7 龍王の花嫁(4)
わたしは深いため息をついて、頭を抱えた。それまで真剣な眼差しで話を聞いていたメテオラがじわじわと笑いをこぼす。
「わたしはなにかおかしなことを言ったか?」
「だってせっかく勇者さまと聖女さま御一行が玉座にまで迫ったのに論点ずれすぎ。肩透かしもいいとこじゃん」
「そうなのだ! あのときわたしは、悪魔の王にとっては人間など取るに足りないものだから乱雑にあしらわれているんだろうと、フィオーレへの言葉はそのあらわれなんだろうと思ったんだが、まさか……本気だったとは」
怒りとも虚しさともしれない苦い感情が思い起こされて、わたしは老人がいれてくれたお茶を呷るようにして飲んだ。奥歯に感じるかすかな渋みを、じっと味わう。そうするほどに胸のうちで鮮明になる思いがあった。
わたしは席をたち、毛布を引きずるようにしながら暖炉の前にしゃがみ込んだ。すっかり乾いたハンカチーフをたたんで、刺繍の上にそっと手を重ねる。
「だが、……そうか、フィオーレは無事でいてくれたんだな」
思いがけず巡り会えたフィオーレの足跡に、わたしの胸はいたく震えた。
まだ若かった老人の傷ついた手を労ったという。六十年前ということは、フィオーレはもう中年を過ぎ、老齢に差し掛かっていただろう。長く、生きてくれていた。それだけではない。その歳になるまであの子の春風のような優しさは失われていなかった。そのことがわたしには何よりうれしい。
ハンカチーフを胸に抱く。頬を伝った涙が跪いた膝頭を何度も濡らした。
わたしは体を起こして、老人を振り返る。
「教えてくれ、フィオーレはどんな風に年を重ねていた? いまのあなたよりいくらか若いくらいだったと思うが」
「わしより若いくらい? とんでもない! 聖女さまはそれはもう少女のようにお若く美しい人じゃった。咲き初めの花のように可憐で、澄みきった泉のように清廉で、わしはあれほど美しい人をほかに知らんよ」
「まさか、そんなはず……」
ありえない、と言いかけて、わたしはふと口を噤む。
いや、わたしはつい先ほど、むかしのままの姿をした人に会っている。それだけではない。シロカネの師匠イナノメ殿だって人間でありながら年若い青年のままだというし、百年の空白があるとはいえ、姿が変わらないというならそもそもわたしだってそうなのだ。
わたしの沈黙を不自然に思ったのか、メテオラがそばへやってきて顔の前でひらひらと手を振った。
「なにかあった?」
「実は……、パルコシェニコで宰相テオリア、いや、兄に会った」
メテオラは手をとめて、その手をゆっくりと閉ざした。
「宰相は別リアじゃなかった、ってこと?」
わたしは頷き、ハンカチーフを両手で握り締める。
「立ち居振る舞いにいくらか大人びたような印象はあったが、背格好も、面差しも、声も、あれはたしかにわたしが知るテオリアだった。それに、別れ際にはわたしの名を呼んだ。それがなによりの証拠だろう」
「そう……」
暖炉の炎が生きもののように揺らめいて赤い影となり、メテオラのスカイブルーの流星が濁る。メテオラはわたしを見つめたまま、どこか違うところを見つめているようでもあった。
「メテオラ……?」
「ああ、ごめん。それでルーチェはどうしたの」
まるで何事もなかったようにメテオラはやわらかく笑む。強い、拒絶の微笑みだ。
「はじめはわたしに気づかなかったから、明かさないまま奴に同行した。肝心なところでディレットに邪魔をされてしまって、結局テオリアの目的がなんだったのかはわからずじまいだが」
「残念だったね。でもひとりで行動するのは危険なこともあるし、深追いしなくてよかったと思うよ」
「そう、だな」
なんだろう……、この気味の悪さは。メテオラの言葉は優しく正しいが、どこまでも虚ろだ。
「じいさん、この坑道にまっとうな出口はある?」
「ああ。池を背にして道なりに進めば出口に行き当たるよ。一本道じゃて」
「ありがとう」
メテオラは乾いた服をさっと着て、使っていた毛布をたたむ。わたしは慌てて奴のシャツを掴んだ。
「待ってくれ。わたしはまだフィオーレのことを聞きたい」
「それ今日じゃないとだめ? おれたちはシロカネを待たせてるんだよ」
そう言ってわたしに手を差し伸べるメテオラは、いつものへらへらとしたメテオラだ。
「あいつ絶対泣きながら待ってるから。はやく帰ってあげよう。そしてイナノメを探しに行こう」
それは……、たしかにそうだ。でも、だとか、だって、などと食い下がる余地すらないほどに。
わたしは老人を振り返った。
「またここへ来られるだろうか」
「わしにははっきりしたことは言えんが、おまえさんたちならきっとまた地龍さまはお口を開けてくださるだろうて」
老人はふぉふぉと笑って、包み紙にくるんだパンとお茶の入った水筒を持たせてくれた。わたしは青いドレスの上からメテオラのジャケットをはおる。深く礼をして、小屋をあとにした。
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