第6話 治療
僕は、このままでは自分の人生がさらに狂うと考え、病院を探していた。
とりあえずネットで検索をし、病院に行こうと気合いを入れるのだが、なかなか行けずにいた。
自分がメンタルクリニックに行くという勇気が出なかったのだ。
自分は弱い人間では無い、どこも悪くない。健康診断で引っかかった経験も無い。
でも、このままで良い訳は無かった。
僕は会社を辞めて、ミサとも別れた。
別れを告げたのは僕からだった。
このような侵入される思考では、ミサを幸せに出来ないからだ。
コミュニケーションも取れなくなってきて、メールの簡単な返信に何時間もかかる。そう。
文章を何回も確認する必要があるからだ。
待ち合わせに時間に行くことも出来ない。
鍵がかかっているか心配過ぎて外に出るのにも時間がかかる。
ミサは最後に僕に言った。
「ごめんね。私では洋介を支えきれていなくて。洋介の力になろうとしても、私は無力で、何も助けになれていなくて。洋介と一緒にいつまでもいたかった。あなたの隣で一緒に歳を重ねてみたかった。でも、それが叶わないなんて。本当に切ない。でも、私は洋介が元気になっていく姿、同じ空の下、応援しているから」
僕は、ミサに言った。
「こんな終わり方になってしまって、ごめん、ただ今は自分1人になりたいんだ。メールの返信1つも出来ない自分はとてもみじめで、ただこれはいつ克服できるか、分からない、それに君を付き合わせることは出来ない」
今もミサの事は好きだ、愛している。
ただ、今は自分のこの侵入してくる思考をどうにかせねばそもそもの未来が開かれない。
生きていく事が出来ない。
色々な葛藤の末、何とか病院に行くと、さっそく僕は症状を伝える。
そうすると何やらチェックシートのような物を渡された。
そこにはこのような事が書かれていた。
・暴力的あるいは恐ろしい考えや場面が頭に浮かんで離れない
・何か恐ろしいこと(火事、強盗など)が起こると自分の責任ではないかと思う
・尿や便に関することが過剰に気になる
・汚れやバイ菌に関することが過剰に気になる
・手を何度も洗ってしまう
・汚染されたものをまき散らして他の人を病気にするのではないかと考える
・大事なものを捨ててしまうのではないかと思う
・善悪や道徳に関して過剰に気になる
・物の位置や対称性に関して過剰に気になる
・何でも知って覚えておかなければならないと考える
・適切な言葉を使っていないのではないかと過剰に気になる
・幸運な数、不吉な数が過剰に気になる
・病気に関して過剰に気になる
・体の一部や外見が過剰に気になる
等々だ。
僕は驚いた。何故なら、ほとんど僕に当てはまったからだ。
また、自分以外にもこのような症状を持っている人がいるのかと知り、少し安心した。
「強迫性障害ですね」
田端先生は優しい表情で言った。
先生は日本でとても有名な精神科医だ。
「きょ、きょうはくせいしょうがい?」
「そうです」
「チェックシートで確認しているのでほぼ間違いないかと思います。
強迫性障害は、有名人の方々もよく公表されているので知っている人は知っていると思います。
簡単に言うと、自分の意思に反してある考えが頭に浮かんで離れず、その強迫観念が生まれてくるとその不安を振り払おうと何度も同じ行動を繰り返してしまうことで、日常生活に支障が出てしまう状態を言います。
例えば、戸締りを何度も確認せずにはいられない、手を洗ってもまだ汚いと思い何度でも洗ってしまったり」
「まさに僕です。先生。その症状なんです……原因は何ですか?」
先生は少し沈黙した後に口を開いた。
「正直、原因はよく分かっていないのが現状です。ストレスが影響したりする事もあると言われています」
「そうですか……これ、治りますか?」
「どこまでを完治というのかは難しい部分がありますが、目標は自身が不快に感じず、生活出来る事が目標になります」
「わかりました」
「それではこれを見て下さい」
先生はそう言うと、パソコンに黒い丸を表示させた。
今、●が1つあります。これが不安だとしましょう。
通常はこの状態で、忘れてしまったり、少し考えて納得すれば、●が消えます。
しかし、強迫性障害の方、ここで何度も不安が出てきて、
例えば、鍵を閉めたか何度も確認する、ガス栓を確認する、運転中に今誰かにぶつかって殺してしまったのではないかと想像する、
手を洗ってもまだ汚いと思って再度洗い、そのスパイラルから抜けられなくなり、丸がどんどん増加していく。●●●●と」
先生のパソコンの画面はあちらこちらにランダムに●が散りばめられている。まるで白い壁が拳銃で何発も打ち抜かれたようにも見える。
最初は真っ白な画面で●が1つ現れただけだったのに、今や四方八方に●があちらこちらにある。
「ですので、●が出てきた場合、それ以上、その不安をかき消す為の確認行為や儀式的な行為、そして、頭の中だけでも確認する思考をしないようにしてください。
脳内の思考だけでも駄目ですよ。
これが重要です。そうすれば、●が1つから多数に増えることを防げます。
生きている以上、この●がぽんと浮かんでくることは防げません。
それは、私もです。
生きていると何か不思議に思ったり、疑問に思う事はありますからね。
しかし、強迫性障害の方はここからどんどん考えて、
その考えが不快なのにも関わらず何時間も何日も続けて、
それを打ち消す為、確認する行為を何度も何度も繰り返し続けてしまう。
鍵の例で言えば、私だって鍵を閉めたか心配になって家に戻る事があります。
でも、強迫性障害の方は、1度戻って鍵を確認し安心して、
次の行動に移そうとしても駅まで着いたらまた心配になって家に戻ってしまう、
そして、ドアをガチャガチャして何度も確認し、
そのうちに閉まっている実感さえ無くなってしまい、
ついには家から出られなくなってしまう。
まさに不安の●が複数の状態です。
不安だらけになって身動きが取れなくなります。
この状態にならないように、●が1つのうちにやり過ごす必要があります。
鍵であれば1度確認したら、もう大丈夫と言い聞かせて出かけましょう。
途中で、閉まっているかなと心の声が聞こえてきたとして、大丈夫と考えて、次の行動を続けましょう。
決して心の誘いに乗らないようにしていく事が重要です。
1度、誘いに乗ってしまい行動をすると、
●の数が増えてしまい、そこからドツボにはまりますから……」
「先生、非常に分かりやすかったです。頭に色々な不安など思考が侵入してくる事があり、それを打ち消す為に何度も確認行動を行っていました。
一瞬少し楽になる気もするのですが、
それをやればやる程、逆に抜けられなくなって……。
でも、その確認行動をやらないと気持ち悪くて、
自分でもおかしいと分かっているのに、
分かってはいるけどこの無意味な気持ち悪い行動を止めることが出来ない。
でも、それでも次の行動に移していくことが大切なんですね」
「そうです。仕事中でも、思考が侵入してきた場合は、それは一旦脇に置いておいて、
今やっている仕事、作業に集中しましょう。
最初は気持ち悪くて、確認する作業をしたくなる事もあるでしょう。
でも、それでもその誘いに乗らず目の前の作業に集中していれば必ず落ち着いてきます。治まってきます」
「わかりました。その方法で挑戦してみます」
「これは、ある意味、悟りを開く事に近いと思います。
だから、1歩ずつ一緒に頑張っていきましょう。
今日からは先ず1週間分このチェックシートに自分の行動を記録してください。
項目は5つ程で大丈夫です。
確認する動作など無ければ〇をつけて下さい。
動作しなくても頭の中で何度も考えた場合は△をつけて下さい。
確認動作までしてしまった場合は×をつけましょう」
「分かりました、さっそく実施します」
「それと、1週間分お薬を出します。行動記録の成果によって薬は調整していきます」
「わかりました。先生、1つ光が見えてきました。ありがとうございます」
そう言って、僕は病院をあとにした。
自宅に帰ると、さっそく強迫性障害について調べてみた。
強迫性障害の人に多いのは、不潔恐怖と洗浄、加害恐怖、確認行為、儀式行為、数字への強いこだわり、物の配置、対称性などへのこだわりだ。
不潔恐怖と洗浄は、汚れや、細菌汚染の恐怖から過剰な手洗い、入浴、洗濯を繰り返す、ドアノブや手すりなどが不潔と感じて触れないなどだ。
加害恐怖は、実際にはそうではないと頭では分かっているのに、誰かに危害を加えたかも知れないという考えに囚われて、新聞、テレビなどに事件や事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に直接確認するなどだ。
確認行為は、戸締り、電気器具のスイッチを過剰に確認する、
じっと見る、指差し確認をする、手で触って確認するなどを繰り返ししてしまうなど。
儀式行為は、自分で決めた手順で物事を行わないと恐ろしいことが起きるという不安からどんなときも同じ方法で仕事や家事を行うなどだ。
数字へのこだわりは、自分の中に不吉な数字、幸運な数字に縁起を担ぐというレベルを超えて異常なこだわりがある。
物の配置、対称性へのこだわりは、物の配置にこだわりがあり、
自分の考える配置に必ずそうなっていないと不安になる。
実際に行動に移していなくても、
頭の中で何度も思考を巡らせてしまうのも強迫行為の1つと先生は言っていたので、これもやらないようにしないと治療にはならない。
普通のこだわりとの違いは、明らかに自分が不快に感じている事だ。
自分は嫌なのに止められない。
これが普通のこだわりとの違いだ。
夕食後、先ずは薬を飲んで、今日のところは寝ることにした。
次の日、起きてからコンビニに買い物に行く事にした。
焼肉弁当とサラダ、カップの味噌汁をレジに持っていき、
会計を済ませた。
その時だった。
また強迫観念が頭に侵入してきた。
脳内で、財布に入っているキャッシュカードの配置、クレジットカード枚数、保険証などが無くなっていないか確認せよと指令が下る。
しかし、先生に言われた通り、その思考を無視する事に集中した。
その時はとりあえず店員さんの笑顔に集中。何とかその場はやり過ごす事が出来たが、帰宅後、僕は自分の財布を開き、カードの配置、枚数を確認してしまった。
そう。
無くなっていないことは当たり前のように分かっているのに。
知っているのに。
自分は確認行為を行ってしまった。
僕は先生から渡された行動管理シートに悔しさと共に×をした。
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