満月の夜に

満月の夜だった。


 私は塾のバイトを終え、家路を急いでいた。家に帰れば大学からの課題が待っている。大学は人生の夏休み。そんなのは時代錯誤の讒言ざんげんだ。課題もあればテストもある。講義の出席は厳しいし、範囲は広い。宿題盛りだくさんの楽しい楽しいサマーバケーションである。





「はぁ……」








 面白くない人生である。


 





 別に不満があるわけではない。友達もいる。恋人はいないがそこに不満はない。講義も知的好奇心を刺激される面白いものばかりでとても良く寝れる。特にやりたいことはない。夢もない。三年生になり、周りが就活を始める中、公務員になるべく私は机に向かう。私のような夢も無く、才能もない只人にやりがいなんていらないのだ。ただ安定していればそれでいい。だから私は机に向かう。安定をそこに求めて。情熱などない。必要ない。まあこの先40年のことなど誰にも分かりはしないのだが。


そんなことを考えていたら家に着いた。誰もいない家の中で課題と資格予備校のテキストだけが暖かく私を出迎えてくれる。夏だからよして欲しいなと思うのだが。












 その日もまた満月の夜だった。





 私はまた同じ道を歩いていた。


 月明かりが照らす中私はただ歩いていた。夢もなく、希望もなく、やる気など欠片もないバイトを終え、やはりかけらも興味のない公務員試験の勉強をするために家路を急いでいた。





「私はどうして」





それ以上先は言葉にならなかった。言葉にしたらもう私は歩けないような気がした。


そんなとき、前を歩く人が目に入った。この道を歩く人はあまり見ない。というか見たことがない。妖怪だろうか。ふと、そんな考えが脳裏に浮かんだ。月明かりに照らされ、その人は幽玄に歩みを進めていた。迷いなく、唯ひたすらに前に進んでいた。青いワンピースを着ていた。結ばれた茶色の髪に月明かりが絡まっていた。小さな耳飾りに月が映っていた。


得体のしれない恐怖と言ったら良いのだろうか。人は未知と出会ったとき、最初に恐怖を覚えるという。このときの私はまさにそれだった。


謎の女が月明かりに照らされ、私の前を歩いている。それも人気のない道を、だ。


文章に起こすとそれほどでもないが実際の場面はなかなか恐怖するに値すると思う。





私は背筋が怖くなり、道を外れた。





雲ひとつない空に月が輝いていた。





後日談などは特にない。その後枕元にその女が現れたなどということもないし、風呂の鏡に映っていたりもしない。 














なぜならその日、私は命を断ったからだ。

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墓標 ばかわんこ @wsnksdtu

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