第3話「はじまり(3)」
寝室を見つけた私は、荷物を置くと早々にベッドに入った。来る途中、いくつか食事を食べれそうな店を見つけていたけれど、そこに向かう気力も無い。手持ちの保存食と水がルトゥール最初の食事になった。
「ふぅ……」
恐らく新品と思われる寝具に包まれ、私は静かに目を閉じた。部屋は整頓され、清潔なベッドまである。十分恵まれた状況だということは理解している。
「…………やっぱり、眠れないな」
もう、ここのところずっとだった。身も心も疲れているのに、私は満足に眠ることができない。あるのはうっすらとしたまどろみだけ。非常に良くない状況である。
私は見捨てられたわけじゃない。昇級できなかっただけ。錬金術師として終わったわけじゃない。先生も色々と取りはからってくれている。
どれだけ自分を励ましても、心は納得してくれないというわけだ。
…………いっそ、寝ようとするのをやめよう。
場所が変われば眠れるかと思ったけれど、そうでもないらしい。
早々に判断した私は考えることにした。主に、これからのことを。
まず、この街で生活の基盤を作らなくてはならない。
そのためには錬金具やポーションを作り、専門の店に卸す必要がある。知り合いのいない街なのであてはない。当然、人間関係も一から作らなければいけない。
なかなか大変そうだ。
……知り合いか。
人間関係に思い至った時、塔に入る前、錬金術の学院で学んでいた日々を思い出した。
あの時の私には友達がいた。錬金術を学ぶ毎日が楽しかった。
色々あって私以外は『錬金術の塔』に入らなかったけれど、皆、今もそれぞれ元気に錬金術師をやっているはずだ。
この二年、特級錬金術師を目指して必死に研鑽しているうちに、友達とも大分疎遠になってしまった。その上、今は知らない街に一人きり。
「…………うっ」
久しぶりに涙が出た。最終判定の装置が作動しなかった時に出し尽くしたと思った涙が。 そういえば、「必ず特級錬金術師になって皆のところに行くわ」とか言ったなぁ。もう無理だけど。
仕方ない、こうなったら皆と同じように普通に街の錬金術師として…………。
そこまで考えた時、私の脳裏にひらめくものがあった。
「……もしかして、私、自由?」
今の私は古い錬金都市で暮らす、ただの一級錬金術師だ。色々と制約が多く、自由に錬金術を使えない『錬金術の塔』の見習い研究員じゃない。
そして、世間一般で見れば一級錬金術師というのはなかなかのものだ。手に入る素材も、作れる錬金具も豊富。そりゃあ、特級には及ばないが、ハンナ先生に相談するなど私なりの伝手もある。
しかも今住んでいるのは工房だ。それも、ごく最近に整備された。
完全では無いととはいえ、私はいつの間にか子供の頃からの夢だった、自分が自由に錬金術を出来る場所を手に入れていたんだ。
うかつだった。昇格試験に落ちたことで、そのことに気づかないくらい精神的に病んでいた。いや、違う、今この瞬間、急に前向きになったのかもしれない。
どうせ失うものはなにもない。ゼロからのスタートだ、やれるだけやってみるのも悪くない。
そう考えると、ちょっとだけ楽しくなってきた。
急に、故郷のお父さんが、私が錬金術を学び始めた頃に言っていたことを思い出した。
『イルマ、筋肉と、健康と、錬金術があれば、お前に恐いものはない』
その通りだ。今の私にはその三つがだいたい揃ってる。きっと、何とかなる。
「ありがとう。お父さん」
もう何年も顔を見ていない父へ感謝の言葉を呟くと、部屋の窓の外で、空が白みだしていることに気づいた。
悶々と考えているうちに、夜が明けたようだ。
今日も眠れなかった、でも久しぶりに気分がいい。これからの事を想像すると、興奮で全身に力が漲ってくる。
私はベッドを出て、自分の荷物の置いた所へ歩く。
今日からこの街で生きていく。そう決めた足取りは、これまでと比べものにならないくらい力強い。
荷物から服を取り出しながら、私は口元を笑みの形に変えて、明るく言う。
「さて、やってみましょうか」
思えばそれは、久しぶりの笑みだった。
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