第2話 夜光案内人


「ここは……?」

「目が覚めたかい?!」

 少女が目を覚ましたのは、彼女が運び込まれて、一時間ほど経ったころだった。

 ヒタカが患者用の寝台に背を向けて、作業机で自作の薬草を瓶詰めしていると、急患と付き添っていたクマの声が聞こえた。

 振り向くと上半身を起こした少女が、不安げに周囲を見渡していた。

「よかった。どこか体調の悪いところはないかい?」

 クマが嬉しそうに少女を気遣う。彼女の主治医のような言い方が、ヒタカには微笑ましかった。

「ここはノーク国の辺境地ノクティスだ。君は町の外れで、夜光症で倒れてたんだ」

「ノーク……、ノクティス、やこうしょう」

「クマさんに感謝するんだな。彼が君を見つけなければ、重症化していたかもしれない」

「こちらはヒタカさん。君を診てくれた人だよ」

 困惑する少女にぶっきらぼうに説明するヒタカに、クマが補足すると、彼女は状況を理解してきたようで、二人に小さく礼を言った。

「私はイル。イル・ラーグィネ。ヨナから来たの……」

「ヨナ?そりゃあ、どこの町だい?」

 クマが首を傾げる。

「ヨナはイヨル国の西にある地域だ。随分遠くから来たな」

「さすが、先生!なんでも知ってる」

「イヨルは、ノークの西隣の国・ナハトより更に西だ。どうやってここまで来た」

 世界の時間が夜に支配されて幾百年。時を重ねて成立した五つの国と二つの教団はそれぞれが友好的とは言い難い関係にあった。

 急激な環境の変化から起きた史上最悪のエネルギー不足は、国はもちろん町や地域、組織、個人間、様々な関係における資源やエネルギーの囲いこみや揉め事の原因となった。その最大規模がかつて多くあったと言われる国家、人種、宗教などの括りによる争いだった。

 人類は自滅に向かうと思われた中、まとまりを見せた五国とその間を取り持つ二教団により、ある程度、"争いごと"は落ち着いているのが現状であった。

 一方で、その落ち着きのために、物流も人流もなにもかもの流れは何かしらの監視下にあり、旧来の移動手段はことごとく貴重で有限なものとなった。

 彼女が閉鎖的な地域間を難なく通り抜ける権力や高価となった移動手段を使えるようには、ヒタカには見えなかった。どこの町や村にもいる十代後半の普通の女の子だ。

「移動はバイトで稼いだ運賃でバスに乗ったり、関所や国境は許可証持ってる車のトランクに隠れたりして、……来ました」

 イルは後ろめたそうにぼそぼそと言った。

「密入か。根性あるな、君」

 許可証なしの関所越えや越境は、万死に値することもあるが、不自由なこの世界で監視者の目を潜り抜けて、国や町を抜ける者は多い。

 彼女のように車に隠れて移動する者もいれば、自力で野山を超える者もいる。

 全てを年中無休で照らす方法を持つ者もいないため、闇に紛れての移動は庶民には暗黙の方法だった。しかし、密入に失敗し、監視者に捕まる者もいる。夜盗や獰猛な夜光生物、険しい道のりなどが原因で、命を落とす者もいる。

 移動を制限する側にも理由がある。それでも人々は様々な理由で、夜を渡るのだった。

 彼女もその一人に過ぎないのだろう。ヒタカもクマも驚くことはなかった。

「ノークにはどうして来たんだい?出稼ぎかい?」

 クマの質問に、彼女は首を横に振った。

「わたし、ノクティスに腕の良い夜光案内人がいると聞いて、ここまで来たの。どうしても行きたい場所があるんです」

「そりゃ、ヒタカ先生だ。ここらで腕利きの案内人と言ったら、先生しかいない」

「クマさん!」

 自分のことのように胸を張るクマを、ヒタカは慌てて止めた。

 クマは「何故止めるのか?」という表情をしており、信頼を裏切るような言い方になってしまったことに、ヒタカは心が傷んだ。

 イルはイルで、二人のやり取りの意味がわからないなりに、ヒタカが夜光案内人であることを認識したらしく、不安と期待に満ちた眼差しで彼を見ている。

 視線が痛い。

「ヒタカ、先生は案内人?」

 訝しげにイルは周囲を見渡した。

「お医者さんじゃなくて?」

 彼女の言う通り、ヒタカの住まい兼事務所は診療所だった。周囲に配置された棚や家具には医療用の本や薬品、簡単な診療器具などが並び、窓際に患者用の寝台がある。初見で彼の職業を間違えないで認識できる方がおかしいのは確かであった。

「俺は医者じゃない。風邪程度なら診ることもあるが、夜光案内人の仕事は夜道を案内するだけではないんだ」

「そうなの?」

 疑っているのか、彼女は合点がいってないようだった。

「案内人には、君のように夜に当てられた人の治療をしたり、そのための治療法を研究したりする者もいる。俺は"夜の成り立ち"と"夜による白化はっか"の研究が専門で、それ以外は派生にすぎない」

 ヒタカは淡々と続けた。

夜を渡る依頼夜光案内を引き受けるのは、その専門が金にならないからだ。近かろうが遠かろうが、あれには危険が伴うからな。案内専門の奴はよほど腕に自信があるか、金に困っているかだろう」

「そうなんだ。ぜんぜん知らなかった」

 目を丸くするイルの隣で、クマまでが勉強になると頷く。

「知らなくても仕方がない。よく勘違いされるが、"夜光案内人"は、"夜"に関する研究や困りごとなどを解決する職業の総称に過ぎない。資格や認可があるわけでもない、仕事さ。実力のほどは知らないがね」

「でも、先生は夜光案内ができないわけじゃない?」

「できないわけじゃないが、今は引き受けていない」

 突き放したようなもの言いを気にもせず、期待に満ちたイルの瞳は淡いオレンジ色で、灯台から送られる緑光りょくこうが当たると薄黄緑色になった。ヒタカはその澄んだ眼差しに耐えられず、眼鏡越しに目をそらす。

「"今は"ってことは、頼める時もあるってこと?」

「え? 引き受けたくない」

 隙あらば尋ねるイルにヒタカは即答した。

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