第19話「落ち着き始めた生活」

 ルトゥールの町にやってきてから一月がたった。

 初日から色々なことがあったけれど、私はようやく新しい生活に慣れつつあった。

 とりあえず、主な仕事は三つ。フェニアさんの店からの依頼への対応、リベッタさんとの錬金術の修行、そしてトラヤとの冒険者組合の仕事だ。


 一見とても忙しそうな日々に見えるけれど、慣れると案外そうでも無い。フェニアさんの店からの依頼が多いときはリベッタさんも協力してくれるし、錬金術の修行というのもちょっとアドバイスを貰いにいく感覚に近い。


 そして、冒険者組合の仕事。こちらは今のところ、たまにトラヤと採取に出る程度。ただ、私とトラヤは一級錬金術師と魔法使いという特殊なコンビだと認識されているらしく、そのうち変わった依頼を回されるかもしれない。

 ちなみにトラヤに複数属性のことは伝えて置いた。魔法使いの彼女に錬金術を見学されるうちにバレたからだ。とても楽しそうに驚いてくれたけれど、大っぴらにするとまずいので口止めしてある。


 なにより大切なのは早くも収入が安定したことだ。

 冒険者組合で採取依頼をこなして、フェニアさんの店に良い錬金具を卸しているだけで、練習用の素材を買うのに不安を覚えない程度の懐具合になった。

 

 それというのも、魔法使いであるトラヤの存在が大きい。

 彼女は魔境の中で特別な素材がある場所を探知できるようなのだ。

 不思議に思って聞いてみたら『魔力の流れを追ってる。あと勘だよ?』と怪訝な顔で言っていた。どうも魔法使いにとっては普通のことらしい。

 そういえば、『魔法使いは我々とはちょっと違う人間である』という本を読んだことがある。見た目は変わらないけれど、どこか違うものが見えているのだろうか。


 色々と考えることはあるけれど、回り始めた日常という輪を私は楽しんでいた。

 今日も昼前に素材の買い出しを済ませ、頭の中で新しいレシピを考えながら帰宅中。

 すっかり見慣れた工房の扉を開き、私は待っていた人物に声をかける。


「トラヤ、今日のお昼ご飯なにー?」


 私が声をかけると、工房入り口から見て右奥の扉が開き、トラヤがぴょこんと顔を出した。

「来る途中に買ってきたパンとかお肉でさっと作っておいたよー」


 言葉と共に扉の向こうから良い匂いが漂ってきた。これはスープも作ってあるに違いない。

「じゃあ、お昼にしちゃいましょう。それから仕事の話ね」


「はいよ。すぐ用意するねー」


 私が荷物を置くまでに、トラヤが食事を並べ始める。入ってすぐの店舗スペースは最近ではすっかり私達の共有スペースになっていた。


 トラヤがなんで私の家で食事を作っているかはちゃんと理由がある。

 リベッタさんのところでトラヤの面倒を見るよう言われて以来、彼女は毎日工房にやってきた。

 そして、私の生活を目にして言ったのだ。「ちゃんとご飯食べなきゃ駄目だよ」と。


 それ以来、我が家に来る際、トラヤは料理を作ってくれるようになった。たまに他の家事までしてくれている。


「しかし、トラヤの料理の腕が上手いのはちょっと意外だったわ。なんか魔法使いってそういうのやらなそうだから」


「あはは。たしかに魔法使いは家事がおろそかな人は多いよ。あたしのお師匠様なんてそのもので、殆ど身の回りの世話をしていたもん」


 どうやら、トラヤの家事能力は師匠のおかげらしい。感謝しかない。


「でもびっくりしたよ。イルマってしっかりしてそうだったのに、ご飯はあの変な棒で済ませてるなんて」


「錬金バーは一本食べてお腹いっぱいになるし、時間をとらなくていいのよ」


 小麦粉にナッツに牛乳などを混ぜて錬金術で作り上げる、錬金バーという食べ物がある。

 見た目は小さな棒状のパンみたいで食感はアレンジ次第。味は期待できないけど栄養価は高くお腹に溜まる。

 昔の錬金術師が手早く食事を済ませるために開発した素晴らしい食材なのだ。

 

 トラヤにはこの効率の極地とも言える食材の良さがわからなかったらしく、私が二日ほど錬金バーと水だけで過ごしていると伝えたらとても怒られた。


「まあ、トラヤの美味しいご飯を食べられるから助かるけど。材料費とか出すから後で金額教えてね」


「今日は安かったよ。市場の人達がおまけしてくれたの」


「なんか、私より町に馴染むの早いわね……」


 世間知らずの魔法使いということで町での生活に馴染めるか心配したが、蓋を開けてみればトラヤの社交性はなかなかのものだった。

 私の工房に来るまでの買い物や冒険者組合の仕事を片づける内に確実に顔が広くなっている。怪しい人に目を付けられないか心配だけど、それも「なんか嫌な感じがする」と感覚で避けているらしい。


 もしかしたら、魔法使いは人の悪意を無意識に感じたりできるのかな?


 トラヤに会った時、『魔法は心の力』と言っていた。そのくらいのことできても不思議じゃない。


「そうだ。荷物が届いてたよ。ハンナって人から」


「『錬金術の塔』での私の先生ね。なにかしら」


 食事が一段落した後、トラヤが小さめの箱を持ち出して言ってきた。

 テーブル上に置かれた箱にはハンナ先生の名前。中には手紙が入っていた。


「どれどれ……げっ」


 【前略 愛しい弟子のイルマへ。 貴方ばかり魔法使いに出会って楽しく日々を過ごしていることに嫉妬の気持ちを抑えきれない毎日ですがいかがお過ごしでしょうか……】


 手紙には私が魔法使いと出会い、一緒に行動することになった事への恨み辛みが書かれていた。

 ハンナ先生は魔法使いに会いたくて仕方がない人だったらしい。錬金具の鏡で事情を話した時など鎮めるのに苦労した。


「どうしたの?」


「いや、私信に色々書かれててね。まあいいや。……荷物の方は最新のレシピ集。やった! 凄く助かる!」

 

 五割が恨み節だった手紙をそっと封筒に戻し、箱に入っていた薄い本を手に取る。ちなみに先生はタイミングが悪くて錬金具を通してトラヤとの接触に成功していない。意外と運が悪い人だ。


「レシピ集って錬金術の?」


「そう。毎年春に『錬金術の塔』で研究された中でも、公表していいレシピが本になって発行されてるの。もちろん、物凄いレシピは掲載されてないけど、得意分野以外の研究を目にするのは勉強になるから……」


 言いながら私は目次に目を通し、次々とページをめくる。全部一度目を通して、素材があれば作ってみよう。それから応用もだ。


「…………」


「ごめん。一人で盛り上がっちゃった」


 気づけば、トラヤがじっとりとした目でこちらを見ていた。


「楽しそうだから良いけど。約束、忘れてないよね?」


 微妙に平坦な口調で確認するように言われる。

 勿論約束は忘れていない。今日まで避けてきた場所に、午後からトラヤを案内する予定なのだ。


「わかってるわ。私が出入りしてる錬金具の店に連れて行ってあげる」


 今日はフェニアさんの店にトラヤを連れて行かなければならない。

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