4 ランチと魔女と蜜りんご(2)

 グラスの中身について、うまい、甘いと話しているうちに、テーブルの上には次々と料理が並べられていった。

 運ばれてくる料理はわたしにも馴染みがあるものと、初めて見るものと、おおかた半分ずつ。大皿に盛られたものを、それぞれ欲しいだけ取り分ける。


 馴染みのある料理のなかでいちばん嬉しかったのは、鶏肉のソテーにハニーマスタードを別皿で添えたものだ。焼いた石の上にのせてあり、運ばれてからもじゅうじゅうと音を立てていた。しかし適温なのか焦げることもない。


 鶏肉の脂はあっさりとしていて、おそらく網焼きなのだろう、余分な脂が落ちて食べやすい。よく焼けた皮は噛むとパイのようにパリッと音がした。ソースは三種類あって、今日はハニーマスタードにしたそうだが、メテオラはトマト、シロカネはビネガーベースが好きだという。どう考えてもハニーマスタードがいちばんに思うが、ふたりがそう言うなら今度は違うソースにしてみよう。


 他にも、トマトとチーズのマリネ、茄子と挽肉のグラタン、きのこのポタージュなど、絶対に外さないものばかりだ。


 見慣れない料理はすべて悪魔が地下で暮らしていたころに家庭料理として食べられていたものらしい。調理法に大差はないのだが、食材はどれも初めて見るものばかりだ。芋のかたちに似た肉は地下に生息している大型の牛のものだという。味は牛というには淡白で、白身魚のようだった。食感は米や麺のようにもっちりとしている。魚の卵でとじた滋味深いあんをかけて食べるのが一般的なのだとか。


 それどころではなかったとはいえ、あの洞穴で目覚めてから初めての食事だ。どこか不思議な気持ちはあるが、すてきな料理をおいしくいただけることに深い感謝を覚える。

 すっかり料理を平らげたところで、シロカネはあらたまって頭をさげた。


「ルーチェさん、メテオラさん、昨日はありがとうございました。きちんと挨拶するのが遅れてしまってごめんなさい」

「いろいろあったが、結果的にみんな無事なんだからそんなに小さくならないでくれ」


 そう告げると、シロカネは目をうるませて大きくうなずいた。


「それより、なぜあの森にいたのか、差し障りがなければ教えてくれないか」

「もちろん、お話しします」


 シロカネはすこし失礼しますと席を立つとうがいをして戻ってきて、喉の奥から昨日の刀を引っ張り出した。


「これはぼくの師匠が使っていたものです。名前はイナノメ。長く一緒に旅をしてきたんですが、一週間前の朝、この刀を残して忽然と姿を消してしまいました」


 大きなクリアグレーの瞳は、その朝のことを思い返しているのかひどく張り詰めていた。


「では師匠を探して森に?」


 はい、とシロカネは神妙にうなずく。


「もう、なにがなんだかわからなくて、とにかく手当たり次第に二人で訪れたことのある場所へ行ってみようと思って。魔帝都からほど近い小さな村にいたので、まずは魔帝都、そしてここヴェントも歩き回りました。それでも見つけられなかったので、森へ……。あの森は、とてもひとりでは切り抜けられない場所だとはわかっていました。だけど、……そんなことはないと思いながらも、もしかしたら亡骸だけでも見つけられるかもしれないと……」


 あれだけの刀を扱うのだから、相応の力を持つのだろう。刀がなくとも、エレジオなど相手ではないかもしれない。おそらく森を怖れるような人物ではないだろう。

 それなのに、シロカネはなぜ師匠の死を想像し、あの森へ踏み入ったのだ。


「なにか、いつもと違う様子だったのか」


 わたしの問いかけに、シロカネは下唇を噛みながら呻くように言った。


「宿の部屋にはとても、とてもたくさんの……血が」


 シロカネはたまらずぽろぽろと涙をこぼした。


「ぼくは狐のまま師匠とおなじベッドで寝ていたんですが、起きると戸棚の中でした。格子状になった戸の隙間から血が見えて……。刀はベッドの脇に隠されていたから、それを抱えてすぐ宿の外に出ました。でもまだ夜明けまでは時間があって、村はしんと静まりかえっていて、どこにも争っているような気配はなくて……」


 しろかねは刀を胸に抱くように持って、しゃくりあげながら泣いていた。

 血痕はどこかへ続いていなかったか、前日や前々日に不審なことはなかったかと、気になることはあったけれど、訊ねる気持ちにはなれなかった。


 しばらくじっと空を眺めていたメテオラが、テーブル脇にあったチリ紙をシロカネに差し出す。


「その状況だと自分の意志で姿を消したのか、それとも拉致されたのか、判断が難しいね」

「おい、すこし待ってやれ」


 メテオラの遠慮ない問いかけに、わたしはひやひやとする。この話題をいまこの場で掘り下げるのは、シロカネを無駄に傷つけてしまうような気がした。

 シロカネはチリ紙でちんと鼻をかむと、真っ赤になってしまった頬や鼻を手の甲でごしごしとこすった。


「師匠が刀を置いて出ていくとは思えない」


 唇を尖らせてシロカネが言う。涙の名残はあるけども、彼の眼差しや声には毅然とした気配があった。


 そうか、シロカネは慰めてほしいのではない、師匠を探し出したいのだ。危険を顧みずひとりで森にまで踏み入るくらい。

 師匠が居なくなったその時のことを思い返すとどうしても涙を抑えられないのだろう。だがそのこととシロカネの願いの強さとは別だ。

 シロカネがまだ幼いからと、無意識のうちに彼の決意を甘く見ていたことが恥ずかしい。


 大切な人に会いたい気持ちに、おとなも子どももない。

 かくいうわたしだって、おなじじゃないか。


「つまり、連れ去られた可能性が高いということだな。血痕は部屋の中だけだったのか? 前日にいつもと様子が違ったとかいうことは?」

「部屋の床に血溜まりがあっただけで、ほかの場所にはひとつも見当たりませんでした。師匠の様子も特にいつもと違うところはなくて、ほんとうに、神隠しにでもあったような……」

「神隠し?」

「ぼくらの故郷では、忽然と人がいなくなるさまをそう呼びます。まるではじめからいなかったかのように、スッといなくなるという感じですね」

「ほんとに神さまが隠したなら、血溜まりなんて残さないでしょ」


 メテオラがグラスに残った氷をがりりと噛みながらそっけなく呟く。


「ははは、たしかにそうですね」


 シロカネは顔をくしゃくしゃにして笑った。

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