因果のひよこ

阿部2

ぴよぴよ版

はじめての論文がなんとか落ち着きそうになったころ、U先生から頼まれごとがあった。ムーンショットの申請で書く研究計画について、ざっくばらんな意見を聞きたいということだった。

「ムーンショットってなんですか」とぼくが聞くと「ファンドですよ」とU先生が答えた。

「科研費みたいなものですか」「そうです」

U先生はぼくの先生が統数研とうすうけんにいたころのボスにあたる人で、そんな偉い人がなぜ院生室でぼくと席を並べて研究してるのかはわからないといえばわからないんだけど、当時はそれを不思議とも思わなかった。

「君はルージンを読んでましたよね」「あの黄色い本ですか」「君の机の上だいたい黄色いよ」「そういわれるとそうですね」「因果推論に興味がある」「あるかないかで言ったらありますけどルージンしか知らないですよ」「それでもまだ幅広くっていいじゃあないですか。漸近論ぜんきんろんやってる人、データ分析に興味ないよ」「それはそうかもしれないですね」



ぼくの父は弁護士で、それを言うと「インテリ一家なんだね」と言われたりするけど、たぶん違う。でももしかしたらそうかもしれない。父が開業したのはぼくが中学生になる直前くらいで、父が司法試験になかなか受からなかった時期、家に子どもがいると勉強に集中できないという理由で、一年半以上ぼくらは母の実家で暮らしていた。そのときはなんとなく、もし父が試験に受かったとしても、家族が元通りになることはないんじゃないかと思っていたけど、そんなことはなかった。母の田舎は、小学生のぼくにとっては虫や蛙がいる遊び場だったけど、高校生の兄にとっては窮屈きゅうくつだったんだろうなと思う。思うけど、それでも障子やふすまを破いたりする兄の行動は、幼稚な八つ当たりだと思った。



「CIDって聞いたことありますか」「ないです。あるかもしれないけどわからないです」「CIDはいろ統合障害の略です。簡単にいうと、目は見えてるんだけど物の形がわからないということです」「視覚障害」「そうです。視覚というか脳の障害ですね。例えばここにリモコンがありますけど、机とリモコンの境目がわからない。世界がぜんぶ色の固まりに見えていると言われています」「触ってもわからないんですか」「触ればわかるはずです。触覚にはまったく異常がないので」「そしたら、最初はわからなくても、だんだん学習するんじゃないですか。黒はリモコンとかおぼえたら」「それがそうならないんです。ちょっと不思議な感じがすると思いますけど」「そういうことがあるんですね」



モニターには「研究課題名:モデル生物を用いた可能世界とのデータ同化による因果認知機構の解明」という文字列が映っていた。「どうですか」とU先生が言う。

「タイトルですか」「そうです」「モデル生物ってなんですか」

ぼくの質問にはS先生が代わりに答えた。

「人間の病気に似た状態の動物を、人工的に作るんですよ、かわいそうですけど」「数理モデルとはちょっと違うんですね」「そうなんです」

S先生は研究代表者で、U先生との打ち合わせのために東京に来ているとのことだった。

「ねずみとかですか」「今回は鳥です。にわとりですね」「そうなんですね。実験動物ってねずみとかだと思ってました」「うん。もちろんねずみを使う人もいっぱいいるけど。どうですか」「どうと言われると難しいですけど、これ言ったら元も子もないかもしれないですけど、因果っていうのが本当にあるのかっていうのがありますね」

U先生はS先生を見て「これですよ」と言った。S先生は「いいですね。哲学っぽくなってきた」と言った。「そりゃあありますよ」とU先生はぼくに向けて言った。それから「飯を食ったら元気が出るとか、点滴したら病気が治ったとかはありますよ」と続けた。

「それはそうなんですけど、モデルの世界の話で、数理モデルの世界で因果っていう仮定が増えてるので、数理的には仮定を増やさないとおもしろいことはなかなか言えないと思うんですけど、数理っていうのはフィクションなので、増やした仮定をそのまま現実のストーリーに持ち込むのが、なんか」

ぼくが言い淀んでいるとU先生が「ノットインタレスティングであると」と補った。

「そこまで言い切る自信はないですけど、そうです」



盆踊りの夜にカラーひよこを買ってもらったことがある。ぼくが赤、青、緑のひよこに見入っていると、祖父が「染めるんだて」と言った。テキヤの人が「昔は染めてたけど今のはエサが違うから。親鳥のエサから違うから、ひよこはもう遺伝子が違う」とぼくを見る。

家に帰ると「赤とか青にすればいいのに、ゾンビっぽい」とひよこを見た兄が言った。

「ゾンビって緑なの」「知らないけど」

祖父はひよこを拾い上げると、羽毛に噛みついて緑のつばを吐いた。

「粉で染めるんだて」

ひよこは祖父が口に含んだ部分の色が溶けて流れていた。ぼくも真似してひよこを咥えてみようとすると「やめろよ。汚い」と兄に止められた。



「緑なんだね」「ああ、便がね。赤ちゃんはね。胆汁たんじゅうの色なのかな」兄はそう言いながらカーテンをあける。「あ、まぶしそうな顔した」「そう」「目は見えてるってことだね」「そうだね」



「このヒートマップはひどいね」とU先生が言う。「私が色弱だからかもしれないけど、見えないよ」「赤と青とかに変えますか」「やってみて」S先生が色を操作するのを見て、ぼくは人文系の研究者でもCUIを使えるんだなと感心していたが、その程度で感心されたらS先生としては不本意だろう。



緑色だったひよこはみるみるうちに大きくなった。

「卵産むかな」「縁日で売ってるのはオスなんだよ。メスは卵産むから」

祖父が割って入って言う。「こいつはめんどりだったな」「なんでわかるの」「とさかが小さいろう」



「すごいかわいがってくれるじゃん、うちの息子を」「まあ甥っ子だからね」「おれもお前のことそういうふうに見てたこともあるわけ」「そうなのかな」「それだけ」「そうか」



「言ってしまえば、因果の向きの話をしたいんです」「それは難しいんじゃないですか。難しいというか、データだけ見て言うのは無理で、どっちの解釈がほかの知識と矛盾が少ないかとか、そういう話をしないと難しいと思いますけど」「そうです。ある意味、因果に向きはないんです」「ないというのは」「因果は時間の経過を表す概念じゃないんです」「ぼくの分野の話のなっちゃいますけど、自分が介入した結果として予測がどう変わるかっていう視点がないと、モデルの中の仮定としても、因果を考える意味がないような」「予測って言うのは未知のデータについての予測」「そうです」「未知のデータが未来である必要はないんです」「言葉の上ではそうですけど」



にわとりが産んだ卵をぼくは使い捨てカイロで温めていたが、ことあるごとに卵を触ったりなでたりしてるぼくを見つけて、兄は自分の部屋に卵を持っていってしまった。

「いじりすぎ。そんな揺らしたら中のひよこ死ぬから」

柱時計が何回か鳴ったころ、ぼくが目を覚ますと兄の部屋が騒がしかった。

「見たか」「うん」

祖父の質問に兄はうなずく。

「見たか」「うん」「目が合ったか」「うん」「そうか」

ぼくが「どうしたの」と祖父に聞くと「ヒギョウサマだて」と言った。あとから知った話、ヒギョウサマは明治一桁年代のある一枚のかわら版に、未来の疫病を予言して死んだと書かれている以外は、まったく資料がないらしく、祖父がそれを参照していたのか、それとも独立にそういう話が伝わっていたのか、今となっては確かめるすべがないけど、その日から兄は人が変わったように穏やかになった。データを維持したまま別の人になった。ぼくが泣いても怒鳴らなくなったし、ぼくか部屋で一人で本を読んでいても邪魔しなくなった。大人になってから見たヒギョウサマの絵は、たしかにあのとき見たのと同じ、人間の目をしたひよこだった。



まだやり直せるだろうか。ぜんぶの色を見ているあの子の目に、せめて少しは映るために。

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