《 第3話 なぜか元嫁がぐいぐい来る 》

 入学式を終える頃になっても、俺の心臓は爆音を奏でていた。


 うしろの席にいるのが高校時代の柚花ではなく夫婦喧嘩を繰り返していた柚花だと思うと落ち着かないのだ。


 幸いにも柚花は俺がタイムスリップしたことを知らない。柚花のように下手をこかない限りはバレずにやり過ごせる。


 が、もしバレたらと思うと……狭い教室で元嫁とぎくしゃくした学生生活を送るんだと思うと、気が滅入る。


 こうなったからには前の世界線と同じ振る舞いを心がけねば! 


 俺と柚花が関わりだしたのは卒業後なので前回とまったく同じじゃなくても即バレとはならないが、大きく逸脱しないように気をつけよう。



「みなさん注目してくださーい」



 パンパンと手を叩き、沢城先生が注目を集める。


 入学式を終えて緊張がほぐれてきたのか、クラスメイトとそれなりに会話ができる仲になって安心したのか、教室の空気は緩んでいる。


 その緩みを助長させる朗らかな笑みを浮かべ、沢城先生は言葉を続けた。



「これからプリント配りますから、うしろの席にまわしてくださいね。今月の予定が載ってますから、しっかり目を通しておくように」



 今月のスケジュール表がまわってくる。学生時代を思い出すためにもちゃんと確認しとかないとな。


 柚花の顔を見ると動揺を悟られかねないので、菊池さんから受け取ったプリントをうしろを見ずに渡そうとして――


 つん。



「――ッ!?」



 指と指が触れ合い、全身がびくっと震えた。


 お、落ち着け俺! 柚花は元嫁だぞ! いまさら指が触れたくらいで動揺するな!


 幸いというかなんというか。女子と触れ合ったことのない年頃の男子高校生っぽい反応だったので、柚花に怪しまれることはなく――


 呼び止められることもないまま、放課後を迎えると俺は教室をあとにした。


 校門を飛び出してため息をつく。



「ふぅ……」



 ひとまず乗り切ったぜ。


 土日を挟んで3日後から元嫁との学生生活が本格的に始動するが、今日のところは一安心。


 時間はたっぷりあるんだ、平常心を取り戻すためにもひさしぶりにゲームライフを満喫するか。


 そうと決めた俺はさっさと家に帰ったが……



「……そういやガラケーか」



 この時代にもスマホはあるが、高校入学を機にケータイデビューしたばかりだ。


 スマホゲーム市場が盛り上がるのも数年後。急いで買い換えても遊べない。


 ま、いっか。据え置きゲーがあるし。


 2世代前のゲーム機を起動させ、昔やりこんだゲームをプレイする。


 武将を操り、雑兵をばったばったと切り伏せていく。



「……」



 当時は実写さながらだと感動したが、いま見るとグラが粗い。必殺技を使うとカクつくし……地味にストレスだ。


 10分ほどで飽き、代わる代わる昔懐かしのゲームをプレイしてみたが、なかなか気分が乗ってこない。


 ネットで面白そうなゲームを調べ、オンラインゲームに目をつける。


 当時はやりたいゲームが多すぎて時間泥棒になりそうなオンゲーは避けていたが、せっかくの人生二周目なんだ。前回できなかったゲームをするのも楽しそうだな。


 問題はお金だ。


 記憶通りならこの春は新作ゲームが豊富で、貯金を使い果たしたはず。小遣いは月6000円。そのうち半分はケータイ代に消えるので、ゲーム購入は早くて再来月になってしまう。



「……書店にでも行くか」



 ラノベでも買って時間を潰そう。


 普段着に着替えて部屋を出ようとしたところ……ふと思い出す。



「今日って、パソコンの命日だっけ?」



 たしかそうだ。


 じかに見たわけじゃないが、誰か(たぶん佐奈だ)が近所の公園に雷が落ちたって言っていた。


 そのせいでパソコンが壊れ、しばらく新作ゲームを諦めるはめになったんだ。



「得した気分だな」



 コンセントを抜いて落雷対策を済ませると、傘を手にして外へ出る。


 30分ほど歩き、最寄りの書店へ。


 漫画にラノベにゲームにCDなどがある、子どもの理想を体現したような店だ。



「懐かしいな」



 大学2年の冬、この店は売り上げ不振により潰れた。


 あのときは本気でへこんだ。子どもの頃から通っていた思い出の店だったから。


 パソコンが壊れず、浮いたお金を注ぎこめば、ちょっとは売り上げの足しになる。そのちょっとの差で店が潰れずに済むかもしれない。


 そんなことを思いつつ、懐かしの店内へ。



「げっ」



 漫画コーナーに柚花がいた。


 なんでこいつがいるんだよ! お前、俺と付き合うまで本はショッピングモールで買ってたって言ってただろ!


 柚花にこの書店を教えたのは俺だ。そのときすでに閉店していた。だからどういう店かを見に来たってわけか?


 いや、だとしても俺が教えた店に来る理由がわからない。だって柚花は俺のことが大嫌いなんだから。柚花にとってこの店は忌まわしい場所のはずなのに……。


 ……まあでも書店に罪はないしな。


 本以外に買うものがないならこの店のほうが近いし、ここへ来たのも納得だ。


 とにかくスルーしよう。


 この世界線の俺らしく、見て見ぬふりをしなければ。


 そう決めつつも柚花のほうへ向かうのは抵抗があり、ゲームコーナーでやり過ごすことに。


 すると――



「……あ」



 柚花がこっちに来た。


 俺の顔を見て「あ」とか言いやがった。


 これが入学数日目ならなんらかのリアクションをしないと逆に不自然だが、今日が入学初日。クラスメイトの顔を覚えてなくても不自然じゃない!



「黒瀬くん……だよね?」



 なぜ話しかける!


 こっちがスルーしたってのに!


 それにしても白々しいな。なにが「黒瀬くん……だよね?」だ。


 忘れたくても忘れられない名前だろうに。



「え、えっと……誰だっけ?」


「うしろの席の……ほら、自己紹介で変なこと言っちゃった」


「ご、ごめん。昨日徹夜でゲームしてたから、自己紹介のとき半分寝てたんだ」


「そうなんだ。黒瀬くんらしいね」


「……黒瀬くんらしい? 今日が初対面のはずだけど……」


「あっ、ごめん。こっちの話。気にしないで」



 危ない危ない。


 いまのをスルーしてたら柚花に怪しまれるところだった。



「黒瀬くんってどんなゲームするの?」


「な、なんで?」


「あたしもゲームするから、オススメのゲームあれば教えてほしいなって」



 いや、なぜ俺に聞きたがる!?


 なぜ俺にぐいぐい絡んでくるんだ!?


 世界線は違うけど、俺は俺だぞ! お前の大嫌いな黒瀬航平だぞ!? 


 せっかく人生やりなおせたのになぜ俺に関わろうとする!?


 意味がわからないまま、いくつかオススメのゲームを挙げる。


 すると――



「それあたしも好きっ!」



 すると柚花は、ぱあっと笑った。


 その笑みに、どきっとしてしまう。


 柚花の笑顔を見るのっていつぶりだろ。不覚にも可愛いと思ってしまった……。


 あんたよりゴキブリと同居したほうがまだマシよ、という罵りを思い出して、どきどきを鎮める。



「狩りゲーも好きだけど、特に無双は100時間以上やりこんだよ。全武将ステータスマックスにしてるし、マップ上のどこにどのアイテムがあるかも把握してるよ」


「へ、へえ、そうなんだ。鯉川さん、けっこうゲームするんだな」



 俺は300時間以上プレイしたけどな。



「意外?」


「まあ……意外かな」


「ヤンキーみたいな見た目だから? あたし、全然怖くないよ」



 怖いよ。


 普通にしてると怖くないけど喧嘩したときは迫力が半端なかった。美人がキレると迫力が5割増しだ。



「いまだって睨んでるわけじゃないし。目つきが悪いのは、視力が悪いせいだから」


「そ、そうなんだ」



 知ってるけども。


 柚花は田舎の出身で、いまは親元を離れてひとりで暮らしている。


 元々は黒髪でメガネをかけていたお手本のような地味娘だが、田舎者だと舐められないように高校デビューした――髪を染め、メガネを外したのだ。


 なのにコンタクトはしていない。目に異物を入れるのが怖いからだとか。


 そのエピソードを聞いたときは『可愛いな』ってデレッとしてしまったが、いまは純粋に『メガネかけろよ』としか思わない。



「メガネかけないのか?」


「メガネは授業中だけかけるつもりだよ」


「けど視力悪いんだろ?」


「こうやって顔を近づければ見えるよ」



 ちょわっ! いきなり顔近づけんなよ!


 ど、どきどきするだろ……。



「黒瀬くんの顔、幼いね」


「ま、まあ高校生だからな」



 この距離でしゃべらないでくれ。


 吐息が甘いんだよ。あとちょっとでそのデカい胸が触れそうなんだよ……!



「ところで、黒瀬くんってひとりっ子?」


「妹がひとりいるけど……」


「妹いるんだっ!」



 柚花の顔が輝いた。


 ……そうか。大嫌いな俺にぐいぐい絡んできたのは、佐奈と仲良くなるためか。


 ふたりとも俺を差し置いて遊ぶくらい仲良しだったもんな。



「なんて名前?」


「佐奈」


「佐奈ちゃんか~。可愛い名前だねっ。どんな娘? 写真とかない?」


「ないよ」


「そっか。見てみたいな~」



 俺が女子に飢えていたら柚花とお近づきになるために家に招くんだろうが、体感的には半日前に離婚したばかりだ。


 そもそも柚花とは関わるつもりがなかった。


 家に招くなんてとんでもない過ちだ。



「ごめん。うちの妹、部活だから」


「何部?」


「バスケ部」



 バスケが好きだったわけじゃなく、バスケをすれば背が伸びるって話を聞いて入部した。


 けっきょく背は伸びなかったけど、バスケが好きになったようで、大学まで続けていた。



「とにかくそういうわけだから、妹に会いたいなら試合の応援にでも行けばいいよ。じゃ、じゃあ俺、漫画見るから!」



 そそくさと立ち去る。


 追いかけてくるかもと警戒したが、柚花は店から姿を消していた。

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