《 第15話 同じ過ちは繰り返さない 》

 金曜日の放課後。


 俺と柚花は近所のファミレスを訪れていた。


 フライドポテトをつまみながら、だらだらと夕食までの時間を過ごすつもりだったのだが……



「……ばか」



 柚花が、ため息まじりに言った。


 あきれた顔で俺を見ている。



「バカとか言うなよ」


「言いたくもなるわよ。だってなにこれ?」


「小テストのプリントだ」


「そういう意図で訊いたわけじゃないことくらいわかるわよね? それともそれすらわからないレベルなの? もう一度訊くわ。これはなに?」


「……俺の実力です」


「航平の実力を数値化したら?」


「……2点です」


「正解。ちなみにこれがあたしの実力です」



 得意気にカバンからプリントを取り出す。


 10点だった。



「……ばか」


「あたしのどこがバカなのよっ。まさか満点が100点とでも思ってるわけ?」


「満点の答案を見せられて悔しかったから言っただけだ」


「子どもね……」


「子どもで結構。実際15は子どもだし。だいたいバカとか言うけどさ、結果的には柚花も俺と同じ大学に行くわけだろ。同レベルじゃねえか」


「うるさいわねっ。第一志望に落ちたんだから仕方ないじゃない! とにかく成績はあたしのほうが圧倒的に上なの。さあ、崇めなさい」


「はいはい。賢いでちゅね」


「……ぜったいバカにしてるでしょ」


「してない」


「してるわよ。だって赤ちゃん言葉使ったじゃない。バカみたいだからやめたほうがいいわよ」


「お前だって赤ちゃん言葉使ったことあるだろ」


「は? ないわよ」


「あるだろ。残業終わりでへとへとになって帰ってきた俺に『お仕事頑張ってえらいでちゅね~』って言っただろ」


「そ、それは噛んだのよ!」


「そのあと俺の頭を撫でながら『よちよち、今日は柚花ママに甘えていいでちゅよ』とか言ってただろ」


「それも噛んだのよ! だいたい、それを言うならあんただって『一緒にねんねしまちょうね~』とか言ってたじゃない!」


「そ、それはお前が雷怖がってたから安心させようとしただけだろ!」


「どこの世界に赤ちゃん言葉で安心するひとがいるのよ!」


「してただろ! 安心! ていうかファミレスでこんな話すんなよ!」


「こっちの台詞よ! だいたい話を逸らそうとしてるけど、このままじゃマズいことくらいわかるわよね?」


「そりゃまあ……よりによって数学の小テストだからな」



 今回は小テストだったからお咎めなしで済んだものの、来月末の中間テストで同じミスをやらかせば、居残り学習が確定だ。


 さらに6月末の期末テストでやらかせば、夏休み返上となってしまう。


 あの厳しい先生と夏を共にするなんて……。上司にパワハラされ続けた俺でも耐えがたい。



「まったく……。おしゃべりを楽しむつもりでファミレスに来たのに、とんだ爆弾を隠し持ってたものね」


「柚花が話題を振るのが悪いんだろ」


「自慢しようと思ったのよ。これじゃ自慢する気も失せちゃうわ」


「しただろ自慢……わりとがっつり」


「さあ、どうだったかしら?」


「都合のいい記憶力だな。てか俺が居残りになろうと夏休みを返上しようと柚花には関係ないだろ」


「関係あるわよ。あんたが居残りになったら遊び相手がいなくなるじゃない」


「心配しなくても居残りにはならないって。前回もぎりぎり回避できたしな」


「だからって、今回も回避できると決まったわけじゃないわ。だいたい、こんな成績見せられたんじゃ、安心して遊びに誘えないじゃない」



 というわけで、と手を叩き、柚花が声を弾ませる。



「安心して遊ぶために、勉強に付き合ってあげるわっ。最初の目標は次の小テストで満点を取ることよ。いいわね?」


「勉強か……」


「嫌そうな顔しないの。優しく指導してあげるから」



 にっこりほほ笑む柚花。


 本当に優しく指導してくれるかは疑問だが、成績が落ちると小遣いが減るからな。俺だって夏休みは柚花と遊びまわろうと思ってたんだ。軍資金が削られるのは非常に困る。



「ちなみに、お礼はなにをすれば?」


「べつにいらないけど……今日は航平の奢りってことでどう?」


「安いな」


「これからケーキ頼むから安くはならないわよ」


「んじゃ俺のも頼んどいてくれ。トイレ行ってくるから」


「どのケーキ?」


「なんでもいいよ」


「なんでもいいは困るって昔から言ってるでしょ……。まあ、いいわ。あんたが好きそうなの選んどいてあげる」


「よろしくな」



 柚花に見送られて席を立つ。


 そしてトイレを済ませて席へ戻ろうとしたところ、知らない男が柚花と話しているのを目撃する。


 さっきまで俺がいた席に座り、楽しげになにやら話しかけている。


 俺と同じ制服の男子だ。ここからでもイケメンっぷりが伝わってきた。



「そこ俺の席なんだけど」


「あ、ごめん。じゃあ鯉川さん、また学校で。いい返事を期待してるよ」



 爽やかな笑みでそう言うと、隅っこの席へ去っていき、同じ制服姿の男連中と合流する。



「……さっきの奴、知り合い?」


「山田くんよ。サッカー部の」


「山田……あ~、来年クラスメイトになる、あの山田か」



 バレンタインデーにクラスメイトだけじゃなく下級生からもチョコをもらっていた記憶がある。俺のクラスメイトになるということは柚花とも同じクラスになるということだが……



「あいつと仲良かったっけ?」


「あたしに友達がいないことくらい知ってるでしょ。山田くんとはじめて話したのは最近よ。帰ろうとしてたらボールが飛んできて、山田くんが『怪我してない?』って話しかけてきたの」


「なるほどね。で、さっきはなにを話してたんだ?」


「部活決めてないならマネージャーにならないかって」


「マネージャーに……? 勧誘されたのか?」


「ええそうよ。あたしの目つきを見て怖がるどころか勧誘するって、なかなか見る目あるわよね。あたしのこと怖がらないの、航平だけだと思ってたわ」



 柚花は得意気にはにかんでいる。


 嬉しげに語られて、少しイラッとしてしまう。



「……だったら、放課後は遊べなくなるな」


「どうして?」


「サッカー部のマネージャーになるんだろ?」


「ならないわよ。……ていうか航平、イライラしてない?」


「してない」


「してるわよ。まさか嫉妬してるわけ? あたしが山田くんを褒めたから。ふふっ、意外と可愛いところあるじゃない」



 目を細め、ニヤニヤ笑う柚花。


 照れくささと苛立ちが混ざりあい、きつい口調で言い返してしまう。



「そんなことで嫉妬するわけないだろ。俺は柚花と違って束縛しないタイプなんだ。柚花が誰と仲良くしようが気にしないっての」


「……は? なにそれ。八つ当たりやめてくれない?」


「八つ当たりとかしてない」


「してるわよ。ほんと心が狭いわね」


「お前が俺の席に男を座らせるのが悪いんだろ。俺と一緒にいるのにほかの男と話すなよ」


「あのときあんたいなかったじゃない! ていうかほかの男と話すなって、それこそ束縛よ!」



 険しい顔つきでそう言うと、柚花はカバンを手に立ち上がった。


 俺を一瞥すらせずに店を出ていってしまう。


 やり取りが聞こえたのか、サッカー部が遠巻きにこっちを見ていることに気づき、無性に腹が立ってきた。


 もう帰ろう。


 席を立とうとしたところ、「お待たせしました」とケーキが2皿届いた。ショートケーキと、俺の好きなチーズケーキだった。


 ケーキを選ぶ柚花の姿を想像すると、胸の奥がちくりと痛んだ。



     ◆



「ただいま……」


「あっ! おかえり兄ちゃん!」



 家に帰るなり、佐奈がダイニングから飛び出してきた。


 嬉しい報告でもあるのかハイテンションだ。俺のテンションとの温度差がヤバい。



「今日は兄ちゃんにプレゼントがあるんだよ!」


「プレゼント?」


「そう、プレゼント! じゃじゃーん!」



 佐奈が後ろ手に隠していた紙切れを見せてきた。


 キリンとゾウが描かれた、動物園の入場券だ。



「これね、お母さんがくれたの! 職場のひとにもらったんだって!」


「あ~……」



 そういやあったな、このイベント。


 12年前のことだけど、うっすらと覚えている。


 ただ、動物園を楽しんだ記憶はない。はっきりとは思い出せないが……一緒に行く相手が見つからず、ひとりで行く気にもなれず、有効期限が過ぎたんだと思う。



「俺と一緒に行きたいのか?」


「用事がなかったらそれでもいいけど、私は部活があるからパス!」


「期限切れまで1ヶ月近くあるようだが、1日も休めないのか?」


「私はバスケ部の次期部長と名高いエース候補だからね! 毎日休まずにバスケして身長伸ばして『富士山』ってあだ名を手に入れるよ!」



 現時点では部長でもエースでも富士山でもないわけだが、このやる気が認められ、部長に任命されるのは知っている。


 あの日の佐奈の喜びっぷりは記憶に焼きついているので、無理やり動物園に連れていくわけにはいかないか。



「俺も動物園には興味ないからパスだ。友達にでも譲ってやれよ」


「チッチッチ。よく見てよ兄ちゃん! チケットは2枚だよ?」


「ただでさえ興味ないのに2回も行くわけないだろ」


「じゃなくて、恋人と行けばいいじゃんってこと!」


「恋人って……。柚花はただの友達だぞ」


「うひゃ~! 名前で呼び合う仲だ! 青春してるねぇ」


「兄を茶化すんじゃない。友達なんだから名前呼びが自然だろ」


「どっちにしろ仲良いなら誘えばいいじゃんっ! というわけで、はいこれ! 期限迫ってるから早めに誘うんだよ!」


「誘うったって、向こうにも用事があるかもだろ」


「誘ってみないとわかんないじゃん。これを機に仲が進展したら結婚式の新郎挨拶で『佐奈が恋のキューピッドになってくれた』って言ってね!」


「結婚とかしない!」


「お手本のような照れ隠しだ! 青春だねぇ」



 ニヤニヤ顔の佐奈に見送られ、自室へ向かう。


 飯の時間まで漫画を読むことにしたが、どうしてもチケットが気になってしまう。


 誘うかどうかはさておき、どういうところか調べてみるか。


 パソコンを起動させ、ネットで調べてみる。



「……へえ、アニパラとコラボしてんのか」



 この春放送1周年を迎えた子ども向けアニメ『アニマルパラダイス』と絶賛コラボ中だった。


 園内に撮影用のパネルが置かれ、スタンプラリーも開催中だ。全動物のスタンプをコンプリートすると缶バッジがもらえるらしい。


 朝放送のショートアニメで俺はたまにしか見なかったし、そんなにハマらなかったけど、柚花は癒し系アニメだと絶賛してた。


 ……どうするかな。


 柚花とは喧嘩したばかりだ。誘うのは気まずい。いつもの俺なら自然と関係が修復するのを待つところだが……



「でも、それじゃだめだよな」



 悪いのは俺だ。


 時間が解決してくれることを期待するのではなく、自分で関係を修復しないと。


 じゃないと一見仲直りしたように見えても心にしこりが残り、些細なことで不満が爆発してしまい、取り返しがつかないことになるかもしれない。


 前回はそれで離婚まで行ったんだ。結婚するわけじゃないが、もう同じ過ちは繰り返したくない。


 決意を固め、電話をかける。


 すると間もなく、こわばった声で返事が来た。



『……なにか用?』



 やっぱり怒ってるよな……。


 そんな気分じゃない、と断られるのを覚悟の上で、俺は誘った。



「あのさ……明日、時間ある?」


『どうして?』


「べつに明日でも明後日でもいいんだけどさ、動物園に行こうかなって。……その、母さんにチケットもらったから……」


『……あたしと行きたいの?』


「ほかに誘う相手もいないし、ひとりより柚花と行ったほうが楽しめるし……」


『ふーん。そうなんだ。そんなにあたしと動物園に行きたいのね?」


「ああ。柚花と行きたい。……ついてきてくれるか?」


『いいわ、ついてってあげる』



 ちょっと上から目線だけど、明るい声を聞いていると、純粋に嬉しかった。


 よかった。機嫌をなおしてくれたみたいだ。



「明日の正午に駅集合でいいか?」


『朝からがいいわ』


「それでもいいけど、昼から予定あるのか?」


『ううん。朝からのほうが長く楽しめるでしょ? 航平は午前中用事あるの?』


「ないよ。じゃあ9時に駅前集合ってことで。電車の時間調べてメールするよ。……あとさ、今日のことなんだけど」


『山田くんの話? 先に言っとくけど、あたし山田くんのこと嫌いだからね?』


「……俺に気を遣ってるのか?」



 そうとしか思えない。


 だって山田くん、イケメンだったし。


 コミュ力高そうで、人見知りな柚花をぐいぐい引っ張ってくれそうだし。



『そんなんじゃないわよ。山田くんってね、この夏に二股するの。で、将来は浮気が原因で離婚するのよ』


「……それマジ?」


『マジよ。去年の同窓会で聞いたもの』



 ちなみにその同窓会、俺には誘いが来なかった。


 柚花が「連絡忘れてるだけよ。一緒に行きましょ」と誘ってくれたが、俺はすねてしまって「いい。誘われてないし」と断ったのだった。



『とにかく山田くんとそういう関係になることはぜったいにありえないから安心していいわよ。……今日は喧嘩しちゃったけど、これで仲直りってことでいいかしら?』


「いや、まだだ。まだ俺が謝ってない。柚花はなにも悪くないのに八つ当たりして、本当に悪かったよ」


『いいわよもう。過ぎたことだし。ていうか、航平が謝るなんて珍しいわね。明日は雪が降るんじゃないかしら」



 冗談めいた口調に、自然と笑みがこぼれた。



「謝ってるんだから茶化すなよな。心配しなくても明日は晴れだ」


『だといいけど。とにかく楽しみにしてるわ。じゃあ明日ね、ばいばい』


「じゃあな」



 そうして無事に仲直りでき、俺は明るい気持ちで通話を切ったのだった。

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