7月12日
「りっかぁ〜。私ねぇ、結婚したい人がいるのぉ。あんたのことも伝えてあるからぁ〜、今度連れてくるわねぇ〜」
唐突に優しく触れてきた母は、そんなことを言って俺を学校に送り出した。
*
「再婚?」
「……するらしい」
「急だな」
「朝、初めて言われたから」
「ふーん」
いつも通り。炎天下。冷房の効かない図書室。プールが見える席。対岸にいるキョウ。何一つとして変わらない日常があった。
「ってかいい加減その席座るのやめろよ。また倒れるぞ」
笑いながらキョウは言った。確かにこの席は日差しが真っ直ぐにあたる。この前のこともあったので素直に従った。読んでいた本をキョウの隣の席に置く。
「なんの本?」
「小説」
「ふーん」
聞いてくる割には、キョウはたいして興味も無さそうにする。俺は椅子に座って続きを読み始めた。その様子をキョウはずっと眺めている。
「……気が散る」
「嫌?」
「別に、いいけど……」
ならいいじゃん、と笑った。その後いたっ、と口をこぼした。また殴られたらしい。腕を組んで顔を横にした状態でずっと見てくる。患部を冷やしているようだ。俺たちは、いつになったら傷ひとつない体になれるのだろう。
「面白れぇーの? それ」
「まあまあ」
「ふーん」
また興味がなさそうな返しをする。なんでわざわざ話しかけてくるのか、謎なままだ。なんとなく落ち着かないので切り出してみた。
「何か、言いたいことある?」
「……不安?」
「再婚?」
「うん」
「……どうせすぐ別れるんだろうなとは思う」
あの人と一緒に暮らすなんて、きっとどんな人でも無理だ。疫病神に、近いから。キョウに視線を移すと不安そうな目をしていた。その顔を見てクスッと笑ってしまった。
「なんだよ」
「なんでキョウが不安そうな顔してるの?」
「別に。……親の再婚って、ろくなことねぇから、さ」
「経験あるの?」
「一回だけな。相手の女が耐えきれなくなって消えた。いや、あれは……。多分子供ができてたんだよな。それであいつから逃げたんだ。」
相変わらず傷だらけの腕を伸ばしながらキョウは続けた。
「どうせなら一緒に連れてってくれればよかったのにな。まぁ血が繋がってないし、身重の状態で子供もう一人抱えて夜逃げってほぼ不可能だけど」
キョウは、何回絶望してきたのだろう。極端に感情が無いのはきっと、絶望の数だけすり減っていったんだと思う。俺の顔を見て、キョウの目つきがあの時みたいに鋭くなった。
「なぁ、その顔やめろよ。お前だって同じ立場だろ。たち悪ぃ」
「……どんな顔?」
「一番されて欲しくない顔」
きっと同情を含んだ憐れみの表情をしているのが伝わった。今俺が一番されて欲しくない顔。血が上ったキョウは早口で捲し立てる。
「自分が救われるかもしれないからって調子にのるなよ。俺は最初から誰にも期待してない。もちろんお前にもな」
よほど俺の態度が気に入らなかったらしく、だんだん語気が強くなっていった。まるで俺に怒鳴り散らす母みたい。少し、怖くなった。
「お前も俺に期待するなよ。俺たちは所詮中坊のクソガキだ。お前が俺を救えないのと同じように俺もお前を救えねぇ。ついでに言うなら、この地域の大人は役に立たねぇぞ。教師も、警察も」
頼っては、断られ、家に帰るしかなく、絶望して。キョウはそれをずっと繰り返して来たんだ。俺よりも長く。かわいそうな子というレッテルを貼られ続けてうんざりしている。そういう人間に殺意を覚えているのだと思う。俺も、その一人になってしまったようだ。
落ち着いてほしかった。でもかわいそうだと思ってない、と言えなかった。再婚によって、もしかしたらこの地獄から抜け出せるかもしれないという期待が少しはあったから。キョウの頭を、撫でようとした。あの時、自分にしてくれたように。
パシっ
それは叶わなかったけど。
「お前マジでいい加減にしろよ」
「……ごめん」
空気が冷たくなった。うまく呼吸ができなかった。手がヒリヒリするとか、そんなことはどうでも良くて。キョウに拒絶されたという事実が、とても苦しかった。
「……頭、冷やしてくる」
そう言って図書室を出たキョウを俺は追いかけることができず、ただ払われた手を見つめることしかできなかった。
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