7 龍王の花嫁(5)
坑道はゆるやかな上り坂で、細く暗く続いていた。壁にはときおり、仄かな光を放つものがある。触れてみると、鉱石のようだった。水に濡れたようなつややかさで、吹けば飛ぶようなささやかな輝きだ。もちろん、わたしたちや道を照らすには至らない。ただ、はかなくうつくしい。
メテオラに手を引かれて暗闇を進む。
いつもすこし冷たいメテオラの手が、いまはいっそう冷たく汗ばんでいる。鉱石の光のように頼りない体温に、わたしはひどく不安になった。
この男は、いまいったい何を考えているんだろう。
テオリアの話を聞いて、なぜあんなに思いつめた顔を見せたのだろう。
……いや、そうではない。なぜ以前、エレジオの森でそうしたように隠そうとしなかったのだろう。
なぜ、わたしになにも話してくれないのだろう。
行く手にか細い光が差し込んでいる。だが道は崖崩れでもあったのか、積み重なった岩に閉ざされていた。光は岩の隙間から洩れている。そこから外を覗けば夜空の紺碧だけが見えた。光源は月明かりのようだった。
岩肌に触れる。その手に力を込めてみるが、岩はびくともしない。急に崩れてこられても困るが、さて、どうしたものか。
思案していると、岩にかけていたわたしの腕をメテオラの手が掴んだ。
「ルーチェ、もうやめよう」
「やめてどうする。ほかに道はなかったんだ。この岩をどうにかするしかないだろ」
「そうじゃない。そうじゃなくてさ、……契約のことだよ」
「は?」
わたしはほんのわずか上にあるメテオラの顔を見上げた。
「貴様はなにを言っている」
「ルーチェの大事な人たちの足跡を辿るっていう、おれとの契約のことだよ」
「そんなことは説明されなくともわかっている。わたしが聞きたいのは、なぜそんな……やめようだなんて言うのかということだ」
「わからない?」
「ああ。なにも話そうとしないやつの何がわかるというんだ」
わたしはメテオラの手を払いのけた。
「せっかくフィオーレのことがわかってきたというのに! どうして!」
詰め寄るわたしを、メテオラは苦しげに見おろしている。その眼差しがあまりに誠実で、この提案がメテオラの本心だと容易にわかってしまう。
だからこそ、なぜとこぼれる。
「フィオーレが龍王の花嫁だったことや、あの子がいつまでもあの子らしくいてくれたことを知った。それにテオリアが生きていることもわかって、事態は一気に進展している。宰相だというならアルトロにある政庁へ行けば会えるんだろう? 契約はあとすこしで果たせるところまできているんだ。それなのに……。おまえの願いだって、叶うというのに」
「……だからだよ」
メテオラは絞り出すようにそう言うと、躊躇いながらわたしを抱き寄せた。
反射的に離せと振り払おうとして、けれどわたしはそうしなかった。メテオラの肌に広がる小さな震えに気づいた。
「メテオラ……」
「お願いルーチェ。これ以上宰相に関わるのはやめよう。妹さんのことがすこしわかっただけでも、きみの願いは果たされたでしょ。だからさ、お願いだからもう……、やめよう」
「やめたとして、おまえの願いはどうなるんだ」
「いまのこれが、おれの願いだよ」
「そんなわけあるか!」
わたしはメテオラのシャツを強く引っ張った。
「貴様わたしがテオリアの話をしてから様子がおかしいぞ」
エレジオの森でメテオラが呪いを解放したおり、テオリアについて訊ねられたことがいまあらためて思い出される。頬に紋様がないメテオラはいわく感情や思考に蓋がない状態だというから、おこないはめちゃくちゃでも、言葉は信頼してよいはずなのだ。
メテオラはこう言った。宰相とわたしはどういう関係なのかと。
宰相がどういう男なのか、とは訊かなかった。
それは訊ねる必要がない、つまり、知らない仲ではないから……?
「メテオラ、教えてくれ。おまえはいったい何を抱えてるんだ」
「いまはただルーチェのことを抱きしめてる」
「まじめに答えろ」
「答えてるよ」
「メテオラ!」
「宰相が別リアだったらよかったのに。それならこんなふうには思わなかった。だって宰相は百年前にルーチェを殺したんだよね。そんな相手に会わせたいとか、その手伝いをしたいなんて……、誰が思うの?」
「それは……」
こんな問いかけはずるい。逆の立場になれば、わたしだって絶対にメテオラとおなじことを言った。
わたしの首すじに顔をうずめたメテオラは、わたしの沈黙を正確に汲みあげる。
「ね。そういうこと」
「だが……!」
頭ではそう理解できるけれど、それでは心が納得しない。
「ねえ、ふたりでどこか遠い町へ旅に出ようよ。帝国の外の世界へ」
さらに強く抱きしめられて、わたしはメテオラの腕のなかで小さく首を振った。それは自分でもわかるほど弱々しい抗いだった。
「ルーチェ」
メテオラの甘い香りとやわらかな声は、たやすくわたしの内側に忍び入る。
もしわたしがこの囁きのためになにもかもを捨てられるなら、きっとそうするのがいちばんいい。なにもわからない百年後の世界へと連れ出してくれた男だ。帝国も悪魔もない、言葉も通じないような世界の果てであっても、メテオラと一緒なら行けるのかもしれない。
だがわたしは、なにもかもをは捨てられないのだ。
心の奥、わたしという存在に突き立てられた決心。それを捨ててしまったら、そこにいるのはもうわたしではない。
ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、わたしはメテオラのシャツを背中ごと引っ掻きそうに強く掴んだ。
「それでも、果たさせてくれ」
「ルーチェ……」
「わたしを殺した男だからこそ、もう一度会わねばならない」
腕のなかで顔をあげ、メテオラと体を離す。
「それさえ成せたなら、あとは煮るなり焼くなり食うなり、好きにしてくれ」
「まだそれ言うの……? 食べないって言ってるのに」
メテオラはため息混じりに笑って、前髪をがしがしと乱した。苛立ちを言葉にならないうめき声にして、わたしと額を合わせる。
「ルーチェの意志はわかった。……ていうか、わかってた。おれがお願いしたところで聞いてくれるはずないってね。だったらせめてこれだけ、ひとつだけ約束して」
メテオラの大きな手がわたしの頬を両側から包み込む。余った指先が髪をかきわけ、さらに深いところを慈しみ深く撫でた。
「たとえどんなことになっても、絶対におれを信じてて」
「どういうことだ」
「永遠の味方でいて」
隙間から細く差し込む月明かりがメテオラの目もとを切り裂くように照らしている。スカイブルーの流星の瞳は、わずかの狂いもなくうつくしい。
「わかった」
わたしが短くそうこたえると、メテオラは掠れた声でありがとうと呟いた。
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