6 狂宴の果てに(4)
メテオラはわたしを抱き寄せながら体を起こす。
「まさかルーチェがこんなに器用だなんて思わなかった」
「やりたくてやったわけじゃない」
任務はまだ始まったばかりだというのに、わたしは深々と息を吐き出した。メテオラは苦でもないのか、へらへらと笑っている。
「ねえルーチェ、またやってよ、さっきの」
「なんのことだ」
「わたくしだけですの? って上目遣いするやつ」
「二度とするか」
「ええー、ざんねん」
へらへらしながら残念がられても、まったく伝わってこない。
悪路なのだろう。パリアッチョが言ったとおり馬車はよく揺れた。それゆえの気遣いか、わたしの肩にはメテオラの腕がまわされたままだった。
「メテオラ、このくらいの揺れは平気だ。それより貴様の腕が重い」
「おれもそうしたいところだよ。そういうわけだしシロカネはそろそろおれを噛むのやめよっか」
胸もとを見おろすと、シロカネがメテオラの手に噛みついていた。
「ふぉくはみのがしましぇんお」
「おれなにもしてないでしょ」
「シロカネ、状況が状況だった。見逃してやれ」
わたしの言葉でシロカネはメテオラを解放する。
「ぼくはガチみだらの気配には敏感ですからね」
「やるわけないでしょ、こんなところで。お芝居だよ」
「どうだかです」
シロカネはクリアグレーの瞳をわたしへ向ける。
「ぼくがルーチェさんを守りますから、安心してくださいね」
シロカネは息巻いて二倍三倍に毛を膨らませる。わたしは首を傾けてシロカネに頬ずりした。
「コルダ殿から、はやくご褒美をもらおうな」
「はい。ありがとうございます、ルーチェさん」
ふたたび元の大きさに戻ったシロカネはぼくファーですからと言い残し、まるで眠っているように静かになった。
窓から外を覗くと、夜空まで染めるほどの明かりに照らされ輝く岩山が見えた。
おなじ窓から外を見つめていたメテオラが小声で言う。
「あれがテッラ砦。劇場に改装されるまではこうも派手ではなかったんだけどね」
岩山といってもなだらかで、溶けかけのバターのようなかたちをしている。遠目には判然としないが、木や草の類いは見当たらない。剥き出しの地表だった。
「上官殿の話を聞いたときから不思議に思っていたんだが、あの砦はどういう経緯で作られたものなんだ。百年前わたしは南まわりで宮城へ向かったからここを通ったわけではないが、しかし砦があるという報告は受けていなかった」
「おれも詳しいわけじゃないけど、むかしはここじゃなく、もっとヴェント寄りにあったって話だよ」
「移築、したのか……?」
「謎だよね」
「ほんとに詳しくないんだな、おまえは」
「うーん、学校へ通ってたら教わったんだろうけど、おれ行ってないから」
「そう、か」
以前にもなにか訊ねたおり、知識が曖昧だったことがある。どういう事情があるのかふと気になりはしたが、詮索するのは違う気がする。
こういうとき、なにか気の利いたことを言えればいいのだろうが……。わたしは沈黙を選ぶしかできない。
やがて馬車は砦へと続く細い階段の下で停車した。
「さあ、さあ。到着しましたよ」
パリアッチョは馬車のドアを開けながら、深く一礼する。
「では、では。よい夜を」
そう言い残すと、パリアッチョは馬車が落とす影のなかへもぐるように消えてしまい、馬車もまた水たまりのような影に飲み込まれて消えた。はたして彼はこの世に実在する存在だったのだろうか。自分の影からいまにもパリアッチョが出てきそうで、わたしは二度ほど影を踏みつけた。
ほかにも馬車が続々到着する。そして客をおろしては、おなじように影のなかに消えていった。
広場の鉄扉が軋みながら閉められる。
馬車から降りてきたのは、ざっと三十人ほど。今夜の客はこれですべてのようだ。
見た目から明らかに悪魔とわかる者もいれば、メテオラよりももっと人間に近い姿をした者もちらほらといる。向かい合えばわかることもあるだろうが、この状況では誰が悪魔で誰が人間か正確に把握することは難しかった。
「しかしずいぶん狭い階段だな」
わたしは砦の壁に削り出された階段を見上げて呟いた。
「狭いだけじゃないよ。そもそも下まで続いてない」
メテオラが指摘する場所に目を凝らすと、たしかに階段はわたしの背丈分ほど地上まで足りない。
「飛べるやつしか行けないのか」
「そういうわけではないと思うけど」
周囲は高い塀に囲まれて、ほかに道らしきものは見当たらない。石畳の地面には所々に黒いタイルが嵌め込まれており、なにかの模様を描いているようだった。
ふっと、砦を照らしていた明かりが一斉に消える。周りの客からかすかな驚きの声と、大きな歓声があがる。
階段のなかほどに小さな明かりがひとつ灯った。三十代くらいの男がひとり、ランプを手に佇んでいる。
「本日はパルコシェニコへお越しいただき、ありがとうございます。わたくし当館のオーナー、ディレットと申します。みなさまの素敵な夜に、ここパルコシェニコが更なるスパイスとなりますことを祈っております。ようこそ! 最高の舞台へ!」
よく通る声で口上を述べると、オーナーのディレットは指を鳴らした。
途端わたしは真っ暗なばかりの虚空へと投げ出され、あっと声をあげた。自分の手足の在り処もわからないような闇のなかで、唐突に石畳の模様に思い至る。わたしが眠っていた岩壁の洞穴、あそこにあった魔法陣とよく似ている。
わたしは隣に座っているメテオラの肩を叩いた。
「メテオラ、あれは魔法陣だ」
そう口にしてから、わたしは自分たちがもう虚空にいないことに気がついた。互いに目をしばたかせ、座っている場所を揃って見おろす。
「ベッド、だな」
「そうだねえ」
しかもかなりよいスプリングで、力を込めるとかるがる押し返してくる。
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