第一章ー8話
見晴らしの良さそうな大きな窓にかかるドレープを軽く左手で持ち上げて、ユーシスレイアは外の景色を眺めやった。
五騎士会議のあとにルーヴェスタと見た皇宮庭園の白く可憐な花が、この場所からも良く見える。
広がるカミツレ畑を挟んでとおく離れた対面には、炎彩五騎士が集う
彩宮も花畑も、そして
あまりに広大すぎるために全貌を見渡すことは叶わなかったけれど、周囲には五騎士に与えられたそれぞれの居館もあるはずだった。
「
窓の外に見える光景に、ユーシスレイアはひとりごちた。
彩宮には五騎士が集って会議をする大部屋のほかに、各自の執務室や書斎なども備えられている。
五騎士はみな自分の屋敷で執務をすることが多く、彩宮の執務室を使うことは少なかったけれど、まだ自分自身の居館を持っていないユーシスレイアは、そこで日を過ごすことも多かった。
その執務室から目にしていた壮麗な建物が、まさか皇帝がプライベートに使用する
「ええ。さようでございます。ここからは距離がありますから、白炎さまのようによほど遠目の利く方でないと、エルレア様のお姿を拝見することは叶わないかと存じますけれどね」
穏やかな声が、ごくごく自然に応じてくる。
すこしだけ白髪の混じり始めた黒髪をきっちりと結い上げ、落ち着いた深緑の
普段エルレアが居ない時にこの場所を預かっているマリルという女性だ。上手に歳を重ねたものだけが持てるであろう、ゆるりと穏やかな上品さが好ましい。
「それよりも、碧焔さま。お待ちになるあいだお茶でもいかがですか? ゆったりと飲むお茶は、良い時間つぶしにもなりますよ」
呼ばれて皇宮に来たユーシスレイアだったが、皇帝に急用が出来てしまったとのことで少し待つようにと、ここに通されたのである。
「待つのは構わない。……でも、そうだな。ちょうど喉が渇いていたところなんだ。ありがたく頂こう」
ユーシスレイアは軽く笑って、窓際からテーブルの方へと歩み寄る。
応える口調がどこか和やかだったのは、彼女の穏やかな雰囲気のせいだろうか。
皇帝の配慮なのか。それともそういう人間がこの国に多いのか。ユーシスレイアの周りに訪れる女性は彼の神経を穏やかにさせるような者たちばかりだった。
「じきにエルレア様とカレン様もいらっしゃいます。それまで、ごゆるりとお寛ぎくださいませね」
ほがらかに微笑んで、マリルは白磁のカップにやさしい琥珀色の液体を注ぐ。たちのぼる湯気とともに匂りたつ、ほのかなお茶の香が心地よかった。
「ありがとう」
静かに退室する婦人の背にそう声をかけてから、ユーシスレイアは香りの良いお茶が満たされたカップを持ち上げる。
これが何という種類のお茶なのかは知らないけれど、そのふくよかな優しい香りにとても心が落ち着くような気がした。
そういえば朝から口にしたのはリンゴを一口だけだったのだと思い出し、ユーシスレイアは可笑しそうにカップの中身を見やる。
「こんな香りのお茶は、初めて飲むな」
軽く口許をほころばせ、香りを楽しむようにゆっくりと。ひとくち。ふたくちと喉を潤していく。
こうしてのんびりとお茶を飲むなどというのは、本当に久しぶりだった。
張り詰めていた神経に染み込んでいくように、ゆうるりと心地よさが全身に広がっていくのを感じながら、ときにはこういう時間も必要なのかもしれないと、ユーシスレイアはぼんやりとそう思った。
以前はよく、軍務から帰宅した自分を母や妹がこうして心休めてくれたものだったと、ふと懐かしくなる。
失われた家族を思い出して、いつものように痛みではなく懐かしさを感じたのは、このお茶の不思議な温もりと香りのせいか ―― 。
ユーシスレイアはやんわりとまぶたを閉じた。
そうしてしばらく心地よさに身をゆだねていると、規則的に響く硬質な足音が近付いて来るのを感じ、白金の瞳をすっと開く。
ユーシスレイアが部屋の入り口に目を向けるのと、扉が開き黒い衣服を身にまとった細身の人物が入ってきたのは、ほぼ同時だった。
その背後には、あでやかな笑みを浮かべたカレンが静かに随っている。
濃藍にも見える黒髪に彩られた鋭く強靭な表情と、ぴんと背筋の伸びたその立ち姿は大いに覇気をまとい、心地よい緊張感をユーシスレイアに与える。
一見すると凛々しい青年にも見える黒衣の人物はしかし、女性であるということは初めて謁見した時に気が付いていた。
けれども。女性にしては背の高い、きりりと身の引き締まるような硬質な空気をまとうその姿は、性別などなんの意味ももたず、ただただ強い。
ユーシスレイアは音もなく椅子から立ち上がった。
何かを探すようにすっと周囲に視線をめぐらせた黒衣の人物は、そんな彼の姿を認めて軽やかに部屋の中央へと歩き進む。
「呼びつけておきながら、待たせて悪かったな。碧焔」
凛と。よくとおる伸びやかな声が、歯切れよく部屋に。そしてユーシスレイアの耳に強く響く。
切れ上がるようにあざやかな笑みを浮かべたその人物は、紛れもなくラーカディアストの皇帝。エルレア・シーイ・フュション。その人だった。
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