第4話「最初の仕事」

 着替えた私は一階に下りて、昨日は一瞥(いちべつ)しただけの鉄の扉を開いた。

 扉の向こうにあったのは広い空間。錬金術の素材を保管するための部屋だ。

 各種素材を保管するための棚は一部が貴重品のための鍵がついている。まだ何も置かれていないが、私が仕事を始めればすぐ一杯になるはずだ。


「お、あった。……さすがハンナ先生。ありがとうございます。」


 室内には他に事務仕事をするための大きな机の他、複数の大きさの箱がある。腰くらいの高さがある箱をいくつか開けて、私は師へ感謝の言葉を口にした。


 箱の中にはガラス片や薬草といった、一般的な錬金術の産物を生産できる素材が少しだが入っていた。最初の仕事はこれをするようにという師のはからいだ。


「インクまで用意してもらったことだし、やりますか」


 机の引き出しを開けて、紙とインク壺が入っているのを確認した私は椅子に腰掛けて言う。 着ている服の胸ポケットに刺さっていたペンを抜き、インク壺につけて、紙上に走らせる。

 このペンと紙とインクは錬金術のために必須の特殊な製法で作られたものだ。

 紙の上に錬金術を行うために必要な図形を描くのである。


 まるでおとぎ話に語られる魔法使いの魔法陣のような不思議な紋様の術式。

 これを一般的にレシピと呼ぶ。なんでも、普通の主婦として生活していた最初の錬金術師がそう呼んだのが起源らしい。


「よし、できたっ」


 レシピはすぐに完成した。私が最初に作るのは傷と体力を回復する癒やしのポーション。一番簡単で一番一般的なものだ。これなら、どこのお店でも買い取って貰えるだろう。

 レシピを折りたたんでポケットに納めた私は、箱の近くに置かれていた小さなバケツをいくつか手に取り、ガラス片と薬草を少量放り込んだ。


 これでレシピと素材は準備完了。あとは錬金術を行使するだけ。


 思えば錬金術を行使するのは一月ぶり、そしてこの町では初めて。

 ちょっとした緊張を覚えながら、私は扉に向かう。

 それは入ってきた時に使った鉄の扉より、更に堅牢な作りのもの。表面に装飾が施され、優美さを演出しているが、物々しさは隠せていない。


 錬金術を行うための部屋、錬金室への入り口だ。


「よいしょっと」


 素材を床に置いた私は、重い扉を開けてその向こう側へと入っていった。


○○○


 錬金術は魔法使いからもたらされた技術である。

 魔法使いは、魔法という不思議な技を使う選ばれた人々。

 魔法はとても便利だけれど、才能ある人にしか使えず、非常に狭い範囲で伝承されていた。

 ある日のこと、とても優秀な魔法使いが奥さんに才能の無い人でも魔法みたいな事をできる方法を教えた。


 それは鍋を使って、素材を放り込むとちょっとした物ができるという魔法の道具。

 魔法使いにとっては、妻の家事が少し楽になればいいと思って、気軽に作った作品。

 それが錬金釜と呼ばれる、全ての錬金術の元とも言える道具の誕生だった。


 台所の主婦が使い始めた錬金釜は「その中でだけなら魔法使いになれる」と言ってもいい革新的な発明だった。その便利さが知られると一気に広まり、量産され、研究され、拡散した。


 台所の便利道具が錬金術と呼ばれるようになるまでそう時間はかからなかった。

 錬金術によって生み出される産物は錬金具と呼ばれ、人々の生活をどんどん便利にしていった。


 最初は釜だった道具はどんどん形を変えて、効率よく、大きくなっていった。

 釜は今では錬金室と呼ばれるほどの規模になり、錬金術師の工房には必ず備えられている。

「さて、やりますか」


 工房内の錬金室はけっこう広かった。ベッドと棚を置いて生活できそうなくらいだ。錬金室の規模としてはなかなかのもの。

 私は各所を見て、すぐにでも使える状態であることを確認。

 

 床に描かれた幾つもの円の中でも中心近くに持ち込んだ素材を置く。

 今回置いたのはガラス片と薬草数種類。量も少ないのでちょっと寂しく見える。

 そして、中心にある四角い図形の上にレシピを置く。

 これで準備は完了だ。


「……よし」


 念のためレシピの内容を確認してから一言呟く。

 私は今、錬金術師用の服を身につけている。

 白と水色を基調としたもので、下はキュロット、上はポケットの多い長袖のジャケットになっている。各所に錬金具が仕込まれ、錬金術を行使する際の補助を初めとした多くの機能を搭載している優れものだ。

 

 そして、腰から下げている先端に透明な宝玉の付いた短い金属製の杖。

 私はそれを手に取り、軽く力を込めてひねる。

 すると、杖は一瞬で伸縮し、目の高さくらいの長さになった。継ぎ目の見えない精度で作られた、伸縮自在の錬金具、錬金術のための杖、錬金杖(れんきんじょう)である。 

 

 杖を持つ手に力を込め、先端に光が灯るイメージを作って集中する。

 私の思考を反映するかのように、宝玉が白い光を放って明滅した。


 明滅する先端をレシピにつけると、部屋全体に光が走る。

 レシピと素材が光の粒となって床に消え、錬金室全体に微細に書き込まれた紋様が薄く灯る。


 あの紋様は魔法使いの遺した魔法陣だと言われている。元々、最初の錬金釜の内側に書かれたものから変化はないと言われている。

 ほとんどの魔法使いがこの世界から居なくなってしまった今となっては、その真偽は確認しようがない。けれど、錬金術は稼働する。大切なのはそこだ。


「錬金、開始……」


 そう呟いて、私が先端に光の灯った杖を回すと、それに合わせるように室内も明滅する。

 

 今、私は魔法を使っている。この部屋で、レシピをセットして、輝く杖を振っている間だけ、錬金術師は魔法使いとなるのだ。


 ここからは集中力の勝負だ。レシピに書かれた行程が完了するまで、慎重に杖を操作しなければならない。魔法は精神に大きな影響を受けたというが、錬金術もそれは変わらない。 難しいレシピは少ししくじると、素材を無駄にしてしまう。


 ただ、今回作るのは簡単なポーションだ。

 五分とかからず私の作業は終了し、錬金室の中央にレシピの代わりに目的の物が作り上げられた。


 周囲に置かれた素材から生み出されたのは、細い瓶に入った飲み薬が十本。開けやすいように先端に細い溝が入っているのが個性といっていいだろうか。


「うん、これなら平気そう」


 中の液体と外の瓶、両方の具合を確かめて、満足する。

 久しぶりだけれど、上手くいった。良かった。


 出来上がったポーションを室内に置かれた特別製の籠に入れると、私は錬金室を去るべく扉に向かう。

 去り際、室内へ振り返って、丁寧に一礼。


「これから、よろしくね」


 今後お世話になるだろう相棒に挨拶してから、私は明るい気分で部屋を出た。

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