6 狂宴の果てに(5)
ベッドとサイドテーブルがあるだけの簡素な部屋だった。窓の外には小さいながらもテラスが張り出し、そこに灯された明かりが染みるように部屋を照らしていた。
「ここは劇場じゃないのか」
「んんんんん……需要があるんだろうねえ。パリアッチョに気遣われたってことだよ」
メテオラは組んだ脚に頬杖をついて、乾いた笑いをもらした。
『今宵はどちらの演目をご所望ですか』
わたしはパリアッチョの言葉を思い返す。
「やはりあの質問は特別なものだったんだな」
「この結果は及第点でしょ。へたに詳細を聞こうとするよりは、怪しまれずに済んだんじゃない?」
「それは、そうかもしれないが」
たしかにあの段階で取れる手段は他にはなかったかもしれないが……。任務の核心へ迫る道すじをみずから手放してしまったようで気が塞ぐ。
テラスを睨みつけるように見ていたわたしの視界で、メテオラの手がひらひらと揺れた。
「ルーチェは百年前に恋人とかいた?」
「はあ? なんなんだ、いきなり」
「いや、いちおう聞いておこうと思って」
「そんなふわふわした理由で答えてもらえると本気で思ってるのか?」
わたしが眉をひそめて睨みつけても、メテオラは笑顔を崩さない。
「いた?」
帝国にいのちを捧げる身でありながら恋愛にうつつを抜かすはずがなかろう、と怒鳴ってやりたいところだが、言葉が増えれば増えるほど墓穴を掘るような気がして、わたしはそのまま睨みつけた。
「じゃあ、いなかったんだ」
「おい待て、じゃあってのはなんだ、じゃあってのは!」
「いた?」
「いなかったよ! だいたいわたしは帝国とフィオーレのためにいのちを捧げた身だぞ。愛だの恋だのと浮かれていられたと思うかっ?」
たまらず立ち上がって怒鳴りつける。そうしてから言わされたことに気づくが、放ってしまった言葉はもう戻ってはこない。
メテオラはわたしの手袋を嵌めた手を取って、嬉しそうに目を細めた。
「ルーチェは落ち込むより怒ってるくらいのほうがいいよ」
「なんだそれは」
「元気出して、って言ってるの」
わたしの手を額へ押し当てて、メテオラはやわらかな声で言う。
「これはおれの仕事なんだから、ルーチェが気負うことじゃないよ」
「わたしは……そんなに落ち込んでいたか」
「そうだね」
「すまない」
するりと言葉がこぼれる。そのときにはもう、直前まであった鬱屈や後悔はかけらほどもなかった。
「とりあえず部屋を出て、厨房か倉庫を探そう。それでいい?」
「ああ、異存ない」
わたしの返事に笑顔でこたえて、メテオラもベッドから立ち上がる。
「ところでほんとにいなかったの?」
「おまえも大概しつこいな。そんなこと聞いてどうするんだ。いたとしたら、そいつのその後も見届けようとでもいうのか」
「前から気になってたんだよね、どうだったのかなあって。ほら、ルーチェは契りとか言う人だからきっと操を立てたりするんだろうなあ、だとしたらいざというとき面倒だなあって考えてたんだよ」
「安心しろ。わたしに恋人がいたかどうかにかかわらず、いざというときは来ない」
「そんなのわかんないよ。ルーチェは百年前にこういう百年後を想像した?」
わたしは思わず答えに窮する。
メテオラは悪戯っぽく紋様を歪めて笑う。
いったいどこの誰がこんな未来を想像できる! 無理だろ!
わたしはメテオラの手を振り払い、先に部屋を出る。うしろからはくすくすとメテオラの笑い声が聞こえた。首もとからもおなじような笑い声がする。
「シロカネまで!」
「だってルーチェさんがあんまりかわいらしいから」
「もう……からかうのはよしてくれ、どっと疲れる」
「からかってないですよ、素直な気持ちです。きっとメテオラさんもそう思ってるんですよ」
いつもメテオラに反撥するシロカネが同調するなんて珍しい。
「どうしたシロカネ、なにか弱みでも握られたのか」
「だって今日のメテオラさん、ふざけたところが全然ないですから」
どのあたりをもってそう思ったのか、わたしにはさっぱりわからないのだが……。
「ところでそのメテオラはどうした」
廊下にはわたし以外の人影がない。それどころか、出てきたはずのドアがどこにも存在しない。
「ただの劇場ではなさそうだな」
「ひとまずメテオラさんが言ったように厨房や倉庫をさがしてみましょう。今夜の晩餐会のために用意された人間がいるはずです。ぼくも鼻をきかせてみます」
「ありがとう、シロカネ」
メテオラがどういった状態にあるかはわからないが、ただはぐれただけなら奴もそれらを探して向かうはずだ。きっとそこでまた再会できる。
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