7 龍王の花嫁(3)
小屋はメテオラのアパートメントほどの広さがあり、老人の住居兼採掘道具置き場といった様相だった。
暖炉の火がぱち、ぱち、と音を立てる。その床にわたしたちの着ていた服とフィオーレのハンカチーフを並べた。
わたしは老人から毛布を借りて、木の根で編んだという椅子に座る。切り出した岩のテーブルには年輪にも似た模様があり、表面はよく研磨され水を張ったようにつやつやと輝いていた。
テーブルにあたたかいお茶を置いて、老人もよいしょと腰掛ける。
「あれはもう六十年ほど前になる。わしはここの管理人になったばかりで、まだおまえさんらくらいの年頃だった。管理とはいってもね、ここはまあ、ふつうの採掘場じゃあない。わかっとるだろうが、地龍さまの腹と繋がった場所じゃからの、日々通ってくる採掘工夫はおらんし、監督員もおらん。わしの仕事は地龍さまが食ったものの選別と片付けよ。地龍さまはこの世の濾過装置と思ってくれたらよいわい。おおかたのもんは地龍さまが食うて、消化してくださる。その糞……ゆうたら失礼じゃがの、それはやがて土になるもんやら、草木になるもんやら、水になるもんやら、そりゃあもう様々に生まれ変わる。時々糞になりきらんもんが流れ着くんでな、わしはそれをせっせと片して、地龍さまの機嫌がええときにはちょっとばかし壁を削って、鉱石を外へ売りに行ったりしとる。ここらのもんはそうやって集めたもんじゃ」
老人は退魔の刀をじっと見つめて、そいつは掘り出しもんじゃったのにと、残念そうに言う。この小屋には外で買ってきたものだけでなく、地龍が吐き出したものも多くありそうだ。
「……そう、あのときもそうやって石を削っとるときで、聖女さまは急に現れたかと思うとそっと寄ってきなさって、ささくれだったわしの手をそれはもう優しく労ってくだすった。そのときに、おまえさんが持っとるのと似た風合いの、おんなじ刺繍があるハンカチーフをお持ちだった」
わたしは暖炉の前に広げたハンカチーフを見やる。六十年も前に見た刺繍を、はたして覚えていられるものだろうか。まだ六十年生きたことのないわたしには見当もつかない。しかし覚えているというのなら、それはつまり老人にとって忘れることのできない、大切な思い出ということになる。わたしは彼に、刺繍を見間違っている可能性について問うのは控えた。
「だからってわたしたちが彼女の身内だとなぜ言い切れる」
「そりゃあ、おまえさんたちが地龍さまに食われず生きてここにおるのがなによりの証拠じゃよ」
老人は眉尻を下げて、笑ったようだった。
「あのおかたは龍王さまと並んで特別じゃ。なんせ聖女フィオーレさまは龍王さまの花嫁になったおかたじゃろ。地龍さまもお越しを拒むことはしない。当然聖女さまとゆかりがある人を食うこともない」
「花、嫁……?」
「なんじゃ、知らんのか」
わたしは自分が戦争で深手を負ったこと、そのあと百年のあいだ岩山の穴ぐらで眠っていたこと、そしてメテオラに起こしてもらったことなどを手短かにかいつまんで話した。
「だから戦争のあと、みながどうなったのかを知らないんだ」
「わしもその時代を生きとったわけじゃないから詳しいことはわからんが、当時悪魔を束ねておった龍王さまは聖女さまをいたくお気に召されて、玉座を帝国へ譲るかわりに聖女さまを娶ったという話じゃ。ほれ、フィオーレ暦ちゅうのもそうじゃ。帝国側から提示されとるもんでいこうゆうとるところを、龍王さまが強引に書き換えてしもうたとかなんとか。わしが小童のころにはそれを題材にした舞台なんかも流行っとったよ」
そういえば最近はとんと聞かんのう、と老人はお茶をすする。
わたしとおなじように毛布にくるまっていたメテオラは、毛布越しにわたしの腕を指でつついた。
「ルーチェはその龍王さまにもしかして会ってるんじゃないの」
「ああ、おそらくあの男だろうというのはわかっている」
宮城の奥深く、わたしが最期に見た景色は玉座の間だった。そこに座っていた男の姿ならはっきりと覚えている。
グロスアッシュの髪に、サンドゴールドとクリスタルパープルが合わさる瞳。うつくしく整った顔をしていたようにも思うが、わたしにはその存在の禍々しさばかりが印象強い。甲冑の類いとは無縁の細身の体を、尊大な様子で豪奢な玉座におさめていた。
それまでに戦ってきた悪魔とは異質の、王と呼ばれるにふさわしい威厳を備えた男ではあったが……。
「たしかにフィオーレをごりごりに口説いていた……」
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