第10話 ディスカッション

「良いですね、順調です。薬無しでいきましょう」

先生は黄ばんだ差し歯を見せてニッコリ笑って言った。


「大丈夫なのでしょうか……」


「そもそも薬を少なく出しているので、離脱症状は少ないと思います。もちろんゼロではありませんので辛く感じることもあります。しかし、このチェック項目に〇がこれだけあるのであれば、 薬無しで行動療法にて進めていくことが良いでしょう」


「分かりました。チャレンジしてみます」


「それと、もし良かったらグループディスカッションに参加してみませんか?

 当院で同様の症状で悩まれている方を集めて意見交換しているのです。

同様の悩みを打ち明けることで症状が良くなる方が多くなっています。

もちろん強制では無いので興味があれば参加してみて下さい」

先生はそう言うと、パンフレットを僕に渡した。


「ありがとうございます。少し考えていみます」


「それでは、チェック表は継続してまた2週間後に来てください」


僕は病院から出るとさっそく先ほどのパンフレットに目を向けた。


——君の症状を教えて欲しい、君は1人じゃない——


ありきたりなタイトルだなと思い読んでいると、似たような症状を持っている人が多い印象があった。もちろん少しずつ自分の症状とは違うんだけれど。


僕は次の日にさっそくディスカッション会場に向かった。

もちろん、緊張しているけれど、ここで色々な人の話を聞いていく事が重要だと思った。

会場には4名が既にいた。

そしてこの場をカウンセラーの上条先生がまとめるとの事だった。


上条先生は男性で50歳くらいはいっているだろうか。

僕も人の事は言えないが、とても髭が濃い。


「さて、皆さん本日も始めていきましょう!」

とても元気な声で僕達に向かって話し始めた。


「先ずは他己紹介をしていきます」


他己紹介? 何だ? それは。


「今から2人1組になって相手に質問をしていきましょう。趣味と相手が持っている“個性”そう、相手の“症状”について聞いていきましょう」


僕は隣に座っていた女性と行う事になった。こういった時は男の自分から話したほうが良いと思って自ら話し始めた。


「初めまして。僕は池上 洋介と申します。宜しくお願い致します」


「あっ、はい。私はユミと申します。こちらこそ宜しくお願い致します」


「さっそくですが、趣味は……」


下手くそかよ……俺。そう思いながらも続けた。


「えっと……私は、読書が趣味です。池上さんは?」


「僕も読書です」


「そうなんですね、どんな本が好きですか?」


「僕は、幅広く何でも読むようにしていますが、ビジネス書が好きですね。ユミさんは?」


「私は、小説が好きです。官能小説が特に好きです」


え? これにどんなリアクションすれば良いんだよ。

そう思ったが取り乱してはいけないと思って質問を続けた。


「そうなんですね。どんな部分が好きなんですか」


「そうですね……やはり、詳細な描写が好きです。官能小説ならではの描写が好きです」


「そうですか……僕はまだ読んだことが無いので、今度読んでみたいと思います」


「是非読んでみて下さいね。Hな気持ちになるだけじゃなくて色々な心理を学ぶことが出来ますので」


「わ、分かりました」


僕は初対面の女性と何の話をしているのか……。

すかさず僕は症状について質問をした。


「ユミさんの個性、症状について教えて頂けますか」


「私の症状はトイレに行く度にシャワーを浴びてしまう事です。

何か汚れたと思ってしまって直ぐにシャワーを浴びてしまいます。

昔は着替えるだけで良かったんですが、

今は着替えに加えて身体もしっかり洗わないとなりません。

ですので、外でトイレはいきませんし、極力外出はしないのです。

池上さんはどのような症状ですか?」


僕はびっくりした。自分には全く無い症状だったからだ。


「僕は、色々あるのですが、鍵を閉めたか何度も確認してしまったり、

気になった事があれば何時間でも調べてしまったり。

例えば言葉の意味とか。

そして調べているうちに余計に意味が分からなくなったり、

でも調べないと気が済まなくて……

こんなこと意味が無い、止めたいと思っているんですがね。

分かってはいるけれど止められないんです」


自分でもびっくりした。


初対面の人にこんな事を言えることに。


今まで何度も調べてしまう等の強迫行為を行うことはとても恥ずかしい事で、

誰にも知られたく無かった。

でも、ユミさんの症状を聞く事で自分の事も話す事が出来ていた。


「そうなんですね。とてもお辛いでしょう。

でも、ここに来たのは本当に良かったですよ。ここに来たら気分が落ち着きます」


「そうなんですね! 僕もそうなりたいです。少しずつでも強迫行為の回数を減らしていきたいです」


「一緒に頑張りましょうね」


そうユミさんが言ったとほぼ同時に上条先生が声掛けを行った。


「そこまで! では他己紹介をしていきましょう」


他己紹介はとても楽しかった。

自分が相手から聞いた事をメモしておいて、

相手の代わりに参加者のみんなに紹介していく。


僕は、ユミさんの趣味と症状をシェアし、ユミさんは逆をした。


それぞれの症状を聞いて、本当にそれぞれ個性がある事を知った。


例えば、道を曲がる度に神仏に礼拝をしないといけないマイルールがある方や、

4と9の数字を避けながら生活をしなければならない方、

冷蔵庫の中には缶コーヒーが絶対に3本無ければいけない方、

そう、4本であれば1本は捨てないといけない。

そして、本を読む時に何度も同じ個所を読み返してしまう方、

何でも全て記憶していないと気が済まない方、

様々な“個性”がある事を知った。


それぞれの他己紹介が終わった後に上条先生は僕達に1つのワークを実施した。


それは、この症状に対するプラスとマイナスの両面を紙に書き出すというものだった。


僕はさっそく書き出した。

プラス面は全然書けなかった。

しかし、マイナス面はとことん出て来た。


強迫行為、例えば鍵が閉まっているか何度も確認する行為に時間が取られてしまっている。

財布のカードの確認で時間が取られる且つ、疲れる。

仕事を辞めることになった。

彼女と別れることになった……。


そうマイナスの視点ばかりピックアップされていた。


そこで僕は先生に相談をした。

「上条先生、僕はマイナスの視点でしか書けません。プラスの面なんて全然見えません」


「最初はそうだよ。でもね、考えてみて欲しいんだ。物事には必ず両面があるという事を知って欲しい」


「先生、しかし、この出来事には僕にとってマイナス面しかありませんよ……」


「池上さん、例えば、池上さんが大好きなミュージシャンが野外ライブをするとしましょう。今までチケットは取れなかった貴重なチケットを今年やっと手に入れることが出来た。7年越しの夢が叶った。

でも大雨で中止になったとしましょう。その時、池上さんは雨に対してどう思うだろうか?」


「それは、もちろん、雨の馬鹿野郎ですよ」


「ですよね。せっかく叶った夢なのだから。でも、もしも、池上さんが農家を営んでいるとしましょう。今年は晴れが多くて農作物が枯れそうになっている。そんな時に恵の雨が降ったらどう思いますか?」


「それは、雨にありがとうですよ! あっ」


「そうですよね。ありがとうですよね。そう、同じ雨でも自分の価値観や状況によって自分で意味をつけていますよね。

シールを貼るように。これはプラス、これはマイナスと」


「確かに……」


「池上さん、こちら側の事を何と言いますか」

先生は右手差し出した。僕は少し考えてから言った。


「右側でしょうか」


「はい。その通りです。ではこちら側は?」


「左側です」


「これは昔の人が恐らく便利にする為につけた単語ですよね。

こちらは右、こちらは左と。

でも本来は右も左も無い。

我々がつけているんですよ。

意味を。


先ほど雨と同様に。脳に情報が入った瞬間に我々が作り上げているんです。

だから、どこまでいってもマイナスだけ、プラスだけという事はあり得ないのです。


だって右側だけってことはないでしょう。

右と誰かが決めたら、その瞬間、逆側は何て言うのだろう。となる。


これが良い事と決めるなら、その逆は? となる。

そう。嫌な事が無いと、嫌な不快な感情を知らないと

逆の良いという感情を理解する事が出来ない」


「確かにそうですね……でも僕には……」


「池上さん、大丈夫ですよ。最初から両面を見ることなんてなかなか出来ないものです。

でも続けていれば出来る様になります。

だから、必ず両面を見るようにしてみて下さいね」


「わかりました。やってみます」


その日、そのワークを僕は全て完了する事が出来なかったけれど、

次に会う時までには完了させて必ず上条先生に僕が見つけた答えを伝えようと決心した。

一緒に他己紹介したユミさんはもう数回やっているのでワークがきちんと完了した様子だった。


僕はこのディスカッションに参加して本当に良かった。


何より、自分は1人じゃない、

似た様な症状を持っている人がいる事を知れて心が少し楽になった。


人はこの宇宙空間の中の地球で生きていて、

自分が感じている事は自分だけが感じているのではという不安に押しつぶされそうになる時がある。


例えば黄色のプレートがあって、

それは皆も黄色に見えているのだろうか。

この字はみんなにも同じように字に見えているのだろうか。

このワインの旨みを同様に感じる人はいるのだろうか。


誰かに「そう! それそれ! 君も分かる? あのワインの旨み! 最後に残るほのかな香り!」


「これきちんと黄色に見えてるよ!」


これがあると僕は、安心する。


人間はこの宇宙で誰しもが不安を抱えて生きていると思う。


そんな時に他にも同じような事を認識している人がいてくれると安心すると僕は思う。

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