7 龍王の花嫁(6)

 暗がりへ差し込んでいた月明かりが、ちらちらと遮られて影になる。


「ルーチェさん! そこにいるんですか、ルーチェさん!」


 岩の向こうからシロカネの声がした。

 わたしは声を頼りに、すこし低いところにある穴から外を覗いた。クリアグレーの丸い瞳と目が合う。


「シロカネ!」

「やっぱりルーチェさんだ! 声が聞こえたのは気のせいじゃなかった……!」


 シロカネはメテオラほど耳がよいわけではない。ある程度は近くにいたんだろう。


「隊長が探ってくれたんだろうね」


 メテオラがそう言って、わたしとおなじように腰をかがめたときだった。メテオラの手が岩肌に触れると同時に、道を塞いでいた岩はすべて幻のように消えてしまった。

 岩に張り付いていたのだろう。鬼の姿をしたシロカネがこちら側へ転がりこんでくる。わたしはとっさに抱きとめた。


「大丈夫か」

「それはぼくの台詞なんですっ」


 シロカネはそのままわたしの首根っこに抱きついてくる。


「心配しました、すごく心配したんですよ」

「すまなかった。おまえに怪我はないか?」

「ぼくはどこもなんともありません。あの白い矢はヤバでしたけど、じっとしてたら全部ぼくを通り過ぎていきました。ぼくがターゲットじゃなかった、ということなんですかね」

「おそらく、そう……なのだろうな」


 こたえを求めてメテオラを見上げるが、みずからの手をじっと見つめるばかりで、とても声をかけられるような雰囲気ではなかった。


 フィオーレにゆかりがある者を地龍は拒まないと老人は話していた。出口についてもすんなり出られるような口振りだった。だがわたしが触れても岩はびくともしなかった。ハンカチーフだっていまはわたしが持っているのに。

 なぜメテオラだったのだ。


 岩はわたしたちが離れるとすっかり元に戻ってしまった。もう一度メテオラが触れても、道が開かれることもなかった。


 シロカネの話によると、わたしたちが地龍に飲まれてから丸一日が経過したという。遠くにはパルコシェニコのつやつやとした岩山が見える。

 矢が降りそそいだあのとき、すぐ目の前にいた鳥は矢を受けると同時にその場から消えてしまったらしい。何度か耳にした、地下にあるという施設へ送られたということだろう。


 シロカネは近くの木に黒鹿毛の馬を一頭繋いでいた。すこし前までは馬からコルダ殿の声が聞こえていたのだとか。鞍には荷がくくりつけられ、わたしとメテオラの服が用意されていた。ソルからのメッセージも添えられていて、アルトロへ来たらかならずうちに寄ってねとイラスト付きで書かれていた。それぞれ服を着替えて、おなじ馬にまたがる。


「コルダさんは海を目指せと話してくれました」


 重量的に狐の姿をしたシロカネは、西南の方角を指差した。メテオラの話によると、そちらにはいくつかの漁村があるという。そこにイナノメ殿がいるのだろうか。


 わたしは手綱をとって、馬の腹を蹴った。特別速い馬ではないが足取りにふらつくところがなく、なによりふたりと一匹を嫌がらないおおらかな気質をしていた。道を見ながら、ときおり走らせ、ときおり歩かせる。川のそばでは休息をとり、水を飲ませる。そうしているうちに後方の東の空から夜明けが滲んだ。


 それから数時間、いくつかの集落を過ぎ、丘を越え、風に潮の香りを感じるようになったころ、空と世界を分かつように海が視界に広がった。

 浜へくだる道のほかに、分かれ道がある。そこを道なりに進むと路傍には天日干しの魚が多く並ぶようになった。道先には石垣に守られた平屋建てが寄り集まっていた。

 道端で地面に魚の絵を描いていた少年と少女が、わたしたちを見て顔を輝かせる。


「おっきなお馬さん!」

「ちっせえ狐!」

「聞き捨てなりません!」


 シロカネはわたしのそばから飛び降りると、シロカネについて言及した少年の頭に体当たりをした。なんてことを、とハラハラするのも束の間、ひとりと一匹は砂埃のなかでぎゃあぎゃあと取っ組み合いをしていた。齢の近いもの同士、まあ、これはこれでいいのか。

 わたしは馬からおりて、少女の前で膝をついた。


「こちらにイナノメという男性が来ていないだろうか。わからなければ、大人のひとに聞いてみてくれないか」


 少女は白いワンピースを翻して家のなかへ駆け込むと、すぐに女性をひとり連れてきてくれた。


「もしかして、あの流されてきたかたのお知り合い?」


 少年とじゃれあっていたシロカネが、ぴたりと動きをとめた。


「もう半月ほど前になるかしら、朝方に浜へ打ち上げられていたのよ。大柄の男性で、たぶん二十代か、いって三十くらいの、長い黒髪のひと」

「目が! 片目には傷があって不自由だったんです!」


 シロカネはわたしの肩によじ登ってきて、女性に迫る。女性はその勢いに押されながらも、ええと頷いた。

 滑り落ちそうになるシロカネを抱きとめる。わたしの腕のなかでシロカネはぽろぽろと涙をこぼした。


「師匠……嘘です、そんなの……絶対別人です……」

「シロカネ……」


 かける言葉が見つからない。いつもはふさふさの三つ又しっぽも、いまだけはすっかり縮こまってしまっている。

 女性は言い出しづらそうに、あのぅ、とわたしに声をかけた。


「亡くなっては、いませんよ……?」

「えっ」

「ただご自分のことを何も教えてくださらないのです。お名前だって。だからわたしたちは、流されてきたかた、とお呼びしています」

「それは、ほんとうですか……」


 シロカネの放心したような問いかけに、女性は申し訳なさそうに頭をさげた。


「ごめんなさいね、わたしの言い方が悪かったのね」


 うしろから肩をたたかれる。メテオラだった。


「あれじゃない?」


 彼が指差す先には人影などない。だがやがて角を曲がってくる男性数人がいた。手にはおのおの釣り竿や網を持っている。そのなかに、長い黒髪をひとつにまとめた男性の姿があった。左目には眼帯を当てている。


「師匠!」

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