6 狂宴の果てに(2)

 汽車はゆるゆると速度を落としていき、やがて大きく揺れて停車した。窓には、駅舎に張り巡らされた電灯が映り込む。

 メテオラはわたしの膝の上からジャケットを引き寄せると、ばさりと払って袖を通した。


「だからどうしたって話でごめんね」


 先に立って、わたしへと恭しく手を差し伸べる。


「ミニエーラ到着だよ」


 メテオラはやわらかな笑みをわたしへ向けた。それがあまりに儚げで、いまの思い出話はつまるところどういうことなのかを確かめそびれてしまう。

 わたしはメテオラの大きな手に自分の手を添えた。


 駅舎を出ると町は真昼と見まがうほど明るく賑わっていた。駅前の広場にはたくさんの馬車が並び、客を待っている。あちこちにいる仮装行列は銘々珍妙な音楽をかき鳴らし、店の名前やサービスを連呼しながら客寄せをしていた。

 圧倒されていると次々囲まれてビラを手に握らされてしまう。いまならこのビラで割引きがありますよ、今日からは新しい演目ですよ、特別ディナーを用意していますよと、みな決まり文句を口早に告げると嵐のように去っていき、次に降りてきた乗客へと群がった。


 手にはビラの束が残された。どうしたものか困っていると、ビラの端から黒い尻尾が覗く。

 わたしはビラを視界からずらして自分の足もとを見おろした。そこにはまだ若い黒猫が行儀よくちょんと座っていた。わたしを見つめて、にゃあと鳴く。

 首にはグリーンのリボンが巻かれている。飼い猫のようだ。


「迷子でしょうか」

 ファーのシロカネが言う。

「どうだろう。ただの散歩だといいが」

 しゃがんで耳のあいだを撫でてやると、嬉しそうに喉を鳴らす。


「そのなかにパルコシェニコのものはある?」


 聞き覚えのある女性の声が聞こえた。あたりを見回すけれど、それらしき人はいない。わたしは黒猫を見つめ返す。


「もしかして、コルダ殿か」

「ビラ、探してみて」


 わたしは抱えていたビラの束をひとつずつ確認した。怪訝そうにしていたメテオラも隣にしゃがみこんでビラを覗いている。


「あった。パルコシェニコ」


 カードほどの大きさの紙にパルコシェニコという文字と簡略な地図が書かれているだけの地味なビラだった。任務のことがなければ目にもとまらないだろう。


「そこに行けば案内役がいるはず。あとはお願いね」

「コルダ殿は一緒ではないのか」

「そこの男から聞いてない? わたしはあとから合流するわ。よろしくね、蜜りんご」


 黒猫はわたしの手にしなやかな体を押し付けると、くるりと身を翻して広場の向こうへと走り去ってしまった。

 隣に並んで黒猫を見送っていたメテオラが口をひらく。


「パルコシェニコは砦のなかに作られた演劇場で、事前情報によると客がすべてエレジオというわけではないし、晩餐会はあくまで秘密の存在みたいだね。客のなかにはごくまれに人間もいるみたいだけど、残念ながら砦へ入ったあとの足跡は辿れなかったって」

「それは……」


 つまりエレジオの食事になった、ということか。

 わたしは自分の思考がおそろしく、声にすることはできなかった。

 メテオラは劇場のカードを胸ポケットへ押し込んだ。


「おれたちは晩餐会のことなど少しも知らない、ただ舞台を見にきた夫婦という設定でいく。エレジオに遭遇したら隊長に合図を送るから、応戦したり拘束しようとしたりはしないで。そういったことはあの人がいいようにしてくれるから。おれたちの任務はパルコシェニコに潜入して、現場を視認することだからね」

「理解した。しかしそういう話は汽車のなかですべきなのではないのか」

「誰かさんがはしゃいでなきゃ、そうするつもりだったよ」


 わたしは返す言葉もなかった。

 メテオラはわたしの手を引いて人通りの多い広場を突っ切り、町の奥へと向かった。

 思えばメテオラの手はいつもすこし冷えている。甘い香りがかき消された今夜はそれがいっそう際立つようだった。


 妖精さん、か。

 実際のところはご両親の客人だったのだろうが、人懐こく物怖じしないメテオラの性格がその呼び方から垣間見えて微笑ましい。


 百年前のわたしにも、親友や恋人など運命の人と思える相手はいなかった。学生のころはテオリアとセット扱いされて忙殺されていたし、戦争が始まってからは部下に対する公平性を保つために特定の誰かと親密になることは避けていた。

 だからわかる。永遠の味方という言葉のうつくしさに、おさないメテオラが惹かれたその気持ちが。


 あの甘ったるい香りに対する返答が妖精さんの話なら、メテオラはわたしのことを運命の人と思っているということだろうか。契約を結んだ間柄なのだから、そういう考え方もあるかもしれないな……。

 繋いだ手を見おろす。

 出会ってからまだ半月も経たないのに、何度この手に助けられてきただろう。わたしが願いを果たしたそののちに、これまでに受けた恩を返すことはできるだろうか。いや、返さねばならない。返したい。


 指は互い違いに絡まりあって熱を持ち、すこし冷たかったメテオラの手ももう熱いくらいだった。わたしはゆるく握られているだけだった手に、ほんのわずかばかり力を込めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る