7 龍王の花嫁(2)
池の周囲はごつごつとした岩肌で、場所によっては坑道のように人為的に掘り広げられたようにも見えた。あたりには等間隔で明かりが並んでいるし、隅には小石でできた山がいくつもある。壁にはツルハシやシャベルが立てかけられていた。
坑道のような、ではない。ここはまさしく坑道ではないのか。
「おや、珍しく生きびとがおるわい」
しゃがれた声に振り返ると、そこには白髪の老人が立っていた。白い眉と白い髭に顔のほとんどが覆われていて、表情は読めない。背中には大きな鞄を背負っていて、小柄で、子熊のようにずんぐりとしていた。
わたしはとっさに刀を抜こうとして、はたと、手に何も持っていないことに気がついた。
「しまった、シロカネの刀が」
すぐさま池へ戻ろうとしたわたしの腕をメテオラが掴む。
「離せメテオラ、すこし潜ってくるだけだ」
「それならちょっと待って」
メテオラは老人をじっと見据えていた。その眼差しは冷たく鋭い。
「じいさん、その鞄にささってる長細いやつ、おれの友達の刀じゃないかと思うんだけどどうかな」
「はて、刀とな。おお、こいつのことかな」
老人は背負っていた鞄から一振りの刀を取り出すと、すばやく抜いてメテオラへと振り下ろした。
メテオラは素手で刀を受け止めて掴む。
老人はもさもさとした白い眉をわずかに歪めた。
「なんじゃ、おまえそのなりで悪魔じゃないのか」
「残念ながらハイブリッドなんだよ」
素手で刀を掴んだメテオラの手からは、血がぱたぱたと落ちる。
「ほお、ハイブリッドだと退魔の術式が効かんのか。そうかいそうかい」
老人は刀の柄から手を離し、敵意はないと言いたげに両手を軽くあげた。
「一度でいいから退魔の術式で斬られた悪魔ちゅうもんを見てみたかったんじゃが、残念だのう」
「なんて非道な……!」
老人へ向かって身を乗り出そうとしたわたしを、メテオラが制する。メテオラはわたしへ刀の柄を差し出し、持っててと小さく呟いた。
「じいさん、これいつどこで拾ったの」
「半日ほど前かのう。おまえさんらがおるその場所に落ちとったんじゃ」
「ここは地龍の腹のなかだよね」
「まあ……、そうであってそうでない場所じゃよ」
白い眉の下から鋭く切れ上がった目が覗く。
「おまえさん、そのジャケットになにを入れとる」
「え?」
メテオラは無事なほうの手でポケットを上から叩き、数枚のコイン、濡れてぐずぐずになったパルコシェニコのカード、そして胸の裏側のポケットから布切れを一枚取り出した。
隅に薔薇の刺繍がある。フィオーレのハンカチーフだ。
「きれいに血が落ちたからルーチェに返そうと思ってたんだった。ばたばたしてて、ここに入れたことも忘れてた」
遅くなってごめんねと手渡される。きっときれいに折り畳まれていたのだろうが、濡れて皺だらけになってしまっていた。
わたしの手もとを老人がじっと覗きこむ。
「おまえさんら、聖女さんのお身内かい」
「なんだって?」
わたしたちは聖女のこともフィオーレの名だって口にしていない。それなのにハンカチーフを見ただけで……?
わたしはあらためて刀の切っ先を老人へ向けた。
「そういうあなたは何者だ」
「わしか。わしはこの坑道の管理人じゃよ」
ふぉふぉと大らかな声で笑って、老人はわたしたちに背を向けた。
「向こうの小屋へ来なさい。ずぶ濡れで寒かろう、毛布も暖炉もあるぞい」
その後ろ姿には一切の警戒心がない。隙だらけの背中だった。さきほど素早い身のこなしで刀を抜いた老人とおなじ人物とは思えない。いまなら簡単に拘束できるだろう。
わたしはメテオラと目を見合わせた。メテオラは困ったような笑みを浮かべる。
「とりあえずついてく?」
「そうだな」
刀を鞘におさめて立とうとすると、肩にずしりと上着をかけられる。
「メテオラ、たしかに寒気はあるがこれは……、濡れて重いし結局冷たい」
「小屋で毛布借りるまではそうしといてよ」
「しかし、ずぶ濡れはおまえもだろう」
わたしの指摘にメテオラはそうなんだけどねと頷きながら、わたしの耳へ口を寄せた。
「さすがに目のやり場に困るよね」
メテオラはそう言い残すと先に行ってしまった。
わたしは自分の胸もとを見おろして、反射的にジャケットの前をかき合わせた。いや、なにも見えてはいないし、こぼれるようなものもないのだけども。濡れた服がぴったりと肌に張り付いているのはたしかに……、シロカネがいたら大騒ぎになっていただろう。
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