第3話 社会人
社会人になり、僕は何故か事務の仕事に配属させられた。
実は入社前の面談で話されていたのは、
僕が学生時代にリーダーとして民謡などのイベント企画を1から作り上げてプロジェクトを成功に導いた経験が有り、
それを存分に活かすべく企画部など独自の発想やコミュニケーション能力が強く活かせる部署に配属すると既に話をされていた。
しかし、そうはならなかった(ここからだ。徐々に悪夢がスタートしたのは)。
大学時代は1年程留学し、
その大学のクリスマスコンサートも企画し成功に導いた経験もあり、
僕個人にはあまり才能は無くても新しいアイデアを生み出したり、
沢山の才能を上手くコーディネートすることに関してはとても得意だった。
そういった自分の能力をこの会社で存分に活かせると信じて入社した。
でも、何故か事務に配属された。もちろん、事務の仕事を否定している訳ではない
し、
必要な仕事なのはもちろん理解しているけれど、
自分は営業や企画を学び自分の力を余すことなく発揮するぞという意気込みだった。
入社後は日々1人で淡々と作業する事務の仕事をやればやる程、
自分の力を存分に発揮出来る場所ではないと考えたが、
入社して直ぐに退職する勇気も無く、
毎日、伝票整理、パソコンへの必要事項入力など行っていた。
あの頃の労働時間は毎日18時間労働で、寝る時間もほぼ無かった。
自宅でシャワーを浴びて少し仮眠したら直ぐに出勤という毎日だった。
週7日間勤務は当たり前のこと、30日連続勤務なども普通にあり、
その中で課題図書なども会社から与えられて、
読破後はその読書感想文やレポートを書き、
全社員の前で発表などもあった。
そう、先ず寝るのが悪という文化だった。
会社の理念も丸暗記させられ、何度も書かされて、大きな声で唱和させられる。
書き出しテストでは句読点の位置を間違っただけでももちろん不合格だ。
何かの宗教かなと思っていたが(宗教を否定している訳ではない)組織を束ねるには新卒社員をしっかり洗脳しなければ、
まぁ、統一感は出ないよな。と考えながら、
無理矢理納得させてみようと自分の心に寄り添ってみたりもした。
僕達ロスジェネ世代には仕事があるだけで有難いと考える傾向もあったから、
辛くてもその中で頑張り続ける事を選ぶ事、
プライベートを潰してでも人生の全てを会社に捧げる事が正義という考え方をする者が多かった。
転職してもどこも厳しいよ。
どの会社でも嫌な事はある等というセリフを何度も聞き、
その言葉がある事で前進する事が出来ない僕たちがいた。
もちろんそれを乗り越えて転職した人もいたけれど。
ある時、社長が言った。『休みが無くて辛い? 何だ、それは。理解出来ない。お客様に喜んで貰う事が心から自分の幸せだと思えないならこの仕事は辞めてしまった方が良いのでは? 自分はお客様の笑顔を見たくて仕方が無い。
毎日、いや、毎秒、その事しか考えられない。
笑顔を見たら疲れなんて感じない。
感じようがない。そして、次の笑顔を見る為の準備さえもワクワクしてとても幸せだ』
睡眠不足で死にそうな僕は、勘弁してくれよと正直思った。
僕はいつもこの綺麗な耳障りの良いお言葉を聞きながら心の中で
『確かに素敵なお言葉だ。まるで映画やドラマのようなセリフだ。まさに神様のようだよ。でもあなたのその価値観だけが全てでは無いんだけど……』
と心の中でいつも呟いていた。
もちろんお客様に満足して頂けるサービスを僕も提供したい。
その想いは社長と変わりはない。
でも一睡もしないで、サービス残業で休み無く意識朦朧の中働く事が、
必ずしもそれに繋がるとは思えなかった。
価値観も体力も人それぞれ違うのだから。
それを気合いが足りないとばかりに言われてもという気持ちが心のどこかにあった。全員がそのように考える訳でも無いだろうと思った
(そもそも我々は社長や経営者と違い労働者なのだから法律的にアウトだろう……)。
確かに社長は創業者として、自分のプライベートを犠牲にして、起業して成功した。約3年間は寝ないで仕事をしたと聞いている
(僕たちは3年で終わる事は無く退職するまで半永久的に続くのだが……)。
凄い事だと思うし、その時の創業メンバーの方々がいたから
僕もこの会社に就職出来た。
しかし、その後は部下に仕事を任せて社長は大金と共に暮らしている。
しかし、我々はサービス残業でたとえ社長と同じような“起業家的な”働き方をしても社長の様に収入は上がらない。
もちろん、社長は借金をして起業したのだから
我々と同じでは無いのは理解している(そう、同じでは無いのに同じにしようとするのがおかしいのだ)。
リスクがある分、ご褒美が来た訳だ。頑張った分、金持ちになったのだ。
『悔しければお前も起業をすれば良い』そういう事だろうか。
それももちろん分かるが、起業家としてではなく僕はサラリーマンとして、
従業員として入社している。
起業家になりたいなら勝手に自分でやるので放っておいて欲しい。
そもそも、この世の中、全員が起業をする訳でも無く、
このように起業をしない人もいるから成り立っている世の中でもあるだろう。
様々な生き方があって良いだろう。
社長からすれば、サラリーマンを起業家精神で働けと“素敵なスローガン”で何度も焚き付けて洗脳して安月給で働かせる。
搾取して利益を出す。成功して本を出し、テレビ出演をする。
社長が表紙の成功本が書店で陳列されているのを見て僕は複雑な気持ちになる。
本を推薦している帯もこれまた著名人だ……。
素敵なスパイラル。
確かに創業期は夢の為に会社に寝泊まりしたりして
まさにブラック企業のような状態だろう。
僕も実際その後、起業して同じような状況になった。
それで無ければスタートアップなんてなかなか成功しない。
自分で経験してそう思った。
この社長のようにガムシャラに事業主として会社が潰れないように走り続ける事が大切だ。
でも僕も社長も自分で経営者の道を選んだんだ。
好きで選んだんだ。
それがやりたくて選んだ。
その価値観を持って、お客様に喜んで貰いたいから起業した。
だからと言って従業員までに全く自分と同じ考えを強要する事は違うのではないか。もちろん、仕事中、勤務中はお客様に満足して頂く事を1番に考える教育を社員にする。失礼な態度があれば叱る。
しかしながら、従業員は創業者では無く、経営者でも無いのだからプライベートを犠牲にしてまで自分と同じようにしろとは言うべきではないだろう。
ましてや、サービス残業の文化なんて有り得ない。
残業をお願いするのであれば、残業代はしっかり支払うのが筋だろう。
従業員として今は勉強していずれ起業したいという目標がある社員がいれば、
そのような社員であれば我々が強制しなくても自分で休みの日も勉強をしてドンドン成長していくだろう。
この世の中に必要なのは多様性では無いだろうか。
全部自分と同じ人間だけなんてそもそも気持ち悪いだろう。
会社の目標としてお客様に喜んで頂くという共通認識が社内にあって、
例えば社長はその事だけを考えて生きるのが好き。
まるで野球選手が野球することの様に、
ピアニストがピアノを弾くことのように生きがいだから苦痛に感じないからそのスタンスで生きる。
でも、例えば従業員Aさんはお客様に喜んでもらうのが好きだが、
しっかり定時で帰り、家族との時間や子育てを1番大切に考える。
そして、月曜日からその家族から貰ったパワーをもとに、
リフレッシュした気持ちと共にお客様に感動を与えていく。
お客様を満足させるまでのアプローチは自分と少し違っても同じ目標に向えている。
それで良いじゃないか。
別に社長と違っても良いじゃないか。
お客様の喜びを考えると一睡もしなくても大丈夫という人、
休日をしっか取りプライベートで映画や美味しい食事をして恋人と過ごしリフレッシュして色々な経験をしていく方がお客様に満足を与えられる人、
色々な人々がいる事が強みになると僕は思う。
しかし残念ながら、当時、社内にはこの社長の考えに強く賛同するブラック社員もいたからすごく厄介だった。
『社長は言っているだろ。サラリーマンはいらないと。
この会社には起業家精神のある者が必要だ。
お客様の幸せを1番に考える事が出来る社員だけが必要だ。
ゆっくり休みたくて、プライベートを充実させたいならここにはいないほうが良い。だって、会社の理念、社長の考えと違うのだからね。
俺は24時間お客様の為に働き続けたい。
葬式だって、結婚式だって行かない。
残業は時間内に仕事を終われない自分の能力不足のせいだから、
残業に関してお金は貰わない。
貰えないよ。サービス残業なんて当然だろ』
そんな社員が多く、且つ、悪気無くナチュラルに言っているからたちが悪かった。
その社員は自分が会社から理不尽な量の仕事量を与えられている事にも気づいていないようだった。
起業家精神やら、お客様の為に、自己成長の為に、夢の為に、
社会貢献の為にというキャッチフレーズにやられて会社に上手く利用されているのだ。
最近になってよく耳にする“やりがい搾取”というやつだったのだろう。
僕も朝早く出社してもその分はもちろん勤怠をつけず、
いや、つけたくてもつけられず、残業ももちろんサービス残業だった。
無給。
こういった社員に自分がそういう価値観であっても他人はそのように考えない人もいる。
沢山の価値観があって良いと考えて欲しかったが、
それ自体が彼らの価値観、正義だったのだから無理だった。
僕たち人間に必要なのはあらゆる価値観を受け入れる器の広さだろう。
そんな事もあり、当時は今のような働き方改革なんてものが来るなんて思ってもみなかったし、夢のまた夢であった。
結果、改革が起きたという事は時代の流れだと思うし、
社会がそれを許さなくなったという事であろう。
もちろん、“会社の創業期に寝ないで一生懸命頑張った社長は”僕は否定していない。
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