墓標

ばかわんこ

猫の泪

カランコロン


心地いいドアベルの音が仕事終わりで疲れた私の心をかすかに癒やす。

ここは「ハーメルン」。私の行きつけの酒場である。 いや「バー」といった方がこの店に対する表現としては適切なのだろうか。


仕事中であれば下らないの一言で一蹴してしまえるような考えもこの空間においては私が過ごす一時に潤いを与えるひとつの要素となる。


「いらっしゃいませ、御注文はいかがなさいますか」


「いつものやつで頼む」


バーのマスターが少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。店内の奥に進み、店の最も奥深く、全体を見渡すことができる席に腰掛ける。


なぜバーのマスターはいたずらっぽく笑ったのか。

答えは至極簡単、私にはいつものやつなど存在しないからである。




私がこのバーに足を運ぶ。バーのマスターが注文を取る。私がいつものやつと返す。


ここまでが私とバーのマスターとで組み上げる一連の儀式なのである。

だからいつものやつなど存在しないのだ。これはただの儀式であり、そのやりとりに意味などなく、中身もまたないのだから。


では一体バーのマスターはいつも私に何を出しているのか。


簡単なことである。彼は私に彼が素晴らしいと思ったものを出すのだ。

彼が素晴らしいと感じるのは、味という純粋な五感の一部分から感じる情報に限った話ではない。そのものが作り出されるに至った背景、それこそが彼の中では味を形成する重要なパートである、と考えているのだ。

そんな人によっては邪道に感じても仕方がないような考えに私は賛同しているからこそ、このバーを行きつけのバーにし、彼の選ぶ珠玉の品々を味という側面を超えて味わっているのだ。





コトン


「お待たせいたしました」





私の前に青い液体が注がれたカクテルグラスが置かれた。なかには数個、荒削りの氷が浮かんでいる。グラスの縁には透明な結晶が塗られ、色を除けばその見た目はソルティドッグのようでもある。


「ふむ」


ここまで来たところで、私はあることに気がつき思わず声を漏らしてしまった。

液体が青いのではない。

液体と氷の接面だけが青く、ほかはそれを反射してほのかに青く光っているに過ぎないのだ。


「それでは、いつものように」


声を漏らした私の姿をその細い目の端で捉えつつも、何事もなかったかのように彼は語り始めた。





昔むかしのこと、まだこの世に魔法というものが広く知れ渡っていた頃、世界は魔の理を解するもの、すなはち、「魔法使い」達のものでした。

世界の理を解し、世界を自身の思うようにできる魔法使い達でしたがひとつだけ彼ら、彼女らには思うようにできないものがありました。

それは彼らが生まれ持つ醜い闘争心、でした。

大きな力を持てたところでそれを担う存在が小さくては意味がありません。その闘争心から魔法使い達は物的事象、白魔術を扱う白魔術師、観念的事象、黒魔術を扱う黒魔術師の二つの派閥に分かれ、扱う力の大きさに飲まれ、驕り高ぶり、何千年、何万年、時間という単位が忘れ去られるほどの長きにわたって争いを続けました。

魔法使い達は自身の魔術的素養の補助的存在として複数の動物を使役していました。蛇、蝙蝠、蜥蜴、そして猫です。

彼らは自分たちの扱う魔法の色に合った動物を使い魔として扱うことで、自身の干渉能力を飛躍的に高め、それを闘争に役立てていました。

その争いの中、二匹の猫が誕生しました。

名をニケ、ニカと言い、それぞれ雄の黒猫、雌の白猫としてこの世に生を受けました。


彼、そして彼女はすくすくと元気に育ち、ほかの動物たちと同じようにそれぞれの色にちなんだ魔法使いの下で使い魔として闘争に参加しました。


ニケとニカはお互いを闘争の場で認識したその瞬間に恋に落ちました。


恋とは落ちるものであり、落ちた後はどうにもならないものです。ニケとニカは互いに互いのことを想い、そして互いに互いの立場のことを想い、毎晩のようにその宝石のような目から泪を流しました。報われぬ恋ほどこの世において儚く、そしてまた美しいものはありません。


二匹の互いに惹かれあい、そして決して混じり合わぬ運命を持った恋人同士が流す泪は、いつしか闘争を終わりへと導き、そしてまた争いばかりを生み出す魔法使い達の時代にも終わりを告げました。


「そんなお伽噺を下に作られたものがこちらの”猫の泪”になります」


バーのマスターは話し終えると、「では」と言ってほかの客のところへ行ってしまった。


私は一口その猫の泪を喉に流した。


「......。甘いな。」


思わずそんな言葉を流した。

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