《 第4話 関わらないと決めたのに 》

 書店を出ると雨が降っていた。


 本格的に降り出すのはこれからって感じの空模様だ。



「どうするかな……」



 書店にいれば何時間でも暇が潰せる。雨が上がってから帰ってもいいけど、昼飯がまだだ。


 時刻は14時過ぎ。さすがに腹が減ってきた。


 雷が落ちることは知ってるが、何時頃に雨が上がるかはわからないんだ。さっさと帰って飯にするか。


 書店を出てほどなくすると、雨脚が強まってきた。


 生温かい水がクツに染みこんで嫌な気分だ。ぐちょぐちょと音を立てながら足早に歩いていると、ゴロゴロと雷音が響き始めた。


 落雷の情報を知っているので公園前を通るのは気が引けるけど、我が家は公園の真向かいだ。必然的に横切ることになってしまう。


 不安で鼓動が加速するなか、駆け足で公園を横切っていき――



「……」



 視界の端に、誰かが見えた。


 ツタが絡まったフェンスの向こう――屋根付きの休憩所に、柚花がいた。


 小さく縮こまり、耳を塞いでいる様子。


 あいつ、公園でなにしてんだよ……。


 柚花の家は、ここから10分くらい歩いたところにあるマンションだ。書店からマンションまでは複数ルートがあり、公園横を突っ切るのが近道だ。


 早く帰りたくてショートカットコースを選んだのはわかるけど、だったらどうして公園にいる?


 柚花は雷が大の苦手だ。


 夫婦仲が良かった頃は雷が鳴るたびにしがみついてきたし、喧嘩をしたときだって俺が気遣ってソファで寝てやったのに「ベッドに来て」と甘えてきていた。


 雷が怖いなら公園で休んでないで、さっさと帰ればいいのに……。


 暗雲が光り、雷鳴が耳をつんざく。耳を塞いでも聞こえてしまうのか、柚花はますます縮こまる。


 ……柚花とは関わらないって決めたんだ。向こうから絡んでくることはあっても、こっちから絡むなんてありえない。


 だけど……よりによって公園にいるってことは、あいつは落雷のことを知らないんだよな。


 もしかしたら休憩所に直撃するかもしれないし、さすがに見過ごせないか。


 ひとつため息をついてから公園に入り、うしろから声をかける。



「……鯉川さん?」


「……」


「鯉川さん」


「……」


「こ・い・か・わ・さん!」



 がしっ!



「ひゃあ!?」



 肩を掴むと、びくっと震えた。


 驚いたように振り返り、安心したようにため息をつく。



「な、なんだ、黒瀬くんか……。どうしたの、こんなところで?」


「家が近所でたまたま鯉川さんの姿が目についたから気になって声をかけたんだよ」


「そ、そうなんだ。心配かけちゃってごめんね?」



 べ、べつに心配したわけじゃない。


 ただ、近くにいられると落ち着かないだけだ。



「なんで雨宿りしてるんだ? さっきは傘持ってたのに」


「ああ、あれね。あげちゃった」


「……あげた?」


「うん。ここで雨宿りしてた子たちに。そろそろお母さんが迎えに来るって言ってたけど、放っておけなくて」


「そっか」



 柚花らしいな、と言いかけた言葉を飲みこむ。


 今日出会ったばかりなのだから、その発言は不自然だ。



「……」


「……」



 ……で、このあとどうすりゃいいんだ? 


 雨宿りをやめさせる自然な理由が思いつかない。


 正直に雷が落ちるとか言えば人生二周目だとバレかねない。


 かといって長居は危険だ。


 柚花が雷に打たれたら目覚めが悪すぎるし、俺もヤバい。


 ふたり揃って車にはねられた半日後に雷に打たれるとか嫌すぎるぞ……。


 仕方ないか……。



「俺の家、来る? 傘貸すよ」



 柚花は俺を嫌っているが、佐奈とは仲良くしたがっている。


 佐奈と仲良くなるために、おとなしくついてきてくれるはず。



「黒瀬くんの家に? ……迷惑じゃない?」


「べつに。少なくともここで長話に付き合わされるよりはマシだ」


「ありがと。じゃあお言葉に甘えちゃうね?」


「そうしてくれ。……どうした。さっさと受け取れよ」



 傘を突き出すと、柚花がきょとんとする。



「えと……あたしひとりで使うの?」


「傘を貸すって言っただろ」


「こういうときって、普通は相合い傘するんじゃない?」


「それだとお互い中途半端に濡れるだろっ。俺はあとで着替えればいいだけだし! べつに傘を貸してひとりでさっさと帰ってもいいけど、それだと学校で傘を受け取るはめになるし、荷物になるだろ! ……なんで笑うんだ?」


「初々しくて。女子との相合い傘が恥ずかしいんだよね?」


「べつにそんなんじゃないっ!」


「ほんとかなぁ」


「ほんとだ!」



 声を大にして言ってやったが、柚花はニヤニヤと目を細めるだけだ。親戚の男子をからかうお姉さんみたいな表情だった。


 どれだけ否定しても、柚花は学生時代の俺を知っている。俺がぼっち生活を送っていたことも、柚花以外に女性経験がないことも知っているのだ。


 ならば行動で示さねば。



「恥ずかしくないってことを証明してやる!」



 どしゃ降りのなか、傘を開いて佇む俺。


 半分スペースを空けてやると、柚花が「お邪魔します」と寄り添ってくる。



「ねえ。もうちょっと詰めたほうがいいかな?」


「そ、そうしたいならすれば?」



 ぴったりと寄り添われ、甘い香りがまとわりついてくる。


 くそっ。思春期男子じゃないんだからどきどきするなよ! これじゃまるで柚花に未練があるみたいじゃないか!



「俺の家、こっちだから」



 さっさと家に帰って離れよう。


 足早に歩きだすと、柚花が腕にしがみついてきた。


 ぐにぐにとした柔らかな物体が腕に――!



「な、なにしてんの?」


「ご、ごめん。歩くの速くて……」


「わ、悪かったよ。……これくらいでいいか?」


「ありがと。気を遣わせちゃってごめんね?」


「いいよ。べつに……」



 柚花のくせに素直に謝りやがって。こっちの調子が狂ってしまうよ。


 柔らかな感触が遠ざかるが、女子の香りは健在だ。


 心臓が早鐘を打つなか歩いていき、家にたどりついたそのとき。



「きゃああああ!?」



 雷鳴が轟き、柚花が抱きついてきた。



「い、いま落ちたよね!? 近くに落ちたよね!? どこに落ちたんだろ……」


「わからんが……離れてくれないか?」


「あっ、ごめん……痛くなかった?」


「べつに」



 動揺を悟られまいと素っ気ない態度を取ってしまうが、心臓はばくばくだ。


 柚花に抱きつかれるのっていつぶりだろ? うっかり思春期男子らしからぬ反応を見せてしまったが、柚花はかなり動揺しているので怪しまれずに済んだ。


 さておき。


 これにて一件落着だ。


 あとは柚花に傘を渡して帰ってもらうだけでいい。


 そのはずだったのだが……



「ね、ねえ、しばらく家にいていい?」


「な、なんで?」


「雷が怖いから……だめかな?」


「……まあ、雨宿りくらいならいいけど」



 泣きそうな顔の柚花を突き放せず、家族がいないのを確かめてから、家に入れたのだった。

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