第6話 後始末と代替エネルギー【1】

 陽はなくても夜は明ける。

 真夜中よりは薄らと明るい夜空に東から三日月が昇った。淡い黄色の光が星々をかき消していく。光を反射させる太陽がないにも関わらず、月は悠然と輝いていた。

 実に世界は奇怪になってしまったものだ。

 珍しくもない事実にヒタカがため息をついた。

 夜光生物の襲撃から、街は本来の落ち着きを取り戻しつつあった。郊外に避難していた人々も戻ってきており、動ける町人総出で後片づけや街の修復に取り組んでいる。

 けが人はいるものの、幸い死者や重症者は出なかった。診療所や各避難場所での救護も落ち着くと、クマたちにその場を任せ、ヒタカは街へと足早に戻ってきた。最後にヒタカが退治した夜光生物に、愛用の懐刀が深く刺さってしまい、すぐに抜けなくなってしまったのだ。片時も手元から放したくない大事な刀ではあるが、怪我人の救護の方が優先事項だった。ヒタカは気にしつつも、その場はあっさりと離脱したのだった。

 とは言え、

(やっぱり、冥玄めいげんが手元にないのは落ち着かないな……)

 白衣の下で揺れる鞘の軽い重みに気もそぞろだった。

 そわそわと目的地にたどり着いた時、そばにある中央広場の時計の鐘が重々しく鳴った。時刻はちょうど午前七時だった。

 目の前にはヒタカが止めを刺した大型夜光生物の死体が横たわっていた。

「くっさっ!」

 現場から離れて忘れかけていた悪臭が、改めてヒタカの目鼻を直撃した。死体は処理のため分割されているも、まだ十分に大きかった。周りでは皆が力を合わせて大型夜光生物を運搬しやすいよう、小さく切り分けている。

 今回、町を襲撃した夜光生物は大小あわせて十七匹いた。方々の場所で退治したそれらを中央広場に乗り入れた小型トラックに積んでいく。

 夜光生物の死体は専用機械で処理をするとアンモニアに近い物質が検出される。

 アンモニアは、かつて世界に昼があった頃、電力エネルギー生成の主軸であった化石燃料が枯渇する中、新主軸と銘打たれた再生可能な燃料である。化石燃料よりは大気を汚さないことに利点があったが、一方で電力を生み出すためには、化石燃料の数倍以上の量のアンモニアが必要であるため、高値で取り引きされた。

 窒素と水素からアンモニアを生み出すことも可能だったが、アンモニアはエネルギーを発生させるために燃焼させると、呼吸系に障害を及ぼす有害物質を発生させる問題があった。それらを抑止する施設が必要の上に、そもそも何かしらのエネルギーを作るためにはエネルギーがいるという問題もある。

 四六時中、「光」と「暖」にエネルギーを必要とする夜だけの世界は、燃料の需要と供給のバランスが著しく崩れてしまっている。エネルギーのためのエネルギーを作るのはとにかく非効率の極みだった。

 だが、それでも永遠の夜を少しでも明るく快適にするため、人はあらゆる手段を用いてさまざまな燃料に手を伸ばした。時には奪い、争い、燃料やエネルギーを囲い込んだ。

 そんな中、危険は伴うが、突然手に入る夜光生物の死肉は、臨時の代替エネルギーであった。

 そのありがたい燃料のために、町に数台しかないトラックが惜しみなく動員されるのは夜光生物退治後の恒例の光景だった。老朽化が危ぶまれるもまだ動く町唯一の発電施設がある郊外……ヒタカが住む診療所や灯台がある方角とは反対の東へ、車は忙しなく走っていく。

 それらを横目に、ヒタカは心臓に刀が刺さったままの死肉の塊へと近づいた。彼が刀を取りに戻ることを想定して、死肉は手を奥まで入れなくても取り出せる状態に切り分けられていた。しかし、手首までは入れないとどうしても取れない。そして、どうあっても臭いものは臭かった。

 こういった経験は初めてではないヒタカだったが、自然と苦虫を噛んだ表情となった。しばし考え、

「………よし!」

 意を決する。

 まずは、革手袋や白衣、ジャケットなどを脱ぎ、インナーのみになると、袖を可能な限りまくりあげる。一呼吸置いて、思い切り肉の中へ手を突っ込んだ。すばやく愛刀を摘まみあげると、服に汚れがつかぬよう慎重に、しかし速く、近くの広場にある石造りの水飲み場に走る。

「さすがに臭い……」

 いつまでたっても慣れない臭いに辟易しながらも、獅子の石像の口に取り付けられた水道の蛇口を目一杯回す。あとは、水の勢いでひたすら汚れを落とすのみだった。ノクティスの町は地下水だけは豊富に出るため、水には困っていなかった。

自家製香料ポプリに一晩埋めておくか」

 刀の正しい手入れとは思えぬ提案をつぶやいていると、背後から覚えのある気配が二人分、近寄ってきたのが分かった。

「先生、おつかれさま!」

「ああ、クマさんもおつかれ。今回はなかなかに大変だったね」

 刀を水に浸す手は止めず、ヒタカは声の方へ顔だけを向けた。そこには予想通りクマとイルがいた。

 イルはクマに隠れがちになりながら、ヒタカへ小さく頭を下げた。彼女は今の状況に慣れないようで、きょろきょろと周囲を見渡し落ち着きがない。

「君……、イルもおつかれ。悪かったな。突然こき使って」

「ううん。私も何かしたかったから、すこしでも役に立てたならよかった」

「イルちゃんはよくやってたよ!ヒタカ先生の無茶振りにも頑張って応えていたし!びっくりしたろ~。先生はすごく頼りになるけど、緊急事態は口調がおっかないからね」

 我が子のようにイルを誉め称えるクマに、彼女はえへへと照れ隠しの笑顔を見せた。一方、ヒタカはさりげなく自分の欠点を指摘されて、渋い面持ちになった。人命が関わる事態になると、失敗できない緊張からか口調が荒くなる自覚はあった。返す言葉がない。

「それはそうとクマさん。避難所郊外の様子はどうだい?」

 仕方ないので、手っ取り早く話をそらす。

「どこも落ち着いてきたって聞いたよ。もちろん灯台や先生の診療所も問題なし。動ける人から町内の病院に移動してる。先生の処方してくれた薬のおかげだ」

「落ち着いたらヒタカ先生に病院へ顔を出してほしいって。お医者の……、ロッドマン先生が言ってた」

 二人が交互に報告する町の状況にヒタカは淡々と聞きつつ、密に細笑んだ。

 町内に病院はあるが施設は小さく、通常の病や怪我を診る医者もたった一人しかいない。夜光生物の毒を受けた負傷者を、夜光案内人専門家に対応してもらいたいのだろう。

「わかった。あとで行くよ」

 返事とともに蛇口を止めると、慣れた手つきで刀の水を振り落とす。続いて、目の前に刀を上げて刃こぼれの有無を確認しつつ、鼻を聞かせた。悪臭はあらかた流されていったようだ。最初ほどひどくは気にならないので、ひとまず良しとする。

「夜光案内人ってすごいのね!夜の困りごとなら、なんでも解決できちゃう!」

 ヒタカが鞘へ素早く刀を戻す音が響くのと同時に、イルが喜々とした声を上げた。

 一連の動作を見ていた彼女の驚きと期待が混ざった眼差しが痛い。

 洞窟で見つけた宝石の原石のような彼女の視線は、ヒタカが遠い昔に置きざりにした、この世界で多くある嫌いなものの一つだった。

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