第2話「はじまり(2)」
ハンナ先生の二択で塔を出ていく方をすぐ選んだのは、我ながら冷静な判断だったと思う。
『錬金術師の塔』は特級錬金術師の研究室でひしめく場所だ。そこでは一級錬金術師はどうしても下に見られるので、精神的にかなり辛い。
更に、私が昇格試験に失敗したことが知れ渡っているという状況も加われば、研究員の一人としてやっていける自信はさすがにない。
一方、塔から出て錬金術師としてやっていくというのは魅力的な提案だ。しかも、ハンナ先生が用意したと言っていた。
何気ない一言だが、こういう時の先生は万事整えて動いてくれていることを私は知っている。少なくとも、行った先で食いっぱぐれるようなことはないだろう。
そう思って選んで提示されたのは『古き錬金都市ルトゥールで工房を構えるように』という仕事だった。
「まさか、いきなり工房運営とはね。塔に入る前に実習ならやったことあるけれど……」
石畳の上を歩きながら、私は小さくそう呟く。
てっきりどこかの街で研究員でもやらされるのかと思っていたら、まさか工房運営とは。 錬金術師が街中に工房という名の店を作り、各種錬金具を販売して生計を立てるのは珍しいことじゃない、むしろ一般的だ。
ただ、研究員を目指してその道を進んできた私にとっては、予定外な進路である。
「人生、なにが起きるかわからない……。身に染みるわぁ」
背中の荷物を背負い直しながらもう一度呟く。通りに人が少ないので奇異の目で見られることも無い。
ハンナ先生の宣告から八日、私は錬金都市ルトゥールに到着した。
錬金都市というのは、街作りの段階からインフラを初めとした各所に錬金具を用いることを想定した都市のことだ。
錬金具というのは錬金術によって生み出された道具の総称であり、台所の水を生み出したり、汚水を浄化したり、街に明かりを灯したりと非常に身近な存在である。
錬金都市は都市機能を維持するために多くの錬金術師が住まうことになる。
そこでは住民達が便利な錬金具を求め、新たな錬金具が開発され、その繰り返しで全体的に豊かになっていく。
それが、ここ何百年かで起きた大きな世の流れ。
ルトゥールはその最初期の街で、錬金術の都と呼ばれるファイスターに比べると、町並みはとても古めかしい。歴史を感じる石畳、百年以上は機能しているであろう噴水に水路、古いデザインの街灯、持ち主が変わるたびに壁の色が変わっているらしい木組みの家々。
正直、結構好みの街だ。変にきらびやかじゃ無いのがいい。落ち込んでいなければ、ちょっと名所旧跡巡りをしたいくらい。
「はぁ……。工房まで用意して貰っておいてなんだけれど。なんでまた町外れに」
これからの職場を前に、私は軽く肩を落とした。場所はルトゥール郊外。中心部に比べると静かで、人が少なく落ち着いた場所。
そこに石造りの頑丈そうな二階建ての建物があった。
この街に多いカラフルな木組みの家と一線を画す、頑丈さ重視のこの建物こそ、錬金術師の工房である証。内部に錬金術を扱うための部屋と保管室を持っていることもあり、並の一軒家よりも大きい。
色あせた赤い屋根と灰色の壁の建物は、最近手入れをされたらしく、周囲の草も刈られて小綺麗になっている。
全て、先生の手配の賜物だ。事前に私の荷物も送ってくれている。
「これだけやって貰っておいて、愚痴を言うのはさすがに失礼すぎるよね……」
落ち込んでいるとはいえ、ここは反省すべき点だ。すぐにお礼の手紙を書こう。そもそも、私に何の問題もなければ余計な手間をかけさせなかったのだし。
「……こんにちはー」
事前に貰っていた鍵を使い、扉を開く。古く見えた扉はしっかり整備されていて、スムーズに開いた。
最初に目に入ったのは錬金術師がお客様を迎えるための簡単な店舗も兼ねている小さな部屋だ。部屋の奥、左右に箇所に扉が見える。そのうち左側が鉄製なので、仕事部屋はそちらだと当たりを付けた。
「生活空間は右から……。多分、階段から二階かな?」
古い工房は大体作りが似通っている。一階が仕事用、二階が生活用だ。
とりあえず、移動の疲れもあるので今日はすぐ休むことにする。どうせもうすぐ夜だ。
『錬金術の塔』からぶっ続けで移動していて疲れもあるし、相変わらず気が重い。
疲れた体と心を引きずって、私は右の扉から新しい生活空間へと入って行った。
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