第2話 <幼少期~青年期>

僕は幼少期、

母に仲の良い友達が幼稚園にいることを毎日のように話していたという。


母はどんな友人が出来たのかと興味があり実際に僕の様子を見てみると、

僕はいつも女の子と遊んでいたようだ。


自分も微かに覚えているのだが、

これは僕が女の子にモテモテだった訳では決してない。


1つ言える事は僕がガツガツした男の子と遊ぶのが苦手だった。それだけだった。


年長になったくらいだろうか、この世界に対して、

人間に対して様々な疑問が湧いてきて、

特に女性器の正式名称は何かについて毎日思考を巡らせるようになっていた。


友人に聞いてもよく分からない様で、その頃に僕が耳にした、

親が子供に教える名称があったが

それが正式名称ではないことくらい子供の僕でも分かっていて、

でも、あえてそこには突っ込まないでいた。


いや、突っ込めないでいた。


そう、親にそう言った類の話を聞く勇気は無かったのだ。


小さな僕はどうする事も出来ず、

悶々と生活する中で次第に興味は高まるばかりだった。


僕は諦めきれず、正式名称は分からずとも触れる事は出来ると考え、

ついに仲の良い女の子に触らせて欲しいと言い、

許可を得たら、向こうも“僕の”を触りたいと言った。


今考えると、幼稚園園児の男の子と女の子が何をしているのかと思うが、

そのくらいの年齢で性に興味を持つようにプログラムされているという事の現れのような気もする。


その子とは何度かそのような関係が続いたが、

ある台風の日に『もう年長になったらやめたい』と勝手にけじめをつけて

一方的にフラれてしまった。


小学校に入学してからは、僕は俗に言う問題児となっていた。

誤解が無いように言っておくが、特に親の愛情不足があった訳では無いし、

家庭環境に問題があった訳でも無い。

しかしながら、先生に反抗するわ、友人の作った図工作品は壊すわで、

一般的にそれはとても酷い事だった。

自分でも何故こんな風に振舞っているのか正直全然分からなかった。

何故かある日先生に怒られ、

廊下に立たされた僕はテレビコマーシャルの踊りの真似を繰り返し、

教室にいる“正常な同級生”の授業の妨害をした。


しかし、毎回毎回こうだった訳では無い。


好きな教科だけはしっかり勉強した。

国語や音楽はとても好きでそれはとても“一般的に言うところの”真面目に行った。


自分自身は自由に只々普通に過ごしていても

周囲からするととても迷惑な生徒という事になる。

右向けと言われたら、僕は1人だけ左を向いて先生に殴られた事もある。

鉛筆で頭を刺されて抜けなくなったこともあった。

皆と同じように生きていく事を求められるのは少し窮屈に感じた。

  

ある日のホームルームで僕の事が議題になって、僕が寂しいから、

構って欲しいから注目して欲しいから

そういった態度をしていると議論になった時は本当に迷惑だったし、

その直後に一緒に体育館で遊ぼうと誘われた時には本当にウザくて、

鳥肌が立った記憶がある。

注目されたくてやっている訳では無く

普通に過ごしたらみんなからすると迷惑になっている状態で、

僕は決して注目されたい訳では無かった。

先生含めて本当に勘違いだ。

先生は教育について学んできたのだろうが、

教科書に載っている事柄が全ての児童に当てはまる訳では無い事を改めて知って欲しい。

そんな僕でも正常な同級生と共通にハマっていた物がある。

それは、“ガチャガチャ”だ。

100円入れるとアニメキャラクターの人形が出てくるやつだ。

でも小学生のお小遣いでは直ぐに終わってしまう僕は自動販売機の下にお金が落ちていないか必死で探した。


何度かは上手くいくが、そう毎日ラッキーは続かない事を学び、

僕はスーパーから帰宅する老人の荷物を運ぶお手伝いをした。


買い物袋に入った野菜やお肉、

飲み物など低学年の僕にはずっしりと重く何度も手に買い物袋がめり込んだが、

手が赤くなっても、痛みを感じても必死で運んだ。


さすがにお金を下さいと直接言う勇気は無かったのだが、

少し寂しい顔をすると僕は運ぶ度に“報酬”をゲットし、ガチャをした。

その後、友人も連れて複数メンバーで運ぶようにするとさらに報酬が増えた。


後日それを母に知られて、とても怒られた記憶があるが、

僕はしばらくの間こっそり続けた。


学校生活では悪口を言われる事なんて沢山あると思う。


定番は馬鹿、アホ、死ね、消えろ、キモイ等々あるだろう。


僕はある時、先生に向かってある事を正直に言ってしまった。


それは『先生、めっちゃ、口臭い』の一言で

その後、学年中でこの悪口が流行ってしまった。


最初はみんな、そんな事よく言えるなと、

まるでパンドラの箱でも開けてしまったかのような顔で僕を見たが、

僕は何が悪いのかが理解出来なかった。

そんな目で僕を見ていたくせに実際はすぐに同級生のみんなも僕の真似をして使うようになった。

何かあれば『口臭い。黙れ』


何だ。

みんなが持っている常識を変えるのなんて案外簡単じゃないかとこの頃は思っ

たりもした。

僕は別に何かを変えたくてやった訳じゃなく正直な感想を述べたまでだけど。


そうそう。初めてキスをしたのは小学校5年の頃だったと思う

(幼稚園時代にあんなことがあったのだから順番が逆だろうと思われるかも知れないが……)。

同級生の身体が徐々に進化していき、

自分とは違う体の成り立ちを得ている女性に幼稚園時代よりもさらに神秘性を感じた。


よく分からなかったけれど、

何かとても大切にしなければならない存在だと思った。


中学に入ってからは、バスケットに夢中になり、

そしてバンド活動も行っていた。


修学旅行は熱で行けず、

何だかあっけなく中学時代は終わったなという印象だ。


でも1つ誰もやっていない僕独自の出来事があった。

それは、まだ今みたいにスマホが無い時代、

どうしても友達と夜中に連絡が取りたかった僕はトランシーバーを購入し、

それで通信をしていた。

ずっと恋バナをしていたのが今では懐かしい。

何故電話を使わないかって? 

それまでに家の電話を使い倒して親に怒られたからだ。


高校に入学してからは、もうバンド、バンド、バンドの毎日だった。

ツアーなども周り、そんなに多くは無いがファンの子もいた。


そして、高校時代は、金髪でも先生に文句を言われないようにする為に、

生徒会議長、学級委員長、修学旅行の団長などを行い、

勉強もしっかりやった。


すこし多めに見てくれることもあったが人生はそんなに甘くはない。


『髪を黒くしてきなさい』と帰されることもしばしばあった。


僕はその足でそのまま友人とカラオケに行って遊んでいた。


もちろん、友人も僕と同じく金髪だった。


そうだ。幼少期から、自分自身は他の子より、神経質な部分があったと思う。


寝る前にふと、心臓が止まったらどうしようと、

ずっと手首の脈を数えて何時間も眠れなかったり、

全身麻酔の事を本などで知ると、意識が消えることに恐怖を感じ、

居ても立っても居られなくてこのまま生きていくというのはとても苦しいことだなとぼんやり考えたりしていた。


尿道カテーテルなる物の存在を知った時なんて本当に失神するかと思った。


男で生まれ、尿道が少しでも長く生まれた自分を強く恨んだ。


大学に入学してからは、

音楽でのメジャーデビューに向けてさらに楽器の練習を続けた。


プロのドラムの先生に習い、そして、作曲もした。

何十、いや何百と曲を書いた。

ドラムの練習のし過ぎで手にマメが何度も出来て、

ドラムのスティックが触れる度に訪れるその鋭い痛みに耐えながらライブで叩くこともあった。


スタジオにほぼ一日滞在して練習をし、寝ないで作曲をし、ツアーもこなした。

これ以上努力は出来ないくらい努力をした。


後悔しない為に、命を懸けた。


結果、同じバンドメンバーは2人メジャーデビューをした。

1人はメジャーデビューをした後に活動休止をし、

もう1人は未だに活躍している。

テレビでもよく見かけるし、フェスでも活躍している。


自分も作曲など行い、インディーズ時代にラジオやテレビ出演など行った事もあったが、正直、何曲もヒット曲を生み出すような特別な才能は無かった。

作曲した曲を応募しても2位までで、

グランプリとして選ばれることも無かった。


オーディションでも自分に声がかかる事も無かった。


そう。


僕は選ばれなかったんだ。


音楽などアートで飯を食える人間は限られた天才にだけ許された事であり、

僕のような凡人には到底無理な話だった。


この事を受け入れられる様になるまでにとても時間がかかったけれど、

本当の天才を目の当たりにすると、

自分は選ばれなかった存在なんだなと受け入れるしかなかった。


誰にも負けないくらい練習もしたし、

とても良い先生についてレッスンも受けた。

何時間も正しい努力を正しい量行う為に……。


実は一時期、デビューするような良い話もあった。

業界では結構有名な女性プロデューサーだ。

それとなくホテルも誘われた。


既婚者に誘われたこともこの時の自分には驚きだった。

何だ。そういう事かと思った。

それでは意味は無いと思った。

何故なら、それで仮にデビューが出来たとしてもたかが知れているからだ。

僕の音楽が認められた訳では無い。


僕には、たった1個だけ足りなかった物がある。


運も、努力もあったと思うが、音楽の才能。


これだけが無かった。


音楽をやっていない人、音楽が不得意な人よりは音楽は確かに出来るが、

職業に出来るレベルでは無い。


音楽で成功している人も大変なこともあると思う。

でも、そもそもの才能があるから、その大変さが実る。

無ければそもそも実り、花が咲く事は永遠に無い。


そして、僕は無難に就職をしたんだ。

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