第8話 屍を取りあう者たち【1】

「イルはクマさんの後ろに隠れてろ」

 足音ひとつさせないで光人ひかりびとたちが近づいてくる間に、ヒタカがイルに指示をした。意図が読み取れずに見上げると、彼は白衣の下に重ね着したジャケットのフードを目深に被ったところだった。

「光人に顔を覚えられても得はない。だから下がってろ。早く」

 フードと前髪、メガネの三重の影でますます分かりにくいヒタカの表情の中、薄い黄緑色の瞳が冷たく光るのを垣間見た。その真剣かつ緊迫した空気にイルは素早く指示に従った。

 クマは名が体を表すように背幅が広いため、小柄なイルは見事に隠れられた。クマもイルをかばうように、光人を迎え撃つように立つヒタカとテンカから一、二歩下がる。

「おはようございます、代表」

 ヒタカとテンカの前にやってきた六人の光人のうち、一歩前へ出た初老の男がゆっくりと落ち着いた口調で言った。

 現時刻としては至極全うな挨拶だが、いつでも夜のこの世界ではわざとらしくも取れる挨拶だった。

 この中で一番立場が上らしい神父は何も持っていないようだったが、後ろの五人は一律にライフル銃を携えており、羽織っている厚手の防寒コートと黒いカソック姿にはとても不釣り合いだった。

「やあ、神父殿。こんばんは」

 テンカは当て付けかのように夜の挨拶で返し、組んでいた腕をほどき腰に手を当てる。いずれにしても、好感度が高い仕草ではないのは一目瞭然だ。

 神父と呼ばれた五十代半ばに見える男は気にした様子もなく続けた。やや薄い短髪に頬骨の張った白い顔は血色が悪く、全体的に細長い姿の神父に、イルは孤児院の電子教科書ホログラムに載っていた気難しい昔の政治家を思い出した。

「夜光生物の襲撃があったと聞き、駆け付けたのですが、我々の助けは不要だったようですね」

 神父はまだ片付け半分といった具合の街の様子を見回した。

 いつの間にか手を止めていた人々は作業を再開している。しかし、誰も警戒を解いてはおらず、ピリピリとした張り詰めた空気が漂う。

「ええ、光人の皆さんのお手を煩わせることはありませんでしたよ。ご心配いただき、ありがとうございます」

 慇懃無礼を見事に体現したかのような堅い口調でテンカは礼を言う。

「それはよかった。ならば、せめて死肉を運ぶお手伝いをしましょう。私どもの施設なら処理も早い。あなたたちになら格安でお売りしますよ」

「え」

「いえ、結構。私たちが狩ったものだ。私たちで処理をしますよ」

 光人がしれっと言う言葉にイルが思わず、声をあげかけたところを被せるようにヒタカが反論した。テンカと同じく慇懃無礼な上に一人称まで変わっている。

 この町に来たばかりのイルにはノクティスの町と光人の明確な関係はわからない。だが、今の話には明らかな矛盾がある。

(先生たちがやっつけたものなのに、どうして勝手に持って行って、ノクティスの町に売る話になっているの?)

「彼らはいつも“ああ”だよ。ことが落ち着いた頃に来ては、夜光生物の死肉や光核こうかくの所有権を主張する」

「変な話」

 ヒタカに隠れていろと言われた手前、騒ぐわけにもいかず憤っていると、それに気が付いたのかクマが極力小さな声で彼女に解説した。

「変な話さ。でも、彼らはノーク国認可の聖職者たちでノクティス一帯の管理者だからね」

「そうなの?」

「本当は、夜光生物の襲撃も報告義務があるんだが、中人なかびとで言うことを聞く奴なんていないさ。調子の良い時に来て、美味しい汁を吸おうとするやつのことなんかね」

「なるほど」

 納得がいった様子のイルを見ると、クマは何事もなかったように前を向いてしまった。こういう事態を対応するのが、町代表のテンカであり、皆に先生と呼ばれ、信頼を置かれているヒタカなのだろう。

 二人はどうするのだろうか。イルもクマの後ろから息をひそめて、成り行きを見守った。


 「そうは言っても、先生。町の処理施設はだいぶが来ているのでしょう? 」

 イルとクマがこそこそと話をしている間にも、二人と神父の交渉は続いた。

「先月も処理作業中に停止して、復旧に何日も要したと聞きましたよ。夜光生物の死肉処理には鮮度が大事。三日もかかってしまったら腐ってしまう」

 神父の話ぶりはまるで教会のお説法のように丁寧だったが、見た目のせいかイルには政治家の演説のように思えた。

「未処理のものを保存するにしても限界があるのですから、平行作業が最も効率的な対応では? 中人と光人、思想は違えど、我々は等しく夜に苦しみ、夜に生き、同じコミュティノクティスに住む仲間だ。仲良くやるべきです。そうでしょう? 代表、先生?」

「……ああ、そうだ。あなたの言うとおり仲良くやるべきだ。だが、私たちが狩ったものを、何も労しなかった者が無料ただで手に入れるのは納得し難い」

「先生、それは何度も言ったでしょう。死肉を無料で運搬処理するかわりに作ったエネルギーは格安で売ると」

 ものわかりが悪い子供に言い聞かすような呆れたもの言いだった。

「……」

「……光核を売る気がないじゃないか」

 何も言わないヒタカの隣でテンカの小さな悪態が聞こえる。

 それが聞こえているのかいないのか。判別がつかないまま神父は続けた。

「お忘れじゃないですよね? 町のエネルギーインフラを整備管理しているのは教会です。ノーク国に委託され、我々が認可するあなたたちの施設はあくまで補助施設。ならば、本施設で効率よくエネルギー転換し平等に分配するのが道理でしょう。そして、あなた方は同じコミュニティの仲間として、それを朝の星教会にのですよね?」

『…………』

 捲し立てるでも怒るのでもなく、神父は堂々と真剣な眼差しで言った。それとはヒタカたちの横で運搬が間に合わず横たわっている夜光生物のことだ。

 これにはヒタカもテンカも返答がない。二人の背中しか見えない位置にいるイルでは、彼らがどんな表情をしているかわからない。たが、後ろ斜め下から覗き見たクマの横顔は苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。

 それがこの世のことわりとばかりに話すことから、すんなりと納得しそうになるが、イルは目を見開いた。

(どこが平等なの?言うこと聞かないと町への電気やエネルギーを止めるぞ!ってことでしょ!)

 これは脅迫だ。思わずクマの服の裾をイルは握った。

「……わかりました。確かに神父殿の言うとおりだ。揉め事は我々も欲していない」

 先に口を開いたのはテンカだった。

「さすが代表。ご理解に感謝いたします」

 彼女が承諾すると、神父は深々の頭を下げた。それすらも胡乱に見えてしまうのはイルの気のせいか。

「ただ、他の場所で退治した夜光生物もいましたが、そちらはもう施設に運んでしまったので、今ここにあるものを寄付しましょう」

「良いですとも。これは随分な大物です。これだけあれば、当分の予備エネルギーとして、町へも安心してエネルギーを分配できます」

 神父は笑みを浮かべると両脇に並ぶ光人たちに、夜光生物を運ぶよう指示をし始めた。その様子を見た車内で運転手が待機していたらしいトラックが夜光生物へ素早く横付けされる。ジープの運転手も出てきて、死肉を運ぶ道具を彼らに配りだす。その内の一人が、テンカが運んで来た死肉と心臓を載せた手押し車の取っ手を握るのをイルは悲しい思いで見送った。

(あんなに皆が命がけで倒したものなのに……)

「っち。ぬぁにが寄付だ」

 始終穏やかなクマでも口が悪くなることがあるらしい。

「しっ。クマさん、聞こえると面倒だ」

 神父から解放されたテンカが小さく注意する。神父は部下らしき光人に指示をするのに集中しており、こちらを気にする様子はない。

「でも、テンカさん、これはひどいやり口だわ。私の町も似たことはあったけど、こんなあからさまなやり方はなかった!」

 イルはテンカに訴えた。小声だが熱がついこもってしまうのは仕方がない。

「ありがとう、イルちゃん。気持ちはわかるけど落ち着いて」

「でも」

「こっちだって転んでもただで起きる気はないよ。言いたいことは言ってやったし。残りはヒタカ先生に任せよう」

「先生に?」

 イルは意味がわからず、首を傾げた。

「そ。どこまでやれるか分からないが、悪あがきは夜で生きていくための基本精神だ」

 テンカはにやりと笑うと、運搬作業を始めた光人たちの所へ向かって行ったヒタカの後ろ姿を見守った。

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