《 第16話 デートじゃない 》
そして翌日。
土曜日の朝。
脱衣所の鏡前で髪をいじっていると、目を擦りながら佐奈が来た。
眠そうにあくびをしていた佐奈は、鏡に映る俺を見て、カッと目を見開く。
「うわあ! 兄ちゃんが髪の毛いじってる!」
滅多に見られない光景を目にして、一瞬で眠気が覚めたみたいだ。
ちょっと待ってて! と2階へ駆け上がり、ケータイを握りしめて戻ってきた。
パシャパシャと撮影してくる。
「おい、撮るなよ」
「いいじゃん! 思い出だよ思い出! なんかカッコイイポーズしてみて!」
「ポーズなんか取らないっての」
「自然体が一番イケてるって意味だね! 兄ちゃんかっこいぃ~!」
「そんなんじゃないって。てか髪セットするのくらい普通だろ。高校生なんだから」
「でも今日学校休みじゃん。なのに早起きしてオシャレするって――」
佐奈はハッとした。
顔をニヤつかせ、明るく声を弾ませる。
「そっか! 動物園でデートするんだねっ!」
「あんたデートするの!?」
ほら見ろ。お前が大声出すから母さんが台所からすっ飛んできただろ。
「動物園に行くのよねっ? 待ってなさい、お小遣いあげるから!」
「……いくら?」
「10000円!」
「そんなにくれんの!?」
「これで鯉川ちゃんに美味しいものをご馳走してあげなさいっ!」
ここでお金を受け取ると柚花と動物園に行くことを認めることになってしまうが、10000円の誘惑には抗えず、受け取ってしまった。
「ありがと。でもデートではないから」
デートではないと念押しして朝食を済ませると、父さんを加えたニヤニヤ3人組に見送られ、俺は家をあとにした。
「……くそ」
佐奈たちが茶化すから意識してしまったじゃねえか。
そりゃ年頃の男女がふたりで動物園に行くんだ。デートだと勘違いするのもわかるけど、俺たちはただの友達。
俺はただの遊びだと思ってるし、柚花だってデートとは思っていないのだ。
どぎまぎしてることが悟られたら気まずい空気になってしまう。
デートじゃない。
デートじゃない。
デートじゃない。
デートじゃない。
そう何度も繰り返して心を落ち着かせ、駅にたどりつく。
待ち合わせの5分前だが、柚花はすでに到着していた。
俺を見つけ、ぱっと笑顔になる。
不意打ち気味に笑みを向けられ、またどぎまぎしてしまう。
平常心、平常心……。
「よ、よう。早かったな」
「いま来たところよ! 晴れてよかったわね! 絶好の動物園日和だわ!」
「お、おう。てかテンション高いな。そんな動物園好きだっけ?」
「元々動物は好きよ。しかも調べてみたらアニパラとコラボしてるじゃないっ!」
ああ、それでこのテンションなのね。
「スタンプラリーもやってるらしいぞ」
「パネルもあるみたいね! ぜったい写真撮らないと! これ、いまのうちに渡しておくわね!」
真新しいデジカメを渡される。
柚花が撮影すると毎回ブレてしまうため、デートではいつも俺が撮っていたのだ。
……いやまあ、今日はデートじゃないのだが。
「新品っぽいけど、このためにわざわざ買ったのか?」
「入学前に買ったの。友達との思い出を残そうと思って。前の世界線では部屋の隅でほこりをかぶっていたわ。カメラを使う機会をくれたお母さんに感謝しないとねっ。今度お礼に行くわね」
「いいよ礼とか。柚花が来たら茶化されるだろ」
こないだ来たときは心から否定できたけど、いまの俺は柚花に好意を抱いている。
好意とはいえ友達として好きという意味で、もちろん恋愛感情はないけど、柚花の前で茶化されると照れを隠せる自信がない。
男女の友情を保つためにも、こいつの前でどぎまぎしたくないのだ。
「友達だって紹介すればいいじゃない」
「それでも『可愛い友達ができてよかったね』って茶化すのがうちの親なんだよ」
「息子の幸せを祝福するなんていい家族じゃない。うちの親とは大違いだわ」
「その話はやめようぜ。あの日のことを思い出したら古傷が疼いちまうよ」
「古傷もなにも、お父さんとの乱闘騒ぎはまだ起きてないでしょ……ちょっと待ってなさい」
柚花はバッグから絆創膏を取り出した。
女児が喜びそうな動物柄の絆創膏を、俺の頬にぺたっと貼りつける。
柚花に頬を撫でられて、不覚にもどきっとしてしまう。
「これでよし」
「いや、まだ怪我してないんだが……」
「あんたが古傷がどうとか言うから貼ってやったのよ。感謝しなさい」
「せめて普通の絆創膏にしてくれないか? このデザインは恥ずかしいぞ」
「贅沢言わないの。その絆創膏、高かったんだから。だいたい、古傷がどうとか言うけど、あたしだって傷ついたのよ?」
「柚花は怪我とかしてないだろ」
「好きなひとが殴られる姿を見せつけられたのよ? 心に深い傷を負ったわ」
「俺にどうしろってんだ? 胸に絆創膏でも貼れってのか?」
「えっち」
柚花が冗談っぽく胸を押さえた。
可愛い顔でそのポーズはどきっとするからやめてほしい。
「えっちじゃない。お前が心に傷がどうとか言うから、癒そうとしてやってんだよ」
「だったら今日1日楽しませて。そしたら傷も癒えるから」
「そういうことなら頑張ってやるよ」
「ありがと。期待してるわね」
「おう」
俺たちは駅のホームへ向かった。
ちょうど電車が来て、車両に乗りこむ。
2人掛けの席に腰かけたところで、柚花がバッグから本を取り出した。
「はいこれ」
「なにこれ?」
「見ての通り、アニパラのファンブックよ」
「わざわざ用意したのか?」
「航平のためにね。知識があったほうが楽しめるでしょ?」
「そりゃそうだが……めっちゃ分厚いぞ、これ」
「それだけ細かくキャラ設定がされてるってことよ。動物園まで2時間くらいかかるから、ちゃんと目を通しておくこと。うろ覚えだと一緒に盛り上がれな……ふわぁ」
柚花があくびした。
よく見ると、目の下にクマができている。
「寝不足なのか?」
「ちょっとね。昨日電話したあと、アニパラをレンタルして見返したのよ。ショートアニメとはいえ、かなりの時間がかかったわ」
「わざわざ全話見たのかよ。すごい熱量だな……」
「だってアニパラコラボを楽しみたかったんだもの」
「だったら着くまで寝てろよ。寝不足だと楽しめないだろ」
「でも、あたしが寝たら退屈じゃない?」
「よけいな気遣いしなくていいから。ほら、同人誌を手伝ってくれたお礼に温泉旅行連れてったことあるだろ? あのときお前、車で寝なかったせいで温泉のなかで寝たじゃねえか。俺がいなかったら溺れてたぞ」
「仕方ないじゃない。温泉気持ちよかったんだから」
「温泉を気に入ってくれるのは嬉しいけどちゃんと寝ろよ」
「だってドライブデートも楽しみたかったんだもの……。怒んないでよ」
「怒ってるんじゃなくて心配してるんだよ」
「だったらもっと優しい口調で言いなさいよね。だいたい心配してるとか言うけど、あんただって温泉で転んで怪我してたじゃない。こっちのほうが心配したわよ」
「仕方ないだろ。ヌメヌメしてたんだから」
「転ぶのは仕方ないけど、病院行こうって言っても聞いてくれなかったじゃない」
「お前が大袈裟すぎるんだよ。せっかく温泉来てるのに病院で時間潰すとかもったいないだろ」
「もったいないわけないでしょ。温泉よりあんたのほうが大事なんだから。だから、もし動物園でライオンに噛まれたら病院行きなさい」
「ライオンに噛まれたら病院行くに決まってんだろ……。いいから寝ろよ。着いたら起こすから」
「そうさせてもらうわ……」
カタンコトンと揺れる車内が心地良かったのか、柚花はすぐに寝息を立て始めた。
俺の肩にもたれかかり、幸せそうな寝顔を浮かべている。
……仕方ないな。
こんなに楽しみにしてくれたんだ、しっかり目を通すとするか。
柚花の息遣いを感じつつ、キャラブックをぱらぱらめくり、アニパラの知識を身につけるのだった。
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