5 死にたがりにピリオドの雨(8)

 メテオラはわたしの剣幕に気圧されたのか、流星の瞳を瞬かせた。


「あの日ソルとなにを話したか? 彼女はただ貴様の心配をしていたよ。貴様の母上のことも気にかけていた。彼女はまだ、かつてのおまえの行いを忘れられずにいるんだ。そのとき抱いたおそれをいまも抱え続けているんだ。知らないわけではないだろう? それなのによく平気な顔してそんなことが言えたものだな!」


「おれのことが怖いのに? 心配してる? 矛盾でしょ」

「恐怖は本能的なものだ。彼女自身おそらく罪悪感にも似た戸惑いを感じているだろう。それでも自分の道を見守ってくれたおまえへの恩を忘れず、無事に過ごしてほしいと願っているんだ」

「へえ、ああそう」


 いつもの軽口を装いながら、メテオラの目は氷のように冷えきっている。


「おれ、あいつのそういういい子ぶるとこ大嫌いだわ」

「メテオラ、貴様なんて言い方を……」

「どうせ練習台がわりの子分くらいにしか思ってないのに、よくまあしゃあしゃあとそんなきれいごと――」


 わたしはメテオラの頬を平手で打った。


「わたしはおまえのことを、隠し事をしても嘘はつかない男だと思っているんだが」


 メテオラはわたしに打たれたまま、顔をあげようとしない。

 牙が見えるくらい口を歪めて、メテオラはわらう。


「おれのなにを知ってるんだよ」


 それは、と言いかけて、そのままわたしは黙り込んでしまう。

 知っていると間髪を入れずに言い返すところなのに。


「すまない……、わたしはおまえのことをなにも知らない。ただ、そうあってほしいと勝手に思っているだけだ……」


 ぽつりと、俯いたわたしの首筋に雨が落ちる。


「それでもわたしは、おまえのことをなにも知らないけれど、おまえには生きていてほしいと思う。それはそんなにもおかしなことか」


 一度空からあふれてしまった雨は、生き急ぐように次々わたしたちを濡らしていく。


「あの岩壁でわたしを助けようとしたときも、シロカネのためにエレジオの相手をしたときも、おまえの献身はあまりにも行き過ぎていた。それはもう奉仕とかそういうことじゃないだろう? いつだって死んでもいいと思うから、身を投げ出せるんだ。どうして自分のいのちをそうも軽々しく扱う……!」


 わたしはメテオラのシャツの胸もとを両手で掴んだ。


「おまえには、母上も、ソルも、仕事仲間だっているんだ! わたしがどんなに会いたいと願っても叶わない人たちが……!」

「ルーチェ……」

「わたしが貴様を避けていたというなら……、それは嫉妬だ。話したところでおまえを困らせるばかりの、詮無い嫉妬だよ……」


 わたしはメテオラのシャツを掴んだまま、顔を見られたくなくてメテオラの胸もとに寄りかかった。

 メテオラの体がすこし傾いで、屋上の柵にもたれかかる。


 もたれ……?

 柵に、もたれかかった……?

 わたしは慌てて顔をあげ、メテオラの背中を確認した。


「わたしの勝ちだ!」

「早計だよルーチェ。よく見て」


 言われて身を乗り出して見てみると、背中と柵のあいだに、柵を掴むメテオラの手があった。


「こんなの! 背中がついたと同義だろう!」

「ついてない、ついてないから」


 いやしかし、と食い下がろうとすると、メテオラがするりと身をかがめた。なにごとかと思っているうちに、まるで荷物でも運ぶみたいにわたしはメテオラの肩に担がれてしまう。


「やめ……っ、おろせ!」


 わたしはメテオラの背中を叩きながら、くの字になった体をばたつかせる。


「どうしようかな」


 メテオラは持っていた棒切れを放り投げ、わたしを担いだまま歩き出した。


「どこに運ぶ気だっ」

「おれはどこだっていいんだけどね。柵でも、壁でも、床でも」


 こいつ、わたしの背中をそのいずれかに押し付ける気だ。


「こんなのは反則だ。相手を押し切ってこそ意味があるはずだ!」

「えぇー、そんなルールあったっけ?」


 いや、無い。


「無い、無いが……、ああもうずるいぞメテオラ!」

「ちょっと背中がつくだけだよ、ちょっとね」


 メテオラは立ち止まり、わたしの膝の裏と肩を抱いて、そっと地面におろそうとする。

 ふざけるな。こいつの思い通りになってたまるか。

 わたしはメテオラのシャツを掴み、自分の腹筋と背筋をフル稼働させた。


「がんばるねえ。ルーチェ的にはおれの背中は柵についてたんでしょ? それならもうルーチェの背中がどこについたって平気だよね?」

「それと……これとは……別、だ」

「つまりまだ勝敗がついてないって理解でいいの?」


 わたしの尻が下へおろされる。肩を支えていたメテオラの腕が離れる。腕をおろして体を支えたいが、メテオラの体が邪魔をしてわたしは万歳をするかたちにしかなれない。尻を軸にしてわたしの筋肉はさらに試されることになった。

 メテオラは地面に両手をついて、わたしに覆いかぶさってくる。


「ねえ、このままだとおれルーチェにキスするけどいい?」

「はあぁ?」

「キスか負けか、選んでよ」


 わたしの額にメテオラの前髪が触れる。ふわりと香りが濃くなる。この男はなにを言ってるんだ。

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