5 死にたがりにピリオドの雨(7)

 わたしはメテオラの脚をよける流れで体を一回転させ、その勢いでメテオラのこめかみに向かって横から剣を打ち込んだ。これなら、よけようとするときに必ず体の側面に隙がうまれるはず。そこを狙って踏み込めれば……


 そう考えていたのに、棒切れはメテオラの側頭部を直撃していた。メテオラの耳や頬の紋様にぱっと血が散る。

 わたしはとっさに互いの間合いの外へと距離をとる。


「ばか! よけられるだろ!」

「でもよけたら踏み込んでくるでしょ」

「当たり前だ」

「じゃあよけない」


 メテオラは首を回して様子を確かめる。髪を伝って血がぱたぱたと落ち、メテオラの肩や屋上の地面が赤く染まった。


「ルーチェは自分がとことん不利なことわかってないよね。おれはこのくらいなんともないんだから。ルーチェが思うようには動かないよ」

「しかし」

「おれ、そんなルール言ったっけ? 背中がついたら負けなんだよ。ルーチェもそれでいいって言ってくれたよね。手加減もしないって」


 言った。言ったとも。だがわたしたちのあいだには、相当の認識の差があったようだ。

 わたしは棒切れの先を見遣った。メテオラの血で濡れている。こんな胸くその悪いことがあるか!


「ふざけるな」

「ふざけてないし。悪魔同士だと手合わせとか試合なんてみんなこんなもんだよ」


 隊長のこと見てたでしょ、と言われ、わたしは一瞬返す言葉を失う。あのときのメテオラはたしかにこんなものではなかったが……。


「わたしには無理だ」


 わたしの腕にはいまも、メテオラの頭を叩きつけた感触が残っている。傷はゆるやかに再生するのだろう。だが痛みがないわけではないし、傷が消えたからといって、わたしがメテオラを傷つけた事実まで消えるわけではない。


「よけてくれないなら、今日はわたしの負けでいい」

「平気って言ってるじゃん」

「わたしが平気じゃない。なにが嬉しくておまえの血を見なければならんのだ」

「出会って三分でおれの脇腹かっさばいたのに?」

「あれは……」


 あのときのわたしはまだ百年前のわたしだった。メテオラはわたしにとって数多いる悪魔のひとりでしかなく、悪魔はすべて敵で、倒すべき存在で、まさかこんなふうに助け合うようになるなんて思いもしなかった。

 勝負に負けたくはないけれど、それよりももっと大切なものを、わたしは失いたくはない。


「もういい。わたしの負けだ」


 わたしが階段のほうへ足を向けようとすると、慌ててメテオラが駆け寄ってくる。


「わかった、わかったよ。次からはちゃんとよけるから」

「……ほんとうだな」

「ほんとに。だからそんなに悲しい顔しないで」


 メテオラの大きな手が、わたしの頬へ伸びてくる。わたしはそれを顔を背けて拒んだ。


「それなら仕切り直しだ。いくぞ」


 両手で棒切れを持ち、正面に構える。剣先のすこし向こうに、メテオラの憮然とした顔がある。

 わたしは大きく一歩踏み込んで、メテオラへ向かって剣を突き出した。メテオラは上半身を反らしてそれをぎりぎりかわす。


 よかった。よけてくれた。

 二撃、三撃と続ける。メテオラはどれもほんとうに紙一重でかわしていく。というか、よけるばかりで攻撃をしてこなくなった。よく見ると、メテオラは両手をスエットパンツのポケットに突っ込んだままよけている。


「メテオラ!」

「ねえルーチェ、こないだソルとなに話した?」

「はあ? いま関係あるか?」

「ある。大いにある」


 そう強く言い切ると、メテオラはわたしが薙いだ棒切れを掴み、乱暴にわたしごと引っ張り寄せた。


「ルーチェ最近距離あるよね」

「間合いの長さをいかして戦うのは基本だ」

「じゃなくて、おれが触れようとすると逃げる」

「それいまする話じゃないだろ」


 そもそも初めからおまえが距離を詰めすぎなだけで、いまが適正だとは思わないのか。……思わないんだろうな。

 メテオラの手を振り払おうとするけれど、わたしの力ではびくともしない。


「離せメテオラ。なにを怒ってる」

「ルーチェがおれにハグされてくれない」

「だだっ子か。むしろこれが適正な距離感だとは思わないのか」

「あの日、ソルがうちに来たあとからだよね。ソルからなに言われた? むかしの話聞かされた? 爪のこと気にしてる? まさかおれとソルが付き合えばいいとか思ってる? あいついま五人くらい彼氏っていう呼び名の下僕いるけどその話もちゃんと聞いた?」


 問いかけをたたみかけられ、わたしはなにから答えればいいのかわからなくなる。……えっ? 五人? 下僕?


「いまも明らか、おれの手を拒絶したよね」

「なんなんだおまえは。鍛錬に付き合う気があるのか、ないのか」

「ルーチェ次第だよ」


 メテオラはわたしの手から棒切れを奪い取り、屋上の柵の外へと掲げる。


「答えてよ、ルーチェ。じゃないと投げ捨てる」

「やめろ。返せ」


 剣があっても簡単ではないのに、素手でこの男に敵うはずがない。


「やだ。こたえるだけなら、別にこれはいらないでしょ」


 どうしてわたしがこんな風に追い詰められなければならない。ただ、ほんの少し拒んだだけで。


「貴様は……どうしてそういうことを」

「ねえ」

「おまえがソルと付き合えばいいだと? そんなこと思うか、ばか! その五人の恋人がどういう人物かは知らないが、貴様よりずっとソルを大切に思う人たちだろう。おまえには絶対に無理なことだ!」

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