7月16日

 時は残酷に、誰にでも平等に進んでいく。あの人が家に来る準備は着々と進んでいた。止めることなんて出来ない。俺に選択肢がないから。キョウに会えるのもこれが最後かもしれない。

 そう、今日は終業式。

 ジメッとした体育館の空気。切レなくて伸びた髪が肌に張り付く。鬱陶しい。右から左へ通り過ぎる先生の話。寝ている生徒。早く終わって欲しいと願った。

「以上を持ちまして、終業式を閉会いたします」

 起立、気をつけ、礼。ありがとうございました。みんながいっせいに動く。伸びをする人、ちょっかいをかける人、大声で話す人。決まって後ろ側がうるさい。目を向けると相変わらず目立つ人たちが大声で話していた。だが、いつもいるキョウの姿が見当たらなかった。嫌な予感がした。まさか……。いや、そんな。心の中に巻き起こった不安は拭い切れなかった。確証がないから。俺たちはいつ死んでもおかしくない。

「退場するぞ〜」

 やる気のない教師の合図で移動する。どうか杞憂であって欲しい。神様、どうか……。

「あ〜! 京哉いるじゃん!」

 勢いよく顔をあげた。スクールバッグを肩にかけたキョウが廊下を歩いていた。その姿に安堵した。良かった。と思った次の瞬間、男子生徒がキョウの背中を思いっきり叩いた。ヒュっと息が詰まった。まるで自分が叩かれたように感じた。そこは擦れるだけで死ぬほど痛いところなんだぞ。普通に叩かれたって痛いのに。

「っ……いってぇよ、バカ!」

 キョウは一瞬顔を顰めて、笑って注意した。悶えるぐらい痛いはずのに。平気で笑っている。なんてことない普通の子みたいに。俺には、無理だ。さっきの行為は、周りから見たら単なるコミュニケーションの一環なのかもしれない。それでも俺は耐えられない。普通のフリってなんで難しいんだろう。


         *


「……まぁいろいろ言ったけど、とりあえず法に触れるようなことはするな。宿題は各教科で出されている通り、期限守って提出すること。以上」

 そう言って担任は少し早めにホームルームを終えた。こういうところが緩くて生徒から気に入られている。みんな規定の時間が来るまで思い思いに過ごしていた。俺は窓の外を眺めていた。

「四方、ちょっと」

 キョウが先生に呼び出された。今日の遅刻のことだろうか。それとも他に何かあるのだろうか。


   この地域の大人は役に立たねぇぞ


 キョウが大人を信用することはまず無いだろう。それは少しだけど一緒に過ごしていたらわかる。うちは周りを取り繕っているから別に何も言われない。それどころか気づきもされていないけど、キョウの家は違うのかもしれない。

「夏休みどーする?」

「とりま海でしょ」

「それな。あと花火大会」

「絶対浴衣着ようね!」

 周りから聞こえる、夏休みを待ち望む声。いいよな。あんたたちは。帰れる家があって。俺たちとは住む世界が違う。土台が違う。大人から自由を認められて。それがどれだけ幸せなことなのかも知らずただ享受して。考えれば考えるだけ虚しくなるような思いをすることもなくて。そこまで思考してまた虚しくなった。こんなことを考えること自体、空虚だ。

 逃げられるなら、逃げたいと思うよ。

 でもそれは安心できる場所と信頼できる人がいればの話だ。それがないから、結局家と学校という狭い世界でしか生きられない。学校が終われば家という地獄にのこのこと帰るしかない。逃げたところで補導されて捕まるのがオチ。家に戻って三倍、いやそれ以上に機嫌が悪い親にひたすら謝って赦しをこうしかない。それがどれだけ惨めかを世間は知らない。だから簡単に「嫌なら逃げれば良い」・「抵抗すれば良い」なんて言葉が出る。

 窓の外を見やった。今日も太陽は平等に世界を灼いていく。校庭から熱気が出ていた。どうにも埋まらない現実との溝。家に帰ってからどのくらいの時間、平穏に過ごせるのかを考える。

 窓から生暖かい風が吹き込んできた。カーテンが広がる。夏は爽やかな季節、なんて誰が言い出したのだろう。この季節に清涼感なんて微塵もない。あるのは高温多湿の最悪な気候と地獄のような雰囲気の家庭。それだけ。

「はぁ……」

 ため息が漏れた。それはあっけなく生ぬるい風の中に消えていった。

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