、現れなかった応援ってもしかして光兄だったのか?」輝虎は問い詰めると

「大津や飛騨と一緒に屋上で待機していたんだ。危なくなったら出て行くつもりだったが、お前があんな大活躍したんでな」特に秘密にしなければならない訳でもないのでアッサリ白状した。

「じゃあ、ああなった経緯や、ユーキとのやり取りも全部?」輝虎はあの日の事を思い出し、恥ずかしさで真っ赤になった。穴があったら入りたい、いや掘ってでも入りたい。

「全部さ。大津が命じてあの討伐とうばつの様子はビデオカメラで撮ってある。牛鬼ぎゅうき退治のテープは里の一部の人間に大好評だぞ」一度話しだした虎光はとんでもない事を言い始める。輝虎は里の通りを歩きたくなくなった。

「母さんも見ましたよ。あんなに大きくて怖い妖怪を退治するなんて、母さんあんたを見直したわ。それに夕姫さんをあんなに思ってたなんて…」水無瀬が母親らしい空気を読まないコメントで追い撃ちをかける。輝虎はもだえ死にしそうだった。

「他は誰が観たんだ」輝虎は羞恥心しゅうちしんを必死に我慢して被害状況を確認する。

「ウチではまさあきは観ないから、後はオヤジ殿かな。ああ、大丈夫、長老たちの間で回しただけだから里人みんなが見た訳じゃないから。猛牛殺しの黒虎クン」虎光が変な二つ名で輝虎を呼ぶ。

「なんだ、その猛牛殺しって」輝虎が聞き返す。

「お前の称号あだなだよ。なかなか二つ名なんて付かないぞ。特にお前の歳では」虎光が喜べと言わんばかりに褒める。輝虎は助けを求め周囲を見渡し時間に気付く。三時半だ。待ちあわせまで三十分しかない。

「悪ぃ、これから真田屋敷に顔を出さなきゃならないんだ。夜には帰るよ」この場から逃げ出す口実を見つけた輝虎だった。

「車で送るぞ」虎光がそう言うが

「大丈夫、走っていくさ。今の俺なら10分掛からない」輝虎が自信たっぷりで言う。

「本当か?」虎光がいぶかしがる。真田屋敷まで10キロメートルはある。虎光の車でも10分は掛かる。

「今の俺は里で一番早いんだぜ」輝虎は去り際に言い放つ。


 6


「俺はこれで帰るからな。次は神奈川に戻る時に迎えに来る。ここの帰りは真田の方で手配するそうだ」夕姫、バロンと弥桜の三人を真田屋敷まで送ってくれた犬神はそう言って八王子の自宅へ向かって去っていく。後は真田が面倒をみるそうだ。

「よう、待ってたぜ」先に着いていた輝虎が手を挙げる。

「猫はどうした?」輝虎は別れ際にもめていたペンタを気にした。

「私の部屋に放り込んで動かないよう言ってきたわ。もし部屋から出たら妹達におもちゃにされるぞって」夕姫は思い出したように怒った。

「そうか。それからな…」輝虎は夕姫に耳打ちする。

「なんですって!アレ、撮られてたの?ウソでしょ?」牛頭退治のビデオの件を聞かされる。夕姫にはまた頭痛のタネが増えたわけだ。

「このまま回れ右してアパートに帰りたい…」真田屋敷に入る前に気力を使い果たしてしまった夕姫だった。その後ろで

「そうよ。こういうのがイイのよ!」弥桜が真田屋敷を見て興奮する。確かに真田屋敷の構えは弥桜の大好きな忍者屋敷に見えなくもない。そうだ

「真田のご先祖は忍者だったらしいわよ」ヤレヤレといった様子で夕姫は弥桜がさらに喜びそうな情報を教える。

「エーッ、本当に?カラクリ仕掛けとかあるのかなぁ。見せてもらえないかなぁ?」弥桜が期待に目を輝かせる。

「吉野さんは本当にニンジャ好きだなぁ」バロンが弥桜の忍者への追求に感心する。

「勝手に歩き回っちゃ駄目よ。真田の迷宮ってあだ名がある位、迷いやすいし、里でいちばん怖い場所なんだから」夕姫は警告するが、なおさら弥桜は喜ぶ。

「夢のような場所だわ。やっぱり来て良かった」まるで恋する乙女モードだ。朝の涙目とは大違いだ。

「さっさと入ろうぜ。遅刻するとマズイ」輝虎が先をうながす。すでに辺りは薄暗くなっている。

 一同は伏魔殿ふくまでんとも称される真田屋敷に入って行く。


「遠くからの帰着、御苦労だった」里の行政をつかさどり、お務めの責任者でもある真田家当主の真田竜秀さなだたつひでが労をねぎらう。夕姫の伯父で陰険の真田を代表する人物だ。

 以前、輝虎が夕姫にからかわれた応接室で対面している。弥桜は別の間で待ってもらっている。

「早速だが君達の務めの考課を伝える。初年度は優秀な成績を残している。同期では一番だ。達成率、要した日数、損耗率そんもうりつ、任務の困難度この全てにおいて最優秀だった」ニコリともせず褒められるが

「…反面、掛かった経費、被害状況、後処理に掛かった工数も最高だった」竜秀はため息をつかんばかりに指摘する。三人は顔を見合わせる。確かに派手な討伐が多かった様な気がするが、不可抗力だったとバロンは思った。それよりあの程度の被害で済んだ事を喜ぶべきだとも。

「その点については精査したが、大きな過失は無かったと判断した。よって次年度からの報酬の増額が決定された。また最高評価の賞与が出る」竜秀は喜ばしい事なのに、判決を言い渡すかのように言い渡す。

「この評価に甘んじる事なく精進したまえ。…今後はもっとスマートにことを進めてくれる事を切に願う。…こちらからは以上だが、なにか質問は」最後まで平坦に話しを続けた。

「ハイ。他のチームと比較出来ないと自分達の成績に実感がわきませんが、他のチームの成績を聞かせて貰えませんか?」夕姫が自分達の置かれた客観的な状況を聞きたかった。男達は最優秀と言われ、貰えるもの貰えれば文句は無かった。

「…同期の状況ではあるが、最初に12班でスタートしたが、1班は全滅、6班が欠員が出て再編して3班とし、1班は解散した。現在活動中は7班となる。まがりなりにも任務成功率100%は君達の班だけだ」やはり淡々と伝える竜秀の言葉に夕姫達は息を呑む。全滅、欠員?解散はともかく死者や再起不能なものが出ているのか。確かに牛頭の時の輝虎のケガはそうなってもおかしくは無かった。夕姫だって輝虎がいなければお務めを続けてはいなかったろう。思ったより凄惨せいさんな状況に思わず背筋が寒くなる。お務めの評価は学校の成績表とは違うのだ。肩を並べ競い合っていた級友が明日には居なくなる事すらあり得る。

「それからわかからネコの滞在を許すそうだ。しっかり目を離さないようにとの言付けだ」やはりニコリともせず事務的に話す。

 ペンタの事を隠し通せるとは思わなかったが、こんなに早く話が回るとは流石、里だなと夕姫は感心する。しかしこれで化猫の件は一応、方がついた。若かー、余り借りを作りたくないなと夕姫は考えた。後でどう返せばいいだろう?

「それから吉野弥桜の調査と里への同伴も御苦労だった。おかげでこちらの計画の進捗しんちょくが進みそうだ」竜秀が聞き捨てならない事を言う。

「吉野さんは刈取りの対象と言う事ですか」夕姫は弥桜の身を案じ問いただす。

「そうなれば良いと思っているが無理強いはしない。未だ彼女の能力は未知数だ。しかし協力を得られ、里に資するのであれば彼女を獲得する努力はやぶさかではない」竜秀は余り歯切れの良くない言い方をする。竜秀は余り乗り気ではないのか?

「そこで吉野弥桜の能力の見極めの為、こちらの指示する里の術者の元を回って欲しい。それから若からの伝言だが、協力してくれれば貸し借り無しにしとく、とのことだ」若こと師条光明しじょうこうみょうは里の最高責任者のお館様の代理となっているが、実際は母親の春日に代わり里の運営を行っている。その光明は夕姫が思う事を先読みして、断れない事を知りつつ提案してきた。話が見えないバロンは目を白黒させている。輝虎は難しい顔をしているがわかっているのだろうか?

「わかりました。どの様に回るかご指示下さい」夕姫は諦めて従う事にした。ペンタの事が無くても弥桜が心配なので同行した方が夕姫も安心出来る。

「案内と移動は龍光たつみつに任せてある。龍光を通して指示するので詳細は彼に聞き給え」龍光は竜秀の長男で夕姫の従兄弟になる。里では光明の側近の様な事をしていた筈だ。夕姫は龍光が少し苦手だ。ご多分に漏れず真田の血を引いているせいか真面目で堅苦しい。夕姫の父親は例外なのだろう。


 三人は竜秀の応接室を辞して、弥桜の待つ広間に向かった。すると竜秀によく似た若い男が弥桜に屋敷の説明をしていた。弥桜が三人に気付き振り返って

「このお屋敷、本当にすごいのよ。天井は梁がまる出しで、廊下は鴬張りなの。侵入者防止の仕掛けがこの他にも沢山あるの。もう忍者屋敷って言っても過言じゃないの」興奮しきった弥桜が熱弁する。待たせて申し訳無いと思っていたが、退屈はしていなかったようだ。

「随分物知りじゃないか。夕姫なんてここで遊び回っていたが全く気が付かなかったぞ」弥桜の相手をしていてくれた龍光が夕姫をバカにする。だから夕姫はこの従兄弟を好きになれないのだ。

「ハイハイ、学が無くて悪かったわね。ところで牛頭退治のビデオの件、貴方も関わっているのでしょう?ソレ誰と誰に配ったの?」夕姫はこの従兄弟に会ったら問い詰めようとしていた事を早速切り出した。

「ああ、あのテープの件か。長老会で報告に使用してコピーを欲しがった参加者のみに渡したが、確か笹伏、岩崎、鬼灯それと茜叔母さんに渡した。…仲が良いのは構わんがお務め中はイチャつかないほうが良いぞ」最後の一言は余計だ。夕姫と輝虎は真っ赤になった。まさか長老会で上映されてしまったとは。

 岩崎は鍛冶士の、鬼灯は術士の長である。その二家は良い。おそらく資料的な興味しかないだろう。あの場では弥桜の神楽が舞われ、召喚されたらしい巨大な牛頭がいたのだ。岩崎はバロンのマキビシの効果も知りたかったのだろう。問題は笹伏だけに終わらず、夕姫の母親の手にも渡ってしまった事実だ。あんな三文芝居を茜達に見られたと思うと、それだけで顔から火が出そうになる。家に帰ったら真っ先に処分しなくては。

「これに懲りたらお務め中は恥ずかしい事をしないほうが良いぞ」龍光が追い打ちをかける。やっぱりコイツキライだと夕姫は思った。


 香港の高級住宅地に構えるコンドミニアムに設けられた玄室にショートカットの女性が小動物にエサを与えていた。おかしな事にその動物は前脚が無く、模様のある木の板に縛り付けられている。入口に掛けられた緞帳どんちょうが分かたれロングヘアのよく似た女性が入って来た。

「エル、この部屋、生臭過ぎやしないか?」ロングヘアのアルが顔をしかめる。

「しかたないでしょ。呪詛じゅそ完遂かんすいされるまで生かさなければならないのだから。生きてれば匂いぐらいする」エルはそう言いなが前脚を切り落とし、縛り付けられているウサギの口にエサを流し込む。

「なんでそれにしたの?」アルが凄惨な姿のウサギを指さし尋ねた。

「すぐに入手可能だし、安い上にけっこうしぶとい。すぐに死んでは使えない」エルがウサギにした理由を説明する。

「しかし息子の周りに都合の良いヤツがよく見つかったな」アルがエルの手際を褒める。

「手の者を総動員して選別した結果よ。これで今度こそ小倅こせがれを苦しめられる」エルが悪い魔法使いのように暗い笑いを浮かべる。

「今度こそお館様のご期待に答えなさい」


 7


「じゃあな。明後日の朝そっちに行くな」輝虎が夕姫達の車組と別れ自宅へ向かう。

「遅刻なんてしないでよ」夕姫がその背中に念を押す。

「わかってるって」疾風ように駆け出した輝虎の声が遠ざかっていく。

「じゃあ悪いけどウチまでよろしく」夕姫は大きな四輪駆動車を用意した龍光に声を掛ける。

「早く乗ってくれ。二人はもう乗ってるぞ」龍光が応える。この従兄弟は一言多い。夕姫が助手席に乗ると、すでに真っ暗な道を走り出した。


 輝虎が実家までの最短距離の山中を走っていると突然前方に人影を見つけ急停止する。

「やあ、猛牛殺しの黒虎クン」若い男性が声を掛けてくる。輝虎を待ち伏せしていたらしい。

「…どちら様で?」輝虎は少し警戒しながら誰何する。輝虎の覚えの無い顔だ。

「キミのファンさ。牛鬼退治の時にも君の兄上とあの場にいたんだ」男はにこやかに答えるが名は明かさない。しかし輝虎はそれだけで解った。兄、虎光と一緒に行動する人物、それは若と呼ばれる里の党首代行である師条光明だ。輝虎はその雷名は当然知っているが顔は知らなかった。そんな人物がなぜこんな山中に?

「俺に何か用ですか?」輝虎は恐る恐る尋ねる。

「君に会いに来た、と言っても信じては貰えないだろうね。実はお願いが有ってここで待っていたんだ」光明は待ち伏せしていたことを隠さなかった。ニコニコしているがバロンとは違う種類の笑みだと輝虎は思った。バロンの笑顔は無邪気さを感じるが光明のそれは仮面の笑顔に感じ、本当の感情が読めない。

「自分に出来る事でしたら」輝虎は警戒を解かずそう答えた。

「うん、実はね、君の友人のバロン君がもうすぐ大きな災難に見舞われるのだけれど、それをあえて回避しないで欲しい」光明はおかしな事を言い出す。

「何故それを俺に言うんです?というより何故俺だけに言うんです?」輝虎はもっともな疑問をぶつける。光明は真田屋敷につながる離れとも言える家屋に住んでいるはずだ。必要なら真田屋敷で夕姫も合わせて話せば良かった筈だ。

「君がバロン君を災難からかばいきってしまいそうだからさ。これから彼に降りかかる困難はどんなに悲愴ひそうに思えても彼自身が乗り越えなくてはならない。そうで無いと結局はみんなが不幸になる。その不幸になるみんなという範囲は君が想像するより遥かに広い」光明は予想の上を行く事を言い出す。

「すぐには分からないかも知れないが心に留めておいてくれ」

「俺にバロンや夕姫に隠し事をしろと?俺はそんなに器用じゃありませんよ」輝虎は納得がいかず、少し抵抗してみる。

「器用じゃないかも知れないが誠実である事は信じている。そうそう、これを持っていくが良い」光明は非常食用の乾パンの特大缶を差し出す。

「今晩、君はこれが必要になる筈だ。このまま家に持ち込まず、隠して帰宅するが良い」光明はまた奇妙な事を言い出す。

「何故こんな事を?」輝虎は疑念を口にする。

「好意からさ。ファンだって言ったろう。猛牛殺しの黒虎クン。君から信頼を得たいためさ」光明は信じてほしいと言う。

「ではまた。次はゆっくり食事でもしながら話したいね」そう言うと、かき消す様に光明は消えた。輝虎は今の自分は里で最速だと自負していたが上には上がいるものだと思った。


 輝虎が家に着くと昼とうってかわって鬼の形相の母親に出迎えられた。自分の部屋に片付けなかった荷物の中から母親の水無瀬が成績表を見つけてしまったのだ。

「一年も家を開けてたと思ったらこんな成績表を持ってきて!こんなことではお務めのために学校に通えなくなりますよ!しっかり勉強なさい!…今晩くらいはお前の好きなモノと思いましたが罰として夕飯は抜きです!」水無瀬は輝虎達が一番こたえる事を知っている。道場から戻っていた父親や昌虎、昭虎あきとらとの挨拶もそこそこに空きっ腹を抱えて一年ぶりの自室に戻る。水無瀬のおかげか掃除は行き届いていたが、違和感を感じた。

(こんなに小さかったっけ?それとも俺が大きくなったのか)そう思いながらベットに倒れ込む。

 空腹がこたえる。そう思った瞬間、光明に貰った乾パンの事を思い出した。今晩必要になるとはこの事だったのだ。なぜ輝虎が飯抜きの罰を受けるのを知っていたのだろう。部屋の窓から出て家の外に隠した乾パンを取りに行きながらそう思った。

 輝虎が部屋に戻り乾パンの缶を開けるとノックが聴こえた。

「俺だ。入るぞ」虎光がコーラの大きなペットボトルを持って入って来た。

「陣中見舞いだ。なんだ、いいモノ持ってるじゃないか。用意が良いな」虎光はキンキンに冷えたファミリーサイズのコーラのペットボトルを輝虎に渡す。

「光明さんに貰ったんだ」輝虎は正直に話す。光明も虎光と同じ大学へ通っている筈なので二人とも春休みを利用して帰省しているのだろう。

「会ったのか?珍しいな。わざわざ人に会いに来るなんて」確かに光明がふらふら里の中を歩いていれば噂になる。

「それはそうとおふくろ殿を怒らすな。おやじは怒らせても後を引かないが、おふくろを怒らせると長いぞ。女を怒らせていい事なんて一つもない」虎光が弟に人生の教訓めいた事を言う。

「知っている。痛いほど、いやからいほどわかった」輝虎は赤いバレンタイン事件を思い出して言った。

「なんだ、夕姫さんを怒らせたのか?それはお前が悪い」虎光は状況を知らないのに輝虎に責があると断定する。

「ああ、そう思う。…光兄はみんなのためだといって友達を裏切れるか?」輝虎は悩んでいた事を兄に相談してみる。

「光明がそうしろと言ったのか?」

「…光明さんはチームリーダーのバロンを助けずに自分で克服させろって言ったんだ」輝虎はどう言ったら良いか迷ったあげく端的に話す。

「…そうだな、親しいからといって余り必要以上に助け過ぎるのは本人にとっても良くないと俺は思う。時には突き放して自分で解決させるのも必要じゃないか。俺がお前を鰐渕師のところへ送ったのと同じだ。それで一人で乗り越えられそうにない時は初めて手を差し伸べればいいと俺は思うぞ」虎光が持論を話す。

「それに光明の言う事は可能な限り聞いておいたほうがいい。お前と夕姫さんの件の最終判断はアイツが下すんだからな」虎光は弟の身を案じ忠告する。輝虎は思った。それじゃあバロンか夕姫を選べって言われてるみたいじゃないか。余計迷ってしまう。

「…あんまりおふくろ殿を怒らせるなよ。お前は小学生の時に前科があるんだから。じゃあ乾パンごちそうさま」自分にも半分くらい責任があるはずなのに勝手なことを言って虎光は自室に帰って行った。乾パンの特大缶は二人で話しながら摘んでいたら空っぽになっていた。しかし虎光から貴重な意見を聞けた輝虎は満足だった。しかし食欲は満たしきれなかった。

「あ~肉食いてー」輝虎の帰省初日は不遇のまま終わった。


 8


「無い、無いどうしよう?」自分にてがわれた客間で弥桜は旅行の荷物を広げて何かを探していた。着替、洗面用具、…仕方なく持ってきた勉強道具次々に並べていったがアレが無い。やむを得ない、夕姫に相談しよう。


 教えられていた夕姫の部屋をノックする。

『誰?』

「弥桜です。ちょっと良いですか」弥桜が声をかけると鍵を開け夕姫が出てくる。随分用心深いんだなと思っていると理由がすぐわかった。部屋の中でペンタが少女姿で食事をしていた。

「どうしたの?何か困ったことでもあった?」弥桜の顔色を見て夕姫が問う。

「ちょといい?」中で話そうと言い、部屋に入れてもらう。

「夕姫さ〜ん。どうしよう、替えの下着が無いの。絶対持ってきたはずなのに」弥桜は半泣きだった。するとすぐ原因がわかった。

「…水色の袋か?」ペンタが食事の手を止める。まさか…

「ワシの代わりに置いてきた」ペンタがカバンに入るスペースの為に置いてきたと言う。

「…ペンタちゃんのバカーッ!」弥桜が号泣しそうだ。夕姫は思った。ショーツはともかくブラは…

「ねえ、ちなみにブラのサイズいくつ?」夕姫が聴くと、弥桜が赤くなって耳打ちする。夕姫は聞かなければ良かったという顔をする。自慢じゃないが身体能力に特化した里の女性は胸が無い。全国平均を大幅に下回る筈だ。凰家だけではないはず。そんなサイズは里をひっくり返しても出てこなそうだ。

「…とりあえず下は使ってないのある筈だからあげられるけど、ブラはそんなサイズ、ここのどこ探してもないなー。ちょっと待ってて」夕姫は弥桜とペンタを置いて部屋を出ていった。ふたりきりになった夕姫の部屋に変な空気が漂う。

「スマンな。この借りはいつか返すぞ」ペンタが耐えきれず口を開く。

「…知らない」弥桜の怒りは収まらない。そこへ夕姫が戻ってくる。

「一番有望(胸の大きさで)そうな姉弟子に電話して聞いてみたんだけど、里のお店でもスポーツブラならなんとかなりそうよ。明日朝一番に行ってみましょう」夕姫が手を尽くしてフォローしようとこころみる。

「ありがとう。恩に着るね」弥桜はなんとか立ち直った。すると突然、ペンタが黒猫に戻る。小さい足音が聴こえてくる。

『お姉ちゃん、お風呂入らない?温泉だよ』紅の声がドアの向こうから聞こえる。

『弥桜お姉ちゃんも誘って一緒に入ろう』夕姫と弥桜は顔を見合わせる。


「ウワー、スゴイ!テレビでやってる高級旅館みたい!」里に来て驚きっぱなしの弥桜であったが、夕姫も初めてだったので感心した。茜は随分奮発したようだ。洗い場も複数あり、湯船も広い。家族六人で入っても狭くはないだろう。入ることが有ればだが。これなら門下生にも貸し出せる。

 しかし、夕姫と姉妹達の関心事はカネであがなえるモノでは無かった。一同の視線は一箇所に集まっていた。いつもは騒がしい妹達もその圧倒的な存在感の前に無口になった。夕姫もタオルに隠された友人のソレから失礼だとは思いつつ目が離せない。

「スゴイわね、ソレ」つい口に出してしまった夕姫だった。弥桜は恥ずかしそうにしながら慌てて湯船に浸かる。釣られて妹達三姉妹も付いて行く。姉よりも興味が有るようだ。

「もう夕姫さんったら」弥桜が赤いのはお湯のせいばかりでは無い。

「…どうしたらそんなに胸が大きく出来るんですか」とうとう紅が弥桜に質問してしまう。瑠璃と翡翠もうなずいている。…夕姫も教えて欲しい。

「…エェッ、どうしてだろう?ウチは母さんも大きいしなぁ」突然の無遠慮な質問に戸惑う弥桜だった。

「弥桜お姉ちゃんのパパは鷹崎さんですよね。里の血が半分入っているのにそんなに大きいなんて…教えて下さい!私、ママや夕姫お姉ちゃんのようになりたくないんですッ!」そんなに悲壮感を込めて言うなよ、紅…。瑠璃と翡翠も拳を握って頷くな。自分たちのようになりたくないと言われた夕姫は心のなかで号泣した。ああ、下向くと涙がこぼれそうだ。

「触っていい?」触ってから言う瑠璃だった。

「スゴイ!フニフニ!イイなぁ」遠慮なく揉む翡翠だった。紅も遠慮がちに触っている。

「ちょ、ちょっとヤッ、夕姫さんもヤメて」弥桜が悲鳴を上げる。気が付くと夕姫の手も弥桜の胸に吸い付けられていた。恐るべし、魔性の胸!あんなに良いモノが付いてたら男がほっとかないだろう。…輝虎もああいうの好きなんだろうか?


 明日の朝、弥桜の下着を買いに行く事を約束して部屋に戻った。弥桜の胸に気を取られていたがいい湯であった。こころなしか岩手の湯と似ていたような気がする。絶対気の所為のハズだ。

 こうしてトラブル続きの一日が終わった。夕姫はその晩自分の胸が大きくなった夢を見た。


 里の某所、林の奥に自然に出来たものか、人が掘ったものか洞窟が口を開けている。その奥で老婆と師条光明が向かい合っていた。

「…笹伏のせがれには伝えたのかい?」老婆が口を開く。蝋燭ろうそくの灯りに照らされた深いシワでかなりの高齢に見える。目をハチマキのようなもので塞ぎ、身体中に数珠なのか護符なのか、様々な形や色の石の鎖が巻かれている。呪術者そのものに見える。

「ええ、伝えましたがあれで良かったのですか?輝クン悩みますよ」光明は輝虎を気づかう。

「それで良い。全ては我らの悲願、王の顕現けんげんの為の布石ふせき。彼の者も里の一員なら大いに悩んで結構」老婆、葛城魚月かつらぎうおつきは里の者なら犠牲になって当然と言う。

「それにあヤツは過ぎた宝を得るのじゃ。この位の苦難、足りぬくらいじゃ」魚月はわらう。

「…そうですか。自分は一族の者以外が犠牲になるのを望みませんが」光明が真顔で言う。いつも笑みを浮かべている彼には珍しい。これから起きる事に気付いているのかもしれない。

「…そなたはその身、総てを捧げるのじゃからな。ワシは当然として、そなたも王の現出には立ち会えぬのじゃぞ?覚悟は有るのじゃな」

「それが我が一族の宿願、自分はそのさだめに従い来たるべき王の進む道の露払いとなるのみ」光明が決意を伝える。それを聞いた魚月が険しい顔を緩め

「それだけ聞ければ良い。やっと安心していける」魚月はかすれた声で話す。

「今、この里には王が顕現する為に必要な者たちすべてが集まっている。ここまでは予見通りじゃ。しかしワシはここまでじゃ」自分の最後がわかっているはずなのに満ち足りた声で話す。

「…後は孫の白月しろつきに任せる。…娘はだめじゃった。…我が一党も里のお役に立てるのも、永くはないのかもしれん」葛城の一族は里の為に未来を予知し、バロン達のようにお務めに関わる派遣等の選択にも助言を行ってきたが、己に関わる事は予見出来ない。

「…それではのぅ。……おお、王の御貌おかおが視える。…若君、もうすぐですぞ!王はすぐそこまでいらっしゃている…」最後に大きな声を上げたが魚月は事切れた。目を隠している為ハッキリはわからないが満足そうな顔に見える。光明は魚月の躰を横たえ洞窟を後にする。

「もうすぐ僕もそっちにいくさ。せめて王の元へ行けるように願ってる」


 9


 輝虎は自前の得物を担いで道を駆けていた。三叉戟の師、鰐渕の元へ挨拶に行く為だ。その為に腹が減っても手土産には手を付けなかった。今日は黒い道着を着て向かっている。

「師匠、元気かなぁ。また飲んだくれていないだろうな」一抹の不安を抱えて山を登る。師のあばら家は相変わらずだった。

「師匠!ただいま戻りました!」寝ているかもしれないので少し大きな声で呼び掛ける。呼び鈴なんて無い。

「おお、帰ってきたか」相変わらず気だるそうに鰐渕が顔を出す。

「ご無沙汰してます。これつまらないものですが」輝虎が手土産を手渡す。

「済まねえな。…活躍はこの辺鄙へんぴな山にも届いているぞ。おかげで俺の手当も増えた」鰐渕は少し嬉しそうに言う。里に認められた範士はんしには手当が出る。弟子の数とデキによって増減するが、鰐渕の弟子は輝虎だけなので彼の評価次第で手当が変動する。

「この間は大業物おおわざものを頂きありがとうございました。おかげで大捕物が達成出来ました。お礼が遅れて申し訳ありませんでした」輝虎が師匠に頭を下げる。

「…オマエもまともな挨拶ができるようになったじゃねえか。オンナのおかげか?聞いたぞ、オンナの為に俺の送った鬼鯱おにしゃち、ブン回しまくったと」鰐渕が冷やかすと輝虎は赤くなる。こんなところにもウワサが伝わっているとは。

「まあいい、俺の竜宮流戟術りゅうぐうりゅうげきじゅつが里に認められたってことは変わらねぇ」鰐渕がそう言うと輝虎が驚いた。

「師匠の戟術、竜宮流って言うんですか?」今更ながら驚く。輝虎はこの三叉戟の術に流派名がある事を初めて知った。

「なんだ?オマエ、知らねえでやってたのか?まあ、オレも名乗ったわけじゃねえが。兄貴とかオヤジに聴いてなかったのか?」鰐渕が頭をきながら言った。輝虎はブンブンと首を振る。

「まあいい、そのカッコで来たということはやる気で来たんだろ。どのくらい上達したか、それともナマッたか見てやる」面倒臭そうにしながらも自分の戟を持ち出す。輝虎もケースから自前の三叉戟を取り出す。師弟は稽古の為に対峙するが互いに本身だ。まさに真剣勝負であった。

 山中に剣戟けんげきの音が響きふもとの住民は里のものではあったが驚かされた。


 名勝負であった。互いに技と力を出し尽くし肩で息をしていた。鰐渕は脚を投げ出して座り込み

「なかなか、やるように、なったじゃねえか。さすが、猛牛殺し。年寄りには、キツイぜ」息を切らしながらそう言う鰐渕だったが、聞くところによると輝虎の父親と同年代の筈だ。

「ありがとう、ございました」輝虎も息を切らしながら礼を言い、そのまま座り込む。

「…ヨシ、決めた。やはりオマエを範士にするぜ。輝虎。今日、今から竜宮流の範士を名乗って良い。なんなら弟子も取って良いぞ」突然というか必然というか鰐渕は輝虎を範士に認めると言う。

「…ありがとうございます。でも本当に良いんですか?」輝虎は信じられないと言わんばかりに聞きただす。

「バカ、こんな事を冗談で言うか。心配するな、オレの手当は減らねえから」輝虎はそんなことは心配していなかった。若輩者の自分で良いのか聞きたかっただけだった。

「では師匠、里の外で流派の演武を行なってもよろしいですか?」輝虎は懸案事項けんあんじこうを解消しようと師に尋ねる。なんのことは無い、槍でなければ実家の父親や兄に許可を取る必要は無い。自分の師は鰐渕道勘わにぶちどうかんなのだ。

「なんだ、そんな事か。構わんぞ。しかしオレが教えたのは実戦だけで演武の型は教えておらんぞ」範士にすると言うのに随分ずいぶん片手落ちではないか。

「わかった。里にいつまで居るか知らんがそれまでここへ通うが良い。教授してやる」鰐渕は頭をひねってそんな答えを出す。

「よろしくおねがいします。早速今からお願いします」輝虎は善は急げとばかりに今日からやれと師匠に催促する。

「…わかった。一回で覚えろよ」鰐渕はヤレヤレと立ち上がって構える。

「オレもうろ覚えだからな。なんせここ数十年やってないからな。まったく必要無かったからな」そう言ってニヤッと笑って三叉戟を振り始める。


 里の中心部に商店が何軒か連なる場所がある。凰の家から2キロメートルと言ったところか、そこに食品から雑貨まで里の生活を支える萬屋よろずやという店が有った。

 萬屋は里で商いをするかたわら、里内外の情報の取り扱いもしている。里の事で萬屋が知らない事は無いともっぱらな噂だ。

 夕姫と弥桜は下着を求め、朝早くから萬屋に向かった。

「ごめんね、夕姫さん。こんな事に付き合わせて」

「こっちこそペンタの監督不行き届きでこんな事になってしまって。謝るのはこっちだわ」さすがに今どきの若い娘にサラシを巻かせるわけにもいかず、ブラを求め、朝っぱらから歩いているのだ。

「見えてきた。あそこよ」夕姫が指さす。もう普通の人でも見えるハズだ。


「いらっしゃい。アラ、夕姫さま?お久しぶり。お綺麗になられたこと」雑貨を扱う萬屋洋品店に入ると年配の女主人が出迎える。夕姫が物心ついた頃からの知り合いだ。夕姫も洋服等は大体ここで揃えるか取り寄せてもらっていた。

 里の住人は確か4店舗有る萬屋のどれかにお世話になっている筈だ。混雑する事も有るが開店と同時位に入店したので他の客はいない。

「今日はどういった御用向きです?」

「この子の下着が欲しいの。この子に合うブラって有る?」探すより聞いたほうが早いと単刀直入に用向きを伝える。女主人は弥桜を一目見て苦笑し、

「普通のは御座いませんね。里では必要の無いサイズみたいですし。そうですねスポーツブラの一番大きなサイズなら何とかなりそうですが、在庫が有ったかしら?」数万点と言われる萬屋全店の商品を把握していると噂される女主人でも覚えていない程、珍しい商品なんだろうか?

「一点だけ御座いましたわ。御試着なさいます?」女主人は夕姫には縁の無さそうなサイズのスポーツブラを持ってきた。弥桜が受け取り

「試させてください」試着室に入って行く。

「時々妊婦さんが必要になるんで置いてあるんですよ。ここのところ出なかったので仕入れて無かったのですが」女主人がこの商品の在庫理由を話す。

 しばらくして弥桜が顔だけ試着室のカーテンから出し

「コレにします」申し訳無さそうに言う。

「着たまま頂いても良いですか?」恥ずかしそうに申し出る。

「ええ、どうぞそうして下さい。ではお着替えをこちらに」女主人は紙袋を差し出す。


 結局何とかなりそうなブラは一点のみだった。念の為、他の支店にも問い合わせてくれたが在庫は無かった。夕姫と弥桜は下着等数点を買い足し店を後にした。とりあえず脱いだ方を洗濯するとして、それでも二点では厳しい。非常事態だ、茜に相談しようと夕姫は思った。


 鰐渕の型の演武は圧巻としか言いようが無かった。笹伏の演武の型はこれに比べれば一本調子だ。確かに竜宮流を極めれば笹伏の槍は怖くないかもしれない。笹伏の型が力の演武だとすれば竜宮流は技の演武だ。輝虎は牛頭戦の時に力任せに戟を振るった事を後悔した。アレは師匠に対する冒涜ぼうとくだ。

 その後、輝虎も見たばかりの型を舞ってみたが鰐渕にこっぴどくダメ出しされた。修得にはしばらく掛かりそうだ。


 10


 バロンとペンタは朝食後出掛けた夕姫と弥桜においていかれ、凰家の居間で留守番していたがあっという間に夕姫の妹達にオモチャにされてしまった。

「バロンお兄ちゃん本当にカッコイイですね。カノジョいます?」紅にすり寄られる。

「ニャハハ、このネコおもしろーい」瑠璃が黒猫のほっぺたを引っ張る。ペンタは嫌がるが瑠璃の方が巧みに動き、逃げられない。

「ワタシまだピチピチの小学生ですよ。この歳でこの美貌、将来有望ですよ。結婚しません?」翡翠が冗談か本気かわからない事を言いながら詰め寄ってくる。バロンはタジタジになっていてペンタの救出も出来ない。

「翡翠、結婚するなら姉である私が先です。バロンお兄ちゃん、結婚するなら私ですよね?」紅がバロンの腕に抱きつく。

「キャハハハ、すごく伸びるー」瑠璃がペンタをこれでもかと引き伸ばす。ペンタはバロンに救いを求める目を向けるがバロンもそれどころではない。

「紅姉とおんなじ歳でしょう。バロンお兄ちゃん、私と結婚しよ」翡翠がバロンの膝に乗り、詰め寄る。そこへ救い主が戻ってきた。

「あんた達、お客様に失礼でしょ!遊ぶならあっちに行ってなさい!」帰って来た夕姫が腰に手を当て妹達を怒鳴る。

「「「ハーイ」」」返事だけは良く、退散していく。あとに残されたバロンとペンタはヤレヤレといった体でため息をつく。

「バロンごめんね、しつけのなっていない妹達で」夕姫が申し訳無さそうに謝る。あの三姉妹は凰の三雀さんすずめとして里でも有名な迷惑児だ(さすがヒクイドリの妹というのは聞かなかったことにしている)。父親と母親が溺愛の余り、甘やかし過ぎた結果がこれだ。夕姫は跡取り娘として厳しく育てられたが、彼女に万が一の事が有れば三姉妹の誰かが凰家を継ぐことになるだろうに。夕姫はそう考えるだけでも頭が痛くなりそうだった。両親には事ある毎に言っているが聞く耳を持ってくれない。

「…バロン君、若い子からずいぶん人気あるのね」少し怒ったように弥桜が言う。やきもちをやいているんだろうか、もし輝虎が妹達に誘惑されていたらどうするだろうと夕姫は思った。やっぱり怒るんだろうか?そうだ。こうしてはいられない。

「バロン、弥桜さん、ここで待ってて」夕姫はそう言って奥へ消えた。ペンタはバロンが役に立たないとわかってバロンの隣に座った弥桜の膝に飛び乗る。夕姫が消えるとすぐ三雀がまい戻ってきた。

「バロンさん、弥桜お姉ちゃんとどういう関係ですか?やっぱりオッパイ大きくないとダメなんですか?」紅がハンカチ噛んで悔しがる。

「そーだよねー、オッパイ無いとダメだよねー」瑠璃がはやし立てる。

「き、きっとオッパイ大きくするからそんなオンナと別れてください。若さではワタシ、負けてません」無謀な負けん気を発する翡翠だった。不意を突かれ、一瞬キョトンとする弥桜であったがバロンの腕に抱きつき

「バロン君とはあんな姿も見られた仲です。それにスゴイもの貰っちゃってるし」鉄鼠の暗渠の件と忍者クマのぬいぐるみの事らしい。バロンは突然そんな事を言われ、弥桜に密着されたのでドギマギして真っ赤になる。弥桜は三姉妹に見せつける様にバロンに胸を押し付ける。

「そんなぁ、こんないいオトコでもあのオッパイの誘惑には勝てないの」キーッとハンカチを噛む紅。

「紅姉撃沈!」キャハハと瑠璃。

「そんなオッパイよりワタシのルックスの方が…ルックスでも勝てそうに無い…」翡翠はポーズを決めるが彼我戦力に気付くと戦意を喪失する。

「翡翠撃沈!」キャハハと瑠璃。


 夕姫が母、茜に弥桜の下着の件を相談する為に道場に行く。そこでは朝から門下生達が様々な弓術の稽古を行っていた。茜は姉弟子に指導を行っており、夕姫は終わるまで待った。

「母さん、客人の件で少しご相談が」稽古の時は師匠と呼ぶが、今は私事なので母と呼ぶ。

「…何でしょう?…少し外します」茜は年長の弟子に声を掛け夕姫と道場から出る。夕姫は自宅へ繋がる渡り廊下でペンタの件を省いて弥桜の下着問題を話す。

「ああ、あのお嬢さんね。確かに萬屋さんでは用がたりなさそうね。下まで行かないと無理ね。そうね龍光さんにお願いして、下に出来たショッピングセンターにでも行ってらっしゃいな」茜は従兄弟を頼れと言う。嫌なのが顔に出たのか

「貴方は嫌ってるかもしれないけど龍光さんは良い子よ。こんな事頼んでも必ず聞いてくれるわよ。良いわ、ママから頼んであげる。確か弥桜さん、これから鷹崎さんに行かれるのよね。明日でいいかしら?」茜は強引に話を進める。これでは断れない。しかし明日は弥桜にあわせたい術士に引き合わせるとの事だったが。


 夕姫が戻るとバロンと弥桜が妹達と修羅場を演じていた。…弥桜、小学生相手に何やってるんだろう。

「バロン君は小学生とは付き合いません!」バロンと壁際まで追い詰められた弥桜が叫ぶ。弥桜はバロンにヒッシとしがみついている。

「フニャー!」ペンタは二人を守るように前に立ち威嚇している。

「バロンお兄ちゃん、五年後を考えて!五年後はまだ私女子高生ですよ。こちらの方がお得ですよね」紅がバロンに訴えかける。

「ペンタちゃん、ホラ、煮干し」瑠璃がペンタをエサで釣ろうとする。

「可能性に掛けてみて!ワタシどんどん綺麗になっていくわ。今のうちから付き合っておいて損は無いと思うの」翡翠がバロンに必死に食い下がる。夕姫は本当に頭が痛くなってきた。

「解散!こんなバカバカしいの解散!あんた達、母さんに言って食事抜きにしてもらうからね」夕姫が怒りを抑えて妹達を叱り付ける。

「ごめんなさい。ごはん抜きは勘弁して」しおらしく見せる紅。

「瑠璃悪くないよ、ペンタちゃんに煮干しあげようとしただけだもん」悪びれない瑠璃。

「翡翠の美しさを世に知らしめようとしただけなの。バロンお兄ちゃんと歩けば、みんなが見てくれるハズだから」独自の世界に入っている翡翠。

「いいからあっちに行ってなさい!そうじゃないと春休み中、ずうっと弓の特訓よ!」いい加減に切れそうになった夕姫が肩で息をする。三雀は、あっという間に立ち去った。

「例の件は後で話すわ。これから鷹崎さんに行きましょう。バロン君はどうする?」夕姫がペンタを抱いたバロンに尋ねる。バロン一人をこの家に置いていくと、また妹達のオモチャにされかねない。バロンもその事を想像して苦笑いを浮かべ困惑している。

「どうしよう。僕はどこか行くあては無いし」女だらけの家がこんなに危険だと思わなかったバロンが往生している。そこへ救いの手が差し伸ばされた。

 夕姫の耳に真田家の四駆の音が聴こえてきた。龍光だろうか。呼び鈴を鳴らす前に玄関に行ってみる。確か茜は明日で依頼すると言ってたはずだ。


 11


「おはよう。光明さんから手助けするよう言いつかった。里での移動は僕が面倒をみる。それからこれを」車から降りた龍光は紙の手提げ袋を差し出す。夕姫が中身を見ると大きめのスポーツブラの新品が二着入っていた。

「どうしたの、コレ」夕姫が怪訝な顔で尋ねると

「客人の窮地をどこかで聞きつけた三春さんが自分のを渡してくれた」三春は師条家の長女で跡取り娘だ。光明の溺愛する妹で、確か里の外の高校で寮生活を送っていたはずだ。やはり春休みで帰ってきていたのだろう。夕姫達とは一学年上で、小中学校で見て顔は知っているが話した事は無い。物静かな文学少女の印象がある(良く夕姫と比較され美女と野獣とか言われた気がする)。ウワサでは龍光が片想いしているらしい。確かに彼女は里一番の火力だ。まあ他に横幅だけ広いのもいるが。手提げ袋を弥桜に見せると

「うん、大丈夫。真田さん、ありがとうございます」サイズを確認した弥桜が龍光に礼を言う。

「礼なら三春さんに…わかった三春さんに伝えておく」龍光は言い直した。おそらく三春は誰とも会わないのだろう。昔から光明の影に隠れ目立たない女性だった。

「それから富士林君、それともバロン君と呼んだほうが良いかな?里にいる間はウチに来るかい?叔父貴に聞いているが、女ばかりの所帯しょたいでは肩身が狭かろう?」その時の龍光は天使に見えたと後にバロンは語ったが後で間違いだと気付くことになる。


 弥桜と付き添いの夕姫、荷物をまとめ挨拶を済ませたバロンを乗せ、龍光は鷹崎家へ四駆を走らせる。3キロメートルぐらいなので、すぐに着いた。

「帰りは車が必要なら僕の携帯に電話するんだ。番号はこのメモだ」弥桜と夕姫を降ろした龍光が夕姫にメモを渡す。夕姫はこの従兄弟を少し見直した。茜の言う通りかもしれない。

「歩いた方が運動になるけどな」前言撤回やっぱり一言多い。


 鷹崎家も道場が有り、広さはあったが母屋は普通の日本家屋だった。凰家がやりすぎなだけだ。呼び鈴を押すと引き戸が勢い良く開き

「「「ヤア、いらっしゃい」」」どこかで見たようなシチュエーションが待っていた。


 大きいが普通の和室の応接室に通され、祖父、祖母、伯父らしき人に囲まれる。あまりの勢いに夕姫がいなかったら回れ右をして帰ってしまったかもしれない。

「はじめまして、大三の娘、弥桜と申します。事情が有るとは言え、こんなにご挨拶が遅れた事、申し訳無く思っております。両親に代わってお詫び申し上げます」手を着いて弥桜が祖父達に挨拶をする。

「良いんじゃ、良いんじゃ。全ては大三が悪い。こんな美人の孫を隠しておったとは。今度あったらただじゃおかん!」弥桜の祖父が父親を責める。

「いえね、里で見たことがないほどのキレイな女の子が夕姫さまと歩いてたとウワサで聴きましてね、まさかウチの孫じゃ無いかと話してたところなんですよ」弥桜の祖母が彼女の容姿がすでに里で噂になっている事を話す。

「大三の野郎、お役目だとか言って神社付きのべっぴんさん貰ったと思ったら、こんなカワイイ娘作ってたなんて!許さん。帰ってきたらブッ飛ばす!」物騒な事を言う伯父だった。弥桜は愛想笑いしかできなかった。

「そうじゃな。弥桜ちゃん、里に来んか?最高のムコを見つけて来るぞ。そうだ雅一、尾鷲さんのとこの倅どうした?」祖父がグイグイ来る。弥桜を手元に置きたいらしい。

「オヤジ、アレはダメだ。出来が悪い」叔父の雅一が真剣に弥桜の相手を検討している。弥桜の意志を確認もせず、どんどん話を進める。ようやく弥桜にも父の懸念けねんが理解出来た。こうなるのがわかっていたので弥桜を実家に行かせたがらなかったのだ。

 ダンッ!いきなり夕姫が座卓を叩いた。

「…弥桜さんは現在、真田の招聘に応じ、凰の預かりとなっております。そのような話でしたら、真田を通してお話ください」夕姫が我慢しきれず、ついに口を出す。鷹崎家の三人がひるむ。

 鷹崎家の中の問題では有るが、弥桜は里の外の人間ではあるし、友人がこんな政略結婚の道具にされてたまるものか。卑怯ひきょうな手だと思うが、真田と凰の名を出せば里の人間なら黙らざるをおえない。

「夕姫さま、そんなつもりでは…」

「そうそう、孫がこんなに立派になってたのでびっくりしちゃって…」

「夕姫さま、どうかご容赦を…。真田さまや凰さまのご意向に逆らうつもりは毛頭ございません…」三人はタジタジになる。家の威を借りたくはなかったが、これ以上弥桜が困っているのを見過ごせない。夕姫のような小娘の言う事を真に受けるのは、凰のヒクイドリの悪名がとどろいているからだろう。夕姫は気に入らなかったが少しは役に立ったかもしれない。


 鷹崎家をそうそうに辞去し、歩いて凰の家まで帰ることにした。必要以上に龍光に頼りたくないし、弥桜に里を見せたかったというのもあった。ちなみに里にタクシーは走って無い。

「ありがとう、夕姫さん。突然、あんな話になっちゃって、ちょっとびっくりしてたの。大丈夫、おじいちゃん達とても良い人だと思うし、嫌いになんかなって無いよ。お父さんの実家に行って良かったと思ってる。私この里が好きよ」弥桜が助けてもらった礼と祖父母達を擁護ようごの言葉を述べる。

「ごめんね。この里はホント田舎だから、すぐに誰と彼をくっつけるとか、もらうとか言う話になるの。ウンザリよね」夕姫はもう辟易といった顔で弥桜に謝罪し、里の悪習を話す。

「夕姫さんも?」

「…私も一応、あの家の跡取りだからムコを取るって言われたの」

「それで輝虎さん?」弥桜が夕姫の顔を覗き込む。

「…テルは候補の一人。笹伏の家からもらう事になってるけど、テルは、末っ子だから…」ちょっと赤くなったが、少し寂しそうに続ける。

「ところでそろそろ、お互いにさん付けはやめようか。言いにくいし、他人行儀だし。弥桜ちゃんで良い?」夕姫は里有数の家の跡取り娘なので、外に出れば先程のように大人にまで夕姫さまで呼ばれる。さすがに同級生や教師からはそのような事はなかったが、さん付けは最低線だ。夕姫をちゃん付けで呼ぶのは両親位なので友達にそう呼ばれるのに少し憧れがあった。…輝虎の『ユーキ』は問題外だが。

「ウン、じゃあ夕姫ちゃんって呼ぶね。大丈夫よ、夕姫ちゃん、母さんの遠見では輝虎さんとウチの神社で結婚式挙げるって言ってたじゃない。夕姫ちゃんから輝虎さんを貰うって言えば良いのよ。もし駆け落ちするならウチでかくまってあげる」弥桜がはげます為か、面白半分なのか無茶苦茶なことを言い出す。

「…テル、生活力無さそうだな。里を離れたら行き倒れないかな。…弥桜ちゃんも鷹崎さんの前で、もう心に決めた人が居ますって言っちゃえば良かったのよ」夕姫が逆襲する。

「ええっ?そ、そんな人、居たっけかなぁ」不意を突かれ、弥桜は動揺しつつもとぼける。

「そんな悠長ゆうちょうな事言ってると、妹達に本当に取られちゃうよ?」

「バロン君とは、まだそういう関係じゃ…」弥桜は真っ赤になって否定するが

「…私、バロンの事だとは一言も言ってないけど」夕姫は見事に引っかかった弥桜をニヤニヤと見る。

「もう!夕姫ちゃんのバカ!」弥桜が夕姫をポコポコ叩く。

「そう言えばアイツどうしたんだろう」夕姫はペンタのことを思い出した。ペンタはあの修羅場ゴッコの現場に居たはずだったがその後は忘れられていた。


 12

  

 凰家を抜け出たペンタは人身に化け、里を気ままに歩いていた。

 あの三姉妹のオモチャにされて鬱憤うっぷんが溜まっていたので外で羽根を伸ばしたくなったのだ。

 一応、人に見つからないよう、辺りの気配に気を配っていると、同属の気配を感じた。鉄鼠や牛頭の時と同じだ。しかし凶悪さや血の匂いはしていないようだ。慎重に探りながら気配を追っていく。すると目の前に突然少年が現れる。

「オマエ見ない顔だな。外から来たのか?」少年が尋ねる。ペンタはコイツも变化だなと気付く。

「そうだ。ココは妖怪狩りの総本山と聞いたがオマエみたいのがたくさんいるのか?」

「そうさ。みんな主付きだがな。オマエはハグレか?」少年は怪訝けげんそうにペンタを見る。

「ハグレ?何だソレ?」

「主のいない怪の事だ。もしハグレなら容赦しない」少年は身構える。ペンタにはこの少年姿の怪の正体が化けイヌだとわかった。

「主とやらはいるぞ。別に忠誠は誓ってないが。今は凰の家にいる」ペンタは凰の名が里では利用出来る事を知っている。

「オオトリ?名門じゃないか。そうかオレ、ハヤテ。お前は?」凰の名を聞いたハヤテは警戒を解く。

「ワシはマ…ペンタだ」

「そうか。ペンタ、オレたちのところへ遊びに来るか?オレの主に会わせたい」ハヤテが本拠に招待する。

「…遠いのか?」

「すぐそこさ。イヤだったらすぐ帰れば良い」

「…わかった。案内しろ」偉そうなペンタであった。


 ハヤテに案内されたのは手入れをされた里では珍しい洋風の庭を持つ、絵本に出てくるような可愛らしいカラフルな家屋だった。魔女か白雪姫が今にも顔を出しそうな雰囲気を持った家だ。ハヤテとペンタが近づく前にオレンジ色の扉が開く。

「ハヤテちゃん、お客様?ずいぶん可愛らしい黒猫ちゃんね」中から出てきた女性は人間の年令なら三十前後か。ペンタが少女姿のままであるのに黒猫と見抜いた。

「主、コイツはペンタ、その辺をうろついていたので連れてきてみた」ハヤテが悪気なく女性に報告する。レディをつかまえて、うろついてとはどういうつもりだとペンタは腹が立った。

「ごめんね。ハヤテは口が悪くて。私は里弧りこ猫飼里弧ねこかいりこ。今はネコは飼ってないけどね。私の一族は動物を使う事を生業なりわいとしてるんだけど、私は普通の動物はてんでダメで怪や变化ばかり遣っているの」里弧はおっとりと自己紹介をする。とても妖怪变化を使役出来るとは思えない。

「ワシはペンタじゃ。里の变化に興味が有ってここに来た。今は凰の家に邪魔している」

「凰さん?ずいぶん怖いところに居るのね」里弧は驚く。里の人間の普通の反応だ。

「ココには变化がたくさん居るらしいが、どこにいるのだ」

「人に变化出来るのはほんの一握りだけよ。長い年月生きた怪だけが人の姿になれるの。貴方もそうでしょ?」

「…じゃあアソコにとまってるカラスや、ソノ藪の中にいる白蛇なんかもそうか?」

「シデンとレイね。そう、あの子達もウチの子よ。…貴方のご主人はどういう方なの?貴方ほどの怪は普通の餌だけではいられないでしょう?どうしているの?」里弧はペンタの食事を気にして冷たい声音になる。

「…言う必要があるのか?」

「もし、貴方が人間に迷惑をかけているなら処理しなければならないの」里弧の言葉に有無を言わさない冷徹さが感じられる。後ろでハヤテが躰をこわばらせているのが気配でわかる。

「ワシの現在の保護者はバロンと言うが、アイツからは吸わずとも陽の氣が溢れている。それを舐めているのだ」ペンタは争いを避けるため、本当の事をやむを得ず話した。バロンに依存している事は話したくなかった秘密だった。

「そう、取り憑いている訳では無いのね」ペンタの周囲からの重圧感が解けた。

「どう、貴方、ウチの子にならない?」里弧はペンタを勧誘する。

「ウチならご飯を工夫して人の精気をほとんど吸わなくて良いように生活出来るし、吸うなら宛もあるわ。名前がこんなだけどウチにはネコの子がいないし、貴方の様な強力な变化は喉から手が出るほど欲しいわ」里弧が条件を提示し、熱心に勧誘するが

「ダメだな。バロンの氣は美味しいし、なんと言ってもアイツ達に救われた恩も有る。いくら元猫と言っても受けた恩は返したい」ペンタは意外に義理堅ぎりがたいことを言う。

「そう、残念ね。でも気が変わったり、状況が変わったらいつ来ても良いのよ。歓迎するわ。ココは行き場を無くした怪や变化の聖域せいいきとしたいの。ここにいる子は私が見つけたか、たどり着いた子ばかり。里でもココだけは貴方も安心して出入りして良いのよ」里孤は木漏れ日のように微笑む。

「…そうか、わかった。気が向いたら遊びに来る」

「そう、良かった。ねえ、せっかく来たんだからお茶でも飲んで行かない?特製のハーブティーを淹れてあげるから」

「…お菓子も有るか?」初対面で飲食物をくれると言う事に警戒をするペンタだったが

「クッキーが良い?それともおせんべいが良いかしら?」

「せんべいが良い。しょう油の匂いが好きだ」そう言って里弧に続いてホイホイとオレンジ色のドアに入って行く。


 13


「師匠、これでどうだ?」見よう見まねで始め、朝からもう何度舞ったか数えるのも止めた竜宮流の型だが、なかなか鰐渕は良い顔をしない。最初はともかく今のはかなり再現度が高いハズだ。

「大分良くなったが、時々切っ先に迷いが出る。次の動作に自信がねえんだろ。良いか、流れを掴め。多少細部が異なっても構わねえ。オマエの流れを掴め。そうしたら続きを教えてやる」輝虎がお土産に持ってきた日本酒をちびちびやりながら監督する。

「ウソだろ?続きが有るんですか?」輝虎が思わず戟を取り落としそうになる。

「…言いたかないが、確かにオマエは才能が有る。竜宮流を引き継がせたいと思うくらいにはな。だがオレが数年掛かった型の修得、一日で出来る訳ねえだろ。…ここ数日で覚えられるのは通り一遍だ。後は自分でも研鑽けんさんしろ」鰐渕は飲んでるせいか機嫌が良さそうだ。

「…代わりにいい事を教えてやる。虎実とヤッてみろ」

「オヤジと?」突然の師匠の言葉に驚く輝虎。

「おそらく虎光には勝てんだろうが、今のオマエなら虎実になら勝てる」鰐渕はニカッと笑う。


 輝虎は暗くなる前に山を降り、自宅に戻る。道場から戻っていた父親に竜宮流の範士を受領した事を伝える。

「…そうか。良く努力したな。道勘のヤツ、思ったより早く決めたな。しかし、これでお前も一人前だ。道場も持てるぞ」虎実は内心複雑なようだが輝虎の範士授与を喜んだ。小さな流派とはいえ、武術に傾倒けいとうする里でも最年少の範士誕生だ。父親に認められた事で輝虎も実感をし始め、早く夕姫に伝えたいと思ったが、またからかわれるだけかもしれない。

「…オヤジ、この機会に他流試合になっちまうが一手、手合わせを願いたい」輝虎は本題を切り出す。


 二人は道場で向かい合う。輝虎が父親とこうして相対するのは本当に久しぶりだ。ここ数年は道場にすら上がれていなかった。笹伏流を破門されていたからだ。

 輝虎と虎実はそれぞれ練習用の得物えものを持ち、礼を交わす。父親は輝虎に何の詮索せんさくもしなかった。虎光だけが二人のただならぬ雰囲気を感じ道場の外から覗いていた。虎実はそれをとがめなかった。

 一旦、互いに下がると合図も無しに構える。輝虎から様子見の一撃を繰り出す。虎実は後ろに引きながら、いなし、そのまま鋭い突きを返してきた。しかし今の輝虎には通用しなかった。昔、あんなに強大と感じていた父の突が今は容易に見切れた。その上カウンターまで繰り出せた。一連の動作は山で散々練習した型にあったものに近かった為、輝虎自身も驚くほど素早く動けた。その石突いしづきでの反撃を交わしきれなかった虎実は腹で受けてしまい、後ろに飛び退く。

 挑戦者である輝虎はすかさず横薙よこなぎで追撃する。虎実はそれを下から振り上げた槍でかち上げ、輝虎の胴を狙う。輝虎は危ういところで戟の柄で受け、追撃を受けないよう、距離をとる。父の剛槍は輝虎の手をしびれさせる。虎実の槍に追い付けるようになったとは言え、決して油断できるものでは無い。

 双方一旦、構え直し様子をうかがう。輝虎は朝からの稽古でそろそろ体力も気力も危ういと感じ、今日は早まったかと後悔し始めたが、父とこんなふうに力比べが出来るのが本当に嬉しかった。破門以降、まったく機会が得られず内心寂しかったのかも知れない。今日は全力で父の胸を借りよう。太刀守の里の剣士の家ではキャッチボールの代わりなのかもしれない。

 輝虎は構え直し、アレを繰り出そうと思った。牛頭戦で振るった連続攻撃だ。もちろん戟の長さは違うが、その分速度や転回が速く繰り出せる。先程まで山で舞っていた型は無駄な力や、動作を気付かせる最良な方法であった。

 輝虎は子供頃からしつこい位に叩き込まれた呼吸法で息を整え、虎実へ向かって踏み込む。

 虎実も久方ぶりの息子との試合に胸が踊った。虎光の話や、牛鬼戦のビデオを見て成長ぶりは知っていたが、実際刃を交えなければ分からなかった事も多かった。確かにまだ荒削りだが、若さが十分に埋め合わせている。その反面、自分の衰えに気付かさられる。最近は虎光や昌虎に指導を任せ、真剣に取り組みを行った記憶が無かった。もう虎光には追い抜かれた事は知っていたが、別門に属した末息子にまで追付かれたとは思っていなかった。

 輝虎が構えを変えた。さあ、何か仕掛けてくるぞ。受け止めきれるか。

 輝虎は得意な右斬り上げを起点として、連撃を繰り出す。牛頭のときに比べ、速度も手数も格段に上がり、まったく別の技となっていた。虎実は防戦一方になっていたが、何とかさばききる。輝虎がその疲労から連撃にほころびが出る瞬間をとらえ、会心の逆撃を放つ。輝虎は間一髪それに反応し身を交わすとともに、父の槍の柄に渾身の力を込めて己の戟を振り下ろす。メキッ、とイヤな音とともに虎実が持つ槍の柄がへし折れる。数年愛用していた練習用の槍だが傷や曲がり等も無かった。それがたった一試合で木の枝のように折れてしまった。

 父親と末弟の試合を外から見ていた虎光が道場に上がってきた。

「輝、気が済んだか?今日の事は他言無用だ。…まあ鰐渕師には隠せないだろうから黙認する。他には黙ってろ。オヤジ、どうだった、久しぶりの輝の感触は?」虎光は次期当主としてテキパキと事後処理に当たる。

「…ここまで上達するとは…道勘にも感謝せんとな。結局、輝は道勘に取られてしまったな。…ここまでの腕前になるのなら光の口車に乗らず、道場を継がせても良かった」父の告白に輝虎は驚く。

「俺もそう思う。早まったかも知れない」兄からも驚きの告白があった。

「…俺は兄貴が道場を継ぐものだと思っていた」

「俺は光明とやりたい事があるのでな。家は継ぐが、道場は昌にでも任せるつもりだ。オヤジにも了解を貰った」輝虎が考えていた笹伏の当主イコール道場の館長というのは違っていたようだ。

「そうだ。昭には補助を頼み昌に引き継ぐつもりだ。…本当にお前を鰐渕や鳳に取られるのは惜しい…しかしなんだな、息子に追い越されるのは親としては嬉しいが、男、武を修めるものとしては寂しいものだな…」しみじみと言う虎実の巨体はいつもより小さく見えた。


 14


 真田屋敷に向かったバロンは道場で龍光を相手に剣の稽古に汗を流していた。

「ほら、また切っ先が下がっているぞ。それにもっと周囲に気を配れ。…敵は分かりやすいところから撃っては来ないぞ」そう言いながら龍光はバロンの目が追いつけない速度で後ろに回り込み、肩を竹刀で打つ。

 龍光は普段の稽古では木刀を使うのでかなり手加減しているつもりだが、バロンはすでにアザだらけだ。お務め仕様の学生服を着ているが痛いものは痛い。

 輝虎との稽古では彼が寸止め、もしくは触れるくらいで木刀を止めてくれているので余り痛い思いをしていないが、龍光は竹刀とはいえ遠慮なく打ってくる。体で覚えろとの事だった。とはいえ教えをうているバロンは文句は言えない。むしろ好感が持てた。輝虎はバロンに遠慮と手加減をし過ぎるきらいがあり、上達しているのか実感出来無かった。また剣術に関しては龍光が数段上だ。聞けば20種類以上の武具が扱えるそうだ。

 バロンは真田の家が剣術の道場を持っている事を聞いており、来る途中龍光に剣術の稽古を里に滞在中だけでもさせて貰えないか聞いてみた。すると道場は里でも腕利きだけが推薦すいせんで通う事が出来、とてもじゃないが素人同然のバロンではついて行けないと言われた。しかし龍光自身が時間のある時なら指導しようと申し出てくれた為、一も二もなくお願いした結果がこれだ。

「輝虎が基本は教えたようだが、一対一の護りだけのようだな。良いか、敵は正面から来るとは限らんぞ。常に自分の死角を意識しろ。敵は死角を狙ってくるぞ」傍から見ると龍光がバロンの周りを回って小突き回しているように見える。

「ウッ、すみません!」

「余計な口をきくな。舌を噛むぞ」龍光がバロンをたしなめる。龍光はバロンに何の感情も持ち合わせて無いが、光明が目を掛けている外の人間と言う事で相手をしている。特にいじめようとも、手を抜こうとも思わない。やるのであれば限られた時間で見事仕上げて見よう。

 しかし、せっかく春休みで寮から戻っている三春に会える時間が少なくなる。まさかと思うが光明はそれを狙っているのではなかろうか?光明のシスコンぶりは度を超えているフシがある。それにブラコンの三春の方もおそらく光明に会うために戻ってきている。三春を思っている龍光としては悩ましいところだ。そこで恨みは無いが、ついバロンに当たってしまう。

「ほら、また切っ先が下がっているぞ。良いんだぞ、打ち込んで来て。打ち込めたらな」


「フウっ、本当に良いお湯」弥桜が凰家の温泉の湯船に浸かる。昨日も頂いているが、三雀が一緒だった為、ゆっくり堪能出来なかった。

「ハーっ、バロンに感謝しないとね」思わず声が出る夕姫が口を滑らせる。

「バロン君に?」どうしてという顔で夕姫に尋ねる。

「あーっと、特に意味はないのよ。バロンどうしているのかなぁと思って」従兄弟に小突き回されてるとも知らない夕姫はごまかす。

「ねえ、弥桜ちゃん、露天に行ってみようか」弥桜の巨砲騒ぎで昨日は露天風呂まで行かなかった。弥桜の胸も見慣れた今日は露天風呂に行ってみたい。

 曇り硝子のはまったサッシを開け露天風呂に向かう。まだ明るいので全体が見える。高い塀に囲まれた庭は完全に温泉宿仕様だ。家に出来た黒い塀はこれだったのだ。

「ウッワー、夕姫ちゃんスゴイ、スゴイこんなのテレビでしか見たことない!」石灯籠がある風流な露天風呂の様子に興奮する弥桜だった。しかしおかしいモノがある。お湯の出ている噴水口だ。ライオンでは無く虎だ。確かに日本庭園にライオンは似合わないかも知れないが、虎とは作為を感じる。茜か…夕姫は母親のセンスを疑う。まだビデオテープの件も問い詰めてない。一度ゆっくり話し合わなければ。しかし露天風呂に罪はない。弥桜と浸かるとお湯が溢れ出していく。

「「ハーー」」ついハモってしまう。

「肩こりが取れるわぁ」弥桜が年寄り臭い事を言うが、常時あんな装備をしていれば肩もころう。悔しいが夕姫は肩こりなんて滅多にしない。しかし温泉が良いのは否定出来ない。昨日入った後、肌がスベスベになったし、身体のポカポカが続いた。そう言えば母、茜の肌の色艶も良かった様な気がする。本当にバロンには感謝せねば。


 15


 龍光の稽古を終えたバロンは疲れた体を引きずって、自分に充てがわれた客間に行こうとして迷ってしまった。真田屋敷は弥桜が興味を示した古い日本建築に増築に増築を重ねて複雑な構造になっている。その秘密主義と相まって真田の迷宮と呼ばれる程だ。

 バロンは歩き回っていれば見知ったところか、誰かに出会うだろうと思っているうちに周りの造りが洋風になっていた。その先に人影を見て近づいて行く。

「突然すみません。迷ってしまって。客間ってどう行けば良いか教えて貰えませんか?」バロンが初対面の女性に申し訳無さそうに尋ねる。

「…貴方が富士林様ですね。竜秀さんや龍光さんにお話は伺ってますわ」和服を着た女性は落ち着いた小さな声でバロンに話しかける。バロンはそのはかなげな姿に目をこすった。弥桜が花の妖精だとすればこの女性は月光の妖精みたいだと思った。それほど薄暗い廊下にほのかに浮かび上がって見えた。

「…お疲れのところ申し訳ないのですが、少しお話しませんか?わたくし三春と申します。この離れに住んでおりますの」三春はついて来いとばかりにバロンに背を向け廊下の先を進む。


 三春に案内されたのは枯山水の庭園が見える重厚な洋室だった。ティールームだろうかとバロンは推察した。ずいぶん古い造りのようだ。柱や床が飴色を通り越して黒光りしている。

「…こちらへ」三春がバロンに椅子を勧める。

「ハイ、ありがとうございます」バロンは勧められるままに椅子にかける。そうして三春は流しに向い、速くはないが手慣れた手付きで紅茶の準備をしていく。三春はバロンも知っているイギリス製のティーセットに紅茶を注いでいく。

「…最近のわたくしの好みですの。お口に合うとよろしいのですが」三春は自分もテーブルにつく前に日本の老舗しにせのクッキーの入った菓子盆を持ってくる。バロンは大正時代にでもタイムスリップしたような気がしたが不思議と落ち着いた。

「…美味しいです」バロンはカップに口をつけてお点前てまえを褒める。

「…良かった。お兄様も気に入ってくださったのよ」三春が微笑む。バロンはお兄様の正体が気になったが、こちらから詮索せんさくするのは無粋ぶすいな気がして尋ねなかった。

「…貴方とはこれから長い間、えんが有るそうなの。だから一度お話をしてみたかったの」そう微笑む三春はよく見ると髪が緋色がかっており、目鼻立ちは日本人形のようだった。魅力的と言うより超然としている印象を受ける。最初に感じた月光の妖精のイメージは変わらない。

「縁ですか?」バロンは不思議がって聞き返す。

「…正確にはお兄様と貴方様と吉野様です。今はわからないと思いますが、さだめが変わらなければ切っても切れない縁となりましょう」そう言って少し寂しそうな笑みを浮かべる。何故か悲しい事が起きることを知っているのに我慢しているのだとバロンは直感的に感じた。それとともに弥桜の名が出たことを驚く。

「吉野さんをご存知で?」

「…今、里にいらっしゃって、凰さんにご滞在なさっているのでしょう?少し窮地きゅうちを聴きまして、微力ですが人づてにお力添ちからぞえをいたしましたの」弥桜の窮地とは穏やかでは無いが、凰家を離れるまでそんな素振りはなかった。まてよ朝、龍光が紙袋を弥桜に渡していた。そうだ、その時三春さんという名を聴いた気がする。三春が笑っているので身の危険とかそんなことではないような気がする。これも詮索しないほうがいい部類か。

「そうですか。ありがとうございます。自分達のように部外者にまでお気遣いいただいて」弥桜に代わって礼を伝える。

「…お気になさらないようお伝え下さい。困った時はお互い様ですから」はかなげに微笑む。

「…私が誰だか考えていらしゃるのでしょう?…では改めて、私はこの里の党首の娘、師条三春しじょうみはると申します。…便宜上、真田三春と名乗ることもございます。普段は外の学校に通っていますの」三春が身分を明かす。党首の娘?そんな人が自分に興味を持つなんてとバロンは思うがここは自分も自己紹介しなければ。

「僕は富士林楓太郎と申します。親しい人にはバロンと呼んでもらっています。笹伏輝虎君と凰夕姫さんとともにお務めに当たっております」きっとこの程度の事、三春は知っているだろうとは思ったがバロンが自己紹介をすると嬉しそうに頷いていた。

「…バロン様は、…バロン様とお呼びしても良いでしょうか?バロン様は海外生活が長かったとお聴きしましたが、どういった国をお周りになったのかお聞かせ願えませんか?」


 三春はしばしバロンの海外での体験談を嬉しそうに聞いていた。

「…あら、もうこんな時間。バロン様、楽しいお話ありがとうございました。もっと聞いていたいのですが、疲れていらっしゃるのにこんな時間までお付き合いいただいて。部屋まで送らせます」バロンの話のキリが良い所で三春がお茶会の終了を告げる。するといつの間にかスーツ姿の女性がドア脇に立っており、バロンは驚かされる。

「…朝顔さん、よろしくお願いしますね」そう言ってバロンを送り出す。

「三春さん、ごちそう様でした。また会えますか?」

「ええ、きっとすぐにでも」


 真田屋敷の薄暗い廊下を朝顔について歩いて客間まで戻った。

「富士林様、もし今度お迷いになったら声を出して誰かお呼び下さい。屋敷は無人ではありませんし、耳の良いものもおりますので。それから兄がいつもお世話になっております」

「お兄さん?」バロンは首をかしげる。

「犬神浩二です。愚兄がご迷惑かけてないでしょうか?」

「とんでもない。こちらこそ迷惑の掛けっぱなしで振り回しちゃってます。でも犬神サンにこんな美人の妹さんがいたなんて」

「…富士林様、女性みんなにそんなこと言ってると彼女に嫉妬されますよ」

「エエッ、そ、そんな人まだいないよ」バロンは慌てて否定する。

「そんな事言っていますと誰かに取られちゃいますよ。あれ程の美少女、里でもあまり見かけませんし、男どもの間でものすごい噂になってますよ」

「吉野さんとはそんな関係じゃ無いし…」

「…私、吉野様の事とは言ってませんよ」バロンはまんまと引っ掛かった。カアっと赤くなる。

「まあ良いです。兄が世話になっている義理が有ります。男どもにはそれとなく吉野様には決まった相手がいると噂を流しておきます。長くなりました。私はこれで」朝顔は現れた時と同様にあっという間に気配を消した。

「さすが犬神サンの妹」バロンは感心した。

「すごい女性がたくさんいるな」


 自分の部屋で弥桜と夕飯前なのにオヤツへ手を出していた夕姫は、いつの間にか帰ってきたペンタが菓子皿からクッキーを取るのに気が付いた。

「…アンタ、どこほっつき歩いてたのよ?言ったでしょう、ここは怖いところだって」夕姫がペンタをたしなめる。

「たしか猫飼とか言うヤツのところだ。アソコは自由に出入りして良いと聞いたぞ」

「…猫飼さんか…アソコならまあ良いか。アソコの娘さんは変わり者だって聴いてたけど大丈夫だった?」

「ウム、美味しいオヤツくれたぞ。明日も行こうと思っている」

「…せっかくだから色々教わってくれば。あの人变化使いの戦闘のエキスパートだって」

「…そうは見えなかったぞ。確かに時々怖い雰囲気が感じられたが」ペンタは首をひねる。

「ところで今日からバロンはこの家に泊まらないわよ。アンタどこで寝るの?ここで寝る?」夕姫が一応ペンタの寝床の心配をする。

「弥桜のところで寝る。弥桜の上は寝心地が良い」言外に寝心地悪いと言われた夕姫はペンタを睨む。

「…ペンタちゃん…」寝床に指名された弥桜が抗議の声をあげる。以前ペンタを預かったときもペンタは弥桜の上で黒猫姿で丸くなっていた。普通の猫ならいざ知らず、化け猫に乗っかられるのは余り気分が良くない。実際ペンタは弥桜から漏れ出る氣を舐めているので、的外れでも無い。重い以外に健康に影響は無いのだが。

「バロンめ。勝手に出ていくとは」ペンタが不満を漏らす。


 16


 標高の高い里では朝には良く霧が発生する。この日も視界が奪われる白い霧が里を包んでいた。

 龍光が駆る4輪駆動車はフォグライトを付けて凰邸に走ってきた。後部座席にすでにバロンが乗っている。

「おはよう。みんな揃っているようだな」龍光がメンバーを確認する。

「おはようございます。真田さん、俺は…」輝虎が口を出そうとすると

「輝虎君、竜宮流範士就任おめでとう。聞いているよ。君は残って稽古に行って構わない。君の仕事はこの先に無い」どこで聞きつけたのか龍光が輝虎の範士授与の祝いの言葉と、稽古の続行を許可してくれた。

「テル、あんた何、範士になったの?戟の?」夕姫が驚いて輝虎に問い詰める。

「昨日、山に行って師匠に認められた。後でゆっくり話そうかと…」輝虎は少し照れながら話す。

「やったじゃない!テル!頑張ったもんね!」夕姫は自分のことのように喜び、勢い余って輝虎に抱きつく。

「テトラおめでとう。…でも朝からイチャつくのは人目があるから…」バロンが見かねて声をかける。

「うわー、やっぱり…」弥桜が何故か頷いてる。慌てて離れる輝虎と夕姫だった。


 4躯の向かった先は竹やぶの奥にある、お寺とも神社とも思えるような古い土壁に囲まれた場所だった。しかし何故か周囲に車が多かった。これほどの台数の車は里に来てから初めて見た。

「人気がある所なんですか?」バロンが間抜けな質問をする。

「そうじゃ無い。一昨日の晩、先代の葛城当主が亡くなったんだ。まだ葬儀が終わって無い」龍光が騒々しい理由を説明する。

「えっ、じゃあそんな時に行ったら迷惑じゃ無いの?」夕姫が大丈夫か心配するが、

「問題無い。吉野君の見立ては先代の遺言だ。さあ行くぞ」車を停めた龍光が降りて中へ進む。


 龍光と進んだ先には岩盤をくり抜いた石室があった。入口には御簾の様なものが掛かっており、中はうかがえない。皆を残し先に龍光が入って行く。すぐに出てくると、弥桜に中へ入るようにうながす。


 石室の中は外より寒くなく、意外に快適だった。中は数本立ててある蝋燭のみの明るさだったが、自分の神社の本殿でも似たようなものだったので戸惑わなかった。

「ようこそ、こんなところまで、白桜の巫女」話し掛けてきた石室の主は形こそ見慣れた巫女の装束だったが薄い緑色だった。その上から幾重にも石を連ねた数珠状のものがかかっていた。何よりも目立ったのは目を覆うハチマキだった。

「この目のことかしら。これは一族の慣例で肉体の目を捨ててより広く、より遠くを見るための封印。私は白月、昨日からこの葛城の当主となりました。このお役目は当主として初仕事になるの。不慣れな事も有るけど許してね」そう言う白月を弥桜は自分よりよっぽど巫女らしいなと思った。それに先代が亡くなったばかりと聞いた。気丈だなとも思った。

「えーと、よろしくお願いします?」いつもは参拝者を母の隣で出迎える方だったので、凄く居心地が変だった。

「緊張しなくて良いわ。そちらの椅子にかけて。私もだけど座るのは苦手な人も多くなったでしょう」見えてないはずなのに的確に椅子を示す。

「…私、何かするんですか」弥桜はこれから何が始まるのか少し不安だった。

「大丈夫。良く見えるように来て頂いたけど、そこにいらっしゃってくれるだけで良いわ」白月は弥桜をリラックスさせようと安心するように言葉をかけた。そして集中する為、手を組むと、

「始めます」弥桜はその声とともに石室の空気が変わったのを感じ、見えないはずの白月の目に見透かされているのがわかった。時々母、雪桜から感じた気配の何倍も強く感じた。まるで丸裸にされるような羞恥心が湧き上がる。

「…お館様の言う通りの様ね…でもこの力は…クッ!…これ以上は…ハァ、ハァッ」白月は後ろにのけ反る。

「大丈夫ですか」弥桜は白月のあまりの様子に思わず手を差し伸べる。

「…大丈夫。貴方の持っている力の影響が大きく、深く見ようとしたら思ったより抵抗が強くて…しかし必要な事は見えたようです…」弥桜の手を取り体を起こす。

「…これで貴方については終わりです。貴方、これから今まででは想像出来ないほど、波乱万丈の日常が待っているわよ。覚悟しておきなさい」

「波乱万丈ですか?」弥桜は不安そうに尋ねる。今までは家が神社である位しか自分に特別なところは無いと思っていた。それが波乱万丈?想像もできない。

「目まぐるしい毎日が続くのです。その覚悟の為にも次に鬼灯ほおずきサンのところを訪ねて下さい」白月の目は隠されているがニッコリと笑ったようだ。

「それから外に貴方ぐらい面白い方が来ているようね。真田さんに良かったら是非見させて欲しいって伝えてくださらない」


「吉野さん、大丈夫かな」バロンが弥桜を心配する。

「大丈夫よ。取って食われたりしないから。バロンこそあんな迷宮に行って大丈夫だった?」夕姫がバロンの身を本当に心配する。夕姫も子供の頃、父に連れられて真田屋敷に行って遊んでいるうちに迷ってしまったことがある。絶対に泣かなかったが心細い思いをした記憶がある。

「それが昨日迷っちゃって三春さんに助けてられて、犬神サンの妹さんに送ってもらった」バロンが照れくさそうに昨日の事を話す。

「「三春さんに会った?」の?」龍光と夕姫が驚く。

「ウン、お茶までごちそうになって。三春さんが僕の海外での話しを聞きたがって。それから吉野さんを助けたって話も聞いた。何だかわからなかったけど気にしないでくれって」

「「………」」龍光と夕姫は考え込んでしまう。師条の家では三春は次期当主であるが表立っては光明が取り仕切っており、彼女が人に会うことはまれだ。犬神の妹の様な側用人が身の回りの事をしており、同じ敷地で三春に憧れている龍光でさえ、姿を見るられる事は少ない。そんな人がバロンと会話を楽しんだと言う。

「三春さんは常日頃、世界を旅してみたいと言っていたからな。富士林君がうらやましかったのかもしれない。わざわざ遠くにある外国人教師が多い、ミッションスクールに入ったのもそのせいか」三春に思いを寄せている龍光は考え込む。

 夕姫は少し三春の気持ちが判った。今でこそ輝虎やバロンと里を出て遠征を行っているが、そうでなければ里の下の高校、大学に通ってその後は母の跡を継いで凰家の当主として生きていくだけのはずだ。聞くところによると両親は新婚旅行以降はそろって里を離れたことは無い。せいぜい下のショッピングモールがいいところだ。遠くに行きたい気持ちは痛い程判る。そんな会話をしていると弥桜が石室から出てきた。

「私は終わりだそうです。真田さん、バロン君を見てみたいそうですが」どう話したら良いものか決めかねるように声をかける。

「やはりそうきたか。判った。一度話してくるから待っていてくれ」そう言って龍光は石室に入って行く。

「大丈夫だった?」バロンが弥桜の身を心配して声をかけるが

「大丈夫だったよ。母さんみたいに観るだけだったから。でもすごい強く観られたみたい。なんかこれから大変になるんだって。覚悟しておけって」弥桜はあっけらかんと答える。

「大変ってどんな?」夕姫も心配するが

「バタバタするんじゃないかなぁ?次に鬼灯さんに行きなさいって」

「鬼灯サンか。バロンの星辰の剣も預けてあるところなの。一度見ておくのも良いかも」剣士の派閥はばつに属する凰家の夕姫は術士の派閥の葛城や鬼灯と交流は無い。居住区も異なっており、小中学校で術士の家の同級生はいなかった。葛城が静の術士とすれば鬼灯は動の術士の長だ。長老会も術士の代表はこの両家から出ている。龍光が石室から出てきてバロンを呼ぶ。

「無理強いはしないが協力してもらえないか?ただ座ってれば良い」

「はい、わかりました、師匠せんせい。行きます」バロンが石室に入って行く。

「せんせい?」夕姫が怪訝そうに尋ねる。

「少々、剣の稽古を付けてやっていてな。筋は悪くないが、なんとも短期間なのでな」

「いじめて無いでしょうね?」夕姫が従兄弟を睨む。

「短期だと言ったろ。多少はスパルタにもなるさ」

「やっぱりいじめてるんだ」龍光は里の各道場から選抜された猛者もさばかりの真田道場において当主の竜秀の次に腕が立つと評判だが、彼の行う稽古は地獄のシゴキと呼ばれており、範士クラスの男達が裸足で逃げ出すと言われている。影で鬼龍おにたつささやかれている。

「バロン君、大丈夫かな」弥桜がどっちの心配をしているかバロンの身を案じている。

「あんまりヒドかったらまたウチで引き取るわよ」

「それは余りすすめんな。本人が自分で決めて力を付けようと望んでいるんだ。他人がとやかく言う筋合いは無かろう。出来るだけ原形は残すよう努力しよう」最後は龍光なりの冗談だろうが余り笑えない。

「バロン君…」弥桜は余計心配になったようだ。そうこうするうちにバロンが出てきた。何やら深刻な顔をしている。

「…何だろう、余り良い事は言われなかった様な気がする…」バロンらしく無い曇った表情をする。

「気にすること無いよ。自分で言うのも何だけど、見えるモノって結構曖昧あいまいなの。解釈次第かいしゃくしだいで良くも悪くも取れたり、事が起こってから、ああ、あれはこういう事だったんだってわかる事もあるから」弥桜はバロンを元気付けようとする。

「うん、判った。参考にはするけど気にしないことにする」弥桜の言う事を素直に聞くバロンであった。夕姫も胸をなでおろす。バロンの精神状態が低空飛行と言うのは、きっと心臓に悪い。

 いつの間にか龍光が石室に入ったようだった。


「デビュー戦からチャンピオン級相手って厳しくない?」巫女の格好に似つかわしくない例えを白月は使う。

「いい経験が出来ただろう?」龍光は皮肉を口にする。

「ええ、力なんかいらないくらい強烈だったわ。特に楓太郎君の方、アレはバケモノね。里の未来を左右する程の宿命を背負っていそうだったわよ」

「君のお祖母さんの最後の大仕事が彼の発見さ。称賛しょうさんに値するいい仕事だったと思うよ。それで彼で間違い無いのだね?」

「それはここに入る前から判っていたわ。ここに呼んでもらったのはあくまで興味からよ。間違いないわ。祖母の仕事に間違いなんてある訳がない。ただ彼の周りはしばらく大騒ぎになるわよ。彼自身の命の危険も」

「…それは彼に伝えなかったのだろう?」

「ええ、ご希望通りね。それに伝えるとかえって危なくなるかも知れない…」

「了解した。後はこちらで対応する。ご苦労さま、光明さんには良く伝えておく。忙しいところ、悪かったな」龍光が労をねぎらう。

「それと彼女、ウチで欲しいわね。鬼灯に行かせないでウチにくれない?ご覧の通り人手不足でね」白月は弥桜が欲しいと言う。

「それはダメだろうな。計画が破綻はたんする。それは貴方も願い下げだろう?」


 17


 鬼灯の一党は葛城の屋敷から山一つ隔てた場所にあった。丁度、凰と笹伏の位置関係に似ていた。

 先程の葛城が寺のような造りであったのに対して鬼灯は城郭の様な造りであった。塀の向こうから時々聴き慣れない音が聞こえる。木製の橋を渡ると本当に城に来たようだ。また弥桜の目が輝き出す。

「すごい、すごい!あの石の積み方。かなりの職人が積んだはず。国宝級のお城でしか見られない筈なのに!」弥桜が石垣に食い付く。

「わかるのか。そう、そこの石垣は戦国時代に普請ふしんしたそうで、この屋敷の自慢だ」龍光が解説しはじめる。弥桜はうんうんと頷きながら聴いているが、バロンと夕姫はちんぷんかんぷんだ。バロンは世界で石積みの建築物を見てきたが、積み方が違うなとは気が付くが、美まで感じない。

「ようこそ、不知火城しらぬいじょうへ。べっぴんなお嬢ちゃん」髪もヒゲも真っ白な怪しげな爺さんがいつの間にか現れ弥桜のお尻をでる。

「へっ?キャーッ、だ、誰?」驚いた弥桜は後ずさる。夕姫が慌てて爺さんとの間に割って入る。

「大丈夫じゃ、凰のヒクイドリ。お主には触らん。まだ死にとうない。ワシは鬼灯眩一ほおずきげんいち。ここの主だ」

「「ヒクイドリ?」」弥桜とバロンが首をかしげる。

「何でも無いわ。気にしないで。…ちょっと!女の子のお尻触ってどういうつもり?」夕姫は眩一の前に立ちはだかる。その眩一めがけてつららのようなものが飛来する。それを眩一はヒョイと避ける。つららは石垣に突き刺さる。

「お前さん、またやったね!若い娘を見るとすぐコレだ。今日を命日にしたいのかい?」右手を突き出した老婆が叱りつける。先程のつららはこの老婆が放ったようだ。

「ヒイラギ!いきなり何をするんじゃ。ナイスガイなワシじゃなかったら死んでおったぞ。ワシはただこの嬢ちゃんの素質を見極めてただけじゃ」眩一はヒイラギ婆さんに抗議する。

「ふざけるんじゃないよ、このロクでなし!そう言ってこの前も新人に手を出してたじゃないか。次にヤッたら殺すってあれほど言っておいたろ!」ヒイラギは怒り心頭のようだ。

「アレはウチの家内じゃ。若い娘に指導するとすぐ嫉妬してのう。困ったもんじゃ。ところでそこのお嬢ちゃん、もの凄く素質がある様じゃのう。その胸といい、腰付といいスバラシイ。ワシの弟子にならんか?」眩一が弥桜を品定めするよう、舐め回すように見る。

「ヒッ!」弥桜は悲鳴をあげ夕姫の後ろに隠れる。

「それは困る。吉野君はヒイラギねえさんに任せる予定なんだ。若の決定だ。吉野君さえ良ければ3日間預けようと思っている」龍光が眩一の暴走を止める。光明の雷名はここでも効果があるようだ。

「3日じゃ基本もむつかしい。しかし若がヤレとおっしゃるなら何とかカタチにしてみましょう。…そこの凰のは素質無いね。帰った方がいいよ」ヒイラギは弥桜の面倒はみるが、夕姫は無理だと言う。夕姫は腹が立ったがやっぱりと思う気持ちもあった。

「どうだい、一つ簡単で良いからここで神楽を一曲舞って見せてくれないかい?」龍光が夕姫の背中に張り付いていた弥桜にお願いする。自分の能力に関する事だと直感で分かった弥桜はためらいながらも頷く。


 普段の巫女の装束は無いので、ヒイラギに借りたゆったりとした道着らしきものに着替えた弥桜は前庭の中央に立つ。見物人はいつの間にか増えていた。鬼灯の門下生が興味をかれて集まってきたのだ。やはり新しいモノを取り込もうと貪欲なのだろう。

「始めます」舞い始めた神楽はバロン達には牛頭戦で見たものと同じはずであったが、衣装のせいか新鮮で新たに感動を覚えた。ただしあの時と違い野暮な邪魔は入らなかったので舞いきった。鬼灯の一党からどよめきが生じる。彼らはバロンや夕姫とは違うものを見ているようだ。

「よう披露してくれた。葛城のババアも最期にいい仕事をしたもんじゃ。この子は百年に一人の逸材じゃ」ヒイラギはフンフンと頷く。

「じゃからワシは言ったろう。もの凄く素質が有ると。やっぱりワシが手取り足取り指導しようかのう」眩一が下心丸出しで弥桜に迫ろうとする。それを手に持ったねじくれた杖でヒイラギが制する。

「色ボケは引っ込んでな。…アレを持ってこい」ヒイラギが側にいる門弟に指示する。


 落ち着いた印象の女門弟は袱紗ふくさに包んだ星辰の剣を捧げ持ってきた。針の怪の戦の後、里に預けていたものだ。鬼灯の一党が剣にとらえた怪の魂?を抜いていたのだ。

「それを持ってみい」ヒイラギが弥桜に星辰の剣を持ってみろと言う。星辰の剣は普段通り緑青ろくしょう色で一見文化財にしか見えない。弥桜は訳も分からず差し出された柄を両手でつかむ。事情を知っているバロンと夕姫が固唾かたずをのむ。

「エッ、ワッ、なに?」弥桜に掴まれた星辰の剣は青白く輝き出す。バロンが使う時の燦々さんさんと輝く太陽を感じさせる光と違い、弥桜の発する光は月光を想起そうきさせる。

「バロンしか使えないんじゃなかったの?私が握っても、うんともすんともいわなかったのに」夕姫が驚く。

「じゃから素質が無いと言っておろうに。…そうじゃの、その丸太をそこから斬るつもりで振ってご覧」ヒイラギは杖で稽古用と思われる地面に立っている丸太を指す。

「…こうですか?エイっ!」弥桜が意外と良いフォーメーションで丸太の方向に向けて星辰の剣を振り抜く。何か光った後、丸太が斜めに切断された。

「…ウソ…」

「吉野さん、すごい…」夕姫とバロンは驚嘆する。

「なるほどな」龍光は予想していたのか驚かない。

「すごい!私、忍者みたい!」弥桜自身はキャッキャと喜んでいる。手にした星辰の剣は少し輝きが薄れていた。

「忍者とはちょっと違うが良かったら、ここで修行してみないかい?役に立つと思うぞ」龍光が弥桜に鬼灯での修行を勧める。

「ちょっと勝手に話を進めないで。吉野さんだって突然そんな事言われたって」夕姫が龍光に抗議するが

「良いの、夕姫ちゃん。きっとこれは私に必要な事なんだって感じるの。大丈夫、どんなに修行が厳しくても三日じゃ死なないから」弥桜はこの言葉を後悔する事になる。

「彼女はわかっているじゃないか。…それと富士林君、君もここで修行すると良い。君は剣と術両方使えそうだし、その方が手数が増える。僕は教えられる程術に詳しく無いんでね」龍光はバロンもここに残って修行しろと言う。

「ハイ、師匠。わかりました。僕に何ができるか判りませんが、必ず役立つ事を身に着けます」バロンは意気込む。弥桜を一人にしたくないのもあった。

「と言う訳だ。富士林君も"特訓"をお願いしたい」

「噂の星辰の剣の遣い手かい?」ヒイラギがバロンを下からめあげる。

「ふ、富士林楓太郎です。よろしくおねがいします」

「よろしくかどうかは判らんが、真田の依頼じゃ、面倒は見よう。音を上げるでは無いよ」ヒッヒッと怖く笑う。


 18


 龍光の車で鬼灯に残った弥桜に着替えを届けて自宅に戻ると夕姫は輝虎に絡んでいる妹達を見る。

「輝虎さん、姉さんみたいな面倒なオンナのどこが良いんですか?私に乗り換えません?」紅が輝虎にしなだれ掛かる。

「テル兄ちゃん、ユキ姉とどこまで行ったの?」瑠璃が輝虎の膝に乗って詰め寄る。

「輝虎お兄ちゃん、ユキ姉捨ててワタシと付き合いません?」翡翠が輝虎の腕に抱きついている。

「イヤ、あの俺汗臭いから…」輝虎は三雀をはねのける訳にもいかず、タジタジとなっていた。

「アンタ達、まったくりないで!母さんに言って本当にゴハン抜きにしてもらうからね!」夕姫が妹達を怒鳴りつける。

「チッ、嫁が帰ってきたか」紅が輝虎から離れる。

「ユキ姉お帰り!お土産は?」輝虎の膝から飛び降りる瑠璃。

「あー、残念。輝虎お兄ちゃん、考えといてね」翡翠が名残惜しそうに輝虎を離す。

「あっちに行ってなさい!…あんたもあんたよ。あんなの振り払いなさいよ」夕姫の怒りの矛先が輝虎に向く。

「だってお前の妹だし…ケガさせちゃマズいだろ?」若い女の子に言い寄られた輝虎は歯切れが悪い。

「テルだってあの子達の技量知っているでしょ。あんたが本気で放り投げたって何とも無いどころか愉しむくらいよ。…朝の話の続きよね?」

「そうだ。場所変えないか?」

「じゃあ私の部屋に来る?」夕姫がニヒヒと笑う。


 輝虎が凰家に上がるのは実はこれが初めてだった。出会った頃は夕姫が秘密にしてたし、正体を知った後は女の子の家に行くのは気が引けた。庭までは入ったことがあるが大抵玄関までだった。

「想像してたのと違う?」夕姫がいたずらっぽく尋ねる。

「イヤ、想像したことも無い…結構真面目ぽいな」

「妹達の部屋はもっと女の子らしいわよ。ここには寝るのと私物を置くぐらいだから」そう言いながらクローゼットを開けると夕姫に見覚えの無い可愛らしい服がみっしりと掛かっていた。

「な、な、な、なにこれ?!」そこにはこんな里でどこに着て行くんだろうと思うようなフリルの付いたモノや、着た姿を想像するだけで赤面してしまいそうなピンクのモノが掛かっていた。

「…思ったよりは可愛らしい趣味だな」目が点になった輝虎がつぶやく。学生服かジーンズ姿しか見たことの無い夕姫の意外なワードローブにツッコミも出来ない輝虎だった。

「違うから!私知らないからこんな服!…ちょっと待ってて!そこでじっとしてて」夕姫はクローゼットを勢いよく閉めて部屋を出ていく。一人残された輝虎は

「ユーキの匂いがする…」居心地が悪そうに座っていた。


「母さん、私の部屋のクローゼット、アレはナニ?」血相を変えた夕姫が、指導を終えてお茶をすすっていた茜を見つけ問い詰める。

「クローゼット?…ああ、アレね。パパがね夕姫ちゃんも年頃なんだから女の子らしい服の一着や二着、持ってないのは可哀想だって紅ちゃん達と選んだそうよ。ママはやめとけって言ったんだけど…」茜は他人事みたいに話す。夕姫は最後まで聞かず、父、龍成を捜す。


「父さん、勝手に私のクローゼットに服を入れないで!」だんだん腹が立ってきた夕姫は庭いじりをしていた龍成と妹達を見つけ怒鳴りつける。

「クローゼット?…ああ、アレか。ママとね、夕姫ちゃんの部屋を掃除してたら、まったく女の子らしい服を買ってあげて無いのに気が付いてね、年頃の女の子がコレじゃ可哀想じゃないかって話になって萬屋さんにお願いしたんだ」まったく悪びれない龍成だった。

「姉さん、もっと女性としての自覚が無いと行き遅れますよ」紅に呆れられる。

「夕姫姉、私も選んだんだよ。ピンクのカワイイやつ」どうだとばかりの瑠璃。

「素敵だったでしょ。これで夕姫姉もワタシみたいにモテモテよ」何故か姉がモテないと思ってる翡翠。

「可哀想じゃ無いし、行き遅れないし、あんなの着れるか!それにモテなくて良いの!」夕姫は父と妹達に順番に突っ込んだ。あまりの剣幕に父にすがりつく妹達。

「とにかくあんなの着ないからどっか持って行って」

「ええ、一着くらい着てみてよ。親孝行だと思って…」龍成はお願いするが

「フン!」夕姫は返事もせずドスドスと足音をたてて立ち去った。


 部屋に戻ると輝虎が正座して待っていた。

「…どうしたの?かしこまっちゃって」夕姫が呆れて聞いた。

「なんか落ち着かなくてな。考えてみたら女の子の部屋に入ったの初めてでな」輝虎が頭を掻く。そう言えば輝虎の家は兄弟しかいないし、夕姫以外の女子の友達なんかいない。

「気にしないでよ。こっちまで恥ずかしくなってくる。足崩して。それで範士になったんだって」持ってきた、冷えたサイダーと誰かのせんべいを差出し、夕姫もジーンズなので床に胡座をかく。

「ああ、師匠のところにこないだの礼と挨拶をしに行って、手合せをしたら範士にするって話になって…それでここからは秘密なんだが師匠にオヤジとも手合わせしてみろと…」輝虎も足を崩して話始める。

「うん、うん、それで?」夕姫はせんべいをかじりながら聞いている。

「ウチの道場で胸を貸してくれることになって、光兄の見ている前で…勝っちまった」輝虎は言いにくそうに口にした。

「エッ、ウソ!あの鋼の虎って言われてるおじさんを?やったじゃん、テル!お祝いしたいぐらい」夕姫はこれ以上無いくらいに興奮して喜んでいる。

「光兄にこの事は口止めされてな、師匠には報告して良いと言われた。だから秘密だ。だけどユーキにだけは言っておこうと」

「嬉しい。頑張ったよね、テル」夕姫は感極まって輝虎に顔を近づけて行く。

「なんだ。チュウするのか」部屋の隅から声がかかり、慌てて夕姫は輝虎から離れる。振り返ると弥桜が立っていた。いや、弥桜のハズがない。それになんか違和感が有る。

「…もしかしてペンタ?」夕姫が真っ赤になりながらも問いただす。

「…バレたか。それよりチュウはしないのか?見ていてやるぞ」

「ヤレって言われてできるか!あんた、その姿どうしたの?」夕姫は弥桜の姿のペンタを指摘する。

「猫飼のところで覚えた。こんな事も出来るぞ」ペンタはその場でバク転すると夕姫の姿になる。

「どうだ。そっくりだろう」そう言って夕姫と肩を組む。しかしお尻から黒い尻尾が出てる。

「…ウーム、見事だ。俺は騙されないがな」輝虎は二人の周囲を回って観察する。口には出さないが輝虎の強化されている嗅覚には尻尾が出てなくとも匂いで判る。

「止めてよ、気持ち悪い」夕姫が嫌がる。自分はこんなふうに見えるのだろうか。…こころなしか胸が薄く見える。

「ところでミオはどこだ。ワシはどこで寝るのだ」

「弥桜は今日、ここには帰ってこないわよ」

「なんだと?」

「修行の為に鬼灯さんに残ったわ」

「聞いてないぞ。じゃあワシはどこで寝れば良い」

「さあ、その辺で寝れば?ちなみにバロンもよ」夕姫はペンタの寝床など興味無いと言う。

「冗談では無い。…もう一度猫飼のところに行ってくる。今晩は戻らんやもしれん」ペンタはバク転して弥桜の姿になり、壁を抜けて外に出る。

「ウチも变化が自由に出入りしてるなんて大したこと無いな」夕姫はガラス越しにペンタ弥桜を見送る。

「バロンと吉野さん、鬼灯に行ったって?」

「そうよ。あの後龍光クンの車で葛城に行って、鬼灯に周ったの。私には無い素質があの二人にはあるんだって」夕姫は幾分すね気味に説明する。

「…そうか、確かにあの二人は『神の寵愛を受けしもの』ならば才能があるのか。さしずめ魔法剣士ってところだな」

「それが聞いてよ。弥桜ったら星辰の剣を励起れいきさせた上、5メートル先の丸太を断ち切ったのよ」

「へー、そいつはスゴイ」

「でしょ。でもバロンとは違う感じだった」

「でも星辰の剣の使い手がバロンだけじゃ無いってのは助かる。…でも大丈夫かな。鬼灯ってあんまり良い噂聞かないな」

「心配無いわよ。若の指示で真田の次期当主が依頼してるんだもの。少なくとも死にはしないわ」

「ならいいが…」そう言って胸をなでおろす輝虎をおいてドアに向かう夕姫。勢いよくドアを開けると先日と同じ光景が広がっていた。

「…父さん。いつからウチは盗み聞きをするようになったの。これ以上こんな事続けるならもう口きかないから」仁王立ちした夕姫が父と妹達を見下ろす。

「ごめんなさい。だって紅ちゃん達が夕姫ちゃんがオトコを連れ込んだって言うから…」土下座して平謝りする龍成。竜秀と兄弟とは思えない態度だった。

「姉さん、輝虎さんと密室でナニしてたの?…もしかして…悔しい!輝虎さんの初めては私がもらうつもりだったのに!」ハンカチを噛んで涙を浮かべる紅。

「ねえ、チュウした?輝虎兄ちゃんとチュウしたの?」興味津々の瑠璃。

「輝虎お兄ちゃん、意外とオクテだからな。きっと夕姫姉が誘ったんだ…」勝手に何か想像する翡翠。

「…本当なのか?夕姫ちゃんが不純異性交遊してたなんて」大げさに夕姫の脚に縋りつく龍成。

「オトウサン。僕達はまだそんな事してません」見るに見かねて、よせば良いのに輝虎が口を出してしまう。

「君にオトウサンと呼ばれる筋合いは無い。手塩に掛けたウチの娘を毒牙に掛けるとは…アイタッ」龍成のドラマの見過ぎのような言い回しが途切れる。スパンっといつの間にか後ろにいた茜にスリッパで叩かれた。

「…あなた、お客様に失礼でしょ。…ごめんなさいねえ、ウチの人が余計な事口走って。いつ来てくださっても良いのよ。私は貴方の味方よ、輝虎さん。なんなら全員で家を空けようかしら。『今日、ウチの人誰も居ないんだ』状態にしてあげるわよ」茜は龍成のお尻をつねりながらとんでもない事を言う。

「母さん!」夕姫が真っ赤になって抗議しようとするが

「そうそう、ウチの新しいお風呂入っていかない?凰家の自慢のお風呂なの。汗を流していらっしゃいな。…夕姫も一緒に入ってもいいのよ」

「結構です!」岩手の夜を思い出し、夕姫が断る。

 結局、輝虎はお風呂をいただいたが、カラスの行水で済ませてそうそうに凰家を辞した。


 19


 今日は資質や属性への親和性の確認との事で本格的な修練ではないそうだったが、疲労困憊のバロンは充てがわれた客間で布団に倒れ込んだ。もう指一本動かしたくない。弥桜とはあの後別れ、それぞれ試されたようだ。

「吉野さん、大丈夫かなぁ?」自分と同じ事をさせられたなら、やはり突っ伏しているのだろうかとバロンは考えた。実際は特性が判っている弥桜はヒイラギの指示で丁重に扱われ、バロンのような新人扱いはされなかったのであった。

 バロンが布団の上で動かないでいると、廊下に人の気配がして

『…バロン君、居る?』弥桜の声がした。

「…ハイ、ここに居ます!」バロンは跳ね起き、布団の上に正座した。

『ちょっと良いかな?』

「どうぞ。狭いところだけど」

「…」戸を開けて入って来た弥桜は寝間着でうつ向いていた。

「どうしたの?やっぱり日中大変だった?」様子がおかしい弥桜にバロンは心配して声を掛ける。

「…バロン君、私寝れなくって。一緒に寝てくれない?」

「えエヱッ!」あまりの事にバロンの声は変な風に裏返る。そのバロンに弥桜が抱きついてくる。

「ちょっと吉野さん、どうしたの?」予想もしない事態にバロンは混乱する。身体に押し当てられる弥桜の胸の感触に動揺してどうしたら良いかわからなくなる。そこに廊下を走ってくる音が近づいてくる。

「バロン君!私見なかった?…キャア!あなた何してるの?」廊下からもうひとりの弥桜が現れ、おかしな質問をした挙げ句、バロンに抱きついた自分を見つけて悲鳴を上げる。

「ど、ど、どうしたの吉野さん。…吉野さんが二人?」バロンは見られたら困るところを本人に見られるという異常事態におちいっていた。

「えっと…あの…そう、分身、分身の術!昼間習った分身の術をやったら、分身が言う事聞かなくって」あとから来た弥桜はバロンに抱きついた弥桜を引き剥がしながら無理な弁解をする。

「分身?良く出来てるなぁ。感触も有るし。そういうモノなの?」バロンは二人の弥桜をまじまじと見較べる。先に来た分身と称される弥桜は首に赤いチョーカーのようなものを付けている。

「バレたか。仕方ない、今日もミオと寝よう」なんとなく分身の方が口が悪い様な気がする。

「明日も早いから戻るね。おやすみ、バロン君」弥桜は引きつった笑いを浮かべながら、分身弥桜の首根っこを掴んで出ていった。

「…何だったんだ?」バロンはどっと疲れが押し寄せてきて再び布団に突っ伏した。

「…でも、分身だけど柔らかかった…」そのまま寝息を立てバロンは深い眠りに落ちた。


「あなた、こんなところで何してるのよ!」弥桜は自分に充てがわれた上等な客室でペンタに怒っていた。バロンの部屋と違い、フカフカのカーペットが敷かれ、せんべい布団の代わりにキングサイズのベッドが置かれていた。いつもの少女姿になっているペンタはベッドの上に座っていた。

「ユキの家に戻ったらミオとバロンがここにいると聞いてな」ペンタが足をぶらぶらさせながら言う。

「だったら夕姫ちゃんのところに居れば良いじゃない」

「アレはダメだ。寝心地が悪い」人を敷布団の様に言う。

「そこでバロンのところに行こうと思ってな、猫飼に手伝ってもらって忍び込んだのだ」

「だからって、何で私の姿でバロン君のとこに行ったのよ?」

「ワシが他の姿で行ったら怪しまれるだろ。それにサービスも兼ねてな。この胸で癒やしてやったらバロンも良く寝れよう。まったく人間はおかしなモノが好きじゃな。お陰で化けづらくて困る。ユキの方が身体は大きいのに化けやすいぞ」

「…夕姫ちゃんにソレ言っちゃ駄目だよ。それはそうと二度と勝手に私に化けないで。約束して」

「…約束か。…ミオ、ワシと契約せんか?」

「契約?」

「そうだ。契約すればワシはどこにいてもオヌシから氣を貰える。オヌシはワシに言う事を聞かせられる。主がいればこの里とやらを堂々と歩けるそうだ」ペンタはそう言うが弥桜は言う事を聞かせるのははなはだ疑問だった。

「…バロン君じゃなくて良いの?」

「ミオの方が事情を知っている。バロンには正体を知られて嫌われたくないのだ。ミオはもうワシを嫌っておるだろ」ペンタは変な開き直りをする。

「…わかった。どうすれば良いの?」弥桜はあきらめた。

「この首輪に主となる者の血を付けろと言っていた。まだこれは空だそうだ」

「…契約した途端、しわくちゃになったり、ヘロヘロになったりしない?」弥桜は警戒した。

「ならんぞ。まあ多少お腹が空きやすくなるかも知れんが、ユキやテトラのようにはなるまい」ペンタは楽観的に言う。

「ああ、悪魔と契約するってこういう気分なのかな」弥桜は荷物の中から短刀を出す。

「随分物々しいのを出してきたな」ペンタが少し警戒する。

「夕姫ちゃんが護身用にって置いてってくれたの。訳がわからないところで寝起きするからって」弥桜は左の親指の腹を切る。出てきた血の玉をペンタの首輪に押し付ける。その瞬間目の前が光った様な錯覚が走った。するとペンタの事が良く分かるようになった。今は目の前にいるがきっと遠くにいても、どこで何しているかわかる気がする。ペンタの眠気が感じられる。習ったばかりの術で血止めをし

「これで良いのね。なんか不思議ね勝手に動くもう一本の手が生えたみたい」

「ワシも首輪に紐が付けられているようだ。ミオの気持ちが良くわかるぞ。例えばバロンの事を…」

「ペンタちゃん、おせんべい食べない?美味しいわよ」弥桜はペンタの言葉を遮り、テーブルに置いてあった菓子盆からせんべいを差し出す。

「ウム、もらうぞ」せんべいを受け取りかじる。弥桜は今更ながらちょっと後悔し始めた。


「フム、そういうことかい」不知火城のどこかの暗い廊下でヒイラギがつぶやく。

「見慣れぬ気配を感じたと思ったら变化まで飼っておったとは。舞手で神器の使い手、その上变化遣いとは、随分欲張りだのう。ますます欲しくなったわい。丹後たんごのヨメにでも、ならんもんかの」そう独りごちると廊下の奥の闇に溶け込んだ。


 20



 翌朝から特訓が本格的に始まり、バロンは眩一とヒイラギの双子の孫、若狭わかさと丹後にしぼられる。いわくバロンでも精神集中すれば弥桜の様に離れた目標を斬りつけたり出来るそうだ。

「彼は気が散りやすいね、姉さん」弟の丹後が指摘する。

「そうね、でも仕方がないわ。里の外から来て訓練も今日始めたばかりじゃない。…本当に良く星辰の剣が反応するわね」姉の若狭がバロンに向い竹刀で突く。バロンは薄暗い道場のような場所で携帯ゲームをさせられながら、姉弟の竹刀を避ける特訓を行っていた。敵の攻撃を避けながら集中力を保つ訓練だそうだ。手に持ったゲームも良い成績を出しつつクリアしなくてはならない。ゲームオーバーするとまた最初からだ。姉弟の攻撃は龍光のそれより大分劣るが、二人いる事や意地悪な竹刀が飛んでくる事もある。何よりゲームに集中すると竹刀の回避がおろそかになるし、回避に気を配るとゲームの操作が鈍くなる。

「本当にこれで…訓練になるんですか、アタッ」やらされているバロンは懐疑的だ。傍から見ると単にいじめられているように見える。

「無駄口を叩くな。回避が疎かになるし、舌を噛むぞ」丹後は仕方なくやっている風で辛辣だ。

「モノになるかならないかはあなた次第よね」若狭もはっきり言ってやる気はなさそうだ。しかしバロンは知らないがこの訓練に二人もそれも手練が携わるなど前代未聞なのだ。それにだんだんバロンの回避が上手になってきた。

「ヤッタ!クリア出来た!」とうとうバロンは携帯ゲームでクリアし、小躍こおどりする。

「では、最初からやり直すぞ」丹後は大したこと無いという風に再度繰り返すと言う。

「午前中はこれをやって、午後は座学ね」若狭が面白くなさそうに予定を伝える。

「エエッ、本当ですか?」小突き回されているバロンはイヤそうだ。

「付け焼き刃とは言え、三日で仕上げるんだ。色々やっているヒマは無い」丹後が嫌味を言っていると外の戸が開いた。

「バロン君、いたいた。何してるの?」弥桜が昨日と同じ型の道着を着て入ってきた。その後ろを鬼灯の若い男の門下生が偶然を装ってついて来ているが、十人以上いるのではっきり言ってあからさまになっている。

「里の娘と違うタイプの美人だもんな」丹後がため息をつく。

「アンタもああいうのがタイプなの?」若狭が双子の弟に尋ねる。

「胸の大きい娘が嫌いなヤツはいないよ。里には美人はいるが大抵レスラーみたいな筋肉してるし」丹後がゲンナリした顔でぼやく。

「アンタ、里の女性を敵に回したわよ。後悔するから」そう言う若狭も術士のイメージからかけ離れた筋肉をしている。レスラーまで行かないが陸上競技の選手と言っても疑われない。丹後は小さい頃姉弟ゲンカして泣かされたのでその力はよく知っている。

「僕の方は精神集中の練習だって。吉野さんこそ特訓は良いの?」そんな姉弟の会話が届いていないバロンは弥桜と会話を続けている。

「私は休憩中。こっちはキズの塞ぎ方とか、剣を振って色々出す練習。学校の勉強より楽しい」弥桜のバロンに向ける笑顔が特別だと気付いた男共がざわめく。果たしてバロンは不知火城から五体満足で出られるのだろうか。

「この里に来てから小突き回されてばかりだ。吉野さんが羨ましい…」龍光から離れたと思ったらこんなところにまで来て叩かれている。そのうち痛くて仰向けにも寝れなくなりそうだ。すでに寝返りは出来そうにない。

「安心しろ、午後は座学だ。休み無しでみっちり仕込んでやる」丹後が意地悪そうに言う。

「これで何も出来なかったら骨折り損のくたびれ儲けだな。あれ?ペンタじゃないか?どうしたの?」黒猫ペンタが弥桜の肩にしがみついている。

「ああぁ、昨日、夕姫ちゃんに着替えと一緒に連れてきてもらったの。最近、ペンタちゃんがいないと良く眠れなくて…ハハッ…」弥桜が苦しい言い訳をする。

「そうなんだ。ペンタ、正式に吉野さんの家に行くかい?」バロンがそう問い掛けると猫のくせに難しい顔をする。ペンタとしてはバロンは大事だが、弥桜とは主従の契約をしてしまった。『おいしい』のはバロンなのだが難しいところだ。ペンタ的には弥桜は滑り止めなのだ。

「き、急にそんな事言われても困るよね、ペンタちゃん」そんな事を思っているとは知らずフォローする弥桜。

「あれ?ペンタ首輪しているんだ。その首輪どっかで見たような…」そんな二人?をバロンは追い打ちをかける。昨晩の‘分身弥桜’が着けていたものと同じ物なのだがバロンは思い出させないでいる。

「ど、何処にでもある普通のモノよ、ねえ」弥桜は冷や汗をかきながらシラを切る。ペンタも猫なのにうなずいている。

「ニブイな」と丹後。

「ニブイわね」若狭も同意する。バロン以外のここにいる鬼灯の一党はペンタが变化だと気がついている。知らぬは飼い主のバロンだけだ。

「そ、そうだ。せっかくだからバロン君の打ち身、習ったばかりの手当て試させて」弥桜は必死に誤魔化そうとする。

「…痛くない?」バロンは半信半疑だ。弥桜のやる事なので信じたいが。

「大丈夫。ヒイラギさんがケガ人作ってくれて、たくさん練習したから」弥桜はとんでもない事をサラっと言う。

「そう?じゃあ、おねがいします」バロンは青アザが出来ている左腕を出すが

「ううん、大丈夫。エイっ」そう言って弥桜がバロンの胸に手を当てると、そこから全身に熱いのか冷たいのか判らない爽快感が拡がった。

「…本当だ。痛みがひいた。えっアザも消えてる?」バロンが自分の体を確かめる。

「良かったじゃないか。これで俺達も遠慮なくしごける」丹後が怖い事を言い出す。

「…吉野さん、また後で頼めるかな?」


 日も暮れたころ、真田屋敷の離れの洋館で光明と三春が紅茶を愉しんでいると、真田龍光が入ってきた。

「若、少し宜しいですか?夕姫の報告にあった、富士林の同級生達の不審な欠席についてですが」龍光は三春の前で言いづらそうに話す。

「…三春も次期当主となる身だし、すでにバロン君とは面識もある。続けてくれ」光明はいつもの様に内心が判らない笑みで促す。

「…わかりました。…夕姫から入手した富士林のバレンタインのお返しリストと欠席者のリストが一致しました。バカバカしいと思ったのですが、ホワイトデーに出席していた面々もその後体調不良と言うことで欠席になった事が確認できました」

「まあ!」三春が驚く。

「だからといってバロン君のお返しのせいではないだろ?すでに欠席して貰っていない女子もいるのだから」

「はい、毒物等の件は最初から考慮しておりません。そこで猟犬の中にウチの手で呪術に明るい者を調査に加えました。彼女の報告では鼻が曲がりそうに臭いそうです」

「それでどうした?」光明が興味を惹かれた顔で尋ねる。

「一刻の猶予ゆうよもないと判断いたしまして、鬼灯の手で呪いを返す準備に入りました。しかし中継がいる様で術者本人には戻せなかったと報告が上がりました。しかし中継者が普通の人間であれば無事ではすまないかと」

「その中継者は判明しているのかい?」

「被害者の確認とリストのすり合わせの為、教員に協力を求め、欠席者全員に当たったところ、リストに載ってない欠席者が存在しました」

「そうか」

「該当者は富士林達の同級生で梅田広子と言い、家庭訪問という形で自宅に行くと惨状が広がっていました。同居していた両親の遺骸が放置され、すでに察知されたのか本人はおりませんでした」

「酷い!」三春が口を押さえる。

「警察に届ける前に彼女の自室を確認したところ…実際の写真でご覧頂いた方が宜しいかと」龍光は引き伸ばした広子の自室写真を提示する。

「…本当に酷い…」三春が青ざめる。広子の自室は壁中に写真と白いモノが禍々しい釘で打ち付けてあった。

「コレは?」光明が白いモノについて尋ねる。一見してまともなモノではない事がわかる。

「先程話したウチの手の者によるとウサギの手ではないかと。コレを用い、狗神いぬがみと言われる呪術の方法に近いものを行なっていたと推察できると。これを見て直ぐに呪詛返じゅそがえしを行ったのです」

「そうか。良い判断だった」光明が褒める。

「しかし、梅田広子の消息がわかりません。生死も。もし生きているのであれば部屋に有ったモノが全てなのか、まだ持っているのか」

「全ては彼女次第と言う訳か…バロン君の未来も彼女にかかっていると」

「はい、葛城の先代の見立ではそうなります」

「…動機は何だろう」光明は広子の凶行の理由について考える。

「どうも富士林に懸想けそうしていたようです。部屋から押収した写真のネガに隠し撮りされた被害者達とともに富士林の写真が幾枚も有りました」龍光は嫌悪感をあらわにする。

「まあ、恋の暴走ってことかしら?」三春は広子を少し哀れに思った。

「ライバルを消したところで富士林が彼女に振り向くはずも無いでしょうに」

「…弥桜君は大丈夫だろうか?」光明が弥桜の事に思い当たり心配する。

「自分の推測ですが梅田広子は吉野弥桜に気付いていないのではないでしょうか。彼女は強い力で守られており、直接にでも攻撃されなければ大丈夫だと思いますが、もし呪術の目標になっていれば、これだけ強力な呪詛を掛けられて全く影響が無いとは思いません。実際、梅田広子の部屋からは吉野弥桜の写真やそのたぐいのものは出てきませんでした」龍光は現状では弥桜は目標になっていないと言う。

「…わかった。梅田広子の捜索の続行と弥桜君の身辺に警戒を強化してくれ」

「龍光さん、ご苦労さまでした。…私、吉野弥桜さんともお話ししたい」三春がバロンにしたようにお茶に誘いたいらしい。

「また今度お願いしてみよう。今回はもう時間が無い。大丈夫、彼らとの縁は三春が思っているより、ずっと強いはずだ。…下着も譲ったんだろ?」

「まあ、お兄様ったらどこで聞きつけたのかしら。まったく里の人は油断も隙もない」三春が頬をふくらます。そんな姿もカワイイと男達は思った。

「彼らは今、鬼灯のところで術の特訓中です。吉野弥桜はかなり見込みがあるとヒイラギは申しております」

「まあ、バロンさんは?」

「彼は中の下か、下の上くらいですか。一般人より少しマシと言った程度でしょう。良くその程度で星辰の剣が使えるのか自分にはわかりません。剣技についても里の小学生レベルでした」龍光は臨時の弟子に辛辣しんらつだった。

「彼はね、例え百分の一の確率でもそれが不可能でなければ何回でもおこせるんだ。星辰の剣も彼に少しでも使える可能性が有れば使いこなすさ」光明はバロンを買っている。

「その星辰の剣ですがヒイラギが吉野弥桜に持たせたところ励起して、力を発揮したようです。富士林の様にまぐれでなく。自分は吉野弥桜が星辰の剣を振るっても良いのではないかと思います」

「それは後々考えよう。今は彼らを死地に送り出すに当たってどれだけ支援してやれるかだ。タツ、悪いがもう少し面倒をみてくれ」

「若がそうおっしゃるなら」

「私からもお願いします、龍光さん。あの子達とは良いお友達になれそうな気がするのです。私の我儘わがままかもしれませんが、太刀守の里の名にかけて二人を守ってさしあげて」三春は龍光にニッコリ笑いかける。龍光は自分でも単純だなと思いつつも、この笑顔の為ならば何でもできそうな気がした。


 21


 梅田広子は家を飛び出し、ホームレスを装い、身を潜めていた。今は河川敷にある廃材で出来た囲いの中にいた。雨露と風が何とかしのげる、本当に囲いだ。多少外よりマシといった程度だ。元の主にはあの世に行ってもらった。両親さえ手に掛けたのだ、赤の他人など一顧だにしない。もう心も人としてのナニかを無くしてしまっている。もう自分が何の為にこんな事をしているのか、わからなくなっていた。

 邪魔になった両親をテレビのスイッチを切るように最期に手に入れたモノで片付け、しばらくすると電話が鳴った。多少ドキリとしたがまだ驚く感情が残っていたのかと自分に笑う。電話に出ると

「…早くそこを出ろ。オマエの敵が来るぞ…」女の声で名乗りもせず、それだけ言って切られた。

 何故かわからないが、胸騒ぎがして最低限の身の回りのモノを持って家を出た。

 両親の亡骸は片付けようとは思わなかった。家を出て最初に向かったのは近くのマンションの屋上だ。小さい頃遊び場にしてカギが壊れているのを知っている。そこからは自宅がよく見えた。しばらく見ていると警察官が私服警官だろうか、スーツ姿の女性を伴い自宅に入っていく。そう言えば、もうどうでも良かったのでカギは掛ける事を気にも止めなかった。しかし電話の警告通り、敵がやってきた様だ。

 もしかしたら自宅に踏み込まれる前は敵ではなかったかもしれないが、変わり果てた両親を見れば敵になるだろう。いや、こんな事をした広子自身が社会の敵になってしまったのだ。

 その後、人目を避けるようにこの河川敷に来たのだった。食料や、呪詛に必要なモノは何故か目に付くところへ置かれており、よく考えればおかしな事ぐらいわかりそうなものだが、すでに人間らしい思考を捨ててしまった広子にはどうでも良い事だった。

 ホームレス同士は極力不干渉らしくて、あまり詮索されないが、一度広子が若い女性だと知った男達が、徒党を組んで襲ってきた。しかし届けられた強力なモノを使って返り討ちにした。

 小瓶に入った黒い液体は通販の案内以上の効果を発揮し、浴びせられた三人の男達を黒い水溜りにしてしまった。その時に発生した強烈な悪臭を広子は心地良いと感じていた。翌朝、目が覚めると食料とともに、新しい小瓶が届けられていた。広子はもう、次にいつ使えるか堪らなかった。


 22


「お世話になりました」迎えに来た龍光と夕姫と一緒にバロンと弥桜が無事、不知火城を出られたのは三日目の日も落ちかかった頃だった。

「よう頑張った。弥桜、修行を続けたければ何時でも来るがええ」ヒイラギが弥桜の帰還を惜しんだ。孫達の嫁候補としてもそうだったが、良いところを見せようとして、この三日間、男の門弟達の上達がはかどった。

「ミオちゃん、本当に帰っちゃうのかのう?」事ある毎に弥桜にセクハラを繰り返し、ヒイラギや孫達に力ずくで止められていた眩一が名残惜しそうだった。

 バロンは命の、弥桜は貞操の危険を感じないでもなかったが、二人共得るものは有った。

 バロンの方は怪との戦闘中に使える小手先の技を中心とした術を習得出来た。

 弥桜の方は今まで使い方を知らなかった自身の能力の使い方を知り、バロンに使用した癒やしだけでは無く、お務めに関係ない彼女に必要とは思われていない攻撃術まで教わった。

「確かに僕はついでみたいなものだったけど、随分対応に差があるなぁ」また来いとは言われないバロンだった。

「…それにもしかして吉野さんの方が僕より全然強い?」

「何だ。今ごろ気が付いたか。こと術士としては彼女の方が上だ。人気もな。野郎はお呼びじゃない」辛辣な丹後の評価だった。

「あら、そんな事無いわ。女の子達には人気あるのよ、富士林君。こんなにルックスが良いんだもの。里の筋肉ダルマと違ってスマートだし。どう?お務め終わったら私と付き合わない?里に住んでくれるなら、養ってあげるわよ」若狭は意外にバロン押しだった。

「…ご、ご遠慮申し上げます」特訓中のあしらいを思い出し首を振るバロン。

「そう、残念ね。気が変わったら何時でも来ていいのよ」若狭は本当に残念そうに言う。

「バロン君、もう行こう」弥桜がバロンの手を引く。何故か語気が強い。

 バロンは調整済みの星辰の剣の箱を受け取り、龍光の四輪駆動車に乗り込む。

「やっぱり師匠の方が気が楽だ。術というのはなんか曖昧で手応えが感じづらい」バロンはせいせいしたというようにぼやく。

「そうか、では帰ったら早速特訓だな」龍光は容赦無い。

「弥桜ちゃんはウチに戻ってゆっくりしていいのよ」夕姫は弥桜をねぎらう。 

「…僕も疲れを取りたいなぁ」バロンが羨ましそうにする。

「そうだな。夕姫、凰の風呂入って行っていいか?」


 バロンと龍光は夕姫の家で風呂をいただいてから真田屋敷に戻って行った。後で夕姫と凰三雀達と風呂に入った弥桜が、バロンの入った後の風呂にドキドキしたのは秘密だ。


 バロンが龍光の予告通り、稽古でまた汗をかいた後、客室に戻ろうとすると廊下に見知らぬ青年が立っていた。

「突然失礼するよ。始めまして、師条光明と言います。君には三春の兄と言った方がわかり易いかな。僕も君とお茶したいんだ。疲れてるところ悪いが付き合ってくれるかい?」光明はそこの見えない笑顔で言った。

「ええ、是非とも。僕も貴方に聞きたいことがあるんです」


 以前、三春とお茶を飲んだ部屋に通され、犬神の妹の朝顔が淹れてくれた紅茶を前にする。

「僕の趣味は妹と多少違うかもしれないが、こちらの方が頭がスッキリする」光明はお茶を勧める。

「ありがとうございます。失礼かもしれませんが、こちらから質問していいですか?」バロンは紅茶に口をつけて、恐る恐る会話を始める。バロンにはこの光明という人がどんな人か全くわからなかった。三春は心を開いてくれている感じはしなかったが、心根はいい人だと感じた。しかし光明という人が善人なのか悪人なのかさっぱり想像がつかなかった。

「どうぞ何でも質問してくれよ。ええと、バロン君と呼んでいいかな」

「どうぞバロンと呼んでください。では単刀直入に…この里は何なんです?最初に来た時から思っていましたが、落ち着いて考えると何の為にこんなに武闘派の人が集まっているのか、単に怪を駆逐くちくする為ではない気がしてきました」バロンはこの太刀守の里についての疑問を投げかける。

「…本当に単刀直入だね。そう、怪狩りは僕のご先祖が始めた事で、本来の里の目的では無いよ。若手の養成と発掘を兼ねているだけで、大人で続けている里人は少ないよ。優秀な君達には失礼に聞こえるとは思うが。…笑わないで聞いてくれよ。この太刀守の里は来たるべき最終戦争に打ち勝つ為にチカラを蓄えているんだ」光明は笑顔を引っ込め真顔になった。

「最終戦争?核戦争とか?」バロンは信じられない事を聞いた顔をする。

「いいや、神々の戦いさ。確かに突然そんな事を言われたら信じられないとは思う。里でもこの事を知っているのは一握りだ。恐らく君の友人の輝虎君、夕姫君も聞いていないと思う。里の大部分の人々は、昔からこうしているからこうなんだと漠然とこの特殊な環境で暮らしていると思う」

「…隠しているんですか?」バロンは輝虎、夕姫の顔を思い浮かべた。

「隠している訳じゃない。覚悟ができている者だけが知るべきだと思っているし、彼らの親達は知っている。その人々が話していなければ、まだ聞くべきだとは思われていないのだろう」

「何故僕には話したのですか?」バロンは訝しむ。

「君には同志になって欲しいから話した。正直に言おう。確かに隠し事はあるが、君を陥れる事はしないと誓おう。全ては我等が一党の悲願成就の為。その為に君が必要なんだ」

「…僕ですか?僕は輝虎君や夕姫さんの様に怪を叩き伏せられないし、龍光師匠みたいな技量も無いですよ」

「君には君のチカラがある。先の河童の件もあの二人では解決出来なかったろう。君には僕の先祖の様に怪に対しても慈悲の心がある」光明は笑みを浮かべる。それを見てバロンはこの人は信用できると思えた。

「わかりました。僕にできる事でしたら協力いたします。…もう一つ聞かせていただけますか?」

「なんだい?」

「…怪って何なんです?」

「これはまた核心というか抽象的というか。…そうだね、僕は人間のエゴから生まれた歪みだと思っている」光明は苦笑して言う。

「人間のエゴの歪みですか…」バロンは考え込む。

「想像してご覧、君が遭った怪の中に人類が発生する前にいても違和感の無いヤツがいたかい?」

「…そうですね。いないかもしれない」確かに鉄鼠や針の怪、黒い山神等、人間がいなければ現れなかっただろう。恐竜が闊歩している時代に彼らがともに暮らしているなど考えられない。

「君達が倒したという黒い山神、それなんかは典型だ。人間の都合で神に祀り上げられ、要らなくなったら打ち捨てられた。その結果が人間社会への反動だ。他の怪も事情は多々有っても人間のエゴから生まれているのは変わらない。言い方は悪いが君達が行っているのは誰かの後始末だ。しかし誰かがやらなければいけない」光明は皮肉っぽく言った。

「…そうですか」

「辞めたくなったかい?」

「いえ、怪の正体がはっきりしたので迷いが消えそうです。生涯続けるかはなんとも言えませんが、お務めの任期までは全うします。…僕が必要な理由は怪絡みでは無いのですね?」

「そうだよ。君達も会った葛城の先代が預言した人物が君だった。これから非常に辛い事が有ると思うが、君には絶対に生き延びて欲しい。そして同志になって欲しいんだ」


 山から降りてきた輝虎は思い悩んでいたことを虎光に切り出した。

「光兄、あの貰った柄の件だが分割しても良いか」輝虎は牛頭戦で虎光に貰った二間の戟の柄を短くしたいと思っていたのだ。鍛鉄製の大業物だがあのままではお務めにも使いづらい。

「…やっぱりそうなるか」虎光は残念そうに言う。

「あれ程の大敵もそうそう出るとは思えないし、使ってやれないのも、もったいないし」輝虎は済まなそうに言った。

「わかった。その件は俺が責任持ってなんとかする。確かにやり過ぎたとは思わないでもなかった」

「ありがとう。助かる。恩に着るぜ」輝虎はホッとした。最悪ぶん殴られるかと思っていたのだ。

「明日にでも岩崎に頼みに行くか。ちょっと俺でも気が重いな」岩崎は長老に名を連ねる鍛冶士の一党だ。輝虎達の装備も岩崎で造られている。ただ気難しいのだ。気が乗れば必要以上に注力するし、気が向かなければ相手にもされない。いつも豪快な虎光の顔が少し憂鬱そうに見えた。


 夕姫は少し驚いていた。悲しい程成長が無かった胸が少し大きくなっていることに気がついた。下着がキツくなったのだ。太ったのかと思ったがウエストは変わっていなかった。姿見の前に立つとわかる、確かに大きくなっている。そこへ

「夕姫ネエ、大変だ。私、胸が大きくなった」翡翠が飛び込んで来た。慌てて胸を隠しTシャツを羽織る。

「な、なによ、急に?」動揺を隠して言う。

「夕姫ネエ、私、胸が大きくなったの。毎日サイズのチェックをしているんだけど、夕姫ネエが帰ってきてから胸が大きくなり始めたの。最初は誤差だと思ったんだけど間違いないわ、大きくなってる。嗚呼、これ以上キレイになったら私どうしよう?」ナルシストの翡翠らしくボディチェックを欠かしていないらしい。とすると他の妹達もか?温泉のせいとも思ったが、妹達が温泉に入り始めたのはもう少し前からだ。バロンのチカラで胸が大きくなるとも思えない。その時脳裏に電撃が走ったように気が付いた。弥桜だ。バロンの温泉に弥桜が浸かった上、よくお風呂で触らせてもらっている。胸からエキスが出ているとは思えないが、何らかの効果があるのだ、きっと。

 夕姫は自分の部屋を飛び出し、自分の考察が正しいか確認する為、紅と瑠璃を探しに行く。


「そうですね、少し膨らんだかもしれません。これでママや姉さんの様にならないで済みそうです」紅はひどい事を言うが大きくなっているらしい。


「キャハハ、オッパイ?うーん、大きくなったかも」覗き込む瑠璃だったがわからないというので触ってみる。フム、確かに自分がこの歳の頃より有る。すると夕姫の考察は正しいのかも知れない。

 差し当たって下着を買い直さなければならない。萬屋でカバー出来る程度だが。そしてこの里に居る間だけでも弥桜と一緒にお風呂に入らねば。乳神様を見つけた夕姫はウキウキだった。


 23


 里からアパートへ戻る日が来た。

 バロンは散々龍光に特訓三昧だったらしい。身体中にアザを作って、弥桜に手当てしてもらっている。

 輝虎は何とか竜宮流の型を修め、下山出来たらしい。

 夕姫も在宅中は師の母親から指導を受け、お務めが終わったら範士を授与してくれることを確約したらしいが、それ以上に機嫌が良い。あまりの事に輝虎は気味悪がった。

「アイツ、どうしたんだ?」弥桜にコッソリ聞いてみる。

「なんかねぇ、胸が大きくなったらしいよ」弥桜が恥ずかしそうに言う。輝虎が何気なく夕姫の胸を見るがわからない。

「アレ、ユキねえ、なんかキレイになってない?」バロンが声をかける。

「あらバロン、わかるぅ?」ウフフと上機嫌な夕姫だった。それを見てゲンナリする輝虎だったが夕姫の機嫌が良いのは悪くない。

 弥桜は滞在中、何故か懐いた凰の三雀達と稽古と称し、小太刀の練習をしていた。時々道場の端を使って春季祭の為、神楽の練習をすると凰の門下生達が見とれていた。幸い凰道場は女性専門だったので取り巻きは発生しなかったが。

「帰ったら祭の準備だ」弥桜は張り切っている。

「私も手伝うわ。テルもバロンも手伝わせるから」すっかり仲良くなった夕姫は白桜神社の春季祭の手伝いを申し出る。

「それじゃあ引き上げるぞ、…何だオマエ居たのか?」犬神がバンに乗り込もうとすると、ペンタが真っ先に乗り込んでいた。ペンタも里での生活を満喫していたらしい。アクビをしている。

「ペンタ、元気だったか?最近吉野さんとばかりいるから」バロンはペンタを持ち上げて膝の上に乗せる。

「また来れると良いなペンタ」

 帰りは何事も無く白桜神社とアパートに辿り着いた。


 広子の元にいつもの食料と小瓶とともにマントが置いてあった。何故か禍々しい模様が配されているマントを羽織ると人に気付かれなくなるらしい。マントをまとった広子の異様な風体を誰も気にしなくなった。お陰で寝床をもっと快適な場所に変える事が出来たし、食べたいモノを手に入れる事が出来た。

 そうだ。今は春休みだが新学期が始まったら学校に行ってみよう。


 白桜神社の桜はチラホラ咲き始めており華やかな様子だった。境内は祭の準備で賑やかだった。雪桜が忙しそうに業者に指示している。となりで弥桜が帳面を持って補助している。

「お手伝いに伺いました」夕姫が声をかける。

「ありがとう。ホント、ネコの手でも借りたいくらいなの」雪桜が苦笑いする。

「そう言うと思ってネコ連れてきました」バロンは抱いてきたペンタを見せる。

「ペンタちゃん、おはよう」

「…あら、こうなっちゃたの」雪桜は弥桜に視線を送ると弥桜が目顔で母親に合図を送る。

「まあ、なっちゃったことは仕方がないわね。良いわ、後でしっかり話を聞くわ。じゃあみんな手分けして貰うわよ。夕姫さんは私達と一緒に内向きの仕事と事務、男の子達は外の手伝いをしてくれる?」雪桜はテキパキと指示して振り分ける。弥桜の父親もいるはずだが影が薄い。

 バロンと輝虎は誘導路の整備や標識の設置などを手伝い、一日が過ぎた。

「何とか形はついたわね。いよいよ明日から春季祭よ。弥桜も準備大丈夫?」雪桜が出掛けていた娘を心配する。

「大丈夫。…バロン君、アレ本当に借りて良い? 」

「ウン、良かったら使って、アレもきっと喜ぶよ」

「母さん、神楽で使う剣、バロン君に借りたもの使いたいんだけど良いかな」

「霊剣ねえ。貴方本当に使えるの?」雪桜はにわかに信じ難く娘を疑う。

「大丈夫、旅先で練習したから」まかしてと弥桜。

「俺、約束通り演武しますが、槍では無いんです。戟と言って三叉の武具なんですが、先日範士を受けまして」槍の演武で無いことを申告する輝虎だったが

「あら、凄いじゃない、その若さで!なおさら期待しちゃうわ。それどころか来年の心配しちゃう、観覧希望者が殺到したらどうしましょ?」雪桜は来年以降もヤレと言ってるのだろうか。さすがに抜け目ない。

「母さん、笹伏さん困ってるよ。…ギャラ次第かな」娘もしっかりしている。

「とにかく、明日の本番よろしくね。弥桜もしっかりやるのよ」

 当たりは薄暗くなったが、今日一日、陽気が良かったお陰で名物の白い桜も八分咲きとなっていた。

「明日は楽しみだなぁ」弥桜の正式な神楽や、習ったばかりと言う輝虎の竜宮流の演武を今から期待するバロンだった。当日は特別席で見せてもらえるそうだ。


 輝虎が自前の道着と三叉戟を準備した。道着は黒かと思っていたが、よく見ると真っ黒に見える濃紺だった。黒潮の色らしい。戟の方は虎光の手配で分割された柄に大業物の鬼鯱を仕立てている。大きく見えるが舞台では映えるだろう。

「しっかりやんなさいよ。特等席で見ててあげるから」夕姫が輝虎の尻を叩く。

「オウ、今までで一番のヤツ見せてやるからなハンカチ、いやタオル用意しておきな」輝虎も自信たっぷりだ。聞けば里に滞在中、ずうっとこの日の為に師匠に稽古をつけてもらったらしい。大きな身体がなおさら大きく見える。夕方から始まる演武と神楽を見にすでに境内はいっぱいだ。もう関係者席でなければ遠くで見るようだろう。バロンと夕姫は舞台真ん前の雪桜と弥桜が座る特別席の隣に座る。お囃子はやしが鳴り始め、輝虎が舞台に勢いよく飛び込んで来る。照明に戟の穂がギラリと光る。最初から圧倒される迫力だった。バロンは学校で槍の演武を見ていたが、これに比べれば児戯じぎに等しいと思った。舞台を縦横に飛び回り、鋭く戟を振るう様は武運を司る神への奉納に相応ふさわしかった。観客は息を呑み、辺りはお囃子と輝虎の踏み込む足音だけが響く。

「ユキねえ、これ」バロンに差し出されたハンカチを見るまで夕姫は自分が涙を流していることに気が付かなかった。まさか自分が輝虎の演武でこんな事になるとは思っていなかった。イヤだ、目の周り赤くなっていないだろうか?こんなところ輝虎に見られるのは絶対に避けなければ。

 輝虎の演武が終わって一拍おいて拍手が湧き上がる。

「…想像以上だったわ。これはなんとしても来年以降もやってもらわなくっちゃ!」観客の喝采に雪桜は来年の算段をする。

「スゴイ、スゴイ!アレの後はやりづらいなぁ。まあでも今回は新兵器があるから大丈夫か」無邪気にはしゃぐ弥桜だったが、自分の神楽にも自信が有るらしい。


 控え室で神楽の衣装に着替えた弥桜は、今までと違い化粧もしていた。もうどこから見ても非の打ち所がない神楽の舞手だ。特別に通してもらった夕姫が感心する。

「弥桜ちゃん、すごくキレイ。憧れちゃう」夕姫はハトコがすごく大人に見えた。

「夕姫ちゃん、まあ見てて。一世一代の舞を披露してあげるから」口を開けばいつも通りの弥桜だったが、今日は自信たっぷりだ。

「…やっぱり、バロンが見てるから?」夕姫はからかうが

「そうだね。バロン君にも良いところを見せないと」弥桜はバロンの観覧を忘れていたらしい。さすが神社の娘、職業意識が高い。

「じゃあ、頑張ってね。応援してるから」この後の社務所の手伝いの為、自身も巫女の装束に着替えた夕姫が客席に戻っていく。

「…ヨシ!やるぞ~」星辰の剣を握った弥桜は舞台に向かう。


 いつも通りのはずが、いつも通りでは無かった。普段はふわふわとした印象の弥桜が、今日ばかりは違って見えた。化粧をし、星辰の剣を持つ姿は神性が増して見えたし、正式な舞台の上では完璧に整えられた環境なのだろう、弥桜が現れただけでバロンは背筋がゾクリとした。

 すでに星辰の剣は淡く光っていたが、お囃子が始まり神楽を舞い始めると更に輝きが増す。

 神楽の師である雪桜から見ても、今日の娘の神楽は神懸っている。やはりバロン達について行かせて正解だったようだ。チカラのほとんどを失った今でも、神さまが歓喜しているのがわかる。今日の参拝客はいつになく強力なご利益があるだろう。それにしても今日の弥桜の舞は素晴らしい。手足の先まで気が行き渡っている。舞自体は言いたい所もあるが、最盛期の自分に比べても遜色ない。

 観客は輝虎の演武の時は息を呑んで静まり返っていたが、今は見とれてほうけている様に見える。連れて来られた赤ん坊さえも泣き止んで注視している。

 舞台の上では星辰の剣がまぶしい程に輝きを増している。恐らく観客は造り物だと思っているだろう。どうやって光らせているのだろうと首をひねる者もいたが、まさか霊剣を振るっているとは思わなかった。神楽が終盤に差し掛かると直視できない程輝き、舞台上は真昼のようだ。境内の真っ白な桜も剣の光を受け、輝いている様に見える。

 とうとう観客の中には手を合わせ、おがみ始める者も出始めた。弥桜は最期に振付には無いが、星辰の剣を高々と掲げ、剣に蓄えられたチカラを放出した。あまりの光量に周囲が真っ白な光で塗りつぶされる。そして星辰の剣は瞬く間もなく光を失い銅剣に戻る。驚いたお囃子が止まった為、白桜神社は静寂に包まれる。まるで時が止まったようだったが直ぐに拍手と大歓声に包まれる。

「…すごい…生きてて良かった」変な感想を漏らすバロンだったが、誰もおかしいとは思えない程の圧倒される神楽だった。

「さあ、これからが我々の戦いよ」雪桜が気合いを入れて社務所に向かう。御守りの授与は演武と神楽の間は休止していたが、きっとこれから大挙して押し寄せるだろう。夕姫とバロンも手伝う事になっていた。


 …戦争だった。演武と神楽に感動した参拝客が御守りを求めて殺到し、弥桜の父の大三や輝虎がやっとの思いで列を整え、雪桜、バロン、夕姫の三人で迎え撃った。春季祭の限定御守りが無くなった後も、御守りが全て無くなるまで列は途切れなかった。バロンと夕姫は営業スマイルがすり減って引きつってきそうだったが、雪桜は心底微笑んでいるようだった。雪桜の頭の中は来年のお祭りをどうしようか、それでいっぱいだった。

「大丈夫?交代しようか?」着替えて化粧を落とした弥桜が声を掛けるが

「疲れたでしょう。そこに座っていなさい」雪桜に指示される。もし、今弥桜が窓口に着けば参拝客がそちらに殺到するだろう。そのことも考え雪桜は窓口に着かせない。

「どうしても手伝いたいなら、本殿に行って見える所に座ってなさい」…確かにそうすればお賽銭の額が増えるだろう。雪桜は抜け目ない。


 24


 後日、お祭りは終わったが白い桜を見に訪れた参拝客の中にこんな事を訴える人がいた。

「神楽を見たら慢性の腰痛が止まった」とか

「子供の夜泣きが止んだ」とか

「医者に見放されたガンがいい方に向かっている」等極端な話まで出た。

 新聞の地方紙の取材まで訪れ、白桜神社は一躍有名になった。テレビ局まで来て取材を申し込んできたが、神事に関わることなのでと雪桜が断った。


「ウチの桜、キレイでしょ」片付けの手伝いに来たバロンに弥桜が話かけた。白い桜はところどころ風に吹かれて花びらを散らし始めている。雪の様なその様子はとても幻想的だ。

「ウン、でも吉野さんの神楽の方がキレイだったよ。多分、一生忘れられない」バロン以外の男が言ったらぶん殴られそうな気障きざなセリフを言う。

「そんなぁ、でもありがとう。とっても嬉しい」弥桜は恥ずかしそうに感謝を述べる。そんな二人を見て夕姫は自分の事は棚に上げ、じれったいなと思った。

「明日から新学期だね。勉強進んだ?」

「…それはあんまり聞かないで…」弥桜は痛い所を突かれた顔をする。

「クラス替えどうなるかな。吉野さんと一緒になれると良いなぁ」

「ウン、私も」

 後ろで夕姫が(そこでガバっとイケ!ブチュっとイケ!)とこぶしを握り、心の中でけしかけるが届かないようだ。そんな様子を更に後ろで見ていた輝虎は夕姫が何を考えているのかわかって辟易していた。


 白桜神社での手伝いが終わり、雪桜からびっくりする様なお礼を貰って三人と一匹がアパートに戻ると、駐車場にもう見慣れた四輪駆動車が停まっていた。

部屋に戻ると真田龍光が待っていた。

「犬神さんに合鍵は借りた。君達に届け物があってね」三つの手提げを渡す。

「新しい制服だ。当面はコレを着て過ごして欲しい。事務局からの正式な指示だ。それから君達の生活を観てくるように言われている。犬神さんの様にこのソファーで構わんから気にしないで生活してくれたまえ」そう言って読みさしの本をとってソファーに座る龍光だった。確か龍光も大学が有ったはずだが良いのだろうか?

 外で食べてきたバロン達は制服を受け取り、自室に入る。龍光は十分顔見知りだが気心が知れない人間が居るのは落ち着かない。ペンタも普段行かない夕姫に付いて行った。


「アンタ、私じゃイヤなんじゃ無かったの?」夕姫が不機嫌そうにペンタに問う。

「…仕方なかろう。あやつは物騒な気を放っておってな。おちおち寝ておられん。こんな事ならミオのところに残っておれば良かった。…それに見たところ寝心地は改善されたらしい」夕姫の胸を寝心地で評価しているらしい。

「そ、そう?じゃあ良いわ泊めてあげる」夕姫は満更でもないようだった。夕姫は里に滞在中に2サイズ大きくなった。戻ってお店で確認したので間違い無い。ご利益が切れて元に戻ることも無いようだ。別れ際、母の茜がまじまじと夕姫の胸を見て不審がったが、見栄を張ってパットなんて入れてない。今後も機会をうかがってご利益に預からなくては。

「でも、クワトロがいるならその辺で寝るから良いぞ」クワトロはホワイトデーに輝虎から貰った大きなクマのぬいぐるみだ。里には持って帰らなかったが普段は抱いて寝ている。

「だ、大丈夫よ。さ、寝ましょ。明日から学校なんだから」夕姫はこの言葉を後悔する。ペンタを乗せて寝ると、しっかり化け猫の夢にうなされた。


 梅田広子は横浜市内のホテルのスイートにいた。連泊の客と入れ替わったのだ。本来の宿泊客はカーペットのシミになってもらった。ベッドは気持ち良いし、食事はルームサービスで好きなモノを頼めた。どうせ支払いはあの世に行ってもらったシミの主だ、支払えればだが。

 暑さ寒さ、それに羞恥心まで感じなくなった広子は裸で過ごしていた。

 暇つぶしに大画面のテレビでニュースを流していると、明日が新学期だとわかった。

 すると突然部屋に据え付けて有る電話がなった。

 恐る恐る、まだこんな感情が残っていたかと苦笑しつつ、受話器を上げると

「明日、7時にホテルの前の黒いバンに乗れ。学校に送る」家に敵が来ると警告してきた声で一方的に告げられ切られた。監視されていると思うと面白く無いが、学校までどうやって行こうか考えていたのでせいぜい利用させてもらおう。


「いよいよ大詰めね」香港の何処かにある玄室でアルはエルに話しかける。

「ええ、これだけ仕込みに手間がかかったのだから、成功してもらわなければ」エルの声には連日の儀式による疲れが滲んでいる。

「それで哀れなお嬢さんはどうしているの?」

「彼女は自分が呪っているうちに、自身が呪いそのものになってしまっているわ。彼女に渡している小瓶が猛毒だと思っているようだけど、アレは触媒で呪いの本体は彼女自体よ」エルはすでに広子が人間を辞めてしまった事を示唆する。

「そう。今回こそは成果を上げてちょうだい」アルは広子の運命には興味無いようだった。


 新しい制服は以前の物より軽く作られていたが、非常に強靭に出来ていた。そのブレザーに袖を通して夕姫は朝食を作る。

「…お前達、いつもこうなのか?夕姫、良いのかこれで?」後ろで見ていた龍光が夕姫の朝食造りに疑義を呈する。

「…良いとは思わないけど、私も出来る事ならおいしいご飯を食べたいし」夕姫が包丁を持ったまま答える。男達の料理は問題が有ると暗に伝える。輝虎の料理は大雑把だし、バロンのレパートリーは多国籍料理だ。夕飯ならまだ良いが、朝食は調子が狂う。

「そうか。まあ良い。どうせ俺は外野だ」龍光はこれ以上、口を挟まなかった。しかし出てきた食事の量を見て黙っていられなかった。

「お前達、朝からこんなに食べるのか?俺がいると言っても十人前以上有るぞ」龍光は驚いて言わずにはいられなかった。バロンは目をそらす。バロンは里の人はみんな大食なのかと思っていたが、真田屋敷や不知火城では普通の量の食事が出たので不思議に思っていたのだ。

「凰や笹伏では普通よ。真田がおかしいんじゃない?」夕姫はそう言うが、ここに至って輝虎も目をそらす。常識がおかしくなっている。

「さあ、お腹すいたな。早く食べよう」バロンが空気を読んでか読まないのか食事を促す。

 結局、グルメな夕姫が選んだ食材やお新香の朝食は龍光を満足させた。


 登校の為、出掛けようとすると龍光がもう一つ手提げを夕姫に差出し、

「吉野君の分だ」

「弥桜の?弥桜に危険が及ぶの?」夕姫の疑問に答えず

「念の為だ。今日からしばらくコレを着て貰ってくれ」龍光がなんの感情も読み取れない表情で言う。夕姫が中を除くとブラウスまで入っている。夕姫は思うところもあったが手提げを受け取る。

「じゃあ私、先に行くから」夕姫はバロン達をおいて白桜神社に向かう。弥桜に着替えて貰わないといけないので急いで出掛けた。


「びっくりしたよ。何も言わずこれに着替えてって、夕姫ちゃん来たとき。サイズもピッタリだったし」真新しい制服に身を包んだ四人は新学期の学校に向かう。

「ごめんね、急で。でも弥桜ちゃんに何かあったら私どうしたら良いか。念の為よ、念の為」夕姫は心配させない様に念の為を強調する。しかし内心ではこのハトコの身に危険が近づいているのではと疑っている。龍光は何か知っているようだが決して口を割るまい。こうなった以上、自分と輝虎で弥桜を守り抜くしかない。


 今日も天気が良かったので、クラス分けの名簿は校庭に貼り出された。

「あった!…えーと、夕姫ちゃん、…バロン君、…笹伏君!みんな一緒だ!」弥桜が同じクラスの名簿に四人の名前を見つける。夕姫はもっと遠くから見つけていたが、どうも里の作為を感じていた。


 黒いバンに乗せられてきた広子は裸身に隠形おんぎょうのマントを羽織って小瓶のみを持って校門を潜っていた。

 二年生のクラス分け名簿を一応見たが、不行状が伝わったのか、広子の名前はどこにもなかった。途端に興味を無くした。しかしどこにも行かなかった。もう理由も忘れたが富士林君に会わなければと思った。今更会ってどうするのか、もうわからなかったが、とにかく一目見てから考えれば良い。

 マントを羽織った異様な風体の広子に誰も気付かなかった。

 しばらくするとバロンが登校してきた。隣にかわいい女生徒がいた。広子のリストには載っていなかったがアレは確か神社の娘のハズだ。随分バロンと親しげにしている。あ、いま手を握った。…ゆるせない、広子は弥桜達の後を追った。


 弥桜は先程、興奮してバロンの手を握ってしまい舞い上がってしまった。新しい教室に向かう廊下も真っ赤になってうつむいていた。

 バロンは何故か落ち着かなかった。戦場も歩いた経験からの虫の知らせかもしれないが、ソワソワしていた。後ろが気になったが、振り向いてはいけないとかんがいっていた。


 広子はマントを羽織ったまま、弥桜達に付いて行った。廊下は絶好のチャンスだった。後ろから小瓶の中身をぶちまけ、あの女をシミにしてしまおう。



 輝虎もさすがに違和感を感じ、それとなく背後を意識したがバロンと弥桜の気配しか感じない。しかし何かがおかしい。思い切って振り向くとそこに忽然こつぜんと裸の女が現れた。

 手には武器らしきものは持って無かったが、怪しげな瓶を持っている。輝虎の勘が告げる。絶対にあの瓶が危ない。

 その時、里で光明に言われた『君の友人のバロン君がもうすぐ大きな災難に見舞われるのだけれど、それをあえて回避しないで欲しい』という言葉を思い出し、一瞬硬直する。

 逆に振り返った輝虎の表情に、何かを察知したバロンが広子に振り返る。広子はニタリと笑ったまま、弥桜に小瓶の中身を投げ掛けようとする。

 そこへ颶風ぐふうの様に何者かが殺到する。龍光だ。振り返った夕姫の目には、龍光が太刀で広子の瓶を握った右手を断ち、返す刀で首を切り落とした。しかし鬼の執念か、小瓶の中身が弥桜に迫る。

「危ない、弥桜ちゃん」バロンが叫んで弥桜をかばう。

「ぐわぁッ!」バロンの制服に小瓶から放たれた黒い液体が数滴付いた。その途端、白煙が上がり、雪桜から貰った腕輪の御守りの数珠が飛び散った。信じ難いが夕姫の目には真っ白だった数珠玉がみるみる黒く染まっていくのが見えた。

「バロン君?バロン君!」倒れたバロンに弥桜が呼び掛けるが死んだように動かない。

「ヤダ!バロン君!死んじゃダメ!」弥桜の絶叫が廊下に響く。








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