4 ランチと魔女と蜜りんご(3)

 上空から烏の間延びするような鳴き声が聞こえる。見上げると一羽の烏がわたしたちの上をゆったりと飛んでいた。おなじものを見ていたメテオラが舌打ちを洩らす。


「名前的に、師匠も東の出身?」

「はい、ずっと幼いころにこちらへ連れて来られたと」

「彼が鬼の一族だったから、おまえも小鬼に化けて探してたとか」

「いえ……、師匠は自分のことをあまり話しませんでしたが、外見からして明らかに鬼ではありませんでした。ぼくが鬼の姿に化けるのは、いっとう上手だと師匠が褒めてくれたからです。どうしてか他は狐みが残ってしまうんですよね」


 シロカネはその場で突然宙返りをしてみせる。途中ぽんっと音がして、昨日のように白い煙に包まれたかと思うと、なかから人間の少年があらわれた。


「どこにも狐みなんて……」


 わたしの呟きにこたえるように、シロカネの背後に見え隠れするものがある。三つ又のふさふさしっぽだ。

 メテオラとわたしは、なるほどと声を揃えた。


「師匠は、かつて人間だったと酒まかせに話してくれたことがあります。見た目はたしかに二十代の人間の男子ですし、嘘をつかない人ですから、そうなんだと思います」


 かつて人間だったという言い方は、少なくとも二通りの意味に受け取れる。

 ひとつは、何らかの非人道的な行いにより人間性を損ねたという意味、もうひとつは……。


「シロカネ、きみはいつから師匠とともに旅をしていたんだ。さっきは長く、と言っていたが」

「ぼくが師匠と出会ったのは戦争が終わってから五、六年は経ったころだと思います」

「なんだって?」


 つまり九十年以上、ふたりはともに旅をしていることになる。

 それなのに、二十代の青年だと……?

 かつて人間だった。

 その言葉のもうひとつの意味は、人間らしい生命の仕組みから外れてしまった、ということ。

 イナノメはそちら側のようだ。


「師匠は出会ったころから姿が変わらないんです。ぼくもむかし不思議に思ったことはあるんですが、知る必要は感じませんでした。それよりいつまでも一緒に旅ができるのを嬉しく思うばかりで」

「まさかそんなことが? ほんとうなら、わたしと同世代の人間が眠り続けていたわけでもなく、変わらない姿で生きていることになる」

「あるかもね」


 さらりとメテオラが言う。


「どういう仕組みかはわからないけど、イナノメは人間なんだと思うよ。だってそうじゃないとその刀をまともに扱えない」


 メテオラはシロカネが抱える刀を指さした。

 退魔の術が施されている刀。


「持ち主なら手入れをする必要があるよね。刀身に触れずにいることは不可能だよ」


 焼け石に撒いた水のように一瞬で蒸発したメテオラの血の装甲を思い出す。

 聞けば退魔の術はいまでは禁止されているという。それが和平交渉での条件のひとつだったようだ。


 わたしには刀のことはわからないが、術式に関してはかつて軍で使っていた剣よりずっと強力だったように思う。これほどのものはそうそう見たことがない。稀代の術者でもあった黒騎士さまが使っていた武具くらいだろうか。


 そんな名刀がそばにありながら抜くこともせず多量の出血。そしてベッドで眠っていたはずのシロカネが目覚めたのは戸棚のなか……。

 イナノメは大切な仲間を守るために、抵抗せず大人しく連れ去られた……?

 シロカネは強く強く刀を抱きしめている。その小さな手はあたたかな陽光のもとで震えていた。

 わたしは斜め前に座るメテオラに向き直る。


「メテオラ、おまえの組織でどうにか手がかりをさがせないだろうか」

「ルーチェがそう言うだろうことは予想してたよ」

「だったら」


 しかしメテオラは顔を曇らせる。


「うちは本来、エレジオを狩るための組織だから。情報収集班もいるけど、それはあくまでエレジオを探すための部署であってね」

「そのついででいいんだ。どうにかならないか」

「なる。なるんだけどね」


 メテオラは空を見上げる。その視線の先にはやはり烏がいた。そういえば昨日の夜も烏に追われていたことを思い出す。


 烏は先ほどまで悠々と飛んでいたはずなのに、いまは落下しているのではないかと疑うほどみるみる近づいていた。ぶつかると思った瞬間うまく羽を使って急停止し、テーブルの上にすとんと立つ。かあと鳴いて、メテオラのほうへと歩み寄っていく。


 メテオラは神妙な面持ちで烏を見つめている。


「問題は、おれの無断欠勤がどう扱われるか……ていうところなんだよ」

「そうだったな」

「メテオラさんがスティヴァーリ隊をクビになるってこと?」

「クビかあ。就活も大変だし、クビにはならないといいけどなあ」


 烏は足を揃えて跳ね、メテオラの肩に飛び乗った。太い嘴でメテオラの頭をつつく。


「あと三十分で来なければクビだから」


 突然、女性の声が聞こえた。

 周囲を見回すが、テラスにはわたしたち以外誰もいない。

 メテオラは耳を噛まれながら烏を指さす。


「これ。うちの上司の御使い」

「その烏が喋ってるのか」

「そうだね。隊長に喉を使われている、て感じかな」

「ひどい言いざまね」

「隊長、三十分は短いです」

「贅沢を言える立場だと思って? どこまでおめでたいの」


 くすくすと笑いながら烏はメテオラの肩から飛び立つ。


「もう時計は進んでるんだから、気をつけなさい」


 そう言い残してふたたび空へと帰ってゆき、すぐに姿は見えなくなった。

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