夜光案内人 -明けない夜と緑の標-

双 平良

第一章:夜の町にて

第1話 夜の淵

 がんがんと、誰かが扉を叩いている。

「先生、先生!」

 無遠慮に眠りを妨げるドアノックと声にヒタカは目を覚ました。

「先生!起きてるかい!?」

 壁時計を確認すると時刻は零時を過ぎたばかりだった。薄いカーテンをすり抜ける灯台の緑の光が部屋の中を定期的に明るくする。

 明滅する人工光を頼りにヒタカはベッド代わりのソファから起きあがると、枕元においた眼鏡をかけた。そして、仕事部屋兼寝所の床に散乱する書物や研究道具などを避けつつ、隣の部屋へ移る。ノックをし続ける来訪者が待つ扉へと向かった。

「そんなに叩かなくても起きてるよ、クマさん」

「先生っ!急患だ!」

 ヒタカが扉を開けきるのを待たず、大男が家の中へと飛び込むように入ってきた。

「おっと」

 名の通り、熊のように突進してきた彼を、ヒタカはひらりと躱す。

 その彼の腕の中には、少女が一人、ぐったりとした様子で抱えられていた。



 ヒタカは、クマに少女を窓際の診療用ベッドに寝かすよう誘導した。薄明かりの中、彼の横顔はひどく心配気で、まるで少女の家族のようだ。

 短く刈り込んだ黒髪の、前髪にだけ白い髪が混ざっているせいで、まだ四十路過ぎたばかりだというのに、ひどく老け込んでみえる男をヒタカは優しい眼差しで見つめた。

「クマさん、彼女をどこで?」

 ヒタカはベッドの真上に天井から吊るされたランプを点けると、改めて少女を見た。少女は、赤毛に近い茶の髪を肩のあたりで揃え、肌は白く、身長や体型は痩せているとも太っているとも言えない。年齢は十四、五歳といったところだろう。息もあるようで膨らみの小さな胸がゆっくりと上下している。

 外傷はなく、意識はないが生きていることはわかる。それだけでは情報が少なく、ヒタカは小さく息を吐いた。確実に言えることは、ヒタカが診療所を置くこの町の人間ではないことだけだった。加えて、彼女が身につけている、ブーツや膝丈のズボン、シャツに革ジャケットなどは泥などで薄汚れており、どこか遠くから来たことだけは推測できる。

 クマもそれには気がついているようで、深刻な顔つきで「町の西口あたりで倒れていた」と、言葉少なに述べた。

「行き倒れ、か」

 ヒタカはぽつりとつぶやくと少女の下まぶたを覗き込む。次に手首の脈を指で測り、できうる限りの方法で彼女の容態を診ていく。

「軽い夜光症だな。どこかで強い夜の気を急激に吸ったんだろう。白化はっかもしていないし、一日安静にしていれば、回復するよ。念のため、除光草の香を焚こう」

「おお、よかった!」

 クマは安堵の息を吐いた。

「先生がいてくれて、本当によかった!俺たちじゃ、夜光症はさっぱりだからな!」

「いたたっ!クマさん、力強っ!」

 感謝の意を全力で表そうと、クマはヒタカの白い右手を両手で握ると力強く上下に振った。ぶんぶんと音がしそうなほどの勢いにヒタカは苦笑いをする。

「先生と呼ぶのは止めてくれないか。俺はそんな大層なものじゃない」

「今さら、何を!町のみんながどれだけ、先生に感謝していることか!五年前、先生がここで夜光案内人を始めてくれなかったら、今ごろ町は夜にのまれて、みんな白くなって消えてたんだ」

 最後は消え入りそうな声でヒタカに言った。そっとヒタカの手をはなす。

「……先生は何も分かっていないんだ」

 何かを思い出しているらしく、薄闇の中でも分かるほどに、彼は涙声だった。その“何か“を知っているヒタカは声をかける術を持っていなかった。

「それを言うなら、俺も町のみんなに感謝しているんだ。今時、俺みたいな流れ者を受け入れてくれるなんて、なかなかやれることじゃない」

 おあいこだ。

 ヒタカが町に住むことになったきっかけを言うならば、ヒタカとしては彼らが自分を受け入れてくれたことと、ヒタカが彼らにしたことは同等ではなく、ヒタカの方が与えたものが少ないほどであった。

 お互いにそんなことを考えているのは堂々巡りであるため、ヒタカはごまかすように、部屋の隅にある棚に向かった。手慣れた手つきで上部の硝子戸から乾燥した草が詰まった瓶、下段の抽斗からブリキの香炉とマッチを取り出した。

 丸い果実を半分に切った形の香炉とマッチを少女が眠るベッドのサイドテーブルに置き、手際よく火を点ける。香炉蓋の数個の泪型の穴から、透明な煙が立ち上った。

 煙の中で小さな光がパチパチの弾けては消えていった。

 柑橘に似た薫が、わずかな甘みを纏い、部屋の中に漂う。

「除光草は何度嗅いでも、良い薫りがするなあ」

 クマはベッドの傍らにある付き添い用の木製の椅子に座り、感想を述べた。

「薬草の類だからね。軽度の夜に当てられた人のためには良い気付け薬だ」

 何の感情も乗せずに返答をしたヒタカも内心で同意する。甘酸っぱい匂いはヒタカに知りもしない夏の朝を思い出させた。

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