6 狂宴の果てに(6)
廊下の片側はすぐに行き止まりになっていた。もう一方はやがて階段へつきあたり、階下の中庭へと続いていた。
真四角の庭には多種多様な植物が葉を広げ花を咲かせていた。しかも春夏秋冬の花が同時に咲き揃っている。不思議な場所だ。
庭を取り囲むように石柱の並ぶ廊下がある。四辺のうち一辺はエントランスのような広間に繋がり、あとの三辺は白い壁に覆われている。外廊下へ回り込んでみると部屋が三つあることがわかった。壁の一面には、演目に合わせているのだろう、それぞれ異なる絵が描かれている。おそらくここが劇場だ。だがどこにもドアは見当たらない。耳を押し当ててみるが、なかからは何も聞こえてこない。防音にでもなっているのだろうか。
広間のほうにも行ってみるが、こちらはほとんどが吹き抜けになっていて、いくつかソファが置いてあるだけでなにもない。壁を見上げると張り出したテラスの裏側が三つほどあった。わたしたちが通された部屋は位置的にあそこだ。存在がまったく消えてしまったわけではなく、ただドアが消えただけとわかりひとまず安堵する。
しかしほかの場所へ繋がりそうな道はどこにもなく、そもそも晩餐会が行われるような部屋もない。
「このなかは本当に劇場なんでしょうか」
シロカネの呟きに、たしかにとうなずく。いくら防音対策されているといっても、こんなにも何の気配も感じないものだろうか。芝居の熱気などは伝わるのではないだろうか。そう考えれば、この三つの劇場のどれか、もしくはすべてがその会場である可能性は高い。
もうすこし劇場を調べようと思い中庭へ戻ると、給仕係の女性がトレーにグラスを載せて近づいてきた。
どうぞ、とひとつ手渡される。ドリンクは透明でかすかに黄金色を帯び、底からはこまかな気泡が浮き上がっていた。香りを嗅ぐと、濃い酒のにおいがした。
これは、一滴だって口にしないほうが良さそうだ。あまり酒には強くない。
「どうだシロカネ、人間のにおいがしたりしないか」
「そのお酒のにおいがきつくて、よくわからないんです……、ごめんなさい」
「いや、かまわないよ。受け取ったわたしも軽率だった」
グラスを配るということは、空になったグラスを置く台くらいありそうなものだが、そういったものは見つからない。
どこか適当な場所がないかと探しているうち、わたしは中庭に踏み入っていた。
「そちらの仕組んだことではないのか。こちらとしては別件で包囲してもいいんですよ」
大きな枝ぶりの樹の向こうから、話し声がした。わたしはその男の声に驚き、反射的に息をひそめた。
「なんと言われようと、ぼくには心当たりのないことです。ぼくはただ最高の感動をお客様にお届けしているだけですから。ですがそこまで仰るなら、どうぞ宰相さまのお好きになさってください。道も、開けておきましょう」
この声はオーナーのディレットのものだろう。しかし問題はそれではない。問題なのはディレットが話している相手だ。……この声の男が宰相さま、だと?
「では、こちらで勝手にさせてもらいます」
顔を確かめたくて、樹のかげから姿をうかがう。だが枝葉が邪魔をしてよく見えない。
「どうぞ、どうぞ。無事に辿り着けることをお祈りしていますよ」
宰相はディレットに背を向けて中庭から出て行ってしまう。足音が遠ざかっていく。いけない、追わなくては!
大樹のかげから飛び出すと、ぬっと出てきた人影にぶつかった。手に持っていたグラスの中身が互いの胸もとを濡らす。
「あっ、申し訳ない!」
顔を見上げると、ディレットだった。彼は微塵も驚いたり怒ったりせず、にこやかで慇懃な笑みを浮かべていた。
「こちらこそ、ついうっかり驚かせてしまって申し訳ございません。すぐに係りを呼びますのでお召し物のシミ抜きをその者にお申し付け――」
「すまない、急ぐんだ」
わたしはほとんど空になったグラスをディレットに押し付け、宰相のあとを追った。うしろからは、よい夜をというディレットのにやついた声が聞こえた。わたしはたまらず舌打ちを洩らす。あの男、宰相を行かせるためにわざとわたしにぶつかったんだ。
宰相が階段のほうへ向かったのは見ていた。わたしはさきほど降りてきた階段を駆け上がった。しかしその先は行き止まりだし、ドアだってないはずなのに。どこへ行こうというのだ。
階段を登りきると、宰相が廊下の突き当たりを左に曲がるところだった。
まさか、そこは行き止まりだったはず。そう思いはするが、この劇場ならそういうこともあるのかもしれないと考え直す。
それはつまり、あの曲がり角がいつ消えるかもしれないということでもある。わたしは宰相に気づかれるのも厭わず、全速力で走った。
「ルーチェさぁん、あんまり揺らされるとぉ、酔いがまわ、まわりますますますねえぇ」
「なんてっ?」
わたしが聞き返しているうちに、シロカネはぽんと白い煙に包まれてしまう。首にあった温もりは一瞬でなくなり、風が抜けていく。
背後でどさりと何かが落ちる音がする。走りながら肩越しに見やると、狐の姿のシロカネが廊下に落ちていた。
「シロカネ!」
呼びかけるが反応はない。どう見てもすやすやと心地よさそうに眠っている。
ああっ、さっきの酒がシロカネにもかかっていたんだ!
「おまえも下戸か……!」
しかしシロカネの介抱に戻っている余裕はない。わたしは目の前で閉ざされようとしている曲がり角へと滑り込んだ。
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