6 狂宴の果てに(3)
地図に印された場所は広場の喧騒も届かないような町の外れだった。鉱山へ向かう道なのだろう。砂利が敷かれ、多くの荷車や工具などが脇に並べられていた。
そこに小さな小屋があり、明かりを提げた馬車が待機していた。
御者だろうか。馬の横に立ち、わたしたちへ向かって慇懃に礼をする男がいる。
「おや、おや。パルコシェニコへおいでですか」
「さきほど広場でいただいたカードが気になりまして。こちらであっていますか」
「ええ、ええ。わたくしがご案内させていただきますパリアッチョでございます」
そう名乗った男は真っ白な顔をしていた。比喩ではない。舞台用のおしろいを塗ったような凹凸のない顔に、線だけの目と口がある。その線は湾曲して、とってつけたような笑顔を形作っている。
「さあ、さあ。馬車へどうぞ。足もとに気をつけて、さ、さ」
音もなく馬車のドアがひらく。メテオラに支えられながら馬車の踏み台に足をかけると、視界の端の近いところに白い顔がぬっとあらわれた。
「あら、あら。あなた、妙なにおいがしますねえ」
わたしは思わず動きをとめた。妙なにおいというのは、狐と人間がひとところで混ざっているからか。それとも、人間であると見抜かれてしまったのか。砦へ入った人間は戻らなかったとメテオラが話していたことを思い出す。
ずいと迫ってくる白い顔を遠ざけるように、黒い爪のメテオラの手が差し出された。
「パリアッチョ、うちの奥さんは悪戯がすぎて長いあいだ封じられていたんだ。今夜はその快気祝いだから、興をそぐような勘繰りはやめてくれないかな」
メテオラはにこやかな笑顔を浮かべていたが、流星の瞳はかけらほども笑っていない。
パリアッチョは時がとまってしまったようにしばし微動だにしなかったが、やがて何事もなかったようにさらさらと笑った。
「やあ、やあ。これは失礼いたしました。悪戯好きにわるい悪魔はいないと申します。なるほど、なるほど。お邪魔をいたしました」
メテオラの機転のおかげでどうにかやり過ごせたようだ。
わたしたちが馬車へ乗り込むと、パリアッチョは小窓に顔を張り付けた。
「ところで今宵はどちらの演目をご所望ですか」
それまで道化じみていたパリアッチョの声色が、急に実体を帯びる。
わたしとメテオラのあいだに、刹那、緊張が走った。
なんの根拠もない。ないけれど、これはおそらくエレジオか否かの問いかけだ。その直感はあるけれど、どう答えるのが正解かなど知らされていない。
カードを見て来たと話したのだから演目の詳細を聞けばよいのだろうが、そうすると敵地に乗り込む前から行動範囲が狭められることもあるかもしれない。いっそわたしが人間であることを明かして、エレジオに提供されればいいのか……?
メテオラはパリアッチョに向かってしぃっと囁いて、口もとに人差し指を立てた。
「彼女にはまだ内緒にしていたいんだ。だめかな」
メテオラもわたしとおなじように考えているようだ。正解がわからない以上、ここでなにかしらの回答をする気はないらしい。
「あれ、あれ。さきほどカードをご覧になって当方をお知りいただいたように仰っていましたが。実は、実は。ご存知ということですかねえ?」
「きみは、ずいぶん嫌な言い方をする……。まるでぼくが嘘をついているみたいに」
繋いだままのメテオラの指が、絹地の手袋越しにわたしの爪を撫でている。ひどく緊張しているようだ。斜め後ろから見えるメテオラの首筋で、ざらりと紋様が脈打つ。力づくでパリアッチョに案内させる気か。すぐにでも呪いを解放できるようにしているのだろう。しかしどう考えてもそれは悪手だ。ここで解放しては任務の遂行が難しくなるだけだ。
どうにか平和的に、やり過ごすしかあるまい。
わたしはメテオラの手を握り返した。
「あら、ずいぶん失礼な物言いをなさるのね、あなた。パリアッチョはこれを聞くのがお仕事ですのよ。ですわよね、パリアッチョ」
「まあ、まあ。そうでございますね」
パリアッチョは得たりと目口の線をゆるませる。メテオラはわたしを振り返って、あいた口が塞がらないようだった。
子どものころに読んだおとぎ話のお姫様たちは、どんな風に話していただろう。わたしは必死に古い記憶を引っかき回す。
「わたくしが何度訊ねても、この人ったら今夜のことは教えてくださらないの。いつまでも秘密にしようだなんて、子どもじみていますわ。そうだわパリアッチョ、いじわるなこの人の代わりに、おまえが教えてちょうだいな」
「ええ、ええ。しかしご主人はよろしいんですかね」
パリアッチョがちらりとメテオラの様子をうかがう。完全に呆けていたメテオラがはっとして顔を繕う。
「いいものか。ぼくが何日も秘密にしてきた努力を、仕事ごときで無にしないでほしいなあ」
「それは、それは。申し訳ございませ――」
「努力だなんて言葉、よく言えますこと。わたくしが封じられているあいだ存分に羽をのばされていたのに?」
「だからきみのためだけにこうやってサプライズを用意したんじゃないか」
「ほんとうに、わたくしだけですの……?」
わたしはメテオラの腕に縋りつき、すぐそばからスカイブルーの瞳を見上げた。
頬のあたりにパリアッチョの視線を痛いほど感じる。あからさまに不審に思われている。真偽を見定められている。
よくよく落ち着いて考えてみれば、はたしてこんな即興の三文芝居が通じるのだろうか。パリアッチョをやり過ごせるのか? メテオラを困らせているだけではなかろうか。
切実な表情を努めようとするほど頬が引き攣りそうだった。緊張感からだろう、いやに心臓が高鳴る。
メテオラはわずかに驚きながらも、くしゃりと顔を崩して笑った。
「きみだけだよ」
そう囁いて、メテオラはわたしの耳に手を添えた。そのままゆっくりとシートへ押し倒される。互いの額を重ね合わせていると、窓に張り付いていたパリアッチョはすっと遠ざかった。
「そう、そう。馬車が動き出したら揺れますので、できれば座っていてくださいね」
盛大にため息をこぼしながら、パリアッチョは御者台へと向かった。
ややすると馬のいななきが響いて、馬車はのそりと動き出した。
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