第3話 水辺の幻想

 序


 白いバンが街灯もまばらな田舎道を疾走する。対向車がいないから良いものの、はたから見たらイカれた若者の無軌道な暴走に見える。

 しかしその後を世にも奇妙なものが追いかけていく。骨だけの犬のようでもあり、透明な馬が包帯を巻いているようでもある。とにかく中が無い。顔に当たる部分も申し訳程度に丸い穴が空いているだけで、目としての機能が有るのか無いのかすらわからなかった。

 わかる事はそのスカスカが白いバンを追いかけ、もう何度もかじっている事だ。

 バンの後ろは傷だらけでテールランプは壊れてすでに点かない。

 バンには犬神いぬがみの運転でバロンのチームの三人が乗っている。

「犬神サン!もっと速く!」後部座席からバロンが叫ぶ。その瞬間にも車体後方から衝撃が走る。

「無理だ!これ以上出したら畑に落ちるか、何かにぶち当たっちまう!」犬神も前のめりで必死の形相でハンドルを握っている。幸いまだタイヤが傷付いて無いのが幸いしている。パンクして走行不能になったら一巻の終わりだ。輝虎てるとら夕姫ゆきは後部座席の更に後ろの貨物スペースに潜り込み中腰で後ろをうかがっている。

「とにかくこのままじゃ、イテ!ジリひんだ、なんとかしないと」バンが弾んだ瞬間に輝虎が頭を天井にぶつけながら叫ぶ。シートやグリップを掴んでいるが、跳ねる車内で体をさっきからぶつけている。

「じゃあどうすんのよ!」輝虎の隣でやはりねる車内で悪戦苦闘あくせんくとうしている夕姫が叫ぶ。叫ばないと騒音に満ちた車内では聴こえない。

「こうするのさ!」そう言って輝虎は観音開かんのんびらきの後部ドアを蹴り開ける。スカスカあやかしが思ったよりすぐ真後ろにいた事に驚くが輝虎は目潰し弾をを投擲とうてきする。しかし炸裂さくれつした目潰し弾の煙は隙間だらけ身体をすり抜け、全く効いているように見えない。

いてないじゃないの!」夕姫が怒鳴どなる。犬神のバンは後部ドアをバタバタさせながら爆走していく。


 1


 何でこうなったのかは少し前にさかのぼる。

 バロンこと富士林楓太郎ふじばやしふうたろう笹伏輝虎ささふせてるとら凰夕姫おおとりゆきあやかしと呼んでいる人間社会に害を与える魑魅魍魎ちみもうりょう堕神だしんや、悪霊あくりょうなど常人では対処できない現代の科学では解明されてない事態の処理を行っている。

 輝虎と夕姫の出身地、通称『さと』から派遣はけんされ、日本全国の怪が起こす事件を解決して回っている。それをおつとめと呼んでいる。

 高校生である彼らは普段は学校に通い、里からの指示で各地へ飛ぶ。

 今回は盛岡付近の山中で犬っぽい骨の化け物が通行する車両に襲い掛かるとの情報に基づき、里のお務め管理者からバロンのチームに白羽しらはの矢が立った。

 バロンは里のものではなく、輝虎と夕姫にスカウトされこの世界に入った、元一般人だが彼の特異体質、お伽草子とぎぞうしの力を本人は知らずに振るっている。お伽草子とはその名の通りバロンの周囲を劇的に改変してしまう能力で、彼の周囲ではトラブルが絶えない。また周囲の人間の特徴を強化し、力持ちはより強く、足が速いものはより速くなるなど影響を及ぼす。ただし、本人はまだ自覚していない。破魔はまの宝剣、星辰せいしんの剣を使いこなす。

 輝虎は里の最高評議会のメンバーである長老(決して年寄りではなく)を出す旧家で槍術の道場の四男坊だが、三叉戟さんさげきというよりマイナー武器を使っているため、破門になっている。怪力、韋駄天いだてん、超嗅覚の持ち主でもある。チームの矛であり盾である。

 夕姫の家は当主が長老代理を行っている、やはり里では旧家だが彼女の実家は弓術の道場だ。彼女の家は代々女性が当主となり、長女である夕姫は次期凰家おおとりけの当主である。魔弾の射手、千里眼、地獄耳の上、料理が上手だ。あまり女性らしいところが無いのが玉にキズだが、細やかな気配りができるチームの参謀だ。

 ドライバーをしている犬神広二いぬがみこうじはチームの保護者兼後見役だ。犬神に頼めばトイレットペーパーからバズーカまで何でもそろうというほどの調達、調整のエキスパートだ。妻と幼い娘をこよなく愛し、仕事場という戦場から一刻も早く帰りたい、24時間戦う哀しき中間管理職だ。バロン達は一度も戦っている姿は見たことが無いので戦闘力は未知数だが、仮にも里の仕事を行なっている以上、それなりにできる筈だと輝虎はみている。

 三人は犬神の運転する白いバンに乗って神奈川から岩手まで怪の撃退にやって来た。目撃情報または被害届けにより、暗くなってから盛岡近くの山中に入ると車から降りて捜索する間もなくシマシマのスカスカの怪に出会った。

 出会っていきなりバンに体当たりを仕掛けてきた。怪の体格は大型犬を一回り大きくした程度なのにまるで象にぶつかったような衝撃がバンにはしった。

「うわっ!犬神サン!一旦退却しよ!」思わず舌を噛みそうになったバロンが叫んだ。そう言っている間にも断続的に攻撃が続いていた。

「了解!しっかりつかまってろ。まくるぞ!」犬神が器用にバンをUターンしながらバロンの意見に従った。白いバンはシマシマあやかしにどつかれながら山道を下って逃げていく。


 後部ドアが開け放たれた為、バロンからも追っかけて来るスカスカ怪が良く見えるようになった。輝虎と夕姫がライトで照らし出したおかげで細部も確認できる。

「アレ?おかしいぞ」バロンがドアまで齧り始めた怪を観察して何かに気が付いた。しかし後ろの二人は

「テル!押さえてて!」夕姫はそう叫ぶと片膝を着いて車内で斜めに弓を構える。慌てて輝虎は夕姫の背後から腰を押さえる。ずいぶんアクロバティックだがそれでも夕姫は怪に矢を放つ。何本かはそのスカスカの身体をすり抜け、当たったものは弾き返された。

「効いてないじゃん」輝虎が仕返しとばかり夕姫に向かって言う。

「じゃあ、どうすんのよ!」夕姫が輝虎をにらむ。

「チョット待って!アイツの身体、一本で出来てない?まるで太い針金一本で出来ているみたいだ」バロンが自分の気付いたことを二人に話す。それを聞いた輝虎は

「それじゃあ、こうだ!」後部ドアから飛び降り、針金細工怪に襲いかかる。

 怪の唯一の引っ掛かりになる、目のような孔に展開した三叉戟の切っ先を突き通し、地面にい付ける。おまけとばかりに三叉戟のを踏みつけ抜けないようにする。

 怪はバタバタと暴れるが輝虎は構わず、尻尾状の端部をつかみ引っ張る。

「どりゃー!」掛け声とともに怪を一本の針金状に引き伸ばす。怪は形を失い真っ直ぐになってしまう。

「テトラ!」そこへバロンが輝く星辰の剣を下げ駆けてくる。

「バロン!叩き斬れ!」動きを封じた輝虎が吠える。

星辰せいしんよ。断ち切れ!」バロンは一直線になった怪の中ほどに星辰の剣を振り下ろす。パキッという音とともに怪が姿を消す。それとともに星辰の剣が緑青色ろくしょういろに戻る。良く見ると透明だった柄頭えがしらの石が銀色に変わっている。

 そこへライトを持った夕姫と犬神が近づいて来る。

「やったの?」夕姫が確認してくる。

「俺とバロンでな」輝虎が自慢げに答えた。

 バロンは剣を振り下ろした辺りを見回し、

「有った」何かを見つける。

「これかな?」バロンが拾い上げた物は折れた古い針だった。サビが浮き、見るからに古そうなそれは道路に落ちているには不似合いだった。

「針の付喪神つくもがみだったか。それで自分を捨てた人間に復讐ふくしゅうしてたとか」犬神が怪の正体について推察すいさつする。

「アンタもかわいそうだったのね。それでコレどうする?」夕姫が針にあわれみを感じ、その後を案じる。

「ナカミは星辰の剣に収まったみたいだから、カラダは然るべきところで供養くようしてもらったらどうだ?」輝虎が真っ当な意見を示す。いつもは里からの応援部隊、通称『お掃除部隊』が来て回収するはずだったが

「じゃあさ、白桜しらお神社にお願いするのはどうかな?」バロンが弥桜みおのウチに預けようと言い出す。

 吉野弥桜よしのみおはチームの調査対象でもあり、以前からお務めに巻き込んでしまっている神社の一人娘だ。

「まあ、それは帰ってから考えようぜ。俺は疲れた」無茶な運転をし続けた犬神が後回しを提案する。すでにお掃除部隊に連絡を入れ、夕姫の放った矢、壊された車の部品の回収を依頼している。

 犬神のバンもこのままだと整備不良で検挙けんきょされそうだがなんとか自走できる。

「早く宿に行って温泉にでも浸かって寝たい」犬神が疲れた声で吐き出すとそれに反応したものがいる。

「温泉!」夕姫が喰い付いた。

「本当に?本当の温泉?」辺りは暗いのに夕姫の目は輝いて見えた。

「本当さ。お前達がお務めでくたびれるだろうと思って気を使ったんだが俺も疲れた。ここがどこだかわからないが大通りに出れば大丈夫だろう。早く行こうぜ」思いの外早く遭遇そうぐう撃退げきたいしたのでまだ夜の7時を回ってない。

「わかったわ。バロン、テル行くわよ」討伐とうばつ貢献こうけんしなかった夕姫だけが鼻息荒かった。


 2


「はあ~、いい湯だったー」髪を結い上げ、浴衣姿の夕姫が温泉を満喫まんきつして戻ってきた。男三人はファミリータイプの和室を取っており、食事はそこで取ることになっていた。妙に似合うやっぱり浴衣の輝虎は夕姫の姿に内心ドキドキしていたがおくびにも出さず、

「早く座れ。飯が始められねえ」とかす。輝虎とバロンも入浴したが、二人共まだ温泉に感慨かんがいが薄く、カラスの行水ぎょうずいみたいに出てきた。犬神はのぼせない程度にかってきたが、夕姫は違ったようだ。

「失礼ね。女の子は色々時間が掛かるのよ」夕姫がちょっと怒る。何を想像したのか照れ隠しに輝虎は目をそらし、バロンは赤くなる。

「さあさあ、早く食べようぜ。俺は眠くなってきた」犬神が夕飯の開始をうながす。


 岩手の地のものを使った料理は美味しかったが輝虎と夕姫が喜んだのはご飯のおひつが二つ用意されていた事だ。それぞれのお櫃からバロンと犬神の一膳を取ると、輝虎と夕姫はお櫃を一つずつ抱えた。バロンは思った。輝虎はともかく夕姫の細い体のどこにあの量が入るんだろうかと。


 夕姫はしばらくすると自分用に取ってある部屋に戻り、眠いと散々言っていた犬神は部屋を出てどこかで電話をして戻ると布団に倒れ込んだ。バロンが風を引かないよう布団を掛けてやる。

 十時を過ぎると輝虎が布団から起き、そおっと部屋を出て行こうとする。

「どこ行くの?」まだ寝付けなかったバロンが小声で聞いた。

「眠れないんで、もうひとっ風呂びてくる」と言い残し出て行く。


 輝虎はさっき入った男湯と異なる方へ足を運ぶ。その先は混浴露天風呂だった。夕姫にこっそりハンドサインで誘われた。思わずドキドキして眠れなくなってしまった。時間は指定されなかったが夕姫の地獄耳なら輝虎の行動は筒抜けだろう。

 硫黄の匂いは苦手だったが、ここの湯はそれほどきつくない上、妙な期待に胸踊らせる輝虎には何の障害にもならなかった。

 露天風呂に浸かって夜空を仰ぐと満天の星だった。こんなに星が見えるのは師、鰐渕わにぶちのあばら家にいた時以来だったか?

 そんな事を考えていると、女性側の脱衣室から人影が出てくる。今日は平日なので他に宿泊客がいないのは知っている。暗いし湯気で良く見えないが夕姫に間違いない。夕姫は目隠しの為に置いてあるらしい岩の陰に浸かる。

「待った?」夕姫が輝虎の気持ちを知ってか知らずかイタズラっぽくたずねる。

「待ってねえよ。それで?」輝虎は内心を悟られないようぶっきらぼうに返す。実は早鐘のように打つ心音を夕姫に聞かれて無いか心配している。

「今回の件よ。バロンが怪の抜け殻を白桜神社に持ってくって言ったこと」夕姫も実は自分から仕掛けたとはいえ、ひどくドキドキしていたが絶対に輝虎にバレたくなくて冷静を装っていた。顔を見られたらきっと真っ赤だろう。こんな場所で話し合おうと思ったことを少し後悔し始めた。

「俺は賛成だぜ。バロンが思いついた事はその時は解らなくても、後になって役に立った事が何度もあるぜ」輝虎は話しに集中して雑念を振り払う事にした。幸い三月上旬の東北の外気は寒く頭が冷やされ、しばらくはのぼせないはずだ。

「そうね、最近でも化けねずみの時のライターを拾った件、牛頭の時のマキビシもそうかも」夕姫もお務めの話をしている方が楽だった。

「でも犬神サンはああ言ったけど、あまり勝手な事をすると事務方に睨まれないかしら?」夕姫はバロン、ひいてはこのチームの事を心配した。チーム解散では輝虎の目的も果たせないどころか、やらない方が良かったなんてことになりかねない。

「その辺は犬神サンもわかってるし、きっと上にもうまい事報告している筈だ」輝虎は犬神をかなり信頼している。里にあだなすような事をしない限り味方してくれるだろうし、バロンの力であるお伽草子についても、ある程度理解していると思っている。

「で、ユーキはどうなんだよ?」

「私?私もバロンがしたいことはさせてあげたいわ。今までそれで上手くいってたし。問題はフォローの方法よね。やっぱり犬神サン頼りか」夕姫は頭の整理がついたところでまたイタズラ心がムクムクともたげてきた。

「ねえ、こっち来る?」岩の向こうの輝虎をからかって呼びかける。

「ブッ!い、行かねーよ!俺はもう出るからな!」動揺した輝虎はお湯から出て、タオルで前を隠して男性用脱衣所に向かう。夕姫はその後ろ姿を見てハッとした。輝虎の背中には牛頭から夕姫をかばってついた真新しい大きな傷あとが残っていた。あれから3週間位経ったがまだ生々しかった。きっと一生消えないんだろうと夕姫なりに悔やんだ。少しはサービスしても良かったかなとも思った。


 3


「テトラ、昨日の晩どこに行ってたの?」朝起きるとバロンに問いただされた。

「風呂だって。そう言っただろ」輝虎はシラを切ろうとするが

「僕も後から行ったけどテトラ居なかったよ?」バロンが更に問い詰める。輝虎は背中にやな汗が吹き出るのを感じたが

「露天風呂に行ったんだよ」仕方なく白状する。

「あの混浴の?一人で?」バロンは興味津々きょうみしんしんというていで聞いてくる。

「そうだよ。それ以外にあるか?」バロンから目をそらして言った。

「ふーん、はーん、そうなんだ?」バロンが回り込んで輝虎の目を覗き込もうとする。

「いいだろ。そんな事どうでも。早く朝飯食おうぜ」輝虎はバロンと目を合わせないようにした。

「あ~、いい湯だった」そこへ朝湯から戻ってきた夕姫が現れた。

「…ユキねえ、お風呂好きだねえ。露天風呂にも入った?」バロンが何気ない風を装い夕姫に尋ねた。マズイと思った輝虎が夕姫に合図を送ろうとしたが時遅く

「ええ、昨晩入ってきたわよ」軽く答える夕姫だったが、それを聞いて頭を押さえる輝虎。

「テトラと一緒に?」更にたたみ込むバロン。思いがけない追求を受けて

「そ、そんな訳無いじゃない。一人よ、一人」夕姫は動揺して目をそらし答える。バロンは完全に疑っている。そこへ

「禁止!混浴禁止!今後お務め中の混浴の利用禁止!嫁入り前の若い女の子を預かってるこっちの身になってくれ」さっきまで窓辺でぼんやりと外の景色を眺めていた犬神がさすがにたまらず会話に入ってきた。

「ふーん、はーん、やっぱり」バロンが何かを確信した瞬間だった。


 今日の朝食はご飯のお櫃が一つだったが輝虎も夕姫もいつもの勢いはなく、味わって食べているようだった。

 朝は部屋でなく、宴会も出来る大広間だったので、バロンはいつもの様に他人のふりをする準備が有ったのだが肩透かしを喰らった。しかし疑問はすぐに解消される。

「犬神サン、帰る前に寄りたいところが有るんだけど」夕姫が犬神に何かをお願いしたいらしい。

「混浴は駄目だぞ」犬神はまだ許してないらしい。

「そんなんじゃない。岩手まで来たんだからアレ食わなくっちゃ」輝虎がフォローする。

「アレかー」犬神はわかったらしい。

「アレって?」バロンだけが知らないらしい。


 身支度を済ませ外に出ると、昨日犬神のバンを駐車した場所にピカピカの黒いバンが停まっていた。犬神のバンと違い運搬よりも快適性を重視したタイプだ。

「後ろがあんなになったから、代車を用意したんだ。安全にお前達を帰さなくっちゃ行けないからな」犬神が昨日の電話で手配したらしい。いつものバンは修理してから帰ってくる。

「これで少しはおしりが楽ね。という訳でバロン、輝虎と後ろに乗って」いつも助手席に乗っているバロンと交代して欲しいらしい。どうやらアレと言うやつが食べられる場所へ案内するつもりだ。

「わかった。でもテトラの脇に僕が座ってもいいの?」バロンは了承したが、夕姫達をからかってこう言った。

「だから違うって!そもそも夕姫と風呂に入ったところでぶっ?」輝虎が反論しようとするとバロンが後ろに回り込み飛びついて口を塞ぐ。電光石火の勢いだった。

「いいかい、もう赤いバレンタインの二の舞いはゴメンだよ。ユキねえの逆鱗げきりんに触れてはダメだからね」バロンが輝虎の口をふさいだまま耳打ちする。輝虎はコクコクとうなずく。

 輝虎はバレンタインデーに夕姫からチョコレートをもらったときに、彼女が気にしている胸の件を揶揄やゆして怒らせてしまった。

 その後バロンの勧めで夕姫に土下座して謝罪するまで毎食、輝虎がニガテな激辛料理が続いた。夕姫は比較的辛いものが好きだし、バロンは幼い頃より中東、南米、インドなどスパイスを大量に使用する国を回っていたので辛い料理は得意だ。

 夕姫による輝虎への制裁だった。バレンタインデーの翌日の朝から始まった激辛料理は通常のおかずから、味噌汁、漬物まで辛く、終いにお茶や、白飯まで辛くするんではと思われる程徹底された。

 辛いものが苦手とはいえ、大食漢の輝虎は我慢してなくなく食べていたが、見るに見かねたバロンの仲裁により事無きを得た。それを赤いバレンタインと呼んで二人は恐れている。

 バロンは笑っている女性がこんなに怖かったのは初めてだった。輝虎は夕姫が笑っている時はとんでもないたくらみが進行している事を身を以て知っている。夕姫が笑っている時は要注意だ。

 それなのに輝虎はまた口を滑らせるところだったのでバロンに慌て口を塞がれたのだ。その様子を夕姫は冷ややかに見ていたが

「ふん」と言ってバンの助手席に乗り込んだ。ギリギリセーフだったらしい。輝虎はやな汗をかいた。


 4


 犬神の運転で向かったのは盛岡市内のわんこそば屋だった。夕姫と輝虎の目当ては岩手名物のわんこそばだったのだ。お互いどちらが多く食べられるか競うつもりらしい。だから宿の朝食は程々(三人前位)だったのだ。


 バロンは自分がわんこそばでお腹いっぱいになると断わってから外に出てきた。店の中ではまだ輝虎と夕姫によるデットヒートが繰り広げられている。犬神はバロンと同じく切り上げたが保護者として呆れながらも見守ることにした。

 バロンは自分の目的の店を見つけ入っていく。南部鉄器の店だ。

 今回の旅の間、黒猫ペンタは弥桜の白桜神社に預けてきた。

「アラ、面白いもの連れてきたわね」と、弥桜の母親、雪桜ゆきおに言われたのが気にかかったが、すぐにペンタは弥桜になついたので安心して出かけられた。そこで弥桜にお土産を買って帰ろうと思ったのだ。


 バロンは弥桜へのお土産に可愛らしいデザインの鉄瓶を選び、別に何点か購入した。高校生らしい姿のバロンが高額の支払いをしたので店の人は驚いた様子だったが、バロンはお務めの手当てが有るのでふところ具合いは良い。無駄使いはしないが、旅の思い出にケチケチするつもりも無い。さしあたり、どちらかと言えば支払いより重量の方が問題だった。まあ、車まで戻れば大丈夫だ。

 バロンがわんこそば屋まで戻ると他の三人が店を出る所だった。わんこそばの食べ比べ勝負は引き分けだったらしい。目立ちたくないので(充分目立っていた)店に貼って有った最高記録の9割で止める事をあらかじめ決めておいたのだ。輝虎と夕姫は共にわんこそばをその数まで食べてしまい、引き分けとした。

 二人ともやりきった満足そうな顔をしていた。対照的に犬神はゲンナリしているのを見て、バロンは外へ出てよかったと思った。

「次は必ず決着をつけるわよ」夕姫が輝虎に宣言する。

「ところでずいぶん買い込んだわね」バロンへ振り向いた夕姫に指摘される。

「みんなはお土産は買わないの?」バロンが問うと夕姫と輝虎は顔を見合わせる。お務めでは全国各地に派遣されるが、あまりお土産を買って帰るというのは聞いたことが無い。有ってもきっとコッソリやっているのだろう。怪退治のあと、気分を切り替えて観光気分って訳にはそうそうなれない。それに二人も買って行く相手を思い付かなかった。

 実は犬神はコッソリ、愛妻と愛娘にちょくちょくお土産を買っているが内緒にしている。

「そうだなー、せんべい位買ってくか」輝虎が思いついた物をあげる。

「そうね。食べ物なら良いか」夕姫も賛同する。

「そうだ!ちょっと待って」夕姫が何かを思い付いたらしく携帯電話でどこかに電話し始めた。その後どこかにかけ直した。

「…ハイ、有るんですね。ええ、これから参りますのでよろしくおねがいします」どうも今度の相手はせんべい屋らしい。バロンは思った。近くのお土産屋では駄目なのだろうか?

「おいおいこれ以上寄り道は止そうぜ」ドライバーからは不評だ。

「犬神サン、これから国道をしばらく南下して下さらない?」夕姫が丁寧ていねいにお願いしている。犬神が断らない事を知ってて言っているのだろう。

「しゃーねーな」犬神が頭をきながら承諾しょうだくする。

 バロンは最小限の荷物のみ積んである荷室に鉄器屋で購入したお土産を積み込む。

 座席はまた夕姫が助手席についた。


 結局、バロンと犬神も南部せんべいを買ったが、夕姫と輝虎の買い方はバロン達と違った。二人は一斗缶に入ったものを購入したのだ。夕姫に至っては持ち帰り用に二缶、実家に一缶発送した。だから通常のお土産屋では用が足りなかったのだ。

「二人ともスゴイの買ったね」バロンが呆れた。

「以前、南部せんべいが好きな人は一斗缶で買うって聞いてたの」夕姫がしれっと言った。まあ、夕姫と輝虎だったらその位ペロリと食べてしまうだろうとバロンも疑っていなかった。

「じゃあ、今度こそ帰るぞ」学生服の三人を連れた引率の先生みたいな犬神が帰還を促す。今は昼過ぎだが神奈川のアパートに到着するのは暗くなってからだろう。途中、また食事に時間を取られるとなれば運転する犬神としては早く帰路につきたい。

「ここから先はバロンが助手席に乗って」夕姫が交代を申し出る。

「わかった。じゃあ前に乗るね」今度は素直に交代した。


 5


 バロン達はせんべい屋からそのまま南下し花巻から東北自動車道に乗ることにし、インターチェンジを目指した。助手席のバロンはしっかり起きていたが、後の二人はお腹いっぱいに食べたせいか、お務めを達成した解放感からか持たれ合って居眠りをし始めた。そんな二人をほほえましいと感じていたバロンだったが

「危ないっ!」急に何かが前方を横切るのを見て叫んだ。犬神はその何かに気付かなかったが急ブレーキを踏む。すると道路脇から頭髪が白くなった年配の男性が飛び出してきて、バロン達の乗ったバンを間近に見てびっくりし、尻もちをつく。急ブレーキをかけなければいていたかもしれない。犬神があわてて車から飛び出して男性を助け起こす。

「大丈夫でしたか?」ケガが無いか確認する。

「済まねえ、カッパを追っかけて車に気づかんかった」おじいさんが突拍子とっぴょうしもない事を言う。

「カッパぁ?」さすがに目を覚まして車から出てきた輝虎が聞き返す。居眠りをした事を恥じているのか赤い顔をした夕姫も降りてくる。

「僕も黒っぽいものが道路を横切るのを見たよ」バロンが叫んだ理由を説明する。

「バロンもカッパを見たって言うの?」夕姫もさすがに疑っている。お務めなどしているがカッパみたいに有名な怪に出会ったなどとは聞いたことも無い。出来すぎだ。

「僕が見たものがカッパかどうかまでは判らなかったな」バロンもカッパについては自身が持てなかった。

「最近、カッパが野菜やイチゴなんかをちょくちょく持っていっちまうんだ」おじいさんは確信しているらしい。こうなるとお務めを遂行すいこうしているバロン達にとっては聞き捨てならない。カッパの存在のみならず、実害が出ている。

「もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」ため息と共に犬神が今日中の帰宅をあきらめた瞬間だった。


 おじいさんが住んでいる集落では最近、農作物などの盗難が相次いで起きている。この辺りでは昔から河童の伝承でんしょうが有ったが住民達もまさかとは思っていた。ところがバロン達が出会ったおじいさん、佐々木さんといったが、一昨日ついに犯行を目撃した。

 相手はとても人間とは思えない姿だったと言う。一般によく知られる様に頭の皿、背中の甲羅、クチバシは無かったが、ざんばら髪、細長く黒ずんだ手足、体に張り付くように纏ったボロ、なにか事情が有ったとしても現代人の風体では無い。佐々木じいさんは一目で河童だと思った。

 交番にも届けたが窃盗については受付けてくれたが河童の捜索については取り合ってくれなかった。

 そんな話を佐々木の自宅の縁側で聞いた。佐々木の奥さんにお茶とお茶菓子まで出してもらい、四人は河童の目撃談を聞き取りした。

 自分たちの事は高校の民俗学研究部の部員と顧問と名乗り、校外活動の途中と偽った。この様に突然遭遇した相手を安心させる為にある、ダミーの身分のいくつか用意しているうちの一つだ。

 佐々木じいさんは話を聞いてもらえるのが嬉しいらしく、色々な話を聞けた。今年の作物の出来具合や、ビニールハウスの燃料代についてなど河童に関係ない話も大分あったが、おおよそはこんなことだった。

 去年の秋頃から作物や保存食などが荒らされる被害が出ていた。最初は動物の仕業かと思っていたがどうもおかしいということになり、警察に届けると同時に動物用の罠と交代で見回りする事になった。

 すると見回りしている中に何か動物らしくない物を見たと言うものが出てきた。罠も仕掛けが作動したが外されたものが出た。周りの者の中には猿ではないかと言うものがいたが、猿にしては取った物を喰い散らかさず、キレイに持って帰るのだ。かと言って人間にしては持って行く量が少なく、欲が無い様な気がする。そうこうするうちに佐々木じいさんが河童らしき物がビニールハウスから出て来るのを発見し追いかけた訳だ。

「河童かぁ、そんなメジャーな妖怪に関わるとは思わなかったなぁ」輝虎がしみじみと感慨にふける。

「なに言ってるのよ。いい機会じゃない。でも河童相手じゃ手荒な事したくないわね」

「まあ、河童と必ず決まった訳でもないが、調べる価値は有りそうだ」観念した犬神が調査を示唆する。


 結局本日中の帰還は諦め、もう一泊する事になった。

 夕姫の強い強い要望で犬神は温泉付きの連泊可能な宿を探す事になった。幸い見つかった宿は犬神の希望通り混浴風呂は無い小さな旅館だった。

 犬神は里のお務め事務局に連絡を取り、状況を話し指示をあおいだ。審議過程は犬神も知らないところだが即断即決は事務局の美徳だ。明日の朝までにはチームの身の振り方が決まるだろう。

 犬神としてはバロン達も乗り気なのでこのまま引受けたいと思っている。一、二月は殺伐さつばつとしたお務めが続いたので、こんな人死が出ないのどかな任務も良いのでは無いかと考えた。頭の隅でバロンの力が引き寄せた可能性もあるなと感じたのもあった。

 後は“引率の先生”として若者の暴走を防ぐまでだ。昨日の露天風呂の件は夕姫が輝虎をからかって誘っただけで何も無かった筈だと思っている。大当たりである。だが外に聞こえれば問題になる。自分の監督責任も問われる。何としてもそれは避けたい。だいたい自分たちの行動イタズラがチーム存続の危機につながるとは考えないのだろうか。考えないんだろうなと犬神は思った。少し若さをうらやましく思った。

 犬神の心配をよそにバロン達は旅行気分を満喫していた。温泉を強要した夕姫は到着してすぐに風呂に向かったし、バロンは輝虎が売店で買い込んだお土産向けに販売している饅頭などのご相伴に預かっている。犬神は見るだけで胸やけがしそうだ。バロンはともかく、輝虎と夕姫は昼にあれだけのわんこそばを空けたというのにどういう胃袋をしているのか理解出来なかった。そう言えば佐々木じいさんの家でもお茶請けをムシャムシャ食べてたなと思い起こす。でも食べてる間は問題起さなくて済むなと考える犬神もいた。


 6

 

 夕飯を食べた四人はバンに乗り込み佐々木じいさんの集落に戻った。佐々木じいさんの紹介で集会所にバンを停め、民俗学の調査という事で夜廻りに参加させてもらう事になった。そこまでは里に許可も取っている。

 しかし夕姫は自分達が接触出来る事を確信していた。なんと言ってもこちらにはバロンがいるのだ。逆に一瞬も気を抜けない。

 装備に関してはバロンの星辰の剣のケース以外は人目を意識して隠し持てる物のみだ。夕姫の弓はもちろん、輝虎の三叉戟も無い。この様な状況用の隠し装備を各々おのおの持っている。

 集会所から出て一分も歩かないうちに河童らしき陰に遭遇した。あまりの事に夕姫は頭を抱えたくなるが、先ずは身柄を確保しなければならない。

「テル!」夕姫が声を掛ける前に輝虎は走り出していた。輝虎は隠し持っていた分銅付きのワイヤーを取り出す。

「そりゃあ!」影は逃げ出すが輝虎はあっという間に間合いを詰めワイヤーの分銅を振るう。

「なぬッ!」輝虎が驚く。手応えが無かったのだ。夕姫の目にもワイヤーが影をすり抜けるのが見えた。実体が無いのか?夕姫はそう思ったが輝虎はもう一度ワイヤーを振るう。

「ダメかッ」輝虎も気が付いたようだ。そのまま追いかけていくが、影はピョンピョンとはねながら夜道を逃げていく。輝虎も速いが河童らしき影もトリッキーな動きで輝虎の手から逃れている。そのうち街灯の明かりも無く、道もない場所を横切って河が見える場所まで来た。河童だとしたら水に逃げられるとマズイと誰しも思ったが、一番近い輝虎でもまだ捉えられない。何度か空振りして実体が無いのかと思った矢先、ドボンと水音をたて影は川に飛び込んだ。

「おっと!」

後を追っていた輝虎は足を踏ん張って止まった。続く夕姫は気が付いて急停止できたが、バロンが何かに気を取られ、夜の川に落ちそうになる。

「危ねえ!」慌てて輝虎がバロンを引き止め、代わりに川に落ちる。幸いそこはまだ浅く、尻もちをついた程度で済んだがびしょ濡れになってしまった。

「テトラ、大丈夫?ごめん!」バロンが謝って手を伸ばす。

「大丈夫だ。濡れるから止めとけ。サブッ!」輝虎は体を起こしながらあまりの寒さに震えた。

「早く上がんなさい。風邪引くわよ」夕姫が川面を見ながらも輝虎の心配をする。今日の捕物は失敗だった。しかし、

「あの対岸の森、あっちに泳いでいったのかな?」バロンが気を取られたらものを言った。夕姫がライトで照らしたが届かなかった。

「あれ、向う岸じゃ無いわよ。中州かなにかよ」夕姫が確認した。

「いずれ一旦引き上げようぜ。俺もこのままは勘弁してほしい」輝虎が寒そうに言う。三月上旬の東北の夜風は濡れネズミにはきつい。明るくなってからバロンが示した中州を調査しようということになりに、引き上げることにした。


「本当にごめんね」バロンはずぶ濡れになってしまった輝虎と旅館のお風呂に入っていた。

「もう良いって。…ああ、生き返る…」普段、長湯なんかしない輝虎だったが今日だけは別だった。

バロンをかばって川に落ちてしまった為に体の芯まで冷え切ってしまっていたので旅館についてすぐに風呂に直行した。バロンも後を追って裸の付き合いとなった訳だ。

「こうしていると修学旅行みたいだ」バロンは呑気な事を言い出す。

「枕投げも、のぞきもしないからな」輝虎が釘を刺す。バロンはいつも緊張感が感じられない。

「だいたい、女湯のぞいても怖いオネーサンしかいないからな」

「やっぱり僕よりユキねえと一緒の入浴の方が良かった?」バロンがカマを掛けるが

「だから、なんにも無かったって」輝虎は強くシラを切り通す。

「えー、本当に?」しつこく食い下がるバロンだったが

「アイツとはもう十年近い付き合いなんだぞ。何かあるんだったら、とっくに何か起きてる」輝虎も執拗に否定する。

「何かってナニ?」

「何かったらナニみたいな…」輝虎が言いよどむ。

「まあ良いや。今後の楽しみに取っておく」バロンが意味深な事を言い出す。

「それはそうと、戻ったら東京に行って例の件取ってくるね」バロンが内緒ばなしをする様に言った。

「ああ、もうそんな時期か。悪いな。でもそんなものでアイツ喜ぶか?」

「わかってないなー。ユキねえは誤解されやすいけどカワイイモノ好きだよ。絶対に嬉しいよ」どうやら来週に迫ったホワイトデーのお返しの打ち合わせらしい。

「わかった、わかったって。まあそのへんはバロンに任せるよ。どうせ俺なんかそんな店入れないし」輝虎が入れない店にバロンはプレゼントを取りに行くと言う。

「ところでどうすっかなあ。その中州ってどうやって渡ればいいんだ?まさか泳いで行く訳にいかないだろう?」輝虎にはよく見えなかった中州にたどり着く方法を考える。

「佐々木サンに言って船でも借りられないかな?」バロンは正攻法で行こうと言う。

「まあ、借りられればな。でも、なんて言って借りる?河童が泳いでいったんで追っかけたいんです?ダメだろう」


 その頃女湯では夕姫は聴くともなしに男湯の会話を聞いてしまっていた。壁一枚では今の夕姫の聴覚の前には無いも等しい。男子同士の会話から輝虎の本音が聞けるかと思ったが、またごまかしている。家同士の事はある。しかし輝虎が自分を好いているのはわかっているのだが、ハッキリ聞いておきたい。

 そのうちバロンがホワイトデーのお返しについて話しているようだが、何故か輝虎は行けない様な店にあるカワイイ物が夕姫は好きという事になっているらしい。カワイイモノ?思い当たらない。その上バロンは大丈夫で輝虎が入れない店?まったくわからない。

(まさか、下着!?)夕姫の思考は暴走する。確かに最近の大人の恋人同士はカワイイ下着を贈ったりすると聞いた事がある。それならば輝虎が入れないというのも納得できる。バロンは入れる?もしかしたら母親と世界を回っていたバロンはそういうことに抵抗は無いのかもしれない。そうだ、きっとそうなのだと夕姫は思った。輝虎はどんな顔で渡してくるのだろう。

「それを着けて見せてくれ」とか言うんだろうか?からかうのは得意だが、こういうのは苦手だ

 湯に当たっただけでなく、のぼせてしまいそうだ。頭を振って妄想を追い出し、今夜はもう温泉から上がることにした。


 7


 いつもの様にお櫃ご飯を堪能した輝虎と夕姫達を引き連れ、佐々木じいさんの家に行ってみた。

 河童の調査は正式にお務めの事務局から指示が出たのだ。しかし 

「中州の森?行っちゃなんねえ!」佐々木じいさんに中州が怪しいと無難に告げた途端に態度を一変し、拒絶される。

「アソコに何かあるんですか?」やんわりとバロンが尋ねる。

「なんにもねぇ。なんにもねえが行っちゃいかん。そうなっとる」取り付く島がない。

「河童もアソコから来るんじゃ、しゃーねー。これ以上、関わらんでくれ」河童の調査も断わられてしまった。バロンがまだ何か言いたそうだったが輝虎が止める。

 犬神と夕姫達は目配せをして佐々木邸を後にする。バンで一番近いコンビニエンスストアに行き、そこから犬神はどこかへ電話する。

「続行のお達しだ。このまま調査を続けるぞ」電話を終えた犬神がコンビニエンスストアで買食いをし始めた三人に宣言する。

「具体的に策は考えてます?」最近お気に入りの中華まんに食いついていた夕姫が尋ねる。

「応援にボートを持ってこさせた。明日の未明に上流からボートで乗り付け中州に上陸する」犬神の計画を話す。

「ボートの動力は?」3個目のカレーパンを呑み込んだ輝虎がボートの移動方法を確認する。

「電動の静音モーターが用意出来た。これで余人に見つからずボートを動かせる。という訳で夜の一時出発だ。旅館に戻るからそれまで体力温存しておけ」

「わかりました。ユキねえ、また温泉入れるね」お務めを受諾じゅだくしたバロンがお気楽な事を言う。

「そうね。お肌がツルツルになってウレシイわ。あー、帰っても毎日温泉に入れないかしら」夕姫にとってはたわいない願望を口にしただけだったが、後にこの一言を後悔する事になる。


 旅館に戻ると三人をおいて、犬神は段取りをする為に再び出掛けていった。温泉はまだ利用出来なかったので、各々自由時間を過ごす事にした。

 バロンは黒猫ペンタを預けてある弥桜のところへ旅館の公衆電話から電話する事にした。

「…もしもし、富士林ですが」一回で弥桜が出ることを祈りつつ、名乗ると

『吉野です。弥桜じゃなくて残念ねぇ。今代わるわね』雪桜が出た。まさかと思うが電話が掛かってくるのをわかっていて、からかわれたんじゃないだろうか?バロンは考えてしまったが父親が出なくてまだ良かった。弥桜の父親は何故かバロンを敵視してる様な気がして苦手だ。

『はい、代わりました弥桜です。バロンくん?』明るい弥桜の声を聞いてバロンは心が浮かれてしまう。

「吉野さん、実は岩手から帰るのもう少し遅くなりそうなんだ。悪いんだけどペンタの面倒もう少し見ていてくれる。月曜日には戻りたいとは思ってるんだけど」バロンは帰還が遅れる旨を話す。

『こっちは大丈夫よ。ペンタちゃんも母さんの言う事はよく聞いてるし』なんだか弥桜の言う事は聞いてないように聞こえる。

「本当に大丈夫?おいたしたら叱ってくれて良いからね」思わずバロンは心配したが

『ううん。本当に大丈夫。よくお手伝いしてくれるし。何なら代わる?』弥桜が動揺して妙な事を言い出す。猫がお手伝い?電話を代わる?まるで子供を預かってる様な事を言う。弥桜も時々おかしなことを言うからなとバロンは自分の事は棚に上げて思った。

『ペンタちゃん、出ないって。じゃあこっちの事は心配しなくて良いからお務め頑張ってね』動揺してるのか慌てて電話を切られてしまった。思わずバロンは受話器を眺め、

「どうしたんだろ、吉野さん?」首を傾げるバロンだった。


「バカねェ。バロンくん、ビックリしちゃうじゃ無いの。ペンタちゃん、この姿の事はバロンくんには秘密なんでしょ?」雪桜が弥桜を攻める。その隣にはムスッとした顔の小さな女の子がいた。弥桜の子供の頃の巫女の装束を着ている。さっきまで弥桜と一緒に境内の掃き掃除をしていた。

「弥桜、おバカ。あんなにバロンに言うなって言ったのに。バロンにバレたらどうする?」女の子はふてぶてしく弥桜に文句を言う。

「ごめんなさい。ペンタちゃん。つい口が滑って。でもバロンくんのところに居られなくなったらウチに来る?」弥桜は女の子をペンタだと言う。

「ご飯も美味しいし、考えておく」そう言うと猫に有るまじきドスドスと音をたてて歩き去っていく。

 ペンタは白桜神社に預けられるとすぐに雪桜に正体を見破られ、しぶしぶ社務を手伝わされている。しかし、頑なにバロンには正体を明かさないで欲しいと言う。そして何故か雪桜の言うことは素直に聞き入れるが、弥桜には当たりがキツイ。

「微妙な女心ねェ」ペンタを見送りながら雪桜がつぶやく。しかし弥桜はわかってない様に首を傾げる。

「ペンタちゃんにバロンくん取られちゃうかもよ」わかってない我が娘をからかってそんな事を言う。

「エッ」驚いて青くなる弥桜だった。


 8


 旅館には未明に退去して帰ると伝えてあったので、問題を起こさず出られた。すると犬神の白いバンが駐車場に止まっていた。預けていた装備品も載っていた。

「特急で直してもらったんだ。やっぱりお務めはコイツじゃないと」大分この車に愛着がわいてるらしい。

「何か遠くに来て、夜中に外に出ると肝試しに行くみたいだ」相変わらず呑気のんきな事を言うバロンだった。

「鬼が出るか河童が出るかだな。おたのしみってところか」輝虎が引き取って茶化ちゃかす。その脇腹に肘鉄を食らわせ

「バカね。肝試しどころか河童退治になるかも知れないのよ」夕姫が男子達をたしなめる。

「さあ、馬鹿な事言ってないで行くぞ」犬神に急かされ乗り込む三人だった。


 旅館は佐々木じいさんの集落から離れていたので、普通に移動したところで間違っても気づかれないはずだ。犬神のバンは上流の川岸に向かった。

 すると里からの応援のトラックが来ていた。すでに暗い色のゴムボートは降ろされ、バロン達が乗り込むばかりとなっていた。

「よう、コウちゃん。相変わらず面倒に巻き込まれてるな」よく応援に来る犬吠が今夜も来ていた。

「仕事熱心って言えよ。モーターの使い方を教えてやってくれ」悪友との再会の挨拶もそこそこにして、中州への上陸準備の仕度に掛かる。

 今回は武具は護身用を中心にし、バロンの星辰の剣以外は、輝虎も短いカーボン製柄の三叉戟、夕姫は短弓で邪払いの矢と小太刀のみだった。前回の捕物でワイヤーが触れなかったところをみると、精霊的なモノか、霊魂の仕業とにらんだ為だ。服装は制服にプロテクターを着けた、いつもの格好だ。彼らの制服は見た目こそ高校のブレザーだが、高分子繊維が織り込まれ、軽くて丈夫な鎧と言っても良い。

 ボートでの役割分担は暗くてもよく見える夕姫が船頭、バロンがモーターの操作となった。輝虎はボートの真ん中にいないとバランスを崩すと言う事で、上陸する直前まで待機だ。

 早速、三人はボートに乗り込み、岸から離れる。バロンの操作するバッテリー式のモーターは本当に音が小さくパワーがあり、グングンと川を下っていく。

「コレ、軍用じゃねえの?」輝虎の疑問も最もだった。暗い水面でコッソリ上陸する事なんて軍人か密輸犯位しかいないだろう。

「良いじゃない、便利なら何でも。それともテルは泳いで行きたい?」夕姫は何気なく言ったことだがバロンのお伽草子は見逃さなかったようだ。

 ガリッという音がボートの船底から聴こえた。

「ねえ、今イヤな音しなかった?」夕姫が恐る恐る振り返って尋ねる。

「ユーキが聴き間違えるなんて有るのか?」輝虎は冷静を装って答えるが足元は水が噴き出している。

「コレ、沈まないよね」バロンが緊張感のない声で尋ねる。

「すぐには沈まねえが、このままだとみんなで寒中水泳になる。バロン!全速力だ」ゴムボートは側面にも浮力が有るので沈みきりはしない様だが、中は水浸しになる。三月上旬の水はまだ冷たい。

「もう中州が見えるわ。このまま真っ直ぐ進んで!」非常用の全速力だと音が出るが、この際、やむを得まい。バロンはスロットルを全開にしているが、だんだんボート全体にハリが無くなり進みづらくなっていく。しかしなんとか浅瀬までたどり着いた。ボートの船底がついてしまい、これ以上は動かない。輝虎が飛び降り、脚が濡れるのも構わず夕姫とバロンを乗せたままボートを中州に引き上げる。

「ふ~、ヤレヤレだぜ」輝虎は夕姫とバロンに手を貸し、上陸を助けた。おかげで二人は大して濡れずに済んだ。

「こんな事ならゴム臭くても良いから例のスーツ着て来たかったわね」足元をタオルで拭きながら夕姫がぼやく。

「でも、今回は物理的な危険はなさそうなんだよね」バロンが今回のお務めの様態をあらためて確認する。

「まあな。ワイヤーに引っ掛からなかったしな」怪の性質がチームの能力に見合わなければ調査のみ行い、交代もあり得る。

 実際バロンのチームは物理的な攻撃に特化しすぎていて、ぶん殴って解決できないモノには弱い。

 夕姫の邪払いの矢か、バロンの星辰の剣位しか、実体の無いモノに対する有効な手段が無い。

「行ってみればわかるわ」夕姫は装備からサーモグラフィーゴーグルを出し、中州を見渡すが自分たち以外に熱源は無かった。水鳥も居ない様だ。ついでに輝虎を視ると下半身が冷え切っていた。ご愁傷さまだ。

 中州は地図の通りであれば周囲数百メートルなのでしらみつぶしでも捜索しても朝までには終わる。携帯電話の電波が届かない事を見越して、夕姫は無線機を犬神から預かっている。ボートの損壊の件は連絡しておく。

「おかしいぜ、コレ」ボートを引き上げ隠そうとしていた輝虎が指摘する。ゴムボートの破損箇所を確認すると岩等に擦ったものとは違い、鋭利なモノで三条の傷が入っていた。まるでケモノの爪で引っかかれた様だった。

「まさか河童の仕業とか?」バロンが憶測で言うが、三人とも連想したのはそれだった。

「近づくなっていう警告だったりして」怪談話の様に言う輝虎だった。

「バカ言ってないで、行くわよ」夕姫が出発を促す。


 中州の森は無人の為、当然道など無いので輝虎が下生えを踏み均し進む事になったが、いくらも行かないうちに不意に周囲が明るくなった。バロンは時計を見たがまだ三時前だ。頭上をみるとまだ夜の暗い空だった。

「なんだろう。この明るさ」気味悪がってバロンは尋ねるが二人もわからなかった。

 そのまま進むと前方に何か大勢の気配がする。しかも賑やかだ。さらに進むと開けた場所に出た。そこには

「河童!?」バロンが思わず声を上げてしまうと、そこに居た仮称河童達がこちらを向く。三十人?匹はいるようだ。

 中央を開けておりそこで二人が相撲を取っていたようだ。バロン達に驚いた拍子に片方が投げられた。


 9


 全ての河童らしきモノ達はざんばら髪でボロをまとい、子供から年寄り、中にはメス?女性もいた。

 バロンが見た印象では

「これ本当に河童?」海外で見たストリートチルドレンの様に見えた。母親が勤務していた難民キャンプによくこういう感じの人々がたどり着いていた。

 頭の皿も、背中の甲羅も、クチバシも無い。有るのは長く鋭い爪だけだ。アレでゴムボートを切り裂いたのだろうか。いずれにしろこの数を正面から退治するのは無理だろう。

「オマエタチ、ナンダ?ナニシニキタ?」一番貫禄のある河童が訝しがりながらもカタコトで尋ねてきた。話が通じそうだ。

「僕はバロン、こっちの大きいのがテトラ、こっちの髪の長いのがユキ。君たちと会いたくてここに来た」異文化コミュニケーションに慣れているバロンがためらいもなく答えた。さすが世界を旅して来ただけはある。輝虎と夕姫ではこうは行かない。

「そうだ。アレがあった」バロンは自分のバックの中からさかなの干物を出した袋から出し、河童達に差し出す。近くの河童が奪い去るように受け取り、長らしい先程話し掛けてきた河童に渡す。ここだけは伝承通り目玉を先に食べた。

「何であんな物持ってたの」夕姫がバロンに小声で尋ねる。

「旅館のお土産売り場で何故か買ったんだけど、つい装備のカバンに入れちゃったんだよね」バロンが無意識だと言う。きっとお伽草子の作用だと思ったが夕姫は黙っていた。

「オマエタチ、スモウトルカ?カッタラ、ココニイロ。マケタラ、デテケ」干物の目玉を食べて満足した長が提案してきた。周りでは長の食べ残しの干物を取り合って河童達が暴れていた。

「それなら俺の出番だ」輝虎がブレザーや荷物をバロンに預け、濡れた靴と靴下を脱いで裸足になる。夕姫はもちろん、バロンも知っているが素手でも輝虎は強い。里でもほとんどの大人は輝虎に勝てないだろう。

 輝虎が堂に入った四股を踏んでいると、河童達を掻き分け、ひときわデカイ一人が出てきた。どこに居たのだろう、輝虎よりも頭一つ大きい。

「ジロウ、オマエガヤリタイノカ?」長が尋ねる。

「ヒサシブリノ、モサトミタ、ウデガナル」ジロウと呼ばれた大河童は腕を振り回す。

 行司らしいヒョロリとした河童が前に進み、葉っぱの軍配を構える。

 輝虎とジロウは構えると

「ハッケヨイ、ノコッタ!」行司河童が甲高い声で合図する。張り手など小細工をせずに両者がっぷりと組み合った。

 素人のバロン達から見ても良い相撲を取っているように見える。

「テル!負けたら尻子玉取られるわよ!」夕姫が変な声援を掛ける。気が付くとバロン達の周りにも河童だらけになっていた。

「ワイヤーは素通りだったけど、相撲は取れるんだ」変なところで感心するバロンだった。

 相撲は輝虎も善戦していたが、相手は怪らしくスタミナ切れが無いようで、徐々に押されてきた。

 幸い、土俵が無いので押出しは出来ないので投げられるか、膝でもつかない限り負けは無い。しかしこのままでは危ない。

「テル!勝ったら何でもしてアゲル!」夕姫がとんでもない事を言った。バロンどころか河童達まで夕姫に視線を集める。

 ジロウも気が逸れたのか、輝虎が奮起したのか分からなかったが、大河童は見事に投げられた。

「ニシノカチ!」行司河童が悲鳴の様な声で輝虎の勝ちを宣言する。

「テルってやっぱりスケベねえ」夕姫が白い目で輝虎を見る。

「要らねえよ。そんな景品!」勝って責められるなんて心外だとばかりに怒る。

「まあまあ、勝ったんだから、景品については後で

二人で話し合って」バロンがニヤニヤしながら仲裁に入る。

「お務め中じゃ無ければ混浴でも大丈夫」とんでもない事をバロンが提案する。

「「だからそういうんじゃないって!」」息もピッタリな二人だった。

「オマエタチ、カッタ。ココニイテイイ」長から許可が出た。


 輝虎と夕姫の荷物からも食料を出し、河童達に差し出した。すると先を争って奪い合い、あっという間に消えてしまった。

 オヤツが消えて輝虎は苦笑いし、夕姫は顔が引きつっていたがバロンは相変わらずニコニコしていた。

「皆さん、どうしてここに住んでるんですか?もっといい場所もあるんじゃないですか?」バロンが早速切り出した。やはりバロンは度胸があると輝虎と夕姫は感心してしまう。話が通じると言っても怪に囲まれて平気で会話できるとは。

「ワレワレハ、ココヲハナレラレナイ」ジロウが答えた。

「どうしてです?ここに何かあるんですか?」更にバロンは突っ込む。夕姫は少しハラハラしたが止めるのを我慢した。上手く聞き出せるにしろ、決裂しても動きはあるだろう。自分たちの役割はバロンのサポートに徹したほうが良い。

「ソウイウ、キマリダカラダ」長が答えた。どこかで聞いた事のあるような返事だ。そうだ、佐々木じいさんは近づくなと言っていたが、やはりそうなっているからと言っていた。バロンは理由を考えたがやはり材料が少なすぎる。

「どうする?ここでこの人達と宴会してても解決しそうにないけど」バロンが二人に相談する。

「奴ら相撲に目が無いんだよな。俺が相撲を持ち掛けて気を引くから、二人は辺りを探ってくるってのはどうだ」輝虎が囮になると言う。

「わかった。でも私が応援しなくて大丈夫?ああそう、勝ち続ける限りさっきの約束、有効で良いわ」夕姫はそう輝虎に言って送り出す。


「俺と相撲取るヤツはいないか!俺は誰の挑戦でも受けるぞ!」輝虎が前に出て大声で河童達に挑戦者を募ると

「オレガトロウ」輝虎よりは小柄だが、なかなかの身体をした河童が前に出る。体中の傷あとが歴戦を物語っていた。絶対にジロウより強いはずだ。

「トラ、オメエガ、デルマデモネエ。オレガヤル」背は低いが幅は輝虎の倍は有りそうな河童が出てくる。トラと呼ばれた河童より大分若そうだ。

「サブロウ、オメエガサキニトレ。トラハカッタホウト、トレ」長がマッチメイクをしてくれた。さり気なく周りを見ると、すでに夕姫とバロンは姿を消していた。


 10


 河童の集会場から抜け出したバロンと夕姫は上陸した上流側と反対の下流側に向かった。

 少し小高かくなっている部分が有ったのでそこを目指した。すると途中で小さな河童を見かける。隠密行動のはずだがバロンは

「キミ、どうしたの?みんなのところに行かないの?」小さな河童に話し掛けてしまう。夕姫は頭を押さえたくなったがバロンがすることだと思い見守ることにした。

「オラ、オジゾサマガ、サミシガラナイヨウニ、ソバニイル」小さな河童はそう答えると坂を登っていく。バロンと夕姫は興味を持ったので後を付いて行った。


 小さな河童の目的地は崩れてしまった祠だった。長年の風雨により中の石仏ごと倒れてしまっている。

「かわいそう。今なんとかするね」そう言いながらバロンが壊れた祠の残骸を除けて、石仏を起こそうとする。夕姫も呆れながらも手伝いなんとか地蔵菩薩の石仏を元の台座に戻す。力仕事を終えたバロン達が振り向くと子河童の後ろに僧形の男が立っていた。夕姫にはすぐ男が生身で無い事がわかった。生身の人間は鼓動位聴こえるものだ。バロンの力で強化されていても、子河童も僧からも鼓動が聞こえてこない。

「どちら様です?」つい警戒心から口調がキツくなってしまう。

「拙僧はこの地に逃げ込んだ彼らの供養の為に訪れた旅のもの。その石仏を戻してくれて痛みいる」僧の言葉は直接脳に語られる様にニュアンスが伝わった。そしてこの地で起きていた悲劇が断片的に脳裏に浮かぶ。そしてバロンと夕姫は河童達の正体を知ってしまった。

「この者達は気の毒だが、生者を害するとは捨て置けない。そろそろ引導を渡すべきか。そなた達、早々にこの地から立ち去られた方が良かろう」僧はそう言い残すと踵を返し森の奥へ消えてしまう。

 バロンと夕姫は僧から受け取ったイメージから何をするかわかってしまい、慌てて輝虎を連れ戻しに走った。


 サブロウを軽くあしらった後、トラと対峙した輝虎は全身に力がみなぎっていた。バロンのお伽草子のおかげか、夕姫との約束に目がくらんだせいか分からなかったが今日は負ける気がしなかった。トラから打ち寄せる気力はとんでもなく強力だったが、今の輝虎には何するものぞという勢いだった。

 行司河童の合図と共にぶつかった衝撃は、ダンプカーが正面衝突したかのようだったが、両者とも一歩も引かないいい取組だった。

 集会場の声援もピークに達する。輝虎もそうだったがトラもこれほどの相手と対峙するのは初めてらしく、浅黒い顔に汗が噴き出る。

「トラって言ったな。俺も虎がつくんだ。悪いが今日は俺がこの勝負もらうぜ!」輝虎は勢いをつけてトラを高々と持ち上げ投げた。トラは自分が持ち上げられるとは信じられず、目を白黒させていたが、投げられて観念した。

 集会場は割れんばかりの歓声に包まれた。そこへバロン達が現れる。気が付くと僧形の男が長のそばで何か声を交わしている。

「誰だアレ?」輝虎が思わず口に出すと、そばまで来た夕姫が

「助平テル、ここ、このままだとマズイわよ。一旦逃げましょう」説明を省き、非常事態だと告げる。

「どっちへ向かえば良い?」即座に対応した輝虎は逃げ場所を尋ねる。

「あっちに行こう!岸に近い」バロンが示した方向は佐々木じいさんの集落と反対の方で、実際川岸に近い。万が一泳ぐ事になっても近いほうが良い。

 輝虎は荷物を拾って会場を見渡すとすでに静まり返り、なんとも言えない表情で皆がこちらを見つめる。自分たちにこれから起こる事を知っているようだった。僧形の男も微笑んでおり、早く行くよう手で促す。最後にトラを見るが満足した様子でニヤッと笑った。


 森を出るとやはり辺りは暗かったが、岸の方は東なので少し空が白み始めていた。

 どうしたものかと考え始めると、上流側から小さな光が点滅するのが見えた。夕姫の目には犬神が四角いボートに乗ってライト照らしているのが見えた。

 こちらからもライトを照らすと犬神がオールを漕いで近づいて来た。

「おーい、大丈夫か?」犬神は声をひそめながらも無事を確認する。

「早く乗り込め!洪水注意報が出てるぞ」犬神が大変な事を言い出すが、バロンと夕姫は顔を見合わせる。さっきの僧から受とったイメージ通りだったのだ。

 慌てて三人は乗り込み、犬神と輝虎がオールを取って漕ぎ岸を目指すが一足遅かった。

 上流で発生した大雨により鉄砲水が発生し、川に沿った奔流が全てを押し流していく。犬神のボートも気付くと逃げられ無い距離に濁流が押し寄せて、四人はオールを離し、ボートの縁にしがみつく。

 ボートは木の葉のように回転しながら流されていった。バロンは自分でも不謹慎だとは思ったが、遊園地のアトラクションを思い出していた。

 そのうち輝虎がバランスの取り方を覚え、回転を止めた。上手くすればある程度進む方向も変えられそうだった。輝虎は必死にバランスを取りながら、岸に向かうようボートを傾ける。

 しかし前方に橋が見えてきた。正面に橋桁がある。あれに当たったらひとたまりもない。

「テル!よけて!」独創性の無い夕姫の注意喚起にイラッとしながらも輝虎は橋桁を避ける。橋桁脇を通過し切る前に輝虎がワイヤーを橋桁に投げる。

「テトラ!ナイス!」ボートを橋桁の下流側に入れる事に成功し、濁流が収まるのを待った。

 気づけば日が昇っていた。


 11


 後の話はアパートに着いてから概要を聞いた。

ボートが破損したと聞いた犬神は、犬吠から予備の組み立て式揚陸ボートを借りだした。やはり軍用らしい。ただしこちらには推進モーターが残ってなかった為、オールで漕いできた訳だ。途中で犬吠から天気予報から洪水注意報が出たと聞き慌てたが、すぐに中州に立っていた三人を見つけられた。

 鉄砲水はすぐに終わったが、あの中州は森の木を全部流されてしまい、残ったのは石仏位だったそうだ。佐々木じいさんの集落で祠を立て直す話が出ているらしい。

 昔、あの中州にはどこにも行けない人々が隠れ住んでいて、周りの集落ともやり取りが有ったそうだが、やはり洪水が起きた時、全て流されてしまった。

 気の毒に思った者たちが旅の僧侶に懇願し、石仏と祠を建てたそうだ。

 それ以来洪水は起きず、お地蔵さんのご加護だと言うことであの中州には立ち入りを禁じていた。そのうち木が生い茂り、森になった。きっと今回、河童と呼んでいたのはその時の住人の霊だったのだろうか。

 バロンは話を聞いて悲しくなった。あの人達もあんな場所に住まなければ流されてしまうことも無かったろうにと。きっと大事なお地蔵さんが倒れた為に、この世にさまよい出てしまったんだろう。

 バロンが世界で見てきた難民やストリートチルドレンにはもっと酷い環境で暮らしている者もいたが、一人でも多くの人がそんな暮らしから脱却し、自由に暮らせないものかとバロンは改めて思った。

 あのまま亡くなっては化けても出たくなるはずだとも。

 針の付喪神の抜け殻の針は犬神から預かることができた。事務局から特別の許可が降りたそうだ。犬神が事務局を熱心に説得したのだが、そんな様子は微塵も感じさせない程、アッサリとバロンに手渡した。ペンタを引き取りに行きながら預ける事にした。


 夕姫に妹から電話が入った。携帯電話はお務め用なので、男子部屋に引いてある固定電話に掛かって来るようになっている。

「もしもし、紅。せんべい着いた?もう食べちゃった?早いわね」凰家もみんな大食漢なので驚きはしないが呆れた。昨日届いたばかりのはずだ。

『それよりお姉ちゃん、大変だよ』いつもテンションの低い紅にしては興奮している。

「何が大変なの。また瑠璃か翡翠が床でも抜いたの?」瑠璃と翡翠は紅の三つ子の妹だ。下の二人は誰に似たか、わんぱくでイタズラ好きだ。この間も道場の床をぶち抜いた。

『違うよ!今回は瑠璃も翡翠も関係ないよ。あのね、庭先にある古い井戸が有ったでしょう。それをパパがガーデニング始めるとか言って掃除したら温泉が出ちゃったの!』実家の変事を妹から告げられた。途端に夕姫の脳裏に

―「あー、帰っても毎日温泉に入れないかしら」―

旅館での自分のセリフがよみがえる。グギギギッと首を回し呑気にテレビを見ているバロンを見る。イヤ、バロンが悪いんじゃない。軽はずみにあんなことを言った自分が全て悪いんだ。

『ママ喜んじゃってお風呂増築するって。今度から温泉入り放題だよ』もう紅の声も夕姫には届いて無かった。改めてお伽草子の恐ろしさを知った。

 まあ、家を出る予定は無い。一生あの家に住むのなら良かったと素直に喜ぶべきだろうが、なんか違う気がする夕姫だった。輝虎に話したら呆れるだろうか、笑われるだろうか。


 翌朝の日曜日、バロンと夕姫は黒猫ペンタの引き取りに白桜神社に向かった。輝虎は食材の買い出しに行くと言って同行しなかった。猫一匹引き取るのに三人も要らないだろうとの言い分だった。

「ユキねえ、お土産ってソレ?」バロンが夕姫の抱える一斗缶を指差す。実家にも送ったせんべいが入ったものだ。

「アラ、美味しいわよ。食べたでしょ」確かに輝虎が購入した分を分けてもらって食べている。

「でもコレを受け取ったあの母娘、どんな顔するか楽しみね」夕姫がイタズラを企んでる顔で言う。

 神社に到着し石段を登ると、夕姫には見覚えの有る少女が境内を掃いていたが、こちらに気付くと社務所へ逃げていく。

「親戚の子かなー?」バロンが呑気な事を言っているが、夕姫はアイツ、バレたなと思った。雪桜がいるのだ、気付かれないほうがおかしいか。しかし巫女の装束を着させられているあたり、こき使われているのだろうか。

「バロンくん、お帰り」何事も無かった様にペンタを抱いた弥桜が社務所から出てくる。

「ただいま、吉野さん。ただいまペンタ」バロンが何も気付かず、弥桜とペンタに挨拶する。

「さっき、小さな女の子がいたけど誰なの」夕姫が知らないフリをして白々しく尋ねる。

「エエッ!そ、そんな子いたかなー」明らかに動揺して、弥桜は挙動不審になる。母親の後を継ぐため修行しているそうだが、精神力はまだまだのようだ。しかしこれで白桜神社はペンタの正体を知っている事が分かった。

「僕も見たよ。吉野さんと同じ装束を着て掃除してた子」バロンが無自覚に弥桜を追い詰める。夕姫は自分が始めた事とはいえ、弥桜が気の毒になった。そこへ娘のピンチに母親が現れた。

「従妹の五子ちゃんのことよ。弥桜」夕姫にはバレバレの嘘だったがバロンには通じたようだ。

「そうそう、五子ちゃんよね。さっきまで来てたの忘れてた」それを聞いていたペンタが不満そうに弥桜の袖を噛んでいるのを夕姫の目は見逃さない。

「ペンタ預かってくれてありがとう。コレ旅先で見つけたんで良かったら使って」バロンが弥桜に買ってきた鉄瓶の包みを渡す。

ペンタを引き渡した弥桜が受け取り

「開けて良い?」重い包みを受け取った弥桜が訝しむ。確かにあれをお土産に貰う事は少ないし唐突かも知れない。少なくとも学生が買うものじゃあまり無い。包みを開け鉄瓶を出してみた弥桜は感動し

「わあ、ありがとう!バロンくん。これでいっぱいお茶入れてあげるね」バロンはお茶を飲みにここへ通わないといけないらしい。

「私には無いのかしら」雪桜がお土産の催促のような事を言う。

「オバさまにはこっちです」夕姫が抱えてきた一斗缶を差し出す。雪桜は一瞬ギョッとするがすぐに思い当たったのか缶を受け取る。

「食べ物をいただけるとは視えたんだけど、こんなインパクトの有るモノがわからなくなるとは…」お土産は嬉しかったが、自分の遠見の衰えに肩を落とす雪桜だった。

「母さん。こんな珍しいモノ、普通判らないよ…」弥桜が母親を変な風に慰める。

「でもこんなにたくさんお煎餅もらって食べ切れるかしら」雪桜が消費を心配するが

「大丈夫ですよ。私の実家では半日で食べ尽くしましたから」夕姫がまったく参考にならない比較対象で保証する。

「そう…ありがたく頂くわ。ご馳走さま」バロンにもわかる苦笑いで礼を述べる。

「吉野さん、電話で変なこと言ってたけどペンタ、本当にいい子にしていた?」何も気づいていないバロンがペンタの話を蒸し返す。

「モチロン!ペンタちゃん本当に良い子にしてたんだから」妙に力の入った弥桜だったが

「ここのところ受験生の合格祈願やら、お礼参りで猫の手も借りたいぐらい忙しかったから助かったわー」見かねた雪桜が話を引き取る。

「ペンタちゃん、参拝の方々に人気だったのよ。いっそウチに引き取りたいぐらい」雪桜がワルイ笑顔を浮かべている。事情を察した夕姫はイイ性格してるなーと思った。何も知らない素直なバロンは額面通り受け取ったようだ。

「どうする?ペンタ?」腕の中の黒猫に面白がって尋ねると黒猫はイヤだとばかりにバロンの制服に爪をたてる。弥桜の顔が微妙に引きつったような気がしたが気のせいだろう。

「ダメみたいです」バロンは苦笑しながら答えた。

「ああ、残念。でも出掛けるときは何時でも預かるから遠慮なく連れてきて」雪桜が面白半分にそう言う。

「わかりました。…ところでお願いがあるんですが」バロンが懐からハンカチに包まれた付喪神の抜け殻の針を出す。雪桜が受け取り、かざして見る。

「相変わらず珍しいモノ持ってくるわね。これが旅の目的だったの?…付喪神の抜け殻かしら。随分古いモノらしいけど、もう何も中身は残って無いわよ。…そうね、なにかの依代にはなるかも」雪桜が鑑定した内容を話すと

「依代って?」弟子たる娘が尋ねる。

「強い呪いとか、疫病なんかよ。そういうモノを入れる器ね。これに封じて川に流したりするの。流し雛って前に話したでしょう。あれの容量が大きいモノ」師匠が教授する。

「そうなんですか。コレ、預かって頂けませんか?抜け殻とは言え、人が捨てて化けて出てきたなんて物だとしても可哀想で」バロンがお願いした。

「わかったわ。当杜で責任を持って預かるわ。お土産も戴いちゃったし」なんか動機が不純なような気がしたが、これでバロンの思い通りになった。


 12


 ペンタを連れてアパートに戻ったバロンは、夕姫と買い物から戻っていた輝虎に黒猫を預け、お土産類をバッグに入れ再度外出する。横浜で乗り換えついでにお土産を買い、東京に向かった。

 東京駅の八重洲口から出て、東に歩いていく。バロンには目をつぶっても歩ける馴染みの場所だ。

 バーのあるビルにたどり着く。『バロンの館』と書いて有る看板の店のドアをくぐる。薄暗い店内のカウンターにはガッシリとした長身の白いヒゲをはやした老人が新聞を読んでいた。

「ただいま、ジイちゃん」バロンが声を掛けると

「おー!タロウ、よく帰って来た!」新聞から顔を上げ、全身で歓迎を表すバロンの祖父だった。ミュンヒハウゼン家現当主、アレクサンドル八幡その人である。バロンの育ての親であり、元冒険家、そしてバー、バロンの館とこのビルのオーナーでもある。この界隈でバロンや男爵と言えば楓太郎ではなく、アレクサンドル、通称アレックスのことだ。

「冒険は順調か?なかなか良い顔つきになったな」そう言いながらバロンの好物の葡萄ジュースをグラスに注いでくれた。バロンはカウンター席に座るとバックからお土産を出した。

「岩手県に行ったから南部鉄器の鍋敷きと煎餅、それと今住んでいる神奈川土産」祖父アレックスに持って来たお土産をカウンターに並べる。

「おー、ありがとうな。旅はこれが楽しみだな。ワシも若い頃は世界中から記念品を持って帰ったものだ」店内には壁といわず、棚といわず隙間があればアレックスが若い時に冒険で手に入れた、いわれがあるという珍品が溢れている。

「お前も冒険を楽しめ。若い内しか出来ないからな」久しぶりに孫が帰ってきて相好が崩れっぱなしのアレックスだった。

「昼飯は食ったか?」

「ううん、まだ。久しぶりにジイちゃんちで食べようと思って」

「何でも言え、作れないモノはないから」大きい事を言うアレックスだった。

「ハヤシライス有る?」バロンが食べ慣れた好物をリクエストする。

「わかった。世界一のハヤシライスを出してやる」と言いながらも業務用冷蔵庫から作り置きを出し温め始める。

「楓さんには会ってるのか?」鍋を火に掛けながらアレックスが問う。

「母さんにはこの後会いに行くよ。…父さん、こっちにも帰ってこないの?」後半声のトーンが落ちるバロンだった。祖父の前ではあまり出したくない話題だった。

「ないな。楓さんからはなにか聞いてないのか?」逆にアレックスに尋ねられるバロンだった。

「最後はネバダから入金が有ったって。ねえ、父さんって何してる人なの?」バロンの父親、八幡来人の事を尋ねる。バロンとは小さい頃にあったきり、しばらく声も聞いていない。母親は電話を受ける事が有るらしいが。バロンの祖父は難しい顔をしてバロンにハヤシライスを出す。

「ワシもハッキリとはわからんが、特技を活かして楓さんの活動資金を調達しとるらしいの」アレックスは言いづらそうに知っている事を話す。一族に伝承されるお伽草子(アレックス達はフェアリーテールと呼んでいるが)については、特技と言って誤魔化した。

「…父さんは僕がキライなのかな?」バロンが長年の疑問を口にする。

「そんな事は無い!あやつは潔癖症でな、自分のやっている事が許せていないのだ。決して間違ったことはしとらんのに自分の今の姿をタロウに見せたく無いと悩んでおるのだ。すまんがもう少しお前の父親に時間をやってくれ。クルトがお前達を愛しているのは絶対に間違いない」バロンのハヤシライスを食べるスプーンが止まるほどの勢いで否定するが、最後は悲しそうに話した。ワシを恨んでおってもなと最後につぶやく。その時

「坊っちゃん!帰ってたんですか?」カウンターの奥の厨房の方から女性の太い声が掛けられる。

「やあ、三雲さん、元気みたいだね。おじいちゃん迷惑かけて無い?」バロンが明るい声で応える。さっきまでの深刻な雰囲気が吹き飛んでいく。三雲と呼ばれた女性は年配の恰幅のいいオバサンだ。アレックスに雇われてバーの調理係から身の回りのことまでこなす、スーパーウーマンだ。バロンが就学してからの母親がわりの女性でもあり、小さい頃はミクモママと呼んでいた。アレックスとバロンにとっては家族同然だ。

「なにを言う。ワシはまだシッカリしておるぞ」アレックスが不本意とばかりに抗議する。

「ええ、ええ、酔い潰れるのもまだ週3回だし、寝坊も2日にいっぺんですものね」三雲はバロンに告げ口する。やっぱりなと苦笑いするバロンだった。

「坊っちゃん。今日はお泊りで?」三雲に宿泊の予定を尋ねられる。一年前までこのビルの上階で暮らしていたのでまだ部屋はそのままのハズだ。

「そうしたいところだけど、明日は学校が有るし、これから母さんの家に行く予定なんだ」バロンは予定を伝え、残念だけどと言った。

「ではこの次にでもゆっくりいらして。お友達もご一緒に」三雲は何時でも良いですからと言ってくれた。


 色々と近況を話せる範囲でアレックスや三雲に披露し、母親のところに行くならばと惣菜をドッサリ受け取り、来る前より荷物を重くしたバロンが銀座に向かった。夕姫達に贈るホワイトデーのお返しの品を受け取る為だ。

 輝虎に頼まれた物は黒を買い、自分が弥桜に送るものは白を買った。荷物はさらに大きくなってしまったが、後は母親のマンションに行くだけだ。日比谷線に乗り、中目黒まで行く。

 駅からすぐのマンションに歩き出す。母親のマンションにたどり着き、カギは持っているがオートロック前でインターホンを鳴らす。すぐに返事が有った。

「ハイ、富士林です。楓太郎?今開けるわね」モニターですぐにバロンだとわかって、オートロックを開けてくれた。カウンターにコンシェルジュがおり、

「おかえりなさい」と声を掛けられる。バロンは何日も住んだ事は無いが、顔を覚えているのだろうかと疑問を持ちながらも笑顔で通り過ぎる。いつ来てもこういうのに慣れない。

 エレベーターで母親の部屋のある階に降りた。すると楓が出て来ており玄関の前で待っていてくれた。

「お帰り、楓太郎」そう言う母は少し痩せた様に見えた。


 お土産の鉄瓶、煎餅、横浜で買ったお菓子と三雲さんに預かった惣菜を出す。

「楓太郎、良いのよ、お土産なんて、母さん嬉しいけど、お前が無事なのが一番のお土産だから。でも三雲さんの料理は美味しいから助かるわ」バロンの母、楓は女性にしては長身で夕姫より少し低いくらいだ。もう少しで抜けるぞとバロンは思った。痩せているが夕姫よりは胸部に余裕がある。ショートカットで最近眼鏡をかけ始めている。部屋の中は楓らしく、物が少ないので散らかってはいないが、ところどころ薄っすらとホコリがあり、掃除は行き届いていないらしかった。

「母さん、疲れてない?」バロンは母親を気遣った。母も四十半ばだ。今でこそ功績が認められ、組織の代表をやっているが、2、3年前まで紛争地帯や、社会的に問題のある国を渡り歩いていた。バロンは十分に働いたと思うが、本人にとってはまだまだらしい。

「慣れない書類仕事ばかりやってるから、身体がなまっちゃう。スポンサー達は私が世界をうろつき回るのがイヤで、机に張り付けておきたいみたい」楓は誰かにグチを言いたかったらしい。

「このマンションもそう、私はこんな立派な部屋じゃなくて良いと言ったんだけれど、セキュリティがとか、代表としての示しがとか言って経費を使って。この部屋の家賃で、どれだけの子どもたちに美味しい食事を提供出来るかなんて考えて無いのよ」楓のグチは続くが、バロンは安全に関しては他の人に同意だった。小学校に上がる前までと、小学生高学年の頃、母親と世界の危険地帯を渡り歩いたが、何度も危険な目に会ったし、直接命を狙われた事も有った。何で助かったのかわからないと言われた事も数え切れない。これだけ名前が売れていれば日本で命を狙われないとも限らない。楽天家のバロンからみても楓は自覚が絶対に足りない。母親が内勤になってバロンはホッとしていたのだ。

「まあ、体に気を付けてね。自分でも栄養のある物食べなきゃダメだよ」母親は自分の食事より目の前の子供達の食事の方に興味を持ってしまう。

「ところでそっちの荷物はお土産?それともホワイトデーのお返し?」母親に一番聞かれたくない事を尋ねられる。

「…ウン、テトラに頼まれたモノと、ね」バロンは曖昧に言葉を濁す。

「小さいときから、もててたものね。小学生のバレンタインデーに大荷物で帰ってきたの今でも憶えてる。父さんもいい男だからしょうが無いわよね。で、本命が居るのね?どんな娘なのかしら」母親に追求されたバロンは言葉に詰まりながら

「…パン屋のマリアちゃん覚えてる」言い難そうに切り出す。

「…ああ、あの娘ね。残念だったわ」楓のトーンも落ちる。マリアとは東欧の紛争中の国に住んでいた、パン屋夫婦の一人娘だった。バロン親子が借りていたアパートの近くに住んでいて、バロンと同じ歳だったのでよく遊んでいたが、ある日民族抗争に巻き込まれて、死んでしまった。その後抗争が激しくなったその国からバロン親子は避難した。

「あの子にちょっと雰囲気が似てるんだ。笑顔があたたかい気持ちにさせてくれる」バロンが思い出したように優しい顔で母親に語る。

「一度会ってみたいわね。なんて言う娘なの?」楓は息子の好きな人に興味がわいた。

「神社の娘で吉野弥桜さんて言うんだ。神楽を舞うところを見たことがあるんだけれど、この世のものとは思えない程キレイなんだ」

「そう、本当に好きなのね。…男の子はみんなどこか行ってしまうのね」楓が寂しそうに言う。

「お務めが終わったら一緒に暮らそうよ。出来れば父さんも」バロンがそんな母親を気遣って提案した。

「そうね。考えておくわ」楓が苦笑いをする。

「ねえ、母さん、父さんってなにをしているの。何で帰ってこないの?」今まで聞いてはいけないと思って胸の内に留めていたが、思い切って聞いてみた。

「楓太郎、父さんはね、私のやりたい事の為にお金を集めてきてくれているの。今の地位に就けたのもあの人のおかげよ。非合法では無いけれど、危ない事をしてお金を作っているらしいの。その為に世界を飛び回ってくれているの。決して不仲な訳でも会いたくない訳でもないのよ。離婚なんて一度も考えたこと無い。楓太郎には辛い思いをさせてるけれど」楓も貯めてたものを一気に吐き出したようだ。いつか尋ねられる事を予期していたのだろう。

「私が今の仕事を辞めれば、あるいは帰ってきてくれるかも知れない…」楓は思い詰めた様につぶやく。

「そんな事考えないでよ。母さんの仕事は立派だよ。世の中の人を一人でも多く救ってあげられる、素晴らしい活動だよ」バロンは母親を追い詰めてしまったことを後悔した。

「…今回、東北でのお仕事、詳しいことは言えないけれど昔、人里に住めない人達の隠れていた跡に行ったんだ。その人たちは行き場が無く、川の危ない所に住んでいて、終いには川の氾濫で流されてしまったんだ。僕は思ったよ。安全に暮らせる場所さえ在ればそんな最期を迎える必要は無かったろうにと。災害全てを防ぐことは出来ないけれど、逃げられる場所には居られたんじゃないかと」バロンが先のお務めで痛感した事を語る。

「僕は最近、思うんだ。人間が、ううん人間以外の動物や植物も、もしかしたら物さえも、らしく生きて死なないと悪い事になるんじゃないかと。恨みを残したり、世界に悪いものを残していくんじゃないかと」バロンがお務めを通して感じていた事を母親に吐露する。

「母さんの仕事は人が人らしく生きて死ぬその手助けをしていると思うんだ。母さんと同じ道では無いかも知れないけど僕もそんな、人の為になることをしたいと思ってるよ」バロンの思いを母親に告げた。楓は近づきバロンの頭を抱き寄せる。

「楓太郎、あなたは本当に良い子に育ったわ。小さい頃から私に振り回されて世界の果てに行ったり、仕事の都合でお義父さまのところに置き去りにしたのに」楓はバロンを抱きしめたままうつむく。

「母さん、もう僕子供じゃないよ」バロンは抗議するが

「親からみたら自分の子供はいつまでも子供よ」楓は知らないうちにたくましくなった息子の感触を確かめる。

「母さんやジイちゃんに愛されているのはわかってたからね。…でも、だからこそ父さんに会ってみたい」バロンは母親に願いを伝えた。

「わかったわ。今度連絡が取れたらあなたが会いたいって言っていたと伝えるし、いい加減一度帰って来なさいって言ってやるわ」楓は力強く宣言した。バロンが訪れたときより元気になったようだ。 


 その頃、中米の繁華街でちょっとした騒ぎが有った。この街で中規模のカジノの前に白いオープンカーが滑り込む。それと同時に早足でカジノから三人の男たちが出てくる。周囲の人々は何事かと一瞬注目を集めるが、非常ベルもならない為、すぐに興味を無くす。

「上手くいったか?」運転手が男たちに声を掛ける。三人はドアを開ける間も惜しみオープンカーに飛び乗る。

「ゆっくり出してくれ」助手席に座るリーダー格の男は鈍いブロンドで後ろにお下げがある。

「上手くより、やり過ぎないようにする方が大変なんだ。今回もつい気を抜いて大当たりを出してしまった。目立ち過ぎだ」リーダーは意外に神経質な事を言う。

「そうだな。ちょっと今回は目立ち過ぎた。クルト、一晩に十万ドルは勝ちすぎだ」カジノから一緒に出てきた黒いスーツの男がリーダーのクルトを軽く責める。どうせいつもの事だ。四人はクルトの能力、フェアリーテイルでカジノの当たりを引き寄せていた。クルトがその気になれば大当たりなど連続で出せるし、一晩でカジノを潰せる。いつもは目立たず、勝ち負けを繰り返し、少し勝ったところで引き上げるという事を続けるはずが、今日一晩で大勝して目立ってしまった。

「蒸し暑いこの国からさっさと出たいと軽く思ってしまったんだ。スマン」クルトが三人に謝る。そう、バロンの実の父親でアレックスの一人息子来人だ。

「仕方がない。俺たちはアンタを頼りにこんな事をしてるんだ。自分の役割は演じきるさ」グレーのスーツの男が背後を見ると、ナンバーを隠したドイツ車が2台付いてきている。うっかり大勝すると店はすんなりと出してくれるが、後を付けられる事がしばしばある。こういうトラブルを避けるがためクルトの能力を制御したいのだが、トラブル好きの神様がそうは許してくれないらしい。

 ドライバーは市街地を抜けるまでなるべく目立たない様にスムーズにオープンカーを走らせる。

 黒スーツの男がリボルバーを出し、弾を確認する。この国で入手してからこの銃はまだ撃ったことが無い。とうとう市街地を区切る橋にさしかかる。

 きっと追手も人目が少なくなれば本気を出すだろう。そう考えるまでも無く、発砲してくる。この車はドライバーの男が逃走用に用意し、防弾処理を施している。オープンカーなのでどこまで有効か判らないが。

「いくぜ」黒スーツの男がリボルバーを連射するが、後方の追手の車では無く、あさっての方向に銃口を向けていた。しかし弾は何度も跳弾し、見事にドイツ車のタイヤに当たって走行不能にする。

 追手を置き去りにし、まんまと逃げおおせ、空港にたどり着く。

 ドライバーの男はオープンカーを乗り捨てるのを嫌がったが、また新しいクルマを用意する約束をするとしぶしぶクルトに従った。四人は空港のトイレでグレースーツの男に変装を施され、税関を通り抜け金を持ったまま、今度はアジアに向かった。


 13


 バロンが東京土産を持ってアパートに帰って来た。久しぶりに輝虎と夕姫の二人っきりになっているので、進展が有ったら良いなと思いドアを開けると、そこには惨状が広がっていた。犬神がよく寝ているソファーは中身がはみ出し、床には壊れた食器が散乱している。

「どうしたの?夫婦げんか?」

「「夫婦げんか違うっ!」」息の合い具合からすると違うようだ。テーブルの上で黒猫ペンタがあくびをしている。

「この子にいうこと聞かせようとしたら大暴れして…」夕姫は乱れた髪を搔き上げ、くたびれた顔で言う。ペンタはテーブルから降りてバロンに歩みより飛びついた。バロンはペンタを抱き寄せ

「ダメじゃないか。ちゃんとユキねえとテトラの言うこと聞かないと」バロンが優しくたしなめる。ペンタは不本意そうにニャアと鳴く。その様子を夕姫が複雑な表情で、なにか言いたそうに見ていた。

「今度暴れたら承知しないからな」顔に引っかき傷が残る輝虎が負け惜しみの様に言う。

「もう大丈夫よ。話をつけたから」と言う夕姫のセリフに

「そんな子供に言い聞かせるみたいに言って。ペンタは猫だよ」人間の言うことなんて分かる訳ないと言うバロンの顔を舐めるペンタだった。

 後片付けは人間三人で行った。輝虎がコンビニエンスストアで買ってきたもので夕飯を済ませ、バロンの東京土産を食べた夕姫は多少、気分が良くなったようだ。ペンタのエサが今日はなんだかいつもより豪華な気がする。

「約束だから」と謎な事を言う夕姫だった。


 輝虎とバロン、ペンタを残し夕姫は自分の部屋に帰って行った。

「いいわね、約束守りなさいよ」とペンタに言い残して。形容のし難い違和感に首をひねるバロンだった。


 部屋に戻った夕姫はバロンの持って帰ったふくらんだカバンが気になり、聞き耳を立ててしまった。お伽草子で強化された聴覚はその気になれば隣の部屋の会話など筒抜けだ。

『…これ、テトラのに頼まれた分。イイ感じでしょう?』夕姫が帰った後、早速東京で取ってきたと思われるホワイトデーのプレゼントを輝虎に渡しているようだ。

『…本当にこんなの、アイツ喜ぶか?』輝虎は半信半疑のようだ。

『…ほら、吉野さんには白で、ユキねえには黒だよ。きっと毎晩使ってくれるよ…』盗み聞きをしていた夕姫はドキドキしていた。バロンが買ってきたモノは下着だと思い込んでるため、輝虎から自分に贈られるのは黒い下着、バロンから弥桜には白い下着を渡すのかと想像して、一人で赤くなった。毎晩使うとはバロンはどういうシチュエーションを想定しているのだろうか?まさか…

 夕姫は色々と妄想してしまい、なかなか寝付けなかった。


 14


 ホワイトデー当日、夕姫は意識しすぎて朝から空回りしていた。幸い輝虎にもバロンにも気付かれてないと思う。料理中に何回か包丁で手を切りそうになり、卵焼きを少し焦がした。

 バロンからは高級チョコレートの詰め合わせを朝もらった。弥桜と違い、順序は関係無いようだ。

 しかしバロンのチョイスらしく、素晴らしく美味しいが聞いたことの無い銘柄だ。もしかしたらものすごくお高いのでは?

 輝虎からはきっと夜、渡されるのだろう。

 今日のバロンは通学用のカバンの他に大きな手提げを二つも持っていた。いつもの様に白桜神社に着き、住居の入口まで行くと弥桜が待っている。

「おはよう、吉野さん。これ、バレンタインのお返し。学校に行く前だけど渡しちゃうね」バロンから軽そうな方の手提げを渡される。

「ありがとう。バロンくん。開けても良い?」受け取った弥桜が中身に興味を示すと

「ちょっと待って!…もう学校に行かなくっちゃならないから後の方が良いよ!」慌てて開封を止めるバロンだった。輝虎も何故かホッとしている。確かに下着だったらここで見られるのはマズイだろう。夕姫の耳でも袋の中身は自分と同じようなチョコレートの詰め合わせと、繊維で出来たものとしか判らなかった。

「…ウン、わかった。帰ってからの楽しみにするね

」過剰な反応に一瞬驚いたが、バロンを疑わない弥桜は素直に応じた。一旦自分の部屋に戻り、荷物を置いてから学校に向かうことにする。


 バロン達と登校途中、弥桜はバロンのカバンに気が付いた。新しいキーホルダーが付いていたのだ。

「バロンくん、そのキーホルダー河童さん?」弥桜は興味津々で尋ねる。

「ウン、最近河童のファンになってね。実家に行った時に母さんから譲り受けた物なんだ」バロンがキーホルダーの由来を話す。輝虎と夕姫は顔を見合わせる。バロンが妖怪ファンに成らないか心配したのだ。ただでさえバロンは怪に感情移入しすぎている。あまりそういう事が続くとお務めに支障が出るかも知れない。

「これを見て、これ以上悲しい事が起きないようになにか出来ないかと思い出せる様にしてるんだ」バロンが優しい笑みで話している。バロンなりに心の整理を付けているのかもしれない。


 学校ではバロンと輝虎がバレンタインのお返しをしていた。バロンどころか輝虎も律儀にお返しリストを作っており、慣れない事で苦労して配り終えたハズだったが、何人か分余った。リストをチェックするとバロンのクラスメートの女子が休んでいた。結構目立つ子ばかりだったので二人共首を傾げる。

「まあ良いさ。出てきてから渡そう」バロンは深く考えずにそう思った。休んでいる女子はバロンのリストの中ばかりだったのだが。


 昼休み、お弁当を食べ終わるとバロンはまた図書室に向かった。日本の妖怪について調べたかったのだ。お目当ての本を見つけ、河童の由来について調べるとやはり良い事は書かれていなかった。いわく水死体の様子から連想した、いわく間引(口減らし)を隠す為など、他の妖怪に比べ具体的に書かれていた。全国に類型がいる身近な妖怪なだけに考察が進んでいるとも言えるが、それだけ悲劇があったかもしれない事にバロンは心を痛めた。そしてあんな結果になってしまったが、討伐に及ばないで済んだことを感謝した。

「へー、水虎とか、河虎って呼ばれることがあったんだ」


 アパートに帰り、今日は牛丼を買って帰ったので夕飯を済ませた後、バロンは気を使い早めに自室に入った。いつもどおりペンタと一緒だった。最近、その姿を夕姫達が複雑な表情で見送っている気がする。

 やはりバロンに気づかれない様にハンドサインで誘われた夕姫は風呂に入ってゆっくり屋上に向かう。大丈夫、私は冷静だと自分に言い聞かせながら屋上に出る扉を開く。バロンが呼ぶレッドバレンタイン以来、ここに来ると思い出して腹が立ちそうなので近づかなかった。

 輝虎が寒そうに街の灯りを眺めていたが、夕姫が来たことに気が付き振り返る。

「遅ぇーぞ」文句を言う輝虎の手に大きな黒いモノがある。屋上には照明なんて無いので、夕姫の目でも何かわからないそれを輝虎が放ってくる。

 バフッと受け取ったモノはシッカリした重さがあった。

「クマ?」そう、夕姫が受け取ったモノは真っ黒いクマのぬいぐるみだった。夕姫は盗み聞きから勝手に下着と早とちりしたが、バロンはぬいぐるみを買ってきたのだ。そうすると弥桜にもぬいぐるみをプレゼントしたのだと気付く。自分の暴走を振り返り少し赤くなった夕姫だったが幸い暗くて気付かれまい。

「俺は良くわからねえが、バロンがこれが良いって」輝虎の口調に照れが滲む。確かにこの大男がぬいぐるみを買いに行く姿は想像出来ない。まあ、夕姫もぬいぐるみなど買いに行った事は無いが。今までぬいぐるみはゲームセンターの景品位か。確か妹達の部屋には父親が買い与えたぬいぐるみが山積みされていた気がする。

「嬉しいわ。なんかやっと女の子扱いされたような気がする」クマの感触を確かめるとすごく良く出来ているのがわかる。さすがバロンのチョイスだ。

「そうだな、俺と一緒に野山を駆け回ったりしてたからな」夕姫は怒るが、凰のヒクイドリと云う二つ名は伊達ではない。致命的なトラブルは起こさないが、数々の迷惑を各方面にかけてきている。ちなみに輝虎は笹伏の黒虎と呼ばれている。海老じゃ無いが。輝虎は手提げも差し出す。

「まあ、俺も念の為、食える物も買っておいたんだ。ぬいぐるみが気に入らなければクッキーで我慢してくれ」輝虎から渡された手提げの柄は夕姫が好きな洋菓子屋のものだ。こちらも大家族向けみたいな大きい缶が入っていた。おそらく、一番高い詰合せだ。夕姫はチョコレート一つで良いものが釣れたような気がした。女の子の特権だと思った。

「私はてっきり下着を…」ホッとした夕姫が口を滑らせる。

「下着ぃ!イヤ、さすがに下着は…」輝虎が驚いて真っ赤になる。

「ユーキが欲しいって言うなら、や、やらないでもねえが」輝虎は照れまくって最後はゴニョゴニョと言う。

「や。別に黒い下着なんて欲しくないのよ。ホントよ。ただ二人してなんか企んでるから、勘違いしちゃって」夕姫が動揺しながら弁解していると背後のドアの内側に気配がした。振り返り

「誰っ?」夕姫が声を掛ける。

「ニャ、ニャアーオ」下手な猫の鳴き真似がドアの向こう側からした。バロンの声だ。

 夕姫がドアを開けるとペンタを抱えたバロンが屈んでいた。

「ニャーン…」往生際悪く鳴き真似を続けるバロンだった。

「何してるのかなー」夕姫は額に血管が浮かびそうになるのを我慢して極力にこやかにバロンを問い詰める。

「ペンタと一緒に夜の散歩してたら話し声が聴こえたんで。でも二人って下着を贈り合う仲だなんて。これは吉野さんにも教えなくっちゃ」バロンが真剣な表情で言っている。散歩の件は嘘なのに。

「ニャー」バロンの腕の中でペンタが同意する様に鳴いた。夕姫はしまったと思った。バロンの口を止めても、ペンタは白桜神社で話しそうだ。この妖怪め。

「違うぞ!バロン、違うからな」輝虎が必死に否定するが、否定すればする程怪しく見える。

「僕はクマのぬいぐるみが良いって用意しちゃったけど、そんなものじゃ物足りない程進んだ関係だったなんて。吉野さんが聞いたらなんて言うかな」バロンの暴走は止まらない。夕姫はそんなバロンの両肩を掴み

「いい、バロン。あなたが思ってる様な事はナニ一つ無いのよ。わかってくれるかしら」夕姫はにこやかにバロンを説得する。後にバロンは猛獣が獲物を前に笑ったらこういう感じなんだろうと語った。

「ハイ、わかりました」抑えつけられた小動物の心境でコクコクと頷いた。夕姫は思った。やっぱりこの屋上は鬼門だ。ちっともロマンチックな展開にならない。


 15

 

 翌日、白桜神社に立ち寄ると弥桜が喜び半分、怒り半分で出てきた。

「バロン君、昨日はありがとう。忍者シロクマ本当に嬉しかった。大事にするね。それから聞いて聞いて、母さんたらひどいのよ!バロン君からもらったチョコレート、あまりに美味しいから少し父さんと母さんにおすそわけしようとしたら、母さんたら検閲って言いながら半分以上食べちゃったの!」弥桜は朝から一気にまくし立てた。忍者シロクマ?輝虎にもらったのは黒かったが特徴は無かった。バロン頑張ったな…夕姫はちょっと呆れた。チョコレートの件は納得出来る。バロンのアレは反則なくらいおいしかった。差し出されたら一個じゃ我慢出来ない。後でバロンにどこで手に入るか聞こうと思っているぐらいだ。

「そんなに好評だったの?そう、じゃあまた持ってくるよ。ジイちゃんに教わった店なんだ」バロンは弥桜をなだめる。弥桜にはまたプレゼントするらしい。これはご相伴に預からなくてはと夕姫は思った。


 四人は学校に向かった。バロンは今日こそ渡し損ねたホワイトデーのプレゼントを渡すつもりだった。昨日は何人かお休みだった為、

「僕のクラスの女子が何人か休んでいるんだ。何か風邪でも流行ってる?」バロンが気になった事をなんの気無しに弥桜に聞いてみた。

「風邪?ウチのクラスは引いてる人はいるけど、休んでる人はいないなぁ」弥桜は首を傾げる。

「そうね、もし風邪が原因なら男子にも休みが出ない?」夕姫がおかしな点を指摘する。

「そうだよね。休んでるの女の子ばかりなんだ。おかげでバレンタインのお返し出来てないんだ」バロンが困った顔でボヤく。

「へー、そうなんだ」弥桜は少しすねた。夕姫はそんなハトコがかわいいと思ったが、バロンの話が気になった。異変は身近なところにあるものだ。特にバロンの周囲では。

 夕姫は同じクラスのハズの輝虎を睨むがヤツは肩をすくめるだけだった。夕姫は役立たずは放っておいて、自分で調査することに決めた。


 バロンのクラスメート、梅田広子うめだひろこは暗い喜びにうち震えていた。通信販売で購入した呪術グッズが思いの外効いたようなのだ。

 バロンへバレンタインデーのチョコレートを渡した女子生徒4人まで原因不明の腹痛や体調不良で欠席に追い込めた。

 広子が知っているバロンにチョコレートを渡せた女子はクラスメートと別のクラスや先輩を含め12人、残りは8人だ。

 呪いは繰り返すほど強くなっていくのが判る。このままいけば、最後には命も奪えそうだ。そこまでは広子は望んでいないが、ライバルが減ればバロンが振り向いてくれるかも知れないと妄想する。そんな事は決して無いのだが。

 今日もバロンが一緒に転入してきた大男、確か笹伏と言ったか、二人で登校してきた。

 広子の席はバロンより後ろなので、授業中などは熱い視線を送っている。いつも亜麻色のお下げがチャーミングだ。いつかあれも手に入れたい。広子はそう懸想する。さて、今日は誰にするか。あのテニス部の先輩にしよう。あの女はチョコレートを渡す時に、バロンの手に触れていた。

 教室の外の廊下に高校に不似合いな小さい女の子がバロンの教室を覗いていた。

「あれ、こわい、キライ」広子を見てつぶやく。ペンタは思った。仕方ない。あのうるさい女に言ってみよう。ペンタは黒猫に戻り、アパートに帰る事にした。


 夕姫は調査しようと思ったが、バロンのクラスメートと全く接点が無いことに気付き、悩んでいた。かと言って男どもに欠席している女子の事を聞き回らせるのも違うと思う。アパートに帰った後、自室で悶々もんもんとしていると寝室のドアが開いた。

「だれ?!」侵入者の接近に気付かなかったのも驚いたが、そこにいたモノにも驚いた。

「ペンタ?」そこには女の子の姿のペンタがいた。この間の騒動で人間に危害を加えない事を条件にバロンに正体をバラさない、エサのグレードを上げる等を約束した。しかし夕姫はあまり好かれてない気がする。

「ユキ、バロンの学校にイヤなヤツがいた」仕方ないというふうにペンタは話す。

「イヤなヤツってどんな?」わざわざペンタが夕姫の部屋にまで来たのだ。バロンの身に危機が迫っている徴候かも知れない。

「バロンを見てる、イヤな女。イヤな感じがする。ねずみとか牛の時みたいだ。気を付けろ」ペンタはバロンの教室で見た広子の事を言った。

「学校に行ったの?ねえペンタ、どの娘か判る?」夕姫はペンタから情報を引き出そうとする。もしかしたら原因不明の欠席にも関係しているかも知れない。

「何くれる?」ペンタはご褒美を寄越せと言う。夕姫は悩んだ末、台所に行き夕姫専用の冷蔵庫からソーセージのスライスを断腸の思いで2センチほど出した。男どもには勿体もったいないので一人で夜食にちびちび食べていたものだ。

「これでどう?」ペンタの前にぶら下げる。

「わかった。…メガネを掛けた、陰気な女だ」それだけ言うとソーセージのスライスをかっさらう。ぺろりと食べて口の周りをめている。

うまいな、ご飯これが良い」ペンタは食事の改善を要求する。

「ペンタ、これは特別なご褒美ほうびなの。役に立ったらまたあげるわ」夕姫は笑顔を引きつらせながらペンタに言い聞かせる。

「そうか。じゃあユキがクマを抱いて寝てるのテルに話してご褒美もらう」ペンタは夕姫をおどす。夕姫は聴覚が強化されてから、少しの物音で目が覚めてしまう事が有ったが、おとといもらった黒クマのぬいぐるみを抱いたまま眠ってしまったら、朝までぐっすり寝られたのだ。いつの間に見られたのだろう。なんとか口を塞がなくては。

「ペンタちゃん。女の子の秘密をあまり言いふらすのは良くないわよ」夕姫は心の中で泣きながらソーセージの残りを全部出す。

「わかった。ペンタ黙ってる」ペンタは妖怪らしく大口を開けて呑み込む。満足したようで秘密にすると言った。ペンタは根性は悪いが言った事は守る。ひとまず安心だ。

「じゃあな」ペンタはドアを開けて出ていった。確認すると玄関のドアのカギは掛かったままだった。

「妖怪め」夕姫は思わずペンタが帰っていったはずの男部屋の方を睨む。

 しかし、貴重な情報が入った。バロンのクラスの眼鏡の女子を当たってみよう。

 夕姫は今晩も黒クマを抱いて眠った。


 翌朝、夕姫は早速、輝虎に眼鏡女子のクラスメートの心当を尋ねる。

「眼鏡を掛けたヤツねぇ二人くらい、いたかなぁ」輝虎はうろ覚えらしい。

「目立たない娘かも知れないんだけど」夕姫が特徴を追加する。目が悪い生徒は多いが、年頃の女子はコンタクトレンズの利用者も多い。常時眼鏡を掛けているかは判らないが、ペンタの証言の感触からすると、地味めらしいのでコンタクトレンズは使用していない気がする。

「竹下さんと梅田さんは眼鏡を掛けているよ」寝室からペンタと一緒に出てきたバロンが話に加わる。

「どうしたの?眼鏡を掛けている娘探しているの?」バロンが訝しんでいる。

「うん、ちょっとね」まだバロンに話すのは時期尚早の気がして夕姫ははぐらかす。ところで寝室からペンタと一緒に出てきたがまさか?

「バロン、ペンタと一緒に寝ているの?」今更ながら聞いてみた。

「うん。いつも布団に潜り込んで来るんだ。温かいよ」なんの危機感も無くそう語るバロンだった。ネコマタと同衾!ペンタの少女姿を思い出すとなんだか不健全な気がする夕姫だった。ホントに大丈夫なのか?ペンタの正体を知っている雪桜に聞いてみるか。


 今日白桜神社に寄ると弥桜がぬいぐるみを持って待っていた。夕姫がバロンにもらったぬいぐるみに興味が有ることを言った為だろう。

「どう、サスケくん」弥桜が差し出す人形は輝虎に贈られた黒クマよりふた周り小さいシロクマで、忍者の衣装を着ている。すごく凝っている。バロン、本当に頑張ったな。

「気に入ってくれたみたいで僕も嬉しいな」バロンがニコニコしている。いつもより五割増しか。

「名前付けたの?」弥桜らしいと思ったが

「うん、サスケって付けたの。夕姫さんのクマ、名前付けないの?」逆に付けていない事を不思議がられてしまった。

「そうね。考えてみるわ」付けたほうが良いのだろうか。確かにここのところ夜の熟睡にお世話になっている。夕姫は心の片隅に留め置く事にした。

「今度、夕姫さんのクマ見せてね」弥桜も夕姫のクマに興味を示す。

「そうね今度ね」夕姫ははぐらかす。なんか寝室を見せろと言われてるみたいで気恥ずかしい。


 今日も四人で学校に登校するが、途中弥桜がこんな事を言い出す。

「みんな、春休みどうするの?」急な質問だったが

「そうね。考えてなかったけど、お務めがなければアパートで過ごすのかしら」夕姫はヒマになる事は想定していなかった。去年の夏休みも、正月もお務めに追われていた為、休みをどうするという発想は無かった。しかし、春休みは来週に迫っている。

「お務めに隙間があれば僕は実家で過ごそうかな」バロンは母親のところに帰省したいと言う。

「ウチの神社の春季祭は春休み明けになったから、私は神楽の練習とお祭りの準備ねェ」白桜神社は境内の桜の開花に合わせて春季祭を行っている。

「春季祭には是非みんなで来てね」そう言いながらバロンを見る。誰に一番来て欲しいかすぐに分かる。ただしバロン達はお務めの事務局の意向次第では学校どころかこの街から去らねばならない。そうは思いつつも

「きっと行かせてもらうよ。吉野さんの神楽を見ないと死んでも死にきれない」バロンは冗談で言ったつもりだが、洒落にならない事が起きることを誰も予想出来なかった。

「笹伏さん、母さんが奉納演武の件、よろしくって言ってた。私からもお願いしたいなぁ」弥桜が輝虎に話を振る。

「考えておきます」ここで自分に話が及ぶと思っていなかった輝虎はぎこちなく回答した。

 雑談しながらも夕姫には懸念けねんが消えなかった。バロンのクラスの女子生徒が何人も欠席しているのは偶然なのか。ペンタが見た嫌な気を発してる女子生徒は関係あるのか。

「テル、朝言った眼鏡の二人、探っておいて」夕姫はそう輝虎に言いつけ、自分の教室に向かった。


 早く状況を確認したかった夕姫は二時限目前の休み時間にバロン達の教室に向かった。輝虎を廊下に招き寄せ、眼鏡の女生徒について聞いてみると期待外れの答えが帰って来た。

「二人とも休んでるぞ。他にはいつも眼鏡掛けてるやつ、いなかったし」輝虎はスマンなと断る。そうするとバロンのクラスで風邪かインフルエンザでも流行しているのだろうか?ネコマタの言う事を真に受け過ぎたのだろうか?そう夕姫は考えたが後悔する事になる。

 昨日ペンタが見たのだから、今日から休みの方を調べれば良かったのだ。もう一人の眼鏡女子、竹下は数日前から休んでいたのだから。


 16


 自分の教室に戻る途中、夕姫のポケットの中の携帯電話が振動した。この学校では持込禁止なので、女子トイレに駆け込む。相手先を見ると犬神となっている。この時間わざわざ掛けてくるという事は緊急なのだろう。慌てて出ると

『夕姫、お前達、里へ戻ってくるんだ』唐突に言われた。


 

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