《 第14話 お泊まり 》

 夕方。


 俺は柚花の家にやってきた。


 オートロック付きのマンションだ。家賃は俺のお年玉2年分。子どもひとりで住むには贅沢だが、女子のひとり暮らしにはこれくらい厳重なほうがいい。そんな親心が垣間見える物件だ。


 柚花の田舎は超がつく田舎だ。高校の選択肢がなく、中学卒業を機に越してきた。けっこう揉めたらしいが、最終的に生活を支援するあたり、いい父親なんだと思う。


 ……結婚相手の父親としては、あんなに嫌なひとはいないけど。



「……おじさんはいないよな?」


「いるわけないでしょ」


「サプライズ訪問の可能性は?」


「仮にサプライズを企ててもオートロックが弾き返すわ」


「近くで見張ってる可能性は?」


「ないわよ」


「盗聴器は――」


「ないってば! あんたうちの親をなんだと思ってるわけ?」


「娘のことが好きすぎるおじさん」


「その通りだけど……いくら好きだからって、盗聴器なんか仕掛けないわよ。心配しなくても夏休みまでは来ないわ。たしか前回がそうだったもの」


「そんなに長いこと会いに来なかったのか?」


「おはようメールは毎朝届くけどね。ていうかべつに見られても問題ないわ。いまの航平は恋人でも旦那でもない、ただの友達なんだから」


「友達は友達でも男友達だろ」


「だったら女装しちゃう?」


「女装ってお前……そんなんで誤魔化せるかよ」


「意外と可愛い顔してるしいけるわよ。なんだったら化粧手伝ってあげるわよ?」



 冗談めいた口調だった。


 おじさんの話をするとお互い嫌な思い出が蘇るので、冗談で話題を逸らそうとしているのかも。


 俺としても思い出したくない話なので、この話はここで切り上げることにした。


 エレベーターに乗り、5階で下りる。


 柚花の部屋は503号室だった。



「入ってちょうだい」


「お邪魔します……」



 大学時代の柚花の部屋には入り浸っていたが、女子高生時代の部屋ははじめてだ。ドアが閉ざされ、完全にふたりきりの空間になった途端、緊張感がこみ上げてくる。


 どきどきしつつリビングへ。


 ひとり掛けにしては大きめのソファには、こないだゲットしたニャンスターが鎮座していた。



「……染みがついてるな」


「コーヒーがこぼれちゃって」


「どういう飲み方したんだよ」


「ハグして飲んでたのよ。で、アニメ見てたの。そしたら急に怖いシーンになって、びっくりしちゃったの。せっかく取ってくれたのに染みつけちゃって悪かったわね」


「謝るなよ。気にしてないし。それより早く見ようぜ」



 ここへ来る際に家へ招いた目的を告げられた。


 アニメ鑑賞だ。


 キミウタを見返したくなったようで、帰りに全話レンタルした。夕食は柚花の家でコンビニ飯を食べることにしてるけど、さすがに全話一気見は無理だ。


 21時には帰りたいので、1期の途中で離脱することになるだろう。



「その前にシャワー浴びてくるわ」


「男を家に招いてシャワーって……」


「変な勘違いしないでっ! 純粋に汗を流したいだけよ!」


「それはわかるけど、ちょっとは警戒心持とうぜ。俺だから勘違いせずに済むけど、ほかの男だと誘ってると思われるぞ」


「心配しすぎよ。あんた以外の男子と仲良くなる気とかないもの。シャワー浴びてるあいだ好きにしてていいけど、勝手に見始めないでね? 一緒に見るんだから」


「わかってるって」



 柚花は寝室へ着替えを取りに向かい、脱衣所へ消えていく。


 好きにしてろとは言われたが……女子高生の部屋を好き勝手に動きまわるわけにはいかず、夕方のニュース番組をぼんやり眺めることにした。



「お待たせ」



 ほかほかと湯気を放ちながら柚花が出てくる。


 ジャージ姿だが、火照った肌が色っぽい。


 となりに座ると、シャンプーの香りがまとわりついてきた。


 ふたりで座るには狭いけど、場所を移すと意識してると思われかねないので、そのままでいることに。


 コンビニ袋からジュースとお菓子を取り出す。



「……いまさらだが、お前が選んだラインナップ、全部酒のつまみだな」


「昔の癖で選んじゃったのよ。あんたも好きでしょ、チーカマとビーフジャーキー」


「大好物だ」


「ならいいじゃない」


「けど、このラインナップだとビールも飲みたくなるな……」


「成人が待ち遠しいわね」


「そんときゃ焼肉屋でビールがぶ飲みしようぜ」


「もちろんよ。5年後が楽しみね!」


「だな! 俺が介抱してやるから安心して飲んでいいぞ」


「は? 介抱するのはあたしでしょ」


「俺だろ」


「あたしよ。卒論完成祝いに飲みに行ったじゃない? あのときのこと覚えてる?」


「あ~……3軒目から記憶にない」


「あのときあんた、べろべろに酔っ払って公衆の面前でナンパ始めたのよ?」


「そ、そんなことしたのか? 俺が?」


「酔い潰れるまでずっとあたしをナンパしてたわ! 『おーい柚花ー、ここに絶世の美女がいるぞー!』とか『マジでタイプ!』とか『結婚不可避』とか!」


「ナンパじゃなくてのろけだろ!」


「大声でのろけられてすごく恥ずかしかったんだから!」


「それを言うならお前だって似たようなことしてただろ!」


「はあ!? してないわよ!」


「したよ! 大学4年のときの花見で!」


「……記憶にないわね」


「だろうな! あのときマジで大変だったんだぞ! べろべろに酔っ払って『航平がチューするまで動きませ~ん』だの『花じゃなくてあたしを見て!』だの『もう就職活動やだ! 航平に永久就職したい!』だの!」


「そ、そんなこと言うはずないでしょ! 捏造よ捏造!」


「捏造じゃねえよ! 何回キスしたと思ってんだ!」


「何回したのよ!」


「50回以上だよ!」


「どうりで翌日唇がヒリヒリすると思ったわ! あんたの仕業だったのね!」


「厳密に言うとお前の仕業だよ! てかいつになったらアニメ見るんだよ!」


「あんたがビール飲みたいとか言うからじゃない! 言われなくても見るわよ!」



 柚花がDVDをセットする。


 俺のとなりに腰かけ、アニメ鑑賞が幕を開けた。


 言い合いの直後なので最初は集中できなかったけど……しだいにキミウタの世界にのめりこんでいく。


 神作画のライブシーンが終わり、シリアス回が続き、神回が終わり、日常回に突入する。


 切りがいいのでそろそろ帰ろうかと思ったところで――



 こてん、と。



 柚花が肩にもたれかかってきた。


 すやすやと寝息を立てている。


 自分から誘っておいて寝るかね……。


 ニュース番組に切り替え、音量を下げる。


 ゆったりとした時間が過ぎていき、俺も眠くなってきた。



「……ごめんね、航平。ごめんね」



 うとうとしてると、柚花が小さな声でつぶやいた。


 さっき言い合いしたから、夫婦喧嘩の夢を見ているのだろうか。


 謝罪を口にした柚花は、とてもつらそうな顔をしている。



「……もういいよ。こっちこそ、ごめんな」



 そっとささやき返す。


 すると柚花は、幸せそうな笑みをたたえた。


 こんなに幸せな寝顔を見せられたんじゃ起こすに起こせない。


 いつ目覚めるかわからないので母さんに「今日は遅くなるかも」と連絡を入れ――……



     ◆



「……ん」


「……起きたか?」


「ごめん、寝ちゃってた……。いま何時?」


「ちょうど日付が変わったところだ」


「そ、そんなに寝ちゃったの? 起こしてくれればいいのに……」


「起こすに起こせなかったんだよ。ぐっすり寝てたから」


「だったら帰ればよかったのに」


「カギがないんだ。ドアを開けっ放しにして帰れないだろ」


「平気よ。オートロックなんだから」


「だからって、ぜったい安全ってわけじゃないだろ。女のひとり暮らしなんだから、もうちょい警戒しろよ」


「あたしのこと、心配してくれたの?」


「そりゃするに決まってるだろ。友達なんだから。とにかく起きたならもう帰るよ。戸締まりよろしくな」



 立ち上がると、服を掴まれた。


 戸惑う俺を、寂しそうな目で見つめてくる。



「……帰らないで」


「帰らないでって……ひとりで寝るのが怖いのか?」


「そ、そんなんじゃ……! 深夜に出歩いたら補導されちゃうでしょ!」


「……ああ、そっか」



 そういやいまの俺、高校生か。



「けど……泊まっていいのかよ?」


「いいわよ、べつに。友達なんだから」


「ありがとな。だったら泊まらせてもらうよ」


「じゃあシャワー浴びてきて。下着はないけど、ジャージなら貸せるから。サイズもそんなに変わんないし、問題ないわよね?」


「……いまはな」



 いつか夢の170㎝になってやるからな!


 そしたら柚花のジャージなんてぴちぴちで着られたものじゃないからな!



「なら浴びるよ」


「そうしなさい。……あと、シャワー浴びたら寝室に来てもいいから」


「寝室って……まさか同じベッドで寝るのか?」


「だって、ソファで寝たら関節痛めそうじゃない。今日1日あたしのやりたいことに付き合ってくれたんだから、その恩返しだと思いなさい」


「……わかった。シャワー浴びたら寝室に行くよ」



 柚花からタオルとジャージを受け取り、脱衣所へ。


 ささっとシャワーを浴び、さっぱりしたところで寝室へ。


 心臓が高鳴るなか、そっとドアを開けると……部屋は薄暗くなっていた。



「……起きてるか?」


「……起きてる。入っていいわよ」


「お、おう。お邪魔します……」



 ベッドに入り、柚花に背を向ける。


 ふかふかのベッドはぬくもりに満ちていて、シーツにも布団にも柚花の匂いが染みついていた。



「……枕、使う?」


「予備があるのか?」


「ううん。あたしの枕」


「けど……お前はどうするんだ?」


「あたしは……航平の腕枕で我慢するわ」


「俺の腕枕って……腕が痺れそうだな」


「……やっぱり嫌?」


「べつに。枕使ったほうが快眠できるし」



 ごそごそと動き、お互いのぬくもりが伝わる距離まで近づき、柚花に腕枕をする。



「……明日は1日家にいるから、好きなだけ寝ていいわよ」


「わ、わかった。じゃあ……おやすみ」


「うん。おやすみ」



 もちろん眠れるわけがなく……。


 やっと眠りにつけたのは、窓の向こうが明るくなってからだった。

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