第3話 光人と闇人

「話だけでも聞くのはだめ?」

「だめ」

 イルの話に難色を示すヒタカに、彼女はさらに尋ねた。子供のような言い方に、さすがのイルもむっとする。

 “先生”と呼ばれる職業の人間は、自分よりすごい人なのだと思っていたイルは、ヒタカを頭から足元まで観察した。

 三十路前後の年齢に見える彼は、十六歳のイルにはしっかりとした年上の大人に感じた。

 背は高く、ひょろりとした細さがあるが、不思議と存在感があった。髪は黒色混じりの薄茶色で、腰に届くか届かないかほどの長さをみつあみでまとめているが、前髪は眼鏡にかかるほど長く、視界が悪そうだった。しかし、ちょっとした光の加減で見える、前髪の間と眼鏡の奥にある瞳は、短くそろった睫毛に縁取られた青緑色で、小さな金緑石アレキサンドライトのようだった。目鼻立ちも整っていることもわかる。しかし、それを台無しにする寝乱れ髪に、イルはブラシをかけて整えたい気分に無性になった。

 腕まくりをしてボタンを留めずに羽織っている白衣ドクターコートは、普段使いの気配がする皺や布の摩擦があり、本来の用途ではなく上着代わりに使っているようだった。白衣の下は薄手のジャケットにジーンズ、登山ブーツと動きやすさ重視した服装だ。

 声色は聞き取りやすいがぶっきらぼうで、時折子どもっぽく話す姿は、浮世離れした学者を彷彿とさせた。

「話を聞いたところで断るんだ」

 ヒタカは椅子から立ち上がると、作業机の近くに設置してある火の気がないストーブに向かった。

「なら、最初から聞かない方が、お互い時間も無駄にならない」

 鉄製のボックスから細い薪を取り出しストーブ内に放り込むと、マッチで火をつける。

 一日中、気温が低い中で、深夜は特段気温が低い。燃料は節約したいところであるが、話す度に全員が白い息を吐き手を擦るため、家主はやむを得ず部屋を暖めるしかなかった。

「先生、そんな言い方しなくても……」

 黙々と暖房機の用意を済ますと、隣の部屋へ行ってしまった。その背中にクマが声をかけると、すぐにヒタカは戻ってきた。コーヒーポットを持っており、水を入れて来ただけらしい。クマは続けた。

「先生、話ぐらい聞いてあげてもよいんじゃないかい? 女の子が一人で夜を渡るなんて、よっぽどのことだ」

「う゛」

 ポットをストーブの天板に乗せると、ヒタカは渋るように眉根を寄せた。

「クマさんがそう言うなら……」

「やった!」

 助け船の風向きが変わらないうちに、イルは透かさず言う。

「わたし、昼のみやこに行きたいの!」

「却下!」

 即答だった。



 「お前、昼の都がどういう場所か知った上で言ってるのか?」

 ヒタカの纏う空気が変わった。

 部屋は暖まってきたはずが、冷たいものが場を支配する。

 椅子に座り直し、睨むヒタカにイルは身震いをした。クマに視線を送ると、肩をすくめるだけだった。

「昼の都は、光人ひかりびとの都市でしょ」 

 恐る恐る答える。

 世界の時間が夜だけになってから、人類は三つの種に別れた。

 一つが中人なかびと。旧人類とも呼ばれる、昔からいる種である。

 次が光人。いつしか現れた種で、緑光りょくこうを操る術を持つ。

 最後が闇人やみびと。光人と同時期に現れ、綠光を人工的に作る術を持つ。

 光人と闇人は各々の力を使い、光源を巡って争う世界中でうまく立ち回った。 

 今や両者は己が信じる神と教えを流布し、”王”を中心に世界中に影響を与える二大勢力となっている。中人にも信者がおり、純粋に教えに共感した者もいる一方で、彼らが蓄える光を求めてすり寄る者も多い。

「昼の都は光人の王が住む国であり首都だ。あそこは光人でも限られた者しか入れないし、中人や闇人で入った者で“まともに”戻ってきた者はいない」

「そうなの?」

「やっぱり知らなかったな」

 ヒタカはため息をついた。

「今でこそ、彼らは俺たち……中人に寛容だが、中人からの迫害を忘れちゃいない。さまざまな要因を含むが、中央に近づくほど中人や対立中の闇人への感情は悪い」

 闇人も同じ理由で中人や光人への感情は悪かった。

「先生、お互いの仲が悪いのは承知だが、戻ってこないのは何故なんだい? 許可がないと、ぼこぼこにされちまうとか?」

 クマが両の拳を前後に出し入れし、殴る仕草をする。

「案内人仲間の話では、光人の教えに殉じない者が都に入ると廃人にさせられるとか。闇人は都に溢れる王の光に触れると影となって消えるとか……。都行きの案内を引き受けた案内人が依頼人もろとも帰らない事例があったのは、俺も知っている」

『怖っ』

 二人の戦慄が重なった。

「どこまでが事実かは帰ってきた者がいないから知らない。だが、危険があることだけは確かだ。そもそも光人も闇人も、無神論者中人にとっては面倒事が多い」

 しゅんしゅんと、薬缶が沸騰を告げた。

「という理由わけで、引き受けないぞ。大義名分があろうが、大金積まれようが、俺はだ。君も悪いことは言わん、都行きは諦めろ」

 返す言葉がない二人が黙ったのを良いことに、 ヒタカはきっぱり言うと、棚から取り出した三つの木製のマグカップに、茶色い粉とお湯を入れた。心地よい音と共に珈琲の深みのある香りが漂う。ヒタカが静かにカップをイルに差し出した。

「ありがとう……」

「ヨナからこんな所まで来るんだ、何か事情があるんだろう。少し落ち着いてから、次の行動を考えた方が良い。ヨナに戻る方だったら、案内してやっても良いし」

 彼なりに慰めてくれているらしい。

 多くを尋ねやしないが、彼の言葉からは心配する気持ちが伝わってくる。しかし、イルにとっては故郷を出て以来、初めてまともに会えた夜光案内人だった。クマの言葉を信じれば、案内の腕も良い。そうなれば、目的のために引き下がるわけにはいかなかった。一方で、駄々をこねても、彼を動かすことはできないのは一目瞭然だ。

「わかった。少し考えるよ……」

「寝台は使ってよいから、珈琲それを飲んだら寝ろ。もうニ時だ」

 物分かりよく頷くイルに、ヒタカが子供を寝かしつけるがごとく言った時だった。

 再び診療所の扉を叩く音がした。

「先生っ!先生っ!開けて!大変だよっ!」

「今度は何だ⁉」

 苛立つヒタカの声を諾と取った来訪者が、扉を開けると同時に飛び込んできた。

 困憊した様子で入ってきたのはイルとさほど変わらない年齢の少年だった。

「大変なんだ、先生!夜光生物が街を襲ってるっ!!」

 少年の悲痛な叫びに、ヒタカは椅子を蹴るように立ち上がった。

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