第4話 襲撃

「何あれ?!」

 取るものも取り敢えず、診療所を飛び出したヒタカを追ったイルが、ノクティクスの街に入って最初に見た光景に目を見張った。

 薄暗い小さな街のメイン通りにそいつはいた。

 魚の姿をしたそれは大通りを這い、灯台や診療所がある郊外へと逃げる街の人々を追っていた。

 威嚇行動か攻撃か。大きな胴が前進するたびに、背や胸、尾鰭おびれなどのあらゆる身体の部位が両の建物の側面を叩き落とす。崩れ落ちる石壁やレンガなどの中から間一髪で逃げ出した人が、他の町人に誘導されて、イルとクマの間をすり抜けて行く。

 周りを見渡すもヒタカはいない。見失ってしまったようだ。

「あんな大きな夜光生物がいるなんてっ!」

 イルは思わず後退りをした。隣でクマも慄いている。彼の様子に目の前の光景がこの町の通常ではないことが察せられ、イルはひそかに安堵した。

 こんな巨大夜光生物が町を襲うのが日常ならたまったものではない。

 夜光生物は珍しいものではなく、夜に沈んだ世界のどこにでもいる。イルの故郷やノクティスここまでの道中でも大なり小なり目にすることがあった。しかし、胴が十数人並んで通れる横幅の道をふさぐ大きさで、頭が二階の窓の高さにもなる夜光生物となれば話は別である。

 大型夜光生物は、闇が深い通常の生物が生きることができない夜の奥の奥に生息するものだとイルは知識で知っていた。故に、イルにとって目の前の魚型の夜光生物の大きさは、産まれて初めて遭遇する最大のサイズであった。

 その姿は、ひどく蒼白かった。

 骨格部分は濃い白色で、骨以外は白く透明な皮膚に覆われており、透けた皮と肉を通して内臓がまる見えだった。さらに奥、臓器の隙間から、心臓らしき濁った赤い肉塊が目に留まり、イルは気味の悪さに咄嗟に目をそらしてしまった。

 黒目の無い両の目は白く盛り上がり、他の夜光生物の大半がそうであるように視力はない。そのくせギョロギョロと白眼は動き、ノコギリ歯が並ぶ口と共に動く餌を探している。さらに、腹の鱗や刺々しく長い鰭の棘は、紫や青、緑へと光り、醜悪な姿に拍車をかけていた。

 巨大夜光魚には、十数人の若者たちが一斉に立ち向かっていた。

 銃や槍、さすまたなど、各々の武器を持ち、威嚇する魚を追い払おうとしている。彼らの中にはくわすき、木の棒に火をつけた松明らしきもの、わずかな街路灯しかない通りの視界を確保するため、緑光りょくこうが点いた懐中電灯やランプを持つ者もいた。

 武器の中では、銃と松明が特に夜光魚を怯ませているようにイルには見えた。だが、どの手段も進行を妨げる程度にしかなっていないようであった。大口を開けて威嚇する魚が、彼らを食おうと跳躍し、尾や胴を振り回せば、彼らは攻撃を避けて散った。そして、再び息を合わせて攻撃をするが、そのたびに一歩二歩と後退するしかなかった。怒号が夜空に飛び交う。

 イルは手伝えることはないかと思考を巡らしたが、役に立つ道具一つも持たないのでは、足手まといにしかならないのは考えるまでもなかった。クマも同じことを考えたのか、加勢はせず、街の入口で命からがら逃げ、地面にへたり込んでしまった町人などに声をかけ、さらに街から離れるよう支援をしていた。先刻ヒタカを呼びに来た少年や他の動ける何人かも同じように、弱者に手を差し伸べている。それらの慣れた様子に夜光生物の襲撃が初めてではないことがうかがえる。

 そこに聞き覚えのある声が介入してきた。

「残りはそいつだけだ!火を絶やすな!緑光で視界を拡散させろ!」

 大通りにいくつかある横の狭い路地の一つから、ヒタカが老齢の女性を背負って現れた。後ろに子供を含む老若男女が数人続いている。彼は逃げ遅れた人を助けていたようだ。

「鰭の棘に気をつけろ!毒がある!」

 ヒタカは巨大夜光魚と戦う彼らに声をかけながら、イルやクマがいる場所へ向かってきた。

「先生っ!」

「クマさん、この人たちも郊外へ誘導してくれ。避難者はこの人たちで最後だ」

 いち早く駆け寄ったクマへヒタカは的確に指示を出す。

「街中に入り込んだ他の夜光生物はもう退治した。残るのはあの馬鹿でかいのだけだが、ここにいるのは危ない!」

「がってん!」

 勢いよく返事をしたクマはヒタカが連れてきた人たちを引き受けて、早々にその場を離れて行った。避難者たちとは知り合いのようで、遠目でも互いの安心感が手に取るようにわかる。

「せ、先生!わたしは……、わたしに何かできることある!?」

 イルは恐る恐るヒタカに訊ねた。

 武器も持たず、街にはたった二、三時間前に来たよそ者自分に何ができるだろうか。イルは内心怯えていた。

 よそ者にできることなどない。

 そんなことを言われるのではないかという疑念が脳裏に過る。イルの不安とは裏腹に、ヒタカは懐から三本の瓶を取り出すと、彼女に向かって放り投げた。

「わっ!」

「即効性の簡易解毒剤だ。動けない人は毒にやられている可能性が高い。残ってる奴と協力して、全員に飲ませてやってくれ!」

「う、うん!」

「処方量はラベルに書いてある。正しく使えば大抵の毒に効く」

「はいっ!」

「毒以外の負傷者も俺が診る。全員の状況を把握して報告!」

「わかった!」

 容赦なく飛ぶ指示をイルは頭に叩き込んだ。

「俺はすぐに終わらせて戻ってくる」

「え?」

 ヒタカも診る方に回るものだと思っていたイルは、彼の言葉の意味をすぐに理解できなかった。

「せんせーーーっ!来てくれーーーっ!」

「もう無理だっ!」

「こいつ、でかすぎて弱る気配がないっ!」

 遠くでヒタカを呼ぶ声が聞こえた。

 数分目を離した隙に、夜光魚と戦っていた人の数が減っていた。あちらこちらに人が倒れ、武器や道具も散乱している。緑光も地面を照らすばかりで、街はうす暗く、発光する夜光魚のみが不気味に周囲を照らす。

「大変っ!!」

 瞬間、イルはヒタカが白衣の中、腰のあたりから何かを取り出すのを横目に見た。彼が右手に持っていたのは一振りの懐剣だった。

 光沢のある黒色の鞘がすらりと抜かれると、長さ三十センチほどの銀の刃が現れた。ヒタカは刀とも呼べる懐剣を右手に構えると、目にも留まらぬ速さで夜光生物へと向かって駆ける。

 次の瞬間、夜光生物の断末魔が夜の闇に響いた。

 それは、稲妻が地平を走って行くような、あっと言う間の出来事だった。

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