7 龍王の花嫁(7)
わたしの腕からシロカネが飛び出していく。走りながら何度も師匠、師匠と叫ぶ。イナノメ殿もシロカネに気づいて足をとめた。
「シロカネ」
「師匠、師匠……!」
シロカネは大きく跳び上がりイナノメ殿の胸にしがみついた。
「心配したんですからあ……、どうしてこんな知らない場所で呑気に釣りなんてしてるんですかあ、もお……どうして、なんでぼくのことを置いてきぼりにしたんですかあ……」
声を詰まらせ、毛なみをぐしゃぐしゃにしながらシロカネは訴える。イナノメ殿は持っていた釣り具を手放し、シロカネを愛しげに抱きしめた。
「すまなかった、シロカネ。ほとぼりがさめるまで会うのはよそうと思っていたんだ。おまえを巻き込みたくはなかったから。しかし裏目に出てしまったようだ。こんなに震えて……、悪いことをしたね」
「極悪ですよお」
わんわんと泣くシロカネの憎まれ口に、イナノメ殿は目を細めた。
わたしとメテオラは馬をひいてシロカネたちに歩み寄る。そうしながらわたしはイナノメ殿の顔に見覚えがあるような気がして首をひねった。遠目には眼帯が邪魔をして見えなかったのだが、……いやしかし、わたしが知る面差しはもっと鋭く険しかったはず。
わたしたちに気づいたイナノメ殿が顔をあげる。そうしてわたしの顔を見て、目を瞠った。
「青騎士……」
その呟きにわたしは確信する。
「アルマ殿」
シロカネの師匠イナノメ殿は、百年前フィオーレとともに帝国軍の象徴となった勇者アルマ殿だった。
ブーツの踵を揃えて敬礼をするわたしに向かって、イナノメ殿は困ったような笑みを浮かべる。
「相変わらず堅苦しい人だ」
「申し訳ない」
「無事だったんだね」
「おかげさまで。……あまり、驚かないんですね」
「きみが動かなくなったあと、フィオーレさんと龍王がきみを抱えてどこかへ行ってしまった。あのとき彼女はきみを弔うと話していたけれど、もしかすると……と思ったからね」
「そう、でしたか」
話しぶりも百年前よりずっと落ち着いている。……それもそうか。シロカネの話によれば、彼はわたしと違って百年間生きてきたのだから。
わたしたちの周りに人だかりができはじめる。村の人々はみなイナノメ殿のことを心配していたのだろう。知り合いが来てくれてよかったと、肩をたたきあって喜んでいた。
イナノメ殿は彼らに丁寧に礼をして、積もる話もありますのでとわたしたちを輪の中から連れ出した。うしろからは、ご馳走を用意しておくよ、日暮れには戻っておいでよと声がかけられる。イナノメ殿への人望に対して、シロカネは自分のことのように得意げな顔をする。親を誇りに思う息子のようで、見ているわたしもあたたかな気持ちになる。
わたしたちは馬を預けて浜へおり、波打ち際を歩いた。
数十歩前を、メテオラとシロカネが海水を掛け合いながら走りまわっていた。鬼の姿のシロカネがメテオラの脇腹へ突進し、もろとも海へ沈む。
かつての勇者殿はそのじゃれあいをいとおしげに見つめた。
「シロカネと話をしなくてもいいのですか」
「あの子は知りたいと思ったことはきちんと自分から聞いてくる。そうしないということは、はぐれた事情にはさほど興味がないということだ」
ふたたび出会えた、それだけでいいということだろう。目的に対して合理的に向き合うシロカネらしい態度だ。
「アルマ殿とイナノメ殿、どちらでお呼びすればいいのでしょうか」
「その前に敬語はよしてくれ。おれはもう勇者でもなんでもない。……いや、あのころから勇者なんてガラじゃなかった」
「努力しま……、努力する」
わたしは自分の頬をつねった。勇者殿は品よくくすくすと笑って、そうだねと呟く。
「もとの名はイナノメだから、そちらがいい」
「もと、とは?」
「名前からわかるだろうが東の出身でね、子どものころ奴隷商人に捕まり帝国へ売られてきた。捕まるおり商人の下人を五人殺したら実績になってしまって、戦闘用奴隷としてずいぶん高く売れたようだ。何人かの主人を経て、最後に行き着いたのが帝国軍だった。黒騎士に勇者にならないかと買われた」
当時のイナノメ殿は悪魔を斬るために息をしているような少年で、あまり誰とも話をしようとはしなかった。ときおり黒騎士と言葉を交わしているのは見かけたが、それも雑談や談笑ではなく、必要なことを伝えているだけなのか殺伐としたものだった。そういう経緯があったとはすこしも知らずにいた。
「あのころ、イナノメ殿とこうやって話すことはあまりなかった気がする」
「簡単な挨拶くらいしか言葉がわからなかったからね」
「そうだったのか」
「黒騎士は東の言葉を知っていたし、あとはフィオーレさんかな。あの人はどうやら黒騎士から言葉を習っていたようだよ」
そういえば、折にふれフィオーレが一方的に話しかけていた気もする。イナノメ殿は鬱陶しげにしていたが。
「なぜイナノメ殿は……、その、あのころとほとんど変わらぬ姿でいるのだろうか」
「それはきみもそうだろうに」
「……そう、なのだが」
半月前に目覚めたことなどをかいつまんで話すと、イナノメ殿は波打ち際を離れて近くの岩場に腰かけた。わたしもその隣に座る。
「あれは戦争が終わって数年経ったころだと思う。黒騎士から退魔の刀をもらったおれは、地下で悪魔相手に暴れまわっていたんだが、ある日龍王の配下に無理やり政庁へ連れられた。そこには龍王の他にもフィオーレさん、赤騎士、黒騎士、それから帝国兵が数名と侍女もいた。テーブルには食事の仕度が整っていて、ワインで乾杯をしたんだ。それを口にした瞬間、帝国兵と侍女がみな血を吐いて死んだ。黒騎士もはじめは咳込むだけだったが、そのうち泡を吹いて倒れた。数日は息があったが、やがて彼も死んだ」
「毒、か」
「人によっては、そういうことになる」
「どういう意味だ」
「ワインには龍王の血が混ざっていた」
それがなにを意味するのか、生き残っているイナノメ殿とテオリアから推察するのはたやすい。
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