4 ランチと魔女と蜜りんご
4 ランチと魔女と蜜りんご(1)
宿の女将さんは母とおなじ年頃の女性で、わたしのことをまるで娘のように抱きしめてくれた。
またいつでも会いに来てねと手を振ってくれる女将さんに、わたしは深々と頭をさげる。いろいろと片付いたら、必ずご挨拶に伺おう。
「ルーチェは食べ物の好き嫌いとかある?」
「いや、なんでもありがたくいただく」
「よかった」
メテオラは相変わらずへらへらと笑いながら、ちょっと詳しいから案内するよと歩き出した。
平然としている。
ハグのことだけではない。結局のところ答えを聞いていないのだ。
こうなったら絶対に、食べる以外の目的というやつを明かしてやらねばなるまい。わたしはかたく心に誓う。
連れられた店は、隣の席の会話もろくに聞こえないほど賑わっていた。
所狭しと並べられたテーブルはほぼ満席で、客と客のあいだの細い通路を接客係が体を斜めにして行き交っている。
メテオラは店員と顔見知りのようで、かるく挨拶を交わすと従業員以外立入お断りと書かれた階段を上がっていった。わたしとシロカネは急いでメテオラに続く。
二階はテラス席になっていて、日差しと風が心地よかった。広々としているが籐椅子とテーブルのセットがひとつあるだけで、ほかにはなにもない。
「ぼくには下の階のほうがむしろ気楽に思うんですが……」
そう言われるとたしかに、こちらのほうが逆に落ち着かない気もしてくる。
わたしはシロカネと並んで座り、階段のそばで店員と話しているメテオラを見やる。
「あいつは一体何者なんだ」
ここへ来るまでにも道ゆく人たちから無断欠勤の話題をふっかけられていた。その様子はどれも親しげで、たとえば駐在や火消しのように街の人々から信頼されているように見えた。
「あの徽章を持ってるってことはたしかにスティヴァーリ隊なんだと思いますよ」
わたしが百年のあいだ眠っていたことは宿を出る前にシロカネに話していた。そのためかシロカネはわたしが訊ねるさまざまなことに答えてくれる。
昨夜、わたしが夜空で意識を失ったあとのことも、道すがらシロカネから聞いていた。
烏を振り切りヴェントへ降り立ったメテオラは、まっすぐ宿へ向かい、女将さんに部屋の用意とわたしの介抱を頼んだという。
「まあ、手際はよかったんじゃないですか。ぼくはあの人が隊員だなんて絶対に認めませんけども」
シロカネは街へ着いた途端わたしの上着のなかから引きずり出され、むりやり叩き起こされたことをいまだに怒っているようだった。
「だってスティヴァーリ隊っていうのは、とにかく強くて、エレジオなんてちょちょいと施設送りにしちゃう、かっこいい悪魔の集まりなんですよ! それなのにあの人ときたらへらへらして逃げてばっかりだし、ほんとに強いんですか? 昨日だってふたりして血まみれになってるし、ぼくのことはぶん投げるし」
メテオラはエレジオ五人を叩き伏せたことをシロカネには話していないらしい。シロカネのメテオラ評はややもどかしいが、メテオラ本人が言わないことをわたしが話すのも違う気がした。
「わたしにはわからないが、なにか事情があるんだろう」
そういえばジャックと呼ばれていた少年も並外れた敏捷性を持ち、細身の体格からは想像もつかない力でわたしの首を押さえつけた。
かつて帝国軍が戦った悪魔軍に彼らのような兵士はいなかった。もしいたなら、わたしたちは魔王のもとまで辿り着けなかっただろう。
スティヴァーリ隊がシロカネのいうように精鋭部隊であることはたしかなようだ。
「無断欠勤はたしかにまずいが、……まあ、それについて判断するのはわたしではなく、あいつの上司なわけだし。わたしたちにできることは、成り行きを見守ることだけだよ」
「ルーチェさんは優しすぎます」
シロカネは唇を噛みしめながらそう言って、わたしの手をとった。
「おおげさだよ、シロカネ」
「いいえ。メテオラさんのことだけじゃありません。昨日だって、ぼくのことを助けようって言ってくれたんですよね。ルーチェさんは隊員じゃないのに。メテオラさんから聞きました。ほんとうにありがとうございます……」
俯いたシロカネの髪や肩が震えている。
「ぼく、ぼくは、あのときほんとうに嬉しくて……心から奇跡だと思ったんですよ」
あのときもそう話していた。極度の恐怖から出た言葉かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「ありがとう、シロカネ。でもあまりわたしを買い被らないでくれ。あれはわたしがなにも知らなかったからできたことだと思うよ。森のこと、エレジオのこと、それからハイブリッドのことをきちんと知っていたら、はたしておなじようにできたかどうか……」
「ルーチェさんなら、知っていてもそうしたはずです……!」
シロカネは涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげ、わたしの腕に縋りついた。
聞けばシロカネは帝国と悪魔の戦争が終わったころに生まれたというから、わたしよりずっと長く生きていることになる。狐の社会では百年でやっと十歳程度だという話だが、それにしても彼は心もまだ幼く、ゆえにまっすぐだ。彼の目にはわたしがどう映っているのだろうか。信頼は嬉しいが、これはもはや盲信の域ではなかろうか。いささか心配になる。
それにわたしは、大事な話をまだ彼から聞いていない。
「しかしシロカネ、きみはどうしてあんな危険な森にいたんだ。知らなかったわけでもなかろう。あの森がエレジオのたまり場だということくらいは」
「そ、それは……」
「まあまあ、そういうややこしい話は腹が減ってるときにするものじゃないよ」
ていうのはうちの親の受け売り、と言ってメテオラが戻ってくる。
「ふたりのイメージに合わせて選んできた」
手にはグラスを三つ持っていた。ひとつは赤い果肉の混じったピンク色、ひとつは小さな気泡が底から絶えず浮いてくる無色透明、そしてわたしの前には鮮やかな蜜色の飲み物が置かれた。シロカネのはいちごミルク、メテオラのが炭酸水、わたしのは蜜りんごのジュースだという。
「はい、じゃあ、かんぱーい」
「かん……、って、いったい何にだ」
反射的に掲げようとした手をとめて、わたしは眉を寄せる。
メテオラは口もとに手を添えてやや考え込んだあと、頬の紋様を歪めるようにして微笑んだ。
「みんなが出会えたこととか言ってほしい?」
「ぼくはルーチェさんだけでよかったです」
「なんでおれはそんなに嫌われてるの」
「だってほかにも穏便な起こし方があると思うんですよねっ」
強く言い切ったシロカネだったが、いちごミルクをくんくんと嗅ぎながらもごもごと、いやまあでもねと続けた。
「一度もしっぽを掴まなかったことには敬意を感じましたよ……?」
わたしはシロカネの頭をぐりぐりと撫でた。
「それならメテオラの言うとおり、時間も種族もこえて出会えたことに乾杯しよう」
あらためて乾杯と声をそろえて、グラスを合わせた。蜜りんごのジュースは爽やかで、ほのかに甘い。イメージにあわせて選んだというメテオラの言葉が頭のなかをぐるりとした。
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